音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

平成19年度厚生労働科学研究費補助金障害保健福祉総合研究推進事業報告書

【デボラ・ファイン博士 招へい報告】

神尾 陽子
国立精神・神経センター精神保健研究所

Ⅰ 招へい理由

Fein博士は、対人コミュニケーションに困難を持つ自閉症についての臨床研究を臨床神経心理学的なアプローチで、常に世界をリードしてきた研究者である。発達早期に始まり、ライフステージを通じて社会生活に深刻な困難を抱える自閉症の病態解明および診断・評価法の確立など幅広く、臨床的な視点で研究を続けておられ、今日、社会的障害としての自閉症観、複合的な神経学的障害としての自閉症仮説へと、研究の端緒を拓いたのは、彼女の業績と言える。

我が国で平成17年に施行された発達障害者支援法は「症状の発現後できるだけ早期に発達支援が必要なことをかんがみ、発達障害を早期に発見し、発達支援を行うことに国及び地方公共団体は責務」を負うことを謳っている。しかしながら、わが国では重度の発達の遅れがある自閉症児以外の、中度や軽度症例に関しては、幼稚園や学校などの集団生活での不適応が明らかになるまで自閉症の存在を見逃されているのが現状である。また未診断のまま、すなわち適応困難を抱えたまま成長した子どもは思春期以降、情緒または行動上の問題やその他種々の精神疾患の併発のリスクが高まることが知られており、複合化した状態像はしばしば誤診を招き、不適切な処遇によってさらに悪化するという悪循環をきたす例も稀ではない。

私たちは、自閉症の確定診断がなされるまで、子どもや家族が支援を受けることなく、不安を持ちながら困難な日々を過ごすのではなく、リスクが疑われた段階でできるだけ早期にひとりひとりの子どもに即した適切な支援を開始することが望ましいという考えのもとに、1歳6ヵ月および3歳での乳幼児健診の機会に要支援児を見逃さずに発見し、支援につなげることを目的として、Fein博士らが開発した早期スクリーニング法を用いて、研究を行っているところである。

Fein博士らが開発した自閉症幼児を対象とするスクリーニング法は、米国内のみならず、我が国をはじめ、スペイン、中国、トルコなど世界各地で用いられ、自閉症児をめぐる支援状況を改善する契機となっており、大変注目されている。従来は3歳になるまで診断ができなかった自閉症児を、2歳前後で発見する確かな方法を確立することは、早期の治療的介入が可能になることを意味する。これまでの自閉症者の予後研究や脳の可塑性についての最近の研究からは、自閉症は早期に適切な介入をすることで、2次的な情緒や行動の障害を予防し、その後の発達に良い影響を及ぼす可能性が示されている。Fein博士は、早期に診断評価を受け、適切な治療的介入を受ける機会のあった子どもたちのその後の発達について、前向きに詳細に評価しながら追跡研究を行った結果、就学後に症状が回復する一群の子どもたちを見出した。これまでは、自閉症を始めとする発達障害は、ある程度軽快することはあっても治癒することはない、と信じられてきた。博士の研究は、これからさらにエビデンスを確かなものとするために続けられるが、このようなこれまでの自閉症観を再検討する必要に迫る、重要な発見と考えられる。

今回、Fein博士を招へいすることで、第1に、東京、福岡で開催する学会、シンポジウムなどの様々な機会に、申請者の研究チーム内外の研究者との議論を深め、最新のデータに基づいて、今後の自閉症研究のあり方を検討したい。

第2に、自閉症治療については、家族および地域社会全体の子育てに関連する文化社会的要因が深く関わっていることから、比較文化的な検討を行うことは、研究に貢献するのみならず、わが国独自の療育や子育て支援対策を講じるうえで、臨床的にきわめて重要な点である。そのためには、博士に、議論のみならず、わが国の自閉症臨床の現場を視察していただき、現場の臨床家たちと話し合いの場を持っていただくことは双方に大きな意義があると考える。

第3に、自閉症についてのわが国の一般国民の理解にはまだ偏見や誤解も残っており、社会全体の自閉症についての意識や理解を変えていくということは、自閉症支援を効果的に実施するためには必須である。博士には、滞在中、講演をしていただき、一般に無料で公開することにより、社会の啓発に努めたい。発達障害等に対する早期発見・早期支援という目標は、平成19年4月に発表された我が国の新健康フロンティア戦略に掲げられており、今日、医療、保健、福祉領域で高い関心を集めつつある。

このような機に、博士を招へいすることは、臨床研究や臨床実践の進展に資するものとなり、研究者のみならず多くの臨床家、家族や一般国民への質の高い啓発効果が期待される。

