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国際障害者年と私

「完全参加と平等」へのむなしさと希望

竹島昭三郎

 1981年の国際障害者年をふりかえってみると、私にとっては誠に意義深い年であったと思う。

 国際連合が1976年に、1981年を国際障害者年とすることを決議しているが、私が知ったのは、1980年であって全く寝耳に水で、突然我が国の障害者に天から幸運が降りてきたような気がしたものである。「完全参加と平等」という言葉は、私にとってはまことにききごたえのするすばらしい言葉であり、その理念や目的は、私共ろうあ者が長年にわたって運動してきた切実な要求そのものであった。しかし反面私共ろうあ者をとりまく社会環境や国の障害者福祉施策を知るかぎりでは両手をあげて喜べない、又実感のともなわないむなしさを感じたことも事実であった。案の定私共ろうあ者が心の片隅で心配していた通り1981年の国際障害者年記念行事や諸種の催しは、耳の聞こえない、言葉の不自由な者に対しての理解や認識に欠けたものが多く「完全参加と平等」どころか、むしろ苦々しさを感じさせられる何かが残されたことは残念であったと思う。ろうあ者は外見上は一般健常者とかわりなく表面上目に見えない障害であることから、健常者から見ればその不自由さを補うには筆談や簡単な手話で事足りると思われがちであったためと思われる。耳が聞えないことによっていいたい言葉も自由に使えないもどかしさだけでなく、思考力や知識の蓄積等人間にとって社会生活上不可欠なものにまで影響が生じるとは一般の人達には想像もできないことのようである。

 「完全参加と平等」をめざしてろうあ者がいかに知りたい、学びたい欲求があってもそれをとりまく一般社会の人達がろうあ者の障害を理解し認識しない限りは言葉の獲得量も少なく情報も閉され、それによって持てる能力や素質ものばせないろうあ者にとって「完全参加と平等」はありえないものだとつくづく思わされたものである。しかし冷静に考えてみると国際障害者年だからといって1年や2年で根本的なものがそう簡単にかえられるものではないし、今後の息の長い運動やろうあ者自身の努力によってこそ本当のものが実現されていくものと理解する時自分自身が国際障害者年や「完全参加と平等」という言葉に甘えていたのではないか……と反省させられることもしばしばであった。1981年の国際障害者年は新聞・テレビ等マスコミを通して大々的に一般社会に呼びかけられ、関心を呼び起こし、障害者に対する一般の理解と認識を深められた年であったことは確かであった。省りみると私共ろうあ者が戦後社会の片隅で偏見や差別に耐えながらもろうあ者のためのろうあ者による福祉運動を始めて以来30有余年になるが、昔と今を比べてみると社会の障害者観はたしかに大きく変化してきているし私共が要求してきた運転免許資格の取得や手話通訳の養成などの権利保障、民法11条など法改正面でも大きく進展をみている。私共ろうあ者のたゆみない運動と行政機関の福祉施策のつみ重ねによって障害者の福祉は年々充実されつつあることはまちがいないし、政府も1980年に国際障害者年推進本部を設置し、中央心身障害者対策協議会議も特別委員会を設置し今後の国内長期行動計画の在り方についても審議を重ねてきている。私もその委員会のメンバーの1人であったが各界から委員に任命された方々・関係各省の担当者の労に対して敬意を表わしたい。真の国際障害者年はこれからであり、今後10年間の私共の障害者の指針となるものは国連で決議されている「障害者の権利宣言」であり、そして中央心身障害者対策協議会が政府に提出した「国内長期行動計画の在り方」を今後いかに具体化し実現させうるかのとりくみである。それと同時に障害者一人ひとりが国や社会に対して甘えることなく人間として社会人として正しい姿勢でのぞまねばならないことである。そのためには10年の過程の中で自らが勇気をもって社会にとびこみ開拓し貢献していく喜びと幸わせを忘れてはならないと思う。今まで社会の偏見や差別と闘いぬいてきたその根性こそが社会の中で大きく役立つことだろうし、また愛に飢え愛の心の尊さと、他人の心の痛みも人一倍知る心を我々は永久にもちつづけなければならないと思う。生きるために働くことでも明日への期待と未来への展望をもって誰に強要されるのでもなく服従するでもなく、自らの強固な信念による忍耐と努力そして労働を愛していくことが本当の自由であり権利であり真の幸わせでありそれが完全なる障害者の社会参加と平等につながるものであると私は思う。

(財)全日本聾唖連盟副連盟長


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1982年3月(第39号)26頁~27頁