音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

国際シンポジウム「国際協力と障害の問題に人権の枠組みを」

オーストラリアにおける国際協力

オーストラリア視覚障害者協会役員  ウイリアム・ジョリー

このペーパーは障害者に関する国際協力についてのオーストラリアの現状について紹介したものです。一般的な情況を述べ、次いで、ベトナムに対する開発援助計画に絞って論じています。

1.背景

 オーストラリアは人口1,800万人を擁する先進国で、貧困や他の地域の武力紛争とはかけ離れた南海に浮かぶ国です。オーストラリアは移民に関しては良い歴史を持っています。― 他の国で抑圧されたり、追放されたり、又、魅力ある国で新しい人生を始めたいと願って移ってきた人々を歓迎してきました。災害、戦争、飢餓、などに際して、オーストラリアはいつも人道的援助を行いますが、社会の主流から取り残された人々を迎え入れることに関してはそれほど成功していません。
 オーストラリアには多くのNGO(非政府組織)の海外援助団体があり、それらのいくつかは大規模で、世界的な組織と結びついているものです。ほとんどの場合、これらは障害者支援プログラムに関わるものではありません。関係するとすれば、プライマリーヘルスケアや障害の原因となりうるものを予防するというような観点からです。実際、このようなプログラムの方が、障害を持つ人々の教育、リハビリテーション、訓練などのプログラムに関わるよりもずっと多いのです。この事は障害者の間にある種の反発を招いています。予防のためのプロジェクトに関して資金を集めることが比較的容易であるのに対して、障害者たちは自分たちでなんとか資金集めをせざるを得ない情況に置かれているからです。しかしこのような傾向の中で、例えば、地雷による犠牲者のリハビリテーションのように、戦争による障害からの復帰という点ではかなりの援助プログラムがありました。

  ACROD(The National Industry Association for Disability Services) が、政府の海外プロジェクト助成金を受けていた長い期間、オーストラリアは主に太平洋、東アジア地域での障害者プロジェクトを援助することができました。この中にはとても小さいものもあれば、大きいものもあります。その例はたとえば、太平洋地域特別教育プログラムや、太平洋での肢体不自由、義肢訓練、またツバル、キリバス、西サモア、フィジーでの特別教育への初期参加、インドネシアにおける理学療法訓練、東南アジア地域での授産施設、管理者研修、などです。1999年末に完遂する見込みとなっているのはACRODを通じて行ったAusAID助成の最後のプログラム、パプア・ニューギニアでの研修プログラム、フィジーの盲人協会(United Blind Persons)の所得確保プロジェクト、後に述べるベトナムでの点字教育プロジェクトなどです。オーストラリア政府の国際協力機関であるAusAIDが出す海外援助資金のほとんどは政府間の2国間援助です。AusAIDが援助するNGOのプログラムもいくつかはありますが、障害者を対象としたものは一つもありません。そのうちのいくつかは社会の主流から取り残された人々、女性や子供に対する援助リストの中に入っています。
 1998年にオーストラリア統計局が出した統計によるとオーストラリアの国民の19%が、自分は何らかの障害を持っていると答えており、国民の15%が、その障害によって社会的不利を被っている、すなわち移動、通信、身の回りの世話など何らかの点で手助けを必要とする、と答えています。オーストラリアは他の多くの先進国と比較しうる機能障害、能力障害、社会的不利の発生率を発表しており、年とともに能力障害が増加しています。国民の高齢化は、能力障害者が増加することを意味しています。
 オーストラリアでは障害者にサービスを提供するNGOの素晴らしいネットワークがあります。調整役は、ACRODです。ACRODはRI(国際リハビリテーション協会)の主要メンバーで、ACRODの代表はRIの委員会で指導力を発揮してきました。ACRODは、メンバーがアジア太平洋地域でプロジェクトを実行するのを支援してきました。
 ACRODのメンバーのうち国際協力プログラムに関わっているのは比較的少ないです。また、ACRODを通じて国際協力を行っているメンバーは更に少数です。ACRODが、国際協力を行っているNGOとしてのAusAIDの承認を1998年から受けられなくなったことは実に残念です。これはACRODの運営、方針、活動などが問題だったのではなく、むしろACRODが年間20,000米ドルに満たない拠出しかしなかったからです。オーストラリア政府のこの方針転換のためにかなりの数の小さい開発組織がつぶれたのです。そして、特別教育を必要とする障害者のような社会の主流から取り残された人々はさらに不利な情況に追い込まれました。
 ACRODが障害者にサービスを提供する組織でありますが、そのほかにオーストラリアには障害者やその介護者の組織として10の主なものがあります。これらが集まって、National Caucus of Disability Consumer Organization(障害者消費者全国幹部会)を作っています。これらの組織のうちの多くはそれぞれの州の組織で、全国的な活動については一人か二人の人間しか配置していません。オーストラリアは、今はDisabled People’s International(障害者インターナショナル)のメンバーではありません。Blind Citizens Australiaが盲人及び視覚障害者の全国的な組織です。Blind Citizens Australiaだけが国際協力の活動をしていいます。

