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平成18年度厚生労働科学研究費補助金障害保健福祉総合研究推進事業報告書

加齢および脳卒中の影響に伴う立位時のヒラメ筋活動の変化:
左右ヒラメ筋振戦活動の同期に着目して

阿部匡樹
国立身体障害者リハビリテーションセンター研究所

はじめに

加齢や運動機能障害に伴う直立姿勢維持機能の衰退はADLおよびQOLの低下をもたらし、転倒の危険性を増大させる。この危険性をより安全かつ負担の少ない方法で事前に把握する評価法の確立は、今後の高齢社会において重要な課題のひとつに挙げられる。このような評価法は、起立・歩行障害を有する患者のリハビリテーション過程においてその改善度合を図るための有効な指標にもなりうるであろう。昨年度、著者は静止立位時と歩行時の重心動揺特性が統計的に有意な相関関係を有することを運動力学的な手法を用いて明らかにし、静止立位測定による歩行安定性評価の可能性を示した1。本研究ではこの静止立位時に重要な役割を果たすヒラメ筋活動の特徴を詳細に検討し、神経生理学的側面から直立姿勢維持機能の加齢・運動機能障害に伴う変化を明らかにすることを目的とした。

静止立位時、我々のヒラメ筋は持続的に活動しているが、この持続的活動は8-12Hzの振戦活動を含むことが報告されている4,6。この周波数帯の振戦活動は健常者の通常状態においてもみられるphysiological tremorと呼ばれる現象で、下腿筋に限らず上肢や指に関連する筋群においても報告されており、その生成メカニズムに関しても反射説、中枢説とさまざまな説が挙げられている5。立位時のヒラメ筋振戦活動の特徴を明らかにすることは、直立姿勢維持のための筋活動を生成するメカニズムに迫る上で重要であるが、この問題に関する詳細な検討はまだ十分展開されていない。

最近、我々は立位制御が両脚による制御である点に着目し、立位時における左右ヒラメ筋振戦活動間の同期について健常な若年者群と高齢者群の比較を行った。その結果、両群ともに左右のヒラメ筋活動に8-12Hzの振戦が見られたが、左右の同期に関しては高齢者群のみ顕著であった2。もしこの同期現象を生成するメカニズムが比較的上位の中枢に存在するならば、その部分に障害を有する患者群において同期現象は減少するであろう。本研究ではこの仮説に基づき、高齢の脳卒中片麻痺患者を対象とした立位実験を行なった。

方法

被検者:9名の男性慢性期片麻痺脳卒中患者(Stroke:年齢64.6±8.0歳、身長1.59±0.07m、体重56.4±7.4kg;±以降の数字は標準偏差)、その対照群として24名(男7女17)の健常高齢者(Control:年齢69.4±5.1歳、身長1.54±0.07m、体重55.3±7.8kg)が実験に参加した。被検者には事前に実験に関する説明を行い、その内容に関して同意を得た後に実験を施行した。なお、本実験内容は所属施設の倫理委員会に諮り、実験実施の承諾を得た。

試技内容:被検者は床反力計(Kistler Type 9281B)上にて開眼での90秒静止立位試技を5回行った。試技中、左右のヒラメ筋表面筋電図(EMG)を筋電用アンプ(DelSys Bagnoli-8 EMG system)によって増幅し、AD変換器(PowerLab/16sp, ADInstruments)を介してコンピュータに記録した。また、上記床反力計によって左右・上下・鉛直方向の床反力を計測し、同様の方法でコンピュータに記録した。いずれのデータもサンプリング周波数は1000Hzであった。

図1 グラフ

Figure 1. Typical examples of power spectrum in the right and left soleus EMG (rSOL and lSOL), the coherence spectrum, and the phase. The right (red) and left (green) sides show the results of control and stroke subject, respectively.

データ解析:左右ヒラメ筋振戦活動の同期の程度を定量化するため、左右EMGデータ間のコヒーレンスおよびフェイズを算出した。コヒーレンスは各周波数領域における相関の強さを示したもの(0から1の範囲)で、フェイズは各周波数領域の位相差を示す。ある周波数領域においてコヒーレンスが統計的に有意に大きく、フェイズがゼロに近い場合、左右のEMGデータはこの周波数領域において同期していたことを意味している。EMGデータを全波整流後、約2秒間(2048ポイント)に分割されたサブセットを用いてコヒーレンスを計算し、40Hzまでのデータを4Hz毎に平均化した。また、コヒーレンスの有意水準を0.1%とし、その水準を満たした周波数帯のみフェイズを計算した。身体動揺の評価に関しては、床反力データから足圧中心位置(COP)を算出した。COPデータには4次バタワース型ローパスフィルタ(遮断周波数10Hz)を適用し、前後・左右方向における位置・速度の標準偏差、および左右方向の中心位置を算出した。周波数条件、被検者群間の比較にはTwo-way repeated measures ANOVAおよびunpaired Student’s t-testを用いた(有意水準p<0.05)。

図2 グラフ

Figure 2 A. Mean coherence at each frequency range for control (red) and stroke (green) groups. B. Mean phase for the frequency range showing significant mean coherence for control (red) and stroke (green) groups. Error bars show the standard deviation of each data group.

