特集/障害者と文化活動 「ものをつくる」というのはどういうことなのか

特集/障害者と文化活動

「ものをつくる」というのはどういうことなのか

―芸術と教育に関して―

播磨通弘 *

道具を使う動物たち

 ものをつくるというのはどういうことなのか、これはほとんど人間の本能であり、人が人間として生きていく上での性、宿命であったに違いない。ベンジャミンフランクリンは、人は道具を使う動物であると定義したが、人間以外の動物の中にも生きるための効率を上げる工夫がなされ、必要な道具を工夫し使用するものが多々ある。例えば、キツツキフインチは木の穴の中から虫をかき出して、食べるために曲った独特の小枝をもち、樹々の間を口ばしでくわえながら飛びかい、効果の良い曲り枝は巣にもち帰り、何回となく使用する。またラッコは、水面に浮遊しながら、その腹上に偏平の石を台として、貝を割って食する。この石は偏平であり、加えて皿様のものが最も使い勝手が良い。腹上で貝を割って食べ、次にこの石がヒラヒラと水中に舞い落ちる時間の中で、ラッコは海底の貝を採取のために潜水するのである。貝をもち、水面を目指して上昇するとき、先刻使用した偏平の石がゆっくりと落下して来るのに出合い、石と貝とを共にもって浮上するといった寸法である。この偏平の石は、ラッコ石と呼ばれ、帰巣の際に持参し何度も復用するという。この石を捜すことで、人間はラッコの住みかを突き止めることが容易になるのだとも聞いた。

 このように、形状や大きさを選択し、さらに使い易さを求めてその道具の良し、悪しを決める能力は、チョウチンアンコウが釣具様のおびきだしを操作して小魚を採取し食するのに比べれば、自然がつくりだした知恵というより、はるかに高い意識の世界が感じられる。

材料・材質を選んで道具をつくる動物

 フサオマキザルは、クマレという椰子の実が好物である。クマレの実が熟れる頃になると、不思議とその食べ頃を知って集ってくるのが、堅い椰子の実には歯が立たない。そこでこの実を取り、竹林に移動する。そこでは竹の節を選び、椰子の実の向きを定め、頭上から両前肢で竹の突出部である節をめがけて打ち当て、的確に果汁を吸うことのできる割れをつくるのである。これは、木の実の成熟度とこの実を割ることに適した竹の節部の活用、そうして果汁を全部割り流すことのない的確な技術の三者が完全に統合して制御されなければ実現できないわざである。

 フサオマキザルのこのわざは、材料や材質を選んでいることは確実であるが、道具として加工するというまでには至っていない。しかし、類人猿の多くは道具の加工ができるし、人から命じられたものではなく、他の多くの動物が成育の中に自然に修得したわざや知恵として身につけたものと同じ素因で加工能力を身につけているのである。この例としては、チンパンジーやゴリラが白ありを採取するときにそのわざを見せる。蟻塚の白ありを釣りあげて食するには、迷路のように曲折した蟻穴に、しなやかな、しかも程々に長い木の葉の葉柄をムチ状につくり上げ、その細長いくねくねとした葉柄に唾液を付着させて、静かに蟻穴に差し込んでゆく。土製の穴になじみよく挿入された葉柄には唾液が付着しているので、白ありは一斉に立ち向かい噛み付く。するとゴリラは抜き出し、串刺しのように舌上でしごき取り食べる。満腹するまで何回か繰り返し食べて、満腹すればこの道具は使い捨ててしまう。それ程に、つくることに困難さのある道具ではないので、フインチやラッコほどに大切にしてもち歩かないのだと思う。

道具を使って、さらに便利な道具をつくる

 道具を使う動物は人間以外にもあることは周知のことであるが、生きながらに具備された自然態のものから、かなり学習をして獲得したものまでその差異のあることに気がつく。このあたりをきちんと整理・分析することによって、ものつくりの本質にせまることができるのではないか、というのが私の考えでもある。

