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第6章 国際調査から得られた重要な所見

インクルーシブ教育に関する国際調査で、本調査のように広範囲にわたる国々のデータ、法律や政策、親や教師に対する調査、そして参加者が多くの事例を語ってくれたフォーカスグループによる討議の概要を集めたものは、これまでなかった。私たちはこの広範囲にわたる豊富な情報を、ダカール枠組みの6つの目標と「万人のための教育」の観点から検討してきた。前述の分析が示すように、知的障害のある児童・青年および成人にとってインクルーシブな方法で6つの目標のそれぞれを達成することは、成功する場合もあれば、限界が見られる場合もあった。

入手した情報の分析から、3つの重要な所見が得られた。

1.インクルーシブ教育は有効であるが、その成功は依然としてその場限りのものである。

本調査を通じて収集された証拠は、インクルーシブ教育に関する他の国際調査や研究の再検討から得られた所見を裏付けるものである。インクルーシブ教育は、より深刻な、つまり「重度の」障害のある児童に対しても有効である。子どもに高い期待を抱いている親が、多様性を受容する「乳幼児のケアおよび教育」あるいは小学校にアプローチするとき、また、子どもたちが学校で個別のニーズと能力に応じた支援を受けるとき、そして教師が多様な生徒を指導できるようサポートされるとき、すべての子どもは学習し、成長することができる。当事者、家族および教師との面談では、多数の障壁と課題が指摘された。しかし、これらの懸念がある一方で、多くの事例がインクルーシブ教育の成功を実証していた。親に対する調査の結果分析は、インクルーシブ教育が有効であることをよく示している。障害のある子どもが普通教育を受けられるようになると、普段から子どもの教育の権利を誰よりも強く主張しているその親たちは、子どもが普通教育を受けていない親よりも、ほかの親にこの成果を紹介し、勧める傾向がはるかに強い。このようにしてインクルージョンは、成功と高い期待、そして継続的な支援を生み出していくのである。

過去の研究からは、インクルーシブ教育の成功には、ミクロ(学級、学校および地域社会)、メゾ(教育制度)およびマクロ(政策、法律)の3段階の取り組みが必要であることが明らかになった。今回の調査からは、これらの段階のそれぞれにおいて、成功事例が多数あることがわかった。しかし、学級および学校、地域社会、教育制度、そしてマクロな計画と政策が、インクルーシブ教育を全体的に推し進めるために一丸となって取り組んでいる例は、ごくわずかである。

世界各地の教育制度の大半において、成功例がまったくないわけではないが、依然としてそれは極めて限られている。いくらか成功している場合でも、たいていは「その場限り」のことであり、リソースや、教育制度からの支援がないまま、インクルージョンを実現しようとする1人の教師や学校長の純然たる意志と献身によって達成されたものであることが多い。結果的に、必要な支援を受けながら普通教育を受けることができるのは、ごく少数の知的障害児に限られる。この制度上の失敗により、知的障害者は生涯にわたり、貧困と排除に身をゆだねることになるのだ。

2.インクルーシブ教育のよりどころとなるコミットメントが増えている。

本調査のために収集・分析されたデータのさまざまな情報源によれば、あらゆるレベルにおいてインクルーシブ教育に関するコミットメントが増えつつある。親と教師に対する調査の結果は、総合的なサンプルではないが、障害児を普通学級で同級生と一緒に教育するというコミットメントが根を下ろしつつあることを示唆している。75ヶ国の会員によって作成されたカントリープロフィールは、調査対象国の60%以上で、普通教育制度の中での障害児教育をうたった法律および/または政策のコミットメントが認められると述べている。また、調査対象国の50%において、国あるいは州レベルの教育政策でインクルーシブ教育が明確に定義されている。家族に対する調査の回答者の内、95%がインクルーシブ教育を推奨すると答えている。

国際機関やドナー機関、あるいは教師自身など、二次的な情報源に対する調査結果の考察も、上の結果を裏付けている。ユネスコのグローバルモニタリングレポートを再検討した結果、インクルーシブ教育に関するコミットメントやインクルーシブ教育の価値に対する関心と認識の高まりが指摘された。「ファスト・トラック・イニシアティブ」に貢献しているドナー機関について研究したワールド・ビジョンの『教育が見失った数千万人(Missing Millions)』では、実際の援助と投資はまだコミットメントと一致していないが、インクルーシブ教育に関する政治的コミットメントは増えつつあると指摘している。教師の態度に関する調査の結果もまた、インクルーシブ教育を支持する風潮が高まっていることを示している。1

