パネリスト:
高岡 徹 横浜市総合リハビリテーションセンター長
藤原 久美子 DPI女性障害者ネットワーク代表
村井 千賀 (一社)日本作業療法士協会 常務理事/石川県立こころの病院 認知症疾患医療センター副所長
家平 悟 障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会 事務局長
座長:
栗原 久 (一財)フィールド・サポートem.代表理事/日本福祉大学実務家教員
佐藤 聡 (特非)DPI日本会議事務局長/JDF幹事会議長
栗原/昼休みも終わり、最後のプログラムとなりました。このシンポジウム2では、3時間のうちの前半は栗原が、休憩をはさんで後半は佐藤さんが進行を担当します。
佐藤/佐藤です。後半部分を担当します。
栗原/抄録集の最初に、今回の趣旨をまとめています。
「本シンポのねらいを3点述べたい。① 権利条約、総括所見を専門職はどう捉えたのか、違和感があれば率直に出してもらう。② 障害当事者は、専門職に何を期待し、また何を求めるのか、実体験等をベースに問題提起してもらう。③ これらのやりとりを経る中で、そもそも総合リハとは何か、また権利条約をどう活かすのか、意見交換できればと考える。
『交流と対話』『向き合い、語り合い、明日を展望する』には、結論を出すことではなく、各地・各現場での話し合いの課題を提起できればという思いを込めている。次回大会につないでいくことも含め、本シンポを行っていきたい」
趣旨としては、当事者と専門職が権利条約、総合リハをめぐって語り合おうというものです。
実はこのシンポジウムについては2度のZoomでの打ち合わせ、それからメールの交換で3か月にかけてかなりの対話を繰り広げてきました。
その中で後で登壇いただく当事者の藤原久美子さんから、こういう問題提起をいただいています。
そのことをご紹介して私の問題意識もお知らせします。
藤原さんからの問題提起はこんな内容です。
「職業リハも、医学リハも○○できるようになる訓練のイメージから抜け出せないのです。
○○できなければだめというメッセージを受け取り、できない自分を否定してしまうことにつながる感じがします」
6、7月の段階でメールをもらいました。
まずこれをどうとらえようかと登壇するメンバーの間でやりとりをしてきました。
医学リハのことはこのあと高岡さんからお話しいただきます。
私は職業リハの仕事をしてきました。
現在は虐待防止の研修等に関わっています。
職業リハについて触れると、単に障害のある人の訓練だけでなく企業・職場での合理的配慮の提供にかかる支援、離職防止も含んでいます。
そもそもリハビリテーションは、全人間的復権であるということは研究大会でも繰り返し述べられてきました。
それでも藤原さんが言われるような感想を持たれることがあります。
自分を否定しているのではないか。これをどうとらえたらいいか。
まず思ったのは、専門職の仕事を丁寧に説明し、リハビリテーションの主体は、障害当事者であることを伝えることが必要だと思いました。
しかし、それでは不十分なのだと、やりとりの中で思いました。
あくまで職リハをやってる私の立場ですが、当事者との関係性において、そう思わせてしまっている立場性、権限や権力を持っていることの自覚、非対称性を自覚する、この理解が必要ではと思いました。
専門職の専門性を問われていることは昨日の企画でも述べられていますが、そのように思いました。
そして、権利条約と総合リハの相互対話は、専門職のあり方にもかかわると、僭越ながら思いました。
今日は、ご一緒にディスカッションするのをとても有意義な機会であると楽しみに来ています。
佐藤さんにも冒頭にご自身のことを含め、お話をいただきたいと思います。
佐藤/私は、自分の話も含めてお話しします。
車いすに乗っていますが、1987年に大学に入り、大学に頸椎損傷で非常に重度の頸椎損傷の車いすの大学生がいました。
当時はヘルパー制度が全くありませんでした。
大学に行くとなると家族が送っていくしかありません。
彼がどうやってきているか聞いてみると、友達に介助を頼んで、大学の寮で一人暮らしをしていると言っていました。
非常に驚きました。見ていたら、友だちが2交代で来て、彼の介助をします。
お風呂とかトイレとか全部やります。
こういうふうに生活すれば、親に頼らずに地域で生活できると教えてもらって、衝撃を受けました。
本当にいい仕組みだなと思いました。
ぜひ公的なヘルパー制度を作っていけば、どんな障害の人も地域で生活できると思い、兵庫県の西宮市に、メインストリーム協会という自立生活センターを立ち上げ、30年近く活動していました。
最初は市役所には全く相手にされませんでした。
今では24時間のヘルプ制度もでき、重度の人も自立をしています。30年前と今は全く違う国ではないかと思うほど、大きく進展したと思います。
リハビリテーションは私自身は障害者になった50年前に、車いすの扱い方、トランスファーの仕方とか、いろんなことを教えてもらいました。
その後はほとんど受けてないので、リハ関係者との交流はありません。
今回、このお題をいただき、なかなか難しいと思いましたが、率直にリハ関係の人は、権利条約とか昨年出された総括所見をどういうふうに受け止めていらっしゃるのか、ぜひ聴きたいと思いました。
今日、後段でそういったお話をしていただきますし、会場からも15分ぐらいでご意見をいただく時間を作っています。
ぜひ皆さん、積極的に発言していただけたらと思います。
社会は、どんどんよくなってきているなと、私は実感しています。
それは障害当事者が活動したし、関係者の方も活動してくださって、進展してきたと思います。
ぜひリハ関係の皆さんと私たち当事者と一緒に協力してよりよい社会をつくっていけるような、そのような話をぜひ今日はしたいと思います。
栗原/座長の話はこのあたりにして、前半に入りたいと思います。
登壇者の仕事の話やテーマに即して考えられていることをお話しいただきます。
最初は高岡徹さんです。
高岡さんの資料は抄録集32ページです。
総合リハについても話してもらいます。
登壇者は15分ずつ話してもらいますが、座長の佐藤さんにタイムキーパーをしていただき、3分前と1分前にはチーンと鳴ります。
高岡さんよろしくお願いします。
高岡/横浜市総合リハビリテーションセンターの高岡です。
昨年の大会では大変お世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。
私は日常的に医学的リハビリテーションを行っている立場からお話をしたいと思います。
障害者権利条約の話の前に、本発表においては、まず我々が支援を行った事例を報告し、医学的リハビリテーションの標準的な流れ、ひいては総合リハビリテーションとはどういうものなのかということについて一定の共通認識をもちたいと考えます。後半は医療の立場から障害者権利条約や総括所見をながめたときに覚える違和感などをお話し、ディスカッションにつなげたいと思います。
事例は、脳卒中による片麻痺と高次脳機能障害のある40歳代の若い男性です。個人情報の兼ね合いもあり、経過の省略や一部変更をしてお話いたします。
X年に脳梗塞を発症し、急性期の病院での入院治療が行われました。その後、回復期リハビリテーション病棟でのリハビリテーション治療を受けました。
事例の話から少し外れますが、現在この急性期から回復期のリハビリテーションへの移行はかなり円滑に行われています。この20年、30年で多くの患者さんがリハビリテーション医療を受けられるようになったのは、大きな進歩だと思います。そして、回復期のリハビリテーション治療によりADL、日常生活の活動がある程度一人でできるようになると、自宅へ退院する。そしてその後は、生活期として介護保険を中心としたサービス・支援を受けて地域で生活するというひとつの流れができています。誤解を恐れずに言えば、この流れは主に高齢者を念頭においた流れとなります。
事例の話に戻ります。発症から約8か月後に当センターへ転院されました。回復期でのリハビリテーションは十分な期間実施されましたが、麻痺は共同運動レベルで、高次脳機能障害も認め、ADLは自立していませんでした。
しかし、若年でもあり、さらなる機能的な改善と、できれば再び単身生活をしたいという希望があり、当センターでの医学的リハビリテーションを継続することになりました。目標は短距離歩行の自立と単身生活の達成としました。
最終的には、合併症の問題などから、単身生活への不安が生じ、実家での両親との同居生活を選択されました。当センターでの入院は約3か月で、ADLはほぼ自立され、下肢装具装着による屋外歩行も可能となりました。発症から1年近くが経過していました。
実家が遠方のため、そちらの地域での医療の継続と介護保険サービスを利用した支援を調整しました。そして、将来、改めて単身生活達成のための支援を行うことを計画して、本人とご両親に提示しました。
退院から1年後、単身生活を目標として生活支援施設を利用するために、当センターを改めて受診されました。退院時に話し合った予定通りです。実家での生活は、生活リズムを崩すことなく、体調も良好な状態で過ごすことができました。
生活支援施設での機能訓練事業、これは社会リハビリテーションに位置づけられます。医療職も継続して関わりながら、単身生活に必要な家事動作を含めたトレーニングを入所で実施するとともに、社会参加の可能性についても検討を重ねました。
約6か月の入所トレーニングにより、生活拠点を新たに設定して単身生活を達成することができました。日常生活においては介護保険によるヘルパーなどを利用して生活の安定を図りました。またケースには、新規就労の希望もありました。
しかし、本日詳細は述べておりませんが、左の片麻痺は重度であり、さらには高次脳機能障害である右脳症状も著明でした。したがって、まずは地域での単身生活を安定して継続できることが重要ではないかということをご本人とも共有し、地域での単身生活と地域資源の利用による社会参加をすすめることになりました。
ボツリヌス治療や下肢装具の製作等の対応は随時実施しました。
退所後の生活においては、地域での社会参加・日中活動を着実に拡大することができました。ご本人は非常にまじめで、決めたことをきっちりと守っていかれる方であったことが良い点であり、信頼される点でした。
さて、そこで生活支援施設退所から約1年半、発症からは約5年で就労移行支援施設の利用開始となりました。職業リハビリテーションの実施ということになります。目標は一般就労としました。支援の具体的な内容は省略しますが、約1年間の利用の後に障害者雇用による一般就労を達成しました。発症から約6年半経過していました。そして、現在も就労は継続することができています。
長々と経過をお話しましたが、最終的にご本人の希望に沿った生活や活動、参加を獲得することができたのかなと思います。年齢がまだ若いので、これからも変化、例えば仕事を変えたいとか、あるかもしれませんが、その都度検討、支援をしていきたいと思います。今回の事例は、新規就労まで長期間要した事例でした。
しかし、単身生活や就労という長期の目標を共有しながら、本人のペースで着実にステップアップすることができました。目標達成のための支援・サービスについて細かく提示、案内し、随時モニタリングを行ってきたことも、長期目標を達成できた理由のひとつと考えます。
医学的リハビリテーションに加えて、社会リハビリテーションや職業リハビリテーションを行って、社会復帰に至った事例であり、まさに総合的なリハビリテーションを行うことができたと考えます。ここに至るまでには、さまざまな職種や機関が関わってきました。
急性期においては疾患の治療が中心となるため、医師や看護師などが主体となります。
