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平成22年度厚生労働科学研究費補助金
障害者対策総合研究(身体・知的等障害分野)成果発表会報告書

【シンポジウム第1部】

堀口●続きまして各シンポジウムのシンポジストの先生にご登壇をいただきます。

まず初めに、高梨さんにお話をいただきます。高梨さんは大学卒業とともに福祉の道に進まれまして視覚障害者、知的障害者をはじめとした様々な施設で施設長を務めてこられました。千葉県条例につきましては、条例を制定する過程では、障害者差別をなくすための研究会の副座長として、また、条例の成立後は県の設置した会議に参画していらっしゃいます。まさに条例の生みの親で育ての親であると言えます。条例を作る過程のことを含めまして高梨さんにお話しいただこうと思います。よろしくお願いします。

高梨●こんにちは。ただいま紹介に預かりました高梨と申します。本日はお忙しいところお集まりいただきましてありがとうございます。これから4人のシンポジストが登場いたします。私は落語で言いますと前座でございまして、後から真打ちが出てまいりますので、私は条例づくりについてアウトラインを簡単にご紹介したいと思います。

お手元に資料を作成させていただきましたので、それを端折りながらお話しさせていただきます。

まず条例を考える前に、なぜ条例が必要なのか。特に障害のある方にとってどうして条例が必要なのかということですが、障害をどう考えたらいいのかというところから触れてみたいと思います。

私は実は高校の頃、障害になったわけですけれども、障害になったら周囲の人たちの見方、対応が変わってまいりました。人間はちっとも変わっていないんですけれども、周囲の人たちの態度が変わってきた。そして大学に行きまして障害児の心理を学ぼうとしましたが、「障害児心理」とは言わなくて「異常児心理」という名前でございます。では私は異常児なのか。

ところで今日いらっしゃっている方々も、皆さん、高齢になって手足が不自由になってくるわけですが、そうしますとみんな異常者になってしまうのかということになってくるわけです。

そんなことから、障害って何だろうというのが私の長い間の懸案でございました。最近思いますのは、現在、平成18年の調査から推定しますと、障害者の数が全国で724万人に達します。人口約18人に1人です。

世の中には男性と女性が必ずいるわけでして、障害も一定割合で必ず生まれます。そう考えますと、障害というのは誰もが持ち得る属性の一つだと考えた方が理解がしやすいということに気づきました。

ただ、属性であるならば、なぜ障害のある方だけが生活がしづらいのかという問題が出てまいります。よくよく考えてみますと、この社会というのは基本的に多数を占める、健康な男性が、自分たちにとってできるだけ住みやすい社会を作ってまいりました。当然そこでは、かつては女性も住みにくかったはずです。今日では、障害のある方だけではなくて少数の人たちが住みにくい。例えば異文化、異言語の中で暮らす外国人も同じ結果になっています。

もし多数を占める方たちが少しでも障害のある方、あるいはそれ以外の少数の人たちの属性を十分配慮して社会を作ってきたならば、決して今のような状況ではなくて、もう少し改善された状況があったんだろうと思います。しかし残念ながらそうではなかった。だとすると、これを何とか改善していくというのが21世紀に生きる私たちに課せられた課題だろうと思います。

障害というのは、いわゆる少数の方たちが持っている属性と多数の人たちが作ってしまった社会環境との間のギャップがいわゆる生活のしづらさになっている。このギャップを改善するというのが今日に生きる私たちの大きな役割ではないかと感じているわけです。

ではこのギャップをなくすためにはどうしたらいいのかと考えますと、二つの側面があるだろうと思っています。

一つは、障害のある方とない方が、ともに互いの立場を理解し歩み寄る努力です。しかし障害のある方にとって望ましくても、障害のない方にとって過重な負担となるとなるようなことについては、努力だけでは達せられません。そこで当然のことながら、これらを是正するための後押しが必要になってまいります。

どんな後押しかと言いますと、障害のある方にとっては、憲法で主体的に社会の中で自らが生きていく、いわゆる人権の尊重ということがうたわれているわけではございますが、障害があるために十分な情報がなかったり、あるいは自らに与えられている権利を行使したくても、なかなか手続や自らの主張ができない、できにくい方がいらっしゃいます。

こういった方たちに対して、いわゆる自らの権利を行使できるように、本人のエンパワーメントを高めることを含めて支援するのが、相談支援活動ということです。これが一つです。

二つ目に、障害のない方たちにとっては、障害のある人たちの思いを理解した上で、これを改善するための目的、手段、あるいは共通のルールというものを明らかにしていく必要がある。そうしたことをまとめて実効力のあるものにしていくためには、やはり現在国において検討が進められていますが、国連の障害者権利条約に基づく国内法の整備、それから地域における身近なところでの人々の理解を深めるための条例。これらが三位一体的になって初めて機能していくんだろうと考えております。

では千葉県ではどうしてこういう条例を作ることになったかでございますが、実は、2004年に千葉県は第三次障害者計画、及びそれに基づく「障害者の地域生活づくり宣言」を制定しております。

実は2001年に国際連合が我が国に対して障害者差別禁止法の制定を勧告しているわけですが、国では具体的な動きがございませんでした。そうした中で、千葉県では「誰もが、ありのままに、その人らしく暮らす」というのを、これからの地域づくりの基本理念、スローガンに置いております。誰もがありのままに生活するためには、障害を隠すということではなくて、自らの障害をありのままに社会の中で明らかにし、生活していくことができなければ、その人らしい生活の実現は難しいだろうと思います。そこで国に障害者差別禁止法の制定を働きかけるとともに、千葉県独自の条例を作ろうということになりました。

2004年9月、障害のある方の問題を考える場合に、最も悲しい思いをしながら生活しておられる障害者自身の生活の問題から研究を始めるという考え方で、800余に上る事例を集めました。と同時に、2005年1月に差別の解消に向けて具体的な検討をするための、29人の障害者差別をなくすための研究会の委員を募集しました。公募で集まったわけですが、当然のことながら様々な方々がお集まりになりました。佐藤先生のように学者もおられましたし、学校関係の方や主婦・企業にお勤めの方もおられました。もちろん障害のある方もいらっしゃいました。まさに県内の県民の縮図が集まったと言ってもいいかと思います。ただ、県民の縮図とは若干違うとしたら、無関心な人はいなかったということです。ただ、賛成の方ばかりではなく、反対の方ももちろんいるという状況でした。

