西川永利子(にしかわえりこ)
兵庫県在住。右大腿義足。臨床検査技師として、病院内検査室業務や出張健診業務をしています。3年ほど前にパラスポーツに出会い、現在、アンプティサッカーチーム「インバイツ兵庫afc」とシッティングバレーボールチーム「メディカル」に所属し、週末はほぼ運動しています。また、パラスポーツ関係のボランティアも始めました。お気に入りの愛車でツーリングやおいしいもの食べに行くことも楽しんでいます。夫と娘の3人家族。ハイヒール・フラミンゴ会員。
15歳、高校に入学したての頃、自転車での通学途中に何とも言い表せない右膝の痛みを感じました。「成長痛かな?」くらいに思っていましたが、痛みが頻繁になり近くの病院にてレントゲンを撮った結果、「すぐに大きな病院で診てもらうように」とのこと。診てもらったところ、骨肉腫と診断されました。
半年間の検査、治療の結果、切断となりました。ショックでしたが何となく分かっていた自分がいて、冷静に受け止めたように記憶しています。抗がん剤の副作用で免疫力が低下、口内炎だらけで食べられない、頻繁に嘔吐があり、その中でも髪が抜けてしまったことは年頃の私にとって大変辛かったです。
11月に切断手術をし、翌年の4月には高校へ復学し、悲しんでいる暇はありませんでした。
1学年下と同学年、複雑な心境でした。カツラを付けて登校し、何とか義足が見えないように制服のスカート丈を長くし、そのことで先生に怒られたのは納得がいきませんでした。周りの目を気にしてばかりでした。皆と同じ速さで必死に歩いたり、階段も2段飛ばしで登りました。
将来のことを考え始め、医療に携わる仕事がしたいと当時の主治医に相談し、臨床検査技師という職業を知りました。無事国家試験に合格!大腿義足の私でも他の方と変わらず業務をこなすことができています。
ご縁にも恵まれ結婚し、娘も産まれました。義足での育児は大変なことも多かったです。義足をつけたまま寝ることもしばしば、学校行事などでの階段移動も大変でした。
娘に「母ちゃん義足で変な歩き方やし、学校とか行くのん嫌じゃない?」と聞いたことがありました。でも、「そんなん思たことないで!母ちゃんが足無いのは私にとっては日常やし、何も変じゃないで!」という娘の言葉に救われました。その娘も無事に成人しました。
そして自分の時間が持てるようになった頃、コロナ禍に。おうち時間で何か始めようと娘に勧められて「X(旧Twitter)」を始めました。そこで義足の方と繋がり、「アンプティサッカー」に出会いました。体験会に誘っていただき、緊張と不安でいっぱいの中参加しました。
アンプティサッカーは義足を外してクラッチという杖2本で体を支えてするサッカーです。この私が人前で義足を外すなんてあり得ないことでした。でもその場所はそれが当たり前!思い切って義足を外しました。私の世界が広がった瞬間です!
今まで義足を隠すことしか考えてなかった自分を変えるキッカケになりました。サッカーは未経験で何もできませんでしたが、とにかく家族以外の前で義足を外し、義足のことを笑って話せていることに喜びを感じました。
それからは積極的に参加するようになりました。シッティングバレーボールも始めました。ここでもたくさんの方と繋がりました。「ハイヒール・フラミンゴ」に出会ったのも同時期です。義足ユーザーや義足に関わる方で構成される女子コミュニティです。女性ならではの義足あるあるを共有できる貴重な場所です。
50歳を超えて体力に不安を感じています。まだしばらくはパラスポーツをする側にいたいですが、その後はパラスポーツを広める活動に携わりたいと思っています。
最近、地域にパラスポーツを紹介したり、広めるボランティア団体「明石パラスポネット」に加入しました。小学校を訪問したり、イベントに参加したりしています。障害をもつ私が前に出ることで、少しでも誰かが一歩を踏み出せるキッカケになればと思っています。障害に合わせたさまざまなスポーツがあります。きっと楽しめるスポーツが見つかると思います。外に出ることで同じ境遇の方と知り合うことができます。そのお手伝いができればと思います。