ひと~マイライフ-見えない私が見えるあなたを育てるということ~生き方と働き方のはざま~

「新ノーマライゼーション」2025年1月号

菅谷明子(すがやあきこ)

私は先天性の視覚障がいがあり、右眼0(義眼)、左眼0.04です。短大卒業後、保育士と特別支援教育の免許を取得し、ビジネス系の専門学校にも通いました。これまでに数社で人事業務に携わり、結婚・出産を経て現在も就労中です。高校1年生と小学5年生の息子を育てながら、障がいのある方の採用や障がい者インクルージョンに関するセミナーやイベントのサポート業務に従事しています。

私の人生は健常者の友人と同じように生きてほしいという両親の願いから、「勉強やスポーツは人の2倍努力せよ」という環境で育ちました。私もそれが普通であり、他の人と同じようになるべきと考え、自分の強みを見つけるために奮闘していました。

音楽が好きだった私は、中学生の時にオーケストラ部の演奏を聴き、「音楽なら努力すれば友達に迷惑かけず、参加できるかもしれない」と思い、ヴァイオリンを始めました。次第にヴァイオリンが唯一の楽しみになり、10代の頃は情熱を注ぎました。ヴァイオリンに触れている時だけは障がいを忘れ、仲間と同じ立ち位置でいられる気がしていました。

20代になり、周りが進学や就職を決めていく中で、障がいの壁に初めてぶつかり、子どもが大好きだった私は保育士になりたいと一般の大学へ進学を決めました。当時は便利なアプリやiPhoneもなかったため、講義の内容を詳しくメモに残し自宅でまとめる作業をしながら、夢を膨らませていました。

ところが、「資格をとるための勉強は可能だが、卒業や保育士になるのは厳しい」「障がい者は就職が難しい」と言われたこともあり、周りと同じことを実現したいだけなのに夢を諦めなくてはいけないのかと悩みました。そのため、憤りを家族にぶつけてしまうこともありました。

そんな日々を過ごし、「好きなことを仕事にできないなら、全く違うことにチャレンジしよう」とビジネス系の専門学校に通うことを決めました。就職のため電卓・漢字・簿記検定などに挑戦しました。視力的に難しいものもありましたが、資格が取れなくても知識を深めたことにより、就職が決まりました。

その後、結婚・出産を経て、今度は子どもたちと共に生きる人生が始まりました。私も主人も視覚障がい(弱視)のため、息子たちに障がいが遺伝するのではないかと心配しましたが、幸いなことに2人とも無事に生まれました。彼らが誕生した時、「元気に生まれてきてくれてありがとう」「私たちを選んでくれて本当にありがとう」と感謝と幸せを実感しました。

私たちの子育ては、子どもたちが小さい頃は大変でした。誤飲や迷子の心配も尽きませんでしたが、息子たちは「母ちゃん、ここ段差だよ」「母ちゃん、ここに探していたお肉があるよ」などと自然にカバーしてくれるようになりました。家族がお互いを思いやれることが当たり前となり、年々絆が強くなっていることを実感しています。

出産後は、働かず育児を優先していましたが、育児にも慣れ再び働くことを考えるようになりました。当時は自分のキャリアプランを考える余裕がなく、息子たちが病気やけがをしてもすぐに対応できるよう、自宅近くの職場を優先して前職に転職しました。

その後、息子たちが大きくなったタイミングで、あらためて私自身のキャリアを形成していきたいと思うようになりました。障がいの理解を得ながら、仕事と家庭を両立しつつキャリア形成が可能なデロイト トーマツに魅力を感じ、ここで働きたい、成長していきたいと思い2022年からデロイト トーマツで働き始めました。

今後は、家庭を大切にしながら、これまで後回しにしてきた社会とのつながりやキャリア形成を大切にし、長く働いていきたいと考えています。

デロイト トーマツでは、障がいの有無にかかわらず、活躍できるフィールドが用意されています。しかし、障がいがあるために自分自身で挑戦を遠慮してしまい、中には積極的になれない方もいらっしゃいます。

一人ひとりの強みを活かして生き生きと働けるような環境・職場づくりをより促進していけるよう貢献していきたいと考えています。そして、常に新しい出会いを大切にしていきたいと思っています。

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