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第5章 インクルーシブ教育への道:モデルとなる好事例

世界各地の当事者、親、教師および地域の支援者から、インクルーシブ教育の成功例に関する前向きな報告が寄せられた。リソースが豊富な国でも、またほとんどリソースがない国でも、インクルージョンは成功している。私たちは、障害児を普通学校に受け入れ、必要な支援を提供することに実際に取り組んでいる、あらゆる地域の個人、学級、学校および地域社会の事例を入手した。また、成功を収めたインクルーシブな実践と、それを学校および学級で実施する方法について、少なからぬ技術と知識を学んだ。報告された事例は広範囲にわたっており、心を打つものである。本報告書にすべてを掲載することはできないため、国際育成会連盟の教育ウェブサイトで入手できるようにした。1

体験談には、地域の学校への1人または2人の生徒の受け入れに関する報告もあれば、学校全体のアプローチが変化したという報告もあった。さらに、インクルージョンを政府の政策の一部とするための、地域、州あるいは国レベルの改革に関する報告もあった。本章で取り上げる体験談は、これらの各レベルにおける改革の事例である。

私たちは、インクルーシブ教育開発の事例を、以下の枠組みにより分類する。

  • ミクロレベル(個人・学級レベル)
  • メゾレベル(学校-地域社会-教育制度レベル)
  • マクロレベル(法律・政策および文化)

これら3つのカテゴリーは、ユネスコのグローバルモニタリングレポートおよびその他の調査研究で確認された事例を補完する。ピーターズ(Peters)(2004年)が示すように、インクルーシブ教育に関する調査から、進展を妨げ続けている組織的な障壁に対処するためには、これらすべてのレベルにおける改革が必要であることが明らかになった。インドで2001年から2005年まで国立インクルージョンリソースセンター(National Resource Centre for Inclusion-India)によって開催された、一連の「インクルーシブ教育に関する南北対話」でも、インクルーシブ教育の(南北各国の当事者、教師、研究者、政策立案者による)組織的な改革のプロセスを検討するために、これら3つのレベルが使用された。これらの対話の結果、3巻からなる論文が作成され、多数の事例が紹介された。2これらの事例と、インクルーシブ教育に関するますます多くの調査研究を通じて文書化された事例に、本調査参加者によって提供され、引用された事例の一部が加えられた。それらは皆、インクルーシブ教育のための改革が、すべてのレベルにおいて、すべての地域で起こっていることを実証している。

ミクロレベルの改革:個人・学級

インクルージョンは、一度につき生徒1人を対象に実施されることが多い。これは通常、それぞれの保護者による支援活動の賜物である。家族、特に親が、子どもが「インクルーシブ」な環境で教育を受けることを主張して前線に立つ負担を負っているのが、全世界に共通する現実である。私たちが自信をもって言えることは、インクルーシブな実践の積極的な改革は、親の要求と結び付いているということである。インクルーシブ教育の課題を推進するのは、子どもに対する親のビジョンであり、目標であり、そして夢なのである。

エルサルバドル

ある感動的な話が、エルサルバドルから寄せられている。数少ないろう児の親たちが息子や娘の普通教育へのインクルージョンを支援する団体を組織したというのである。

親たちは子どもに手話を教えられる通訳者を雇う資金を募った。そして、耳が聞こえる同級生が手話の達人になれるよう、数人に手話を教えた。また、地域の学校でこの取り組みを支援した。その結果、地域の若者のグループが生まれ、子どもたちはこの若者たちとコミュニケーションを取り、同世代からの良い影響を受けられるようになった。これによりさらに、ろう児が普通学級に受け入れられ、通常のカリキュラムに参加できるようになった。

このプログラムの結果、ろう生徒の1人、パブロ・デヴィッド・デュラン・ヴィラトーロ(Pablo David Duran Villatoro)は、2009年にコンピューターシステムエンジニアとして大学を卒業し、エルサルバドル初のろう者であるエンジニアとなった。彼の父親、エドガー(Edgar)は次のように語った。

「私は、この経験を分かち合いたいと思います。(中略)インクルーシブ教育は障害者の成功を確実にするための効果的な方法です。しかし思い違いをしてはいけません。あらゆる問題に対処するためには、犠牲もやむをえません。けれども、それは可能です。大いに可能なことです。」

