講師: 岡田 久実子 (公社)全国精神保健福祉会連合会理事長
座長: 洗 成子 (公社)日本精神保健福祉士協会副会長
洗/昨日の話の中でも触れられていますが、昨年の総括所見では精神障害の分野がかなりのウェイトで指摘を受けました。
なぜこの領域の人権が脆弱なのだろうかということについては、日ごろ精神の領域にあまり触れることのない方にはわかりにくさもあるのかなと思います。趣旨文にも書きましたが、精神障害のある方は、長らく我が国では、病者ではあるが、障害者ではないということで、福祉の対象になっていないという時代も長かったかと思います。
精神科医療の領域で、患者と捉えられることによって、病院がその人の幸せを、いわば勝手にパターナルに規定してしまい、社会防衛の一環として医療機関に囲い込まれてしまった、言葉は悪いですが、そういう歴史があると思います。当事者は判断の力が弱く、本人の人生を決められないと見なされました。未だにその課題が残っていると思います。
そのことに関しては、ご家族の立場からの大変さもあります。今日は、家族の視点からというところを含め、全国保健福祉会連合会の岡田久実子さんにお話をいただき、皆さまと深めていきたいと思います。
よろしくお願いいたします。
岡田/おはようございます。全国精神保健福祉会連合会、通称「みんなねっと」の理事長の岡田です。
私には娘が二人おります。
長女が22歳で統合失調症を発症し、その2年後から地域の家族会に参加し、20年ほど経過しました。
私の体験を語るだけでも一日かかるかもしれません。
やどかり出版から、「隠さないで生きたい!!」という書籍を出していますが、精神障害者の家族がどんなことを体験するかに興味のある方は、お買い求めいただけたらと思います。
現在はさいたま市のもくせい家族会に所属しています。
さいたま市の家族会連絡会や県の連合会にも所属していて、現在、軸足を置いているのは通称みんなねっとになります。
家族会活動を始めた当初から、最重度といわれる、統合失調症になっても大丈夫な社会にと、家族会の活動を継続しています。
全国精神保健福祉会連合会みんなねっとの紹介です。
全国では1,000ほどの単位家族会が活動しています。家族会の各都道府県連合会を正会員とする組織になります。
これまでの家族会は主に親の立場や、親代わりになった兄弟が中心に立ち上げ、活動を継続してきました。
現在は子どもや配偶者の立場や、そのようなグループとも連携して活動しています。
これらの中から選出された理事で理事会を構成して運営しています。
精神障害者の自立と社会参加に資するための啓発広報活動、相談支援、施策提言を行い、賛助会員は現在9,000名ほどです。
ウェブ上で交流する「みんなねっとサロン」の登録は約8,000名になります。
賛助会員向けの広報誌として、月刊みんなねっと誌を発行しています。
私たちの活動に関心を持っていただけたら、ホームページをご覧ください。
みんなねっとでは、「みんなねっと精神保健医療福祉への提言(2022年6月)」をまとめました。
大きなテーマは、「誰もが安心してかかりたいと思える精神科医療の実現 誰もが安心して暮らせる地域精神保健福祉の実現」です。
精神の課題は特別な人の問題ではありません。
誰にとっても大切な国民全体の課題として、誰にとっても安心な社会にと願って提言の実現に取り組みを進めているところです。
2022年9月に障害者権利委員会から日本政府に対する総括所見が提示されました。
これについては昨日も議論をされたことと思います。
精神障害・精神医療に関しては、主に、第10条「生命に関する権利」、第14条「身体の自由及び安全」、第15条「拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰からの 自由」、第19条「自立した生活及び地域社会への包容」、第25条「健康」で、勧告が提示されています。
生命・自由・自立・健康と、どれを見ても人間にとって当たり前のことばかりです。いかに精神障害がある人の人権がないがしろにされているかが明らかにされていると思います。
勧告内容を見ていきます。昨日の復習みたいなところになるかもしれません。
第10条「生命に関する権利」
<懸念事項>
- ●機能障害に基づく非自発的入院事例における身体的拘束及び化学的拘束
- ●精神科病院における死亡に関し、統計の欠如及び独立した調査の欠如
<勧告>
