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平成18年度厚生労働科学研究
障害保健福祉総合研究成果発表会報告書

支援機器利用効果の科学的根拠算出に関する研究

講演4 「Hybridianの時代に想う」

これ、ここへ来る新幹線に乗った時に思いつきで書きましたので、間違ったことをこれから言うかもしれません。チェックポイント、これ、利用者さん側にも求めるんですね。あの、そういったときに、よく、私たちはあなたの願い事はなんですか?というように聞くことがあります。これは反面怖いところもありますね。いろいろ不可能なことがいっぱい出てきたらどうしよう、みたいな。ですけど、やっぱり聞いていく中で、可能なことと実現不可能なことを整理しながら、あるいはとにかく相手に何かを伝えたい、こんなことを聞いてほしいというのがまず、耳を傾けるというのはとても大切だなと思います。それから、最初はスモールステップから。中にはですね、あれもやりたい、これもやりたい、そんな気持ちはわかるのですが、本当の最初のステップは何なのだろうかというのを利用者さんにも一生懸命考えてもらいます。もう一方で支援者側も一緒になって考えていくわけですね。スモールステップの原則ということを以前にお話させていただいたことがあるのですが、これは一見すると、支援者側から見ると「え、たったそれだけ?」みたいな。これは後でも言いますけど、それは支援者の思いであって、利用者さんにとってそれが本当に意味があることであれば、支援者の価値観ではないですね。それから、これは以前にもATACでお話したことがあるんですけれども、自分のしたいことを整理してもらう。よく、何も表現手段を、紙に書く手段を持っていない状態で「何をしたいですか?」と言うといっぱいいろんなことがでてきて整理ができないことがあるんですね。コミュニケーションエイドなんかで、何がしたいかというのを時間をかけながら外へ出していくんですね。外に、紙に書き出して、眺めながら、これは違うなと順番を入れ替えたり。これを思考の外化といいますね。その思考の外化のためのツールとしても、ATは利用できると思います。それから、本当に一人だけでぽつんとではなくて、やはり人と人とがつながって行く中で支えられるという。これは、障害のある方同士もそうですし、これは本当に支援者にとっても同じようなことが言えると思います。今度は支援者側に対するチェックポイント。これ、先ほど申し上げましたように、思いつきで書いてますから、違ってたらごめんなさい。私たち、機器を見る時にですね、機器利用による生活イメージが出来ているかどうかと。その生活の中で機器を使っている風景が思い浮かべられるかどうかというのはとても大切だと思います。たとえばこういう展示場へ来てみて、それはとてもいいのですけれど、どうも生活の中に入っていくとどうも違和感があるな。音が、ピコピコ音がしてとても隣のベッドの人との軋轢を生むなとかいろいろとありますね。ランプの色だってそうですね。赤色がじーっと、深夜でもついていると眠れないという人もいます。だから、生活の中で機器がどう入って、どう使われるんだろうというイメージも捕らえていただきたいと思います。それから、これはよくあるのですが、これ、私自身があります。自分の専門性で役に立ちたいという。これはなんとかお役に立ちたいんですね、支援者は。それがうまくいかないと、ああしっぱいしてしまった、でもある時言ったんですね、スウェーデンのカロリンスカ病院というところから、1981年にヴォークラッソンという人が行きまして、彼はサリドマイドのお子さんのために、水力式の水圧式の義手の開発をした人なんですね。エンジニアからは、絶賛というか、とても素晴らしいという称賛の声が投げかけられたんです。でも、彼は不満でした。何故不満かというと、使ってもらえなかったんですね。使ってもらえなかったというのは、とても最初は興味を持って下さったんですね、サリドマイドのお子さん達。あの、四肢に障害があるお子さんですね。ですけど、ある方法で解決してしまったんですね。足で、例えば足がある方は足で顔を洗ったり、足でハブラシの柄を持って歯を磨いたり。私は実はご馳走になったことがあるのですが、足で、全て足でカレーライスを作って下さった女性の方がいます。そういう方法で解決してしまったんです。でも、ヴォークラッソンさんは、自分の開発した機器を使ってくれなかったことにすごく落ち込んだ時期があったそうです。でも彼はふと気づいたんです。あ、これは違う、これは成功だったんだったと。彼女が、あるいは彼らがいい方法を見つけたというのは、実は成功なんだ。自分が中心に考えていたから失敗だったんだと。だから本当は利用者さんを中心にして考えなきゃいけないのが、ともすると、支援者側ということになっていることに、私自身、たまに気づいてしまいます。そういった意味で、同じようなことですけれど、価値観の押し付けはないか、障害のある人は絶対ああいう道具を使って自立しないと駄目だよね。これは、でも私達の価値観ですね。でも、なかなかそういう価値観の押しつけが利用者さんに受け入れられなくて、それっきりの関係になってしまうことが中にはあります。それから、こんなことを言うとあれかもわかりませんが、機器を使わないという選択もあるのだということを私達の頭の中に置いておく。ですから、特に機器を扱っている方は、機器を紹介しながら、もしこれを人手でやるとしたらどういうことになるのだろうかというのを常に考えながら、そして実はその中間もあるわけですね、折り合っていくというような。まあ、そんなこともあるかなというように思います。