本格的に回復期のリハビリテーション治療が行われる際には、理学療法士、作業療法士、心理職、ソーシャルワーカー、栄養士、義肢装具士などが関わってきます。
さらに社会リハビリテーションの段階では生活支援員、職業リハビリテーションでは就労支援員などが中心的に関わり、支援をしてきました。
総合リハビリテーションにおいて多くの職種が関わることをこのような図で示すことは多いです。しかし、多くの職種が関わればそれが総合リハビリテーションかというと、それほど簡単ではありません。さらに、総合リハビリテーションは、今回お話した事例のように必ずしも同じ時期に多くの職種が関わるばかりでなく、適時必要な職種やサービスが提供されながら、時には時間を空けながらの、時間軸を加えた立体的な支援であり、経過です。
今回の事例では、単身生活や就労といった長期的なゴールを頭において、その都度短期のゴール設定を変更しながら必要な職種や機関が関わってきました。少し概念的ではありますが、今お話したような支援全体が総合リハビリテーションのひとつの側面、特徴だと考えます。
では次に、今回のテーマである、障害者権利条約の話に移ります。
障害者権利条約は全体としてはまさにその通り、当然のことが書かれています。多くの部分が障害の有無にかかわらず、と言っていいと思いますが、求められることだと考えます。だからこそ、「他の者との平等」が強調されるのだと思います。
一方で、個々の条文や総括所見には昨日のディスカッションでもあったような疑問や違和感を覚える部分がいくつかあります。あくまで私の個人的な感想・意見ですが、ここでは医学モデルの否定に関することのみ述べます。間違った見方があるかもしれませんが、どうぞお許しください。今後のやり取りの中で理解を深め、修正していきたいと思います。
総括所見8-bに「障害の医学モデルの要素を排除」という文言が出てきます。
これは、障害の認定や障害者手帳の制度はよくない、等級で区別することはなくした方がよいと言っているものと理解します。さまざまな障害を重いとか軽いとか簡単に区別することは難しいと思っていますが、日々の診療においてはその区別をするための診断書作成などを行っています。いわば、悪の片棒をかついでいるような仕事をしていると思います。
しかし、障害のある方にとっては生活面のサービスや経済的支援を得るために必要な作業なので、私としてはどうしたものかなあと葛藤を感じるところです。また、先ほどご紹介した事例において、医学的なリハビリテーションの有用性については異論はないものと思います。
一方、「障害の医学モデルの要素を排除」は決して医療が不要という意味ではないと思いながらも、やや誤解を招くような表現であり、文言であるなと感じます。この医療の必要性と医学モデルの否定ということが、私だけなのかもしれませんが、医療はどうすればいいのかと混乱してしまう点です。できれば、「医学モデルの否定」とは言わずに、違う言葉で表せないものかなと思います。意外と医療職が傷つく文言だと思います。
さらに、障害の人権モデルを考慮したリハビリテーション制度を拡充することと書かれていて、具体的にはどのようなものなのでしょう。人権モデルとは何か? という課題は、私には大きすぎるものです。
しかし、ある人の権利やリハビリテーションを考えるにあたっては、ひとつのモデルで説明するのは無理があるのではないか、またこれを眺めるとICFと共通しているなと思いますし、あるいは、昨日の藤井さんからは人権モデルはすべてを包含するものというお話がありました。
今後、さらに考えていきたいと思います。時間がきましたので、私の話はいったんここまでといたします。
栗原/高岡さん、ありがとうございました。
非常に充実した内容でした。
私が総合リハ研究大会の常任委員になったのは7~8年前だと思いますが、総合リハとは何か十分説明もできなかったと思うし、今もどれだけわかってるか、あやしいところがあります。
高岡さんの話で、総合リハという各側面、本来総合リハの側面なのだが、現実にはばらばらになってしまっている。それを同時期、長い時系列の中で円滑に連携したり移行すると、とてもよくわかった内容だと私も勉強になりました。
医学モデルの否定に関しては、私もよくこの点は悩むところです。
例えば医学モデルと言いつつ、一切お医者さんも出てこないし、医療の話もない事例でも医学モデルと言うときがあります。障害のある本人に差別の原因を求めてしまうときなどに、使われていますね。
医学モデルは、社会モデルに対して、むしろ個人モデルと言った方が分かり易いかとも思いますが、プラス医療や、リハビリにおいて問われていることも含めて、医学モデルという言い方には、そういうところがニュアンスとしてあるのかなと思っています。
人権モデルは、社会モデルで不十分なところを、1つはインペアメント、機能障害に対する見方にも触れています。
インペアメントについては多様性の1つなんだと。これまで社会モデルはインペアメントについては触れていなかったのかな。
多くの人が社会モデルだけではいろんな問題が解決しないとわかりつつ、どうするのかなというときに、私の個人的な考えではアセスメントツールとして有効なICFと、政策論として、非常に有効な人権モデルがあるのかなと思います。
後ほど家平さんの話にも関わってくる診断の話、手帳の話にも関わってくると思います。
立体的なディスカッションを期待したいと思います。
ありがとうございました。
次に、村井さんからお話をいただきたいと思います。
村井さん、ご登壇をお願いします。
村井さんにはリハビリテーション医療と作業療法、臨床現場での実際ということで、パワポでのプレゼンテーションをお願いしています。
よろしくお願いいたします。
村井/私は臨床家なので、作業療法の実態についてお話ししたいと思います。
また、日本作業療法士協会が推進している、ICFにおけるアセスメントについても、重要であるという観点から、そのことについてもご紹介させていただきたいと思います。
私は主に県の保健所で働いている期間が長く、地域をやってきた経験が長い。なおかつ、県庁や厚生労働省でも勤務し、行政の期間が多く、医療に関わっている期間はトータル20年余りです。
平成16年に国が高齢者リハビリテーション研究会を作り、その中の報告に、リハビリテーションの理念を整理しています。
その中で、リハビリテーションは単なる機能回復訓練ではない、といったことが述べられていますが、それを受けて、平成27年には、心身機能だけではだめで、その人らしい生活を行うためには、これらを段階的に通して対象者の生活機能を総合的にあげていくことが大事と示されています。
これが今、リハビリテーション医療の中心的な考え方になっています。
ここで、私は臨床現場の話を少しします。
今地域包括ケアという概念が示され、対象の方がどんな生活や暮らしを望んでいるかに焦点をあて推進していこう、ということが提唱されています。先ほど、できる、という話が出ましたが、私ができること、役に立つことをどんどん推進しようと世の中が動いていると思います。
その中で作業療法は元々その考えのもと、医師の指示に基づいて提供される治療法の1つです。
作業療法のミッションは精神や障害のある方に対して、応用的動作能力、社会適応能力の回復をするのだという役割をいただいています。
応用的動作能力、社会適応能力ってどんなもの? と長い間議論されてきました。
例示しましたが、生活していく能力、料理、買い物、洗濯、トイレ、お風呂に入るなど、応用的動作能力と私たちはとらえています。
もう1つのミッションです。
社会適応能力を高めるという役割があります。
その中の大きな役割が、対人機能、人とのコミュニケーションを獲得しながら自分のこと、社会と適応していく練習をするのが役割となっています。
また、仕事に行く能力も一緒に考え、開発するという役割を担っているところです。
そういう意味で、私たちは、ADL、LADL、仕事、社会参加に対して本当はきちんとアプローチしなければならない職種だと思います。
実際の場面ではこのように福祉用具なども使い、できるだけ本人が安楽な生活をどうしたら活動が高められるかアプローチしています。
ここでICFを活用した対象者の強み、弱みを理解してリハビリテーションニーズを明らかにしようと、協会を挙げて研修したりしながら進めています。元々、ICFについては、疾病と障害は共通概念ではないということが示されています。
健康状態、生活機能と言われる、心身機能、身体構造、活動と参加、環境因子、個人因子が相互に関わり合い、影響しながら生活をしていくと示されています。
1つは強み、状態、残っている能力があるということですが、もう1つ、ネガティブなところとして障害があります。
この方の状態像をとらえるとき、ICFのアセスメントは、リハビリテーションのニーズをつかむときにとても使いやすいツールだと言われています。
これが計画を作るときの考え方です。
もう1つは医師の診断によって障害される生活機能、心身機能が見えてきます。しかし、すべての機能が障害されるわけではなく、いいところの機能も残っています。
これらを総合的に勘案して、この人の能力がどれぐらいあるかを評価しましょうということをOT協会では今推奨しています。
実際の作業療法の場面です。
それらを元にいろんな練習場面を提供しながら、そこから自分がしたい生活をするためにはどういうことをしたらいいかチョイスするという支援を推進しています。
自分が望む生活をしていくためにどんな練習をしたらいいか、チョイスし私の計画を作ってもらうということを進めています。
この中に、僕たちは確かにどこかに障害があるかもしれないけれども、もっといいところもいっぱいあるんだと精神の障害者の方々から教えていただきました。
障害ばかり見るのではなくいいところを見てくれよ、そのことで僕たちらしい生活ができると言われ、このように強み弱みの両方をとらえましょうと言われたことが、ICFのアセスメントの必要性を感じたきっかけになっています。
その中で、私の病院では、年に1回、自分たちのリカバリー体験を語ろうという機会を持っています。
「僕らが語る 精神障害って何」、という皆さんがつけてくれた名前です。
自分たちがどういうふうにして自分の障害をとらえ、社会に働きかけ、どういうふうなことをしているか発表してもらっています。
それを聞いた方々のアンケートです。
この取り組みを通して、当事者から仕事をするときに精神障害のことをどのように上司や同僚に理解してもらうかが大切とか、また、仕事を始めるにあたり、自分の病気をオープンにするか、クローズにするかは就労のときにすごく悩むなど、当事者たちの語りを聞くことで当事者たちからはものすごく勉強になったとの意見が聞かれています。当事者にいろんな経験を語ってもらうことで、当事者同士の体験を交流するのが重要なんだと学ばせてもらいました。
お医者さんたちは、普段の診療では聞けないような意見を聞くことができて有意義だった。当事者の悩みや思いを率直に聞ける機会が大事だと先生たちから聞こえるようになってきた。
もう1つ、住民の方々にもその場には来てもらいました。
いろいろな方に通知を出してぜひ聞きに来てねと来てもらいました。
その結果、住民の方々からは、精神障害のある方が、自分の障害と向き合い、社会参加に向けてさまざまに取り組んでいく話を聞いて、本当に応援したくなった。
本人たちの取り組み話を聞いて、精神障害の理解が深まったという声も聞かれました。
また精神病ってよくわからないと思っていたけれどそうじゃないんだねということを感じたという意見もたくさんいただいています。
当事者たちの語りを通して、相互に理解していくことも大事だと、ものすごく学ばせていただきました。
