特集/総合リハビリテーション研究大会'87 療育と教育の接点を考える

特集/総合リハビリテーション研究大会'87

《講演Ⅱ》

療育と教育の接点を考える

高松鶴吉 *

 はじめに

 最近、障害児を対象とする世界で「療育」という言葉がよく使われるようになってきている。例えば早期療育という具合にである。しかし一方では、早期治療とか早期教育とかいう言葉も存在する。一体、障害児の早期療育と早期治療と早期教育とは、どこがどのように違うのだろうか。判然としないことが多い。

 療育という言葉は、その語感からして治療と教育の間という印象がある。また一方では、昔から主として教育の世界で「治療教育」という言葉も用いられて来た。そういうこともあるので、本題に入る前にそもそも療育とは一体何であるかについて若干論じることにしたい。

 Ⅰ 療育とは

 1. 高木憲次先生の提言

 「療育」という言葉と概念は、昭和17年、高木憲次先生が初めて提唱したものである。

 彼は東京大学の整形外科教授という象牙の塔の住人でありながら、20余年もの社会的啓蒙活動を続けてわが国最初の肢体不自由児施設を創ると共に、肢体不自由児療育の体系を築き上げた人である。

 高木先生は従来の医療や教育の障害児不在の在り方、しかもそれらが相互に無関係で行われている状態を憂い「療育」という理念を次のように提唱した。

 「療育とは現代の科学を総動員して不自由な肢体をできるだけ克服し、それによって幸いにも回復したる回復能力と残存せる能力と代償能力の三者の総和(これを復活能力と呼称したい)であるところの復活能力をできるだけ有効に活用させ、以て自活の途の立つように育成することである」

 この概念規定を現代風に訳すれば、次のように言えるのではないかと思う。

 「療育とは医療、訓練、教育、福社などの現代の科学を総動員して障害を克服し、その児童が持つ発達能力をできるだけ有効に育て上げ、自立に向かって育成することである」

 いずれにしろ彼が、後述の「治療教育」の概念よりは広い範囲の科学の参加を求め、医学や教育学に留まらず「現代の科学を総動員して」と述べていることに注目する必要があると思う。

 2. 治療教育

 一方、すでに19世紀、ヨーロッパには「治療教育」という言葉が存在していた。児童臨床心理学事典(岩崎学術出版社)には、ドイツのゲオルゲンスが1861年に「治療教育学(Heilpaedagogik)」という本を著したこと、それ以後「治療教育とは心身に発達障害のある児童に対する教育であり、医学的な治療によって治すことができず、また教育しても限界のある児童に対して、医学と教育との連携によって、その児童の教育の目的を達しようとするもの」と定義されてきたと書かれている。

 教育界の方々は、ヨーロッパに始まったこの治療教育という概念を「療育」という言葉から感じられると思う。即ち「治療教育―短縮して療育」とする考えである。

 3. 「教育」について

 療育を「治療教育」と解釈すれば、療育は教育の一分野となる。しかしここでいう「教育」をどう据えるかということも議論上必要である。なぜなら教育は文部省の管轄するいわゆる学校教育だけでないからである。

 わが国では以前より、学校教育にはなじまないとされた比較的重度の障害児たちが、厚生省サイドの施設内教育を受けてきたという長い歴史がある。そしてむしろこの施設内教育の伝統の中にこそヨーロッパで育ってきた「治療教育」の実践があったと私は感じている。

 従って、教育をこの施設内教育まで含むものとして捉えるか否かが問題となるが、ここでは狭い意味での学校教育を「教育」として論じていくことにしたい。

 Ⅱ 障害児を中心に据えた医療と教育

 医療努力の結果は全快か死である。しかしそのいずれともならぬ場合、医師はそれを「不治永患」と呼び、医療努力の限界を超えるものとして福祉の世界に渡してきた。

 こうして医療にとって障害は対象外の存在となる。しかし逆に障害を持つ個人にとって医療が必要なのはいうまでもない。従って少数の先人たちの努力によって、18世紀に「障害に対する医学」が誕生し、それが長い歴史の後ようやくにしてリハビリテーション医学という体系に発展してきたことはご承知のとおりである。

 同様の思想・態度が、障害児に対する教育の世界でも19世紀に「治療教育」という形で生まれた。「治療によって治せず、教育にも限界があるとして長く見離されてきた」子どもたちに対する教育実践としてである。

 わが国の特殊教育の歴史は百年を越える。だが歴史をひもとくまでもなく、最近までわが国の学校教育が対象としてきたのは、「学校教育」の中で「教育可能な」障害児たちであった。その意味で、わが国で育ってきたこの特殊教育は、基本的に治療医学の「治療可能な」障害児に対する態度に類似していたといえるのではないか。

 近年「全員就学」の理念の下に、今まで「教育不可能」として福祉世界の教育実践に委ねてきた重度重複の障害児まで、広く公教育の対象とすることになった。たしかにこれは新しい教育の展開である。

