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チャールズ・ラップ教授 招へい報告

伊藤 順一郎
国立精神・神経センター精神保健研究所

I 招へい理由

チャールズ・ラップ教授は、ケアマネジメント、その他の対人サービスにおけるストレングスモデル(長所モデル)の開発者・創始者として、世界的に著名な研究者、実践家である。日本には2003年に来日し(日本精神障害者リハビリテーション学会招へい事業)、ケアマネジメント関係者、精神保健福祉関係者をはじめとした障害者保健福祉関係者に大きな影響を与えた。彼の“The Strength Model: Case Management with People with Psychiatric Disabilities”(Oxford University Press)は、日本語版として「精神障害者のためのケースマネージメント」(1998;第1版)、「ストレングスモデル~精神障害者のためのケースマネジメント[第2版]」(2008; 第2版)が出版され、日本においても、ラップ教授のストレングスモデルに基づく実践が、精神保健福祉領域のみならず、障害者・高齢者領域全般にわたって徐々に普及・浸透・定着しつつある。

ラップ教授のストレングスモデルのケアマネジメントは、アメリカの脱施設化を進めるプロセスの中で生み出された。包括型生活支援プログラムACTをはじめとする、精神障害者に必要とされる直接サービスが伴うケアマネジメントの代表的なモデルとして、さらには利用者・当事者中心の有効なモデルとして、成果を上げてきた。今日、世界の精神保健福祉領域で多くの関係者が目標概念として設定する当事者のリカバリー(当事者・利用者自らが望む回復)を実現する上で、最も注目されるアプローチとされる。同時に、それを当事者中心の社会政策に構築しようと体系化した点でも特筆される。

私たちは、日本の精神科病院における長期入院・社会的入院の問題を解消し、地域移行・脱施設化を進める上で要となるプログラムである包括型生活支援プログラムACTのランダム化比較試験による効果評価研究を成功裏に終了し、日本における多職種チームによるケアマネジメントの効果モデル・普及モデルを開発するために、厚生労働科学研究費補助金(障害保健福祉総合研究事業)「精神障害者の退院促進と地域生活のための多職種によるサービス提供のあり方とその効果に関する研究」に取り組んでいる。日本における精神科病院からの地域移行・脱施設化を、当事者・利用者が望み、かつ効果的な形で推進するために、リカバリーを推進するストレングスモデルに基づくケアマネジメントの理念と方法論を私たちのモデルに十分に取り入れる必要がある。

今回の招へいでは、ラップ教授に日本の精神保健福祉のこんにち的取り組み状況を具体的によくご理解頂いた上で、今後私たちが取り組むべき方向性について貴重な示唆とコンサルテーションを提供頂いた。ラップ教授のご指導を受けることにより、私たちの研究 プロジェクトがさらに発展するとともに、障害者福祉全般にリカバリー理念とストレングスモデル理念の普及・浸透が進展することが期待される。また、今後日本に必要とされる 当事者中心の社会制度・社会システム構築のためにも、ラップ教授の招へいを実現した。

II 活動内容

1. チャールズ・ラップ教授来日記念学術フォーラム(8月18日)

午前中は「ストレングスモデル-その思想と科学」と題した基調講演を行った。まず アメリカにおけるストレングスモデルの実証研究の概要を紹介し、ストレングスモデルの導入により、精神障害をもつ人たちの一般就労率や精神科への入院の減少等に有意な結果をもたらしたことを紹介した。この基調講演では「リカバリー」の概念にも触れ、精神障害をもつ人たちが自分の人生における主導権をもつこと、そして希望をもち人生を楽しむことができるという、リカバリーが意味するものについて紹介した。また、精神障害をもつ人たちに対する支援過程の焦点は、その人の病状や欠点などではなく、ストレングス、興味や能力であること、そしてその支援過程の監督者となるのは精神障害をもつ本人であることを強調した。さらに、地域が当事者にとって潜在的な資源のオアシスであり、ごく一般的な資源(精神保健医療福祉サービスなどの専門的なサービスではなく、誰もが利用できるもの)は、当事者が自分の生活やウェルネスを構築する上でより良い動機付けにつながり、地域の一員であるという感覚を促進することを可能にするものであることを示した。

