片山泰(かたやまやすし)
私が発達障害と診断されたのは、47歳の時です。その後2度の会社都合退職を経て、発達障害専門の就労移行支援事業所で2年間勉強し、発達障害特性を自己理解しました。現在は自信をもって毎日就労しています。また、発達障害の啓蒙普及とカサンドラ症候群患者(夫など、身近な人にASD(自閉スペクトラム症)などがあることで、心身症状が起きている状態の人)のために、毎年、講演会や原稿執筆を行っています。
私は発達障害の中でも、ASDというタイプです。コミュニケーション障害やこだわりなどが特徴です。上司にきちんと報連相(ほうれんそう)もしないまま、自分一人でどんどん仕事を進めたので、過労で潰れて十二指腸潰瘍、うつになりました。その後双極性障害を発症。続いて被害妄想の統合失調症で閉鎖病棟に3度入院しました。退院して、復職するために職業センターで訓練を受けたのですが、その時、私のメイン疾患は「発達障害」だと知りました。
また、精神科病院の発達障害専門外来では、デイケアで月2回、1年間(20回)、みっちり障害特性や自分のタイプと対処法を学びました。10年たった今でも毎月、OB会で互いに就労の悩みなどを話し合っています。
その後51歳でリストラ。どうにか転職するも、5年契約のうち3年でリストラ。「あなたが雇用契約期間中にリストラされたのは、きっとASDの障害特性が原因だわ。この専門施設に通ったらどう?」と妻が、「発達障害専門就労移行支援事業所(以下、就労移行支援事業所)」を見つけてきました。
就労移行支援事業所では、後から入所してきた若者が次々と就職していきました。2年間の利用期限を前に、私は次のクラスへも上がれません。そこで相談すると、「積極的に」「周囲の全員の心を傷つけないように」と指導を受けました。過分に発達障害特性のままで過ごしていたのでしょう。
そうこうするうちに、就労移行支援事業所の利用期限も迫り、求人数も新型コロナウイルスの影響で減るし、私も57歳の高齢求職だし、と焦りましたが、就労移行の就職担当の方が面接に同行してくださったことは心強く、屋内型水耕栽培農園に再再就職が決まり、今も勤務しています。
職場の作業スタッフは全員障害者です。10代20代の同僚の体力にはかないませんが、そんな時も、農場長は的確に仕事を割り振ってくださるし、先の就労移行支援事業所の担当者も就職後も定着支援として毎月農園に足を運んで、相談に乗って農場長との間に入ってくださいます。就職して2年半。自信を取り戻して毎日元気に働いています。経済的には障害年金、医療では自立支援、福祉では公営住宅への入居、計画支援と家事ヘルパーを利用しています。
大人の発達障害者が自信を取り戻すのに大切なことは、自分の発達障害特性パターンを知り、まわりの定型発達者とのコミュニケーション技法を身につけて、毎日の居場所をつくることです。その上で就労支援を得て社会人になれば、自信も完成します。発達障害は進行性の病気や障害ではありませんし、必要であれば病院から服用薬が出ます。仕事もできますし、就労支援、病院のデイケア、市区町村の地域活動支援センターや自助会など、毎日の居場所も何か所もあります。日本人の何割かは発達障害の傾向があるという統計もありますし、仲間も支援もたくさんあります。「自分だけだ」と孤独に感じることはありません。多くのサポート制度を活用して、自信をもって一緒に生きましょう。