結果

EMG:図1に両被検者群のEMG解析の典型例を示す。脳卒中患者群(Stroke:図1右)は麻痺側(affected side)にも健側(unaffected side)と同様に8-12Hz周辺の振戦を示したが、コヒーレンスに関しては対照群である同年代の健常者群(Control:図1左)に比べて大きく減少する傾向にあった。図2に全被検者のコヒーレンス(図2A)およびフェイズ((図2B:4Hz毎に値を平均化)の結果を示す。対照群である健常高齢者が8-12Hz区間において顕著に大きい有意なコヒーレンス(p<0.001)およびゼロに近いフェイズを示したのに対し、脳卒中患者群で有意なコヒーレンスがみられたのは0-4Hz区間のみであり、8-12Hz区間のコヒーレンスは健常者群に比べて有意に小さかった(p<0.05)。

COP:図3に両被検群のCOPデータ解析の結果(A:前後(AP)・左右(ML)方向のCOP変位標準偏差、B:前後(AP)・左右(ML)方向のCOP速度標準偏差、C:COPの左右平均位置)を示す。群間の比較において有意差が認められたのは左右方向のCOP速度の標準偏差(図3B)のみで、脳卒中患者群の方が有意に大きかった(p<0.05)。左右の非対称性(図3C)に関しては、脳卒中患者群は中心位置がやや患側(affected side)に偏っていたものの、その程度は健常群と有意差が認められなかった。

図3 グラフ

Figure 3 Mean results about COP parameters. A. Standard deviations of COP displacement for antero-posterior (AP) and medio-lateral (ML) directions. B. Standard deviations of COP velocity for AP and ML directions. C. Mean COP position for ML direction. In all figures, red and green bars show the results of control and stroke group, respectively. Error bars show the standard deviation of each data group.

考察

本研究の結果は、8-12Hz周波数帯での左右ヒラメ筋振戦活動間の平均コヒーレンスが脳卒中患者群においては有意水準に達せず、この周波数帯における同期現象が健常な対照群に比べて顕著に小さいことを示した(図2A)。この結果は、患側においてヒラメ筋活動そのものや8-12Hzの振戦活動がみられなかったために生じたものではない。本研究の脳卒中患者群は健常者群と比較して左右方向の重心の偏りに統計的な差はなく(図3C)、健側・患側双方のヒラメ筋が活動していた上に、健常者と同様に8Hz前後の振戦活動も示されていた(図1右)。したがって、今回示された健常高齢者群と脳卒中患者群における左右同期現象の差異は、左右各々の振戦活動が脊髄等の下位中枢においても生成されうるのに対し、左右の同期現象にはより上位の運動中枢が関与していることを示唆している。

立位時の上位中枢関与の可能性の一つとして、加齢に伴う姿勢維持のためのattention(課題を処理するための情報処理量)9の増大が挙げられる。加齢に伴い姿勢維持に必要な各感覚器官の機能や筋力は衰える傾向にあり、高齢者は若年者に比べてより高いattentionを姿勢維持のために必要とする3。実際、高齢者では不安定な状況下での立位時に計算問題など他の認知的タスクを加えると、それぞれのattentionの干渉によって著しく認知タスクのパフォーマンスが低下したり姿勢が不安定になったりすることが報告されている9。この報告は、転倒事故がただ歩く場合よりも他の作業を同時に行っているときに頻発するという実際の状況とも一致する8。この文脈において、本研究のような通常状態での立位時にそれを維持するためのattentionが大きい被検者は、他の作業が加わったときに転倒の危険性がより高くなると考えられる。

健常高齢者にみられる左右ヒラメ筋の同期的振戦活動には、上記のような加齢に伴い増大する姿勢維持のためのattentionが関与している可能性がある。経頭蓋的磁気刺激(TMS)を用いた先行研究は、attentionが必要となるような不安定な立位時、ヒラメ筋活動における上位中枢の関与が大きくなることを報告している7。0-4Hz周辺の高いコヒーレンス(図2A)に示されているように、前後方向の姿勢動揺の補償は左右脚のヒラメ筋の共同制御によって行われているため、姿勢維持中両脚の筋にattentionの増大に伴う上位中枢からの共通入力が作用することは十分考えられる。一方、脳卒中患者の場合、姿勢維持のためには同世代の健常者に比べてより大きいattentionを必要とすると考えられるが、脳卒中障害のため患側への上位中枢からの指令は制限されている。そのため、上位中枢からの共通入力に伴う健側との同期は健常者に比べて減退したものと考えられる。

まとめ

本研究は立位時の左右ヒラメ筋振戦活動の同期に関して健常高齢者群と同世代の脳卒中患者群の差異を明らかにし、健常高齢者にみられる8-12Hz振戦の同期的活動に上位中枢が関与していることを示唆した。この関与については今後より詳細な検討が必要となるが、本研究の成果は単純な動揺量からだけでは抽出できない潜在的な転倒危険性の評価法の確立に貢献する可能性を有する。将来的には、脳卒中患者や脊髄不全損傷患者の立位機能回復の度合を測る神経生理学的な指標としても応用可能であろう。

参考文献

  1. 阿部匡樹. 平成17年度厚生労働科学研究費補助金障害保健福祉総合研究推進事業報告書(若手研究者育成活用事業), 2006.
  2. Abe MO et al. XVIth Congress of International Society of Electrophysiology and Kinesiology, 2006.
  3. Bronstein A et al. (Ed.) Clinical Disorders of Balance, Posture and Gait, Second edition. Arnold Publisher, London, 2004.
  4. Masani K et al. The 31st Annual Meeting Society for Neuroscience, 2001.
  5. McAuley JH and Marsden CD. Brain 123:1545-1567, 2000.
  6. Mori S. J Neurophysiol 36:458-471, 1973.
  7. Solopova IA et al. Neuro Lett 337:25-28, 2003.
  8. Tideiksaar R. Geriatrics 5:43-53, 1996.
  9. Woollacott M and Shumway-Cook A. Gait Posture 16:1-14, 2002.