マツタケ
社会人として働き始めて5年ほど経ったある日、営業職として働くことに耐えきれなくなり精神科へ行きました。診断名はうつ病。休職中に病状があまり良くならないこともあり精神科を渡り歩くなかで総合病院に行きつき、そこで発達障害の検査を受け、最終的に発達障害専門外来のある病院へ行くことになります。
行き着いた病院ではデイケアに通うことになり、1年半ほど前に発達障害(自閉スペクトラム症)の診断を受けます。そして、発達障害専門プログラムを受けることになりました。そのプログラムを受けた後、発達障害の子どもたちが通う放課後等デイサービスで働くことになり現在に至ります。
私は発達障害と診断されてからそれほど期間が経っていません。そのため、発達障害とされた後の経験から自身の特性や障害を理解することはあまりなく、それ以前の「健常者」として生活してきた時の経験から自身の特性を理解することが多くありました。その中でも、学生時代にさまざまな生きにくさを抱えた方の話を聞く対話イベント、ヒューマンライブラリーを主催した経験は私自身の特性を理解する上で大いに役立ったと思います。
ヒューマンライブラリーとは、障害者など、生きにくさを抱えた方が一般の参加者に対し自身のありのままを打ち明ける自己開示の場を提供するイベントで、生きにくさを抱えた人を「本」その話を聞く一般の人を「読者」とする図書館で、「本」の人生話を聞く時間を30分程度借りることができます。
私はこのイベントをする大学の研究室の唯一の大学院生として、大学生がこのイベントを企画するところから実際にイベントを開催するところまで関わりました。そこで私は、ヒューマンライブラリーに「本」として出る方の事前打ち合わせで人生話を聞き、30分の貸し出し時間で話す大まかな内容を編集することのほか、大学生と教授のミスコミュニケーションを解消するために間に入ることもしていました。
この経験を振り返ると、私は傾聴して目の前の人を理解しようと努めていたのだと思います。実際、「本」になる方の人生話を傾聴し、教授と普段からコミュニケーションをとり傾聴することで大学生が教授とのやりとりで困った時に何をしたら教授に伝わりやすいかを伝えていました。そのことから、私自身が相手の話を傾聴する特性を持っていること、相手のことを理解しようとするあまりその人から誘われた時に断れない特性も持っていることがわかりました。断れない傾向は自身が疲れていても出てしまい、疲弊してしまうことにもつながりました。
これらの特性を持っていると認識している私ですが、まだまだ自分の中で整理できないことも多くあります。それは、私が実際に障害者と診断された際、受け入れ難いなんとも言えない感覚になり、敗戦した高校球児のように人目をはばからず声を上げて涙を流してしまったことに表れていると思います。つまり、これまでの私は「健常者」になるために戦ってきたけれど、障害者になったことで「健常者」を目指して戦っていた勝負に負けたということ以前に、「健常者」を目指してこれまで努力してきたこと自体が間違っていたという事実を突きつけられ絶望したのです。
以上のように、私は過去の経験をもとに障害に向き合い、特性を理解してきました。そのため、まだ発達障害専門プログラムを受けた経験、発達障害の子どもが通う放課後等デイサービスで働いている経験により自身を理解することはそれほどできていません。しかし、これらの経験も自身の特性を理解する材料になると思い主体的に取り組んでいます。皆様にもぜひ、自身のために今からいろいろな経験をすることをおすすめします。