事例の概要 | 男性、19歳、父、母、兄(別居)、本人の4人家族 身長182cm、体重95kg |
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服薬の状況 | テグレトール、ニューレプチル、トレミン |
利用開始日 | 平成13年9月1日 |
出生時 | 正常分娩、出生時体重3,840g |
乳幼児期 | 定頸3ヶ月、始歩1歳2ヶ月、哺乳状況(混合)、初語1歳6ヶ月。 乳児期疾患(なし)、ひきつけ・痙攣発作(なし)、てんかん発作(なし) |
2歳 | リハビリテーションセンター相談(精神発達遅滞) |
3歳 | 保育園入所(3年間保育)。母親が就労していなかったことと、本人が昼寝をしなかったことから午前のみ通う。多動、注意されると他児を叩く行為がみられた。また、就学前のエピソードとして、家族で外出する際、団地の駐車場で待たされたことに腹を立て、駐車してあった車両に助走を付けて体当たりするようにして蹴ることがあった。その夜に父親に激しく叱られ、それ以来、父との関係は年齢を追うことに悪化する。 |
6歳 | 就学時検診では、特別な指導なし。小学校入学(特殊学級)。1~4年まで通学。この頃は本人の行動障害の因果関係がわかり、注意されたり、行動を制止された時に他児を叩く行動がみられた。 転居に伴い、他市の特殊学級に転校(小5~6年)。小5の12月末、母親に叱られたことから、登校中に少女に他害、怪我をさせる。小6の3月、学校にて突然児童を突き飛ばして怪我をさせる。興奮時の目付きが険しくなる。3月は毎年卒業式の練習があるために落ち着かなくなる。家で要求が通らないと外に飛び出し、通りがかりの人へ暴力がみられ始める。興奮時に部屋に閉じ込めたら、2階の窓から屋根に出て、隣家に入る。 |
13歳 | 養護学校中等部入学。3ヶ月間通学した後、施設入所のため転校。中1の時、帰宅中の車内で母親とトラブルになり(クーピーペンシルを買っても細かくするので)、母親の「いい加減にしないとお父さんに言うよ」の言葉に反応し、走行している車から飛び降り、近くにいた少女に怪我をさせる。 これらが重なったことから、両親は家庭での養育に限界を感じ、中1の7月に知的障害児施設に短期入所し、8月から入所となった。 障害児施設に短期入所し、8月から入所となった。 |
15歳 | 養護学校高等部入学。別の病院に転院。 |
17歳 | 知的障害児施設に入所。小さな子どもも入所しているため、片時も目が離せない。主に職員3人体制で生活を見ている状況。身体が大きく、暴力で相手に与える被害が大きい。他児と顔を合わせると暴力がみられる。他児の安全を確保するため、やむを得ず居室外側より施錠し、窓には遊出防止の板をはめ込む。個室内の温度を一定(低温)にすることにこだわり、寒ければ毛布にくるまって生活していた。食事は居室で食べ、トイレはポータブルトイレを置いていた。入浴はひとりで行なっていたが、入浴をするかしないは本人の意思を確認していた。居室から出る際は、他児を無理に移動させるなどで対応していた。訪問学級も本人の意向でほとんど受けていない。本人への刺激を極力減らすように対応していた。 |
18歳 | 袖ケ浦ひかりの学園入所(強度行動障害特別処遇事業) |
中度知的障害
(判定結果)療育手帳 A1(平成13年7月時点)、田中ビネー知能検査 MA 6:4+α、IQ 37
髪の毛を強く引っ張る、突き飛ばす、蹴る、叩くなどの他傷と器物の破壊。その威力はすさまじく、対象者によっては生命に関わるほどである。破壊は、テーブルを軽くひっくり返す、テレビを投げて床に叩きつける、ドアを蹴り破るなどがみられた。
他傷や破壊の原因は、不満、ストレスが主で、あらかじめ本人の抱く不安を察知して事前に対応すれば、破壊行為を未然にもしくは被害を最小限に防ぐことができるが、そうできることは希で、制止は困難で、対応は非常に難しい。さらに、衝動的に女性職員に向かって行ったり(理由が不明確なまま)、特定の女性職員に狙いを定めて、姿を見ただけで襲ったりということも多かった。狙った標的は執拗に追い、他傷であれ破壊であれ、行動障害の制止は男性支援員1人では困難で、制止に入った職員までをも襲われることがあった。