南アフリカ

ケイリー(Cayley)は、学校が自分を受け入れるために、どのように力を尽くしてくれたかを述べている。

「私はいつだってヒルクレストクリスチャンアカデミーが大好きでした。子どもたちと先生が皆とても親切で、私を助けてくれたからです。でも在学中はやはり、ときどきいくつか問題が起こりました。両親はいつも、私を助ける一番良い方法を見つけるために先生と協力しようと、先生に会いに行ってくれました。そして一番良い方法は、私にもっと易しい課題をさせることだとわかりました。ほかの子どもたちが算数をしているとき、私は自分用の「易しい」算数をしていました。ほかの子どもたちが英語の綴り方を勉強しているときは、私は自分用の「易しい」英語の綴り方をやっていました。クラスで支援員をお願いしたことは一度もありませんでした。集中することがかなりよく身に付いていたし、毎日2人のクラスメートがその日の「バディー」になってくれたからです。自分が易しい課題をすることは気になりませんでした。それで良かったのです。一度も試験を受けずにすんだことも嬉しかったです。それは私にとって一番良いやり方でした。

私は学校の友達からとても多くのことを学びました。だから少しうまく話せるようになったのだと思います。」

イエメン

イエメンからは、態度を変えることの影響について、好ましい事例の報告があった。教育省は、障害者の受け入れはまだ公式には優先政策とされていないが、知的障害のある生徒を普通教育に受け入れることへの抵抗はないと説明した。「彼らが同級生と一緒にいることで学習するのなら、喜んで教室に受け入れます。」

インドの親のフォーカスグループは、学校レベルでインクルージョンを成功させる方法について提案してくれた。

  1. インクルージョンは、学校や親自身、また子どもにとって、単純あるいは容易な課題ではないので、親は苦しい闘いを覚悟した意識的な決断を下す必要がある。
  2. 教師と学校側が今後起こることを理解できるように、子どもの課題について正直に述べた方が、常に対処しやすい。
  3. 学校に特別なニーズのためのリソースルームがある場合、そのサービスが本当にインクルーシブかどうか、あるいは子供が普通学級に入れてもらえるのは、(昼食時や美術など)特定の時間や活動の時だけなのかどうかを確認する。
  4. 少なくとも1人の親は、専門家とともに子どものプログラムに取り組む必要があり、可能であれば正式な研修を受けなければならない。この方法により、親は自信を持って、学校や地域社会で子どもを支援できる。親のエンパワメントは非常に重要である。
  5. 同じ地域に住む親たち数名でグループを結成し、子どもと一緒に学校に行ってくれるセラピストを雇い(あるいは親たち自身が順番でこの役割を担当し)、必要に応じてセラピストをバックアップする。これは、最小限の支援を必要としている子どもたちに有効といえる。さらに多くの支援が必要な子どもの場合は、支援が必要な日/時間に親が自分で学校に行くこともある。また、さらに大きな困難を抱えている子どもの場合は、もっと長期間これが続く場合もある。
  6. 親が学校に来ることに反対する学校も確かに存在する。親が来ることのメリットを学校側に納得させなければならない場合もある。
  7. 子どもが学校に受け入れてもらえなくても、将来普通の生活がしやすいように、地域との触れ合いを多く得られるようにする。
  8. 子どもが特殊学校に在籍している場合、普通学校への移行を容易にするために、最初は2,3時間、普通学校で支援を受けながら過ごせるよう、特殊学校を通じて働きかける。
  9. 子どもがグループ/学級内で役割を果たすための適切なスキルと支援を得られるようにする。これらのスキルには、その子どもがニーズを伝え、着席し、授業に参加するスキルを必要に応じて含める。特に必要な支援としては、その子どものための物理的な空間および時間の構造化や、視覚的な支援、いつも一緒にいてくれる人や支援者、研修を受けた担任教師(利用可能な場合)による促し、または合図などによる、切り替えのための決まった手順が考えられる。
  10. 既に普通学校に通っている場合は、子どもを担当している教師/助手をフルにサポートし、学校側と密接に連絡を取り続けて、問題が発生する前にこれを防ぐことができるようにし、学校、教師および児童に子どもが抱える問題について伝え、自分の子どもとほかの学校関係者との関わりを増やし、子どもの相談相手/バディーになってくれる親切な子ども(たち)を見つけることを試みる。