3.制度上の障壁-コミットメントにより政策や実践を変えられないのはなぜか。

その場限りの成功と増えつつあるコミットメント、そして広範な知識ベースを利用し、少数の人々だけでなく、知的障害のあるすべての児童・青年にとって、インクルーシブ教育が成功するよう改革をスケールアップすることに、どれだけ見込みがあるだろうか?調査結果は、いくつかの重要な制度上の障壁が解決されるまでは、依然として成功には限界があると示唆している。結果分析から、以下にあげる8つの制度上の重大な欠陥が明らかになった。

政治的空白-リーダーシップと責任の所在に関して

2、3の地域を除き、国あるいは州レベルの計画と戦略が組織的に進められている事例はあまりなかった。これは、ほとんどの国において、インクルーシブ教育をすべての子どもの教育的ニーズに対する制度的な回答とする政治指針が、たとえあったとしても数少ないことが理由であると私たちは確信している。教育から排除されている知的障害やその他の障害のある児童の総数と、障害児を対象とする制度とその他すべての児童を対象とする制度という並列制度が持続不可能な選択肢であることを考え合わせると、この取り組みに対する政治的リーダーシップが緊急に求められる。調査結果は、国際研究を広範囲にわたり再検討したピーターズ(Peters)(2004年)の、インクルーシブ教育の達成は、これにかかわるすべての利害をめぐる「力関係」で生じる「闘い」であるという見方に一致している。政治的リーダーシップが取られてきた所では、インクルーシブ教育の制度が設けられてきた。教育における障害児のインクルージョンに関する法的・政治的コミットメントが増えつつある一方で、実際にこれらのコミットメントを実施するために必要とされる政治的リーダーシップを行使する仕組みは、調査対象国の大多数において認められなかった。

見えない子どもたち-登録されず、認められず、受け入れられず

人口統計データの再検討から、推定値に矛盾があることが示唆され、全国世帯調査を基にしたさらに最近の調査からは、多くの開発途上国において、障害児の総数が過小評価されていることが明らかになった。この結果、就学している知的障害児およびその他の障害児の数が、実際よりもかなり多く見積もられているとして、私たちは注目している。カントリープロフィールと、本調査のために実施されたフォーカスグループによる討議から、人口統計データに見られる重大なずれの1つが指摘された。それは、障害児の多くが出生登録されておらず、世帯調査の結果に表れていないということである。障害児を育てることに対するスティグマと否定的な態度は、多くの国で子どもとその親の社会的・文化的地位に影響を与え続けている。就学前保育・教育プログラムを利用し、インクルーシブな学校教育のための「良いスタート」を切ることができるように、乳幼児期に障害児を認定する手段と制度は、事実上ユニバーサルな初等教育制度の開発に不可欠な要素である。

家族への支援の欠如-障害、貧困、教育からの排除という悪循環

国際育成会連盟による、貧困と知的障害者およびその家族に関する国際調査(2006年)から、教育へのアクセスの欠如が、障害者のその後の人生における、教育、職業訓練、就職および適切な給料を得る機会の否定という結果を引き起こす重要な要因の1つであることが明らかになった。障害、排除そして貧困というこの「悪循環」が断ち切れないおもな要因の1つとして、親が通常、子どもを「乳幼児のケアおよび教育」プログラムや小学校に入れるよう勧められたり、情報や支援を提供されたりしていないということがあげられる。知的障害やその他の障害のある児童は、子どもがインクルーシブ教育を受ける権利を親が知っている場合、また「乳幼児のケアおよび教育」プログラムや学校で、教師らによる障害者を受容する文化に出会えた場合には、教育にアクセスする傾向が非常に強くなる。しかし、障害児を認定し、「乳幼児のケアおよび教育」や学校教育を受ける機会を親に提供する、制度的な支援と啓発プログラムは決定的に不足している。

教師への支援の欠如-研修、リーダーシップ、知識および支援が結びついていない。

面談では、親に連れられて普通学校に行ったときに障害児が直面する拒絶について、多くの報告が寄せられた。人口統計データと合わせて、親の報告は背筋が寒くなるような排除の話を物語っている。しかしデータからは、「責められる」べきは教師ではないことも明らかになった。前述のように、開発途上国と先進国の両方で、インクルーシブ教育に関するコミットメントが教師の間で増えているという証拠がある。しかしそれには、インクルーシブな学級活動を成功させるための教師の研修、スキル、学級内でのサポート、教材、リーダーシップ、そして教師同士の学びの機会が欠けているのだ。インクルーシブ教育に関する研修を受けてきた教師や、教室をすべての子どもを受け入れる学習の場にするためにリーダーシップを取ってきた教師は、素晴らしい可能性を実証している。私たちの調査は、教師がますます多様化する生徒を教育するスキルと機会を得られるような研修・支援制度を開発する必要があることを裏付けている。インクルーシブ教育を根本から拡大できるかどうかは、そのような投資にかかっている。