- 〇機能障害を理由とする障害者のいかなる形態の非自発的入院及び治療を防止し、地域社会に根ざしたサービスにおいて、障害者に対する必要な支援を確保すること
- 〇精神科病院における死亡事例の原因及び経緯に関して徹底的かつ独立した調査を実施すること
このことはみんなねっとの願いと完全に一致するものと考えています。
第14条「身体の自由及び安全」
<懸念事項>
- (a)精神保健及び精神障害者福祉に関する法律により規定されている障害者の主観的又は客観的な障害又は危険性に基づく、障害者の精神科病院への非自発的入院及び非自発的治療を認める法令
- (b) 入院に関して、事情を知らされた上での同意の定義が不明瞭であることも含め、障害者の事情を知らされた上での同意の権利を保護するための保障の欠如
<勧告>
- 〇障害者の非自発的入院は、自由の剥奪となる、機能障害を理由とする差別であり、自由の剥奪に相当するものと認識し、主観的又は客観的な障害又は危険性に基づく障害者の非自発的入院による自由の剥奪を認める全ての法規定を廃止すること
- 〇主観的又は客観的な障害に基づく非合意の精神科治療を認める全ての法規定を廃止し、障害者が強制的な治療を強いられず、他の者との平等を基礎とした同一の範囲、質及び水準の保健を利用する機会を有することを確保する監視の仕組みを設置すること
- 〇障害の有無にかかわらず、全ての障害者が事情を知らされた上での自由な同意の権利を保護されるために、権利擁護、法的及びその他の必要な支援を含む保障を確保すること
現在の日本の精神医療体系では、人としての自由がかなり制限されている日本の現状が強く指摘されています。
第15条「拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰からの自由」
<懸念事項>
- ●精神科病院における障害者の隔離、身体的及び化学的拘束、強制投薬、強制認知療法及び電気けいれん療法を含む強制的な治療。心神喪失等状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律を含む 、これらの慣行を合法化する法律。
- ●精神科病院における強制治療及び虐待を防止し報告することを確保するための、精神医療審査会の対象範囲及び独立性の欠如。
- ●強制治療又は長期入院を受けた障害者の権利の侵害を調査するための独立した監視制度の欠如、また、精神科病院における苦情及び申し立ての仕組みの欠如。
<勧告>
- 〇精神障害者の強制治療を合法化し、虐待につながる全ての法規定を廃止するとともに、精神障害者に関して、あらゆる介入を人権規範及び本条約に基づく締約国の義務に基づくものにすることを確保すること。
- 〇障害者団体と協力の上、精神医学環境における障害者へのあらゆる形態の強制治療又は虐待の防止及び報告のための、効果的な独立した監視の仕組みを設置すること。
- 〇精神科病院における、残虐で非人道的また品位を傷つける取扱いを報告するために利用しやすい仕組み及び被害者への効果的な救済策を設け、加害者の起訴及び処罰を確保すること。
かなり厳しい内容が勧告として示されています。強制的な治療としては、薬による治療を含めています。
精神医療審査会については私どもも大変きちんと機能していないことへの懸念を強く感じており、できれば当事者・家族を審査委員として位置づけ、私たちが見守りながらきちんとした人権が守れる体制が作れることを願っているところです。
第19条「自立した生活及び地域社会への包容」
<懸念事項>
- ●公的及び民間の精神科病院における精神障害者及び認知症を有する者の施設入所の推進。特に、精神障害者の期限の定めのない入院の継続。
<勧告>
- ●地域社会における精神保健支援とともにあらゆる期限の定めのない入院を終わらせるため、精神科病院に入院している精神障害者のすべての事例を見直し、事情を知らされたうえでの同意を確保し、自立した生活を促進すること
第25条「健康」
<懸念事項>
- ●精神保健及び精神障害者福祉に関する法律に規定される、精神科医療の一般医療からの分離及び地域社会に根ざした十分な保健サービス及び支援の欠如
<勧告>
- 〇精神障害者団体との緊密な協議をし、非強制的で地域社会に基づく精神保健支援を策定し、精神保健を一般医療と区別する制度を廃止するための、必要な法的及び政策的対策を採用すること。
ここまで障害者権利委員会からの日本政府に対する総括所見について、特に精神障害に関する部分について見てまいりました。