メゾレベルの改革:学校-地域社会-教育制度

学校全体がインクルージョンを約束する時、すべての生徒に良い影響が見られる。

メキシコ

「橋わたし:知的障害のある青年の自立した成人期への移行(Building Bridges: Transition to Independent Adulthood for Youth with Intellectual Disabilities)」は、イベロアメリカーナ大学とCAPYS(自己・社会開発研修センター)によるプロジェクトである。このプロジェクトは2006年にメキシコシティのイベロアメリカーナ大学構内で開始されたが、メキシコの大学が、大学生の年齢の知的障害のある若者が高等教育のコースとプログラムに参加できるよう門戸を開いた初めてのケースである。このプロジェクトは、学生の個人的なスキルと専門的なスキルを向上させる。また、違いや非差別、多様性を尊重する価値観を促進するという大学のコミットメントに基づいている。知的障害のある学生は、キャンパスライフに参加し、自立生活と就労のための能力を開発するよう促され、支援を受ける。同時にプロジェクトでは、学生と教授の知的障害者に対する意識とインクルーシブな文化に対する評価を高めることを目的としている。

インド

レオナルド・チェシャー・ディスアビリティ(Leonard Cheshire Disability)が考案した「子どもクラブ(Children’s Club)」は、インド各地でインクルーシブ教育プログラムを実践することにより、障害児の教育へのアクセスを確保する。「子どもクラブ」は、余暇活動を行う非公式な団体で、障害児と非障害児の両方が参加している。クラブのおもな目的は、障害児が他の子どもたちと一緒に、スポーツ、美術、映画、演劇、音楽および地域のサマーキャンプに参加し、自分たちの才能を発揮する機会を持てるようにすることである。

クラブではさらに、ピアツーピアの教育プログラムも始めた。このプログラムの一環として、1人の非障害児が2人の障害児の自宅をそれぞれ訪問し、基礎教育の支援をする。2006年に開始されて以来、20を超えるクラブが結成され、191人以上の子どもたちが参加し、そのうち少なくとも113人に障害がある。クラブは成功した。それは障害児に基礎教育を提供する上で役立っただけでなく、彼らに自信をつけさせ、社会との交流を改善したのである。クラブが実施したイベントを通じて、地域社会の意識も向上し、すべての人のためのインクルーシブな地域社会の構築が始まった。

バーレーン

バーレーンでは、知的障害のある生徒は、兄弟姉妹(非障害の家族)や友人の支援を得て普通学級に通っていた。インクルージョンを推進するために、一部の授業に知的障害のある生徒が一緒に参加していた。

カメルーン

地域社会レベルでの改革の好事例がカメルーンから報告された。ITCIG-SENTTI(特別支援教育教員養成所)は2007年1月に特別な教育的ニーズのための教師の研修機関として、カメルーン北西部で始まったが、これはこの種の試みとしては国内初であった。地域の支援者とNGOのスピーレ・インターナショナル(Spire International)との連携により開始された特別支援教育教員養成所の第一の目的は、特別なニーズに対応する資格を持った教師の養成で、これらの教師が故郷の町や村に戻り、障害や特別なニーズのある児童を多数教育できるようにすることである。障害児の大多数は、アクセシビリティの悪さや資金不足、社会的なスティグマ、そして資格のない教師などが原因で、学校に通うことができないでいる。「特殊」学校へ行くことのできる数少ない障害児も、長距離を通わなければならなかったり、家族と別れなければならなかったりする。

プログラム卒業生について学校に宣伝し、その存在に気付かせることで、特別支援教育教員養成所は障害関連課題に対する地域社会の関心を高めている。地域の企業は、以前よりも障害者に対してオープンになり、障害者を裁縫師、美容院の助手、整備士、大工などの見習いとして採用している。これらはすべて、地域社会に受け入れられるためのさまざまな手段といえる。当初の成功とプログラムへの関心は、政府の注意をも引きつけることになった。2009年8月に政府は、特別支援教育教員養成所の卒業生200名を公立学校で採用し、障害児が教育制度に受け入れられるようにすると発表した。

ハンガリー

ハンガリーのブダペストにおける代替プログラム「子どもの家」3の校長、コーカイ・ラニイ・マリエッタ(Kókay Lányi Marietta)は、1991年に設立された彼女のインクルーシブな学校について語ってくれた。

「私たちの学校では、カリキュラムではなく生徒が教育の中心となっています。それが私たちの学校をインクルーシブにしているのです。ですから、画一的なカリキュラムはなく、生徒のさまざまなタイプと能力によって学校の活動が決まります。