最後に、家族や周辺の人も巻き込む。これ、大切ですよね。ご本人にうまくいっても、家族の方の協力がなかったら、なかなか、実際の生活の場では使われません。まあ、そんなことを考えました。それで、利用者さんと支援者という中に、ATという支援技術があります。これがあればうまくいくかというと全てそうではなくて、実は何でもないようなことですけど、私は「気づき」というものが常に必要なのだろうと思います。私たちはともするとATに目を引かれてしまって、利用者さんのわずかな変化とか、そういったことを見落としてしまう。私が失敗した経験というのは、多分そういうところからきているんだろうと思います。わずかな発信を見逃してしまう。ですから、そういった「気づき」というのが私にとっての最大の課題です。よい気づきに出会うためにはこんなことを考えます。とにかく、その人と場と時間の共有を重ねる。一回ぽっきりのサービスではなかなか見えませんよね。時間を重ねて、回数を重ねて行く中で徐々に見えてくるものがあるということをこれは私が遅いのかもわかりませんけれども、やはりそういったことがあると思うんです。時間をかける、場も共有する、その場の雰囲気も含めて。それから先ほども申し上げましたように、先入観を排除する、それから、これも、先ほど申し上げました。相手の価値観に接近する。

最後に、普段とは異なる角度から物事を見ていくということが必要ではないかと思います。たとえば皆さん、もし目の前に車椅子があってですね、この方の車椅子がようやく到着した時に、どうやって見ますかね。私でしたら、乗っけてもらっていいですかとお願いさせてもらって、いいですよと言われたら乗せてもらいます。こういうクッションなんだな、まあ、そんなことを見ますね。それから、変なことをするなと思われるんですが、ひっくり返して後ろがどうなっているとか。たとえば、車椅子をチェックする時って、全部手で撫でるんですね、パイプを。どうしてかというと、実は溶接のゴミがポンとくっ付いているだけで痛いという感覚があるんです。でも、利用者さんの中には、これは失敗したケースで、チェックが甘くて、痛いと感じてから、もう車椅子に乗るのが怖くなってしまったということがあります。とにかくいろいろな角度から物事を見ていくということが必要かなと思います。

最後にお話するのは、これは昨年もお話しましたので、またかと思われるかもわかりませんが、昨年から増えていないですね。3つから増えていないんですけれども、利用者さんをとらえる3つの視点というのを、お話してまとめていきたいんですけれど、私たちが利用者さんに出会う時にいくつかの視線を持つ必要があるように思います。

私は、大学の工学部で電子工学を学んで、民間企業に2年間勤めました。ロボットの開発をしていたんですね。ただ、そんな人間がひょんなことからこういう世界に飛び込んで、28年間、臨床現場で仕事をさせてもらいましたけれど、まず最初に入る時に、相手とコミュニケーションできること、それが最大の課題でした。今でも決して得意ではないですけれど、人とお話ができるようになることというのが、自分の課題です。でもそれだけでは仕事はできない。まず最初に利用者さんと出会う場面を思い浮かべて頂きたいんですけれども、少し離れたところからも、そこから導入部が始まるんですね。「こんにちは」と入ってきますと、少し離れたところに利用者さんがいて、この絵の場合ですと、ベッドに横たわっておられます。支援者の視野に映るのは比較的若い方で、座位が取れるんだと、ベッド上で。これがとても大切なことですね、ベッドの上で座位が取れるということは。絵には描かれていませんけど、窓が今日は開いていて、気持ちいい風が流れてくるなと。そんな情報まで入ってきます。これから、この方の置かれているベッドがどこにあるのかと。これ、かなりプライバシーにふれますけれど、お家の中の交差点のようなところに置いてあったり、ぽつんと一人寂しく離れに置いてあったりですね、いろんなことが見えてきます。これを私は「観察者の視点」、ちょっと冷たい表現ですけど、いろいろなことを観察してもらいます。これ、全体をとらえるという意味では、私にとってはとても大切な視点です。実はこれができていなかったんですね、私。ベテランのソーシャルワーカーからよく言われました。近づきすぎだと。近づけばいいってもんじゃなくて、少し離れて見てごらん。そうすれば、いろいろなことが見えてくるから、ということをよく注意を受けました。ただ、これだけでは仕事ができませんので、近づいていって目線の高さを合わせて、そうすると利用者さんの表情とか、息遣いが伝わってきます。これを私が最初に目指していた、「対話者の視線」、というふうに付けました。これはもう皆さんおわかりです。本当にコミュニケーションしていくんですね。私はここから歩いていったんですね。だけど、たまには観察者に戻る、あるいは離れてみることが必要だ。ただ、観察者、対話者、私は長いこと、この2つの視点で仕事をしていました。これでいいと思っていました。相手のこともわかっていると思っていました。ですけど、そうじゃない。もう一つの視点がこの先にあるということを教えらました。