言語 | 簡単な会話は何とか通じる。話しかければ一言二言の返事ができる。受身的に応答ができるが確実性(理解)は低い。特定の人物には質問ができる。必要以上に話しかけられることを好まない。 |
対人関係 | 相手を見て対応している(飛び出して暴力を振るうのは、老女か少女で弱い者に向かっている)。園内に関係の悪い園生がいる(以前にちょっかいをだされていた)。担当職員との関係は良く、比較的指示が通る。褒められて何かを進んで行なうことはないが、うれしそうな表情は見られる。興奮後、落ち着くと「ごめんなさい」「壊しちゃった」などと謝ることがある。 |
食事 | 箸を使用し、介助は必要としない。こぼしても自ら処理する。調味料は適切に使用。偏食あり。他傷の恐れから常時見守りが必要。 |
排泄 | 介助を必要としないが、本人の状態により居室内での排尿がある。他傷の恐れがあるため、トイレ内での見守りが常時必要。 |
着脱 | 介助を必要としない。衣類に強いこだわりがあり、夏でもトレーナーを着る。衣類のタグを取り除く、状態により破衣がたびたびある。 |
入浴 | 介助を必要としない。破壊、他傷の恐れから常時見守りが必要。 |
移動 | 介助を必要としない。破壊、他傷の恐れから常時見守りが必要。時間に合わせて移動するので、時間通りに活動できない場合の対応が難しい。交通ルールを守る(小学生の頃は単独で自転車に乗って遠出していた)。公共交通機関の利用は未確認(未実施)。 |
買い物 | 見守りなどの介助があればできる。決まった店で決まった物を買う。一緒に行けば品物をもらって釣銭の受け取りを行なう。他傷の恐れがあるため、当学園では実施していない。帰宅中も他傷の恐れから保護者の見守りが終始必要。 |
危険回避 | 刃物・火を安全に取り扱う。帰宅中は自宅で調理して食べる(焼きそば作りなど)。 |
学習 | 名前が書け、平仮名や簡単な漢字が読める。簡単な数がわかり、時間が読める。 |
行動障害の内容 | 入所時の判定(29点) | 入所直後の状態(42点) | 退園時の状態(42点) |
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ひどい自傷 | 週に1・2回 1点 | ||
強い他傷 | 週に1・2回 3点 | 一日何度も 5点 | 一日何度も 5点 |
激しいこだわり | 一日に1・2回 3点 | 一日何度も 5点 | 一日何度も 5点 |
激しい物壊し | 一日に何度も 5点 | 一日何度も 5点 | 一日何度も 5点 |
睡眠の大きな乱れ | 週に1・2回 3点 | 週に1・2回 3点 | 週に1・2回 3点 |
食事関係の強い障害 | 週に1・2回 1点 | ほぼ毎食 5点 | ほぼ毎食 5点 |
排泄関係の強い障害 | 月に1・2回 1点 | 週に1・2回 3点 | 週に1・2回 3点 |
著しい多動 | 月に1・2回 1点 | ほぼ毎日 5点 | ほぼ毎日 5点 |
著しい騒がしさ | ほぼ毎日 1点 | ほぼ毎日 1点 | ほぼ毎日 1点 |
パニックがひどく指導困難 | あれば 5点 | あれば 5点 | あれば 5点 |
粗暴で恐怖感を与え指導困難 | あれば 5点 | あれば 5点 | あれば 5点 |
判定は29点で措置されたが、当学園が独自に評価した点数は42点。さまざまな状況や場面において衝動的に行動障害が表出されるため、常時個別対応を必要とした。他傷、破壊への対応について、女性職員には不可能であった。主な行動障害は、激しい他傷、頻繁な器物破損、頻繁な破衣、多動、こだわり、放尿、奇声、不眠であり、わずかなストレスや不適切な(本人にとって不本意な)対応で容易に表出されるため、介入が非常に困難であった。
本ケースの行動障害の特徴は、強固なこだわりや精神的なストレスが強度な他傷や破壊という形で表出することである。本人の思いを押し通すことや拒否的な姿勢を示すにあたり、その表現方法として他傷と破壊という形をとる。例えば、対応する職員が本人の思いにそぐわないと容易に他傷、破壊に至る(本人に対する指示や促し、誘いかけは、特定の男性職員以外では難しかった)。対人関係は、本人の特異な感覚があるようで、それまで関係が良好と思われた職員を急に避けるようになったり、あまつさえ攻撃の対象になったりしたことがあった。その職員が本人の期待するかかわり方をしなかったために関係の悪化を招いたとの仮説も立てられたが、その変化は急激で本質の把握は困難をきわめた。
