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平成18年度厚生労働科学研究
障害保健福祉総合研究成果発表会報告書

支援機器利用効果の科学的根拠算出に関する研究

講演4 「Hybridianの時代に想う」

星城大学 リハビリテーション学部
畠山 卓朗

みなさん、ご存知ですか?本当はよくないのかもしれませんが、聞かなかったことにして、この歌を聴いてほしいんです。『糸』という歌をご存じの方、手を挙げていただけますか?そうですね、まだ少ないですね。ちょっと耳を傾けていただきたいのと、歌詞がでてきます。全部出しません。少しだけ聴いてほしいと思います。

(『糸』、中島みゆき)
なぜ巡り合うのかを 私たちは何も知らない
いつ巡り合うのかを 私たちはいつも知らない
どこにいたの 生きてきたの
遠い空の下 九月の物語
縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かを
暖め得るかもしれない

この曲を聴くたびに、私はなにか、これまで出会ってきた人のことを思い出したり、あるいはこのATACカンファレンスに来て出会った人のことを思い出したり。前にも話しましたけれど、支援する側とされる側ということではないのですよね。支援させていただいているけれども、でもどこかで支えられている。やはり人と出会っていく中で、いろいろな新しいことが生まれたり、それから、何か新しい具体的な、こう、プロジェクトというのですかね、その取り組みが生まれたりするという、この中島みゆきさんの歌というのは私はとても好きです。

中邑さんから、「Hybridian(ハイブリディアン)の時代」というタイトルを与えられた時に、私は必死になって考えたんですけれども、実はこんなことを思い浮かべてしまいました。Hybridianというのは、先ほど、中邑さんからもお話がありましたように、支援技術を自分の生活能力の一つとして取り込んだ人々。これは中邑さんらによる造語ということです。

でも、実は私はもう一つ、鏡のようなもので、こんなふうにも考えているのです。Hybridianというのは、実はここにたくさんお集まりの、支援技術を支援者の支援能力の一つとして取り込んだ人々、そんなイメージで考えます。まだまだ自分の中ではHybridianという言葉が、最初耳にしたときに、ごめんなさい、ちょっと違和感があったんですけどね、自分の中で。何か一つの形にはめられてしまうような違和感があったんですけれども、まあ、よくよくこの言葉を与えられて、自分のこれまで関わってきた人を見ると、確かに、あの人はHybridianかもわからないという人が、何人かポンポンと浮かんでくるんですね。ちょっと、そのうちのお二人をご紹介したいと思います。既に、このATACカンファレンスでご紹介したことがあるかもしれません。

タイトルを付けたのですけれど、人と人との関係性の中で育まれるコミュニケーション。皆さんはこのATACカンファレンスに来られている方はご存じですね。たった1個のスイッチがあれば文章を書けることはご存じだと思います。たとえば目的の文字があって、それを選びたいときにはスイッチを操作しますと、一定時間間隔で光の帯が動いていって、目的のところに行きましたらもう1度スイッチを押して、さらに最終的に自分の選びたい文字を押す。こんな方法がありますね。オートスキャンとか一(いち)入力、1個の入力の操作方式という名前がついています。ここでは、機器の説明をするつもりはありません。もうよくご存じかもわかりません。