私も精神科に勤務することになったのは今から15年前です。
よくわからないと思っていました。
皆さまの当事者の声を聴きながら教科書で聴かれていないことも聴かせていただき、さまざまな学会で発表したりしています。
当事者の方の声を聴くことはすごく重要だと感じています。
最後です。
社会的地域で生きていくときには、ニーズに対応できるようにさまざまな職種が支えていくことは大事だと思います。
社会的リハビリテーションにあたる部分ですが、かかりつけ医の先生や市町村、地域包括支援センター、民生委員、ボランティア、介護サービスを提供する事業所、相談を受けてくれる相談員の方々、そういう方たちが、互いの能力の限界を知りながら限界を知っているからこそつながろうと思うことです。
限界を知りながら、持っている知恵と力を合わせないとこの制度を乗り越えられなかったりするので、知恵を合わせていくのが大事だと思っています。
ご清聴ありがとうございました。
栗原/時間どおりにありがとうございます。
私からは2点ほど。
ICFについてより詳細に、弱み強みのことについてもお話しいただきました。
来年から就労選択支援という新しい制度が始まります。
それに向けてアセスメントツールを作られていて、ツール自身はかなりよく検討されていると思います。
当事者と一緒に取り組むとか、それから本人の強み。
かつて、できないことばかりがクローズアップされた、それを言われていたということもありました。
今回良いツールができているが、問題はそれを現場で本当にうまく活用できるか。
アセスメントのもつ側面(藤原さんが言われたようなこと)を現場でもしっかり把握していくことがいるかな、そんなことを聴いていて思ったのと、今日の報告をいろんな人に聞いてもらいたいと思ったのはまさにリカバリーのところで、住民の方々が精神障害について理解が深まったということがありました。
施設コンフリクトについて、20年前ですか、自分が直接精神障害の施設につとめていたわけではないのですが、大阪府の箕面市で関連する施設が移転しようとしてすさまじい施設コンフリクトが起きました。
最近もまた施設コンフリクトが起きていますが、中身が変わってきたと思うのは住民説明会を見ていると、配慮という名の排除が起きているんですね。
露骨な差別的発言は減ってきていますが、障害のある人のことを考えるといった発言の中で、実際には排除の方向に向かっている声もあります。
どうしていったらいいのだろうというときに、こんなふうに住民に当事者の声が届けられる仕組みを知って、思わずパワポの写真を撮りたくなったくらいです。
まだまだやれることがたくさんあると感じました。
互いの能力の限界を認識しつつ知恵と力を合わせるというのは、立場性の違いを含めていえば当事者と専門職がどう力を合わせるかということだと思います。
お待たせしました3人目、藤原さん、お願いします。
藤原さんは抄録集の33ページ。
障害のある女性の困難ということでお話をいただきます。
藤原/DPI女性障害者ネットワーク、長いので女性ネットと略していますが代表の藤原久美子です。
女性ネットは、午前中お話がありました優生保護法では、強制不妊手術の被害者の7割が女性だった、施設に入るためとか障害女性の自立のためには手のかからない障害者にならないといけないということで、子宮摘出を自ら申し出る、そういうこともあったと聞いています。
障害女性の性と生殖の権利を否定してきた優生保護法という法律そのものの撤廃と自立の促進やエンパワメントを目指して、1986年に設立されました。
権利条約第6条に障害のある女性と少女の権利について、独立した条文があります。
これは世界中の障害女性たちが、強い働きかけをしてできた条文で、こうした複合的・交差的視点は他の条約にはないものです。
そして、今も女性差別撤廃条約など、そういった他の条約にも大きな影響を与えています。
複合的、交差的差別と言っても、なかなかわかりにくいものなので、私たちは切り離して考えず、全てを複合差別と総称しています。
これは女性であり障害者であること、つまり、性差別と障害者差別の両方を受けることで、それらが複雑に絡み合って、困難な状況に置かれることを言います。
障害者福祉と女性の支援、そういった制度からも谷間に埋もれ落ちてしまうため、見えにくく可視化されず、そのため救済されにくい。
例えばDV防止の法律がありますが、でもそこにDVを受けている障害女性がたどり着こうとしても、電話と相談窓口、対面しかない。それでは聴覚障害の女性はアクセスすらできない。相談になんとかたどり着いても、あなたは障害者だからそっちに行ってと、障害者福祉の窓口に回される。
でも、障害者福祉の窓口では、今度はジェンダー視点というか、DVの知識がなく、なかなか適切な支援が受けられず、DVを受けている家族の基に帰らざるをえなくなる。こうして制度の谷間に埋もれ落ちてしまい、救済もされず可視化されない、ということが実際にあります。
それらを可視化するために、今日も書籍販売に置いていますが、こういった報告書を発行しました。これは今年になってリニューアルしたものです。
女性ネットは2011年にアンケート調査をしました。
これは昨日の話で出た、国民生活基礎調査とか、そういうものでは取れない、もやもやした、障害のある女性の複合差別が明らかにされた、まれな調査です。
絶対、国のデータとかでは出てこない話があります。
今年発行した報告書では、新たに調査をしたわけではなく、2011年の調査を再録し、さらにその調査報告書が出てから10年間の私たちの活動をコラム等にまとめて掲載しています。
また後でみてください。
この調査で分かったのは、障害のある女性の就労率や収入の低さです。
障害のある男性と比べても半分、女性全体と比べても3分の1とかの状況です。
しかも介助を受ける側であるという弱い立場にある。
例えば家族とか施設の中で、閉じられた世界の中で介助を受ける。義理の兄から介助を受ける中で性被害に遭ったというようなことも載っています。
生きにくさを尋ねる調査だったのですが、回答者の約35%が、何かしらの性被害を受けたと答えました。
ここから、私自身について話します。私は、30代半ばで視覚障害者になりました。
それまで一人暮らしでしたが、いったん実家に帰りました。
すると、家族が急に何もさせてくれなくなりました。
それまでは女性は家事ができないとだめだといって、私は家事全般をこなしていましたが、障害者になると一切させてくれなくなった。
このままではいけないと思い、大阪のライトハウスに訓練に行きました。
ただ、そこの施設の名前が、障害者更生施設となっていることにドキッとしました。
更生ということばは、少年院とか、非行少年が更生される。つまり、このままでは社会のアウトローなんだよといわれているような気がして、私は更生されなくてはいけないのだと、ひしひしと感じました。
家族と切り離されて、自分だけ別世界、それも落ちていった感じでした。そんなメッセージを受け取りました。
そしてライトハウスでは、男性たちは就労訓練、職場復帰するため頑張っていました。
女性たちは就労もですが、生活訓練を頑張っていたんですね。
料理や洗濯とか、どうやったら目が見えにくくてもできるかなという訓練をしていました。
さらに、弱視女性は全盲男性のお世話をするというのが、そのとき構図としてありました。
そのときはあまり意識していなかったですが、これも複合差別だったなと思いますが、甲斐甲斐しく女性たちはやっていました。
弱視女性だった私も、そのときは、それまで家族が何もさせてくれなくなってたので、嬉しかったんですね。
私もまだまだ役に立つこと、できることがあるんだと、甲斐甲斐しくやっていました。
そのときの歩行訓練士の方が言われていたのは、例えば夫婦がいて、夫の側が視覚障害になったら、妻がかいがいしく介助するんだけれども女性が視覚障害になったら昔は三行半だったんだと聞きました。
つまり、女性にはケア役割があるので、目が見えなくなるとそれができなくなる。
それだと妻の役割は果たせない、ということです。
そこまで露骨なことは、今はないかもしれないけれども、でも、実際に結婚したいというとき、相手の男性側の親から反対されるということは、女性障害者は割と経験しています。
例えば自分の息子の世話を自分の代わりにできる人じゃないと結婚させられない、と言われると聞きました。
そんなこともあとになって複合差別だと知ったのですが、当時の私は、女性だから仕方ないのかな、と思っていました。
それから私は、就職もしたかった。
中途障害者にとって本当の社会復帰は、就労することが一番だと、そのときはそう考えていました。
そしてライトハウスでピアカウンセラーという仕事があると、知りました。
ピアカウンセリング、略してピアカンを学ぶために、今私が働いている神戸Beすけっと(びすけっと)に関わりました。
ピアカンは障害者しかできないんですよ。
障害者のピアカウンセラーは障害者。
せっかく障害者になったんだし障害者にしかできない仕事をやろうと思いました。
一番驚いたのは、「障害のあるあなたが素敵なんだよ」と言われたことです。
それまでは障害があるのにすごいね、とか、あなたって障害者に見えないよね、というのがほめ言葉みたいに思っていたところがあるんだけど、障害のある私が素敵なんだってどういうことなんだろう。
弱視の見え方は世界に1つしかない見え方らしいですね。
すごくユニークな、そして、視覚障害に限らず、みなさんそれぞれ障害者はユニークな心身を持っている。
唯一の、その目で社会を見ているということですね。
でも、社会の側がそこに追いついていない。
まさに社会モデル的な考え方ですね。
そういうものを最初学んで衝撃を受けました。
ピアカンについては後でもし機会があれば話します。
それからBeすけっとに就職したんですが、すぐに妊娠が分かりました。
当時40歳だったんですね。
私はすごく産みたいと思いましたが、医者と親族から中絶を勧められました。
障害児が生まれるリスクが高い。
高齢出産だし、病気もあるし。
そして、視覚障害が母親にあったら子どもを育てられないでしょ、あなたが苦労するんだから。
まさにあなたのためということで中絶を勧められました。
いくらピアカンをやっていてもそのときは悲しかったですね。
全否定をされた感じです。そしておなかの子どもも、障害者の私のおなかにいるというだけで、まだどんな子かもわからないのに、生まれてくることを否定されてしまったということで本当に悲しかった。でも、それが障害女性の複合差別だと後になって、女性ネットと出会って知ることになりました。
それから複合差別解消に向けて取り組んでいます。
障害女性の事例もレジメに少しですが載せました。
読んでいただければと思います。
私からは以上です。
栗原/藤原さんからもご自身の体験も含めてお話いただきました。
黄色い本、昨日のお話でも、量的調査で、なかなか、障害の有無による格差が浮き彫りになって来ないといった課題が報告されていました。
一方で、質的調査の代表例のような聞き取りの中で、差別実態がお話からも出てきたと思います。
もう一つ、私も知らなくて無知を恥じていますが、かつて男性は就労訓練、女性はそれに+生活訓練であったというお話がありました。今はそうした制度は改められているにしても、意識・文化・生活・就労実態の面では、複合的差別は続いていると思います。
このことは、午前中にあった、優生保護法がなくなっても優生思想が残るということに近いと感じていますし、自分自身でも問い直しをしなければと思いました。
登壇者最後に家平さん、お願いします。
家平さんのお話は「権利条約や総括所見を活かした社会変革を! 」というテーマです。
家平/障全協の団体で事務局長をやっています。