2.視覚障害について

 オーストラリアには多くの盲の組織がありますが、盲人を援助する国際協力プログラムへの参加は不定期で、調整がよくとれていないものでした。もっとも実質的な関わりを持ったのはWorld Blind Union(WBU―世界盲人連合)へのBlind Citizens Australiaの積極的な参加以来の活動です。
 オーストラリアの団体のいくつかは盲予防のプログラムを積極的に押し進めてきましたが、その中でも特筆すべきものがChristian Blind Mission InternationalとForesight、及びFred Hollows Foundationです。
 Blind Citizens Australiaはオーストラリアの視覚障害者の意見を集めたものです。私たちの使命はエンパワメントや、社会の肯定的な姿勢を促し、我々のニーズにあった質が高くてアクセスしやすいサービスを求めていることによって、公平と平等を勝ち取ることです。私たちの活動の中心は、個人的かつ体系的な発言、情報の提供、ピアサポート(仲間同士での支え合い)、そして政府、民間企業、地域組織への助言やコンサルタントです。
 Blind Citizens Australiaは他の盲組織や、盲のための機関と協力しますが、オーストラリアの視覚障害者の声を代表する組織としての独立性と権威を保ち続けていきます。Blind Citizens AustraliaはACRODの構成員であり、またNational Caucus of Disability Consumer Organization(障害者消費者全国幹部会)の会員でもあります。
 Blind Citizens Australiaには現在8人の正職員と5人のプロジェクト・スタッフがおり、そのうちの一人はベトナムにおります。私たちの活動の基礎は、オーストラリア政府から年間10万ドルの助成金を得ているNational Advocacy Service(全国的権利擁護活動)です。
 Blind Citizens AustraliaはWBUの主要なメンバーでもあります。我々の初代会長、David Blythさんは8年にわたってWBU東南アジア太平洋地域の会長であり、1992年から1996年までWBUの会長でもありました。彼は1992年にベトナムを訪問し、その後、Viet Nam Blind Association(ベトナム盲人協会)とBlind Citizens Australiaのパートナーシップで、AusAIDのWomen in Development Fund(女性と開発基金)の助成金を受けることができるようになりました。2000年11月にオーストラリアはWBUの第五回総会と第二回世界盲人女性フォーラムを開催します。又盲人組織の責任者のための国際シンポジウムや日常生活の保護具、補助的技術の展示なども致します。Blind Citizens Australiaは、このイベントを主催しているAustralian Consortium of Blindness Agencies(オーストラリア盲組織連合)の指導的立場にあります。
 一方、Blind Citizens Australiaの本予算は20万ドルしかありません。収入を補うのは時間が限られていて、特定の目的を持ったプロジェクトへの資金集めです。ですから国際協力に対する予算はないのです。それにもかかわらず、私たちは、我々が関わることで大きく違ってくる、途上国の盲仲間を支援することを続けています。ACRODを媒体として、私たちはAusAIDから、フィジーとベトナムでのプロジェクトを実行する資金を得ました
 フィジーのプロジェクトは、United Blind Persons of Fiji(UBP―フィジー盲人協会)との協力で行っています。この協会は、視覚障害のある人たちの自助グループです。これは1990年代初めに設立され、国際機関から支援を受けていました。しかし、組織が方針を変え、南太平洋のプログラムから撤退すると、助成金を打ち切られました。
 UBPは事務職の人を雇う資金を集めることもできず、まだ、組織を発展させる資金も充分ではありませんでした。組織の目的は盲人のために発言し、ピアサポートを行い、社会の意識を高めて、失明を予防することでした。
 私たちが3年にわたってUBPに関わったことで大きな違いが出てきました。オーストラリアからの1万ドルの寄付で、UBPはパートタイムで資金集めをしたり、会の宣伝をしたり、盲人のためのフォーラムを開催したりする人を雇うことができたのです。UBPはまだ、独り立ちしてはいませんが、3年前よりはずっと目標に近づいてきました。

