公益財団法人日本障害者リハビリテーション協会の思い出

「新ノーマライゼーション」2024年11月号

片石修三(かたいししゅうぞう)

1. 厚生労働省時代の関わり

公益財団法人日本障害者リハビリテーション協会(以下、「協会」という)での勤務以前のことですが、協会との関係で記憶に残ることですので触れさせていただきます。

30年ほど前、厚生労働省障害保健福祉部企画課で身体障害者福祉専門官として勤務しておりました。協会でイベントがある時は、時々、同僚の専門官に誘われて参加していましたが、特段の関わりはありませんでした。

当時、他の障害者関係の公益法人には委託事業費が予算化されていましたが、協会には国からの支出はありませんでした。そこで、課内で協会への予算化の実現を提案しましたが、協会の主な事業については民間の助成団体の助成を受けていることもあり、新規の事業を考えるのは難しいのではというのが大方の意見でした。

私が考えてみますということで、2週間ほど考え、情報発信等いくつかの事業と積算を何とか作り上げました。その後、課を挙げての努力で予算化が実現した時は、嬉しかったものです。当時の協会の副会長と常務理事から、「10億円の基金を積んだのと同じだ」と喜んでいただきました。

2. 公益財団法人への移行

公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律が2008年に施行されました。

一般財団法人と公益財団法人との決定的な違いはないように思われましたが、ともかく公益財団法人への移行を目指すことにしました。

新しい法律で「収支相償」という考えが出てきました。各公益事業ごとに、また、法人全体として収支がマイナスになっていないといけないというものです。移行手続きは、担当課長が精力的に進めてくれて、いち早く公益財団法人への移行ができましたが、収支相償との関係で書類作成には苦労したようです。その後、内閣府の法人監査を受けた際に「収支相償は、おかしいです。毎年赤字でないといけないなら、やがて法人はつぶれてしまいます。法律の規定はそれとして、実際の運用は弾力的にしてほしいです」と言いましたら、「どこでもそのように言われます」とのことでした。

3. 協会設立50周年全国障害者福祉センター30周年記念式典

2014年は、協会の50周年、戸山サンライズの30周年という節目の年でした。

したがって、協会の総裁であられる常陸宮殿下及び同妃殿下に御臨席をいただくとともに、厚生労働大臣等の御来賓もお招きして記念式典を催すというのが自然の流れでした。しかし、協会の職員数は限られており、多くの御来賓の方々をお迎えすることや式典後の祝賀会の開催まで考えると漠然と不安を覚えたものです。当日は快晴で両殿下をはじめ御来賓の方々も全員お集まりいただき、粛々と予定は進んでいきました。すべてが終了し、戸山サンライズの玄関で両殿下のお車をお見送りした時は、心からほっとしたものです。主要来賓として来ていただいた方から、「片石さん、とても良い式典だったじゃないの」と声をかけていただきましたが、職員一人ひとりが懸命に取り組んでくれたおかげであり、今も感謝しています。

4. 第3回アジア太平洋CBR会議

2015年のアジア太平洋CBR会議を日本で開催してくれないかという話が前年に同会議の本部事務局からありました。開催費用の確保が心配ではありましたが、担当課長と相談の上、アジア太平洋地域各国との交流は協会の役割、使命であることと最近協会が国際会議を開催していないことを考慮し、引き受けることとしました。当日は、会場である京王プラザホテルに常陸宮殿下及び同妃殿下に御臨席を賜るとともに、内外の多くの御来賓の方にもご出席をいただき、盛大に開会式を挙行しました。各国からの参加者も事前の心配をよそに大会場を埋め尽くすように多数参加して会議を盛り上げてくれました。

5. 補助金カット

公益法人には、事業を実施してもらうために国から委託費等が支出されている例がありますが、委託費も広い意味では補助金とされています。

2009年に民主党政権が誕生し、厚生労働大臣も民主党の方となりました。厚生労働大臣は、各省庁の出身者が所管の公益法人の常勤の役職員となることは望ましくないということから、厚生労働省出身者がいる公益法人に支出する委託費等については一律に2割削減するようにという指示が出されました。ちなみに、他の省庁では、従来どおりの対応でした。一挙に2割の削減は、事業の実施に痛手であることから困惑し、残念に思いました。

理事会では、障害者団体の代表である方が、あまりにも乱暴すぎる措置だと異義をとなえておりました。

6. 人との出会い

私が協会に在籍したのは、2005年から2016年までですが、会長は、最初は金田一郎氏で2012年に炭谷茂氏に交替しました。2人とも厚生労働省で上司でしたが共に温和で人望を集めておられました。

副会長は松井亮輔氏であり、前任者は上田敏氏でした。国際的な障害者のリハビリテーションに関する団体であるRIの日本の窓口としての活動と総合リハビリテーション研究大会の開催は、協会の歴史と共にあるものですが、お二人には、これらの事業に全面的に携わりリードしていただきました。協会の恩人であり、感謝しかありません。

大学教授として多忙にもかかわらず毎週参与として来ていただきアドバイスをいただいた寺島彰さん(現副会長)、そして、誠心誠意取り組んでくれた職員一人ひとりに感謝を申し上げます。そして、お世話になった役員、評議員の方々、障害者団体やNGOのリーダー等使命感に燃えた方々との出会いも忘れられないものです。

7. 協会の発展を祈念して

協会が実施している事業は、おおまかに分類して研究大会の開催、RI等国際団体との連携、ダスキン愛の輪基金との連携による海外障害者リーダーの養成、情報誌やインターネット活用による情報提供、ICT活用による学習支援、そして国際支援実施NGO、JANNET(障害分野NGO連絡会)との連携や国内の主要な障害者団体で構成されるJDF(日本障害フォーラム)との連携です。

それぞれ、時々の必要性から実施されてきたものですが、わが国で、障害者福祉を総合的に担う唯一の公益法人として誇ってよいでしょう。公益法人は、障害者等当事者と行政の間に位置しますがJDFやJANNETの事務局を担うことによる連携は、協会の活動の幅を広げることになります。

また、行政からの調査等の依頼にも積極的に応じることは、障害者のニーズを的確に伝える上で必要です。

最後になりますが、他の公益法人と同様、協会の最も大きな課題は、財政基盤の強化でしょう。私も協会に十余年の間在籍しながら何か案はないものかと多々悩んではいましたが、解決策を見いだせないまま、協会を去りました。今も申し訳ない気持ちでおります。

今後、協会の運営に少しでもプラスになることがあるよう祈念しています。

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