豊富な知識-しかし「知識のネットワーク化」と「知識の可動化」はほとんどない。

本調査のためのアンケートや面談の分析から明らかになった中心テーマは、以下の方法に関する文化的に適切な情報および知識へのアクセスが、容易に得られることの重要性であった。

  • インクルーシブな学級活動
  • 多様な学習ニーズと目標に対応するためのカリキュラムの変更と、すべての生徒を対象とした、障害を肯定的に受け入れるカリキュラムの提供
  • 生徒の学習スタイルおよび能力の多様性に対する支援
  • さまざまな障害者を受け入れるための、学校を拠点とした医療・社会的サポートの提供
  • 優れたインクルーシブ教育政策の開発
  • 親、教師、学校経営者、および一般の人々へのインクルーシブ教育の宣伝

ほとんどの参加者が、インクルージョンを成功させる方法に関する知識を必要としている者が、必要なアクセスを持っていないと述べた。

しかし、親、教師および校長が必要な知識へのアクセスを持っていないということは、そのような知識が存在しないという意味ではない。インクルーシブ教育の成功とこれに関するコミットメントが実証されたことに加えて、調査からはいわゆる「インクルーシブ教育の知識ネットワーク」の出現も明らかになった。知識ネットワークは、(教育現場、学校などの「実践コミュニティ」で、あるいは当事者と親の個人的な経験を通じて)知識を生み出す人々と、実践を変えて行くためにそのような知識を必要としている人々の間に構築された結び付きである(Scarf and Hutchinson 2003年)。

私たちが研究を通じて発見することができた知識ネットワークは、インクルーシブ教育を成功させる方法に関する知識が豊富にあることを示唆している。不足しているのは、インクルーシブ教育のための、オンラインの「ハードコピー」(文書)と「口頭の」知識ネットワークである。後者は、今なお「デジタルディバイド」の敗者であり続ける、貧しい農村部の遠隔地域にとって特に重要である。また、十分かつ積極的な「知識の可動化」、つまり、インクルーシブ教育を成功させる方法に関する文化的に適切な情報と知識を、親、教師、学校経営者および政策立案者など、それをもっとも必要としている者の手に実際に届けるために必要な情報通信技術の研修、普及およびこれに対する投資を裏付ける証拠を、発見することはできなかった。

一般の人々の無知-結束した拒絶

親、教師、政府、国際機関およびドナー機関など、インクルーシブ教育ともっとも直接的なかかわりのある人々、そしてその影響を受けている人々に対する支援が広まりつつあるにもかかわらず、一般の人々からは依然として支持を得られない、憂慮すべき事態が今も続いている。フォーカスグループの参加者は、障害児の存在は他の生徒の学習の機会を損なうとして、障害児は普通学校の一員ではないと感じている地域の人々の態度について、多くの報告を伝えあった。しかし研究によれば、多様な生徒がその可能性を最大限に発揮するための支援を受けている学級は、すべての生徒に利益をもたらすことが裏付けられている(Willms 2006年)。にもかかわらず、障害児は他の生徒の教育を脅かすという信念、あるいは障害児を隔離することが彼らにとって最大の利益となるという信念は、あいかわらず強固であると思われる。

本調査のために世界各地で作成されたカントリープロフィールでは、障害児に対する一般の人々の否定的な態度が、インクルーシブ教育の重要な障害の1つとして確認された。インクルーシブ教育に対する一般の人々の支持が限られていることと、政治的リーダーシップの弱さとは、確かに関連がある。政治的支援を確立し、すべての児童がその可能性を尊重され、親が障害児に対して高い期待を抱けるよう支援を受けられる地域社会を築くには、インクルーシブ教育の価値について、一般市民の意識を高め、理解を得るための有意義な投資が必要とされる。

供給側による排除-物理的な障壁、交通手段および学校全体による支援の欠如

一般の人々と地域社会の否定的な態度に加えて、調査によれば、アクセシブルでない学校(施設そのものと学校への交通手段がないことの両方)、インクルージョンのための全校的な実践と支援の欠如が、知的障害やその他の障害のある児童を受け入れるに当たり、大きな障害となっていた。この結果は、南北アメリカ、ヨーロッパ、アジア太平洋、中東および北アフリカのすべての地域に当てはまる。前述のように、インクルーシブ教育の需要への(障害児の認定、親に対する支援活動、親の意識向上を目的とした)投資は、明らかに非常に不足している。しかし、たとえ親からの「効果的」な需要があったとしても、彼らが遭遇するのはほとんどの場合、歓迎的とはいえず、融通の利かない、あるいは改良されていない教育サービスの「供給」なのである。

