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訳者あとがき

藤田 ( ふじた ) 雅子 ( まさこ )

ぜひともここで(しる)しておきたい出会いがありました。出版を目前(もくぜん)にして、どんな人柄(ひとがら)の人がどんな場所で書いたのか、自分の目で、耳で、(はだ)で確認したくて、ノルウェーに出かけました。『本は友だち』に登場する主人公である、数々の本たちに出会うのも重要な目的の一つでしたが。

眼下(がんか)(ひろ)がるオスロ・フィヨルドは、短い夏が去るのを()しむかのように太陽を反射して輝いていました。私を出迎えたのは、ノルウェーの人々が愛する夏の花、ダリアの花束でした。『本は友だち』の著者、ウーリアセーターさんからのプレゼントです。この本は小さな書物ですが、翻訳の出版までの道のりはずいぶん遠かったような気がします。

数年前、花の季節を準備しているパリを(おとず)れ、ユネスコの本部で障害児担当のサリーさんから手渡された小冊子が、ウーリアセーターさんの「日常生活に障害児を統合(とうごう)する際の児童書の役割:THE ROLE OF CHILDREN'S B00KS IN INTEGRATING HANDICAPPED CHILDREN INTO EVERYDAY LIFE」でした。この(うす)くて質素な装帳(そうてい)の中には、高価な百科事典にも匹敵(ひってき)するほどの内容(本・絵本・歌・ことば)がぎっしり()まっていました。すごい! 障害の有無(うむ)に関係なく子どもと関(かか)わりのある人たちにぜひ読んでいただきたい、偶然手にした人だけが読むには()しいのです。しかも英語で書かれていますし、書店で誰でも買える本ではありませんから、この本を利用できるのはごく(かぎ)られた人になってしまいます。

本書のユネスコ版・原書

本書のユネスコ版・原書

私は、人を(かい)して障害児関係の出版を多く手がけている偕成社に出版の話を持ちこみました。ある年の残暑の(きび)しい日、偕成社の今村社長をおたずねしました。社長はすでにこのテキストのことはよくご存知で、「このテキストは、もともと国際障害者年にボローニャ児童図書展会議場で『本と障害児に関するセミナー』が開かれた時、メイン・リポーターのウーリアセーターさんが基調講演としてお書きになったものです。私もリポーターのひとりとして出席しましたが、出発直前にこのテキストが送られてきましたので、大急ぎで翻訳してもらって読みました。その後、社内資料として小冊子にもしてありますが、出版することまでは考えていませんでした」と話されました。「ぜひ出版して誰でも読めるようにしたい。あたりまえのことが実に率直に書かれていますから」と答えたように覚えています。

本が、絵本が、歌が障害をもつ子どもたちを日常生活に統合(とうごう)するという課題をすべて解決してくれるわけではありません。でも、解決のための力強いエネルギーにはなります。ウーリアセーターさんは日頃(ひごろ)私たちが何気(なにげ)なく感じていること、あるいは意識の底でうずいていること、それらを総合的にそして現実的に気負(きお)わず文章にしています。あたりまえのことを素直(すなお)に表現するには、するどい観察力と深い洞察力(どうさつりょく)が必要です。単純明快で(かざ)りけのない文章に、かえって(あつ)い情熱を感じました。このプレインとハートの調和はどこからくるのでしょうか。ユネスコ版を手にしてから、ずっと不思議でした。

ウーリアセーターさんの本に出会ってから何回も花の季節が(めぐ)ってきました。

翻訳本が出来上がる前に思い切ってノルウェーに行って本当によかった。数年来の(なぞ)()けたのです。彼女は車を運転しながら助手席の私に最初に言ったのは、「障害の息子(むすこ)がいるのよ」という言葉でした。ウーリアセーターさんを障害児教育の教師を養成する専門家としてしか考えていませんでしたので、私は一瞬戸惑(とまど)いました。

ダグトール君は33歳、自閉症です。彼の生活の場(グループホーム)で最に彼に会いました。5人の障害のある青年が、スタッフと暮らしていますが、その一人です。母親であるウーリアセーターさんが訪れるのは彼が外泊しない週末なのに、その日はウイークデーでしたし、事前に知らされていなかったので驚いたようでした。ワークセンターで働く彼の姿にも接しました。彼が卒業した高校の特殊学級も見学しました。これらは彼女と仲間の親たちが、開拓し作り上げたプロセスであり結果なのです。湖のほとりにあるレストランで夕食をご馳走(ちそう)になりました。もちろんダグトール君も一緒(いっしょ)です。

