「モンタナ大学とミズーラ市周辺における障害者への情報支援」渡部・テイラー・美香

講演を行う渡部・テイラー・美香氏の写真

まず私の話をする前に、自己紹介をさせていただきます。私は名前を見てわかると思いますが、日本で生まれ、日本で育ち、14年前にアメリカに移住しました。そして修士号を取り、カウンセリングが専攻でしたが、その後、モンタナ大学のディサビリティーサービス(DSS)という言葉が出ましたが、そこで勤務をし始めて7年目になります。

先ほどの話にもありましたが、モンタナ大学は、ミズーラ市民の生活の一部であると思います。というのは、一般市民が大学の図書館に行って図書を借りたり、そこで本を読んだりすることが自由自在にできます。日本では大学の図書館になかなか入ることができないと言う話を聞いています。今もそうだと思いますが。そして一般市民が大学の施設で食べたり、コンサートに行ったり、そのように市民がモンタナ大学のキャンパスを利用することができます。このように地域との関係が深い大学で、障害者、特に障害学生にどのようにアクセシブルな情報を提供しているかを、この短い時間の中で話させていただきます。まずは、障害学生がどのようにDSSに来るかを話します。

DSSに障害学生が自分で登録しにきたり、教員とか、ジムさんの話にもありましたが、リハビリテーションサービスで紹介を得て、DSSのサービスを使ったらいいという話を聞いて、サービスをリクエストする学生がいます。そして今日のセミナーのテーマでもある、読みに困難を持つ障害がある学生がどのようにアクセシブルな教科書、代替教科書を得るかを、話します。

まず障害学生がDSSに来て、あなたの専門は何ですか?と聞きます。その専門に応じてコーディネーターとアポイントメントをとります。コーディネーターが話をして、合理的配慮にはどんなものがあるかを話し合います。その時の合理的配慮の1つとして、代替教科書とか、支援技術の利用という話をします。アメリカで勉強された方、このホールの中に何人かいますか?手を挙げて下さい。何人かいらっしゃいますね。

私は、アメリカに渡るまでに日本で学士号をとりました。それと比べますと、アメリカの大学は本当に本を読まないとやっていけません。例えば一コマの授業をとるのに5~6冊読まされます。それを読んでないと、単位ももらえないし、単位どころか卒業もできません。それくらい読んで学ぶことが大切になります。となると、読みに困難を持つ学生は一般のプリントでは、それがバリアになるんです。そのためにDSSが代替教科書を提供する形になります。

具体的に言いますと、昨日セミナーに来た方は聞かれたと思いますが、レコーディング・フォー・ブラインド・フォー・ディスレクシックとか、Bookshare.orgとかがありまして、その会費もDSSが学生のために払って、学生自身もその協会、例えばRFB&Dとかから自分で得られるようにサポートをします。でも中には専門的な本とか、例えば私は心理学、カウンセリングを学んだんですが、RFB&Dとか、ブックシェアにはない教科書もありますので、その場合は代替教科書に変えてくださいとお願いします。フォーマットはジムさんも言ったように、リッチテキストやテキストを使っています。

具体的に言いますと、先ほどジムさんが1000人の障害学生にサービスを提供すると言っていましたよね。モンタナ大学は2学期制、セメスターと言います。新学期は1月末に始まりました。そのとき、RFB&Dとかブックシェアにない教科書で、代替教科書をつくってほしいという学生が何人かいました。1月末には50冊のリクエストが来ていました。それぐらい多いのです。

でも代替教科書を得ても、使えないと意味がありません。代替教科書というのは、支援技術を使って読むことが多いのですが、その支援技術も見ただけではわかりません。なので、DSSでは支援技術を有効に使えるようにアシスティブ・テクノロジー・コーディネーターが1人いまして、そのスタッフが障害学生に1対1でトレーニングをし、支援技術をちゃんと使えるようにサービスを提供します。アクセシブルな教科書を提供するというのは、DSSが力を入れている、ごく1つですが、アクセシブルな教科書を提供するだけでは、アクセシブルな教育の場にはなりません。何にDSSで力を入れているかについて話します。