午後は、ラップ教授の他に白澤政和教授(日本学術会議会員・社会福祉士養成校協会会長)、谷中輝雄教授(日本精神保健福祉士養成校協会会長)、野中猛教授(日本精神障害者リハビリテーション学会会長)、岩上洋一先生(日本精神保健福祉士協会)、大島巌教授(NPO法人 地域精神保健福祉機構代表理事)をパネリストに迎え、「ストレングスモデル-その実践と検証」をテーマに、パネル討論を行った。日本におけるストレングスモデルの実践に関する報告があり、今後の展開についても議論した。

2. ストレングスモデル演習(8月19日)

全国の精神保健福祉士約100名を対象に、ストレングスモデルに基づくケアマネジメントについての1日ワークショップを行った。小グループに分かれた演習も用い、ストレングスアセスメント、そのアセスメントに基づく個人目標計画作成の実践に関して、また、支援過程におけるケアマネジメントの役割や、精神保健福祉医療に関連する資源のみならず、ごく一般的な資源を活用することの重要性について、講義を行った。

3. リカバリー全国フォーラム2009(8月21日)

NPO法人地域精神保健福祉機構・コンボが主催した、リカバリー全国フォーラム2009において、「アメリカの精神保健福祉サービスに与えたリカバリー概念のインパクト」をテーマに、基調講演を行った。このフォーラムは、精神障害をもつ人たちやそのご家族、精神保健福祉医療関係者、一般市民など、さまざまな立場の人たちが全国からつどい、「リカバリー」に関して共に理解を深め、当事者主体の精神保健福祉医療システムやサービス等のあり方を検討することを目的に、今年度初めて開催されたものである。ラップ教授の講演では、これまでの精神保健福祉医療システムやサービスが、精神障害をもつ人たちを保護的なプログラムにとどめたり、選択肢を彼らから奪っていたことから、彼らのリカバリーの障壁になっていたことを指摘した。そして精神疾患の症状の安定化や、入院を回避することばかりに焦点を当てるのではなく、一人ひとりが望む人生のあり方に着目すべきであることを強調した。リカバリー志向の実践についても触れ、具体例として援助付き雇用、元気回復行動プラン(WRAP)、強化された包括型地域生活支援プログラム(ACT)等を挙げた。

その中でも興味深かったのが「共に行う意思決定と決定支援センター」で活用されている「コモングラウンド(共通の基盤)」というツールであった。これは、自身も統合失調症からのリカバリーの過程におり、障害をもつ人たちの権利運動の活動家でもあるパトリシア・ディーガン氏によって考案されたものである。このコモングラウンドアプローチの中心になるのは、外来の前に利用者によって使用される、インターネットを利用したソフトウェアで、その使用の際にはピアスタッフのサポートを得ることもできる。タッチスクリーン等の機能があるため、コンピューターを使うスキルを必要とせず、自分の現在の状況、薬に関する不安や懸念、自分の健康や元気を生み出すために生活の中で工夫していること、その人のリカバリーの目標等を含んだ、1ページのコモングラウンドレポートを作成することできる。このレポートを外来時等に医師をはじめとする関係者と共有することで、本人が設定した目標を視野に入れながら、積極的に治療計画に参加することができ、次のステップに関して共に意思決定をすることができる。初期の段階での結果として利用者側からは、自分の考えをまとめ、外来時に詳細に医師に伝えることに役立つこと、そして医師や支援スタッフ側は、自分たちが関わる利用者の全体像をより良く捉えることができ、 その人のリカバリーに向けて支援スタッフ間の協調を高めたとの報告があるという。また、利用者の自己ケアや目的に向かった活動の促進にも良い影響を与えたとのことである。 この試みは現在米国3州のクリニックにおいて行われており、今後広がっていくものと思われる。