 しかし巨視的に見ると、残念なことにそれは従来の「学校教育」という枠をそのままにしての取り込みにすぎない。教育関係の方々の努力を無視するものではないが、子どもの実態から新しい教育のあり方をつくるとの視点がなお不足しているようにみえる。簡単な例として、重度重複の就学児に対する長期夏休みの教育効果を考えてみて欲しい。何らの教育効果も期待できぬばかりか、有害であるとする意見が多いのである。

 Ⅲ 教育の治療教育化

 以上述べてきたように、療育とは元来教育に対比される概念ではない。従って療育と教育の接点というテーマはそのままには論じがたいので、以下ご寛容いただいてテーマを「教育の治療教育化」という観点に移したいと思う。

 端的に言って障害児が求めるものは、まず障害児を中心に据えた医療と、障害児を中心に据えた教育の存在、およびそれらの医療と教育の密接な連携活動である。勿論、広く彼らの生存・成長を支える家庭や社会援護などの福祉活動を無視することはできないが、ここでは省略させていただく。

 さて、障害児が求めるものを教育の立場から眺めると次の三つのことが課題となる。すなわち、1.障害児を中心に据えた教育システム、2.医療との実践的連携システム、そして3.療育的な教育実践(内容)の三点である。

 1. 障害児を中心に据えた教育システム

 今日の実態に則しているか否かについて若干の疑問を述べたが、いずれにしろわが国ではすでに特殊教育の長い歴史と伝統がある。先人たちの努力によって、今日私たちの国で「障害児を中心に据えた教育のシステム」が存在することは、ゆるぎのない事実である。従ってこの課題に関するかぎり論ずべきものはない。

 2. 医療と教育の実践的連携システム

 今日、良心的な現場人たちがひとしく問題としているのは、この医療と教育の連携という課題である。地域の中における障害児療育システムの構築は、私のような障害児医療の実践者にとっても基本的なテーマであり、従って教育との提携は永年にわたる私自身の課題でもあった。

 しかし実際に行ってみれば、医療と教育との間には相互に没交渉であった長い歴史があり、立場、構え、知識、技術の違いの外、無理解というよりは理解し合おうとする態度の欠如や縦割りの行政の限界など、さまざまな難点を感じることが多い。

 私たちの立場からみれば教師、校長、教育行政関係者の短期日の異動ほど落胆させるものはないが、教育側から眺めても、例えば自閉症に熱心な医師が突然転任するなどという事態もある。

 最近、臨教審の教育改革に関する第三次答申があり、その中で初めて特殊教育が論じられ、しかも「障害の早期発見・早期治療と早期教育のため、医療・福祉・教育が一体として機能する地域センターの設置を推進する」という主張がなされた。

 教育が教育の枠を超えて、医療や福祉との提携をうたうのは画期的なことと思われ、その姿勢の今後の進展・具体化を強く期待するものである。だがセンターをつくるという努力と共に、相互の提携を深めていく地道な実践活動の鼓舞と支援とが必要である。

 北九州市では、私たちの総合療育センターと、特殊教育の中心である養護教育センターの併設がなされ、やがて10年の歴史を刻む。医療と教育と福祉の提携はこのセンターを通じて、基本的には成立しているといってよい。しかしこの提携は単純にセンター建設によって生まれたものではない。そうではなく、私たちには長い特殊教育の現場実践があり、加えて教育に熱心な医師団と教師集団との不断の交流の歴史もあった。

 私たちはその交流を通じて、医療と教育と福祉の提携の必要性を痛感し、その接点としてセンターが生まれたのである。それゆえ私たちの連携活動がまず背景として存在し、センターの設立はむしろその結果であることを理解して欲しいと思う。、

 一般的にいって医療側の対応にも大きな問題がある。しかし、障害児の治療に真摯に向かう医師その他の医療職は、今日必ずしも少数ではない。彼らを障害児教育に参加させるためには、私たちの街で実現しているように、従来の学校医制度を超えて、各種の専門医や専門職を養護学校に派遣するシステムがつくられなければならず、また就学指導委員会などへの若手医師の起用や、特殊教育への提言などを聴取・採用する場の設定なども積極的に求めたいと思う。

 3. 療育的な教育実践

 1)多専門性のチームの形成

 障害が単純であった時代はともかく、現在養護学校が抱えている児童生徒の大半は重度重複と呼ばれている子どもたちである。精薄養護学校では、てんかんを合併するもの、さまざまな行動異常を持つものも多く、一方肢体不自由養護学校では、気道閉塞の危険が常にあり、除痰のために吸引器を教室内に常備しているという有様である。

 今日の障害児たちはすでに単一障害の子どもではなく、さまざまな障害を合わせ持っている。それゆえ私たちも、例えば小児科医と看護婦だけではなく、整形外科医、眼科医、耳鼻科医、精神科医、それに理学療法士、作業療法士、言語治療士、臨床心理士さらには保母や教師など数多くの専門職の複合チームに変貌を遂げている。そうでなければ療育は実践できないのである。

 障害児教育がいわゆる教育だけをすればよいという時代はすでに終わった。障害児が教育現場に求めているのは、事実上このような複合した多専門性であることを知らねばならない。

 養護学校は今日、カリキュラムやその他さまざまな教育活動の面で、すでに従来の学校教育の枠を超える努力がなされているが、職員構成の面ではなお基本的に教師という単一専門職集団という枠が維持されている。