よく、ダグトール君は静かに歌を口ずさんでいます。毎月第二週末に帰宅する(30歳までは毎週末でしたが、自立のために回数を減らしたのです)彼のベッドの横には本が数冊積まれています。お宅に(うかが)った時に会ったダグトール君はどこにいる時よりもリラックスしていました。「ヤーパン(ノルウェー語で日本人の意味)」といいながら、母親の手伝いを台所でしていました。ウーリアセーターさんもダグトール君も自宅が居心地(いごこち)がよさそうですが、大きな息子を幼児のように母親の腕に(かか)えこんではいません。でも彼が帰宅した時は母親の顔です。「これからダグトールをお風呂に入れて、寝かせるの。ゆっくりお話しができなくてごめんなさい。障害児のいる家庭は、いくつになっても小さい子がいるようなのよ」という言葉が印象的でした。

彼女はいつも息子に微笑(ほほえ)みを浮かべて話しかけ、状況を説明しています。ダグトール君の質問には、何回でも答えます。ダグトール君は生活感のある素敵な自閉症の青年です。ウーリアセーターさんには母親の暖かさと専門家の客観性が見事に()()っています。

私にとってノルウェーは初めてでしたが、同じ北欧のスウェーデンやデンマークは仕事の関係で訪れる機会は何回かありました。その都度(つど)、きめ(こま)かなサーヴィスの普遍性には感銘を受け、(うらや)ましくも感じたものでした。でも、社会の背景は違っていても親の気持ちには共通性があるという当然のことに改めて気づかされました。

「ずっと今のお仕事を続けていらしたのですか?」という問いに対して、「障害のある子がいたらフルタイムの仕事はできないわ」と彼女は答えました。彼のためにグループホームを確保するまで、彼女は時間に拘束(こうそく)されないテレビや本の批評の仕事をやっていました。彼女にはこの領域の著書もあります。彼女は、『長くつ下のピッピ』で知られるリンドグレーンとも交友がありました。ご主人は英語とドイツ語を(ふく)む五力国語を(あやつ)るプロの翻訳家ですし、ご主人のお父さんはノルウェーで著名な作家であったそうです。文学一家なのです。『本は友だち』は、障害児教育の専門家、生活する主体としての障害のある青年を育てた母親の姿、そして豊かな文学的才能、これらが統合された結果であったのです。数年来の(なぞ)()けました。

ウーリアセーターさんの自伝『マイ・サイレント・サン』の英語訳(“My Silent Son”英語訳は未刊ですが、ノルウェー語では現在第五版、フランス語訳など数力国語で出版されています)を、オスロから成田まで夢中で読み続け、長い飛行時間も時差も感じられないほどでした。これについてもご紹介したいのですが、とても紙面の余裕(よゆう)はありません。妊娠前からダグトールさんが青年に至るまでのこの貴重な記録が日本語になるのも、もうすぐです。『本は友だち』と『マイ・サイレント・サン』は、それぞれ充実していますが、両者を合わせて読んだ時、相乗効果(そうじょうこうか)発揮(はっき)するでしょう。フィヨルドが陽を()びて輝くように!

子どもはすべて(みずか)()びようとする力をもっています。生み育てる親と家庭、そして社会が共同で、私たちのかけがえのない子どもを(いつく)しみ、(はぐく)んで、子どもたちの潜在的な能力を開花させてあげたいものです。北極圏を(ふく)むノルウェーに、ダリアが夏の色彩を放つように。幼さに(くわ)えて、精神的、身体的あるいは社会的にハンディのある子どもたちは生きていくのがとても大変です。この世に生を受けたすべての子どもたちを喜んで受け入れる社会の仕組みをつくりたいというのが私たちの願いです。

ユネスコ版は専門用語が多く、しかも心理学、教育学、図書館学、社会福祉など各専門家同士であれば暗黙(あんもく)に了解をしている内容については、説明を(はぶ)いています。これを文章中で(おぎな)ったり、注釈をつけて読みやすくしました。翻訳の出版をご承諾下さった今村社長に改めて感謝いたします。これでウーリアセーターさんの本を、誰でも本屋さんで買えます。図書館で借りられます。最後になりましたが、共訳者の乾侑美子(いぬいゆみこ)さんそして編集の方がたのご協力、ありがとうございました。

1988年12月10日 文教大学人間学研究室にて