私たちは習熟度別学習ができるように環境を整えました。私たちの指導法は画一的ではなく、多種多様な学習方法を保障します。生徒は知識や重要なスキルをゆっくり身につけることもできますし、短時間で学ぶこともできます。また、カリキュラムを複雑度に応じて3段階に分けています。そして3段階の知識を盛り込んだカードとワークブックを使って教えます。学校での評価は、さまざまなレベルに対応した個別のシステムとなっています。

当初保護者はインクルージョンを恐れていたようです。ハンガリーでは1993年まで、障害児は特殊学校に隔離されていたからでしょう。ですからインクルージョンは、保護者に知られていませんでした。どのようにすればすべての子どもが一緒に学べるかを紹介するために、私たちは保護者を学校に招きました。

インクルーシブな学校は『良い』学校だと思います。子どもの多様性に注目し、すべての子どもに適切な環境を提供することは、生徒にも教師にも同じように利益をもたらします。この方法を使えば、指導は一種の芸術となります。このように学校を導いていくことは素晴らしいことです!」

ウルグアイ

世界銀行が支援するウルグアイの「学校インクルージョン基金(School Inclusion Fund)」は、国内のインクルーシブ教育イニシアティブを援助するために、2003年に設立された。125校でプロジェクトが実施され、13の学校でインクルージョンプロジェクトが展開された。この取り組みは、物理的なアクセシビリティの改善から教員研修、教材の改良、一般の人々や地域社会の意識向上、学校内のインクルーシブな文化の育成、「インクルーシブな学校のネットワーク」の開発に至るまで、広範囲にわたっていた。この取り組みに関する研究では、インクルーシブ教育の体系的な導入のために解決しなければならない数々の課題を指摘している。4

マクロレベルの改革:法律・政策および文化

個人あるいは学校レベルの優れた実践から多くを学ぶことができる一方で、制度全体の改革例からは、ほかの場所でも模倣できるのではないかという期待が膨らむ。効果的な支援活動が、特に親や親の組織によって進められた結果、組織的な改革が行われている所もある。また、態度の変化や、成功できるかどうか試すだけ試してみようという積極的な意志により、改革が進められている所もある。いずれも総合的な改革に向けた重要な第一歩であるが、組織改革が総合的に行われている所では、障害のある生徒の権利に関する強いコミットメントと、インクルーシブ教育がすべての子どもたちのよりよい教育に貢献するという信念があると耳にしている。

イタリア

イタリアは長年、全国的なインクルーシブ教育制度の構築において指導者と見なされてきた。1960年代に障害者の大規模な施設を閉鎖して以来、強い「非隔離」運動と文化が根付き、1970年代初期には、公立学校の普通学級における障害のある生徒の義務教育について定めた国内法が採択された。そして学級担任をサポートする特別教員が養成された。イタリア教育省による最新の報告書5では、障害児の大多数が普通学級に在籍しており、障害児の数は過去10年間で増加してきたと強調している。「学校計画」、個別教育計画と学級内で必要な支援を準備・実施する校内委員会、地域と国の支援イニシアティブ、そして強力な法律は、すべてインクルーシブな制度を構築する上での重要な要素である。

フィンランド

フィンランドでは、手話を公認言語の1つとするバイリンガル校の創設が、革新的かつ組織的なインクルーシブ教育実践の基礎とされてきた。フィンランド手話は母語として認められており、生徒は就学前から高校まで、これを第一言語として使用し、学ぶことができる。耳の聞こえるわが子に手話で教育を受けさせたいと考えるろうの親がますます増えており、これがろう生徒と聴生徒の両方が通うバイリンガル校の創設につながった。

ニュージーランド

ニュージーランドのIHC(知的障害者協会)からは、他のNGOとともに、インクルーシブ教育の政策と実践の必要性について、政府に対するロビー活動を一貫して続けてきたとの報告があった。その取り組みには、カリキュラムへのアクセスや学校生活への参加において、子どもたちが地域の学校で経験する差別に関する、人権委員会への申し立ても含まれていた。

ザンジバル

ザンジバルのインクルーシブ教育は、教育官僚によるレソト訪問後に始まり、レソトの教育制度改革から刺激を受けた。ザンジバル発達障害者協会(ZAPDD)はノルウェー発達障害者協会(NFU)、教育職業訓練省(MoEVT)と連携し、ノルウェーの青少年団体である「オペレーション・デイズ・ワーク(Operation Day’s Work)」から資金援助を受けている。

