地域共生社会開発プログラム実施報告1:雄谷 良成(おおや りょうせい)氏

皆さん、こんにちは。今日はよろしくお願いします。30分という短い時間ですけれども、今、ご紹介いただきました子どもも、若者も、それから、高齢者の皆さんも、障害のある人もない人も、あるいは日本人もそうでない人も、今までのような縦割りの福祉や医療ではなく、一緒にごちゃまぜになって過ごすと、どうなっていくのかということを少しお話させていただければと思います。

地域共生社会開発プログラム実施報告1:スライド1(図の内容)

コロナ禍における活動について

現在、コロナ禍ではありますが、私たちの拠点には、やはりたくさんの人が出入りをします。私たちの、たとえばお風呂というのは一般公衆浴場で、お風呂が無い方や生活保護でお風呂が使えないという方々にとってはセイフティネットになっているわけです。そんなこともあり、クローズすることはできないというところがあります。

地域共生社会開発プログラム実施報告1:スライド2(図の内容)

また、地域の人たちには、私たちの持っている消毒液とかマスクとか、そういったものをお配りしながらやってきました。ちょうど政府の緊急事態宣言が4月7日に出まして、その4日ぐらい後に利用者の皆さん、職員、家族にもマスクを配布しました。内部からはいろいろな話がありました。自分たち、いわゆる福祉や医療に使うマスクが無くなったらどうなるのだという話もありました。そこはみんなで相談をしながら、まずは直近のマスク不足や消毒液が足りないことに対応しようということになりました。そうすると、反対に地域の人が私たちの施設、拠点の全館消毒を一日に何回もしてくれたり、あるいは、地域の人たちがマスクを持ち寄ったりで、私たちの配ったマスクの量がちょうどキープできるというようなことがありました。そんなことから、私たちは「自粛」はしても、「萎縮」はしちゃいけないと思います。今、いろいろな地方自治体の皆さんと一緒に、コロナで外出できなくなった医療難民の方、あるいは買い物難民の方の所へ行って、みんなでそのニーズ、たとえば、おうちのクリーニングであるとか、不具合のあるような所とかも、食べ物だけではなくて、いろいろな日常の困りごとにも対応してきています。

地域共生社会開発プログラム実施報告1:スライド3(図の内容)

こんな中ででも、地域と関わっていくスタッフの中で、やっぱり僕らが考えなくてはいけないのは、シンプルなことかなというふうに思っています。僕らがコロナ禍でやっていることは、いつもよりたくさん食べるように。いつも野菜を食べない人はいつもより野菜を食べる。運動が苦手な人もいつもより運動するとか。私は金沢大学で公衆衛生学というのを教えていまして、1週間に4時間ぐらいの運動を行う、1日30分ぐらいですね。そうすると、うつ病の発症リスクがなんと17%減少するということで、やっぱりコロナうつとか、そういった影響もありますからしっかり運動しよう。よく寝よう。寝る間際までスマホをやっている人は、寝る直前にはやらないように、30分前に終わるようにして、快眠を心がけようとか。家に引きこもっていると、どうしても日を浴びなくなる。食べ物だけではなくて、日光浴するとビタミンができるということもありますから。僕らは、まず何よりも地域を支えていくという観点では自分たちが元気じゃないとダメだよねということも心がけています。

空き家を人の集まる場所へ

地域共生社会開発プログラム実施報告1:スライド4(図の内容)

では、さっそく、輪島kabulet(カブーレ)の紹介です。廃寺をごちゃまぜの場所にしてトライしたのがこれで、13年前になります。今、ちょうど輪島という町の空き家を使った試みがありますので、紹介をさせていただきます。私は、社会福祉法人 佛子園の理事長でもありますけど、青年海外協力協会の代表理事でもあり、昭和61年から4年間ぐらいドミニカ共和国という所に、障害者福祉の指導者の育成に行っていました。そこは、もう本当にごちゃまぜで、反対に学ぶことが多かったです。毎年毎年、今、1,000人ぐらい、海外から帰って来る隊員と一緒に全国でこういうごちゃまぜの拠点を広めようということでやっています。こういった仲間もどんどん増えてきました。輪島というのは、バブルの時には4万8,000人いた人口が、今は半分の2万4,000人です。単純な人口急減ではなくて、輪島塗の最盛期は150億ぐらいの売り上げがあったのが、今は30億台。100億ぐらいの基幹産業を無くすと、どんどん人口が流出してしまうという憂き目に合っています。

地域共生社会開発プログラム実施報告1:スライド5(図の内容)

