青森県立青森第一高等養護学校3年
野呂律稀(のろりつき)
令和6年3月8日、私の通う学校では卒業式が行われました。先輩方を見ながら、1年後は自分が卒業する立場になるのだなぁと、ぼんやり考えていました。しかし「1年先は何が起きるか分からない」そのことも、私はよく知っています。
私は小学校2年生まで健常者として地元の学校に通っていました。当時の私はわんぱくで頑固でした。一度言ったことは意地でも曲げない、そんな子どもでした。その日は突然来ました。ゲームをやっている時、急に体に力が入らなくなり、倒れてしまいました。脳出血を起こしていたのです。そして左半身まひになってしまいました。しかし、リハビリのおかげで、半年後には走れるまでに回復し、手も少し動くようになっていました。またわんぱくな少年に戻れたような気がしました。しかし、5年後、中学1年生の時に再び脳出血を起こし、障害がひどくなりました。私は絶望しました。ショックと頭痛により、1週間何もできなかったことだけは覚えています。自分でもどうやって気持ちを立て直したか覚えていないのですが、再びリハビリを開始。前よりも動きは悪くなりましたが、走れるまでには回復しました。特別支援学校に転校していたので、自分でできることが増えていたこと、できないことは依頼する、説明するということを覚えたのも大きかったです。そのことにより、私の視野は広がりました。
私が中学1年生の頃からコロナ禍となり、制限も多くありましたが、その時だったからこそできたこともあります。青森が舞台となった全国オンライン社会科見学では、司会者として三内丸山遺跡やリンゴを紹介しました。高校に入学してからは、自分の障害を理解し、よりよい生活を送るために努力しています。その一環として、ミラコン~未来を見通すコンテスト~(プレゼンカップ)や青森県特別支援学校技能検定・発表会などに出て、自分の障害についてあらためて考えてみたり、社会への提案などを行ったりしてきました。実現した社会はどんなに便利になるか考えると、アイデアが次々と浮かんできましたが、同時に障害者はこんなにも生活しづらいものなのかとも思いました。
生活しづらい…でも、そのような社会でも生きていかなくてはならない…高校2年生の時、後期の産業現場等における実習をどこで行うか悩んでいました。市役所でインターンシップを受け入れていることを知り、申し込みました。仕事を体験し、働き方や事業内容に対するイメージをもつことができた時、市役所で働きたいと思いました。2年生の実習を終えてから、公務員試験に向けて勉強を始めました。
私は今まで、2度脳出血を経験し、昨日とは違う世界を2度も経験しています。当たり前が当たり前でなくなる苦労もしてきました。そのため私は「安定」した生活に強い憧れをもっています。そして、家族を安心させたいという気持ちも強くあります。
1年先のことは誰にも分かりません。けれども令和7年3月7日には、公務員としての道を決め、卒業証書を受け取るのだという、はっきりとした目標をもっています。
そして、3年後には一般事務はある程度こなせるようになっていたいという未来予想図もあります。少し大きな夢になりますが、10年後には、健常者、障害者両方の立場が分かる者として、障害の有無に関係なく、生活しやすく充実した暮らしが送れるような福祉サービスを考えてみたいです。