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門川紳一郎氏のスピーチ

アジア太平洋障害者の10年(2003-2012)の実施に関する最終評価のためのハイレベル政府間会合に向けた地域準備会議
開会式
2012年3月14日

門川紳一郎
日本盲ろう者協会評議員

 皆さん、こんにちは。私は日本盲ろう者協会評議員の門川紳一郎です。私自身盲ろう当事者で、今日は世界盲ろう者連盟アジア地域代表の福島智氏の代理として、ここに参加しています。
 本日はこのような貴重な機会をいただき、このようなすばらしいステージにおいて、15の市民団体を代表し、ご挨拶をさせていただくことを大変光栄に思います。また、主催国であるタイの皆様には昨年の洪水の被害を乗り越え、今回の会合を準備して下さったこと、感謝申し上げます。

 アジア太平洋地域には全世界の大部分を占める多くの障害者が生活しています。彼らの生活の質をより一層高めるため、1993年からはじまった「アジア太平洋障害者の十年」の総括として、2002年に「びわこミレニアムフレームワーク」が提起され「アジア太平洋障害者の10年」がさらに10年延長されることが審議されました。しかし、ESCAPにおいて政府間の採択にいたらなかったことは非常に残念です。
 2013年からの新たな「障害者十年」のための「インチョン戦略」については、ESCAPにおいても採択いただくよう、ぜひ私たち全員が努力したいと思います。

 ところで、皆さんヘレン・ケラーのことをご存知かと思います。ヘレンは生後19ヶ月の時に高熱のため盲ろうの状態になりながらも、サリバン先生との出会いがきっかけとなり、高等教育を受け、盲ろう者としてはおそらく世界で初めて大学を卒業するに至っています。ヘレンは社会福祉事業家として世界各国を歴訪し、日本にも3度招かれています。そして、日本の身体障害者福祉法制定の功労者としてもよく知られています。ヘレンと同様の障害のある人、つまり盲ろう者はいつの時代にも存在しているのですが、そのほとんどの存在が世の中に明らかになっていなかったのは、盲ろう者自身がその障害ゆえに自己発言をし、その存在を社会に伝えることができなかったからです。  ヘレンはサリバン先生の献身的な支え、とりわけ、他者との意思疎通を含めたコミュニケーションの支援があったからこそ、言葉を獲得し、高い教育を受け、何よりも自己の存在を社会に知らせることができました。ヘレンが一人の盲ろう者として世界中によく知られている事実は、サリバン先生のようなコミュニケーション支援者がいれば、盲ろう者を含めどんなに重度の障害者であっても一人の人間として、積極的に生きていくことができるということを私たちに教えてくれています。

 障害者が地域で暮らしていくためには介護者やコミュニケーション支援者といった「人的サービスの提供」を24時間保障すること、手話をはじめその障害者に特化した「コミュニケーションとしての言語」を国の法律で明記し、さらに、障害者がバリアなく生活できるような建築物や公共施設の設備等は、最低限必要な基本条件であることは衆知の事実です。

 繰り返しになりますが、アジア太平洋地域にはたくさんの国があり、それだけ多くの障害者がいます。彼らの多くは自宅に閉じこもったままで、寝るか食べるかの毎日を繰り返し、中には貧困による食糧難から栄養失調で苦しんでいる障害者も多くいます。彼らは支援の手がさしのべられるのを待っています。政府の皆様には、自国の障害者の支援のため、福祉サービスの制度化を始め、環境整備に取り組んでいただきたいのです。  そして、アジア太平洋のさらなる10年に向けた戦略づくりに向け、障害当事者の生の声を聞き、必ず政策現場に反映させていくようにしていただきたいのです。なぜなら、障害者のことは、障害者自身にしかわからないのですから。「Nothing About Us Without Us」の精神をぜひ貫き通してください。

 ご清聴ありがとうございました。