教育職業訓練省はインクルーシブ教育政策を採用し、現在、政策実施のためのガイドラインの開発を進めている。この活動は、CREATE(NPO)による支援を受けている。

教育職業訓練省はまた、特別なニーズ教育ユニットの名称を、インクルーシブ教育ユニットに変更した。

さらに教育職業訓練省は、インクルーシブ教育をその新たな政策綱領(2006年)に盛り込み、2008年にはさらに20校にプログラムを拡大することを計画している。これは次年度以降も、定期的に継続される予定である。教員研修の定員も、インクルーシブ教育ユニットの拡大とともに増やされることになっている。

ペルー

近年、ペルーにおけるインクルーシブ教育の実現に向けて、重要な進展が見られた。国際育成会連盟の南北アメリカ地域会員である、インクルージョン・インターアメリカーナ(Inclusion Inter-Americana)が、ペルー国内の会員組織(Patronato Peruano de Rehabilitación y Educación Especial)と協力し、素地づくりを支援してくれた。親による権利擁護運動の結果、教育省により、インクルーシブ教育全国長官事務所(Office of the National Director of Inclusive Education)の設立につながるイニシアティブが開発された。5年近くの間教育省は、地域、学校管理職・教師らとともに、インクルーシブ教育の概念を開発・促進することに取り組んできた。そして教師や校長の研修に投資し、地域社会におけるインクルージョンの概念の促進を行ってきた。過去数年間で、数千の家庭、親および教師が、リマのスタジアムで開催されたインクルージョン・セレブレーションに参加した。重点的に進められたのは、普通学校でのインクルーシブな実践の開発と、特殊学校の使命を変更し、普通学校の教師のための支援と研修を行うスタッフとプログラムを備えたリソースセンターにすることであった。ペルーは、教育制度全体においてインクルーシブ教育をさらに進めるための強固な土台を築いた。

マラウィ

マラウィでは、地域社会が障害のある構成員のニーズを確認し、その解決に取り組めるようにする戦略が、マラウィ障害者組織連盟という統括組織によって考案された。2004年以降、ノルウェー障害者協会が社会開発・障害者省およびMACOHAと連携し、インクルージョンを促進する活動を、セクターを越えて3つの地域で試験的に展開している。

マラウィ障害者組織連盟はユニセフ、ヨーロッパの慈善団体、全国ろう者協会(NAD)、ノルウェー開発協力庁(NORAD)、ファイアーライト財団(Firelight Foundation)、カナダ国際開発庁(CIDA)、国際労働機関(ILO)、イギリス国際開発省(DFID)、米国国際開発庁(USAID)、オーストラリア国際開発局(AUSAID)およびデンマークのデンマーク障害者評議会(DCI)などの国際機関と提携している。効果的な連携の結果、1980年代末までに、国連開発計画(UNDP)および国際労働機関から財政・技術支援を受けた政府によるCBRプログラムが、マラウィ身障者協会を通じて開始された。

1970年代から1980年代半ばにかけて、マラウィの障害セクターは慈善を基本としていた。障害者のための活動や世話人は、おもに教会や伝道団によって実施され、派遣されてきた。また、障害問題は保健省、コミュニティサービス省、およびその他の社会問題関係の省庁が担当していた。しかし1998年12月、障害者担当省が組織され、現在では、社会開発・障害者省(MSDPWD)と呼ばれている。

2005年11月、障害者の機会均等に関する国家政策文書が採択された。この政策の目的は、「生活のあらゆる局面における障害者の完全な統合」と、「障害者の教育および研修プログラムへの公平なアクセスとインクルージョンの促進」である。

オーストリア

オーストリアでは、障害のある生徒の受け入れ数がもっとも多いのはシュタイアーマルク州である。オーストリアでは分離プログラムによる特殊教育の伝統が200年以上続いた後、1993年、数年前から始まったインクルージョンを進める試験的プログラムの好結果に基づく新たな国内法により、突然状況が一変した。親は障害のある子どもを普通学級に入れるか、特殊学校に入れるかを選択できるようになった。それ以来、特殊教育制度から普通教育制度への、特殊教育のリソースと専門知識・技術の劇的な移行が起こっている。多くの特殊学校が閉鎖されたが、一部は今後も存続される。

