多くの人との出会いと挑戦の日々

「新ノーマライゼーション」2024年11月号

野村美佐子(のむらみさこ)

はじめに

1998年に日本障害者リハビリテーション協会(以下、リハ協)に入会しました。振り返ってみると、情報センターでの17年間は、多くの人との出会いがあり、常にチャレンジ精神で取り組んだとても貴重な経験であったといえます。そうした経験が今の仕事にもつながっています。今でもさまざまな思い出がよみがえってくる、次の3つの事業についてお話をさせていただきます。

1.ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業

2.障害保健福祉研究情報システム(DINF)の情報収集活動

3.DAISYおよびDAISY教科書普及事業

1. ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業

本事業は、「国連・アジア太平洋障害者の十年(1993~2002)」事業推進の一環として、地域の障害者福祉の向上に寄与する人材育成を目的とし、1999年より開始した公益財団法人ダスキン愛の輪基金(当時は「財団法人広げよう愛の輪運動基金」)の委託を受け、リハ協が実施しています。私が入会した年は、開始の1年前でしたので、研修生受け入れの体制づくりなど、その準備で忙しかったことを覚えています。

この事業は、リハ協の本事業のウェブサイトを見ると詳細がわかるかと思いますが、完全な公募で行われます。誰でも応募できます。日本に10か月間招待し、最初に日本語の研修を行い、個別研修は、研修生が作成した計画をもとに設定されます。また、研修は原則として日本語または日本手話で行われます。そのため、日本や日本文化への理解を深めることもできます。さらに、クロスディスアビリティ(障害の種別を超えた)のプログラムであり、「身体障害者」「視覚障害者」「聴覚障害者」という枠を超えた研修生同士の交流やネットワークの広がりが期待されます。自国では同じ障害者とのコミュニケーションや交流が多かった研修生にとって驚くべき経験であり、そこが本プログラムのユニークな特徴でもあります。

開始当初は、障害に考慮した日本語学習方法、個別研修プログラム、そしてコミュニケーションなどさまざまな問題にぶつかりましたが、研修生が充実した日々を送れるよう奮闘したことが今では懐かしい思い出です。コロナ禍の時期を除き、現在も継続をして実施できていることはすごいことだと思います。これからも本事業の実行委員として応援していきたいと思います。

2. 障害保健福祉研究情報システム(DINF)の情報収集活動

英語で「Disability Information Resources」を略してDINFと呼ばれるウェブサイトに障害と障害に関わる情報、特に障害者の社会参加に向けて情報のアクセシビリティに焦点を当て、さまざまな情報の提供のために国内外で行った情報収集活動が懐かしく思い出されます。中でも、2002年から「障害者の権利に関する条約」(以下、障害者権利条約)の策定のためにニューヨークの国連本部で開催された第1回から8回までの特別委員会の記録掲載のための翻訳作業で徹夜などをしたことが思い出されます。また、できるだけタイムリーに掲載したいと考え、委員会参加者に会議の短報をお願いしました。お忙しかったかと思いますが、生の感想をDINFを通して届けました。詳細な会議の内容については、NPO地雷生存ネットワークによる英語のデイリーサマリー(一部翻訳をしました)を許可を得て掲載しました。また、2004年の第3回特別委員会には、著者自身もニューヨークに行きました。そこで「私たちのことは私たちぬきにきめないで(Nothing About us without us)」と世界中の障害当事者が参加し、発表する様子を直接見ることができました。2006年に条約として国連総会で採択されましたが、このことは、その後の障害者が「他の者との平等を基礎として」さまざまな権利を享受するうえで大きな影響を与えました。その過程に少しだけ関わることができたのは、著者にとって成果の一つです。

また、DINFには、いくつかのインタビュー記事が掲載されています。その一つに世界各地で地域医療とリハビリテーションの実践に取り組み、障害者の自立と地域に根ざした保健および障害分野のパイオニアであったデビッド・ワーナー氏のインタビュー記事があります。 ワーナー氏の著書である“Nothing About Us Without Us”と“Disabled Village Children”は、常にDINFアクセス件数の上位でありましたので2009年の来日の際にインタビューをさせていただきました。英語でのインタビューで緊張しながらお話を伺ったことが思い出されます。終始、穏やかな表情で質問に答えていただきましたが、障害者ぬきには考えられないというCBRに対するワーナー氏の理念が、氏自身のCBRへのアプローチや経験を語っていただく時にとても強く伝わってきました。

3. DAISYおよびDAISY教科書普及事業

DAISY(Digital Accessible Information System)について初めて知ったのは、リハ協に入ってからでした。当時の上司は、DAISYの創設者の一人である日本DAISYコンソーシアム運営委員長の河村宏さんでした。河村さんを通して国際DAISYコンソーシアム、DAISYコンソーシアムの設立に関わる国際図書館連盟(IFLA)、そして日本図書館協会の障害者サービス委員会での活動に積極的に関わるようになりました。

情報センターでは、河村さんの指導のもと、河村さんがリハ協を去った2003年以降も、さまざまなDAISYに関連する事業を引き継いで行いました。マルチメディアDAISY図書の製作、DAISYの製作研修会、そして特にディスレクシアのある人に焦点をあてたマルチメディアDAISYの有効性などの研究・普及活動などを行いました。

2005年には、知的障害者のためにやさしく読める(Easy-to-read)本としてスウェーデンで出版された「赤いハイヒール ~ある愛のものがたり~」を翻訳して、本と一緒にマルチメディアDAISY版CD-ROM付きで出版しました。この取り組みは大変でしたが、「ノンタン」絵本シリーズの元編集者であった鴻池守氏が協力をしてくれたことや、山田洋次映画監督がこの本の帯を書いてくれたことなど、本当にワクワクする取り組みでした。

2009年の教科書バリアフリー法の成立と著作権法の33条の2の改正は、小学校と中学校の読みの困難な児童生徒にマルチメディアDAISY教科書を製作・提供に向けた一歩を後押ししてくれました。NPO法人やボランティア団体の協力を得て可能になりましたが、情報センターにとっては重要な活動になったと思います。当初は、ダウンロードに関して著作権の問題、DAISY教科書提供システムの構築の問題などがでてきました。文化庁へ著作権に関して回答を得るまで何度も電話したことが懐かしい思い出です。

現在は、文科省の研究助成を受けて、提供の環境も整えられ、約25,000人の児童生徒の利用があるそうです。それでも通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査結果(2022年)によれば、読みまたは書きに困難を抱えている人は3.5%もいることを考えるとまだ必要とする児童生徒には届いていないと考えます。また2024年6月に教科書バリアフリー法の一部改正、7月の施行により、日本語に通じない児童生徒も、DAISY教科書を活用できるようになりました。リハ協が、今後ますます広報に力を入れて多くの児童生徒にアクセシブルな教科書を届けてほしいと思います。また、そのためにさらに文科省の読みの困難な児童生徒に対する環境整備が期待されます。外部から応援申し上げます。

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