4. リカバリー全国フォーラム2009(8月22日)

「リカバリー全国フォーラム2009」において「日本の精神保健福祉サービスを“リカバリー志向”に変革するには」をテーマにしたメインシンポジウムが行われ、精神疾患を もつ当事者や精神保健福祉医療関係者とともに、ラップ教授もシンポジストの一人として参加した。ラップ教授は「アメリカのリカバリー変革における関係者の役割」という観点から、アメリカにおける障害者の権利運動、当事者運動、研究者や実践者のこれまでの 取り組みについて紹介した。

また、フォーラムのワークショップのひとつである、「ストレングスモデルによる包括型地域生活支援プログラム(ACT)のケースカンファレンス」にも参加し、実際にACTが関わっている利用者の例を取り上げ、ストレングスモデルに基づくアセスメント、プラン作りや利用者とのかかわりについて、ワークショップ参加者とともに検討した。

5. 研究者ミーティング 国立精神・神経センター精神保健研究所 社会復帰相談部(8月24日)

アメリカにおける精神病院脱施設化の中から、ラップ教授らによって生み出されたストレングスモデルに基づくケアマネジメントは、アメリカ各地で注目され取り入れられている。包括型地域生活支援プログラム(ACT)にもその理念が取り入れられて、成果を納めている。このモデルが日本の脱施設化、地域移行のためのプログラムにどの程度有効であるか、その技術移転の可能性を、我々の研究プロジェクトを紹介しながら、ラップ教授からのご指導・コンサルテーションを受け、意見交換を行い深めていった。ストレングスモデルに基づくケアマネジメントのフィデリティ尺度についても触れ、カンザス州での取り組みに関して情報提供をいただき、我々の今後の取り組みについて整理するよい機会となった。

6. 特定非営利活動法人地域精神保健福祉機構・コンボ 訪問(8月24日)

千葉県市川市を拠点として活動している、特定非営利活動法人地域精神保健福祉機構・コンボにおいて情報交換を行った。当事者主体やリカバリーなどの理念の重要性についても議論した。

7. ACT-J 事例検討(8月24日)

千葉県市川市にある、NPO法人リカバリーサポートセンターACTIPSが運営する、訪問 看護ステーションACT-Jを訪問し、ACT-Jチームが関わっている利用者についてケース カンファレンスを行った。ストレングスモデルの考え方に基づき、ロールプレイ等を通して、訪問時の利用者との関わりのあり方等について検討した。また、訪問の目的を明確化することが大切であることや、利用者が目標を設定することが難しい場合のアプローチについてのアイデアも共有した。

III まとめ~成果の活用

今回、チャールズ・ラップ教授には、10日間という限られた日程の中ではあったが精力的に日本の精神保健福祉関係者、そして私たちの研究チーム、研究関連施設の関係者との意見交換の場にご参加頂き、さまざまな貴重なアドバイスとコンサルテーションを得た。私たちの研究チームのみならず、日本の精神保健福祉関係者が、精神保健福祉サービスを「当事者中心」に変革し、リカバリー理念に基づく効果的な支援方法・実践プログラムを、実践の積み重ねと関係者間の対話の中で、より良い効果的なものに築き上げていく方向性と具体的な指針を得ることができたと考えている。特に、8月21日22日に開催された リカバリー全国フォーラム2009では、1,000人近い精神保健福祉専門職、当事者、家族が集い、ラップ教授の講演などから大きな影響を受け、この全国フォーラムを今後毎年開催することを申し合わせることができた。

なお、ラップ教授には今後も継続的に日本の精神保健福祉サービスを、当事者中心で、リカバリー理念に基づく効果的なものになるように、継続的にご支援頂くご了解を頂いた。

最後に、本事業を実施するにあたり、チャールズ・ラップ教授の招へいを実現して頂いた財団法人日本障害者リハビリテーション協会に心より感謝申し上げます。

(報告書共同執筆:久永文恵・NPO法人地域精神保健福祉機構研究員、大島巌・日本社会事業大学教授)