3.ベトナムの点字教育

3.1 全体的な背景

 ベトナムは、人口7,500万人の、東南アジアの貧しい国です。ベトナムの人々が勇敢に戦ったアメリカとの戦争が25年も前に終わっていますが、その戦争の後の環境被害と破壊で、国のあちこちで貧困に苦しんでいます。国の誇りや主権を守ったねばり強さの代償は余りにも大きいものでした。多くの家族で若者が死にました。女性も襲撃され殺されました。通商ボイコット、貧困、土も葉も人も化学物質に汚染され、視覚障害を含めた様々な障害が広がったのです。私はいつもベトナムの人々の誇りの高さと、組織力に感心します。識字率はかなり高く、保健、教育の体制もとても良く整っているのですが、大変な資金不足に悩んでいます。
 Viet Nam Blind Association(VBA-ベトナム盲人協会)は視覚を失った兵士たちの自助組織として、1969年に設立されました。全国で75万人いると考えられている盲人のうち3万人が、VBAに加盟しており、組織は急速に拡大しています。会はすべての州に支部を作ることを目的としています。しかし政府が州をどんどん分割するので、VBAが支部を作るより早く、新しい州ができてしまいます。
 VBAの発展は、ノルウェー視覚障害者協会(Norwegian Association of the Blind and Partially Sighted)からの支援によるものですが、後者はアジアとアフリカに盲人のための国内組織を作り、強化しているという国際的プログラムを実行しています。ベトナムは旧式の社会主義的政体をとっています。国、州、地区、コミューンという行政単位です。VBAの組織もこれをまねています。
 ベトナムには盲人のために5つの学校があります。政府によって運営され、グエン・ディン・チュー(20世紀初頭の有名な盲人)の名にちなんで命名されていますが、これらはほんの一部に過ぎません。ベトナムの多くの目の見えない子供は教育を受けられないのですが、VBAはそのいくつかの支部で統合前教育を行って成果をあげています。VBAは、盲人のための学校がない地域や、孤児や、保護者が教育費を負担できないような子供に対して授業を行っています。
 「統合前」クラスでは子供に基本的な文字や数字についての知識を与えるために点字の読み書きを教えています。また、歌を歌ったり、楽器を弾いたりすることも教えます。ある子供のクラスに行ったとき、点字を書いている音が聞こえたのを覚えています。6才から15才までの子供たち30人が、スレートと点字ペンを使って点字を書いていました。ある子供は、紙が固くて、小さな指では穴を開けられないため、両手を使って穴を開けていました。こういう場に行き会ったことは、私にとっては感銘深いことでした。というのは、私は自分の人生にとって点字での読み書きが如何に重要であったかを思い出したからです。ベトナムで私が出会った子供たちの何人かはとても小柄でした。もともと体格が小さい上に、栄養不足で目が見えなくなったのです。ビタミンA欠乏症はベトナムではよく見られることで、それに加え、幼年期の病気、事故、化学薬品の害や戦争での爆発やその他の理由が、視覚障害の原因としてあげられます。