私の紹介ですが、15歳の時に首の骨を折って頸髄損傷になりました。4、5番で全麻痺となっています。多少腕は動くのですが、全面的な介助を受けて生活しています。今52歳です。
30年前になりますが、リハビリの専門病院には1年8ヶ月入院していました。当時はすぐに退院できなかったので、在宅に戻るまでそれくらいの期間かかりました。
自分の障害になった原因はプールの飛び込みです。授業中ではなく、ちょっと悪さをしてまして、暑い中、小学校のプールに友達と飛び込んで、みんなには底が低かったんじゃないかと言われましたが、とにかく頭を打って怪我をしました。
障害になったのも自分のせいで仕方がないと思っていました。重い障害を持って絶望し、この先生きていても仕方ないのではと思うこともあって、障害と向き合うまでには長い月日がかかりました。
中学校の卒業前だったので、その後退院してからは、養護学校、今でいう特別支援学校に通いました。
その後、障害者の福祉作業所で働いたりしましたが、最初は嫌々行っていたのですが、それでも社会に参加することを続けたことで、だんだんと自分の障害と向き合えるようになったと思います。
高校を卒業したあとは、やっぱり働きたいとか、障害があっても自分のできることを頑張ろうという前向きな気持ちになり、社会参加をどんどんしていこうと思いました。
ですがそこに壁があって、自分が障害と向き合おうと思っても、社会が受け入れてくれないということが何度かありました。
一般就職で働いてみたいと思い、障害者の職業訓練学校に行こうとしましたが、「身の回りのことが自分でできないと入れません」と言われました。
また、家の近くの駅にはエレベーターがないので「隣の駅に行ってください」と言われたこともあり、自分には障害があるから仕方がないといつもあきらめていました。
しかし、障害者運動に参加する中で、例えば先ほどからいわれているICFを学ぶにつれて、障害というのは自己責任ではなく社会の側が変わることが必要だと思うようになりました。
身体的な障害が治らないということは理解して受け止めても、障害を持ちながら、障害のない人と同じように生きることが難しいのが現実でした。社会には障壁があって、制度にしろ、バリアフリーにしろ、社会の側が受け入れないから、社会参加ができないのだと実感しました。それを変えることが、運動を通じてできると知って、初めて、障害者でも普通に暮らせるんだと思ったんですね。
私が何十年も前に受けたリハビリでは、機能訓練をどうするかということをやりましたが、アメリカで私と同じような障害を持つ人がリハビリを受けたとき、「障害があっても夢をあきらめることはない、障害があってやり方は変わるかもしれないけれど、そのやり方を見つけていく、それを支援するのが総合リハビリなんですよ」と言われた、ということを本で読みました。本来、リハビリはそうあるべきではないかと思うんです。
それを阻んでいるものは何かということを、最初に発言したいと思います。
私と同じように地域で生活している男性で、重度訪問介護で24時間ヘルパーサービスを受けている筋萎縮症の障害のある人がいます。私は肩や手は多少動きますが、その人は指先ぐらいしか動かせなくて、スマホの操作はかろうじてできますが、その他身の回りのことはまったくできないので、ヘルパーさんが24時間付き添い自立生活をしています。
その人から相談があって話を聞いたのですが、彼はアメリカへの留学経験があり、英語が話せるので、地域の子どもたちなどに英語を教えることを自営業的にやっているとのことです。でも30歳になるので、いろんな夢を持って一般就労で働きたいとのことでした。ですが、現在、利用している重度訪問介護による24時間ヘルパーについては、現状のボラティア的な活動は認めるものの、本格的に仕事をしたり就職するとなれば、このヘルパー制度は使えない(働いている時間はヘルパー利用ができない)と言われているそうです。
みなさんもご存じだと思いますが、日本の重度訪問介護は、海外でいうパーソナルアシスタント制度に近いものだと言われており、家(居宅内)だけではなく、外出時や旅行先など、いろんな社会参加に使えるはずです。しかし、日本のヘルパー制度には、「通勤、営業活動等の経済活動に係る外出、通年かつ長期にわたる外出及び社会通念上適当でない外出」は除くという規定があり、それゆえに私たちみたいな身辺自立ができない、全介助が必要な者は、たとえ仕事をする能力や技能があったとしても、身の回りの介助をしてくれるヘルパーさんがいないので働きたくても働けないのです。
これは明らかに人権を無視した制度の不備であり、私たち障害者が我慢する問題ではなく、社会全体が変わらなければならない問題です。
最近では、こうした制度の不備を突破しようと、福祉と雇用の連携施策として、市町村自治体が実施する地域生活支援事業の中で、一部使えるようになり、少しずつ改善されてきています。
しかし、まだ3%ぐらいの自治体しか就労時のヘルパー利用事業をやっていないことから、利用できる人はごく一部に限られています。
もう1つ、補装具の問題があります。
先ほどお話しした方は、私と同じく電動車いすを使っていますが、彼は指先しか動かないため、姿勢を変えるためにリクライニングができる電動車いすに乗っています。障害も重度化してきたので、新しい電動車いすには、座面ごと倒れられるチルト機能や足を上下させられるエレベーション機能、また、より姿勢を細かく調整できる機能、そして、机の高さや目線の高さも調整できるリフト機能の付いたものが欲しいと思っています。しかし、それらの機能が付いた電動車いすを申請したところ「それは必要ないです」と判定所(東京都の更生相談所)に言われ、いまだに認められていません。「24時間ヘルパーサービスを利用しているから、姿勢を変えるのもやってもらえるでしょう」というのが大きな理由です。
そもそも補装具は、「身体障害者等の失われた身体機能を補完・代替するものとして、日常生活において、又は就労若しくは就学のために必要不可欠なもの」と定義されています。ヘルパーがいたらやってもらえる場合もありますが、24時間のうちには買い物に行ってもらうなど離れる時間もありますし、そもそも姿勢など自分で細かく変えたい場合もあり、重度な障害があるほど楽な姿勢、快適な姿勢を見つけることに大きな意味があります。しかし、こういうことでさえ簡単には認められず、ハードルがあります。
また、リフト機能について言えば、贅沢品だとして認められないケースが、全国でもたくさんあり、私たちの仲間からも多くの改善要求が出されており、この不当ともいうべき、制度や行政の高いハードル「壁」を変えていく必要があるのです。
権利条約では、先ほどの職場支援についても、「職場でより多くの支援を必要とする人については、個別の支援を制限なく使えるようにすること」という勧告が出されていたり、補装具についても、「必要な機器を可能な負担で利用ができるよう」にとされています。権利条約を実現していくというのは、こうした制度的制限や制約をなくしていくことが大事です。
そうした社会変革をしていくために、総合リハの役割への期待としては、医療関係者や、生活を支えているヘルパーや生活支援員など、いろんな人が関わりながら、どんな障害があっても、その人が障害のない人と同等の自立ができる、そのために必要なものは、しっかりと給付する判定がされるようにならなければなりません。制度をできるだけ使わせないための自立ではなく、支援を通して自立していく、そのための制度やサービスであり、それぞれの専門職が、必要なものだと国や行政に認めさせていくことが大事だと思います。
サービスや制度を使うときに、身体機能にこういう障害があってという医学的な判断は当然必要だと思います。しかし、私たち障害者団体が医学モデルだと批判するのは、日本の非常に狭い障害の基準を適用して制度やサービスを使えないようにしている現状に問題があるからです。医療や福祉現場の人たちが当事者の意見をしっかりと聞いて、障害という社会的障壁をなくしていくことが必要です。それが社会モデルや人権モデルではないでしょうか。
障害当事者と専門職が一緒になって自分の自立を支えるということが、どうあるべきかを考えながら、制度的にも保障させていくことが大事だということをまずは問題提起して一回目の発言にしたいと思います。ありがとうございます。
栗原/4人目で家平さんにご発言いただきました。
家平さんからは、シンポ全体に関わるような、総括所見をどう活かしていくかというお話をいただきました。
1つは福祉と労働の谷間という言い方もよくしますが現実に介助の必要な重度といわれる障害者の人が一般就労が困難なことの原因の1つにヘルパーを使えないということが決定的なこととしてあるとずっといわれていて、新たな制度はできたが、活用しているのは自治体の3~5%くらいしかない。
自治体としては必須ではなく任意の事業なので、ここに運動、働きかけが重要かなと感じました。
もう一つ、医学モデルについてより詳細におっしゃっていただいたように、実際に自分たちの生活実態に合わせて判定がされればというあたりで、この点は、高岡さんから何かおっしゃっていただけると思います。
そうした期待を込めてこれで前半を終えて、10分ほど休憩して30分から始めたいと思います。
いったん休憩ということでよろしくお願いします。
(休憩)
佐藤/後半の進行は、私佐藤が、担当します。
進め方なんですけれども私から、お題をいくつか用意しています。
登壇者の皆さんにお話をしていただいて、一巡したところで会場からご意見や質問を受ける時間を15分くらいとれると思います。
ぜひ皆さん、率直にお話しください。
先ほど高岡さんから医療モデルの否定に傷つくという話があって、そうなんだなって、確かにそれはそうなんだろうなと思いました。
率直に、条約とか総括所見のここが理解できないなとか、ここはどうなのかな、というところもありましたらぜひご発言をお願いしたいと思います。
その後もう一度登壇者の4人の方に、障害当事者と専門職が連帯して社会環境を変えていくという話をいただくが、シンポジスト同士でやりとりをしていただいたりも構いませんのでそういう流れで進めていきます。
最初にお題1。
リハ関係の高岡さんと村井さんにお話しいただきます。
総括所見をどのように受け止めたか、違和感を感じるところはどんなところですか、それをそれぞれ10分程度でお話しいただきたいと思います。
チーンと鳴らした方がいいですか。
ならさなくてもいいですよね。
気楽にお話しください。
佐藤/先ほどの15分の発表は、あれでも多少、きっちりした形で話そうと思って話しました。
この場はさらに率直に話をしていいということですので、そうさせていただきます。
まず3人の方々のお話を聞いてということも含めて話します。
最初に村井さんの話は同じ医療職として実にそうだなと思ったのは、アセスメント評価の重要性は、我々にとってはその通りだと思ったということです。ただコメントもいただきましたが、決してできないことを見つけようとはしていない。苦手なところ、いいところをある意味、同じように評価していくことが大事だなと思っています。
私は日常では、高次脳機能障害の方を診ていることが非常に多いです。特に高次脳機能障害の人ですとご自分の状態をわかって生活される方とそうじゃない方だとその後の社会生活、生活のしやすさが違ってくるので、(障害の)認識は、ある程度していただいた方がいいなと対応していると思うことがあります。
藤原さんからは、ライトハウスに入られたという話で、更生施設のお話でした。思われた更生(コウセイ)の字はいろいろありますね。厚生労働省、校正もありますし、更に正しくの更正もありますよね。更生施設のコウセイは更に生きるという文字なので、英語だとリハビリテーションということになります。リハビリテーションを行う施設ですというのが更生施設だったのです。そう考えると、私は更生相談所すなわちリハビリテーション相談所だったのですが、その更生相談所で働いていたということで、話が家平さんの話につながっていきます。