 しかし、最初の肢体不自由養護学校である東京市立光明学校が昭和7年に設立されたとき、その職員構成は生徒34名に対し校長1名、教師4名、看護婦4名、週2回の嘱託医1名であったと記載されている。教師数と同数の看護婦が健康管理と共に、今でいう各種の訓練を担当していたのである。この創立期の多専門性という理念がなぜ今日失われてしまったのか、その理由はともかくとして大変残念なことである。

 今日、教育内部にこのような多専門性を構築することは、種々の事情によって困難であるのかも知れない。そうであるのなら、上述のように外部の療育パワーを積極的に導入していく方向でもよい。いずれにしろ教師という単一専門職で障害児たちに対応していくことは、教師にとっても辛く耐え難いものであることを指摘しておきたい。

 学校教育という枠についてなお若干言及させていただければ、始業や終業の時間、長期休暇などについての再検討、教室の物理的な構造や、教室内の机・椅子など備品についての配慮など検討すべき課題は多い。

 また在宅重度児に対する訪問教育は、残念ながら質的にも量的にも現在はなはだ貧弱である。在宅で寝たきりの重度児こそ、多面的な療育の配慮が求められるのであって、せめて年一、二回程度は医師その他の医療職が同行し、教師と共に指導・相談・協議することぐらいは実現したいものである。

 2)教育実践内容

 ① 障害児が求めるもの

 表1に障害児が私たちに求める基本的なサービスを示した。このうち診断と告知、変形や機能障害に対する治療、それに最期の項目である健康確保・維持のための治療などは、医療が担当すべき、あるいは担当しうることである。

表1 障害児が求めるもの
 1. 診断と告知
 2. 変形・機能障害の治療
*3. 障害診断と療育計画の作成
*4. 生命維持機能の発達援助
*5. 感覚・連動・情緒・認知の発達援助
*6. 前向きの家庭建設への援助
 7. 身辺自立・躾・教育諸学習
 8. 健康確保・維持のための治療

 また身辺自立・躾・教育諸学習は従来の学校教育が担当しうることであろう。

 しかし*印をつけた項目は、従来の教育や医療の行い得ないところであり、これらこそ療育の核となるものである。

 従って特殊教育に「療育的」な教育を期待しうるのであれば、これらの援助活動こそが養護学校教育活動の中核として存在しなくてはならないと考える。

 ② 療育的教育実践

 就学児童は一日の大半を学校で過ごすため、学校生活と平行して私たちのような療育機関へ通所することは時間的に無理になる。それゆえ願いとして言わせていただければ、教育の中で上記の療育的活動が統合されて展開していくことが望まれるのである。病気になれば学校を休んで病院に行く、教師と医師とは没交渉で差し支えないという、普通児における医療と教育との関係とは全く異なる関係が求められていることを、障害児にたずさわるものは知らねばならない。

 障害の診断、発達の評価、それに基づく長期の療育計画の策定は必須のものであるが、教育チームはこのような作業に未だ十分慣れていない。私の知りうるところでは、評価の方法や計画策定の手順すら確立していないのが普通である。

 また睡眠、摂食、呼吸、循環、排泄など、基本的な生理機能も親との協力の下に賦活・発達させていくことが必要になる。快食、快眠、快便のチェックと奨励、汗びっしょりの運動とゆったりした休息による心肺機能の賦活・発達などは、障害児教育の基本であることを承知願いたいものと思う。

 また一見、体には問題がない子どもであっても、感覚と運動のトレーニングは大切である。感覚とくに体性感覚(皮膚や粘膜の感覚、前庭覚やさまざまの運動にかかわる感覚)の未熟、混乱、不統合は、行動異常も含む脳性の発達障害児に広くみられる基本的問題であり、いわゆる教育諸学習よりもその改善こそが先行されるべき子どもも多い。

 このように障害児教育は従来の教育概念を超えて、いわば人間をより生理的な存在として理解把握し、対応していくことが求められている。その意味ですでに今より120年も前に書かれたセガンの名著は、あらためてその輝きを増すと私には思える。

 このセガンの著書は「障害児の治療と教育―精神薄弱とその生理学的治療」(ミネルバ書房昭和48年)という訳で、わが国に紹介された。この本は生理学的な知識と観点から論じられた精神薄弱児の教育論であるのみならず、教育施設の在り方や教師や指導者の資質まで論じられた包括的な教育実践論であり、今日の障害児教育の指針となる。

 おわりに

 現在療育活動を実践的に展開しているものの一人として、与えられたテーマを論じた。いうまでもなく障害児にとっては、療育の3本の柱である教育と医療と福祉の地域的なネットワークこそ望まれるものである。

 ネットワークは相互の理解に基づく率直な意見交換から生まれる。ここで私は他者の立場からではなく仲間内の人間として、テーマに従い障害児教育について言及した。教育関係の方々には非礼をお詫びすると共に、私の属する医療側の反省も含め、障害児子育てという協同の作業に今後とも力を尽くしたいと思っている。

*北九州市立総合療育センター所長


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1987年11月(第55号)18頁~22頁

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