聞こえないきょうだいをもつSODAソーダの会 代表、弁護士
藤木和子(ふじきかずこ)
私は、障害のある弟と育った「きょうだい(※)」(障害のある人の兄弟姉妹)の立場で弁護士・手話通訳士です。私は、子どもの頃から、聴覚に障害のある弟と弟を育てる親の苦労や喜び、そして周囲の態度(人間の冷たさや弱さ、優しさやユーモア)を見ながら育ちました。そんな私は幼少期から「きょうだい」として弟のことを含めた自分の将来、特に「進路、結婚、親亡きあと」について誰にも言えない疑問と不安を抱えていました。「私と弟の将来はどうなるの?」「将来は弟をよろしくね、と言われるけど…」「実家の家業(弁護士)は、私が地元に残って継がなければいけないの?」「結婚はできるの?」「(母の苦労を見て)子育ては大変なことばかり…」などです。
私が「きょうだい」という言葉に出会った時の「自分の感覚をこんなにも言い表してくれる言葉があった!」という衝撃は今でも覚えています。2010年頃に28歳で初めて「きょうだい会」(同じ立場のきょうだいで集まり、悩みや経験、近況を話したりする会)に参加し、現在は複数のきょうだい会の運営(聞こえないきょうだいをもつSODAソーダの会の他、全国障害者とともに歩む兄弟姉妹の会、Sibkotoシブコト︱障害者のきょうだいのためのサイト、20代30代向けのファーストペンギンなど)の運営に関わっています。
きょうだい支援はこども大綱(2023年)にも記載されています。ヤングケアラーと重なる部分もあり、自治体や学校等でお話させていただく機会も増えました。「大切な問題」「もっと知りたい、発信してほしい」「応援したい」などの声に理解が深まってきているのを実感します。
「きょうだい」は「障害のある人や親を助ける立場」「障害のことを理解していて優しい」というイメージや期待を持たれる場合がありますが、この天使のイラストのように表面上は明るくほほえんでいても、誰にも言えずに傷ついていたり、切実な悩みを抱えたりしていて、助けが必要な時もあります。このイラストを描いてくれた自閉症・発達障害の弟がいる姉の立場のきょうだいは、「そこにあるのは、明るい天使の輪っかではなく、傷ついた心を隠す包帯でした」「きょうだいの私たちのことを知ってほしい」というメッセージをくれました。きょうだいの悩みや思いの一部をご紹介します。
きょうだいによる天使のイラスト
➡「障害があるから」「障害がないから」ではなく、「それぞれをひとりの子ども、ひとりの人間として見てほしい!」と語ってくれたきょうだいがいますが、強く共感します。
➡「自分の将来や人生について考える時の土台にいつも障害のある兄弟姉妹のことや親の希望がある」というきょうだいは少なくありません。私自身もでしたが、一度、土台を取り払って「自分」のことを考えてみることが大切だと思います。法律上も、障害のある兄弟姉妹の世話、同居、経済的支援(扶養義務)は強制ではなく、あくまでも自分の意思や状況によって選択するものです。「きょうだいも、障害のある兄弟姉妹も、親も、それぞれ“自立”して“自分の人生”の道を歩んでいく」のが基本だと思います。
これらの悩みや課題には、コレだ!という解決がすぐには難しいものもあります。ですが、周囲が「気づいている」「気にかけてくれている」ことが「伝わる」だけでも大きく違います。多くのきょうだいは、気にかけてくれた人をずっと覚えています。さりげなく「こんな記事を読んだよ」「きょうだいの会やサイトがあるらしいよ」などと紹介してくださるとありがたいです。
SOSを上手に出せずに我慢を続けて爆発してしまい「家族なんていなくなっちゃえ」など強い言葉が出る場合もあります。親や周囲はショックですが、「そういうことを言ってはいけない」「でもね、障害だからしかたない」などの否定や反論は逆効果です。言われるまでもなく重々承知しているからです。ほとんどのきょうだいは自分が爆発したら家族が壊れてしまうと自分をおさえています。お願いしたいのは、まずはどのような内容でも、そう思っていること(それくらい苦しい事情があること)を「そうなんだ、そうなのですね」と受け止めてほしい、ということです。その上で、無理のない範囲で事情を丁寧に聞いて対応を一緒に考えていただけたらと思います。もし、きょうだいが、進学や就職で実家を出ることや福祉サービスの利用を希望しているのに親が反対などの場合は、周囲の方や支援者の方から親に言ってくださると、話が前に進む場合もあります。ただし、きょうだいの意向を確認するようにお願いしたいと思います。