これはイクオ君という少年の写真です。イクオ君は小学校の2年生です。彼の病名はウェルドニッヒ・ホフマン。難病でして、生後早い時期から呼吸器系の疾患が出るということで、彼は生後5か月から人工呼吸器を付けています。この写真を撮らさせていただいたのは、小学校2年です。ウェルドニッヒ・ホフマンの方の特徴は、非常に随意的、自分の意志で動かせられる身体部位というのは僅かなのですね。彼の場合には眼球運動と、右手の親指だけなのですね。それも5ミリ程度。なおかつ、非常に操作できる力は弱いです。小さいです。ただ、特徴があって、とんとんとんというような巧みな動作は残っています。この右手をクッションの上に乗せて、そうすると右手の親指がよく動くということを、お母さんから情報をいただきました。黒いケーブルが来ていますけれども、光ファイバーという、光をずうっと通していって、先端でプリズム、小さなプリズムがついていまして光を、人差し指の付け根と親指の方に当てます。親指が近づいてきますと光の反射量が増えて、光がずうっとまた黒いケーブルの中を戻ってくるんですね。光がちゃんと戻ってくるとカチっという音がします。カチカチカチカチ、こんな感じで彼は操作します。これはうまくいきそうだということで、先ほどご紹介しましたコミュニケーションエイドをセットして、「イクオ君、ちょっと指を動かすのをやめてくれる?これからパソコンとつなぐから」と言っても、彼は言うことを聞きません。カチカチカチカチカチカチ。「彼は耳が聞こえないのですか?」と訪問教育の先生に聞きましたら、「いや、彼は嬉しくてたまらない」。私にはわからないんですね、嬉しいというのが。彼は表情筋が麻痺していますので、嬉しいときには目を輝かせてクルクルっと動かすのが「嬉しい」のサイン。畠山さん、急がずに待っていよう、と言われました。15分くらい待っていて、カチカチカチカチ。それからぴたりと指が止まって、訪問教育をしている先生から、「じゃあ、そろそろつないで」と私のほうへ指示がでます。つなぎました。それで彼は今、文章を書き始めました。とても時間がかかるのですが、先ほどの1個の入力方式ですね、一入力。「ぼくのなまえは、いくおです。」。小学校2年です。そこから先が、養護学校の訪問教育をしている先生の、悪口が出てくるんですね、どんどん、どんどん。先生の顔は何かに似ているとかですとかね。あまり言えないのですが、ここでは。授業の評価もあまりつまらないということがどんどんエスカレートしていきます。私はおそるおそる振り向きました。私がカメラを撮っている後ろで私に指示を出している先生のことを書いているんですね。後ろを振り向いてみましたところ、先生は涙を流して、「この際何でもいいから書きなさい」。彼が生まれて初めて書いた文章だということです。

実は私、「え?」ってびっくりしたのですね。どうして生まれつき音声言語を持たない彼が、こんなに句読点混じりの正しい文章を書けるのか、不思議でなりませんでした。それで聞いたところ、実は1年前からの取り込み、「僕のサイン」という方法を、訪問教育をしている先生と一緒に考えました。ムラタハルエ先生という先生とイクオ君が一緒に考えた方法です。たとえば「あ」という文字ですと、真っ直ぐ前見て、親指、これ、黒丸1個が親指、ポツですね。たいへんですね、ぱっぱと目と指をみなければならないのですね。それから「い」ですと、まっすぐ前を見て親指を2回ポツポツ。それから、たとえば「か」ですと、上目づかいをして親指1回の舌をチュチュ。これは彼の、本当に自分で動かせる部分を総動員して文章を書きます。

これは、実は私は非常にショックを受けました。私が勘違いをしていたことがあったのですね。大きく勘違いをしていたことが。それは、彼に使える素晴らしい機器があれば、コミュニケーションができるのではないか。だから、彼にいい機器を渡せばコミュニケーションがうまくいくのではないか。これでも、実はそうじゃないんですね。やはり伝えたいという気持ちと、なんとかそれを読み取りたいという気持ちがあれば、実は必ずしも機器ではない、ということを私はすごく衝撃を受けたということを今でも覚えています。映像がありますので、少し見てください。

(録音)

右手の親指と目と口以外、筋力がほとんどありません。呼吸は、人工呼吸器を使って行っています。目の動きで、イクオ君は自分の意志を表します。一つ一つの動きが五十音を示し、それを母親のアユミさんが読み取って相手に伝えるのです。6歳の時、養護学校の先生と一緒に作り上げたコミュニケーションの方法です。