 ここまでに述べてきた動物たちの例は、人間生活に関していうならば、衣食住のうち、直接的な食に関することだけであって、人間生活はもっと複雑多岐にわたるものである。食に関することも間接的な作用や付随してくる様々な事柄や現象などに伴い、道具をつくる、使うという概念だけからでは分析し判断できることではない。しかし、人間生活向上の欲望や願望は止まることなく高度化を望むものであるから、仕事の能率を上げ、個々人の趣味・嗜好といったものまで取り込むようになってきた。そのため、道具を使って、更なる道具をつくり、使いこなし、また次の欲求に対応する工夫をするのが人たちの一般であるらしい。

 また人間生活は社会性をもつものであるから、個人の有効性や有用性が他者への共存共棲を無視したり、圧迫するようなものであってもならない。ものをつくり、ものを存在させる責任はつくる人がもつべきものであると考えている。

 海幸彦、山幸彦の話ではないが、魚撈と狩猟では、それぞれの仕事にふさわしい服装と使う道具を造り、またすでにあるものと異なったその人なりの良さや工夫をもったもち物をつくったり、組み合わせて形づくったものを宝とした。この宝を相互に交換し合って使ったばかりに悲劇は起こったのであるから、現代社会のようにつくった時点では良しとしたものが、後刻では善でなくなることがしばしば発生している。それだけにものをつくる責任には大きな人間としての心が存在していなければものつくりになってはいけないのだと思う。

つくることの時代的変遷と心のあり様

 ものづくりやつくられたものが芸術や工芸品とどのような関係にあるのか、また、ものづくりの状況がどのように展開され、発達してきたかを把握することは、人間性と品物の関係ばかりでなく工芸・工業の発展過程と人々の価値観や近代的デザインの良否を見極めることのできる評価感の育成上からも必要なことだと思う。

 時代の流れと、その時代の風潮、思想などから自然的に発生し、統括された様式や約束ごとなどが一人ひとりの人間の生き方に関してどのように作用し働きかけられてきたのか、ものつくりの基礎として看破する力をつけたいものである。

1200年頃まで(クラフトの時代)

 石器や土器をつくり、使用していた先史の時代から1200年頃までは、生活に密接な必需品を自分と同じ生活圏の中で暮らす者や親から教え継がれていたか、特権階級の者からの要請品や、祭祀の道具がつくられる程度であったから、つくる人と使用する人はごく近い関係にあるか、自分が使うためのものをつくりだすのが主流であった。このため、動物たちが食のために見つけたり、つくったりして使う姿と本質的に違いはなかった。

1200年頃より(クラフトアートの時代)

 道具を使ってより効率のよい道具をつくりだすようになってきた。したがって、道具の使い方、扱い方に習熟したものから教えられた技術を駆使して特色のあるものをつくる。つまり、工匠と徒弟の関係でものがつくられるようになり、同業人組合の時代になった。これを支える高利貸資本の時代がやってきたのである。ここから自分のことは自分でつくりだす工夫をするより、ユーザーの立場から、自分に都合のよい生産者を選択すればよい生活ができるようになってきたとも言える。

1650年頃より(プロダクトアートの時代・アプライドアートの時代)

 蒸気エネルギーの発明と利用は、機械産業の一歩を踏みだすことになり、手道具を使ってものをつくりだしたものに似せて高利潤を得る手工具模倣の応用美術、つまりアプライドアートの普及がなされることになった。蒸気機関はすべての工匠が設備することのできない大掛りの装置が必要であったので、匠が寄り合う共業の時代となった。このことは、各々の工匠がもつ、ものづくりの特性を平均化し、無個性化するものであった。卸売り資本が動き、この資本の望むものが、工場で生産されるようになった。

 人力では考えられない大きなエネルギーがものづくりに活用されることになったので、生産量は増大したにもかかわらず、大きなエネルギーでなければできない仕事によるつくるもの、つくられるものの関係が深く考えられないままの製作方式だけが重視され、その結果からの量産が行われた。