基本的に学校や「乳幼児のケアおよび教育」への往復にアクセシブルな交通手段を利用できることと、身体障害児を受け入れられる学校施設とは、教育の供給側の出発点である。さらに、既に調査結果にもとづき報告したように、さまざまな障害児を支援し、指導するスキルと知識、教育的アプローチと教材を持った教師の供給も決定的に不足している。

調査を通じて確認されたもう1つの供給側の課題として、児童の発達の可能性を最大限発揮させる支援をするための、理学療法、言語療法および作業療法などの医療・社会的支援/サービスを、学校を拠点として提供する必要性があげられる。これらのサービスは多くの場合、民間やNGOによる特殊学校を対象として開発されてきたが、インクルーシブ教育をサポートするためにこれらを新たに取り入れ成功している事例が、インドの非常に貧しい「スラム」社会でさえも見られることが、調査から明らかになった。

制度上の欠陥-連携、責任の所在を明らかにした政策、計画、資金調達、実施およびモニタリングのリンクが欠けている。

これまで述べてきたような、インクルーシブ教育を妨げている問題がなくならないのはなぜだろうか?おもな要因の1つは、それらが別々の問題として扱われていることにある。教員研修の戦略や学校の改良のための投資、学区全体でのインクルーシブ教育への取り組みは認められる。しかし、政府であれドナー機関であれ、インクルーシブ教育を国あるいは州レベルの政策、計画および投資の焦点として、また責務として、少しでも考えている例は、ごくわずかにすぎない。

障害児が人口統計調査や教育制度において「見えない」存在であり続けるなら、また、政治的リーダーシップが発揮されないのなら、そして障害児の教育が政府の教育を担当する各部門あるいは各省庁の使命とされず、「社会福祉」の問題と見なされるならば、さらに、国あるいは州レベルでのインクルーシブ教育のための家族/障害者団体と政府各部門および教師/教育専門家協会の連携がなく、インクルーシブ教育が親や教師が個人的なイニシアティブにより成し遂げるその場限りの成果として理解されるならば、この問題に組織的にアプローチするために必要な機関やシステムは、決して設置されることはない。インクルーシブ教育は、教育に関する国家的課題および世界的課題から引き続き外されるであろう。

私たちの研究、あるいは今回の調査のために再検討した研究では、調査で報告された広範囲にわたる排除に立ち向かうために必要な規模をほぼ満たした、システムレベルでの提携、政策、国家計画、資金調達手段、実施・モニタリング戦略、そしてそれらの間で必要とされる連携関係を裏付ける証拠は、ほとんど見つからなかった。このような組織化された「機構」なくしては、インクルーシブ教育は、教育制度および教育に関する世界的課題の外に置かれ続けるであろう。その結果、障害者は自分が生活する社会から排除され続けることになる。

要約すれば、知的障害およびその他の障害のある児童・青年・成人のインクルーシブ教育と学習の機会からの排除に対応する制度を構築する基盤はある。事例もあり、知識もあり、コミットメントも増えつつある。しかし、システムレベルの組織や対応は、長期にわたる根強い排除を引き起こす障壁の範囲や規模に対応できるものとはなっていない。各国政府やドナー機関、そして国際機関は、何を基盤として、このようなインフラストラクチャーを築いていったらよいのであろうか?次章では、これらの関係者に、教育に関する世界的課題の不可欠な部分としてのインクルーシブ教育の、制度上の基盤を築くガイダンスを提供するに当たり、最近採択された国連障害者権利条約が果たし得る役割について述べる。


1 1980年代および1990年代の研究では、インクルーシブ教育に対する教師の否定的な態度を裏付ける「確かな証拠」が示された。英国マンチェスターで2000年に開催された国際特殊教育会議で発表された、ゲリー・バンチおよびケヴィン・フィネガン(Gary Bunch and Kevin Finnegan)『教師がインクルーシブ教育に見出す価値(Values Teachers Find in Inclusive Education)』参照。さらに最近の比較研究では、インクルーシブ教育に対する教師の態度が以前に比べて肯定的になりつつあること、またこれは、一部の国におけるインクルージョンの価値に対する肯定的な傾向の拡大を反映していると思われることを示唆している。しかし、肯定的な態度の育成は、依然として一様ではなく、教員教育において、この問題にさらに注目することが必要であると、研究者は述べている。ウメッシュ・シャルマ、クリス・フォーリン、ティム・ロレマンおよびクリス・アール(Umesh Sharma, Chris Forlin, Tim Loreman and Chris Earle)『就任前の教師のインクルーシブ教育に対する態度、懸念および心情 :就任前の新任教師に関する国際比較(Pre-Service Teachers' Attitudes, Concerns and Sentiments about Inclusive Education: An International Comparison of the Novice Pre-Service Teachers)』 特殊教育国際ジャーナル(International Journal of Special Education)(Vol.21, 2 2006年)参照。