上記のように、行動障害の直接的な要因としては、ストレスのはけ口としての強度な他傷・破壊の表出と予測されるが、さらに中核的な要因を探ると、幼児期の頃よりの外的な感覚刺激に対する過敏な反応が推測された。外的な感覚刺激に対して、早期の段階から本人なりの抵抗を示していたところを周囲が「しつけ」の範疇で対応してきたことで、二次的な心的外傷ストレスが蓄積されていった結果、その解消手段として強度な他傷、破壊などの行動様式を獲得してきてしまったと思われる。
行動障害の表出に対して共感と理解を示した上で、本人の情動が安定するように人的・物的な環境調整を行ない、職員の援助のもとに他傷、破壊に至らない生活の安定を図る。併せて、行動障害の誘発要因を特定し、次年度への課題を模索する。生活の安定後は、集団場面である作業に参加し、帰宅の継続ができるよう支援する。
集団場面においても個別的に対応を行ない、本人の状態が安定するまで職員を固定する。他傷による意思表示に関しては、本人の気持ちに共感しつつも、表現方法は適切でないことを毅然とした姿勢で伝える。本人が必要とする情報は徹底して提示するなどして、見通しが持てるよう配慮する。
上記の支援方法によって、入所初期に比べると、1年目後半には生活全般で他傷や破壊などの行動が多少減少した。その要因として、第一に、本人が気になる利用者の居室を変更し、刺激(破壊したくなる)となるもの(TV、消火器、壊れかけの物など)を除去し、対応する職員を男性数人に限定し、関係の悪化した職員の接触を制限するなど、周囲の環境の調整を行ない、本人が穏やかに生活しやすい状況を意図的に職員が築いたことがあげられる。その他として、本人の「頑張り」が大きな要因としてあげられる。「頑張り」とは、苦手な職員(見ただけで衝動的に襲いたくなる職員)を自分から避けられるようになったことである。苦手な職員の勤務中は部屋に籠もり、遭遇しても顔を伏せて見ないようにし、苦手な職員の所在を確認するようになった。また、破壊したくなる壊れかけの物(剥がれかけている張り紙、破れかけているゴミ袋など)の修理を口頭で依頼できるようにもなった。しかし、本人の「頑張り」は、何らかの要因で不安やストレスに耐えられなくなると他傷や破壊に至るため、他傷・破壊行為への対応は困難な状態であった。
作業活動は、機械部品の解体に参加。作業場は本人が落ち着いて参加できるよう、他の利用者への安全配慮と本人への刺激が最小限になるようパーテーションを設置し、作業スペースを確保するなどの環境調整を行なった。作業は、ネジ止めされた機械部品を電動工具でネジをはずし、解体した部品を分別するまでの工程を担当した。作業に必要なスキルは問題なく、道具(電動ドライバー、ペンチ)なども器用に使えた。しかし、関係の良好な職員(主任クラス)の不在時は「作業をしない」と激しく拒否するため、他の職員のもとでは作業参加が難しかった。そのため、平日は何らかの活動を行なうという位置付けから、作業ではなく散歩(ごく短い距離を15分程度)を行なうにとどまっていた。作業時間は問題なく過ごせたとしても、その後に精神的な不穏性を引き出しかねないため、本人と職員側との折り合いをつけながら、落ち着いて作業に参加できるように配慮し、作業への拒否的な姿勢の改善をめざした。
月に1度の割合で1泊2日の帰宅、あるいは面会ドライブを実施した。帰宅中や面会中は大きなトラブルもなく過ごすことができたが、面会の前夜や帰園後に不安・緊張、あるいは帰宅時の過ごし方の不満からか、興奮状態に陥って、他傷や破壊などの行動障害を起こすことが多かった。
段階的に特定の職員以外との関係性を構築できるようになることを目標とし、他傷、破壊の減少を図り、生活の幅が拡がるようにするため、本人の意思を尊重しつつ、新しい活動(外出など)に参加していく。