この中で、みんなで一つひとつ差別に当たると思われる事例について、本当に差別なのか、あるいは偏見や思い過ごしなのかということを調査を始めました。その結果わかってきたことは、多くの事例は障害を知らないということから起こっている問題だということでした。

一例を挙げますと、聴覚に障害のある方がスイミングスクールに入会を申し出たところ、もしプールの中で気絶した場合に、話が通じないので危険だから困るということで断られた。聴覚に障害のある方にとってみますと、これは障害を理由とした差別に当たるということで憤慨されるわけですが、本当にそうだろうかということです。

私は福祉系の大学等で非常勤講師をさせていただいていますので、学生に、もし皆さんがプールの監視員だったときにそういう方がいたとしたらどう思うかと聞いてみますと、「先生、悪いけどやっぱり心配だよ」と言いました。恐らく一般の方にとっては当然の考え方だろうと思います。ただよく考えてみますと、気絶していたら耳が聞こえようが聞こえまいが話はできないんです。ましてプールの中に沈んでいる方に「もしもしどうしました?」と声をかける暇なんかございません。まずプールに飛び込んですくい上げて人工呼吸をして、息を吹き返したときに初めて言葉が通じるかどうかが問題になりますけれども、少なくとも人命救助の段階ではそれはあまり問題にならない。聴覚障害に対する先入観だろうと思います。

また、知的障害のお子さんを養育しているお母さんに向かって近所の方が、「お母さん、ずいぶん明るいですね」とおっしゃった。言われた方のお母さんは、「障害児が家にいると暗くしてなくちゃいけないの」と思った。まさにお互いの思いがうまく通じていないということになります。

こうしたことから私たちは、障害のある方たちの思いを知って、これらの人たちにどう接したらいいのかということについての共通のルールを作る必要があるということに思いが至ってきたわけです。

ここにも書いておりますが、基本的な考え方としまして、障害のある方たちに対してどのようにしたらいいのかということに対する共通のルールを作るということ。それから遠い将来になるかもしれませんけれども、障害のある人もない人も当たり前にいるという県民文化を育てていくこと。そしてあらゆる地域社会の中での差別の問題を考える出発点にしようということで、この条例を作ることに至ったわけです。

ただ、簡単な問題ではございませんで、12月に一応研究会としては案ができたわけですが、翌年の2005年、2月の県議会に上程しましたところ、検討が不十分ということではねのけられました。

労働会、市長村長会、教育委員会と様々な方々からヒアリングをしたりタウンミーティングを繰り返す中で、6月の議会に再度提案したわけですが、千葉県はご存じのとおり当時の堂本知事は少数与党でございましたので、こういう条例が施行されると経済活動の足かせになったりしないだろうかということ、あるいは教育の問題では、インクルーシブ教育という形になってしまいますと、現在の体制の中ではなかなか対応し切れないという問題もございまして、いったん取り下げ要求が出ました。

知事から研究会の委員が、急遽集められまして、どうしようかという対応の相談がございました。多くの委員の中から、「どんなに譲歩しても灯だけは消さないで」という強い訴えがございまして、知事が改めて9月の県議会で再検討し、10月に成立したということです。

条例の中身につきましてはそこに書いてございますので、後でお読みいただきたいと思いますが、その条例ができて3年あまりになり、どういう状況になっているのかということにつきまして、お手元に資料の1~4を入れさせていただいています。

資料1を見ていただきますと、大体毎年、二百数十件の相談が上がっています。事務局は千葉県障害福祉課に置かれていまして、県内16圏域に広域専門指導員が配置されています。また六百数十名の地域相談員が知事から委嘱を受けて相談活動に携わっていますが、事務局に集まっている相談というのは大体毎年、二百数十件ということでございます。一番多いのは福祉サービスに関する相談です。資料には「その他」が多くなっていますが、これは精神に障害のある方から、条例に関わるということではなくて生活面での相談、問い合わせがあったということでございます。

それから障害の種別で言いますと、当初は身体障害の方からの相談が非常に多かったんですが、最近では精神障害の方たちの相談が増えてきています。

これらの相談につきましてどのくらい終結しているのかと言いますと、およそ八十数パーセントが終結しています。その終結に至るまでの活動ということでは、年間4,000回あまりの活動がなされている状況です。

ただ、終結した中で、注視しなければいけない問題としては、資料3になるかと思いますが、対応状況、その中で、相談者や関係機関等の情報の聴取を行ったが、ケースの性格上、状況聴取にとどめたものというのが全体の3分の1弱ございます。これは何かと言いますと、結局、県からの働きかけを望まないということで、相談者が事情を聞いていただいただけでよかったというもの。あるいは、相談に傾聴することだけで本人が満足したというもの。あるいは障害者自立支援法など国の制度などに関わるもので、条例としては対応が難しい問題がございました。

特に県からの働きかけを望まないというケースが非常に多い。53件ということで、約4分の1近くあるわけです。これは例えば雇用関係ですとか教育の問題になりますと、自分がそういう相談をしたことが知れてしまうと、逆の差別が起きやしないかということで、本人が躊躇されている。これを見てもまだ障害のある方が一般社会で生活していく上では、かなり遠慮しつつ、自らの主義主張ができない状況があるということを理解しなければならないと感じております。

あと、何が積み残されているか。

ここにございますように、条例というのは国の法律の範囲内ということになっています。ですから国の法律にないことは決めかねまして、例えば障害の表記の問題ですとか、あるいはインクルーシブ教育をどう考えるのか。今、特別支援教育がなされていますので、国の考え方を超えることはできないという問題などが残っています。

結びのところに書かせていただきましたけれども、千葉県の条例というのは、障害のある方の日常生活の思いから出発していますので、どうしても生活面に関わることが中心になっています。実際に障害のある方が基本的な人権が尊重され、障害のない方と対等に社会の中で自らの権利を行使するということになりますと、例えば行政サービスの問題ですとか、あるいは司法の問題ですとか、まだまだ取り組まなければならない課題というのはたくさんございます。こうしたものは障害者権利条約の批准に向けた国内法の整備が待たれる状況だと思います。

国内法が整備されたら、障害者の問題についての県条例は必要ないのかという声が時々聞かれますが、私は決してそうではないと思います。

というのは、資料4のところに「推進会議」の課題が載せてございます。実は差別や人権の問題というのは、単に力だけでは解決できません。人々の意識を根本的に変えていくという努力が必要になってまいります。この3年間の相談活動の中で、1件1件の個別事案の解決では収まらないものが、推進会議の課題として13項目挙げてございます。

