アジア太平洋地域における障害者権利条約の実施状況: 国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)による新たな調査研究

立命館大学生存学研究所上席研究員 長瀬 修

日本を含むアジア太平洋地域における障害者権利条約に伴う国内法制の改革をテーマとする新たな調査研究の成果が冊子として国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)から刊行されました。”Harmonization of National Laws with the Convention on the Rights of Persons with Disabilities: Overview of Trends in Asia and the Pacific”(障害者権利条約との国内法の調和:アジア太平洋地域の動向の概要)です。*1

刊行されたのは2022年10月でした。それは、インドネシアのジャカルタにおいて(+オンライン)、この時期に開催された、「アジア太平洋障害者の10年(2013〜2022年)最終レビューに関するハイレベル政府間会合」*2を舞台に、この調査研究の成果が公表されたためです。

アジア太平洋障害者の10年と障害者の権利条約(以下、条約)の関係で重要なのは、アジア太平洋障害者の10年の行動計画であるインチョン戦略が目標9として、『「障害者の権利に関する条約」の批准および実施を推進し、各国の法制度を権利条約と整合させること』を掲げていることです。

この目標の下、ESCAPは全部で6つの調査研究を行い、本研究はその全体の導入に当たります。筆頭著者(lead author)は、オーストラリアのニューサウスウェールズ大学の国際法と人権に関する名誉教授であるアンドリュー・バーンズです。バーンズは国際人権法の権威です。私はピアレビューをインドのアニタ・ガイと共に行いました。そして、他の5つの研究は国単位のケーススタディであり、オーストリア、中国、インド、韓国、タイそれぞれの国での国内法の調和を分析しています。資金援助は中国政府が行いました。

以下、構成と概要を順に紹介します。

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<はしがき>

本研究の位置づけを明らかにするとともに、ESCAP地域が①条約と各国の法律を調和させる行動、②条約とその概念の理解、③条約に関する土着の知的生産物、の3つすべてに関して不十分だと指摘しています。

1.イントロダクション

条約と自国の法律の整合性をとるために、各締約国がどのような取り組みを行ってきたのかを概観するという本研究の趣旨を述べています。前述の5か国(すべて初回審査を終えた国)のケーススタディがそれぞれの国での条約状況を深掘りするものであるのに対して、本研究は地域という観点から概観を提供するという位置づけを示しています。

2.障害者権利条約と選択議定書へのESCAPメンバーの批准状況

本研究では2022年6月21日時点の批准状況が綿密に記載されています。アジア太平洋地域の加盟国(米国等の域外国も加盟しているため)の条約本体の批准状況は域内国49のうち44カ国で未批准は5か国でした。(なお、本研究後の2023年1月に東ティモール、6月にソロモン諸島が条約に加わったため、残るはブータン、タジキスタン、トンガの3か国です。)

日本も加わっていない選択議定書(個人通報を含む)については、本地域の批准状況は世界全体がほぼ5割であるのに対して26パーセントと低率に留まっていることが指摘され、2030年までに、5割の批准が勧告されています。

3.条約と国内法を調和させる義務

国内法の包括的な見直しが条約によって求められています。日本における障害者基本法の抜本的改正(2011年)や障害者差別解消法成立(2013年)は批准前の取り組みとして紹介されています。批准以後の法律の継続的な見直しが勧告され、その過程への障害者の参加が求められています。国内人権機関(日本にはいまだにありません)が既存の法律の見直しを担っている国があれば、議会の委員会が新しい法律を含むすべての法律が条約と整合性があるかどうか精査する国もあります。

4.法律の調和と障害の人権モデルの中心性

障害と障害者をどのように考えるかは、条約の実施においてとても重要な意味があります。条約は社会モデルを反映し、さらに人権の側面を加えています。*3人権モデルは、障害者への差別や排除を永続化するableism(健常者中心主義:外務省は総括所見仮訳で「非健常者中心主義」と訳しています)の対極をなすものです。健常者中心主義と闘うために、国単位で、条約に基づく法律の見直しが勧告されています。

5.障害に基づく差別禁止の義務

障害に基づく差別禁止が、年齢やジェンダーと障害の複合・交差的差別も対象とするよう、勧告されています。また、障害者差別法制においては救済措置を明文化するよう、求めています。国内人権機関に対しては、障害者に対する体系的な差別構造を調査し、必要に応じて制裁措置を講じるように勧告しています。

6.法律の前にひとしく認められる権利と法的能力の平等な享受(第12条)

成年後見制度に代表される代替的意思決定制度から支援付き意思決定制度への移行が条約実施の根幹部分であると共に最大の難題であることを指摘し、後者への法的転換を勧告しています。

7.身体の自由及び安全への権利(第14条)と拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰からの自由(第15条)

強制的・非自発的治療を許容している法律の見直しと、搾取、暴力及び虐待からの自由(第16条)を守る法律の強化を勧告しています。

8.アクセシビリティ(第9条)

アクセシビリティの欠如は障害者の権利侵害であるという理解を広め、特に民間部門を含めて、アクセシビリティの国際基準の遵守を勧告しています。

9.働く権利(第27条)

上級職への昇進への雇用率の適用や、合理的配慮への財政的支援、障害平等研修の幹部や全従業員への実施がESCAP加盟国に対して勧告されています。

10.権利の積極的確認:手話の法的認知

2016年の韓国手話言語法が紹介され、音声言語と平等な位置づけで、手話言語を法的に認知することや、教育課程での手話の使用が勧告されています。

11.国家政策と計画

①条約の内容と精神を現実のものにするための政策策定、②時間枠を持つ行動計画の策定、③障害者の関与確保、④中央政府、地方自治体両方における調整機能の強化が勧告されています。

12.条約実施:制度的枠組と障害者の参加

未だに国内人権機関が設置されていない場合(日本がそうです)、その設置を行い、その機関に条約実施の明確な任務を負わせることが勧告されています。

13.勧告と結論

本研究のまとめとして、前述の各項目の勧告を掲載すると共に、新型コロナウイルス感染症の世界的流行下で、社会全体が経験する不利益を共有する機会となったことを指摘し、その経験をも基にして、条約を守る取り組みを強化すべきは今であり、そのために本研究が貢献することを希望すると結論付けています。

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以上のように、この研究は国際的な専門家が中心となって、アジア太平洋地域における障害者権利条約の実施の好事例や課題を幅広く取り上げ、分析しています。多くの方に届くことを願います。

*1. https://www.unescap.org/kp/2022/harmonization-national-laws-convention-rights-persons-disabilities-overview-trends-asia-and からダウンロードできます。オーストリア、中国、インド、韓国、タイのケーススタディも上記のURLからダウンロードできます。

*2. 本誌2022年10月号の情報フォルダーに掲載の「アジア太平洋障害者の10年(2013~2022年)最終レビューに関するハイレベル政府間会合・ジャカルタ宣言を参照。

*3. 障害の社会モデルと人権モデルの関係については、ローソンとベケットの論文「障害の社会モデルと人権モデル:相補論」が参考になります。日本障害者協議会の訳があります。https://www.jdnet.gr.jp/report/17_02/170215.html

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