本人の気持ちに共感しつつも、社会的に認められない行為に関しては制止する。本人に対して破壊や他傷では解決できないと強く訴えるとともに、不安や不満を話し合いで解決するようその都度話していき、本人の唯一の表現方法である他傷、破壊に代わって、会話による問題解決を求めていく。対応する職員が入れ替わりかかわるのではなく、本人が見通しの持てるように職員を限定した。
年度末までに大きな他傷、破壊は回避できていった。行動障害が軽減したのは、本人の希望(指名)する職員の対応と、対応できる職員が増えたこと(対応を切り離した職員も含む)である。希望した職員は主に食事、作業、外出(散歩)、入浴支援を行ない、本人自身がその日の活動を誰と行なうか、見通しを持って行動できるようになった。勤務シフトの都合上、本人との対応を切り離した職員も本人と対応せざるを得ないが、いつも対応する職員ではないことが本人も理解してきたことは、併せて行動障害が回避できた要因と思われる。また、見通しが持ちにくい予定(研修生や見学者の来園、イレギュラーな学園行事など)の場合には、事前に紙に書いて貼り出し、説明を行なう見通しの持てる生活保障が、本人の安定に大きく関係していると考えられる。本人の行動障害発生の過程が職員側で予想が付きやすくなり、その予想をもとに各場面での対応方法を検討し、適切に対応することができた。しかし、その配慮が不足した場合などは(その場面に予定していた職員が急遽不在になった時など)、本人の精神的な揺れが認められた。また本人が、実際には苦手意識を持っている職員を希望(指名)することもあるが、その際は指名できないことを本人へ伝えて、その代わりに本人と関係性のある職員がかかわることで本人の精神的な支えを保つことができた。
社会的に認められる範囲の意思は尊重し、職員の指名は受け入れることで(職員の勤務表を本人が見て決める)、安定した生活につながっていった。しかし、イレギュラーな場合もあるため(職員の病欠など)、方法としては線引きをすることも考えたが、現時点ではまだ難しいため、まずは生活の見通しを持たせ、落ち着いた生活が送れるようになることを優先した。
学園の親子旅行に参加。両親は1泊旅行の参加(付き添い)に自信がなく、付き添い要請を受けて職員が同行した。ディズニ-リゾートでは、ミッキーを見るなり普段見られないような表情の笑顔になっていた。旅行中、ホテルのロビーでは、喧騒の中を長く待つこともあったが、本人なりに天井の煌びやかなイルミネーションを見るなどして、喧騒を遮断してやり過ごすことができた。職員と部屋で気ままに外を見たり、お茶の催促をしたり、TVを見るなどしてくつろいでいた。帰園間際に他利用者を一度拳で軽く叩いた時に注意した職員の眼鏡を奪い、破壊した。そこから本人の気持ちが大きく乱れ始めたので、予定を変更して帰園した。
月1回の帰宅の際に、両親との間で大きな行動障害の報告が確認されなかった。これは両親が本人の不当な行為の容認、本人の要求(命令)にも対応していたようである。後日、帰宅の都度、台所にこもって大量の料理を作る(すべては食べない)、自分の荷物や両親の荷物を破壊して捨てる破壊行動が目立った。破壊の対象となるものは、新品でも自分が気に入らない物、本人が個人的に不要と判断した物、自分が以前から持っていた物、両親が大事にしまっていた物(結婚式のアルバム、聴かなくなったレコード)が対象になっていた。以前の自宅にあった古い荷物はすべて捨て、自宅を新築してから荷物を入れ替える(処分する)こだわりが報告された。そのような行動は両親の生活を脅かし、いずれは帰宅も危ぶまれることにつながる恐れがあるため、家庭での過ごし方にも介入しなくてはならないと考えた。
本人が不安に思う要因に配慮し、他傷や破壊の発生を未然に防ぐ。行動障害に至らずに成功体験に結び付いた生活を送れる期間を増やす。移行施設と連携して移行計画を作成し、施設移行が安定して行なえるようにする。
新年度になり、クラス職員の異動や利用者のクラス替えなど、本人にとって見通しの持ちにくい状況がみられた。そこで、予測可能な行動障害の抑制の配慮を徹底する(前もって異動先などを紙に書く)。変化する本人の関心事については、職員間で情報交換を行ない、本人の安定を図りながら生活上の成功体験を増やしていく。