私が、初めてきょうだい会に参加したのは、紆余曲折を経て司法試験に合格して1年間の研修中の時でした。当時の私の最大の悩みは、「弁護士として、内定をいただいた東京都内の企業法務系の事務所に就職するか?埼玉の父の事務所で一緒に働くか?」でした。私の悩みには、弟に障害あることが強く結びついていましたが、友人や恩師、交際相手にも話せませんでした。自分から積極的に父と一緒に働くことを選べれば、みんなが幸せになれるのに、と自分を責めてもいました。他方で、自分の経験を活かせる障害やきょうだいに関わる仕事をしたい、という思いもありました。研修が終わりに近づき、決断を迫られた私は、配属先の九州から飛行機に乗って関東で開催されたきょうだい会に参加しました(家族には内緒、実家とは別の場所に宿泊)。何か少しでもヒントを得たいとの思いでした。
期待と緊張でいっぱいでしたが、先輩方に歓迎してもらえたことが嬉しかったです。何時間も話が尽きませんでした。特に、自分の悩みである「実家を出るか、就職先の選択」について、先輩方一人ひとりの経験「実家を出た、出なかった、戻った、ほとんど連絡も帰省もしない」「障害に関係のある仕事や親の期待に応える仕事を選んだ、全く違う仕事を選んだ、反対されたけれど説得した」を聞けたことが、私にはとても大きかったです。選択の理由が「きょうだい」に関係する場合も、そうでない場合もありました。
きょうだい会に参加したことで、「私の悩みは、きょうだいにはよくある悩みだったんだ!」と気持ちが軽くなって踏ん切りがついた私は、「後悔のない選択をしたい!いろいろな人に相談して意見を聞こう!」と前向きになりました。私は、一度スイッチが入ると極端な性格のため、約1か月で弁護士の先輩、恩師、友人など、以前からお世話になっている人から交流会などで出会った初対面の人などまで30人以上に相談したと思います。そうしていくうちに自分の考えや気持ちが整理でき、最終的には地元で父と一緒に仕事をしながら、きょうだいや手話の活動をしていくという道を選びました。選択した内容に関係なく、ここまでやれば悔いなしと思えました。
それからは、きょうだい会に定期的に参加してその時々の近況報告や悩みを相談するようになりました。間隔は1か月、3か月、半年とその時の状況でまちまちでしたが、次に「あれからどうなったのか」を報告するんだ!が励みと支えでした。また、ツイッター(現X)で「#きょうだい児」のつながりができ、毎日、帰宅する電車の中で他のきょうだいのつぶやきを見たり、自分もつぶやくのが大切な時間でした。働き始めてからの約10年間は、結婚を機に実家を出る→休職して手話通訳の専門学校に通う→父の事務所から反対を押し切って独立、本格的にきょうだいの活動を始める、と大きな変化が続く時期でした。他のきょうだいも、進学や卒業、就職、転職や独立、結婚や出産、親が病気や亡くなるなど、環境が変化していく中、互いにほどよい距離感で励まし合ってきました。ありがたかったのは、責めたり、プレッシャーをかけるのではなく、「悩むのは真剣だからこそ」「悩みは恵み、貴重な経験」「自分を大切に自由に、どうしても合わなければやめてもいい」「きっと、あなただからできる何かがある」「大丈夫、なんとかなる」という言葉をもらえたことです。きょうだいは「父母等が兄弟姉妹等の家族の介護に追われる中、子どもへのケアが十分に行われないなどの課題」が子供・若者育成支援推進大綱(2021年)で指摘されていますが、初めて自分が「ケア」されたような気がしました。
まとめを兼ねて、「障害児者のきょうだいの〈当事者宣言〉(草案)」の要旨をご紹介したいと思います。山南達也さん(姉に知的障害と精神障害)、山本勝美さん(保健所の心理相談員として育児相談50年)とともに第20回障害学会(2023年)でポスター発表しました。
1.きょうだいは〈当事者宣言〉(=主張)しづらく、多くの勇気と配慮が必要(見えづらい、事情やニーズが多様、家族や他の障害当事者を傷つけてしまう可能性)、2.きょうだいはあくまでも一人の人間(きょうだい、障害のある兄弟姉妹、親はそれぞれが対等な“自立”した個人。自分のニーズや権利が尊重されるとともに、障害当事者や家族の立場ではない他の者と平等に)、3.きょうだいの〈脱支援者宣言〉(本来「ケアをするか、しないか」「内容・程度」は、自分の意思で自由に選択するもの。きょうだいが〈脱支援者〉になるには、社会の制度が変わることが必要、同時に、自ら進んで〈脱支援者〉となることで、社会が変わっていく)。
本稿は「きょうだい」という立場から書かせていただきましたが、障害のある人、親、支援者も悩まなくてすむように、自分にできることを一つひとつ着実に前に進めて、幸せと笑顔につながる発信・活動をしていきたいと思います。
※ひらがな表記の「きょうだい」は性別や上下に関係なくという趣旨で使われることが最近増えています。本稿では、読みやすさの点から「障害のある人の兄弟姉妹」を「きょうだい」と表記し、それ以外の場合を「兄弟姉妹」と表記します。