声に託す想い~障害者として臨んだセンバツ~

「新ノーマライゼーション」2024年5月号

岐阜県立岐阜北高等学校3年
古田桃香(ふるたももか)

私は生まれつき視力が弱く、小学1年生から中学3年生までの9年間を、岐阜盲学校で過ごしました。その後、普通校にしかない学びや経験に憧れ、一般入試で岐阜北高校(以下、北高)を受験しました。最初はわからないことだらけでしたが、周囲に見え方を説明し、困った時は自分から尋ね、助けてもらったら必ず感謝を伝えることを大切にしました。北高生は私が思っていた何倍も優しく、私の話に真剣に耳を傾け、いつも快く助けてくれる人ばかりでした。そして、健常の友達と同じように、私にも分け隔てなく接してくれました。一緒に勉強したり、お昼を食べたり、週末に出かけたり、大切な友達と、見え方の違いを忘れてありふれた日常を送れていることが、本当に幸せです。

北高が安心できる環境になったことで、私は部活動に熱中することができました。中学3年生の時、全国盲学校弁論大会で優勝した私は、声で表現することの楽しさに惹かれ、高校では放送部に入部しました。登場人物の気持ちや、物語に込められたメッセージを表現する朗読部門の魅力にはまり、もっと上手くなりたいという一心で練習を重ねました。そして、2年生の夏にNHK杯全国高校放送コンテストで優勝し、その成果が評価され、第96回選抜高等学校野球大会の開会式の司会に抜擢されました。

司会の役割は、高校球児の皆さんのために最高の幕開けをつくり上げることです。しかし、私が果たしたかった役割は、それだけではありませんでした。夢の大舞台に立つことができた私の姿を通して、障害を抱えながら奮闘している方々に勇気と希望を与えたい。そして、障害のない方々に、周囲の支えがあれば障害者の可能性が無限に広がることを知ってほしい。それが、司会の依頼をいただいた時から伝えたかった切実な想いでした。

開会式当日。リハーサルの時には客席の色一色だったスタンドに、たくさんの色が見えました。甲子園の春空に自分の声が響いた時の感覚は、一生忘れることがないでしょう。司会台からの景色を目に焼き付けながら、一つ一つの言葉を大切に紡ぎました。華やかなファンファーレ、入場行進をする選手たちの勇ましい掛け声、主将が掲げる鮮やかな選抜旗。すべてに心が躍り、楽しみながら大役を務めあげることができました。終わった後は達成感や安心感で胸が詰まり、涙が溢れて止まりませんでした。

後日、司会の様子を見てくださった方々から、「感動して涙が出ました」「この人が司会でよかった」など、温かい反響がたくさん寄せられました。自分にできる精一杯をやりきったことで、誰かを前向きにし、誰かの障害者に対するイメージを少しでも変えることができたように感じ、描いていた夢が叶って本当にうれしかったです。

高校3年生になり、北高で過ごせる時間も残り数か月となりました。夏の全国大会に向けた練習と、大学受験に向けた勉強を両立しながら頑張っています。私の伝えたかった想いは、これからも変わらず原動力となるはずです。障害者に対する理解を広め、障害者が自信をもって夢を追うことができる社会をつくるために、自分には何ができるのか、大学での学びを通して模索していきたいと思います。甲子園での感動を糧に、夢に向かってひたむきに努力し、未来を切り拓いていきたいです。

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