1820年頃より(マスプロダクトアートの時代)

 1780年にイタリアのルイジ・ガルバーニが電流を発見し、1800年には同じイタリアのボルタが電池を発明し、1829年にはアメリカのジョセフ・ヘンリーが電磁石を発明した。1830年には、銃身をボイラーにした小型エンジン〈親指トム号〉をアメリカのピーター・クーパーが動かすことに成功した。このように大きなエネルギーを発生する装置は小型化し、電気エネルギーの導入はエネルギーを蓄積したり、小力ずつに使いたい時にだけ取り分けて使用することができるようになった。蒸気エネルギーの発生と使用時の制限は、大変革を受けることになった。電動機の採用は工場を分散させる方向になった。専門の加工領域に分かれ、それぞれの分野で加工の技術を競う精密機械工業の時代を迎えることにもなった。このものつくりの方式は、大量にものが生産される中で一つの完成品を一人や、一会社でつくりだすことよりも、品物を構成するアッセンブリーの一部をもって生産されるようになった。極端な話が、自分のつくっている品物が、製作者自身が何に使用されるものか、またそのものが何かの部分品であるのか、製作者が知られないだけの特殊な完成品であるのかなど、製品に対する思いはなくなってしまった。例えば、分業の方式が徹底して、ネジを作る会社もネジを作る人もそのネジの用途は考えることがなくなった。ゼンマイを作る人も、電線を作る人もその用途は買い求め使用する人々の気持ちを聞きながらものづくりをしない。そのことが量産時代の公然とした事実となり、そこに商業資本が働き経済効率優先のものづくりが進められるようになった。

1900年頃より(インダストリアルアートの時代)

 完全にオートメイションシステムの中でものづくりが進められるようになり、電子や原子のエネルギーまで活用してものをつくりだす時代となってきた。自動化の生産方式は、機械が電力などによって働き、人の手を使うことなくものづくりができる時代となってきた。

 例えば、1913年にフォードの自動車工場でモデルTラインと呼ばれる流れ作業方式が出現した。このとき、従来、690ドルの価額であったモデルT車は、行程の合理化と量産で360ドルで売りだせるようになった。また、1934年には自動車のボティに大型プレス加工機が導入され、今まで小さなエネルギーで加工をしていた、曲げ延伸といった鉄板を、組み合わせてできる形体から、いわゆる流線形と呼ばれる二方向曲面(球面)加工を容易に採用できるようになった。このことは一方向曲面時代の自動車の形態感を一新し、流線形を採用した動くものはもとより、動く必要のない器具類・調度品まで良しとする人々のデザイン感覚を変える結果になった。人々の形状に対する好嫌の度合いが変容し、売れ行きにかかわり、つくることに大きなエネルギーと大型の装置が必要となれば、大きな工業資本が動き、分散していた製作の方式は再度見直しされ、新しい総合や統合のシステム化が計られ、人間の本質よりはますます経済の効率が優先され、ものづくりがすすめられているようになってきた。

人の心とものづくり

 今までのものづくりを主として加工のエネルギーと生産の方式について述べてきたが、つくることの原点は人間生活を豊かにすることで始められ生活そのものを改善することにあった。このような変化を求める開発こそがものづくりであり、道具づくりから始められたが、人類の発生期にまで逆行して考えるとき、生産者の使用者はごく近い関係か同一人であったので、改善の方向、目的は話し合うまでもなく同一のものであった。改善の方向は目的を完成しようとする意志までも共有することができた。目的を実現するためのものづくりは、周到に計画・立案されて、材料・材質の選定と合わせ、適切な操作や処置がなされて、何らかの方法による加工・変形などが施されてできあがる。このものは、目的に合わせて使用され、目的と合致する度合いが確かめられ、評価を得る。この評価は、意志までも共有したもの同志にあっては、全責任を負うものであった。

