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シンポジウムII
「地域で暮らすために何ができるか」
支援付き住居と精神障害者

NPO法人ふるさとの会
理事 滝脇 憲

滝脇●ふるさとの会の滝脇と言います。私が出しました資料ですけれども、パワーポイントの資料がまず冊子になっています。それから白黒で別刷りの「ふるさとの会事業概要」というものがあります。それから今日持ってきたのですが、先ほど竹島先生のご紹介にありましたように、私たち、東京の山谷地域というのはドヤ街なんですけれども、日雇い労働者の町です。日雇い労働者が素泊まりする3畳一間の宿で、ヤドをひっくり返してドヤということなんですけれども。山谷地域は約6,000人ぐらいを収容できるドヤ街です。ホームレス支援の活動を出発点としておりますので、この時期は、役所が閉まっている間の炊き出しだとか、相談事業だとか、そういうことをやっております。毎年、新宿連絡会と、新宿と山谷はちょっと離れていて、東京の23区の西の方と東の方なんですけれども、共同開催という形で、それぞれの場所でやるのですが、一緒に説明会をやったりしています。本題に入りますけれども、山谷でホームレス支援をやっておりまして、空間的にとらえればこういう地理になっておりまして、山谷地域というのは今残っている正式な地名ではないんですが、この地図で言いますと左のピンクの方が山谷地域なんです。右の方は隅田川という川を越えて墨田区に入っていくわけです。山谷地域はもちろんですが、隅田川の両側というのも非常にホームレスの人が多い地域で、ふるさとの会もアウトリーチ、訪問活動をずっとやっていたものですから、隅田川を挟む形で、山谷と隅田で事業展開をしています。

事業ごとに整理したものは事業概要がありますので、後でご覧いただければと思うんですが、宿泊施設だとか自立支援住宅、それから昼間のアパートで暮らしていたりドヤで暮らしている人の日中の居場所、デイサービスみたいなものだとか、相談機能を備えてみたり。それから、山谷で今、ドヤ街とは日雇い労働者が泊まる宿だと言いましたけれども、それは昔の話というか、日雇い労働者なんかほとんどいないんですね。今、ドヤで住んでいる人の平均年齢が65歳と推定されています。仕事もないです。労働者が高齢化して日雇い労働そのものがないというところです。介護の事業所を作りまして、それから食事を作って配ったりという給食センターなど、地域の中でいろんな事業所を立ち上げてやっております。

今日のタイトルである支援付き住宅ということ、それから精神障害者ということになっていますが、何でホームレス支援活動から始まったNPOがこういうテーマでお話をさせてもらうかと言いますと、つまりホームレスという問題と精神疾患の問題ということになってきます。ドヤ街ですから当然というのもあれですけれども、まずアルコールの問題がある。それから路上生活をしている人も多数いらっしゃいますから、暑さ寒さから身を守ることができませんし、襲撃だとかいろんな問題から不眠など、あるいはうつ病とか、そういうものを患っている方も、ホームレスの支援活動の中では非常に普通のことです。

それから、ホームレス生活が長びいて精神疾患を発症したのか、それとも精神病院に入院していた人が受け皿がない状態で退院したためにホームレスになっているのか、どちらとも言い難いというか、両方のケースはあると思います。そういった病院を出たり入ったりというような方も少なくないです。

それから、私たちも東京都のホームレスの自立支援センターという事業があるんですけれども、生活相談を委託でやっていた際に、やはりこの人は精神科に通院する必要があるだろうという人がたくさんいました。それはアスペルガー障害のような障害という人もいましたし、妄想とかを伴うような統合失調症とかという人もいました。そして残念ながら、自殺を止められなかったというケースもありました。

そういったいろんな面で精神障害というものをいつも考えざるを得なくて、アパートに移れるように支援しても、そこに訪問したり、私たちだけじゃなくて精神科のお医者さんとか訪問看護の方にも入っていただくような調整をしながら、アパートの支援をしたりとか、ドヤでも同じです。ドヤでも、そういったサービスが使えます。