ここからは勧告内容に関連した4つの視点で、家族として考えていることについて述べさせていただきます。
1点目は医療保護入院について。
2点目は精神科病院における虐待について。
3点目が期限のない長期的入院について。
4点目が家族依存について、考えてみます。
まず1点めは、勧告に何度も出てくる非自発的入院についてです。
日本の精神科医療では、措置入院と医療保護入院の2つがあります。
医療保護入院は、自傷他害のおそれはないけれども入院治療は必要だが、本人から入院の同意が得られないケースです。
ここでは日本独自の医療保護入院について考えます。
一般の医療は医療法という1つの法律で定められています。
精神科医療の入院形態や処遇については精神保健福祉法という医療法とは別の法律の定めがあります。
精神保健福祉法第33条に医療保護入院の記述があり、国連の勧告によれば、この法律こそ廃止すべきと言われています。1人の人間の自由を奪う強制的な入院を精神保健指定医1名の判断と一市民である家族等の同意で可能とする日本独自の非自発的入院制度になります。
医療保護入院で入院している患者さんはたくさんおられ、家族会でも、家族が同意して本人が不同意のまま入院ということは数多く経験しています。
実は家族は必死な思いで病院につないで入院させてもらえてほっと安心する状況の中で、このような入院制度のもとで行われていることをなかなか理解できずにおりました。困ったときに家族がうんと言えば入院させてもらえる便利な仕組みといいますか、そういう感覚でいた家族がたくさんいるという、残念ながらこういう現状があります。この現状については、また後で詳しくお話しします。
みんなねっとの提言には長期的展望に立ち実現を目指すこととして、「~入院中心から地域医療への転換へ・ケアの脱家族化へ~」ということを掲げています。
総括所見にも述べられているように、医療保護入院を廃止して強制的な入院制度がなくても安心して精神科医療を利用できる体制を望んでいます。
一方で、現在では家族が置かれた困難な状況があります。
この提言をまとめる段階で「医療保護入院廃止」というこの文言に強く反応して反対意見の家族もたくさんいらっしゃいました。
例えば、
「医療保護入院制度の廃止には強く反対」
「医療保護入院の廃止が一人歩きすれば、ケアしている側(家族)の最後の砦を奪われることになる」
「地域の医療・支援体制の乏しい現状で医療保護入院の廃止を提唱すべきではない。」
「医療へのアクセスから日々のケアと、常に家族が対応を求められており、誰も助けてくれない現実を見てほしい」
これらの声の背景には、医療につなぐことに始まり、日々のケア、悪化時の対応、財政的課題など、多くのケア負担を家族が抱えている現状があります。
現状では家族にとって医療保護入院制度が唯一医療につなげる手段であり、廃止などとても考えられないと感じるのは、当然のことともいえます。
地域では多くの家族が本人のケアを丸抱えしなければならない状況にあるからです。
次に精神科病院における虐待についてです。
最近の状況を見ても、2020年には兵庫県の神出病院、21年大阪、22年静岡、23年東京と毎年起きています。そのたびに職員が逮捕・処分され、病院には処遇改善命令が出されていますが、虐待はなくなることなく繰り返されています。
この問題は1病院のこととして対応しただけではなくならないということを示しています。
精神保健福祉法により隔離拘束に関する決まりがあります。
また現在は医療法に含まれていますが、精神科特例という医師などの配置が他科より少ない状況は改善はされないままです。診療報酬の格差もあります。
このように精神科医療を特別扱いをしている、差別している現状があります。
このことは人里離れた場所に多く精神科病院があり、単科病院が中心という閉鎖的な運営にも現れています。
そして入院中心、薬物治療中心の態勢も続いています。これらは、精神障害がある人の命を軽視した、社会治安の考え方が払しょくしきれていない制度・政策によるものであって、社会の安心・安全のためには異質なものを排除するという地域風土をつくってきたのではないでしょうか。これにはマスメディアの対応も含まれます。これらすべてが、精神障害がある人は閉じ込められても仕方がない人たち、縛られても仕方がない人たちなんだという根深い誤解・偏見が、厳しい環境の精神科医療機関で働く人たちにも、大きく影響を与えているものと思えてなりません。