 ものをつくりだす上での条件とものが存在してから、そのものを使う人や社会とのかかわりによる条件とがあって、これらの条件のすべてが、生産者側にあっても、使用する側にあっても完全に評価の一致を見ることは少なくなってきた。

 人間生活を豊かにするものへの考え方は多様化するとともに、本当に人間の願望や生活の要求からつくられるものばかりではなくなった。工匠と徒弟の時代の注文は、発注者の願望や要請ばかりでなく個人的な欲求まで確実に申し入れ、その欲求が叶うばかりか実現できるように注文し、結果は充足感を味わうことができたのであろう。工匠は発注者の評価を得て、成就感を味わい、徒弟は師の技術に感服し、信頼感を高めることができた。

人間喪失を取り戻すものづくり

 本来、工芸も工業も人間生活を豊かにするものであるから、いつ頃から、何が故に本来のものづくりを忘れてしまったのであろうか。

 つまり、蒸気エネルギーを得て、人力以上に加工力が向上したときに始まるといえよう。人力以外の分野で機械力を活用する道を考えて導入するべき大きな力を、今までの品物を量産するといった方向に走り、人間性に深くかかわる質の問題に活用できなかったことに起因すると思っている。

 アプライドアートに代弁されるように、工人が手で制作したものと見間違うようなものが大衆うけした。また前述のフォードTのように、量産によって今までにはゆきわたることのなかった階層の者にまでゆきわたり、今までの金額では買うことのできなかった人々に安価で提供できるようになった。ことごとく、マーケットリサーチと呼ばれる市場調査と不特定多数の要求・願望によってものづくりがなされるようになった。これは発注者の要求・希望によってものがつくられるプロセスと本質的にも根本的にも異なったものになった。

 量産は、一般向き、万人向きのものであり、しかもつくる前からの必要性は確認されないままに、このような物が社会に存在すれば、便利であろう、人々は買い求めるであろう、などのように、要求に基づく生産ではなくすべて見込みによるものづくりとなっている。ときには、ユーザーを誘い、判断力を崩すような売れる工作をする。ブランド嗜好や平均的な他人と同じものを身につけたり、もち歩いたりするような現象が広がってきた。

 一方、生産者側のつくる人も、ネジやゼンマイの話を前述したが、ものづくりの全プロセスを体験できなくなった。ものづくりのプロセスは、ものに対する要求を基点にその要求や願望そのものの善悪や健康性がチェックされて、その要請を充足させるもののイメージを練る。さらに様々の条件と対応させながら制作の構想をかためる。これを実体化する見通しを立てて製作・製品化する。完成したものは欲しがっていた要求者に提供され、その喜びや感謝の気持ちが返されて完結するのである。であるから、実体化の部分や製作の一行程だけを担当するような分業では、完成品に対する責任感は希薄となり、完成の成就感は味わうことができなくなるのも当然なことである。海幸彦、山幸彦の悲劇は、現代にも実存するのであるから恐ろしいかぎりである。

表現する行為と使用の目的のある造形

 人間的要求が美しいものが欲しい、もちたい、使いたいというものであるから、機能的な役に立つ、有用性や有効性だけの尺度でものの良否が判断されるものではない。むしろ単に役に立つ、機能を満たすだけのものより、装飾性のあるものや機能美といった実用的な要素と芸術的な要素とを兼備するものが評価され、人間にとって必要なものにもなるはずである。工業デザインの要求は万人向きでしかも平均的なものが要求される傾向にあるから、製品の均一制はあっても、希望を推定した見込み生産の中で人間の好嫌度まで押しつけられる結果になり易い。工芸デザインは、その要求する側の個人的な特性に調和・適応させるねらいが含まれていなければならないから、様式も形態も結果的に多種多様なものになってくる。さらに、クラフトアートは、プロダクトやインダストリアルのプランニングと根底から相違のあることをすでに述べてきたが、ものづくりが過去への執着を意味したり、特殊な趣味のもち主に対応したりするものではない。優れて、自己存在や自我の確認を含んだ系統的な精神の学習である。造形活動そのものが自己表現の手段ともなるものであるから、この行為は理屈を超越して精神の解放をするものとなる。

