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平成12年度厚生科学研究 障害保健福祉総合研究事業外国人研究者招へい報告書
ディヴィッド・ルコントレポート

日程

 以下の日程で日本各地における種々の機会を通して関係者との意見交換、現地視察および観察を行い、さらにマディソンの精神保健サービスに関するセミナーでのプレゼンテーションを行った。

 帯広

  1. 2000年9月11日、北海道帯広とウィスコンシン州マディソンとの精神保健サービスに関する比較セミナーでのプレゼンテーション
  2. 2000年9月13日、砂川敏文帯広市長との会見
  3. 2000年9月14日、帯広、日本精神障害者リハビリテーション学会での学際チームによるワークショップ
  4. 2000年9月14日、帯広、日本精神障害者リハビリテーション学会でのパワーポイントを使ったプレゼンテーション
  5. 2000年9月15日、帯広市内の精神保健関係の施設見学。民間精神病院、北海道立緑が丘病院、国立十勝療養所、音更リハビリテーションセンター、就労現場、住宅を訪問し、帯広ケア・センターでまとめのセッションを行った。

 大阪

  1. 2000年9月16日大阪の精神障害者地域作業所「2. パラッパ」3. 訪問
  2. 2000年9月16日大阪保健福祉専門学校でのパワーポイントによるプレゼンテーション、質疑応答

 神戸

  1. 2000年9月17日 神戸セミナー

 東京

  1. 2000年9月18日 東京セミナー

 名古屋

  1. 2000年9月19日 名古屋でのパワーポイントによるプレゼンテーション、質疑応答
  2. 2000年9月19日 名古屋での訪問(作業所3カ所、断酒会、民間精神病院等)

 川崎

  1. 2000年9月21日 川崎での訪問(大規模な精神科リハビリテーション等)。
    作業所3ヶ所、保健所を訪問。
  2. 2000年9月21日 木村博士がパワーポイントによるプレゼンテーションを行った他、地元の人がプレゼンテーションを行い、私は川崎市でのサービス提供の現状についてコメントし、質問に答えた。

 埼玉県/大宮市

  1. 2000年9月22日 埼玉県2. 立精神保健総合センター訪問
  2. 2000年9月22日 大宮市の「やどかりの里」への訪問。木村博士がパワーポイントによるプレゼンテーションを行い、質疑応答をコーディネートした。

全般を通じての印象

 プログラムを開催した各地域でのマディソンモデルに関するプレゼンテーション、地域ベースの治療への移行についての反応はどれも非常によく、好意的だった。各地の受け入れ先が熱心に進んで自らのサービスを見学させてくれ、経験を共有してくれた姿勢に心を打たれた。実地視察と各地での説明から確認されたことは、日本では全国を通じて病院中心のアプローチが発展してきたことであり、特に1960年代に発展したことだった。多少皮肉なことは、日本でこうした動きがあった時期に米国は病院の縮小という逆の方向に動いていたことである。しかしながら、デーン郡(マディソン市を含む)でも、アフターケアのニーズのレベルに応じたサービス、地域での治療モデルを作るには長い年月を要した。米国は現在もなお、責任ある地域での治療という難問に答を出そうと奮闘中であり、その成果は米国各地で異なっている。米国では重度の精神障害がある人の中では、精神病院に閉じこめられている人よりも刑務所に投獄されている人のほうが多い。したがって私は非常に謙虚に、そして多くの共感を持って、私の滞在から得られた観察、情報に関する考察を共有し、ウィスコンシン州のデーン郡(マディソン市を含む)を一例とする地域を拠点とするケアのシステムを促進するための勧告を提示しようと思う。
 日本は特に1960年代に入院という考え方を受け入れた。病院産業は成長、繁栄を続け、1980年代初頭に約36万人という最大数に達した。1984年以来、人権がいっそう重視され、入院は徐々に減少している。帯広の門屋充郎氏が語っているように、1982年以降、入院患者をできるだけ速やかに退院させようとする意識的な努力が地域で続いてきた。現在では、入院者は約3万人減少し、今後の方針がこの数字をさらに減少させるのに影響を及ぼすであろう。現状は、病院が予算、職員数、権力、影響力に関して依然として中心的な力を持っている。地域でのサービス提供者の給与は病院職員並となっていない。病院は医学モデルが支配的であり、地域を拠点とする精神薬理学的(psychopharmacological)医療サービスはほとんど存在していない。今後の方針は地域指向であり、地方レベル(市町村)に責任を与え、他障害と同等、横並びにする動きがあるが、包括的サービス、サービスのコーディネーション(連携・調整機能や協働体制)が欠けている。地域でのチームアプローチは比較的曖昧なままで、サービスや精神障害者自身を社会のメインストリームへ統合する方向性も弱い。

2章 日本の精神医療概観

入院

 日本における1950年以降の成人対象の精神保健システムに関する公式のプレゼンテーションが帯広と東京で行われた。川崎の精神保健専門家は川崎市に関する歴史的視点についてもプレゼンテーションを行った。私はここで、そうした情報、すなわち約半世紀にわたる日本での成人に関する精神保健システムの情報を要約する。以下の情報は主に東京フォーラムでの古屋龍太氏の講演に基づいている。

 入院の動きは保護者の同意による強制入院を可能にした精神衛生法の成立と共に1950年代に始まった。1950年代には85,000人が精神病院にいた。入院者数増が最大だったのは1960年代である。この数は1950年からの10年間で3倍となり、1970年には25万人に達し、精神科病床数は人口1万人あたり29床となった。今日では、精神科単科・総合病院を含め1670の病院に33万5千人が入院している。これらの病院のうち89%は民間である(米国とは対照的)。政府はこうした精神病院入院者人口の増加を国民健康保険が入院費用を負担するという形で促進した。各県では病院数・病床数が異なっている。日本には160万の病床があり、そのうちの22%が精神科であるが、精神科に分配されるのは、国民総医療費の5%にととまっている。
 入院がほぼ過去半世紀にわたって日本政府の全てのレベルで完全に支持されてきた概念であることは明らかである。入院は、大部分(89%)を占める営利の民間病院産業に支払いを行う国民健康保険によって促進されてきた。多くの予算、政策は依然としてこの産業を支持し、この営みを促進している。これは地域でのサービスが強調されるべきだと考えている米国をはじめとする諸外国の多くの精神保健専門家にとっては驚愕すべき事態である。