次に、期限のない長期入院(社会的入院)についてです。
私が家族会に入会して間もない平成16年、厚生労働省が精神福祉改革ビジョンの中で、「入院医療中心から地域生活中心へ」の方針を打ち出しました。
それから20年が経とうとしていますが、いまだこの課題は解決されていません。
「社会的入院」という言葉はあまり聞かなくなっていますが、これは治療の必要がなくなっても、退院を前提とせず病院内に留まっている状態です。
病院は治療が役割なので、入院治療の必要がなくなれば退院するのは当たり前です。
それができない理由として、「家族」という言葉が使われます。
これらは事実だと思いますが、退院後の引き取り手として家族を一番に位置づけていることが問題ではないでしょうか。家族の多くは、病気の発症時から終わりの見えない当事者のケア中心の生活をしています。その中で家族は様々な困難を体験します。多くの家族は精神疾患・精神障害の適切な情報を得る機会がなく、誤解や偏見のまま本人と生活をしています。本人の状態が理解できないので衝突が起こったり、予期しない出来事に振り回される生活になり、そのような状態が継続すると疲弊していきます。また、精神障害があると精神科以外の一般の医療が受けにくいという現状があります。このような生活を送る中で、家族自身の生活を維持することも困難になっていきますし、家族自身が病気になったり、徐々に高齢化が進んだり、という中で、家族なりにいくら頑張っても、最終的にはどこでも預かってくれる病院があれば預けたい、という状況に家族も追い込まれていくのです。
このように病院に託さざるを得ない家族の状況があります。
4つ目の視点、これまでのお話しに関連する家族依存についてです。
今までの3つの視点を振り返ると、すべてに家族がキーワードとして出てきています。
医療保護入院は、家族等の同意を条件とする、家族に負担と責任を負わせる入院制度であり、その根底には多くのケア負担を抱える家族の現状があります。
精神科病院における虐待では連絡が取れない家族、引き取らない家族と言われますが、閉じた家庭の中での生活では、最終的にはどんな病院でも託すしかない家族の現状があります。
期限のない長期的入院(社会的入院)については、未だに家族を引き取り手として位置付けている現状があります。
こうした家族依存の文化が家族を追い詰めています。
発症時や不調になったときに医療につなぐこと、医療的なケアも含めた生活上の様々な支援、必要な手続きなど、本人が成人していてもなお、家族が抱え込まなければならない様々な課題に直結していると思われます。
精神障害のあるご本人の自立の問題にもつながっており、この状況を変える必要があると考えています。
家族依存について、3つの視点から考えます。
1つめは、民法877条の扶養義務です。
「民法第八百七十七条 直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある」
成人すれば1人の人間として生きていくのは、障害の有無には関係ありません。
この法律が家族への負担を課し本人の自立を阻んでいるのではないでしょうか。
2つ目は、保護者制度です。
「保護者」は精神障害者に必要な医療を受けさせ、財産上の保護を行うなど、患者の生活行動一般における保護の任に当たらせるために設けられた制度です。
つい最近まで約60年にわたり課せられてきました。(1950(昭和25)年創設・2014(平成26)年廃止)
既に法律上は削除されていますが、精神保健医療分野ではこの考え方が根強く文化として残っていると考えられます。
日本には、家や家族を社会の単位の1つとして考える文化がありそのことが病気や障害をケアするのは家族として当たり前で、美徳として受け止められる傾向があります。
これは家族自身も持っていることでよかれと思って本人を抱え込んだり、つらくてもSOSが発信できない状況を生み出しています。
このような状況を変えるためみんなねっとでは、家族支援、ケアラー支援の必要性を訴えています。
まずは家族に病気や障害がある人の家族全体への支援です。
特に理解が難しい精神疾患・精神障害がある人の家族構成員全員が、誤解や偏見から解放されるために、精神科医療機関でも、地域でも、病気や障害への理解に必要な情報をきちんと得られる確実な機会が必要です。そして生活上の不安や困難など様々な相談ができることも必要です。