Ⅱ 研究協議概要

7月20日午前には、九州大学医学部百年講堂(福岡)において、「自閉症の早期発見・早期療育がもたらす成果:克服する子どもたち」と題する一般公開セミナーを開催した。40名ほどの参加者があった。医学・心理・教育・福祉領域の専門家や学生、さらに地域の方々の参加を得て、「自閉症スペクトラム障害の早期発見と“Recovery(回復)”:(原題 EarlyDetection and “Recovery” in Autism Spectrum Disorders)」と題して、博士が講演をされ、参加者からは熱心な質問がなされた。早期療育に携わる参加者からは、博士の指摘されたエビデンスが、いかにこれまで信じられてきた発達現象の固定観念に新しい光を当てるものであるかという感想があり、大変に啓発効果があったものとおもわれる。加えて、我が国の療育システムの実態を踏まえて、我が国ではこれからの自閉症児とその家族への支援のあり方を考えるとき、何が優先されるべきなのかという重要な議論もフロアで活発になされた。

7月20日午後には、ひきつづき九州大学医学部で「自閉症研究の明日を考える集い」をもち、7名の発表者による自閉症の乳幼児から成人までの様々なアプローチによる研究報告を行った。博士には、3名のコメンテーターのうちの一人として参加していただいた。

7月21日、22日に九州大学医学部で開催された第12回認知神経科学会学術集会では、自閉症を含む様々な社会性の病理を再考する趣旨で、シンポジウムと特別講演を企画し、Fein博士には、シンポジウムの議論を踏まえて、“‘Recovery’ in Autism: Does It Exist and What Does It Mean?”と題して特別講演を行っていただいた。発達早期に始まる神経 発達障害における回復の意味を問い直すという、大変に刺激的な内容で、今後、神経科学的に再検討することの重要性を指摘していただいた。フロアからは、神経科学の研究者から質問が相次ぎ、異分野間の活発な学術交流を持つことができた。また、他の学会期中の企画も学術交流の場として、活用された。

7月30日には、国立精神神経センター精神保健研究所セミナールーム(東京・小平)において、「自閉症の早期発見・早期療育がもたらす成果:克服する子どもたち」と題する一般公開セミナーを開催した。厚生労働省や地域行政、医学・心理・教育・福祉領域の研究者や専門家、さらに自閉症者の家族など多岐にわたる分野から30名ほどの参加を得て、博士による「自閉症スペクトラム障害の早期発見と“Recovery(回復)”:(原題 Early Detection and “Recovery” in Autism Spectrum Disorders)」と題した講演を行った。参加者の幅広い専門分野を反映した議論が活発になされた。

博士の滞在された期間中、市町村の保健行政担当者、療育に携わる医師、心理士、言語療法士など、さらに家族たちとの意見交換の機会を複数回もち、日米の子育て文化、医療保健に関する文化における相違点や共通点について理解を深めることができた。そして、我が国において、自閉症支援のために発達早期に私たちができることは何かについて、整理する良い機会となった。

Ⅲ Fein氏の提言概要

① 2歳までにあらわれる自閉症の徴候

生後1年以内にすでに、対人行動・コミュニケーション・適応スキル・感覚など複数領域において初期徴候がみられる。たとえば、アイコンタクト、模倣、呼名反応、発声、言語理解、喃語などの初期発達が乏しい、あるいはない、また睡眠時間が乏しいなどの睡眠上の問題や、音や触覚、痛みなどの感覚刺激への特異な反応、特異な視覚反応などが、自閉症の早期徴候の可能性が高い(www.firstsigns.org)。

最近の研究報告から、生後1年以内にみられる頭囲の過剰成長は、自閉症を疑うサインとなる可能性がある。

② 早期診断の安定性

2歳から4歳までの幼児期に、自閉症の診断はほぼ安定していることが、実証的に示されている。したがって、2歳時の自閉症の診断は信頼できる。

③ 全般的な発達のスクリーニングは自閉症を鑑別診断できるか

現在、多くの保健所や小児科医が行っている身体的発達や言語発達を主とした全般的な発達チェックは、自閉症の早期診断に関しては、著しく感度が低い(20-30%)。米国で開発された全般的発達のスクリーニング(PEDS)についても、博士らの予備研究では自閉症に関して感度は62%で、十分とは言えない。したがって、現行の発達チェックに、自閉症の早期徴候をチェックする目的で感度の高い項目群を加える必要がある。

④ 既存の自閉症スクリーニング・ツール

一般母集団を対象として、その感度や特異度を確認しているツールはまだ少ない(CHAT, M-CHAT, ESAT, Chat-23など)。それぞれに利点と欠点があるので、使用目的に応じて選択する必要がある。以上のことから、現時点での最善の方法は、現行の乳幼児健診での発達チェックに加え、自閉症に特化したスクリーニングを18-30か月に行うことだと言える。American Academy of Pediatrics(アメリカ小児科学会)も、近年の同様の内容を推奨している。