 3.2 プロジェクトの概要

  ベトナムでの点字教育プログラムは1993年後半に、オーストラリア政府からの助成金とBlind Citizens Australiaのアドバイスと監査を受けて、タイビン州の25人の女性を対象に始まりました。点字の読み書きがViet Nam Blind Association(VBA―ベトナム盲人協会)の何によりも優先すべき課題で、職業訓練、雇用創出による所得創出とリハビリテーションが次に来ます。当初のプロジェクトは全盲、晴眼両方の女性に対する15ヶ月の研修コースでした。残った資金で、ロン・アンで盲女性に対する識字教育の地方での研修コースを支援しました。タイビンは北のハノイから南東に150キロほどのところにあります。ロン・アンは南のホーチミン市の西、100キロほどのところです。とても貧しい地域で、未だに戦争の後遺症に悩んでいます。プロジェクトは全てVBAとその支部の協力のもとに行われました。
 1996年1月、前年は失敗した、4つの州で、教師の研修コースを行う3年計画のプロジェクトへのAusAIDの助成金を取り付けることに成功しました。目的は、女性に点字教育の教師としての訓練を施すことや、日常生活の仕方を教え、自分で動き回れるようにし、職業教育を提供することなどでした。読み書きと職業訓練はVBAにとって2つの重要な優先事項であり、またそれとともに、各州や地域に支部を作ることも重要でした。この申請はAusAIDの認可を得たACRODを通じて行われました。
 ベトナムにおける、我々の代表者であるトラン・ダン・フォンさんが、視察の間中、ガイドと通訳を務めてくれました。また、書類の翻訳をしたり、州を訪問してBlind Citizens AustraliaとVBAや人民援助調整委員会などのようなベトナム側の組織とのコミュニケーションがうまくいくように働いてくれました。彼女は訪問に先だって、宿舎や交通手段の手配などをしてくれました。彼女はプロジェクトを助け、ベトナムとオーストラリアの間を強い絆で結ぶことに大いに貢献しています。
 現在のプロジェクトは1997年から1999年までの3年計画のものとして構築されています。契約では毎年2回ベトナムを視察に行くことになっています。私はBlind Citizens Australiaを代表してこの視察を行ってきました。プロジェクトにかかるコストは全てAusAIDの予算でカバーされますが、私がベトナムで費やする時間まではカバーしません。3年間で115,000ドルの予算は、おおざっぱに分けると、ベトナムの研修費用が70,000ドル、30,000ドルが旅費と宿泊費、10,000ドルがオーストラリアでの事務費です。予算はオーストラリア・ドルであげられており、(このペーパーでは米ドルで記載)米ドルとベトナムの通貨、ドンの両方で支払われました。為替の変動が計画を複雑にし、ベトナム側では慎重な案を立てざるを得なかったのです。
 このプロジェクト資金は9ヶ月の指導者研修を4本実施し、その後6ヶ月のフォローアップ期間に地区のクラスを開催できるまでの費用を賄うことができました。地方のクラスの典型的なものは期間3ヶ月、受講生15人程度のものです。このプロジェクトで、私たちは各地区で20から25人の視覚障害をもつ女性を指導者として養成する援助をし、彼女たちがその地区で教室を開くのを手伝いました。スケジュールは以下の通りです。

  • 1997年4月 ハノイの北 ハタイ
  • 1997年9月 ベトナム中部 カンナン
  • 1998年4月 ハノイの南 タンホア
  • 1998年9月 ベトナム中部 トウア・ティエン

  結果をまとめてみますと、非常によい結果が出て、我々も喜んでいます。125名の女性(そのうち4分の3は全盲、又は視覚障害)が、6つの州で、教師としての研修を受け、1,000名以上もの盲人を対象に教室を開きました(受講者の60%が女性)。指導者研修コースは通常期間9ヶ月の泊まり込みで、VBAの州の支部が運営しています。タイビンでの最初のコースはWomen in Developmentという プログラムによって資金援助を受けました。このプログラムと焦点を合わせ、また視覚障害をもつ女性に対する差別撤廃措置(アファーマティブ・アクション)として私たちは女性を点字教師として教育しつづけました。
 指導者研修が終わった後、州のあちこちで地区教室が開かれます。1つの州に10の教室が開かれることもあります。各クラスは基本的には15人の盲生徒がおり、泊り込み方式で2,3ヶ月勉強します。生徒たちは、点字、基本的な動き方、日常生活の訓練、職業訓練などを受講します。点字の読み書きもします。両手を使って、正しく読み書きできるように学ぶのです。爪楊枝や、蒲団や、魚網や箒の作り方を学びます。ある生徒は、点字を学び、基本的な動き方を学んだので、作った物を市場に持っていって売ったり、道を探したり、売り上げを点字でつけたりするのにも安心感と自信を持てた、と語っています。
 年に2回、1週間程度ずつベトナムを訪問する時、まずVBAのソート会長と会い、最後にプロジェクト調整委員会と会い、その議事録を執ります。私たちは指導者養成コースや地区クラスについて話し合います。大抵、ハノイ以外の2,3の州を訪問し、可能な限り地元人民委員会の副委員長と話し合います。指導者養成コースへの資金は主に、AusAIDを通じてわたったオーストラリア政府の資金でした。地区クラスの資金は主にVBAの州支部の責任で、地区レベルの人民委員会から助成金を得ています。