また、病気や障害のある人のケアを無償で担う人、これがケアラー支援です。
この中にはケアする家族も含まれますがケアラー自身が健康で文化的な生活を送れるようにケアラー自身をケアする体制づくりです。
家族支援とケアラー支援は重なる部分もありますが、少し分けて考える必要があると考えています。
このような支援体制が社会に浸透して本人と家族とケアラーが、それぞれに個人として自立した存在としてあることにより、家族は、病気・障害がある人とほどよい距離感で生活できることが期待できるのではないでしょうか。
家族はこんなに大変だから助けてという支援だけでなく本人や家族自身の権利も守られる中で、本人と家族がほどよい距離感を保って暮らしていくよりよい環境を構築するためにこの家族支援、ケアラー支援が必要で大切だと考えています。
私が家族会に関わるようになっておよそ20年が経過しています。
家族会で語り合っていることや、家族会に寄せられるさまざまな相談がありますが、振り返ってみると、20年経っても何も変わっていないと感じることが多々あります。
具体的に挙げてみました。
このような相談内容からは、20年間経過したにもかかわらず、家族が必死に抱え込んでなんとか生活を維持している現状が見えてきます。
このような現状は、精神障害がある人の人権が守られることからはほど遠いと感じます。
障害者権利条約の総括所見では、精神障害のある人のために、人権を守るために厳しい勧告を出していただいてありがたいと感じています。
法的な義務があるわけではないという発言が大臣からあり、どこまで国が本気で取り組んでくれるのか、見通しがいまだに立っていない状況の中で、これを実効性あるものにしていかなければいけません。
障害者権利条約で述べられていることは、障害がある人の当たり前の権利であり、家族も繰り返し学んでいくことがまだまだ必要と感じています。
そして、障害がある人の権利を守るために、その家族の権利が守られることも必要です。
家族依存から脱却し、社会的なケアの拡充を進める必要があります。
ここ3年間をかけてみんなねっと提言をまとめてきましたが、障害者権利条約及び総括所見は、「みんなねっと精神保健医療福祉への提言」の実現を後押ししてくれています。
この実現に向けて精神障害がある人と家族の人権を守るために立場を超えて多くの皆さまとつながり、対話を重ねてできることから協力・協働しながら進めていきたいと思います。
精神科医療は多くの課題が山積している分野であることを、少しでも皆さんにご理解いただけたら大変ありがたいと思います。
精神科医療を変えていくことと並行して家族、ケアラーに対する支援策、これを進めていくことが両輪として必要だと、私自身は強く考えています。
つたないお話になりましたが、最後までご清聴ありがとうございました。
洗/岡田さん、ありがとうございました。
私は病院でソーシャルワーカーをしていますが、医療保護入院のインテイクをとらせていただく中で、ご家族は、大切な自分の子どもを入院させてしまうことに対してものすごくご自身を責めていることを感じています。
こんなふうになってしまったのは家族のせいじゃないかとか、あるいは、強制的な入院なので、ご本人は入院に対して不本意な思いを抱えており、一番信頼していた家族に裏切られたと感じることもあります。
本人と家族の間に亀裂が入ってしまう、そのような現場を体験していて、今日岡田さんの話を聞きながら、本人の人権も、家族の人権も、そのように抑圧する医療のあり方がものすごく問われているんだと、改めて感じました。
参加者の皆様は、精神の領域に詳しい方々ばかりではないかと思いますので、措置入院と、医療保護入院と、任意入院の3つの中で、医療保護入院の課題はどのあたりにあるのか少しご説明します。
措置入院は、自傷他害の恐れがある、本当にすぐに医療につなげなければ本人自身が命を絶ってしまうかもしれず、あるいは身近な方を傷つけるかもしれないという状況の中で行われます。
任意入院は、本人自身も医療に同意していて、合意の上で治療関係が結ばれます。
任意入院と措置入院の間にある医療保護入院は、判断基準の幅が非常に広いと思います。
例えば内科などの身体科のように、血液検査をして数値化されたものや、あるいはレントゲンを見て判断するなど、どの医師が診療してもぶれない標準的な基準があるとはいいがたいのが精神科の診断だと思います。精神科にも診断基準はありますが医療保護入院が必要だと判断するための、「患者さんの同意能力」というものを誰が判断してもぶれないように明確に基準化することはものすごく困難だと思っています。