これらについて現在、推進会議において議論して少しずつ成果が見えてきているところでございます。

自書できない視覚障害に対する金融機関の窓口における対応や車椅子用駐車場に一般の人が車を止めてしまうこと等、人々の理解に根ざした問題の解決は、条例でなければできないことです。今日のテーマにもございます、地域の中でどのようにして障害のある人たちを支えていくのかという、いわば地域の福祉力を高め・ネットワークするということがまさに条例の目指すところでもあります。ありがとうございました。

堀口●どうもありがとうございました。続きまして佐藤さんにご登壇いただきます。佐藤彰一さんは、高梨さんとともに千葉県条例の制定に先立ち、障害者差別をなくすための研究会の副座長として議論をまとめてこられました。大学の先生として、また、弁護士としてのご多忙な毎日を送られるだけでなく、障害ある人の地域生活を支えるNPO法人を立ち上げられ、まさに実践家でもあります。本日は法律家としてのお話だけでなくNPOのお話もいただけることとなっております。

佐藤●ご紹介いただきました佐藤でございます。高梨さんが、これまでお聞きの通り、かなり具体的にまとめて下さって、私の言いたいことを先にほとんど言ってしまったようですが。

千葉県条例というものの中身につきましては、今日、お手元の資料の通りでありまして、私が今日お話しするのは、条例の考え方というか、その骨子を、考え方というものがどういう意向になっているのか、それから今日のテーマである障害のある人もない人も共に暮らしやすい地域社会づくりにつなげていくにはどうするかについてお話していこうと思っております。

で、千葉県条例ですね、今日、資料に入っていますパンフレットの方では3つの仕組みをまとめていますが、私のまとめではこのように4つぐらい挙げています。一つは差別とは何かを列挙したということと、やっぱり列挙ですね。それから、社会の構造、仕組みそれ自体を変えていく取組みの創設ということと。ある意味、本人たちがそれを解決していくという図式の中で、で、やっぱり、障害のある方を支援する取り組みをしている人たちをもっともっと応援する仕組みを創設しようという、それぐらいの特徴のある条例になっている。で、こういうものを、大きくまとめるとあるわけです。

これまで障害のある方と障害のない方というのは、言ってみれば対立図式で語られるということが多かったと思うんですね。この条例ではですね、障害のある人と障害のない人という、そういう、言葉で、こう並べるだけで対立させているわけではなく、こういう並べて対立させるような考え方ではなくて、障害のある人も障害のない人も、やっぱり一人一人の人間であると、共に社会に生きていく人間である、そういう考え方で、対立から協力へとパラダイムの転換をしたというふうに、認識をしておりまして、新たな認識にした図式と言えるわけです。

したがって、研究会の中でも、議論の中で、当初、障害のある方が、障害者差別というものをなくしていこうということで、公表を、と言っていたわけです。公表なしでは障害のない人の議論のためにならないのではないかと。しかし、勧告・公表とあるけれど、公表はしないということになった。僕自身は、忸怩たるものが当時あったのですけれども、差別をなくすことには意味があったんだと思っています。対立から協力への転換ということです。

で、さらに、なぜ、不利益な取り扱いとか言うのかといいますと、社会的に不利な立場に置かれているということであり、その解消のために必要な配慮として差別の定義に合理的な配慮の欠如も入れるというような仕組みになっています。

で、今、「対立から協力へ」とパラダイムを転換したという話をいたしましたけど、それは決して障害のある人と障害のない人が対立しないということを言っているんじゃない、対立はするんだろう、としている。対立はするんだけれども、その対立が現にあるものを皆で乗り越えていく、議論していく、そこで対立していくということをやめようという考え方なんです。

対立はどうして生じてしまうかというと、みんな違うわけですから、やっぱり同じところもあれば違うところもあるわけですから。同じところを強調することだけではなく違うところも強調しよう、そういう認知フレームをもっているわけです。ある意味、人間ですから、若干そういうことを理解しようとするわけです。障害のある人も障害のない人もそういう認知フレームをもっている。

これは、研究会で条例をつくる過程の中で、議論の中で、条例制定の中でいろいろ話しまして、やはり障害のない方の意見も聞こうということになった。そういう方々が来て下さって、障害のある方々についてどう考えているかと話をしたわけです。

障害のある方と障害のない方、障害のない方の中でも障害のある人に対する関心がある方がいるけれど、そういう方ばっかりではなくて、「こういう条例を作るのはけしからん、反対運動を立ち上げよう」と、こういうふうに大声で反対するような人も勿論いる。実はそういう反対側の方っていうのは、条例の内容も見ていて障害のある人に関心のある方なんですね、そういう意味では。こういう方々がいる。そういう方々の中にも、しかし、反対される人の中にも、関心のある人がいる。障害のある方について関心のない人という風に言いますが、関心のない人にも反対する人がいる。で、一方、障害のある方も少し反対されたんですね。関心のある人の中で反対する人と賛成する人というふうに分かれるんですね、障害のある方の中でも対立が起きてくる。障害のある方の中にも障害のない人にはあまり関心がないよという人がいる。関心がある人と、関心がない人、言うならば無関心な人とが対立している。障害のない方に、関心がある人と関心がない人の対立があると同時に、関心のある人の中で条例に対する考え方の対立、ということが起きてくる。あるいは障害のある方でも実は交互に関心のある方と関心のない人がいる。無関心な人を含めて、対立はしますよ、ということです。ということである。

例えば、私の具体的な例で言いますと、聴覚障害のある人の集会の経験。周りが皆さん聴覚障害者であると。みんな手話で会話をする。で、手話通訳というのは、私は聴覚障害がある方のためのサービスだと、こういう風に残念ながら思っていたんですね。聴覚障害のある方々の集会に参加して、いろいろなお話を聞かせていただいたけれども、私一人が手話ができない。手話会議をしても私には全く話がわからない。そういうことで、私は、手話通訳の方のありがたさというものを実感した。あるいは、手話通訳の人は、私の通訳でもあるということを実感した。これはやっぱり、聴覚障害のある方の課題だけではなくて、情報保障の課題である。そういうことで聴覚障害の方を認識したということがある。障害のある方の人数が、人間100人いたとして、50数人とか、そういう統計もありますが、これは、私は、障害がある側の人間として、障害のある人のことをわかっていると思っていたのですが、しかし実は聴覚障害のある方の置かれている状況というものを十分理解していなかったということになるわけです。