町の真ん中がこんな酷いことになって、これをみんなが集まる場所に再生しながら、ちょっとずつ手を加えて温泉に使ったり、それから、デイサービスや障害のある人たちが集まって来る場所にしたり、近所の人ももちろんやって来ます。そういった場所をちょっとずつ増やしていきました。輪島市のど真ん中ですが、空き家で酷いことになっていて、これをみんなで使えるウェルネスにしました。会員制のウェルネスというのは、障害のある人とか、OKとなっていても実際はなかなか使えないという状態があります。しかし、これは子どもたちとか、皆さん障害のある・なしに関わらず使えるようにしています。また、同じ場所にある昔は寺院だった場所も、十数年も前に廃業されて、後を取る人がいなかった。こういった所を現在はママカフェなんかにしながらみんなで使っています。

地域共生社会開発プログラム実施報告1:スライド6(図の内容)

これは70年前の古民家ですが、居酒屋だったのですが、ご主人が亡くなられて空き家になり、そこを再活用しています。こういった所では、ちょっとあまり変わってないように見えますけど、このようなラーメン屋さんをやっています。厨房の真ん中に立っている彼は東京から移住してきた人ですけど、障害のあるスタッフと一緒にやっています。地元のお醤油とかお塩とか使ったラーメンを作っています。蔵の中をちょっと改造して、コワーキングスペースとか、みんなで一緒に過ごせる場所を少しずつ整備してきました。こういうご時世ですから、今はテレワークで使われる方もたくさんいます。このすぐそばにある昔スナックだった所は、空き家になってから夜歩くと怖かった。そういった所をみんなで少しずつ手を加えながら外から自転車でやって来る人やオートバイでやって来る人の居場所にしました。輪島というのは日本の三大朝市の一つなのですが、そのど真ん中に空き家がどんどん増えていったということで、それを再活用しながら、みんなの居場所をつくってきました。

地域共生社会開発プログラム実施報告1:スライド7

ごちゃまぜな人々とさまざまな取り組み

買い物難民の方や通院難民の方、それから、観光に来る人も、今は、こういったカートを町の中で走らせながら、各拠点をつなぐということも輪島市や商工会議所の皆さんが始めてくれました。これは2年ぐらい前から実証実験を始めている例です。ここにはいろいろな病院やスーパーがあったり、そこをつないでみんながお買い物に行けたり、通院したりできるようにしています。そうしていると、だんだんいろいろな人が集まって来るようになりました。美味しいもの、素敵な場所を見るというのもいいことですが、最近はインバウンドの方とか、そういった人がたくさんやって来るようになりました。その理由を聞くと、輪島は、障害のある人、ない人、それから認知症の人、そういった人たちが普通に暮らしている所で、本物の能登に触れることができるということが、彼らにとっては非常に興味深いと。

地域共生社会開発プログラム実施報告1:スライド8(図の内容)

また、そこでいろいろな情報をもらいながら観光するのも楽しいと言われました。親子で自転車に乗りに来たりなど、いろいろな人がやって来ることが増えてきました。私たちは、このようにいろいろな、ごちゃまぜの世界にトライしてきたわけです。反対にいうと、縦割りの福祉というのが戦後行われてきて、でも、それは別に悪いことではなくて、障害者は障害者の施設で、高齢者は高齢者の施設でということを一所懸命トライしてきたわけです。でも、やはり地域が力を失っていって、だんだん支え合う力が薄くなってきたときに、新しい人との関わりを求める時代になったのかなと思っています。これは私たちの本部です。相談に来る方、高齢者デイに来る方、発達障害の方、障害の重い方、ウェルネスにやって来る方、クリニックにやって来る方、独居高齢者の方、配食を利用されている方、温泉利用の方もすごく多いです。