更生相談所というのは、補装具の判定をするところで、判定という言葉もよくないなという気持ちがします。補装具などを支給していいかどうか最終的に決定する行政機関になっています。
診断書を書いたりするのは悪の片棒を担いだりするという話をしましたが、更生相談所は悪の根源になりますよね。しょうがないと思うところもあります。ただ仕事なのでお許し下さい。
違和感というかどう思うかというところにあげたのは、第20条の移動について。私もどうかなと思っていました。今の医療の立場と、もともとの行政の立場がなかなか難しい立ち位置で、私の中でコンフリクトをおこしています。
電動車いすを支給するかどうかでもなかなか厳しい要件があるのではないかと思います。電動車いすは、自分では手動の車いすをこげません、などという要件です。それ以外にもどこに行くか、どれくらい行くのかなどを聞いたりします。週1回行くだけではだめなのかとか、時々行きたいときに行くだけでは電動車いすは支給されないのか。これはなかなか難しい問題があります。
今医療の立場というか、担当医の立場でいえば、電動車いすがあれば動けるんだから、動くことを補償しましょう、当然ですと思いつつ、行政の判定の立場だと、私がお金を出さないのでいいんですが、行政の限定された予算を考えると、青天井では出せないという狭間があることは、現実、こうしたいなと一医師として思うのとはうらはらに、難しいところがあると思います。
全く話は変わります。
教育の点では、我々は早期発見、早期療育と、我々のセンターでも行っています。例えば脳性まひや発達障害のお子さんなど、できる限り早く見つけて、療育を受け、トレーニングをやったりします。たぶん、それそのものが悪いことだとは思わないのですが、そこがスタートとなって、分離教育になりがちになるとしたら、どうすればいいのかということがちょっと思うところです。
先ほど私の症例、ケースで一般就労をしたのは、彼にとってはよかったと思います。しかし、けっして我々は一般就労だけがベストだとは思っていません。その方にとっての生活のしやすさや生き方もあります。地域でどのような資源で生活していただくのかは、個別だなと思っています。それを前提として、一般就労するときにこれは会社側に配慮を求めなければならない方も多いです。その会社に就労するときに、どこまで事前に話をしたらいいのかは、一臨床医としては日々困るところです。当然合理的配慮を含めて、会社側には求めなければならないのですが、求めすぎると雇ってもらえないのではと、そのあたりが、私自身が配慮などを気にしなければいけないところがあります。
このあたりで10分経ちましたか? 以上とします。
佐藤/ありがとうございました。悪の片棒をかつぐって、2回目に出てきました。なかなかいろんな思いを持たれていると思いました。
私は更生相談所に、最近は全く悪い印象はありません。
実は私はよく褥瘡を作りまして、手が動くので、手動車いすにのっています。
横になって除圧をしないと褥瘡が悪くなります。
出先で横になるのは難しい。
するとリクライニングでフラットになる電動にのれば、出先でも横になれるので、その電動ならば外に出られます。
それを何とか出してほしいと東京にきてから言って、大変お世話になって、出してくださいました。
それを利用することであなたはもっと社会に出て行っていろんな活動を続けられる、だから頑張って出しましょうと言ってくれて、出してもらったので、私はそこから更生相談所が好きになっています。
よろしくお願いいたします。続いて村井さん。
村井/ありがとうございます。総括所見について、お恥ずかしい話ですが、たぶんリハ職の方はこのことを知らないのではないかと思います。先生、お医者さんは知っていますか?
医療従事者が知っていない、情報が行っていないことで理解する手前でつまづくことがあるかと思います。
今回の機会で私は読ませていただきました。
難しい文章で、理解するには、もっと書いてほしいと思って読ませていただきました。
医学モデルは、身体機能を評価するところがメインになっていますが、更生相談所の中でも、先ほど出ていました。生活にこれが必要だという視点がない。
いろんな手帳や診断書を見ると、これは昭和二十何年かに作られたものですよね。
古いものらしくて、時代とともに評価表も変えていかなければいけないところが止まったままになってるのも、これを阻害する要因だと思います。
リハビリテーションもそうですが、時代とともに社会も構造も変わります。
バリアフリーが進んだり、さまざまな動きがある中、行政の中で書類系が遅れる傾向があるのは、否めません。そこをどうしていくのかというテーマもあると思います。
例えば笑える話では、私たちは医療機関なので、〇〇厚生局の人たちがきて、年に何回かやってきて、カルテのチェックがあります。
チェックする項目がルーティンであると、現状にあっていないことがあって、時折、言い合いになります。
時代に合わせて質問する内容を変えて行ってもらわないとワンパターンでは困るということがあります。
その結果、ちょっと変わったということがございました。
変だと思うことは、誰かが言っていかないと変わらないと思っています。
そういう意味では総括所見の中で比較的きっと医学的なことのすべてに関与してきて身体機能しかみていないじゃないかという疑問符になると読んでいます。
ただ、いいなと思ったのは地域に居住する障害者を支援すると書かれているんです、
今、地域に居住する障害者のリハビリテーションがちゃんとあるか質問されたときに、それないですよね。
地域のリハビリテーションと言われていますが、中味はやはり通所リハとか介護保険リハに偏っています。地域生活で長く生活をしていくと皆さんも感じていると思いますが、車いすが成長につれて合わなくなってきたとか生活スタイルに合わなくなってきたときに、相談するのにどこに行くのか、窓口をどうするか、気づいた主治医の先生が伝えてくれる仕組みになっているのか。
そこは分断されているのではないかと思っています。
そういう意味では地域に居住する障害者を助けるため支援をタイムリーに受けていく仕組みが不足していると思っています。
地域で生活する障害者が生活はもちろん補装具を含め、地域での相談をどうしていくかがテーマだと思っています。
ない知恵を絞っても仕方がないので、誰か助けてというのが一番いいのです。専門職も患者さんが病院を退院したら知りませんではなく、生活しているとき、困ったときにどうしたらいいかという、ネットワークを作っていくのも私たち専門職の仕事なんだと実感させていただいているところです。
もう一つ、人権モデルについてはこういうことも学生時代には学んで出てきているが、いつの間にか日々の業務に追われて忘れ去られてしまうのが大きな問題で、誰のために何の仕事をしているのかわからなくなり、仕事のために仕事をしているとこの辺の課題がみえなくなってしまう。
若い子たちには常時、当事者の方々の声を聞けと言っています。
これ以外に改善策はないのではないか。
これが一番基本のキになると思っています。
「当事者に教えてもらいなさい。」
あなた自身が障害を体験することはできないのだから教えてもらって一緒に考える姿勢が大事ということを根付かせていかないといけないと思ってます。
日本と他の国の違いもあります。
作業療法士は日本では医療、他の国では福祉の領域で活躍しています。
障害のある人が困ったと福祉の窓口に相談に来たら、すぐに訪問して住宅改修をしたりしています。
日本だけが医療の仕組みに入れられて報酬の仕組みで働いています。
佐藤/次は藤原さんと家平さんですがお題の2つ目。
障害当事者からリハ関係者に知ってほしいことです。
藤原/社会福祉は勉強していないので本当に皆さんからしたら、とんちんかんな話をしているかもと思いながらですが、優生保護法以降なのか、特に根付いたいろんな優生思想の中で障害者が普段受けている抑圧、ちょっとした言葉の中にもそういったメッセージを受け取っている。
さらには固定的な性別役割が強い日本社会で、障害女性はケア役割ができないだろうとその性を尊重されず、パワーレスな状態に置かれる。保護されるだけの存在として留め置かれているというお話をさせていただきました。
特に知っていただきたいというのは、総括所見のこと、みんな知らないよねというのと同じなんですが。障害者の本当の生活を知らないんだろうなということが一番大きいです。
調査報告書にもあるが医療関係者からの言葉にすごい傷つく。
私も中絶を言われたように他にもそんな体でどうやって産むのと医者からいわれたとか。
そんなことばに傷ついているという話も結構多かったんですよ。
私がよく中絶勧められた話をしますが、元助産師だったという方から、「それを差別だと言われたら困るんです」と言われた。
私たちは障害児を産んだ母親が、どんなにパニクるかを知ってるから、なんとかそれをさせないためにどうしたらいいのかを一所懸命考えてやっているんだ、と言われました。
でも助産師は、障害児を産んだときのパニクった状態しか知らないんですよね。
その後、その家族が、障害児を育てながら、もしかしたらものすごく心豊かな人生を送っているかもしれません。
だけど、その悲劇的な部分しか見ずに言ってるところもあるのかなと感じました。
私はさっきピアカンの話をしました。
ピアカンの中で、私たちの権利というのを学ぶのですが、
そこに「危険を冒す権利」というものがあることに、驚きました。
私も歩行訓練や料理をするにしろ、ケガをしないように、安全にと、とにかく安全第一に考えてきました。
でも私たちには危険を冒す権利があると知ったんです。
安全にということで、どうしても保護されてしまうことがありますね。
あとは間違っていい権利。これも本当は障害がないときでも、間違いますよね。
でもそこで「間違えた」で完結することが、障害者が間違えると、けっこう周りに影響を与えることも多々あります。
それもあってか、周りもなんとか間違えないように先に手を打つということで、本人にはさせないでこちらでやろうとなります。
後は1度決めたことを変更していい権利。
これも外出の時間をちょっとずらそうと。
障害のないときなら、自分で決めて、自分で動けばいいです。
障害者だと、駅員に介助を頼んでいるとか、タクシーが何時に迎えに来るとか。当然介助者もですよね。交代がいっぱいあると、周りの人に影響するので、簡単に変更しづらいんです。
一度言ったことを「やっぱり止めます」とは言いにくい。
周りの顔色を見て、自分の意思を伝える傾向にあると思います。こうした権利を自分たちが知っておくこともすごく大事だなと、私自身学びました。
ピアカウンセラーは常に対等です。
先生とか、呼びません。
自立支援もしますが、ピアカウンセリングの中では一切アドバイスはしません。それはその人自身が自分自身で解決する力を持っているから。例えば私にとって良かったことでも、目の前の障害者にとっていいことかどうかはわからない。福祉用具とか、こういうものも使えるよとか情報提供はしますが、答えは出さない、
なぜなら、障害者はこれまでほんとうにいっぱいアドバイスを受けてきたからです。
子どもの頃から、あなたはこっちにしておきなさいねと、選択の幅が示されない。
そもそも情報を知らないので、選べない状況に置かれがちです。
だからピアカンではアドバイスしない。そして、まず自分自身の信頼を回復するのが、1つ目のピアカンの目的です。それまでパワーレスな状況におかれて、自分自身が何もできない、周りの人に決めてもらいたいと、任せてしまうということがあるので、まずは自分自身への信頼を回復すること。