⑤ M-CHAT(Modified Checklist for Autism in Toddlers)

Fein博士らの研究グループが開発した早期診断システムである。2歳前後の幼児に、23項目の「はい・いいえ」の親記入式のチェックリストを用いて、陽性(不通過3項目以上)だった場合、その項目について親子の面接を実施する。これまでに、7,000人以上に、スクリーニングとそのフォローを行っている。感度は75-90%、面接後の陽性的中率は60%と満足できる結果が得られている。これは、日本語を含む複数の言語に翻訳されている。(項目の例:他の子どもに興味がありますか?おかあさんに見てほしいものがある時、それを見せに持ってきますか?など)

⑥ 年少児と家族にかかわる際の臨床的な問題点

必要な情報は、親による報告あるいは直接、専門家が行動観察を行って確認する。しかし、親の報告、専門家の観察それぞれに利点と欠点があり、それらを十分に認識して評価を行わないと、大事な点を見逃して過小評価したり、過大評価する危険性がある。また、家族に対して評価の結果をフィードバックすることは十分に配慮したうえで行わないといけない。必ずしも、明確な診断名を告げなくても早期介入と発達促進的な療育方法についてのカウンセリングを行うことは可能である。特に重度障害でない子ども(中軽度)を持つ親は、最も高いというデータがあることは忘れてはならない。したがって、親にとっても子ども本人にとっても適切な方法と介入について、早期に伝えることを遅らせてよい理由はない。

⑦ 早期発見の利点とは?

  • 早期介入につなげることができ、具体的な発達の遅れに焦点化した対応ができる。
  • 親が家庭で、発達を促進する刺激をより多く与えることができる。
  • 親が望めば遺伝カウンセリングを受けることができる。
  • 親が適切な文献からの情報や、他の親あるいは専門家からのサポートを求めることができる。

⑧ 早期介入の結果:回復をめぐる3つの研究からのまとめ

  • 大多数の自閉症児は、回復には至らないが、一部に回復する子どももいる。
  • 回復の割合や、どのような遺伝的、生理学的、発達上の要因がそれに関連するのかはまだわかっていない。
  • 社会的に回復した子どもの大多数に、言語や注意の面での困難が残っていた。社会的スキルと強迫症状の程度にはばらつきがあった。
  • 回復に関連する要因として、集中的な早期介入が関連しているらしいが、どのような種類の介入がどの程度必要か、あるいは介入が全例に必要なのか、についてはまだ系統的な研究がなされておらず、わかっていない。
  • おそらく、回復が生じることの解釈としては、成熟とともに改善していくタイプがさまざまな自閉症症候群の中に存在するということ、そして、治療の成果が関与している、と考えるのが妥当であろう。

⑨ まとめ

早期のスクリーニングが早期発見に、早期発見が早期診断あるいは発達の遅れの気づきに、早期の気づきが早期介入に、そして早期介入は、最善の予後や、場合によっては回復につながる。

Ⅳ 最後に

Fein博士の滞在期間、私たちは多くの関係者とともに、最新の研究知見や米国の状況について詳細に把握することができたと同時に、我が国との相違点について十分に認識できたことが貴重であったと思う。米国では我が国のようなすべての国民がアクセスできる乳幼児健診体制が十分ではなく、地域格差が大きい。その点では、我が国の優れた乳幼児健診制度を、自閉症の早期発見にもっと活用するとその効果が期待される。一方、療育については、米国では診断を受けると、質や種類は地域によってさまざまだが、個別あるいは集団療育を受ける権利を得る。この点においては、我が国は質、量とも未整備である。個別の診断評価にもとづいて、療育計画に結びつけることができるように、療育関係者の専門性を高め、評価から支援への流れを遅滞なく円滑に行うシステムを整備することが急がれる。また家族支援の観点からは、我が国の子育て文化を考慮したうえで地域全体でサポートしていくためには、もっと保健行政や地域の民間活動を活性化することが重要と思われる。また、少子化が著しい我が国では、幼い子どもとのコミュニケーションについて広く啓発していくことも、自閉症の発見にとどまらず、子育てに向き合う親すべてに有益と思われる。

自閉症を広く定義すると、今日では1%を超えると報告されている。さらに対人関係やコミュニケーションに困難を持つ人々はそれよりももっと多いことが予想される。対人関係やコミュニケーションは、遺伝的に規定されると同時に、長い時間をかけての経験の影響も大きい複雑な能力を必要とする。それらを考えると、乳幼児期からのひとりひとりに即した発達支援の必要性について、博士との研究協議を通して、今後取り組むべき多くの課題が明確になった。