地域共生社会開発プログラム実施報告1:スライド9

この拠点にどんどん人がやって来まして、2年ぐらい前のデータですけど、1か月に4万人ぐらいですから、50万近くの人がやって来るようになりました。このオレンジの所は普通の福祉施設や医療施設と同じで、利用者さんのサービスの利用と、それを支えているスタッフの皆さんの合計数です。しかし、この青い所は地域の人がやって来ています。このことが、これだけの「ごちゃまぜ」をつくり出していることになります。ごちゃまぜということで、関係人口、いろいろな人が関わるとどうなっていくのか。そして、そこには必ず居場所というものがあると考えています。海外に行ってよく思うことは、日本人はなんでワーク・ライフ・バランスと言うのか。海外では、あまり使わない言葉です。ファーストプレイスは家だったり、セカンドプレイスは職場だったり、そして、ワーク・ライフ・バランスというのは、そのどちらかという意味です。海外に行くと、サードプレイスもあるでしょうと言われます。家で嫌なことがあったら仕事にも引っ張っちゃうし、仕事で嫌なことがあったら家でも引っ張っちゃったりして。でも、そういったときに自分が全く違う場所でクールダウンするとか、そういった場所はみんな持っているでしょうと。それで、居心地のいい場所って我々にとってどういう場所だろうかということをみんなで考え始めました。そうすると、定期的かというと、決まってなかったり、何日もご無沙汰したり。居酒屋に行くということも、そうかもしれませんけど。何か決まった時間に決まった所に行くという感じではなくて、心の赴くままにというか、無計画で予定外だけれども、居心地がいい。そういった場所って実をいうと案外、福祉施設では、かなわなかったりします。何曜日の何時に何をしますという形だったりします。

地域共生社会開発プログラム実施報告1:スライド10(図の内容)

ここは私たちのスタッフルームですけど、近所の人もご飯を食べています。それで、スタッフはこうやって仕事しているわけです。下でスマホを触っている人は自閉症の方ですし、この頭を剃っている方はダウン症の男の子です。20歳で相当重篤な心疾患を患って、医療施設に入らなくてはならなかったのですが、地域で暮らすこと、やはり人と関わりたいということで、ここに暮らし、今は32歳になりました。みんなでいるといろいろなことが起こります。これは私たちの拠点です。障害のある人が中で働いたり、作ったり、いろんな地域の人が働いている場所なのです。居酒屋のようにというか、お昼はおそば屋さんのようにもなったりしますが。

地域共生社会開発プログラム実施報告1:スライド11(図の内容)

ある人は、このごちゃまぜの拠点ができるまでは、お休み、土日祝、深夜とかになると、心がなんか寂しいくなり、ドラッグストアに行っていろんなものを取ってしまうことがありました。別にものが欲しいということではなくて、ぽっかり心に空いた穴を埋めるためにものを取ってしまうということがありました。警察署に行って、いつもそういうつもりではないということで、何回も許してもらっていましたが、何度も続くので、いよいよ執行猶予になりました。執行猶予中にものを取ったら、今度はいよいよ実刑判決になります。私たちは、それをサービスだけではなかなか止められなかったのですが、5年前にこのごちゃまぜの拠点ができてからは、彼は一切ものを取らなくなったのです。僕らのスキルは全く変わってないのですが、何かと人と一緒にいる時間が増えているということがわかってきました。いつの間にか、お寺の掃除をすすんでやったりもします。

地域共生社会開発プログラム実施報告1:スライド12

また、カウンターに座っている人は、さっきのダウン症の男の子ですけど、この真ん中にいるのは私の父です。去年の9月6日にすい臓がんで亡くなりました。一昨年の10月にがん告知を受けて、余命を1年間闘病しながらやってきました。こんな父ですが、地域の人が集まって来ると、末期がんですが、皆さんとこうやって楽しんでいたりとか、あるいは、子どもたちがいるとこうやってのぞき込んだりしながら。

地域共生社会開発プログラム実施報告1:スライド13

この写真は2月ですから、亡くなる半年くらい前ですけど、子どもたちのために鬼をやっています。子どもたちは父の鬼が怖くて大泣きしていました。この左端にいる子は自閉症の非常に重い方です。でも、みんなが一緒にいるってことにあまり抵抗感が無くなってきました。でも、やはり父は末期がんですから、このようにちょっと落ち込んで、黄昏てる感じになることもあります。でも、近所の人が釣りにでも行きますかということで誘ってくれたりもする。これはもう亡くなる2週間前です。もう痛みが止められないので、いわゆるモルヒネ系の点滴を打って痛みを止める。そうすると、意識が朦朧としてくる。この左側にいる人は、配食サービスで独居の高齢の方にお弁当を作っている障害の方です。その人が病院にお見舞いにやって来て、うちの父の好きなウイスキーを差し入れて、「寝ている場合じゃないだろう」と言ったのです。父の飲み友達なので。障害のある方と末期がんのうちの父。また、この左側の子は、さっきの執行猶予を受けて、それからずっと物を取らなくなって、執行猶予が開けたという人です。彼たちがやって来ると、ばっと意識が戻ります。それで父が何と言ったかというと、「お前たちがこんなに頻繁に来るということは俺もそろそろ死ぬころか」と。そうすると、3人のうち2人はもう恐縮しちゃって、なんて答えていいのか分からないみたいな顔をしているわけです。でも、やっぱりこうやって元気になる。そうすると、父が病室で水割りを飲みたいと言い出して。何かあるといけないので、病室はドアが開いていましたが、水割り持って来てというから持って行きました。そうしたら、ドクターも看護師さんもみんな苦笑い。父は、80歳で亡くなりましたが、面白いですね。60年以上もお酒を飲んできた右腕というのは非常に強くて、水割りを3杯飲みました。