で、私なりに、知的障害の立場として話しますと、知的障害の自己決定を難しくしている原因は、本人が十分に話をできないことがよくあるということです。知的障害の場合は、本人の決定を、親が本人に代って行うことがある。知的障害の自己決定について、身体の方は自己決定とよく言うんですけれども、それは自己決定じゃないんだというんですね。それはおっしゃる通りなんです。しかし、心のない、重度の知的障害者の人たちへの批判ということになったらどうなのかと、常に考えております。この辺りは、身体障害のある方々その他について、なかなかご理解いただけていない、今でも。そういう状況にあるんだということを、少し、私の経験の中で認識してまいりました。

なので、障害のある方と障害のない方という対立ではなくて、障害のある人たちの中でも、これはむしろ違っているんだということも重要なことである。こういうふうにいろんなところに違う人がいていろんなところで思いが違っていて当たり前なので、対立はどうしても障害を持つ人の中でもあるんでしょうけれども、対立だけにとらわれない。こういうことを前提にしている。

そういうことを前提にして、そういう差別とかあるいは自己決定ということはどうかということを考えていくことが、この条例にあるというふうに私は理解している。

この図式、ちょっと見にくいので恐縮なんですけど、下のこういう矢印、上の方は双方向の矢印。きれいに描かれています。縦軸は、ですね、相手、自分以外の人の利害関心。言ってみれば自分の利益意識。

自分の利害と相手の利害について、あまりむやみに手を出さない。相手に対しての考え方、自分だけの考え方、という具合で、問題に対する対立状況を回避して対応するというような人たちがいる。問題に対する回避をしていくというように対応をする人たちがいる。相手の方の利害を強調して自分に利害のあることを強調しないのが左の上、「服従」ということになる。で、相手側の利害はみんな無視してどうでもいいよと自分のことだけを強調するのが右下の四角、「対決」ということになる。相手をやっつけると。「対決」とかあるいは「服従」というのはちょっといくらなんでもあれなので、お互い妥協しましょうよという考え方が出てくる。これはまぁ「協働」というものです。

で、一番、あの、自分の利害もそれから相手の側の利害も共に対立をしながら、相手の利害も自分の利害も強調しようというのが、まさにこの社会作りに必要なことであり、障害者差別の問題があるときにトラブルの解決の方法として一番いい方法だと思うんですね。これが一番うまいやり方であるというふうに、私は思うんです。

どの対応の仕方をしたとしても、それなりに解決の仕方にはなるんですが、やはり人間ですので、どうしても、左の利益を優遇したとかだれそれを尊重したとかいうことになる。できれば真ん中の「妥協」、あるいはできない人は左の「順応」で協力をして、地域づくりをしていこうと、こういう形でやっていこうと。こういうふうに実質的に表すことができる。

ところが、協働しようといってもお互い共通の認知フレームがないと何も協力できない。紛争というのはそれぞれの認知フレームが違っていて起きていることでありまして、極めて不安定な状態という。右側の図を見ていただきますと、Naming、Blaming、Claimingと、こういうふうに書いてある。これは、何か問題が生じたとき、「私は差別されている」というふうに意識して初めて問題意識をもつ、これがNamingである。差別されるということで差別について慎重になりまして、何か訴え出るなどして対応しようと意識する。こういうわけでBlamingということになるんですね。で、障害者差別撤廃法とか差別禁止法を訴えるとか、そういうことなどでClaimingしていく。で、Naming、Blaming、Claimingというステップを踏まないと、問題が問題としてきちんと成熟してこない。ネーミングをする前提に、「差別がある」という認識がないとなかなかそういうことにならない。この、「差別にならない」というようなそれぞれの認知フレーム、それが社会がどう見ているかというところに問題があるんですね。

障害者権利条約といわれましたが、障害者権利条約の認知的フレームについてみると、「差別がある」というところのフレームが違っていることから、「差別がある」という認識が恐らく違っているところから、「差別がある」という認識を共有しようということへ話をもっていかなければならない。なかなかこれは難しいことだと思うんです。

これは、自分が何しゃべっているのかといいますと、ここで言われているのが人間のフィーリングに起こりやすいトラップです。これは、ハーバード大学のMnookinという人が「悪魔との交渉」という本に書いたものをまとめたものです。上は仲間意識と、それから、共通意識ですね。つまり、みんな一緒と考えるのが共通意識。ここで、障害者っていうくくりでくくって、障害のある人とない人というふうに分けるのは同族主義。それから、自分の目の前の人が差別している人悪い人なんだ、言っちゃった人が悪いというのは仕方がないんだと考える。差別を意識的にしているのだと考える。そうではなくて、たまたまその人がそういうポジションにあって、ポジション上そういうことになったのであってその人がその人自身の問題ではない、その人が、知的障害であるとか違う落ち度があって差別したわけではないかもしれないよ、みたいなことを言うのが状況のrationalizationという。それから、差別した、差別だと耳に入る、あるいは差別するっていう自体に、反省の機会を与えよう、こういうふうに考える。それがredemption。それから、自分の方が正義に立って、相手が「自分はダメだ」と、こういうふうに委縮してしまう。そうではなくて、差別についても、やっぱりお互い様みたいなところがあるというふうに考える。あるいは、相手もまた、お互いには話せばわかるというふうな、そういうふうな考え方もある。あるいは、相手を負かすか、お互いの利益をとるか。あるいは戦うか逃げるか。あるいは、妥協する。あるいは、戦うということが好きだという人もいるでしょうし。結局まぁ、全部、対立。単にどちらかのタイプでもってものを見るんですけれども、どちらかのタイプでものを見るっていうのは、直感でどうしようかとしているということになるわけです。しかしなかなか意識しているにしても、どちらかのタイプで常に私たちはこうして物を見ている。こういうふうに思われるんです。

で、そういう例を、福祉の分野で虐待調査の結果から見てみます。あの、差別の調査というのは実施されていないんですが虐待の調査は資料がありますので。虐待の担当者が対象で、どれぐらい虐待をみているのかを見ている調査です。社会福祉士会の2009年の調査、これはアンケート調査ですが、相談支援事業所、就労・生活支援センターの支援者、事業者のアンケートをやると、虐待する人は家族だというんですね。そういう回答が出てくるんですね。