1つは、地域や大学内でのアウトリーチが大切だということ。
具体的に言うと、DSSはどこにありますよという宣伝をウェブサイトでもする。皆さんモンタナ大学でウェブサイトでサーチのところにDisabilityとやってもらうと、50くらいバーッと出ます。例えば日本の大学の障害支援部を探すのはすごく苦労します。個人的な経験ですが。それぐらいDSSとか、障害者にとってアクセシブルな状況を提供するために、ウェブサイトで宣伝することも大切だと思います。大学内でも、職員のトレーニングやコミュニケーションも必要だと思います。DSSがどんなに努力してアクセシブルなキャンパスにしようとしても、DSSだけの力ではできないことはたくさんあります。

教育の場を提供することがDSSだけじゃない。教員もそうです、働いているスタッフもそうです。そういう決断力を持っている権利のある人、例えば学長でもあるし、アクセシブルな情報を提供することが大切だと。この前数えたら、24の委員会の中に入っていました。大学職員や地域との機関、例えばリハビリテーションサービスや障害者に対するサービスや情報を提供している地域の機関などとネットワーク、パートナーシップを結ぶことも大切だと思います。それを広げることは、その地域だけでなく、州レベル、国レベルでのネットワークを確保することも必要です。それも一例として、ジムがAHEADで次期会長としてやっていることはその具体例だと思います。

もう1つは、支援技術を使うことの大切さを主張したいと思います。大学側が使えるアクセシブルな情報を提供しても、それを読める器具とかツールがないと、ユーザに情報が入らない。支援技術をいくら買っても、それをDSSだけのオフィスに置いてしまうと、学生は24時間の仕事ですから、勉強ができない。それも考えて、支援技術のソフトウェアを買った場合は、キャンパスのいろいろなところに置いてあります。図書館はもちろん、スチューデント・ユニオン、要は学食と、大学生がよく集まる本屋さんなどがいっぱいあるところですが、そこにあるコンピュータ・ラボにソフトウェアを幾つか入れて、スキャンも置いて、学生が自由自在に、障害のない学生とも勉強ができる環境につくっています。

また、幾ら大学側がアクセシブルな情報の保障をしたとしても、障害学生の声がないと、なかなかそれが生かされないところがあります。先ほどジムさんがおっしゃっていましたが、ADSUM、障害学生が運営する学生の声が大切になります。最近ですが、ADSUMのメンバーが地方の新聞にコメントを書き、どれだけ支援技術が大切か、大学で、まだ不十分であるとも新聞に載っていました。そういうアドボカシーがあり、それを学生が言えるような環境をつくることが大切だと思います。

日本に帰ってアメリカの善し悪しと日本の善し悪しがよく見えます。アメリカのいいところは、個性を主張するところです。日本は一貫性を美とするところが国柄ではないかと思います。でも、日本の一貫性を美とするところが、たまに、バリアを生む要素になることがあります。具体的に言うと、これを言うと日本語を教えている先生に怒られると思いますが、「木」という漢字があります。左から棒を横に伸ばし、上から下へとのばし、その後に枝をつけますが、それにも順番があります。

アメリカならば、こう言うと失礼ですが、「木」というような文字をとりあえず、順番なしでも、書けたらいいという風土があると思うんですね。私が言いたいことは、結果を出したら、どういう方法でもいいですよ、というような、アメリカの風土があると思います。もしかしたらそれが、アメリカで障害者の権利が主張できるということの助けになっているのではないかと私はたまに思います。しかし、日本には悪いところ、いいところもあって、日本の得意とするのは、悪いところを改めてよいものにするという、改善をうまくできるところだと思います。例えば日本の車、日本の機械なども、改善していいものをつくろうという、風土があります。それを教育にもしっかりと生かしてもらいたいと私は思っています。

ありがとうございました。

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