重度の障害がある学童の半数以上と、特別な教育的ニーズがある生徒の約80%が、既に現在普通教育制度に受け入れられている。この成功の要因として、以下があげられる。

  • 明確に定義された政策
  • 柔軟かつ改良可能なカリキュラム
  • 特殊教育教師および普通学校教師に対する現職研修
  • 障害児の保護者からの政治的圧力

パナマ

パナマは、完全なインクルージョンを達成しようとしているもう1つの地域である。障害児の保護者は、まず1995年にインクルーシブ教育を提唱し始めた。1972年の憲法では教育の権利を保障しているが、科学的調査の結果と教育的立場から、例外には特殊教育で対応するとも述べている。親の支援運動が実を結び、1995年の教育改革の結果、教育省の特殊教育局に、特別な教育的ニーズのある児童の教育をとりまとめる責任が課せられた。

2004年にマルティン・トリホス(Martin Torrijos)大統領が選出されると、障害者の権利は前進した。障害のある娘の親として、大統領とファーストレディーのヴィヴィアン・フェルナンデス・デ・トリホス(Vivian Fernandez de Torrijos)は、障害者の権利とインクルージョンを積極的に促進した。2004年、政令により、特別な教育的ニーズのある人々のインクルーシブ教育のための基準が設けられた。パナマ特別ハビリテーション研究所(Panamanian Institute for Special Habilitation)およびその他の連携機関とともに、教育省はその後、教育近代化政策の枠組みの中で、インクルーシブ教育国家計画を策定した。

国家計画には以下に関する規定が含まれる。

  • 現職教員研修
  • カリキュラムの改革
  • 教育戦略への新たな着目
  • ダイナミックかつ参加型の教員研修法
  • 動機づけと適切な報酬を伴う教員研修の継続
  • 学習を促進する適切な物理的環境、基礎的な内容の教科書、技術、その他の教育資源を含む、学校への支援
  • 各学校が年間運営計画を立て、国際基準に即した質の評価を定期的に実施する。

パナマのカントリーレポートからは、以下のような多数の障壁が認められた。

  • 財政上の障壁。教育は無償だが、それは授業料だけであり、家族はその他の費用を負担しなければならない。
  • 態度の障壁が今もなお存在する。
  • 環境上の障壁の存在。特に農村地域および先住民族が居住する地域では、人々が住んでいるところから学校が遠く離れている場合が多いため。
  • 児童労働が、今なお重要な問題となっている。

インクルーシブ教育の質を改善するために、スロープの建設、トイレや水飲み場をアクセシブルにすること、アクセシブルな交通手段の提供、特殊高等学校を改革し、普通学校教師を支援できるシステムにすること、学級の規模の縮小、教師の能力向上の支援、そしてカリキュラムの改善や生徒の評価方法の改善など、物理的なインフラストラクチャーへの投資が行われている。

2009年に新政府が選出され、リカルド・マルティネリ(Ricardo Martinelli)大統領は教育改革を優先事項とした。この改革がインクルージョンにどのような影響を与えるかは、まだわからない。

インド

「国立インクルージョンリソースセンター(National Resource Centre for Inclusion)」(NRCI)のイニシアティブは、インドとカナダの共同プロジェクトで、ムンバイのインド脳性麻痺協会(Spastics Society of India)(現在は、Able Disabled All People Together)をスポンサーとし、カナダの非政府系機関であるカナダ地域生活協会ローハー研究所(the Roeher Institute of the Canadian Association for Community Living)をパートナーとし、カナダ国際開発庁から資金援助を受けている。このプロジェクトにより、2,200人を超える子どもたちがアジア最大のスラム、ムンバイのダラヴィにある普通学校や、その他の公立・私立学校に通えるようになった。このイニシアティブは学校と教育を変革し、数百人もの教員を養成し、インクルーシブ教育の知識ベースを拡大し、地域、州および国の公共政策を変更し、ミクロ、メゾおよびマクロレベルでの改革のための「文化的に適切な実施基準」を開発し、一般の人々の態度に良い影響をもたらした。国立インクルージョンリソースセンターは、国家政府によるインクルーシブ教育国家行動計画の策定と、最近実現したその採択に、先頭に立って取り組んできた。

国立インクルージョンリソースセンターはそのネットワーク戦略を通じて、40を超えるNGO、140の大学および短大、167の法人企業、27の出版メディア、16の放送メディア、32の政府部門、そして25を超える国際機関と連携した。6これらの多種多様な機関の参加により、プロジェクトではミクロレベルからメゾレベル、そしてマクロレベルに至るまで、改革を進めることができた。

カナダ

1986年以降、カナダ東部のニューブランズウィック州の州法では、インクルーシブ教育が義務付けられている。同州ではここ2、30年の間に、障害のある生徒の教育に対する責任を徐々に拡大してきた。しかし1980年代初期には、特殊学級、特殊学校および児童施設が引き続き制度の重要な部分とされ、多くの児童に対し、平等な機会やサービスを確保することができずにいた。

