「ミズーラ市の情報支援の現場を見て思うこと」神山 忠

岐阜県立関特別支援学校教諭 神山 忠

講演を行う神山忠氏の写真

今、特別支援学校に勤務しておりますが、私自身、ディスレクシアという特性があります。そんな私がミズーラ市の情報支援ということで、昨年夏、5日間ほど行ってきました。ミズーラはモンタナの、地図で言うとこの辺りで、とても自然もすばらしいところで、機会があればまた家族を連れていきたいと思っています。私自身の特性、ディスレクシアで、学齢期、すごくつらい時期を送りました。そのためにいつも思っていたのは、自分は生まれてくる価値がある人間だったのかな、生きていく意味があるのかな、どうやって死のう、いつ死のう、そんなことをずっと考えて、学齢期、多感な時期を過ごしてきました。

いろいろなきっかけがあって自衛隊に入り、そこで自尊感情を取り戻せて、自分の力に気づくことができ、夜間の短大に通い、教員になり自分の特性をカミングアウトできて、ちょっと明るく、こんなふうに人前で話せるようになりました。そんな私が視察の機会をいただきました。私の夢、願いがあります。それは、死ぬ間際、瞬間に、また次、生まれ変われたとしても、このディスレクシアという特性をもってまた生まれてきてもいいかな、そんな明るい気持ちで思うことができて死んでいけたらいいかな、どんな障害があっても生まれてきてよかったと思えるような社会を目指していきたいなと思っています。

ミズーラを見させてもらって、非常に思ったのが、物理的にも人的にも心的にも、支援が行き届いているなというか、ベースができていることを感じました。ミズーラに入る前に飛行機の待ち時間があったのでシアトルの図書館に行きました。入り口に、ボタンを押せば自動で開くものもあり、一番最初のジム・マークスの言っていたボタンのデザインがいいとおっしゃっていましたが、押せばすぐ開くドアがありました。図書館の入り口さえもアクセスしやすくなっていて、中に入ってコンピュータでの図書検索も誰でもできるような機器がそろっていました。

先ほど美香さんの話にあった支援ソフトのJAWSも入っていました。帰ってきたら日本語版もあって、早速購入しました。そんなすばらしいものも配備されていました。普通に、どんな特性があっても、拡大させたり、いろいろな器具があって、すばらしいなという印象を持ってきました。

画面は、廊下、通路にパソコンで、何階のどこにあるよという書物を調べていたら、床面に大きく表示がありました。これは車いすの目線で、どんな人でも目につく工夫があった。建物もらせん状になっていて、自然に下に降りてくるつくりでした。目線の高さには、本棚の横にどんなカテゴリーがあるか、ここはカセットの棚、ここはCD-ROM、VHS、DVDもあるよと、同じ本のタイトルであってもCDで聞くこともできるし、DVDで見ることもできたり、普通の単行本でも読め、選べるところにも驚きました。

これは飛行場で見た車いすです。幅が90センチくらいあって、日本で見たことのないような大きなものでした。どんな人でも利用できることがベースにある町なんだと思いました。これはDSSの入口にあったボタンです。押しやすい、軽い力でも操作できるものでした。DSSに行って話を聞いて、最初に驚いたのは、やはりジム・マークスさんが言ったように、障害を聞くのではなく、その人の願いを聞くことによってコーディネートしていくことにまず驚きました。日本だと、まだ障害名を聞いて、担当者が決まる。その人の願いというより、その人の障害名、その人に名前があるにもかかわらず、障害名が先行してしまう、そんな側面がありますが、向こうでは違うなと実感できました。

障害がある学生さんとも話ができました。とても明るくて、こちらに帰ってからもメールのやりとりもさせてもらっていますが、日本だとちょっと控えているのが当たり前というか、暗くしている人が当たり前というような時期、今は変わってきているかもしれませんが、そんな感じもあるのにとても明るかったです。福祉機器もスタイリッシュでおしゃれでした。この女性は難聴と目の視力も失っていく過程にありますが、とても明るくて、今のうちに点字をマスターするんだということで、すごい短期間にマスターされていました。障害者になることに対して、それほど悲観的ではない、まったく悲観的じゃないという気がしました。

この方は、「僕はスクーターは要らないんだ」と言いながらすごいスピードで走っていました。時速45キロくらいは軽く出るよって言って楽しく走り回っていたので、障害というよりは特性というか、強みぐらいに感じて生活してみえるなと感じました。支援機器も、音声化するものとか、コンピュータを操作するインターフェイスとか、拡大するものとか、生活用品の中でも、大きさ、色、そういうものを配慮するだけで、その人が生活しやすいようにというものを、いっぱい見ました。

これは、作業所に行ったときのものです。働いている方は、ここでもとても前向きで明るく働いていました。そこの方と話をしていると、利用者さんができないところに目を向けるのではなく、できるところに目を向けると。また、できる環境作りをすると。これは何かと言うと、製材した木をうまく詰めないからダメではなく、うまく詰めるような環境作り、この枠をつくることでできる、そういう配慮をするだけで、この人たちはしっかり働くことができる。本人に頑張れ、頑張れではなく、そういうところに工夫しているということで、そういう視点は大事だなと思って帰ってきました。休憩する場所には、壁一面に、余暇を楽しんでいる写真がはってありました。

これって何か素敵だな、人として楽しむことをも作業所で保障してもらえている、また、それを視野に入れてもらえているというのはいいことだと感 心しました。これは違う作業所ですが、ラベルをボトルにはるのにも、補助具があるだけで簡単に貼れるようになっていました。物の工夫によって誰でも働けるという喜びにつながったり、休憩するところにはテレビやピアノ、パソコンや、談話できるところ、ビリヤード、いろんなものがありました。

日本の作業所に行くと、こんなものはあまりなくて、働く場だけというところが多いですが、余暇を楽しめるところも含めて支援しているということは、人としての権利を認めている現場、そういう国柄なんだということを実感しました。物理的にもいろんな支援ツールがあったことに驚きました。

この写真は、歩道で、歩道と車道の間にもこれは段差がありすぎるかなと思ったのですが、聞いてみると、目が不自由で杖をついていかれる方に、まったく歩道と車道の間に段差がないと分からなくなるからということで、段差を意図的につくってあるという話を聞きました。
このぐらいの段差なら車いすでも難なく行けるから、両方の特性をカバーしたデザインになっているんだと思いました。

人的支援も、求めればもらえます。サービスをもらうばかりではなく、先ほどの大学生2人の方は、自分がサービスできる場面ではサービスしています。互いにサポートし合える環境、それが普通という社会性がいいと思いました。身をもって感じてきたことは、人はそれぞれ違っていていいということをベースにみんなが感じている国柄、地域柄なんだなと。それによって、障害をもとにその人を見るのではなくて、人として、初めから見る、ということがスタンダードになっているんだと思いました。つまり人権、権利としてその人を認めることで心的にサポートしている現状だと思いました。日本だと「弱者」だから、してあげる、という面もありますが、そうではなくて人として見ているという気がしました。

最後になりますが、いろいろ見てきて、特別じゃなくて当たり前の支援、「人として」ということをこの日本でも、どんどん広めていければと思います。日本にはあたたかい風土があるので、それに誇りをもちながら、見てきたことをどんどん生かして、広めていって、よりよい社会を目指していきたい。そうすることが、自分が死ぬ瞬間に、また生まれてくるとき、ディスレクシアとして生まれてきてもいいなと思って死ぬことができるかなと思いました。

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