それから、グループホームも持っていて、今2ユニットで15人くらい受け入れしております。当時、自立支援センターから、この人はグループホームがいいかなと思っても、元ホームレスということでなかなか受け入れてくれるところがなかったということもありました。なので自分たちで宿泊施設を使って、そこにお医者さんに来てもらったりとか、社会サービスを導入する形で支援しながら、受け入れてくれるところがないから自分たちでやりますということでグループホームを作ったりというような事業を作ってきました。

ふるさとの会は今、利用者は842名いまして、地域でアパートで暮らしている方が約600名なので、大体70%。まだその準備ができていなかったり、あるいはアパートで暮らしていたけれども介護が日常的に必要になったりという方のための中間施設として200名くらいの方を受け入れています。

ではその中間施設がどんなものなのかと言いますと、左上の東駒形荘。これはもともと知的障害者のグループホームをやっていた事業者が撤退したので、じゃ使いますということで。4畳半の個室で、昔の学生下宿みたいな共通の廊下・トイレ・風呂があって、そこを高齢者向けに改修して、高齢者向けの自立支援住宅という形にしています。

その隣、真ん中の上のホテル三晃、これはドヤを一括で借り上げてやっています。それからその隣のあさひ館、これは、山谷の隣が遊廓だった吉原。東京の上野エリアなんですけれども、浅草があって北の方に行くと吉原があって、吉原を抜けると山谷がある。こういうふうにインナーシティの少しアングラな空間が隣接しているということで、大阪の釜ヶ崎も同じように新世界の通天閣とかがある。で、飛田があって釜ヶ崎があって、教科書どおりの都市の構図になっているところがおもしろいんですけれども。そういう吉原にありますから、もともと連れ込み旅館みたいなところだったんですけれども、それを改修して要介護のグループホームみたいなものにしました。

その下のせせらぎ館は、工場だったところです。墨田区というのは非常に中小の工場が多かったところですので、しかしそれがバブル経済の崩壊後、稼動しないというところがたくさんあったので、今必要な福祉的な居住というものにコンバージョンする形にしたりとか。そういったドヤ街だったり吉原があったり、そして工場が多かったりという街の特性を生かしながら、今の時代のニーズに合わせて居住に変えてきました。

入所者は、ここに書いてあるとおりなのですが、やはりこのところ、認知症の方が非常に増えています。今日の厚労省の方のお話にもありましたけれども、昔はもうちょっとアルコールの人が多かった気がするんですけれども、酒を飲む元気もなくなってきてしまったのか、認知症の人が増えていると感じています。いろんな障害、手帳はなかなか取得に至らないけれども、通院をしたりとか。知的障害者の手帳をとるのは60過ぎてとるというのは結構大変ですから、持っていないけれどもそういう障害があるという人も、この票からは隠れてしまっています。ホームレス支援をやっていて、これだけ要介護とか認知症、精神障害を抱えている人が多いというのが実情です。

まずホームレスだったら、居住保障をしていく。そして生活保護とかで経済保障をしていく、あるいは就労支援をしていくということでいいんじゃないかと一般に思われがちなんですけれども、実際には畳の上に上がってからいろんな問題が見えてくる。アルコールなんか典型ですけれども。畳の上に上がってからの継続支援が大事で、そこに私たちもずっと関わり続けるし、それから専門的な社会サービスも入ってきてもらう。こういうようなやり方で進めていったら、近年だんだん、路上生活を経験していない病院の退院者とか、そういう方も普通に事業を利用するようになってきたという流れがあります。

では宿泊所や自立援助ホームではどんなことをしているのかというのがここに書いてありますが、生活支援ですね。家族的な支援ということが、ほとんど身寄りのない方が多いので必要なのと、そういうわけではなくていろいろな社会サービスというものを導入、コーディネートしていく、一人ひとりに合わせた形で導入していくことが必要です。逆に、社会サービスをうまく活用していけば、精神の人から介護の人、認知症の人、いろんな人に対応できるというメリットがあると思っています。

そういった社会サービスのネットワーク、地域の病院とか介護事業所、在宅診療、あるいは訪問看護ステーションなどと「地域ケア連携をすすめる会」というネットワークを作って、この中で一緒に事例検討していく。「実はうちの患者が退院できないんだけれども」と言ったら、「じゃうちの居住住宅で受けましょう」と。「何処何処が訪問看護に入りますよ」というふうに、サービスの組み立てもできるといういいところもあります。

