みどる中高年発達障害当事者会 代表理事
山瀬健治(やませけんじ)
みどる中高年発達障害当事者会(以下、当会)は、発達障害を自覚する中高年によるピアサポートグループです。参加者の多くは幼少期に発達障害の診断や支援を受ける機会がなく、特性に由来する得手不得手の差が「やる気がない」「取り組む姿勢が悪い」などと誤解され、非難され続けてきました。その結果、うつ病や適応障害といった二次障害を経験し、それをきっかけに初めて発達障害に気づかれる方が大半です。
成人後に発達障害と診断された方々の反応は大きく二つに分かれます。一つは「自分が悪いわけではなかった」という安堵感です。他の人が簡単にできることができないため、自分の努力不足を責めたり、無能力感にとらわれたりする人が多い中、生まれつきの脳の特性だと納得することで安心するというものです。一方で、「努力しても他の人と同じようにはできない」という失望感を抱く方も少なくありません。
現代の医学では発達障害を治療することはできません。他の人が簡単にできることでも自分にはできないことを受け入れる必要があります。その中で、少しでも生きづらさを軽減するためには、「人と同じを目指さない」「病名ではなく具体的な困りごとを把握して対処を考える」ことが重要です。
障害特性が原因でできないことを努力で克服しようとするのは、結果的にできるようにならないばかりか、うつ病などの二次障害を引き起こすリスクを高めるだけです。そこで、当会では「努力で克服できるのは苦手、克服できないから障害」という言葉をよく言っています。
特に、当会の参加者は40歳以上ですので、「40年間努力してできないことが、これから努力を重ねてできるようになるとは思わない」という厳しい現実を伝えることもあります。しかし、「発達障害だからできない」と開き直るわけではありません。努力が必要なのは、「直接できるようになる」という方向ではないということです。
発達障害という言葉にとらわれず、自分が具体的にどのようなことができないのか、失敗してしまうのかを理解することが大切です。現在は障害の医療モデルが支配的であり、診断名に基づいて問題解決や対応を考えがちですが、診断名は具体的な困りごとの把握にはあまり役立ちません。
必要な努力の方向性としては、できないことを具体的に把握し、自力でできないことが問題にならない方法を探ることです。例えば、やらずに済む環境をつくったり、代わりにできることを模索したり、できるような仕組みや道具を工夫することが挙げられます。
自助会のルーツともいえるアルコール依存症のAA(アルコホーリクス・アノニマス)には、アメリカの神学者ラインホールド・ニーバーによる「平安の祈り」が伝わっています。その内容は、「自分に変えられないものを、受け容れる落ち着きを。変えられるものは、変えてゆく勇気を。そして、二つのものを見分ける賢さを。」というものです。
発達障害を自覚する人は、自己理解を進めて、自分の努力で改善できることにはその努力を行い、特性上やむを得ないことはそれとして受け入れることが、最も生きづらさを減らす方法なのではないかと考えるようになりました。
最後に私個人の話になりますが、発達障害をもって生まれたことで多くの不利益がありましたし、これからも不利益を受けることが続くと思います。しかし、そのことで「丸損」したとは思っていません。もちろん、発達障害なく生まれた方がよかったかもしれませんが、発達障害をもって生まれたからこそ、当事者活動に関わることができ、活動を通じて得たものは大きいです。これはこれでそういう人生なのだと納得できるようになりました。