それから障害のない人との新しい人間関係の再構築です。
障害のある人とない人が対等にやること。介助する側、される側は対等なのだと学びます。
それらを達成した上で、社会を変えていく。
そういう大きなピアカンの目的があります。
ピアカンの中では、自分自身を信頼することもですが、相手、目の前にいるクライアントは、今はパワーレスな状態に置かれていても、自分で自分自身を回復する力を持っていると信じて、ピアカンをします。
ある、私の尊敬するピアカウンセラーは、「自分が自立できたのは、○○さんのおかげです、」と言われたら私は終わりだと思っていると言われました。
その人自身が自分の力で自立できたんだと思えないとダメだと。
そういう支援をしなきゃだめなんだと言われて、私は本当にそのとおりだと思いました。
なので、専門職の方には、まず障害者の力を信頼してほしいということです。
以上です。
佐藤/ありがとうございました。
私たちの権利という話が出ました。私もやりました。これは10か条ぐらいあります。
危険を冒す権利、失敗する権利、変更してもいい権利という話がありました。
もう1つ私がすごく聞いて驚いたのは、人の手を使ってやったことを自分がやったといっていいんですよというのがあります。
重度の全身が動かない人が友だちが家に来るときに料理を作ろうとなったときに、介助者に今日はこういう料理を作ってくれと言って作ってもらいますよね。
友だちがそれを食べるときに、「私が作りました」と言っていいというのが、すごく印象的でした。
確かに私たちの自立の考え方の大事な1つのポイントなんですよね。
自分でできることが大事ではなく、自分が決めてそれを介助者の支援を得てやっていく。
自分もそういうのを言われて印象に残っています。
家平さん、お願いします。
家平/先ほど高岡さんが言われましたが、私たちは更生相談所が悪の片棒をかついでいるとは思っていなくて、制度自体がそうさせているという問題が根っこにあると思っています。
例えばわかりやすい例をあげると、私の着けている手の装具があります。この装具は手首を固定し、指先が動かせないことをカバーするために、作業用の棒を着けることで、パソコンを打つことなどができるようになります。
補装具で出してもらっているのですが、この棒については補装具には入らないので実費負担ですと、判定所で言われています。
私は手首を固定するために必要というよりも、社会参加や生活するうえで必要なパソコンを使うなど自分のできることを増やし、持っている能力を発揮するためにこの装具が必要なのです。
しかし、日本の補装具制度は、何を目的に使うのか、という視点にはなっておらず、障害を補うために全体を見て「これが必要ですね」という考え方にはなっていません。手や足の補装具や義足、車いすなどの部品一つ一つを登録し単価や規定を細かく決めて、その基準内のものしか認めないというのが基本になっています。その結果、障害者が生活上どのように必要なのかに着目できない制度になっているのです。なので、例えば、海外の優れた機能をもつ車いすなどは、基準以上は実費負担ですよ、となってしまっています。
そういう制度になっていることのおかしさを、専門職の皆さんとも共有しながら、変えていかないといけないと思います。
ついでに言いますと、私は装具の棒の先っぽにゴムをつけています。ゴムをつけているとキーボードを押すのもマウス操作もやりやすいし、本をめくることなどにも便利です。
最近では、スマートフォンが非常に便利で、これがなかったら社会生活が厳しいぐらいになってきています。しかし、私みたいな手の不自由な障害があると、スマートフォンを操作するのは非常に難しい。でも何とか操作できるようにしたいといろいろ試行錯誤し、タッチペンの先っぽに使われているシリコン製のゴムを見つけました。スマートフォンは、熱感知といって、指とかじゃないと動かないので、普通のゴムをつけても動きません。でもシリコン性のゴムを使うことで、私はスマートフォンを操作できるようになりました。そうした工夫はいろいろしています。
私はリハビリに関わる機会は今はありませんが、こういう生活情報については、専門職の人と交流することによって、他の人にも伝えることができると思います。
障害者運動に参加している仲間には直接伝えられますが、だんだん運動に参加している人も少なくなり、多様化している中で、こうした情報をもっと伝えられたら生かせるんじゃないかなとすごく思います。
障害福祉の制度の中には曖昧なところがあって、それを運動で切り崩してきたところもあります。24時間ヘルパー制度にしても、電動車いすのリフトの問題にしてもそうで、それは佐藤さんが言われたとおりです。佐藤さんのように手に障害のない人は、一般的に電動車いすの利用が認められないのですが、でも利用できているということは、つまりそれを主張できる人や、そのための支援を受けられる人なら、利用できる部分があるということです。
24時間ヘルパー制度についても、市町村によっては全然だめだというところもあれば、交渉していけば支給してもらえるところもある。本来こういう制度おかしいんです。
主張できる障害者が使えて、主張できない障害者、知らない障害者は使えないという制度は、制度自体がおかしいということです。しかし現状の福祉制度にはそういうことが多々あります。
じゃあ主張できない障害者はどうなるのか。権利が同じように守られないのはおかしいです。そういうことを変えていくために、いろんな専門職たちが理解しながらそこをサポートしていくことが必要だと思います。
医療機関の人々やリハビリに従事する人、ケアマネやヘルパーさん、生活支援員なども関わる中で、その人がどうやって行政に訴えられるかという取り組みもしないと、制度は変えていけないし、その人の人権は守られないと、つくづく思います。
そのためのいろんな繋がり、チーム支援を作っていくことがもっとも大事ではないかということを提起したいと思います。
佐藤/ありがとうございました。
とってもスムーズにいき、今、予定より10分早く進んでいます。
なので、ここで会場から質疑と思いましたが、少し時間ができたので、パネリストの間で、そこをもうちょっと聞きたいとか、これはどうなのかとかあれば、やりとりをしていただこうと思います。どうですか、何かありますか。
高岡/よろしいでしょうか。
藤原さん、家平さん、お2人とも、生活を知ってほしい、あるいは、退院というか、地域で生活してから長期にどうなっているかを知ってほしいとお話しされていたと思います。
それは我々、我々って、今ちょっと村井さんも混ぜてしまいました。専門職も実は知りたいんですね。退院したら終わりだよ、というところもなくはないのですが……。
では実際、我々がやったことがどう生かされて、どうなっていくのかというフィードバックがあると、次に生かせると思います。そのところは、ほんとうに知りたいところです。
知ってほしいと思われるところでもあるでしょうが、我々としても知りたいです。その上で、長期的に、いえ長期ではなくてもいいのですが、うちに帰ったら実際はこういう状態だとわかれば、それに応じた、補装具や、その他いろいろな環境の調整などができていくので、その部分はその通りだと思いました。
これは感想に近いですが以上です。
佐藤/ありがとうございます。お二人、コメントはありますか。マイクが右から行きます。
藤原/はい、藤原です。ありがとうございます。
障害者のことを知りたいという方には、よく介助をお勧めしています。その人の生活にほんとうにべったりと入って。
よく役所の方とかと話すときに、1回介助やってみたらわかるよ、というのは、よく言います。
ただ、全ての人ができるわけではないと思います。やはり障害者と一口に言っても、性別も違うし、年齢や、もちろん障害種別によっても違うということで、一人一人障害のない人と同じで、障害者もひとくくりにはできないと理解していただきたいです。
視覚障害者はこうだとか、そのように決めつける形ではなく、本当は一人一人に接していただく。
村井さんも言われたように、まず私たちの声を聞いてほしいです。
総括所見でも特に障害女性とか、知的障害とか、なかなか声を聞いてもらえない人たちの声をきちんと入れる、参画すること。
会議やいろんな場にそういった人たちがなかなか参画できていないのですが、参画すること、つまりそこからきちんと話を聞く場をつくることが重要だと言っていると思います。
今回のようなシンポジウムをやるのもいいのかなと思います。
この企画をしていただいた皆さんに感謝です。
私からは以上です。
佐藤/ありがとうございます。
家平/そうですね、そういう機会があるといいなと思います。
総合リハみたいなチーム支援の枠をどう作るかが大事なことで、今はそれができているところもありますが、ほとんどのところができてないと思います。
それを制度的にどう作っていけばいいでしょうか。
医療のOT、PTの先生など、医学のほうからリハビリの期間に関わってる人たちにチーム支援ができたとしても、在宅に移ったあとに、逆にヘルパーさんや生活を支えているケアマネなどを中心にして、医学の人も一緒に連携できるというのは、あまりないと思います。
総合リハということでいえば、どの段階でも、その人について集まってほしい人たちに呼びかけたら、チームで相談できるようにすることが必要です。そのためには、チーム支援をすることで報酬を得られるなどの仕組みがないと現実的には難しいと思います。
現場で働くヘルパーさんや福祉職員は、日常の支援をまわすだけでいっぱいいっぱいでやっています。医療現場も同じだと思います。
医療と介護と障害と3つの報酬改定がある中、そこに反映させることも考えないといけないと思いました。
村井/耳が痛い話で。確かに地域で生活していると家平さんの話のとおり、相談する先がないんですね。私も実は自分が担当していた患者さんが、隣の福井県に退院していくので、パソコンを打つためには装具が必要であるため、退院後の装具の点検と作成を福井県の病院の方にお願いしたのですが、角度の微妙な調整が、何回説明してもできないんですね。
退院後もボランティアで、福井県に行って調整してきましたが、ずっと行くのも大変なんですね。お隣の県だし旅費も出ませんし、この技術のテクニカルな委譲をどうしていくか課題があると体験の中で学びました。
そういう意味では日本作業療法士協会には、助けてもらった経験があります。実は日本作業療法士協会でも、福祉用具の工夫などいろんなことの相談をする窓口を各都道府県に設けています。
今日いただいた話も、日本作業療法士協会にも話をしたいと思います。
もう一つ介護保険では、ヘルパーさんがリハ職に相談すると加算がとれるというものがあります。
障害保健福祉制度にはこれらの仕組みがない。障害保健福祉制度と介護保険制度の間には溝があるんです。
制度のサービスをそろえていただけるといいだろうと思います。
私たちの団体で言える範囲のことは言わせていただこうと思いますが、次の時にはうちの団体からもリハ職と連携したときには、加算を設けてほしいという話はあげさせてもらおうと思っています。
今日お会いできて嬉しいと思っています。
佐藤/ここで会場からご質問・ご意見ありましたら受けたいと思いますが、いかがでしょうか。
ではお二方から、お願いします。
会場/2つあります。
1つは、総括所見はほとんど知られていないということでしたが、そもそも障害者権利条約が知られていません。
5年ごとに障害者に関する世論調査を内閣府が行っています。一番最初にやったのは2006年で、権利条約が採択された年です。最新のものは2022年で、去年行われています。
この中に、障害者権利条約を知っていますかという質問が入っていて、回答としては、内容も含めて知っている、聞いたことがある(内容は知らないが条約があることは知っている)、知らない、無回答、という形になっています。