やはり居住、切れ目のないというか、渡部先生の資料にもありましたが、よく使われている言葉かもしれませんが、実際には切れ目がたくさんあるわけですね。それは家族の支援が受けられなかったり、住宅がなかったり、あるいは単身の人が脳梗塞になって急に車いすになってしまったときとか、そういったときに切れ目に落ち込んでしまうことが非常にたくさんあって、その切れ目を埋めるためにどうしたらいいのかというところで、居住のあり方というのを考えていかなければいけない。

例えばこのCさんという人ですが、私たちもグループホームをやっているのですが、病院を退院してすぐにグループホームに入れるという状態ではないんですね。ちょっと不思議な話ですけれども、専門的な世話人がいるところよりも、自主事業に近い宿泊所の方が24時間体制で生活支援を行い、社会サービスもいろいろ入っていて、手厚く支援できるというところがあります。宿泊している間に家族関係の問題、借金の問題、いろんな問題を整理して、落ち着いたところでグループホームに安心して入れるというような、つなぎの部分というもの。先ほどの熊本のいろんな住宅の例と、もしかしたら近いところがあるかもしれないと思いながら聞いていたのですが。そういった切れ目をつなぐということが、一つは居住のセーフティネットが必要であるということと、もう一つはコーディネートする人が必要だということ。福祉事務所のケースワーカーは余力がありませんので、誰がキーパーソンになるのかというところで、「私たちがさせてもらいます」ということでやっています。

しかしコーディネートというのは、お金の話をすると、対価がないですね。先ほど、中間施設と言いましたけれども、何で中間施設なのか、終の住処と言えないのはなぜかといったら、狭いですよ。3畳間です。渡部先生の発表の後に3畳ですなんて言えないなと思いながら聞いていたんですけれども。ただ不思議なことに、狭いという苦情はないんですね。味噌汁がぬるいぞというのでカンカンになって怒鳴り込んでくる人とか、ひどい人はいるんだけど、なぜか不思議なことに、狭いということはあまり言われたことがない。ドヤ街にあるので3畳一間というのが、不思議なスタンダードになっちゃってるのかもしれないんですけど。私たちとしては、コーディネートの対価をとって3畳間を6畳間に広げていって、終の住処にできるようにと。東京の地価事情というのがあるのですけれども、そういうことを考えていきたいというところです。

ちょっと時間がありませんので、思い切って飛ばしてしまいますが、「支援付き住宅」というものは造語ですけれども、どうしてこういうことをやっているかというと、東京では今、特に生活保護を受けている人の行き場がないんですね。特に生活保護あるいはその基準以下の低所得者であって、家族の支援が受けられず、そして介護が必要になってきた人。特に要介護1~2くらいの中程度の、病院にも行けない、特養にも入れない、養護に行くにはちょっと重いという人が行き場所がない。そういう人たちがどこにいたかというと、今年、火事で焼かれた「たまゆら」という、いわゆる無届け老人ホームということで随分報道されましたけれども。あれは本当に氷山の一角です。

要介護でない人も都外の施設に行っています。例えば静岡県。新幹線に乗って入所の訪問に行きましたけれども、東京都の精神医療に関わってきた人は誰でも知っているような病院から、こういった他府県の施設にどんどん移されているんですね。そこはどういう人が多かったかというと、アルコールと薬物の人、比較的若い、30代の人もいました。「入所してどうですか?」と言ったら、「ストレスがたまる」と。「でもなかなか風光明媚なところじゃないですか」と言ったら、「いや外に出かけちゃいけないことになってるんだ」と。近隣住民と、昔、飯場みたいなアパートみたいなところだったんですけれども。そういうところに入っているということで、何とか地域の中に居住の受け皿を作っていかなきゃいけない。そして居住だけでなくていろんなケアが必要な人がいるから、そういうものを組み立てていかなきゃいけないなと考えています。