お医者さんの判断には相当の格差があると私は思っていて、正直いくつもの入院に同席する中で、同じような精神症状だけれども、診療するお医者様の判断によって、あるいはその方が抱えている環境によって、入院せずにすむ人もいれば、いや、この人は入院ですとなることもあります。
それは病院として精一杯の判断ということもあると思いますが、純粋に医学的判断というよりは、もう少し、医療保護の「保護」という名称が拡大解釈をされているようにも感じます。
環境の方に大変さがあるし、ここは入院でサポートしましょうと決定されていくときに、それが本人の望まない入院の場合に、これは本当に医療の問題なのか、福祉が乏しいからなのかと思うことがあります。
当事者の同意なく、個人の自由を一方的に奪うのは、一般的には強制監禁になります。それが許されている精神医療の法律は、人権保護の立場で再検討の必要があると思っています。
民間の判断でこのことが安易に敢行されうる、そういうシステムでいいのか、一名の指定医が一回の診察でそれを決定する仕組みのあやうさを感じ、その役割の一端を担わされる家族の苦悩は、今日の話を聞いていても感じました。
精神医療がご本人や家族にとって安心してかかれるものであってほしいという話が岡田さんからありました。
もっとこうあってほしいということについて、よろしければ、岡田さんからご意見をいただけたらと思います。
岡田/私自身も、いつ、どこで聞いたかわかりませんが、精神の状態のバランスが崩れた人は危ないから入院させなきゃいけないと、そういう先入観をもって生活をしていました。
それが間違いだというのは、いろんなことを勉強してわかるようになりましたが、多くの皆さんはそう思っていて、これは大変だから入院と、家族もそれしか選択肢がないと思い込んでいるような部分もあることと、病院にどうやって連れていこうかというとき、かなり状態が悪くなってから動き出すというのが多いです。
みんなねっとで調査したときも、変化に気づいてから医療につなぐまで、平均1年というデータも出ています。
時間が経過すると病状もだいぶ進み、本人としては、自分は病気じゃない、そんなところには行きたくないと拒否することが多くなります。それで家族は困るわけです。窓口や病院に行くと、本人を連れてこないと何もできません、とにかく連れてきてくださいと言われます。
それができれば苦労しませんが、本人は頑として動きません。
その狭間で家族は困って、最終的には移送業者みたいなところに高額のお金を使い、強制的に病院に運んでもらうという手段をとらざるを得ないということは良く聞いています。
そういう中で、病気の知識を持つことを大前提として、早い段階で相談につながり、医療が必要になる前に支える手立てが必要だと思います。今は、この部分が抜け落ちています。
医療が必要な状態になったときに本人が医療機関に行けない場合は、訪問してどういう状態かを見て、継続的な相談も受けることができて、医療的ケアが必要という判断になれば、本人と医療機関とで話合いを進めて、本人が納得する形で進めてもらう必要があります。
時間や手間ひまがかかると思いますが、強制とか無理やりということではなくて、きちんと納得して必要な医療や支援につながる仕組みを作っていく必要があると思います。
時間もかかり、たくさんの課題をクリアしなければいけないこともわかりますが、その方向を目指していくべきと考えます。
洗/全く同感です。
今、大事なお話をしてくださったと思います。
時間がかかっても本人が納得いくまで対話を重ねるのは本当に重要なことですよね。
診断がついたらすぐにお薬開始で、薬物優先の医療も、精神医療の課題の一つであると思っています。
オープンダイアログが注目されているように、対話をすることで、どれだけ本人が回復するかもわかっており、これは早期に発見された段階からいえることだと思います。
高校の授業には教育として組み込まれてきていますが、風邪をひくのと同じように心を病むことはあるのですし、早めに医療に相談しましょうというのが、当たり前の社会が作れるように、そのための教育も非常に大事だということですね。
ここで、フロアからもご質問してみたいとか、感想でもよいかと思いますが、何かありますでしょうか。
会場/貴重な話をありがとうございます。
もう1つ気になっているのは、病院から退院するときのことです。