 使用の目的のある造形は、他の造形芸術と少し精神作用の態様を異にする。造形に際しての創造性と計画性についてその差異が明白となる。いわゆるものづくり以外の美術は発想・構想といった創造性にかかわる場面において、自己の心の発揚が表現となればよいのだし、発揚できたと自己判断し、成し遂げたと判断したとき、作品は完成にする。工芸は、使用する人の感情も含めて、制作者のものづくり計画を周到に立て、工作の手順を考えて実体化する。つまり、自分の技術と目的とするものについての条件が先行して発想・構想されるものであるから、自己表現の発揮は種々条件と擦り合わせる中で発揚するものである。完成時の判断も単に自分の得心・納得といったフィニッシュがあるのではなく、その使用の目的に適応していく可否性で判断されできあがりとされるのである。どこで止め、どの評価を求めるかの決断は、表現の活形と工芸の活形では、着想から作品の完成までを計画的に見通して実体化するものでありながら、この精神作用はかなり異質のものがある、いわば感性の教育にかかわる性質をもちながら内包する形が違うのである。

ハイテク工業やバイオテクノロジーの時代

 高齢化、国際化、情報化など社会構造や生活環境が急激に変化する中で、豊饒なまでに物質がで回り、ものをつくりだすために新しい人間疎外や地球破壊といった問題が提起されるようになった。

 バイオテクノロジーといったように生命に関することまで産業の中に組み込み、従来の産業革命や技術革新といった過去の歴史を手本としてものづくりが進められる時代は過去のものとなった。ハイテク技術も新しい素材をつくりだし、ものづくりにも新材料を提供するようになった現在、今までの生産重視で効率や利益といった経済的価値を優先する社会から、一人ひとりの基本的人権に根ざした生活重視の人の心を充足させ、うるおいやふれあいなどの精神活動を大切にする。文化的価値を優先しながら、すべての人達が、その個人の要求にしたがって活用のできる、新技術としてなり得るものであろうか。科学には人間的目標と異なった目標が生じたり、意志がないことが、人間の希望と異なった方向に進む可能性をもっているので心配のかりである。

 岸田劉生は、「美は人類の内面にある、それは一つの本能であり、意志である。これは人類が自分の世界を幸福にしたい、楽しくしたいという意志の一面と見てもよい、だから、ほとんどすべての美は善の具象とみることができる。そして善とともに美は真である。この内なる美は表現を欲する。それは光を慕う闇のようである。輝くことを欲する。形を与えられることを欲する。なぜか、これは自然の意志である」といっている。

 劉生の言葉を借りるまでもなく芸術教育や造形教育は大切なものであり、その学習効果は他の学習体系の中では得られない性質をもっている。

 表現すること(制作させること)は、単に暗記する、記憶するといったことではなく、手先を器用にすることでもない。手や体を動かして、五官で確かめ、思考することである。この働きは、計画から完成まで一人ひとりが自分の制作としてかからねばならない。ものづくりには、力を合わせて制作する必然性がある。手を貸す、力を借りる、協力するなどの学習の場がある。様々な刺激に反応して感覚を生じる能力と印象を受け入れる能力などが育成され、合理的に判断を進める力や条件を勘案した審美性を培うことができる。

 人は皆、素直に感受したものを、自分なりの表現方法で表出する生活をもっている。指導者は、感じを教えるのではなく、感じ方、感じることができるような方策を取りたい。そこに道具としてのハイテクや指導者の豊かな感性を活用したい。

*東京都立芸術高等学校


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1992年7月(第72号)9頁~14頁

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