ほとんど絵は違いませんけれども、利用者さんがあっちを向いています。あっちというか、こっちというか、あっちを向いています。で、支援者の見える視野に映るのは何かというと、これは実は横顔ではなく、利用者さんの世界をどこまで自分が捉えきれているのかな、というのが、私には実は見えていませんでした。対話をしていても、実は見えていない世界があった。これを私は、とりあえず「共感者の視点」と呼ばさせていただきます。今お話しました観察者、対話者、共感者と、どれもが優劣をつけがたくて、たとえば共感できていても、観察者になったり、対話したり、あちこち行ったり来たりするというのは基本だと思います。ただ、一番最後の視点というのが私にはありませんでした。それを教えてくれたのは、これは毎年、本当に彼との約束でお見せしているのですけれど、彼が亡くなる1日前の約束なんですね。ATACカンファレンスで、中邑さんのやっているATACカンファレンスでこれからもずうっと見せていくからね、ということで彼はとっても喜んでくれました。

そんな意味で、今病院の名前がなんとか病院機構となっていますけれども、国立療養所南九州病院。以前の名前ですけれども、そこの筋ジス病棟に入院していました。トドロキトシヒデさん。彼に最初に会ったのは24歳です、彼が。明日亡くなってもおかしくないということを言われてですね、病院のスタッフに。病院のスタッフが私の航空運賃代を集めて私を鹿児島まで引っ張ってくれまして、実は彼はそれから11年間生きました。最後はトドロキさんではなくて、オドロキクンと言われていました。「まだ生きているのか?」というような、そんな冗談が平気で交わされるようなそんな病棟でした。これはお亡くなりになる5年ぐらい前の映像です。この段階では、呼吸器を付けて天井を見ています。座位が取れたらいいんですけど、心臓に負担があるいうことで、座位とか側ガイですね、側方を向くことはできません。ただ、幸いなことに気管切開、当初は声がでませんでしたけれど、この状態では声がわずかに出ています。彼の映像があります。NHKの総合テレビで1995年に流れた、「わが分身たち」。40分の放送ですが、最後の3分間を観ていただきたいと思います。実は私はこのものづくりに、私たちはお手伝いしたんですけれども、ものづくりをしているときには実はこの「鏡の世界」というのがイメージできていませんでした。この最後の3分間の映像を観て、放映されたものを観て、ふだんと違う視点を感じました。それをお見せして終わりにしたいと思います。

(録音)

鹿児島のトドロキさんのもとに、畠山さんから電動ミラーが送られてきました。
-トシヒデくん、宅急便が届いたよ。中、開けてみようか。

トドロキさんが心待ちにしていた、新しい装置です。天井しか見られなかった4年間の生活。この装置がうまく動けば、また回りを見渡せる喜びを取り戻すことができます。
-大丈夫、もうちょっとできるか。
-ワン、ツーでね。
-スイッチを押す回数でミラーが動く方向が決まります。
-よく見える、すごくみえる、やっぱり。車椅子た、ああ。
-マコト。マコト。目が据わっている。あれ歪んだ。柿だあれは。ふふふ、見ちゃいけないもの。ああ、よく見える。
-見えるというのはなんか世界が拡がったみたいで、やっぱりいいですね。なんか、いっしょにいるというような感じがあるのが一番ですね。
鏡に写った鶏の唐揚げ。4年ぶりに見る料理です。
-唐揚げが見える?
-見える、見える、よく見える。
-はじめてみた感想は?
-おいしそうだなぁ。食べている気がする。
障害者の一人一人に合った、やさしく血の通った分身たち。
-何がきてるかいちいち聞かんでもよくなるわ。

その分身を得た人たちが、あきらめていた夢や失いかけていた生き甲斐を再び手に入れ、新しい人生を歩み始めています。

中邑さんの、私に与えられた課題は答えられなかったかもしれませんが、これで、話を終わらさせていただきます。どうもありがとうございました。
(拍手)

中邑:畠山さんどうも、ありがとうございました。
最近、中邑はこういう厚生科研でお金の計算ばかりやっているのではないか、まさに最近、そういうせちがないことばかりやっているのですが、たまにはこういう部分にもふれなきゃいけないなと。ありがとうございました。本当にそうだと思うんですよね。人の気持ち、これを忘れずに、やはりこういういい世界を目指していかないというふうに思います。ということで、今回の発表会はこれで終了させていただきたいと思います。どうもありがとうございました。

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