これは同じような調査をですね、育成会、ここもアンケート調査をやりましたんですね。虐待をしている人は圧倒的に学校である。あるいは就労センターである。こういう状態があるという形である。

さらにもう一つ、これは埼玉大学の宗澤さんという人の調査ですけれども、支援事業者と行政レベルのアンケート調査ですね。事業者は家族が虐待をしていると。支援課側は家族と事業者が虐待をしていると言っている。どうも事業者もそう言っているし、行政も、虐待をしているのは家族である。自分では虐待はやっていないという。

こういうほぼ同じ時期にアンケート調査をしているんですが、虐待の現場は、そんなに激しく認知のフレームが違うわけないんで、アンケートという形でちょっとどれくらい違っているのかを見ることができるんですね。

で、だから、結局のところ、行政から見たらこうだ、事業者から見たらこうだ、家族から見ればこうだという形で、それぞれの立場でもって物事を見ていて、そのそれぞれの立場から虐待のことを言っている。アンケート調査の研究数としてはまた少ないのでしょうけれども、まだあるのでしょうけれども、それを並べてみると、それぞれの立場でものごとを見ているということがわかるんですね。

そうすると、私たちが対立やもめ事から逃れることはできませんし、それがそれぞれの認知フレームに関わってくることになるんですが、そこから逃げないで、むしろ、対立が出てくるというのはむしろ同じ社会に生きているということの証であります。社会がむしろ発達するということと思いきって、それをむしろ逆手にとって、トラブルがあったことをきっかけにして社会を変えていくということが必要なんだろうと。

で、しかし、やはり、トラブルが深刻な事態にならないようにお互いに話し合ってよりよい社会を作るような話し合いの場ですね、そういうものを形成することが重要でありますし、行政の中で重要なシステムだとしっかり言えるような話の場を作る、そういうことが重要なんですね。

ですから調整できる人、代弁できる人、そういう人たちの実践が必要となるというふうに思っている次第です。そうすると、そういう場所が必要である。条例というのはそういう場所づくりのための大事な方法、あるいはきっかけと認識をしております。先ほど、千葉県条例ができる前と後とで相談が全然増えていないんだと、こういうふうに言われていましたが、それはそうでもないんですけども、条例ができて相談がなされていないというわけではないんですけれど。そういう、差別事例側からみて、差別する側とされた側とが条例で用意された場で話し合うことによって、お互いの主張でダブったことを受け止めて社会をよくしていこう、ということをやろうと。まちづくりとして生かしていこう。それから大規模なセンターのようなものを考えるのではなく身近なネゴシエーターをつくる。これまでにも事例の積み重ねという生きた資料があることから見えてくるものがある、というふうに思っています。

そういう作業の一つとして、私どもが地元でやっております、障害者の地域支援のPACガーディアンズを紹介します。単純に言いますと要するに障害がある人とない人と触れましょうよということだけなんです。障害のある人を一人にしない。高齢の人でも、高齢の方を一人にしないというふうにいわれています。見る、様子を聞く、友達になっていきましょう、ということですね。

で、まぁ、こういう高次元での支援の活動は、障害がある人もない人も非常に大事だということでやりましょうということで、お金の操作は関わりませんよと。それから何かトラブったときの解決はしませんよと。出るところへは出ない。難しいことは私ども法人に任せていただいて関わらない。

何が言いたいかというと、障害のある人というのは、割と地域参加、社会参加ということが少ない。で、義務と責任がある人が周りにいて、管理的でない人間を作るということが社会参加として重要ではないかと、こういうことを思っていて、そんなことが、実に障害のある人にとっても、あるいは障害のない人にとっても、共に暮らしやすい地域社会になる、というふうに考えています。

今ここに出しましたね。車に乗って楽しんだり、カラオケに行ってみたりといろいろあるんですけれども、これは・・・柴又ですか、へ行ったり。

これは、障害のある人のリハビリテーションということではないですね。そばにいて一緒にいる、相手になるわけです。存在として相手を組み立てるということでこういうことをやっているわけです。

これは誰でもできるということでいいんですけれども、まぁ何かこう後押しをしないと、きちんとしたことをやらないとなかなかできないなと、私どもは考えているところです。

で、こういう活動を通じて、これはいろいろ行政とリンクした形でやっているわけではございませんけれども、障害を持っている、障害を持った方と、障害がない方が共に生きるまちづくりということの中の一環に、取り込んでいく。こういうことをやっていく中で、どうも、いくらか何かトラブルがあったときに、そういうときにお互いが助け合うというふうに思っているところです。

ということで、時間的にはちょっとオーバーしましたか?ということで高梨さんの講演の後に少し、こういうことをお伝えいたしました。

堀口●どうもありがとうございました。それでは続きまして小川さんにお願いします。

小川さんのご紹介をいたします。小川誓順さんは町田市の精神科病院に勤められまして、現在、社会福祉法人コメットの常務理事です。私、堀口がまだ若い頃、東京都立川の保健所デイケアで仕事をしていたことがありまして、その当時、先輩のグループワーカーとして大変丁寧なご指導をちょうだいしてまいりました。今回、シンポジウムの開催に際しましてご多忙のところを無理にお願いしました。それではよろしくお願いいたします。

小川●こんにちは。ただいまご紹介に預かりました小川と申します。私は学術的な報告は一切ありません。私の自慢話をするだけです。時間も迫っていますので簡単にやりたいと思います。レジメ程度のことしか資料に書いてないんですが、まさにレジメを読んでいただくのではわからないので、そこら辺を補足しながら。結論は簡単なんです。これから地域で共生社会を作っていくという実践は、どんなところを手がけていけばいいのかということを問題提起としてさせていただきたいと思っています。

私は今紹介がありましたように、今から概ね34年前になりますけれども、町田にある精神科の病院に、正直言うと挫折をして、30歳のときにいわば入院同然のように、友だちに誘われて、精神病院に仕事があるから、お前のポリシーを生かしたらどうかとありがたいお誘いをいただきまして、精神科の病院に初めて。精神障害者に関心があるとかそういうことじゃなくて、全く自分自身の挫折の中で出会った仕事場として、精神科の病院に勤めることになりました。

