古関祐一(こせきゆういち)
1962年生まれ。東京都在住。SMA(脊髄性筋萎縮症)。国立療養所下志津病院(現独立行政法人国立病院機構下志津病院)に入院しながら、千葉県立四街道養護学校(現千葉県立四街道特別支援学校)へ通う。同校高等部を卒業と同時に下志津病院を退院、在宅生活になり、2000年よりフリーランスとして東京都葛飾福祉工場のes-team(エス・チーム)に参加。今は寝たきりで作業をしている。
1981年3月、養護学校高等部卒業と同時にそれまで入院していた病院を退院して在宅生活になったものの、就職先などは全く決まっておらず家で両親と過ごしていました。
私は子どもの頃、母から「お前は働ける体じゃないんだから仕事をしようなんて考えるんじゃない」と言われました。私は何か違うなぁ、自分にもできることがあるんじゃないのかなぁ、とボンヤリ思いつつ話を聞いていました。時代も環境もあるのでしょう。けれど、「お前には可能性がたくさんある。できることがたくさんあるんだぞ」ということを教えてほしかったです。自分の意識が低いのも良くなかったのですが、卒業してからの身の振り方を、たとえ思いどおりにならないとしても親も学校も私と一緒に考えてほしかった。人のせいにするつもりはありませんが、ただのほほんと生きていた私にとっては教えてもらわないとわからなかったのです。
高等部を卒業して4か月ほど経ってから自宅近くにある共同作業所へ通い始めました。初めのうちは下請け仕事などをしていましたが、しばらくすると世の中にはパソコンが出回り始め、作業所でも文字入力やアンケート集計の仕事も行うようになりました。
当時はキーボードを打つことはできました。私にもできる仕事があることがわかり、パソコンを使った仕事に楽しく取り組めましたし、新しいアプリケーションを使えるようなることも嬉しく思えました。もっと仕事をしたいと考えるようになり東京都葛飾福祉工場のes-team1)に加えていただきWebページを制作したり、グラフィックデザインの勉強をする機会をいただき、ポスターの制作などにも携わることができました。
5年ほど前、日本障害者リハビリテーション協会さんから、ディスレクシアの子ども向けにDAISY図書の製作をお引き受けするようになりました。
受け取ったテキストファイルに間違いがないか原本と照らし合わせるところから作業が始まり、その後、自動的に振られたルビを確認、修正します。文章はAIが読みますが完璧ではなく、イヤホンで聞きながら修正していきます。言葉によっては修正がとても難しく、自分の頭の中にある発音とイヤホン越しに聞こえてくる発音がなかなか一致しない時があります。アクセントの位置をずらしたり、いろいろと考え調整してみますが10分、20分と作業を続けても思いどおりの結果が得られない時があります。すべての作業に根気と時間、注意力が必要で、休憩をとりつつ仕事を進めていきます。
私にとってこの作業を行うエネルギーになっているのは、一緒に働いている仲間がいることです。もちろんディスレクシアをもつ人にとって少しでも聞きやすく、わかりやすいDAISY図書ができればと考えて作業を行っていますが、私と同じように在宅で、今、同じ仕事をしている障害をもつ人がいるということは、「がんばろう」と思わせてくれる、大きな原動力になっていますし、発音の調整がなかなか上手くいかない時でも時間をかけて、少しでも正しい「読み」に近づけることができるのだと思います。
この先あとどれくらいできるかわかりませんが、可能な限り仕事を続けていきたいと考えています。
1)東京都葛飾福祉工場が運営する障害者の在宅就労グループ。個人の希望に合わせた働き方を可能にしている。