彼はですね、今すぐ訴えたいことは、この「僕のサイン」を使います。それから、学校の宿題とかあるいは日記、あるいは最近ではEメール、インターネット、そういった時にはパソコンを使う。こう、生活場面によって使い分ける、これもある意味で言うとハイブリッドかもわかりません。実はパソコンを使っている様子がありますので、それも見ていただきたいと思います。先ほど、一入力スキャンといいましたね、1個のスイッチで。それがたぶん皆さん、とっても追いつけないくらい、目で追いかけられないくらいの速さで使っているのを見ていただけると思います。

(録音)

小学校2年生の時、ワープロとの出会いがイクオ君に大きな変化をもたらしました。詩や文章を書くことで、自分の思いを形にすることができたのです。今では、パソコンが生活に欠かせない道具になりました。多い日で1日8時間、イクオ君はパソコンに向かいます。わずかに動く右手の親指で、センサーの光を遮って操作します。

(機械音声)「マウスを左へ」、「マウスを右へ」、「クリック」

イクオ君の一番のお気に入りは、ゲームです。最近凝っているのはボケとツッコミをタイミングよく入れる漫才のソフトです。笑いのセンスが磨けるからと、イクオ君は全問正解するまでゲームを続けます。イクオ君のもう一つの日課は、Eメールの交換です。知り合いができるとすぐにイクオ君は相手のメールアドレスを聞きます。メールを交わした人は、400人以上にのぼります。

イクオ君にとって、パソコンがコミュニケーションの幅を広げているのです。

イクオ君の詩も、このパソコンから生み出されます。

今、見てもらうと、本当に、何というのですか、私たちはとてもこんなスピードでできないんですけど、彼は本当に身体の一部にスイッチまで取り込んで、スイッチと一体になって語りかけてくる、そんな映像を見ていただきました。

彼は現在、福井県の敦賀という町で、敦賀市内で在宅生活を送っています。近くに短大があって、女子短大か何かがあって、入りたいということを彼は言ったらしいのですが、それが認められまして、今は聴講生として勉強しているそうです。現在は共学になっているようなのですけれど、イクオ君、何の勉強をしたいのというふうに聞いたことがあるんですね。そうしたら、いじめにあう子ども達のカウンセリングをしたいということを彼は言っていました。確かに今回Hybridianという言葉を与えられてみると、彼というのは一人のHybridianなのか、というふうに思ったりしました。

次に、人と機器とが出会い生まれる、生活の流れ。残念ながらもう既にお亡くなりになった方なのですが、私にとってはとても、今でも鮮明に支援の現場を思い出せれるぐらい、鮮明な記憶に残っている方です。

60歳代の後半の男性の方です。今、皆さんの時計を朝の6時に戻してください。頭の中で6時に戻していただきたいと思います。この時間というのは、このお宅の中で、誰もまだ目を覚まされていないんですね。この方だけが目を覚まされます。奥さまは毎晩深夜1時、2時、3時くらいまで介護で、介護疲れから慢性的な寝不足で、まだ目を覚まされていません。6時に目を覚まされます。

