恩田聖敬(おんださとし)
1978年岐阜県生まれ。京都大学大学院航空宇宙工学専攻修了。新卒後5年で取締役に就任。2014年FC岐阜の社長にJリーグ史上最年少の35歳(当時)で就任。現場主義を掲げチーム再建に尽力。就任と同時期にALS発症。2015年末社長を辞任。翌年(株)まんまる笑店を設立。講演、研修、執筆等を全国で行う。一般社団法人日本ALS協会会長。
私は約10年前になんの前ぶれもなくALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症しました。ALSは数多ある難病(原因不明・治療法無・希少疾患)の中では比較的知られている病気だと思いますが簡単に説明します。
ALSとは運動神経だけが選択的に侵される進行性の病気です。多くは手足の麻痺から始まり、全身が動かせなくなり、食べるための筋肉も衰え、ろれつが回らなく喋れなくなり、一般的には2年から5年で呼吸筋まで達して死に至るといわれています。しかしあくまでも侵されるのは運動神経だけなので、五感や思考や記憶は正常に保たれます。つまり自分の状態をすべて認識しながら、じわじわと症状が進行していくのです。「世界一残酷な病気」とも呼ばれています。一昔前は絶望的な病気でした。
けれども今は決して絶望だけではありません。私も発症4年半で呼吸困難に陥りましたが、人工呼吸器をつけることで今も生きています。食事は胃に直接穴を開けた、胃ろうと呼ばれるところから栄養剤を注入しています。意思疎通もわずかに動く部位があれば、ヘルパーさんを介する特殊なコミュニケーション方法があります。またテクノロジーの手を借りることもできます。ちなみに私はこの原稿をiPadと咀嚼筋、つまり口で書いています。編集者へのメールでのやりとりもすべて口での操作で完結しています。詳細説明はここではしませんがテクノロジーは、たとえ指一本動かせない私にも発信の機会を与えるほど進化しています。慢性的なヘルパー不足と発信に極端に時間がかかることを除けば、ALSはやりたいことをやる支障にはならないと私は思います。
では私のやりたいこととは何か?それは仕事です。私はALSと診断された時、サッカーJリーグFC岐阜の社長を務めていました。当時の監督はあのラモス瑠偉さんです。選手には川口能活選手や三都主アレサンドロ選手など元日本代表もいました。そんなヒーローに囲まれて私は経営面でFC岐阜の再建を託されていました。ここでも詳しい経緯は省きますが、私は東京の上場企業の役員の地位を捨てて故郷岐阜県のプロサッカーチームの立て直しを選択しました。私は当時の1億5千万円の赤字を1年で黒字化しました。1万人の観客が入ったスタジアムは本当に素晴らしい空間で、私は天職を得た気分でした。しかし社長就任1か月後にALSと診断、結局2年で職務遂行困難となり社長を辞任せざるを得ませんでした。私はALSに天職を奪われたのです。
しかしどうしても仕事することを諦めきれず、クラウドファンディングで創業資金を募り株式会社まんまる笑店を設立し今に至ります。笑店の名のとおり笑顔をお客様に提供する会社です。おかげさまで今年8年目を迎えました。講演、企業研修、執筆などを主な業務としています。一昨年からはとある会社と経営コンサルティング契約を結び、執行役員として経営にコミットしています。また日本ALS協会会長やJPA(日本難病・疾病団体協議会)理事なども務めています。これ以上なく忙しく、自分を追い込んでいます。
なぜそこまでするのか?仕事が好きだからです。関わる人の笑顔が見たいからです。仕事を通してもっと人間的に成長したいからです。ALSになったとて障害を持ったとて、私の仕事へのスタンスは変わりません。これは譲れないのです。障害者は社会に守られるだけの存在ではありません。ALSという経験は私に新しい世界観を教えてくれました。今ならもっと広い視野で良い仕事ができると確信しています。そして私よりも才能ある障害者社長が現れることも確信しています。誰だって人の役に立ちたいのです。その気持ちを障害者にも持たせてください。さすれば障害者社長は当たり前に誕生します。