自分の身になって考えると、頼れる人が自分しかいない場合、いったん入院してしまうと、出たいと思っても出れられないんじゃないかと思います。
そのことについての保障みたいなものがあったら、もうちょっと改善されるのではないかと思います。
退院するために裁判を事例があるとも聞きました。
裁判するといっても、たぶん家族が裁判を起こさないとできないんだろうと思います。
退院するためのサービスと言いますか、それに関して家族会でどんなことをされているか、あるいは弁護士会がどうされているか、その辺を教えていただければと思います。
岡田/ご質問ありがとうございます。
家族会で何かをやっているかというと、特に家族会でという取り組みはないとは思うんですけれども、退院に関しては、成人をした方については、家族に返すのではなく、地域の中で支援を受けながら生活できるような環境を整えてから退院してもらいたいという、基本的な考え方を持っています。
退院支援事業も国でも進めていますが、その取り組みに乗れない方たちもいます。
今の病院の現状だと、引き取り手がいないことを退院できない理由として最初に挙げるような、そんな感覚があって、私の偏見でしょうか……家族がうんと言えばいつでも退院できる、と言われることが多いと思います。
ただ家族はそれまでの経過の中で、病状などからいろいろなことを体験してきているので、心配や不安もあり、「はい受け入れます」とは言いにくいところがあります。
そのために、家族をちゃんと支援してもらいたいということはありますが、私は、成人した方は家族のところに戻るのではなく、自分の力で地域で生活するようになるのが望ましいと思っています。
そのために家族会が何をやっているかといいますと、そこに家族が関わるのが難しい状況にあると感じています。
今、逆に3か月で退院というケースがすごく増えています。
3か月で状態が落ち着いて、地域で生活できるようになっていれば、それはそれで必要なことだと思いますが、まだまだ難しい状態にあっても、3か月たったから退院ですと言われて、家族が引き取らざるをえないという問題もあったりします。
そのあたりをどう考えるのかも課題と考えています。
今の医療の報酬体系は、入院をさせておくことでお金がたくさん入るという仕組みですが、ここを根本的に変えていかなければいけないのではないかと考えています。
あとは地域の受け皿とよくいわれますが、地域の中で精神障害がある方がどんなふうに生活していけるかという具体的なイメージを、病院機関の方も、福祉関係の方も、本人も家族もイメージができるような情報共有の在り方を考えていく必要があると考えています。
洗/ご質問ありがとうございました。
私からも補足をさせていただくと、裁判については、精神医療国家賠償請求訴訟が今動いていますね。
当事者の方が原告になって、国の不作為を訴えているということで、この動きも注視しなければならないですし、応援もしていきたいというところです。
それと、遅々としてですが、法律も前進はしていて、法改正があり、次年度からは市区町村同意の枠からのスタートではありますが、入院者訪問支援事業がたちあがることになっています。
医療保護入院された方に外部の支援者が訪問してご本人の話を傾聴し、相談に乗るなどのアドボケイトを行うというものです。
現在も障害給付の中で、入院中であっても退院支援として障害福祉サービスが使え、医療と障害福祉と重ねて利用できるという仕組みも動いています。
そこが強化される流れになっています。
精神医療についてはたくさんの課題があって、1時間では話しきれませんが、今のお話で思い出したことは、元々法律から行くと、精神衛生法の時代から、医療と保護が法の目的である、という形でずっと動いてきていたことです。パターナリズムの象徴的なことだと思います。
精神保健福祉法の今度の法改正で、精神障害者の権利擁護をはかることを法の目的とすると、初めて明記されました。
これはすごく評価されるところだと思っています。
昨日の話しでは、日弁連さんもロードマップ出されていて、みんなねっとさんでも提言を出してくださっています。
日本精神保健福祉士協会でも、スティグマをなくしていくことなど9つの行動実践を掲げて、そこに向けて動き出しています。
これらを追い風にして、日本の精神医療ができれば世界の中で今一番いいよねと言われるような、トップを目指せるような未来を皆さんと描いていければと希望して、今日の話を終わりにさせていただきます。