彼の生活は、右手の人差し指から始まります。右手の人差し指をわずかにカチカチカチと動かしながら、これは環境制御装置。身の回りの電気製品を操作するための装置です。カチカチカチと押しますと、光のランプが順番に動いていって、目的の機器、ここでは「テレビ」というところで少し長めに押します。そうすると足元にあるテレビがパッとつきます。朝のニュース番組を15分ほどごらんになります。しばらくしてからテレビをいったん消して、またしばらく休んでから、足元にあるコミュニケーションエイドの電源を入れられます。1時間ほど一個のスイッチだけで文章を書かれます。何を書いておられるかというと、発症してから。あ、ごめんなさい、ALSの方ですね、筋萎縮性側索硬化症。人工呼吸器をこの状態ではお付けになっていますけど、発症してから現在までの症状の変化をずっと克明に書かれています。それから、家族一人一人に渡すメッセージも書かれています。今後、ご自分がどうなるかということを、既にお分かりなんですね。1時間ほど文章を書かれて、そして足元にあるパソコンで、ご自分で文章を保存します。それから、目が疲れますので、いったんコミュニケーションエイドの電源を切って、それからしばらくしてから、また環境制御装置で今度はテレビを付けて、チャンネルを切り替えて、他の番組をご覧になります。時計は、朝の7時半です。先ほど6時だということを申し上げましたが、何を申し上げたいかと言うと、私たちの生活とは違いますけれど、この方の生活が少しずつ、ご自分で作られているというのがおわかりになると思います。ようやく奥さまが「おはよう」と明るい顔を見せられます。この方とお話したときにですね、ある時、こんなことをおっしゃいました。「自分で生活を組み立てる」、この方の言葉なんですね、「ようになって、初めて自分で生きている実感ある」ということをおっしゃいました。それから私たちがたずねて行く時にいろんなベッド回りで支援をしているのですが、その時に家族の方に「お茶をお出しして」とか「椅子をおすすめして」というのが、家族の長としての立派な役割もされてたということを覚えています。残念ながらこの方、右手の人差し指が動かなくなりました。これは、若いスタッフが、額にスイッチを貼り付けるタイプのものをお作りして、眉毛を上げ下げして、あるいは、額にしわをつくって距離を短くするんですね。これとこれがくっつきます。これ、今ではあまりいいサンプルではありません。今やるのであれば光ファイバーのスイッチ。あの、下手をすると、電気の知識がない人がしますと、感電したりしますから、安易にやるべきではありません。今であれば、光ファイバーを使うべきです。こんなスイッチを使っていただきました。

先ほどからご紹介しました生活の流れというのは、もう私たちは無理だろう、とうてい無理だろうというふうに予測しました。これが見事に違っていまして、それから10年間、この方は朝の生活をご自分で作っておられました。私たちは日々、意識しないですけど、生活して、そして遊んだり何かを作ったり書いたり、あるいはこうやってみなさん、ここにおられるように社会参加してるわけですね。これを生活とか活動の幅だとします。ですけど、残念ながら身体機能が低下していくと、時には社会参加が奪われて、そして、さらに身体機能が低下すると、遊びや創作が失われて、あるいは、最後の生活すら奪われてしまうことがあります。実は私たちがお会いするというのは、この生命維持段階にあるという方にお会いするということがあるんですね。私たちはともすると、一見すると何もできない人なのかな、というふうに目で見て理解しようとします。ですけれど今日少しだけですけれどもご紹介したような、もちろん人の支援とそれからAT、支援技術をうまく使うことで、その方が生命維持段階から脱して生活を営んだり、あるいは遊んだり創作活動したり、先ほどの方は「握り続けるナースコール」という小冊子を発刊されました。それからある人は、まばたきでカメラのシャッターを切る道具を、お手伝いさせていただいたのですけれど、それで好きな野鳥を撮って、市民ホールで写真展を開かれた。それはまさに、多くの人に囲まれて、社会参加だと思います。決して可能性をあきらめないというのが、私たち、常に思っておかないといけないのかなと思います。

ただ、これは中邑さんからいただいて本当に申し訳ないのですけれど、一方でですね、Hybridianに怖さも感じてしまいますね。Hybridianというと、何か映画のタイトルについてるような、なんとなくそんな違和感を感じたんです。これはどういうことかというと、Hybridianだけが暴走したりですね、大手を振って歩き出したら正直言って怖いなということを感じています。よく、「AT」対「人」でという、ありますね。やっぱり人手でなきゃ駄目ですね、温かみがないです。いやこれからはATを使わなきゃ、という。よく「AT」対「人」でみたいな感じで言われることが中にはあるかもしれません。ですけど、やはり大切なのは、最終的に利用者さんが自己選択して、自己決定できることだと思います。ただ、正直言いますとこの自己選択、自己決定ほど難しいことはないんですね。実はそのための力をはぐくむというのも、このATの中の大切な一つなのだろうと思います。これは当事者である利用者さんがはぐくむこともそうですけれど、実は支援している側が、自己選択、自己決定しやすいように支援できてるのかどうかというのも、大きな課題のように思います。

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