聞いたことがあるという割合は大体20数パーセントです。
内容について知っているという割合は、2017年と2022年の調査を比べると、3.4%から2.2%と、逆に減っているようです。信頼性があるかどうかわからないけれど、ほとんどの人は内容を知らないわけです。ましてや、総括所見などは知らないのは当然だということです。
どうしたら障害者権利条約を一般の人たちに内容についても知っていただけるようにできるのか、それぞれの方から意見をいただきたいというのが1点です。
もう1点、総合リハの役割の一環として、社会資源をいかに活用できるようにするかがあると思います。障害当事者の人たちが地域で生活する上で必要な社会資源というものが、ツールや、制度も含めてあると思います。それが足りないときには、それをつくるためのソーシャルアクションが必要です。その役割が専門職にはあるだろうと思うし、それは専門職じゃないとできないと思います。当事者団体、市民社会も含めてソーシャルアクションを進めるという役割は、非常に重要なものがあると思います。
そのあたりをどう考えているか、専門職の皆さんに伺いたいです。
佐藤/2つ質問をいただきました。
どうやったら条約をもっと知ってもらえるか。
2つめは、社会資源をどう活用するか。ないときはソーシャルアクションとして作り出す、その重要性についてでした。
高岡さん、村井さん、お願いします。
高岡/条約が知られていないことについて。
一般の人にというところまで私は広げてしまうとわからないのですが、例えば医療職としてどうかということで言うと、本当に知らない状況があると思っています。
私自身もすごく知ってたかというと、ちょっとこのような場がなければ、実はじっくり読まなかったという可能性が高いかもしれないと反省しています。
例えば私が何かリハ学会などの研修会をやるときには権利条約のことを1~2枚スライドに入れていくぞ、とか、最近はやるようにしています。
また、少し関わっている雑誌などに、権利条約の特集までいかなくてもそのようなコーナーを設けて、少しずつでもやっていけるといいと思います。これは個人的なところです。
もう1つ、社会資源の拡大に関しては、実際は私自身としては、どうすれば新たなものを作り出していけるのかについては、なかなかやり方がわからないというのが、正直なところです。
ただ実際、我々が今まで、今日もこの場に来ているソーシャルワーカーたちとやってきたのは、実際にいる患者さん、利用者さんが、行き場がないというか、利用したいところがないと言い続けながら、今ある施設の利用をすすめていったら、そちらの施設がとても、例えば高次脳機能障害を受け入れてくれる機関になっていったということがあります。
現場で、こういうことに困っていると言うことが、場合によっては行政も動いて良い方向にいくのかなと。それぐらいしか、今、私はお答えができません。
村井/おっしゃるとおりです。書いたものを読むかどうかといっても、私も会報に書いたらどうかなと思ったのですが、書いたものを読むかどうかも難しい。
先生が言うように、何かの場で、スライドを入れながら、こういうことが言われていると例示しながら、話の展開をしていくのが一番耳に入る方法だと思いました。
高岡さん、いいことをされていますね、私もマネをさせてもらうと思っています。
字で書いてても読まないですよね、回覧を回していても読まないので。担当理事に相談をしながら、何かのときに1枚はさめないか、ご相談させていただこうと思います。
ここだけでは、大きくなるかどうかは、なかなか難しい部分もあります。
そこはいろんな方と相談しながら、進めてみたいと思います。
ソーシャルアクションについては、本当に重要だと思っています。一人一人の事例を通して知っていくと、意外と隙間があって、そこをうまく埋めていけたりとか、かなり無理に市町村を動かすことはしています。
いろんな活動の中で、信頼関係が出てくると、意外と融通がきくことを知る必要があります。
専門職は一人一人のケースに向き合いながらそこをアクションするのはあたりまえだと、周知していくことが大事だなと思います。
隙間は言えば通ることがございます。
声をあげたほうがいい。
ぜひ当事者の方から声を出してください。
言われないとわからないので、わからない場合は言えません。
ですのでぜひ言っていただければと思います。
そして一緒にアクションする。
地道ですが、それが大きく世の中を変えていくと思っています。
それがネットワークと言われる良い仕組みだろうと思います。
ぜひ、声をあげていただけたらいいかなと思います。
佐藤/もうお一方会場からお願いします。
会場/貴重なお話をありがとうございました。
私は精神障害者の方が地域で暮らす支援をしています。
今回の国連からの勧告では、結局のところ強制入院や身体拘束とか、病院の中の話ばかりで終わってしまっている感じがします。
精神障害者の地域での実情や、地域でどんな暮らしぶりをしているかという話が、この2日間、出ていなかったと思いますので語らせていただけたらと思います。
私は東京の西多摩地区で活動していますが、ここは精神科の病院が大変多く、世界でも有数と思いますが、社会的入院と言われている方をご家族が受け入れることが難しい一方、一人でアパートを借りて暮らしていくのも難しいです。
その場合、よくある選択肢はグループホームだと思いますが、部屋数が限られていて、一度入ると長いというイメージがありますが、東京には通過型グループホームというのがあります。2、3年グループホームを利用して、その中で掃除、洗濯、ごみ出しを自分で行うようにし、できる人は自炊もし、難しい方は配食サービスを利用しながら、生活します。一番の課題は仕事がないことで、生活保護にならざるをえないです。家賃はなんとかなるが、生活保護の範囲でご飯を食べて、電気、水道、ガスを払って、プラスたばこを吸う方だとご苦労をされるのですが、そういった中で2、3年かけて生活できるようになったあと、アパートを借りて卒業していくという仕組みでやっています。
国連からの今後の総括所見でも勧告があるといいなと思っていますが、精神障害者の方が地域で暮らしていくのにまず困るのは住むところです。生活保護費で単身で借りられるアパートを借りましょうとなったときに、貸してくれるところがないんです。
精神障害者と一口で言っても、病名によって対応が異なり、統合失調症と聞いたとたんに拒絶されてしまい、悔しい思いをしたことがあります。ご理解のある大家さんもいますが、例えば精神障害のある方を受け入れた後に、大家さんがだいぶまいってしまって胃潰瘍で入院してしまい、それで拒絶するようになってしまった例もあるそうです。
ただ、精神障害があっても、作業所に通って真っ当に生きていらっしゃる方もいます。そうした生活の実態を知っていただきたいです。
地域で生活すれば、選択肢が多いし自由度も高いのですが、その中において、リスクを負う権利もあり、その責任も負う。そのように自立した生活の中で、自分も責任を持ってやっていけるようになるのが最終目標だと思ってやっています。
とりまとめのない話で申し訳ありませんが、地域で暮らす精神障害者の話をさせていただきました。ありがとうございます。
佐藤/もうお一方、お願いします。
会場/名古屋から参りました。目と耳の両方に障害があります。
登壇者の皆さん、今日は有意義なお話をありがとうございます。
盲ろう者を含め、重く、重複している障害をお持ちの皆さんが仕事を続けることは難しいと感じています。
そういったことに対してどのような支援をされているか、登壇者の皆さんからコメントいただければと思い、手を上げました。
私の例を挙げます。私は聴覚障害者情報提供施設、つまり手話通訳者や要約筆記者の派遣事業をやっているところですが、そこで盲ろう者として仕事をしています。
私は目と耳が不自由ですので、やはり文書を拡大する機械や、パソコンを使うにしても画面を拡大するソフトが必要になります。
コミュニケーションについては、触手話(手話を触る)による通訳など、人的な支援も必要です。
いろいろな機器、ハードに関しては、こういうふうに見えないのでこういう機械が必要だと伝えやすいです。ただし、非常に高額です。拡大読書器は実費で20万円します。ソフトについても、それぞれ数万円と高価です。当事者にとっては、これがないと仕事ができないということもあり、難しい課題です。
ただ、それらは機能的なものなので、ニーズを伝えることはしやすいかもしれません。
もう1つ大変だと思っているのは、心の面を理解してもらうことです。
私の例を挙げれば、あるとき突然、事務所が真っ暗になり、何が起きたかわかりませんでした。私は目と耳の両方に障害があり、状況を理解できないでいる中、職場の皆さんが動き回っています。結局、ただ単に電気がとんだだけだったんですが、でも私はすごく不安でした。そのとき、なかなか情報がもらえなかったことは、非常に困りますと、後で訴えましたが、そういった心の面を理解してもらうことは難しいです。
これまでの医学モデルを中心とした考え方の中では、重度や重複の障害者は働きにくいと感じています。医学モデルのような、機能や数字で表しやすい障害に対しては、どのようにケアすればいいのか、わかりやすいかもしれませんが、不安など心の面で現れる働きにくさについて、どのような支援をすべきなのか、皆さんのご意見をお聞きします。
佐藤/ありがとうございます。
不安で働きにくくなる障害者に対して、どういう支援をされているか、ですね。なかなか難しい質問ですが、いかがでしょうか。
高岡/難しいですね。
今、不安に思っているという方であれば、もちろん私たちはしっかりと話を聞かせていただきますし、病院というか、機関によっては心理職のような方が話を聞くと思います。
一方で、仕事に行って、その場でどうかというと、我々が入り込む余地が、その場ではないのですが、お仕事をする職場の方に配慮をいただくため、この方はこういう特徴というか、状況があるとお伝えして、会社の方に配慮をいただくことがあります。私の経験で言えば、高次脳機能障害の方などは、何が起こるかわからないと困ることがあるので、その方の特質や状況などを、周りの方にできる限り、これもどこまで伝えるかの問題はありますが、お伝えして、対応していただくことをやっています。
佐藤/ありがとうございました。
もうお1人手をあげてくださっていましたが、時間がなくなってしまい、申し訳ありませんが、最後のまとめに入りたいと思います。
最後は障害当事者と専門職が連帯して社会環境を変えていく。そのためにどういったことが必要かを含めて、まとめということで、もう一度4人の方に順番にお話しいただきたいと思います。
家平さんからお願いします。
家平/最初に皆さんもICFの重要性などについて言ったように、権利条約では、障害は社会の障壁との相互作用であるとか、他の者と平等に社会参加できない障壁から生じているのが障害というふうに言われていて、そう言葉にされているのがすごく大事なことです。でも日本の法制度では、特に自己責任という考え方が広まってきていると思います。
障害というのが、自分でなんとかしなさいよという方向に進むことがすごく懸念されていますし、そうなると、総合リハや、障害を受容し向き合っていくことも、もっともっと困難を迎えることになっていくと思います。
私自身、障害を持ったときに、自分の責任だと強く思っていたし、社会に迷惑をかけたらあかんとか、人に迷惑をかけないようにしなければと思っていました。日本は特にこういう考えが強いと思うんです。