そこで見たものは、ひどかったですね。とにかく鉄格子をガチャン。そして入院者の方が10畳の畳の部屋に10人が寝起きさせられている。何と言ったって、院長が偉い。私はずぶの素人なんだから3ヶ月間、とにかく病棟の中に入って患者さんと触れ合いなさい、それがまず最初の仕事だと。要するにソーシャルワーカーとして入っても相談にのるとか入院の手続をするとか、そういうことは全くさせていただけなくて、ありがたいことに、毎日研修だといって病院に行くと、患者さんの世話をしている看護師、あるいは看護助手とミーティングは朝するんですけれども、その後は自由に患者さんの中に入りながら生活をしていました。

一番驚いたのは朝です。朝6時に起床しますと、寝かせられている布団をまずたたまされる。たたんでどうするかというと、布団庫というところに入れられる。その布団庫には鍵がかかっている。僕は病院というのは寝ているところだと思っていた。そうじゃない。朝6時にたたき起こされて、しかも布団は布団庫にしまわされて今度は1列に並んで、口を開けて薬を放り込まれて水を飲まされて、それで一人ひとりが次にコールで朝食が来るのを待つというような状況だったんです。

私がそこで感じたのは、自分の私的な挫折に浸っている場合じゃないと。現実にこんな人たちがいて、そこで僕は飯を食わせてらもらい、仕事として給料をもらっていいのかなという思いになったんです。けど実は働いている人自身が強力な差別意識を持たされているという感じがあって、それは何かと言うと、精神病院に勤めている人たちの労働条件の低さとか、そういう問題もありましたので、まずは職員のベースアップに取り組む組合長として、3ヶ月後には仕事をするのじゃなくて、組合の仕事をやることになりました。

そんなことでベースアップをさせていただいた上で、次に、経営者に向かってよりまず労働者に向かって、自分たちがこれだけの給料をもらうことは、それをどうしたら患者さんに還元できるのかということを考えてほしいということを訴えます。そこで組合として3年間のベースアップを凍結すると。経営者に借金してでも病棟を改築して冷暖房のきれいな病棟にして、せめて居心地のいい状態にしてほしいということをやって。病院の改築が終わったら、今度はこの患者さんたちが地域に出ていって、その受け皿を作ることが僕らの仕事じゃないかということを言い続けたら、組合をおろされまして。組合の執行委員長としての権利はなくなっちゃいましたけど、そこで培った仲間づくりを通して、受け皿を作る準備が始められたと思います。

町田の中で勉強会を開催していましたので、その中で保健婦さん、病院のワーカー、他の病院の看護師さん、福祉職の方たちと、とにかく町の真ん中に自分たちの集える場所、それから患者さんたちが退院してからも安心して来れる場所。それから通院するときにいつでも寄れるような場の創設を呼びかけをしまして、私が今働いている、出発点となりましたオープンスペース、トマトハウス作ることになりました。これは本当にボランタリーな人たちだけで会費をとってやっていたんですけれども、町田の駅に近いところに作るということで、家賃が高いんです。月々20万円の家賃を払う。最低でもそのくらいのことをしていかなきゃいけない。たちまち借金だらけになりましたので、見かねた保健所の保健婦さんとか福祉事務所の職員が、だったら作業所としてやったらどうかということで助言をいただいて。オープンスペースなんだからスナック喫茶のような、いつでもお茶が飲めて物がたべられる、そういう場所を作ろうということで、喫茶店を始めました。

喫茶店を始めて実績を作る中で、東京都の保健所を通して営業許可ももらったし、補助金を福祉事務所からお願いしたところ、東京都の係官が言ったことは、当時、まだ25~26年前ですから、作業所はたくさん出始めていたけれど、精神の障害者がそういう食事を提供するような作業所としては、多分全国的にも初めてのようなケースだったんです。そこで言われたことが、刃物を振り回す心配がある。腐ったものが区別ができるのか。それからもう一つは忘れましたが(思い出すと、薬物を混入する心配)、要するに、そういう危険性がないのかということだったんですが、概ね1年ちょっとの間、本当にボランタリーに皆さんが手伝ってくれて実績を作った。それから地域の方たちが始終飲みにきて、そういう実績があったために許可が下りました。

その1年後、近くに空き家が空いて、駅から本当に5分のところのボロ家を借りました。借りられた状況は何だったかと言うと、戦後すぐ道路計画ができたんだけれども、今まだ30年たっても全然一歩も進まない。だから建て替えられない。3階以上のものは建てちゃいけないことになっていて、建てたとしても何日でも取り壊してもいいという条件がないと建てられないということだったんで、なかなか借り手もいないし貸しても大変だということで借りたんです。そこを改造して喫茶店を移して、それなりの風情のある店になることができました。

その後、町田をご存じのない方に説明しますと、町田が市街地を改造するといって、特に神戸の地震があってから、大きな道路をつくることがやはり絶対必要だということで、モノレールを立川から引き込む路線として駅の近くに幅の広い道路をつくる。そのちょうどど真ん中に私たちがいたもんですから、幸いにしてこういう立派な施設をつくってもらうことができるようになります。

それが私が地域で活動することになったきっかけというか、障害者とともに生活する場所を確保できた経過です。

20年近く地域でやってきて、実際上、見えてきたものがあります。その病院に勤めたときに、長期で入院している人が、こんなところで人権を奪われて生活を奪われて、命までも奪われていく状況に我慢ができなくて、その受け皿を作りたいと思って地域にオアシス的な場所をつくったんですが、実際はなかなか出てこれない。

これは行政というか精神医療の貧しさということだと思うんですけれども。

それから病院の中で地域が見えてこないということになるかと思いますけれども、それも、地域でたまっていた、なかなか表に出てこれない人たちが多くて、今や病院にもかかっていないような人が相談に来て通ってくるというような状況が生まれているというのは、それでいいのかなという感じが、その落差の中で悩んでいるところです。

もう一つ言えることは、私たちが始めた共同作業所という施設がこんな立派な施設になって、町田の一等地に3つの作業所をつくって、移転に伴って移動しましたので、5階建ての立派な鉄筋コンクリートの施設の中に3つの施設が入っていまして、パンを作るところとお弁当を作るところと、陶芸や印刷をするような作業所。さらに、2年前に、通ってこられない人たちにサービスをしないといけないということで、訪問看護ステーションというのを始めたんですけれども、そういう相談窓口も含めると5つぐらいの事業を展開している立派な事業所になってしまいました。敷居が高くなるんじゃないかなとも思うし、私たち自身としても、この立派な施設を運営していくための維持、管理、それから運営の膨大な業務に追われるような形になってしまいました。