 3.3 評価

  1998年の間にVBAはプロジェクトの評価をしました。盲人に識字教育、リハビリテーション、動作、仕事、音楽、などを教える、という意味ではプロジェクトの目的は達成しました。特に盲人の教師は、より技術を向上させ、自信を深めました。前よりも更に深く社会に関わるようになり、結婚したり、VBAの支部でスタッフの手伝いをしたりしています。
 事務所の模様替えや、資材の供給は、施設の向上という意味で支部にも恩恵をもたらしました。おかげで支部も発展し、地区の自治体その他から支援を受けやすくなりました。
 タイビンでのコースは他のコースより長く、9ヶ月ではなく15ヶ月でした。これは指導者たちがより多くの研修を受けたことになります。その中には、普通高校で、晴眼者の子供たちを教えることができるようになった人もいます。
 しかしながら、問題もありました。この問題は、他のパートナーの協力で、将来VBAが解決できるとよいと思っています。ロンアン地区は貧しく、また教室を開く場所がないことが悩みです。地区クラス開催に対するAusAIDの資金は充分ではありませんでした。また、こういうクラスは4ヶ月か6ヶ月に延長すべきです。地区の自治体は、通常、場所と、現物支給しか援助してくれないので、教師の報酬、食べ物、生徒のための医薬品等は援助の対象外なのです。
 VBAは、将来的には指導者研修は15名の受講生で少なくとも15ヶ月のコースにしたいと要請しました。視覚障害の人の方が継続率が高く、ロールモデルとなって盲生徒に刺激を与えるので、彼らを優先すべきです。

 3.4 結論

 点字教育指導者研修プログラムは、そのほとんどの目的をよく達成し、大成功でした。これが長期にわたって持続するかどうかは、VBAが人民委員会の地域社会支援資金やその他の資金を得られるかどうかにかかっております。Blind Citizens Australiaは、先頃、AusAIDに、点字教育と職業訓練に重点を置いた、ベトナムでの3年計画のプロジェクトに対する資金を要請しました。残念ながら、競争が激しくて、この申請は通りませんでした。けれども、ベトナムの盲人は貧困にあえいでおり、社会の主流から取り残された人々であり、VBAはその人たちのためにとてもよくやっている、という評価は受けました。
 私が聞いたところではタイビンでの盲目の教師の社会参加率が上がって、結婚率が高くなったそうです。また、盲の指導者の方が、卒業後とどまる率が高く、生徒たちとの関係もよいので、好まれる、ということも聞きました。必要性が高いのにプロジェクトはまだ種を撒いている段階ですが、それでも大きな効果をもたらしていると聞いています。
 ベトナムでの盲人支援はBlind Citizens Australiaが提供する多くのサービスのうちの1つです。 点字教育指導者研修プログラムが貢献をしているのを見るのは特に嬉しいです。125名の指導者と、1,000人もの盲人が、点字のおかげで識字という贈り物を得ることができたのです。
 けれどもベトナムでは、盲人のためにすることがまだまだ山のようにあります。視力の弱い人々の中で、手術によって視力回復できるのは誰か、眼鏡による矯正で視力が回復できるのは誰か、または盲目ということについてのスキルを学ぶことが役に立つのは誰かを判断するプログラムが必要です。もっと多くの盲人用職業訓練や持続可能な雇用プログラムが早急に必要です。なるべく早い時期にVBAの支部全てに点字用のコンピュータを備え付けるべきです。そして点字を打てる職員を2人ほど配置すべきです。ベトナムでは、音読本をカセットでするもの、という考えは捨てて、一挙に最新のデジタル技術を使って全国ネットワークの音読サービスをすべきです。これはベトナムの全国公立図書館制度かVBA自身が先頭にたってすべきです。私たちのささやかな助力で、1,000人のベトナムの盲人の方が点字を知ることができましたが、点字の点を自分の手で感じ取り、自分を取り巻く世界の素晴らしさを知る日を待っている盲人の子供や大人が、まだベトナムには何千人もいるのです。点字は私たちにとって識字の第一歩であり、識字は教育、啓蒙、満たされた人生への扉であるのです。