日本の障害者運動とJDFの役割

「新ノーマライゼーション」2025年1月号

日本障害フォーラム 副代表
(社会福祉法人日本視覚障害者団体連合 会長)
竹下義樹(たけしたよしき)

戦後におけるわが国の障害者運動は、身体障害者を中心にスタートした。その結果、1949年に身体障害者福祉法が制定されたのである。そして、1958年に日本身体障害者団体連合会が結成されたものの、その内実は肢体障害者が中心の組織であり、視覚障害者や聴覚障害者は独自の組織を形成し運動を進めていた。その後、1960年に精神薄弱者福祉法が成立し、1988年に精神保健福祉法が改正され、ようやく精神障害者も障害者としての位置づけを受けるようになった。しかし、身体障害者、知的障害者、精神障害者が共通の課題を設定し連帯することはほとんどなかった。

2004年に日本障害フォーラム(以下、JDF)が結成されたことは、わが国の障害者運動を大きく発展させることになった。国は、介護保険法の制定をきっかけに、障害者福祉についても介護(介助)を中心においた障害者法の制定をもくろみ、2005年に障害者自立支援法を制定した。

時を同じくして、国連においては2002年から障害者権利条約の制定に向けた国連障害者権利条約特別委員会(アドホック委員会)が立ち上げられ、2006年12月に国連の総会において障害者権利条約が採択された。その結果、国連のアドホック委員会の傍聴から始まり、障害者権利条約制定後のわが国の批准や批准後の国内における制度改革はJDFを主体とした運動が展開され今日に至っているのである。

JDFがこの20年間に果たした役割は、それ以前とは比較にならない大きな変化である。わが国では2009年に政権交代が起こり、障害者自立支援法の改廃を前提に障害者制度改革の議論がスタートしたが、その中心となったのはJDFであり、2011年の障害者基本法の改正によって内閣府に設置された障害者政策委員会における議論もJDFを構成する各団体から派遣された委員を中心に展開されてきたのである。その成果をここに羅列するようなことはしないが、最大の成果は2022年9月9日に発表された国連障害者権利委員会のわが国に対する総括所見であることは重要である。

20年を経過したJDFの役割ないし存在意義は、十分に果たされていると言えるであろうか。これまでの20年を評価する時には、大きな実績を指摘できるとしても、現時点において日本の障害者運動を牽引する存在として足りていないものはないかということが問われるべきである。

私は学問的に研究をしたことはないし、現地に出向き調査をした経験も乏しいが、欧米における障害者団体は強い政治力を持ち自らがシンクタンクをつくったり、政治家や政党との間で政策協定を結ぶ等、制度づくりに大きな影響力を持っている。その点でJDFもそうした機能ないし役割を持つ必要はないのであろうか。障害種別団体にはそうした機能を意識して活動している団体もあるし、政治家との結びつきを強めている団体もあるように思う。日本の障害者制度が、障害者権利条約、そして2022年にわが国政府に示された総括所見を、どれだけ日本の社会にふさわしい内容に進化させて制度改革として結実させることができるかは、JDF自身の力量として問われてくるのである。

私の指摘は大言壮語に過ぎないと酷評されるかもしれないが、今後10年におけるJDFの存在意義を議論し、わが国の障害者運動を牽引する力を強めるためにもそうした議論を開始したい。

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