改革へと弾みをつけたのは、1982年に採択され、1985年に発効したカナダ権利と自由の憲章であった。さらに、ニューブランズウィック州の親たちや親の会、教師らから、障害のある生徒のための、より統合的でインクルーシブな学校プログラムへの要求が大いに寄せられた。その結果、立法議会が1986年に法案85を全会一致で可決した。これは、憲章の流れをくんだ教育実践に関する平等と手続き上の課題に対処するものであった。これに引き続き1985年、児童施設のW.F.ロバーツ院内学校が閉鎖され、特殊学校制度が廃止された。この結果、カナダでもっとも小さな州の1つで、強力な法律と政策によりインクルーシブ教育が支持されることとなった。

さらに注目すべきことには、1986年の法改正に先立つこと数年、ニューブランズウィック州の一部の学区ではインクルージョンが政策として導入されていた。これらの学区、特にウッドストックを拠点とする現在の第14学区で、インクルージョンの構想を学校と学級で実現するアプローチや実践の開発が始められた。これによりインクルージョンは、概念や理論から実用的な現実へと変化したのである。

このアプローチはどれほど急進的なのだろうか。簡単に言えば、まったく急進的ではない。教師と生徒に対する支援が開発され、研修では、学校および学級における実践に重点が置かれた。補助教員が配置され、教師によるプログラムの企画と実施をサポートするよう研修を受けた。学校を拠点とする支援チームが結成され、学校管理職はインクルーシブな学校でリーダーシップを発揮するために必要不可欠な要素について研修を受けた。段階別指導とカリキュラムの改良を重視した指導戦略が開発された。学校全体で問題解決に取り組むことが、学校文化の特徴とされた。

このアプローチは、1989年と1990年代半ばに再度、大規模な、かつ非常に政治的な見直しの対象となり、2006年に詳細にわたる調査が終了した。7

学校におけるインクルージョンプログラムは、現在も継続されており、成功を収めていることはほぼ間違いないが、改善の余地がないわけではない。すべての報告において、ニューブランズウィック州の学校でインクルージョンを強化促進する方法が提案されている。

2007年、ニューブランズウィック州人権委員会は、公立学校における「障害のある生徒の受け入れに関するガイドライン」を作成し、発表した。「ガイドライン」では、教育サービスにおける平等とインクルージョン確保のための法的・人権的枠組みを提示している。8

ニューブランズウィック州は、農村地域の多様性に富む小さな州で、経済的な課題を抱えてはいるが、教育制度全体におけるインクルーシブ教育実施の好ましいモデルを、カナダ国内において、さらには海外の国々に対しても、20年以上にわたり提供してきた。この取り組みの成功は、ユネスコをはじめ経済協力開発機構の官僚にも認められている。

改革のスケールアップ(拡大)

本調査の結果から、インクルーシブ教育の計画、これに対する投資およびモニタリングの進展に向けた調和のとれたアプローチが、ミクロレベルからマクロレベルに至る制度改革の実現に必要であることが明らかになった。それがなければ、現在実施されている優れた事例をもとにした「スケールアップ(拡大)」や、学校からまったく排除されている障害児と、いまだに分離特殊教育制度を受けている障害児の大部分が、インクルーシブ教育にアクセスできるようにすることは、不可能であろう。

このような事例のスケールアップには、何が必要なのであろうか?

スケールアップに関する文献では、地域と地方、そして世界を結ぶネットワークの開発が不可欠であるとの指摘が増えている。この方法により、関係者は情報、技術および資金を共有することができる。また、革新を実施し、その後さらにこれを普及し、広く影響を与えるために、制度や政策に取り入れて行く方法を発見することができる。ジェフリー・サックス(Jeffrey Sachs)(2005年)は、貧困解決のための革新をスケールアップするメカニズムを模索し、次のように記した。

「貧困の終焉は、サウリの村(訳注:ケニア)とムンバイのスラム、そしてこれらと同様な何百万もの地域から始めなければならない。貧困を終わらせる鍵は、貧しいコミュニティから世界の力と富の中心部にまで達し、再び貧しいコミュニティへと戻っていくコネクションの世界的なネットワークを作ることである。(Sachs 2005年 242)」