そういったことを同時に私たちは、まちづくりという視点で進めていきたいと思っています。これは、お二人の先生からいろんな提案がありましたが、私たちもWIN-WINの関係というものが可能だと思っています。ホームレス支援と言いますと、とにかく地域で嫌がられますよね。商店の軒下とかで人が寝てたりするわけですし。それを差別するなと言っても意味がない。そういうことではなくて、みんなよかったねというようになるには、そういう人がちゃんとアパートに行って、アパートは空き家がたくさんあるわけですから、その空き家が埋まって、今度はその人たちが買い物に来てくれればいいわけですよ。買い物に来て、そういう人たちが集まってくる、あるいは高齢の人がたくさんいれば、だんだんデイサービスが必要になってくる。そこで働く人が必要になってくる。商店街の娘さんがヘルパーをやっているから働いてみようとか、そういうふうにしていろんなニーズの相互依存というか、そういうものは十分に可能だと思っていますし、こういった経済的な根拠というものも作れる。

民間資本を活用した自立援助ホームというのも、左がもともとあった晃荘ということで、右がふるさとの会が貸してもらっている、ふるさと晃荘。昔の屋号を使わせてもらっているんですが。この東京でも、住宅が余っている。どういう余り方をしているかというと、よく保護課アパートと言われますけれども、10戸の1DKがあったら、2~3人しか住んでいないというようなところがあるわけです。そこで孤独死なんかしちゃったりすると、ますます人が入ってこない。しかし建て替えようにも部屋が余っちゃってますから、新宿とか六本木ならすぐ埋まりますけれども、墨田とかマージナルな地域においては埋まる保証はないから、銀行はお金を貸してくれない。貸してくれないからただ老朽化していくのを待っているしかない。そこに私たち、アパート保証、家賃保証の事業で保証人をやっていますから、不動産屋さんの関係がいろいろあって、不動産屋さんが、そういう物件をもてあましてしまったオーナーさんに、実は物件を探しているところがあるんですよということで紹介をしてくれたんですね。銀行も、もちろん土地・不動産の担保はつけましたけれども、ふるさとの会が使うということを実質上の担保にしました。お客さんはたくさんいるわけですから、さっきの「たまゆら」みたいな群馬県まで行って住まいを探しているような状況があるわけですから、お客さんはいくらでもいますと。これは確実な融資だと。しかも普通よりも利回りよしということで、こういうふうに新築に建て替えてくれた。ふるさとの会が使いやすいようにつくってくれて、これはハウスメーカーと一緒につくったんですけれども、グループホームの仕様でつくりました。グループホームも今、総量規制とかであまり建設が伸びていませんから、ハウスメーカーも、せっかくつくったノウハウを生かしたいということで乗ってきて。みんなでよかったですねと。私たちは事業ができてよかった。行き場所がなくてダイナミックに関東一円を転々とした人もやっと落ち着いて暮らせるようになったということで、よかったということになるわけです。

循環という視点から、このスライドを作ったんですけれども、東京はたしかに地価が高いんですが、言ってみればこの墨田の木造密集地というのは、地形も複雑だし、なかなか建て替えが難しい。そして古い物件が増えていく。言ってみればコールド・スポットなわけです。しかし住宅を必要としている人はたくさんいる。ちょっとした支援があれば地域で暮らせる人はたくさんいる。その中に精神病院の退院者だっているわけです。そこを、空き物件を活用して、支援付きに変えていって、そしてそこで働く人が必要になってくるわけです。私たちも850人の人を支援しているということは、それだけの労働市場というふうに考えてもいいわけですね。給食センターをやれば、昔調理やってました、旅館がつぶれて家も収入もなくしちゃったけれどまだ働けるよとか、そういう人はたくさんいるわけで。

コミュニティビジネスをこういうふうに、高齢者が住めるための地域を作っていくことによって、さまざまなコミュニティビジネスが発生して、そしてやや高齢の人とか、障害があったりとか、いろんな働く点での弱者、雇用のハンディキャップを持っている人たちの働ける場を作っていって、そしてお金が循環していく。地域の中で人が住むから地域の中でお金が落ちて、その地域が活性化していけるんじゃないかというふうに考えました。支援付き住宅というのは、決して箱ものの議論ではなくて、地域を活性化する一つの仕掛けだということで私たちは考えてやっております。以上です。