その中で私が少し言えるというか、感じている新しい福祉の活動とは何かといったときに、3年か4年くらい前に始めたんですが、私たちが地域の人たちを頼って活動しているのではなくて、私たちも地域に出ていって、そして地域の人たちと交流しながら啓発活動をしたり、自分たちでできることはやっていくということを大切にし始めた。

そんなことで私たちは、町田市と相模原の境に境川があったんです。その境川を1年に一度清掃する活動に参加しました。そしてそこに参加した人たちと一緒になって。掃除をするためにはものすごい事務なんです。まず宣伝をどうするかということとか、川の安全を守るためにはどういうスタッフ態勢を整えるかとか、それから川は長いですから10kmの区間を全部いっぺんに掃除するのではなく、何班に分けてどこを拠点にするか。それから行政からも協力を要請する。それから集まった人たちは、夏の暑いときにやるんで、スポンサーにジュースだとか水だとかを提供してもらうとか。そんな活動がいっぱいある。そんなことに参加することで、私たちに新しい風が入ってきました。それは何かというと、商工会議所の人たちですとか、商店街の人たちとか、JCという青年会議所の人たちとか、それから自治会や学校・大学の人とか。今までただお世話になっていた人たちと、今までは何か一つに取り組む同じ仲間として手をつなぐことができるようになったのかなと思っています。

別の例では、町田で今、昨日か一昨日NHKのニュースにも取り上げられたのですが、プロサッカーチームを作るというのを一生懸命やっています。JFLと言うんですけど、野球でいくと2軍のさらに下の3軍の、欽ちゃんなんかがやっているチーム。それをとにかくプロチームに上げようという運動をやっています。

ある福祉団体は、僕らと同じように参加した方がいいと、そのプロチームに投資したんです。スポンサーとして入った。なぜそれが有効かと言うと、確かにスポンサーとして入るとサッカーに無料で招待されるということもあるんですけど、それだけじゃなくて、サッカーの試合のときにスポンサーとして競技場で物が売れる。競技場だけじゃなくて、外でも売れる。要するに、サッカー場で売れる権利があるのはスポンサー。30万円なら30万円の商品券を出す。そういう事業に参加して、福祉の活動というのではなくて、地域の活動に資本家として参加する。そういう活動を始めています。

千葉県条例の問題でいろいろあるかと思うんですけど、私たちのことはまさにそういう活動を通して、障害ということを売り物にするのではなくて、市民活動の共同の事業者として手を組むことによって、障害が初めて目に見えるものとして見てもらって、そこで「あなたたち何をやってるの?」「へえ」というところでつながっていけるような活動を提案したいというところで、一応終わりです。

最後にちょっと、怒りの到達点ということで。

精神病院に風穴を開けたいということで、私たちのグループで、東京都のグループです。東京都精神医療人権センターとか東京都地域精神医療業務研究会というもので、東京都内の病院の実態調査をしながら、毎年というか、情報を交換してもらいながら、5年に一度くらい病院がどう変わってきたか、私たちが評価して。それは評価といっても客観的に全く数字だけで評価する。それからできれば訪問をしたい。訪問を受け入れてくれた病院には訪問して、質問したこととか突き詰めていく。お手元の資料の中に、これは古くなっちゃったんですけどまた5年後の資料をやっていく。本当は、先日の病院地域精神医学会というのがあって、そこに間に合わせるように新しいのを作ろうとしたんですけど、なかなか時間がとれなくて、少し遅れていますけれど、近いうちに新しい情報を作ったパンフレットを作りますので、ぜひご興味がある方はFAXで質問してください。用紙を入れてありますのでよろしくお願いします。

堀口●ありがとうございました。それではもうひと方、シンポジストにご登壇いただきます。次は秋山さんにお話しいただきます。秋山さんのご紹介をいたします。

秋山千枝子さんは国立精神・神経センター神経研究所、また肢体不自由児施設などを経まして三鷹市で開業されています小児科の先生です。三鷹市教育委員会の委員長を務められています。また地域の子どもたちを見守る活動に加えまして、日本小児科医会においては子どものこころ相談員の研究に当たられるなど、支援者の育成にも力を注がれている先生です。今日は貴重なお話をいただけると思います。

秋山●秋山です。よろしくお願いいたします。

私は今日は子育てというところで、地域相談ネットワークを作ったというところで報告をさせていただくことになると思います。「育てにくさに寄り添う事業」についてお話しさせていただきます。

通常、乳幼児健診は1ヶ月から3ヶ月ごとに行われて、1歳半健診、3歳児健診というように行われています。最近では発達障害児の早期発見を目的とした5歳児健診ということが全国的に広がりつつあります。

この乳幼児研修の後のフォローのやり方というのは、全国的にほぼ同じようなことが行われています。まず乳幼児健診で何か引っかかった子どもたちは、総合保健センターあるいは保健所の子育て相談や発達相談などに結びついていきます。何事もなかった子どもたちは保育園・幼稚園と入っていきます。子育て相談や発達相談で、何か継続して見ていった方がいいというお子さんたちは、1回とか2回行われる遊びのグループで経過を見ていくことになります。ここの中で問題がなくなった子どもたちは通常の保育園・幼稚園に入っていきます。さらに療育が必要と考えられたお子さんに関しては、三鷹市では北野ハピネスセンターという障害児通園施設に紹介されていきます。ここで外来訓練、例えば理学療法、作業療法、言語療法、心理療法などを受けます。また全日保育、あるいは毎日通う通園施設などがあります。ここの子どもたちも保育園の年長に入っていくお子さんもありますし、障害枠のある指定園に入っていく。あるいはハピネスに籍を置きながら交流保育を行う子どもたちもいる。

最近では、通常の保育園・幼稚園に入っていたお子さんたちの中から発達障害が疑われる、あるいは何か気になるお子さんたちは北野ハピネスセンターに相談に来る。こういうお子さんたちが今、増えてきています。

この子どもたちは、乳幼児健診以外に家庭や保育園・幼稚園、学校、塾、あるいは地域のいろいろな機関の中で、この子のここのところが気になる、ここのところは心配がないだろうかという「気づき」を持たせています。

私たちは「気づき」を4つの種類に分けて考えています。

まず家族がお子さんの問題について気づいているか気づいていないか。周囲、これは支援者である私たちも含めてですけれども気づいているか気づいていないか。この4つの気づきによって支援の方法が変わってきます。また、この「気づ」きが一致をしないと支援が始まらないとも考えています。