サックス(2005年)が率いる国連ミレニアムプロジェクトでは、インパクトをスケールアップするために、このような「コネクションのネットワーク」を利用しているとされる革新に関する多数の事例研究の分析を行ってきた。サックスらは、国レベルでの革新のスケールアップに関連する重要な「成功要因」として、以下をあげている。

  • 政治的なリーダーシップ
  • 効果的かつ組織的な、地域内および国内の人的資源の管理および公的運営の戦略
  • 地域社会および市民社会団体と連携した地域のサービス機構
  • 民間セクターの参加、支援および投資の活用
  • 国家目標とベンチマークの達成に関する効果的なモニタリング
  • ドナー機関による長期的で予測可能な財政支援のコミットメントおよび技術支援

この枠組みは、インクルーシブ教育を「スケールアップ」するために現在実施されている国別の取り組みを評価する、有効な手段である。9

  • 大義を果たすために政府高官はリーダーシップをとっているか?
  • インクルーシブ教育を明確に見据えた国家行動計画はあるか?
  • その計画には、測定可能な目標と成果があるか?
  • その計画では、現在提示されている多数の政治コミットメントを実施するためのリーダーシップを必要としているか?
  • これらの計画とモニタリングの進展をサポートするために、情報システムと知識ネットワークが準備されているか?
  • インクルーシブ教育にかかわる教師、学校経営者、専門家および政策立案者の人材戦略のための計画、投資戦略およびモニタリングの枠組みを、十分に重視しているか?
  • 計画を果たすことができるように、各国政府およびドナー機関によって提示された全般的な財政支援のコミットメントはあるか?
  • 長期にわたる実施をサポートする、NGO、政府、市民社会団体、ドナーおよび国際機関による連携はあるか?

第8章では、これらのミクロ、メゾ、およびマクロレベルでの改革から学んだ教訓をもとに、インクルーシブ教育達成のための広範な制度改革を実現する戦略を立てる方法について、いくつか提言する。


1www.ii.inclusioneducativa.org.参照

2 ミトゥ・アラーおよびトニー・ブース(Mithu Alur and Tony Booth)(編)『インクルーシブ教育:南北対話議事録I(Inclusive Education: The Proceedings of North South Dialogue I)』 (デリー:UBS Publishers Distributers 2005年)、ミトゥ・アラーおよびマイケル・バック(Mithu Alur and Michael Bach)(編)『レトリックから現実へ:南北対話II(From Rhetoric to Reality: The North South Dialogue II)』(デリー:Viva 2005年)、 ミトゥ・アラーおよびヴィアンヌ・ティモンズ(Mithu Alur and Vianne Timmons)(編)『境界を越え、アイディアを共有するには:インクルーシブ教育(Crossing Boundaries and Sharing Ideas: Inclusive Education)』 (デリー:Sage 2009年)参照

3www.gyermekekhaza.hu.参照

4 世界銀行『インクルーシブ教育基金:ウルグアイの事例(Inclusive Education Fund: The Uruguayan Experience)』(http://siteresources.worldbank.org/DISABILITY/Resources/Regions/LAC/InclusiveEduUrugEng.pdf.から引用)

5 教育・研究省(イタリア)『イタリア ナショナルレポート 教育開発 2004年-2008年(The Development of Education 2004-2008, National Report of Italy)』2008年 UNESCO国際教育会議用報告書(ローマ:Author 2008年)

6 このイニシアティブに関する総合的な研究が最近発表された。ミトゥ・アラーおよびマイケル・バック(Mithu Alur and Michael Bach)『インド亜大陸におけるインクルーシブ教育への旅 (The Journey to Inclusive Education in the Indian Sub-Continent)』(ニューヨーク:Routledge 2010年)参照

7http://www.gnb.ca/0000/publications/mackay/mackay-e.asp.

8 ガイドラインはhttp://www.gnb.ca/hrc-cdp/e/g/Guideline-Accommodating-Students-Disability-New-Brunswick.pdfで閲覧可能

9 インクルーシブ教育制度改革への「スケールアップ」理論の適用は、ミトゥ・アラーおよびヴィアンヌ・ティモンズ(Mithu Alur and Vianne Timmons)(編)『境界を越え、アイディアを共有するには:インクルーシブ教育(Crossing Boundaries and Sharing Ideas: Inclusive Education)』(デリー:Sage 2009年)の中の、マイケル・バック(Michael Bach)『インクルーシブ教育のスケールアップ:マクロレベルの開発理論へのステップ(Scaling up inclusive education: steps towards a macro-level theory of development)』でさらに詳しく研究されている。