日本障害フォーラム 副代表
(一般財団法人全日本ろうあ連盟 理事長)
石橋大吾(いしばしだいご)
日本障害フォーラム設立20年のお祝いを申し上げます。
日本障害フォーラム(以下「JDF」)は、フォーラムを組織する各団体の意見や行動を尊重しつつも共通の事業を推進するという、日本の障害をもつ人を代表する「障害者全国団体の緩やかな連携組織」として発足しました。全日本ろうあ連盟(以下「連盟」)は副代表・幹事会議長等に就任する他、すべての部会・委員会に理事を参画させ、活動を共にしてきました。
JDFでは、障害者権利条約の推進や日本での障害者差別解消法の制定、障害者差別解消法改正等に取り組んできていますが、その中でも特筆すべきは「障がい者制度改革推進会議」の取り組みだと感じています。
政府が発足させた「障がい者制度改革推進本部」の元に設置された「障がい者制度改革推進会議」にはJDF構成団体からも多くの委員が選出され、連盟からも委員を選出しています。この会議は「障害者の権利に関する条約(仮称)の締結に必要な国内法の整備」を主とする障害者の問題を扱うからこそ、当事者団体や家族を含めた関係者が過半数を占める形で構成されているもので、政府主催のものとして画期的な会議でした。
連盟は会議に参画するにあたり、JDFと共に「誰一人取り残さず、私たちのことを私たちで決める」との理念のもとに、傍聴者も含め、きこえない・きこえにくい人が取り残されないための情報保障のシステムを政府の責任で対応することを提案・交渉し、手話通訳や文字通訳だけでなく、きこえない委員のための支援者を複数名つけ、会議に臨むことができるようになりました。この会議の進行を主に努めたのは当時JDF幹事会議長でもあった藤井克徳さんです。情報アクセシビリティに困難を抱える当事者として、権利を要求するだけでなく、その仕組みの構築を提案し活用し続けることで、この後の諸会議の情報アクセシビリティは大きく向上しました。この時に取り入れられたシステムはその後の国が開催する会議の基本となり、内閣府による「障害者政策委員会」をはじめ多くの会議に引き継がれています。
奇しくも2024年10月、最高裁判決で原告勝訴という歴史的な勝利を得た「優生保護法を巡る裁判」を経て、「旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者等に対する補償法等の支給等に関する法律」(保障法)が成立しました。決して諦めず、最後の最後まで戦って得たこの結果は、「私たちは優生思想に基づいた制度や風潮を決して許さない」という強い意思表示であるとともに、これからの共生社会を新たにつくる大きな一歩です。
設立から20年という歴史を振り返る中で、JDFはその緩やかな組織の中でも、当事者の権利を確固としたスタンスで訴えてきています。それは障害者権利条約にもある「障害者もすべての人権と基本的自由を平等に享受する権利があり、自分の人生について決定する権利をもっている」ことを、自らをもって示し、取り組んできた証です。
「JDFだからこそできること」を「私たち抜きに決めないで」をモットーにこれからの未来につなげ、誰もが自分のことを自ら選択できる社会に向け、共に歩んでいきたいと願っています。