地域共生社会開発プログラム実施報告1:スライド14

亡くなったわけですが、父がいつも座っていたカウンターで、障害のある人が亡くなった父を思い起こしながら、好きだったお酒とおまんじゅうを置いて、一緒に献杯している。それを僕たちが後ろで見ている。この方も、今年の1月に亡くなりました。そうしたら今度は第三の男が現れるのです。この人は、障害のある人ではなくて、うちのヘルパーさんなのですが。でも、実は、18年ぐらい前に仕事を退職されているのですが、その時に退職金を全部飲み屋につぎ込んでしまい、奥さんにも愛想をつかされて離婚されてしまいました。生活が荒れていたときに、ここにやって来てヘルパーになったのです。彼とうちの父と1月に亡くなったもう1人と、3人でいつも飲んでいました。それが今度は2人が亡くなったということで、グラスが2つに。今度は彼が献杯しています。

地域共生社会開発プログラム実施報告1:スライド15

そうすると、やっぱり3人組が崩れたわけで、今度は僕が一緒に飲もうと誘われました。理事長も、父親を亡くして落ち込んでないかとか、僕も寂しいなとか言いながら、こうやって一緒に飲む。そうすると、今度は脳こうそくで失語した方が、僕らの様子を見ながら、「私、たまに会長の夢見ます」って。亡くなった父のことを書いてくれる。みんなが何かつながっていて、人間ですからつらいこともあるでしょうけど、そうやって支え合っていく感じがあります。看取る、看取られるという話がありますが、それって、どうなのだろうなと。最近、僕らは、看取り合うではないのかなと思っています。障害があってもなくても、いろんな人とごちゃまぜの場所で関わり合うことによって、そこで一緒にいろいろな経験というか思い出ができて。人は誰が先に死ぬかということは、露もわかるはずもないのですが、そんな中でいろんな人が関わり合うことでいろんなことを一緒に見聞きしながら、それに共感していく。そうすると、どっちが先とかということではなくて、お互いに看取り合っているということなのだろうなと。タイミング的には誰かが先に亡くなるわけで、それが看取られるということになって、看取るということになると思うのですが、そういったことよりは、亡くなっている人がいて、それをまた見守る人がいて、それがずっと僕らの地域の中で連綿と続けられているというのが僕たちの生きるということなんじゃないかなということを最近感じています。

こういうコロナの時期で、僕らもコロナで、先ほども言いましたが、月5万人もやって来ている、4万人もやって来ているという所があって、みんなでしっかり密を防いだり、感染予防はやりながら過ごしていても、たとえば独居の認知症の方なんかが、外出したり、高齢者デイサービスに来なくなったり、この半年ぐらいは深夜にお出かけすることがなかった人も出かけてしまったり、そういった状況が見受けられるようになるということが起こっています。そういったことからも、人は人と関わっていないと、元気を失っていくのだなということが、このコロナの状況からもわかってきたと思います。ちょうど時間となりましたので、これで私の発表を終わらせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。

地域共生社会開発プログラム実施報告1:スライド16(図の内容)

松崎 良美 氏:

雄谷様、ありがとうございました。皆様、拍手ができる方は拍手をお願いします。私自身もぜひ伺ってみたいなと思いました。他の皆様もお話を聞いて、ご訪問を希望されている方もいらっしゃるかもしれません。ぜひ佛子園さんのホームページからお申し込みができるそうなので、アクセスしてみてください。本当にありがとうございました。

では、魅力的なお話がまた続いていきます。次の講演者のお二方をご紹介させていただきます。公益財団法人東近江三方よし基金 常務理事の山口美知子様と、東近江圏域 働き・暮らし応援センター“Tekito-” センター長の野々村光子様です。つながりがどのようにして生まれ、様々な魅力的な事業や活動を実現してこられたのか。地域ネットワークの中枢にいらっしゃるお2人にご登壇いただき、『「暮らし」が「当たり前」になるために』というタイトルでお話をいただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

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