障害の発生について言えば、途中で障害になる人の方が多いわけです。障害を持つリスクは誰にでもあり、たとえ障害を持ったとしても、普通に生きていけるし、どんな障害でもどんな状況になっても、その人が悪い「自己責任」とするのではなく、社会全体が変わらなければならないということを、最初に学ぶことが大事だと思います。障害者団体も含めてそういう役割を担っていくことが大事です。
決して自己責任ではないというメッセージを、社会全体として常に確認していく。それが権利条約を生かすという近道ではないかと思います。皆さんと一緒にそういうことを話し合いながら、障害問題を社会全体で解決していくために、すべての人の人権を保障する法制度に作り替えていくことに、全力を挙げたいと思います。その決意を述べて最後の発言とします。
藤原/特に弱い脆弱な立場に置かれがちな障害女性というのは、だから守ってあげないといけないとか。かわいくしていたら助けてあげられるのに、と言われる中で、つい力を奪われがちです。
ですが今目の前にいるということはそれなりに、知恵をもって賢く生き抜いてきたということですよね。
そこまで自分の体なり心と向きあって生きてきた強さを信じてほしいなと思うんです。
確かに最初は自分の要望は伝えられないです。
私も視覚障害者になってすぐのときには、実際に自分は何を求めたらいいのか、どんなサポートがいるのかもわからなかった。
そこを1つ1つ最初は愚痴のようなことでもいいので、聞き取ることでだんだんと言葉にしていけるということもあると思うんですね。
すごく時間のかかることだとも思うんですが、とにかく自分自身のことは自分自身が一番知っているということを信じて支援していただければと思います。
ありがとうございました。
村井/藤原さんのおっしゃるとおりだと思います。
私も精神の方たちに教えてもらったのは、僕たちは注意が弱いことが個性なんだとずいぶん言われました。
僕は注意が弱い。
自分はそうなんだ。
皆さんにもたぶん探すと弱い機能があるんですよね。
日常生活上支障があるって、いろいろなことが起きてくるんだろうなと思いながら、教えていただいたことはとても重要なことだと思います。
そういう意味ではそういうことをきちんと言えることも重要だし、そのことをメッセージで知らせることも重要で、周りが知る機会があり、周りが知ることでうまくいく部分と行かない部分をどうしていくか、知恵を出し合っていくのが大事だと思います。
実は私も10歳まで記憶がないんですね。
1歳の時に高いところから落ちて、そのせいで、てんかんが起きていて10歳まで抗てんかん薬を飲んでいまして記憶がないんですね。
家族の会で話すことがありますが、抗てんかん薬をやめてから世界に色があることを知りました。
世の中には色があるんだというのが楽しみですね。
それがいろんな勉強をしようという機動力になっています。
外から見たらわからないけれど、どこか抜けているようです。
でもそこがピンとこないんです。
でも知っていることが大事だと思っています。
障害は知っていて私の個性なんだとなっていくといいなと思います。
どうしてもできないことは助けてと言うことが大事だと学習していますので、そういうことも大事かなと思っています。誰かがやればいい話ではなくみんなで考えれていかなければならない。
皆さんにもいつそのようなことがあるかわからない。
皆さんに可能性があるということですので、一緒に考えていければいいと思います。
家平さん、藤原さんありがとうございました。
本当に勉強になりました。ありがとうございました。
高岡/2日間にわたって議論してきましたが、あっという間に終わりになりました。知らないことが多くてとても有意義なことだったと思いつつ、非常に疲れました。
皆さんも疲れたんじゃないでしょうか。けっこう難しい問題ですし、頭がぐるぐるしちゃうところもあるので、疲れたんじゃないかと思います。
そうした中で1つだけPRさせてください。
我々横浜市では、地域在宅リハビリテーションをやっています。
おうちに帰ってからのリハビリテーション専門職のサービスをやっています。横浜市内だけですが、専門職が地域の機関の後方支援の形で、専門職が訪問するサービスを、30年以上やっています。そのような訪問の仕組みは、私、普段の仕事としてやっているので、その意義をだんだん意識しなくなってきたと思いますが、先ほどの話を聞いていると、良い仕組みなんだと思います。
たぶんどこでもできる仕組みではないと、一方では思うのですが、専門職としては地域で生活する方をどう見ていくのか、支えるかというなんらかの仕組みを考えるのは必要だなと改めて思いました。今後の課題としては、総合リハビリテーションの中で、この権利条約をどう位置づけていくのかが今後の課題だと思います。
今回の研究大会は、今、壇上にいる中でも、障害の当事者の方と、そうじゃない方とで半々で座っています。これだけ多くの当事者が登壇して話をしているのは、あまりなかったんじゃないかなと思っています。これをどのように今後発展させるかは、我々に課された課題かなと思っています。
以上です。
佐藤/登壇者の皆さん、ありがとうございました。
率直に苦しい話もしていただき、とっても良かったと思います。
ありがとうございます。
そうしたら最後は、座長からコメントをいただきたいと思います。
栗原さん、お願いします。
栗原/私は前半だけでしたが、後半というか、全体を通してすごく学びになりました。
いくつか話を伺う中で、後半で考えさせていただいたことを簡潔に。最初は高岡さんから、一般就労を目指す高次脳機能障害の方が、会社にどこまで配慮を求めたらいいかという悩みが話されましたが、この点は共感できます。
こういうときにはうまくいかなくなることもある、だけでは会社も不安になるので、支援とのセットで、職リハも関わることが必要で、総合リハの視点がここに出たぞと感じました。
また、藤原さんがお話しいただいた中で、ピアカンの中で介護をする人、される人は対等で、そこで社会を変えると。
それはそうだなと思ったのですが、当事者が対等だと言う意味は、障害者側からのある意味の抵抗、これは対等と見なされてないことへの抵抗としての対等という主張だなと感じました。
一方で、支援者側があなたたちと対等だよ、と言うときは、若干自分の立場の自覚、非対称性への自覚の問題を残すかなと思いました。
人としての対等性はもちろんですが、立場や情報量の違いは、私も踏まえていきたいと思います。
そして、家平さんが運動に関われていない障害者が、情報を知らなくて制度の活用がしにくいことについてお話しされました。
そうした障害者が制度を活用していく時に、まさに専門職のサポートが問われますし、高岡さんが言った、専門職が総合リハをいかに活用するかの視点が重要です。
その関係で村井さんが、一人一人の信頼関係をつくることがとても重要だと言われました。そうだなと思いつつ、それだけの信頼関係がつくれない場合はどうするのかについても考えました。
一人一人個人レベルで、何ができるかわからないですが、市町村レベルでは条例づくりを通しての動きも想定できます。例えば差別解消に関する条例づくりが、全国の自治体で行われ、私も関わってきました。
できた条例も大事ですが、そのプロセスで浮き彫りにしていくこと、例えば制度を活用しにくい、情報が届いていない実態を明らかにしていく方法もあると思いました。
最後に私自身のことを言います。
私は障害者職業生活相談員資格認定講習の講師をしていますが、5人以上の障害のある人を雇っているところでは、職業生活相談員を置かなければいけないと法律で決まっています。
こうした講習の場では、私自身、当事者から学んだことを支援者の立場で伝えてきました。ここ数年は、企業だけでなく、公務部門でも始まっています。
その中で、実習を通して、知的障害のある人との接し方がようやく分かったという声も聞きます。
障害のある人にどう接していったら良いか、介護をすればわかるとのお話しがありましたが、就労の場面では実習を通して、当事者の方から学ぶのがいかに大事かが分かりますね。
最後に、高岡さんが常任委員会の委員としてまとめていただきましたが、私もその末席にいるものとして、一緒にこれからも取り組んでいきたいと思います。
佐藤/私から感想を含めて話をします。
3つほど話します。
1つは、地域リハ、チームの支援という話が出て、そこは大事だなと思いました。
私が障害者になったのは50年ぐらい前なんですけど、リハビリの先生にはお世話になってとても感謝しているのですが、一番感謝しているのは車いすの操作の仕方を教えてくれたことです。
ものすごい特訓をしてくれたんですね。
病院の屋上にコースがあって、砂利道とか坂とかで、特訓してくれた。
それがあったからいろんなところに1人で出て行って生活できるようになったので感謝しています。
以来50年ぐらいリハビリと全く関わりがないんですね。
でも私はよく褥瘡をつくるので、訪問看護さんに訪問医療にも来ていただいていて、ものすごくありがたい。
病院で長時間待つのも調子が悪くなるので、地域で支えてくれる仕組みがあることは本当にありがたく思っています。
リハ関係の方もチームで地域の障害者の支援をしていただけるとより生活がよくなるんじゃないかなと思いました。
高岡さんから退院して地域に戻ってどういう生活を送っているか知りたいという話がありましたが、ぜひ僕も知ってほしいなと思いますね。
リハビリ、子どもの時にやっていたリハビリで、結局、退院してから1度もやらんかったなというのもあるんですね。
だけど、これはとてもよかったということもあって、生活の中でそういうのもその後の日常生活の中でどうなっているか知ってほしいと思いました。
2つめは、ソーシャルアクションの話が出ました。
村井さんから言うことによって制度とか使い勝手も変わってきた。
誰か言わないと変えられないという話でした。
全くその通りだと思います、言うことによってどんどん変わっていく。
障害当事者はいろんな法制度もヘルパーの制度も昔はなかったんですが、地域で生活を始めて、その中で作ってきた。
バリアフリーも全然よくなかったが作ってきたというのがあります。
ソーシャルアクションは非常に大切でそれをやるからこそ、社会はどんどんよくなる。
やればやるほどよくなっていると思います。ちょっとここでクイズを出します。
1990年、33年前の東京は474駅があった。
このうちエレベーターがついてバリアフリー化された駅はいくつあったと思いますか?
答えはゼロなんですよ。
一つもなかったんです。
当時の日本は車いすに乗ったらどこにもいけない国でした。
今はどうなっているか。
東京は759の駅で、バリアフリー化された駅は何パーセントになったと思います?
95%を超えています。
エレベーターのない駅がほとんどないです。
どこでもいけるようになった。
障害当事者が運動し鉄道事業者が頑張ってエレベーターやバリアフリーの整備をしてくれた。
国も法整備をしてこれだけ変わってきた。
そこはソーシャルアクションがうまくいったと思います。
当事者がここまでやってきたが、専門職も一緒に加わってやっていただけると心強い、更にもっとよくなると思います。
最後、医療関係者の方は障害者権利条約とか総括所見のことを知っている人が少ない、知る機会が少ないということですが、私たちからしたら、この条約はこれから目指すべき社会を示してくれた非常に大切なものです。
この条約の言うことをいかに国内で整えていくかが大きな課題です。
ぜひいろんな機会を捉えて知っていただけるようにしていただきたいと思います。
ちょっと宣伝ですが、JDFでは、総括所見の解説冊子を作りました。
JDF全国フォーラムを12月にオンラインでやりますが、そこで配布予定です。
時間になりましたので、これで終わりになります。
登壇者の皆さん、率直な意見を聞かせていただきありがとうございました。
会場の皆さんもありがとうございました。