ではその「気づき」の一致がいつになるかというのをみますと、これは私のクリニックに相談に来たお子さんのカルテから調べたものですけれども、左が保護者、右が関係者。ブルーがお子さんの様子に、何か言葉が遅れているとか落ち着きがないということに気づくということです。赤の区分は、何か障害があるんじゃないかと心配になったという時期。そして黄色い部分は、障害あるいは何か問題があるという診断がついている状況です。

保護者の場合は3歳から小学校低学年までに心配なことに気づいているお子さんがたくさんあります。関係者の場合はほとんど問題意識、あるいは病識を持っています。保護者と関係者が意識づけする時期が小学校の高学年というふうに、非常に時間がかかっていることがわかります。

そこで、気づきと相談の時期を調べたものがあります。ダウン症と精神遅滞のお子さんたちは、乳児期に早期から相談が始まっています。しかし発達障害の一つである広汎性発達障害の子どもたちは、乳児期から気づかれていたとしても、相談が始まるのは1歳半以降。1歳のときには気づいているにもかかわらず相談に達していないケースが非常に多いことがわかりました。

では気づいた人は誰かと言いますと、ダウン症や精神遅滞の子どもたちは、医師が乳幼児のときに気づいています。これ以外はほとんどは母親が気づいています。

母親たち、保護者が何を気づいていたかと言いますと、乳児期の育てにくさということなんです。1ヶ月のときから抱きづらいとか、泣き止まない、寝ない、夜泣きをする。要するに一般に子育ての中で起こり得ることを非常に育てにくさとして感じているということがわかりました。

そこで、育てにくさということをまとめて冊子にしたものを、「健診をすませたお子さんをもつ保護者の方へ」ということでまとめました。この冊子の目的は、「日頃の子育ての中で保護者が感じる育てにくさ、不安や心配ごとを、保護者が一人で抱え込むのではなく、冊子を通じて相談という形で保護者とともに考える機会を設けることで、地域社会で子育てをする環境を作っていくこと」を目的としました。

つまりこの冊子にあることは相談していいんだということを、保護者が自主的に相談に来ていただくように伝えるような冊子を目的にしています。

その背景というか、目的は、育てにくさを気軽に相談できる窓口があれば、親子関係の樹立、愛着関係の形成に役立つのではないかということ。それから育てにくいお子さんたちの中に発達障害のお子さんがいることから、早期発見につなげられるのではないかということ。また、育てにくいということから虐待につながる可能性があることから、虐待の防止になるのではないかということを目的にしています。

この事業の流れですけれども、まず現在、茨城県立看護大学の田村先生が、その他の現象から育てにくいという項目を抽出して冊子にしてくれました。それを三鷹市の小児科の有志で、各診療所で配布を開始しました。それが三鷹市の医師会の事業となり、医師会の中でさらにこれを推進しようということで、乳幼児健診推進委員会が発足しました。

次の年の7月に小児科の診療所だけで配布していた冊子を保健センターでも共同で配布を開始してくれました。それから20年4月に三鷹市と医師会の協働事業となって、地域関係機関に事業周知のための勉強会を開催するようになりました。20年9月に3・4ヶ月健診で健診の全員に冊子が配布されるようになりました。99%の子どもたちが冊子を手にすることになります。そしてこの冊子を、相談を受けた機関が同じような支援ができるようにと、相談マニュアルを刊行しました。

この流れをもう一度説明しますと、3・4ヶ月健診でこの冊子を配布する。子育て支援型として、小児科、保健センター、保育所、幼稚園、子育て広場、教育委員会、様々なところに相談に行くことができます。各機関は「育てにくさに寄り添う支援マニュアル」をもとに相談を受けていきます。

この子育て支援型の中で対応が難しいケースに関しては、医療型施設という療育型機関や専門病院に紹介されることになります。

現在、発達障害の子どもたちが増加しているということで、療育機関や専門機関に来る子どもたちが大変多くて、申し込んでも受診が半年先、1年先という、適時に相談が受けられない状況がある。やはり子育て支援型が力をつけて対応していくことが、これからの大切なことだと思っています。

これが「育てにくさに寄り添う支援マニュアル」。そして学校に就学した後に役に立つように「スクールカウンセリングマニュアル」というのも作成しました。関係機関だけではなくて、やはり保護者もやはり変わっていってもらわなくちゃいけないと考えています。例えば親であると周囲の人たちの考え方。親である自分も心配しない、周りの人も心配していなければ大丈夫。親である自分が心配していて周りも心配しているのであれば、それは心配がなくなるまで相談を続けてもらいたいということ。それから、親である自分は心配している、周りは心配していない。例えば、うちの子どもは言葉が遅いのかしら。そしたら周りのお友達は「男の子だから言葉は少し遅いんだって」と言うと少し安心はします。しかし実際に言葉が遅い場合は必ず心配は続くはずです。そのときには必ず相談してほしいと思います。

それから、親である自分は心配していない、周りが心配している。現在ここが幼稚園や保育園が問題を抱えていることなんですが、やはり親は何か指摘されても「自分の子どもに限って」というふうに否定したくなります。でも一度そういうふうに見られたら、必ずお子さんを見つめてほしいというふうに保護者の方たちには話をしています。このようなことを保護者の周囲の方々にも啓発をしていかなくてはいけないと考えています。

このような相談を集積していくことができれば、例えば医師が気になっていること、保護者の心配が出てくる頃が大体わかってきますと、いつどのときにどのような保健始動をしていけばいいのかというのがわかってきます。

そして子どもたちの相談というのは、夜泣きから始まり、時期的にどんどん変わっていったり、そのときに出てきたりします。身体的な疾患については、予防だとかワクチン、予防接種だとか、予防的なことがありますが、子どもたちの心や精神的なことに関しては予防的なことがまだ不十分ではないかと思っています。そこで、相談をきちんとしていただくことで、予防につなげていけたらいいかなと思っています。以上です。

堀口●秋山さん、どうもありがとうございました。

ここまで4人のシンポジストにお話をちょうだいいたしました。ここでいったん休憩をとらせていただきます。お時間としましては10分ほどの休憩を考えております。これから事務局でこちらの準備をいたしますので、この間、皆さん方でシンポジストの先生方に聞いてみたいこと、もう少し教えてほしいことがございましたら、お渡しいたしました原稿の中に質問用紙もございますのでお書きいただいてスタッフにお渡しいただければと思います。では休憩に入ります。