今年度4月の人事異動(精神的な支えとなった責任者の異動)は、本人に精神的な動揺を与えるかもしれないと考えたが、直接的な不安要因へつながることはなかった。テレビ・居室のドア・窓の破壊など、危険な行動はみられないが、何らかの不安や不満を表現できず、職員が本人の気持ちを感じ取れない時に不安定となってしまった。対応職員を希望(指名)し、日々の生活を送っていた。本人の希望があれば、新しい職員も少しずつ対応を行なったが、すべて受けることはせず、本人にとって不本意と考えられたが、その際には関係性の強い職員が対応することを伝えた。本人の希望した職員でなくとも、落ち着いて生活できることが増えた。職員に着替えの要求をした際に、長袖シャツ、長ズボンの着替えを用意した直後、職員に不満を言葉に表現できず、衣類を投げつけて怒り出したことがあった。職員がかかわり、落ち着いた後に、本人から「半ズボンください」と要求を言葉に表現できた。本人は、季節の区切りとして衣替えの要求の意思表示ができ、本人と職員間でのやりとりが成立した。また、散歩中、本人から「桜終わった!」と伝えてくることがあった。散歩道は桜並木であり、散歩道はピンク色から新緑に変わっていた。しばらく歩くと、今度は散歩道付近の田んぼを見て「田んぼ、できた!」とも伝えてくる。「もう1回言うよ、田んぼできた!」としつこく話してくる。「田んぼできたら?」とオウム返しのように本人に問いかけると、「お米作ります」と答えてくれた。本人が落ち着いている時には、しっかりと気持ちを言葉で表現して伝えることができるようになってきた。
帰宅時の本人の過ごし方は前年度と大きく変化がなく、本人の不必要と判断した物の処分や、夜中まで料理(蕎麦や天ぷら)を大量に作ったりして過ごしていた(すべては食べない)。今年度は、その処分する物が減ってきた(少ない時はビデオテープ3本、CD1枚)。おそらく、自宅内に処分する物がなくなってきたと考えられる。時折、本人が処分した物を新しくする(買い直す)ように、母親へ訴えることもあった。自宅で大きなトラブルに至らなかった最大の要因は、母親が本人とのトラブルを恐れ、家庭内ではあらゆる行動を保証し、本人とのトラブルの回避を行なったことである。面談などを通して学園の生活の変化を伝えていたが、直接的な家庭における介入は体制的に難しく、結果的に大きな変化をもたらすことがなかった。
移行については、これまでも事業開始2年目から情報の共有と共通理解、担当施設職員の見学研修などを1年間かけて行なう形をとってきたが、本ケースについては下記のような課題が残った。
本人の行動障害の本質的な理解は、当学園から移行施設への情報提供によって行なうものと考えていた。今回も他の強度行動障害の処遇ケースと同様に、施設間の引き継ぎを介して移行支援が行なえるものと考えていたが、実際には、移行先が事業終了間際に決まったこともあり、移行先との連絡調整が取りにくく、本来であれば1年かけて行なっていた引き継ぎは、延べ2日(時間にして、合計約2時間弱)という短い期間で終了した。
本ケースのように、極めて強く危険な行動障害を示す利用者には、施設間の綿密な引き継ぎが必要と考えていた。また、袖ケ浦ひかりの学園を退園後、移行先の施設での状態像を追うことで、強度行動障害の進行を見極めるためにも、移行後の追跡調査も必要と考えていた。本人が行動障害を起こさず、落ち着いた生活を送れる時は、「本人が思っていることや気持ちを相手に伝えられている」「対応する職員の本人の受け止め方や促し方も、本人の信頼と安心感を得ている」と考えられる。3年間という期間の中で、本人の安定した状態を導く支援についてヒントを得ることはできたと考える。袖ケ浦ひかりの学園を退所し、移行先において食事時間や生活体系などの違いがあると予測され、できるだけ早く移行施設の環境に慣れ、落ち着いた生活を送ってほしいと願っている。なお、本ケースの移行後の情報は今日も得られていない。
強固なこだわりと認知や理解が非常に希薄なことから、不安感を非社会的な行動へ簡単に発展することがある。
①本人の不安感を整理し、気持ちを代弁するには、本人を取り巻く環境や状況から仮説を立てて思いを汲み取る。一定期間は、職員間の一貫した対応など、本人の思い違いや対応の違いによって不安を感じないような配慮も必要である。その中で、本人の思いや訴えを適切な表現方法で行なうように伝えていくことも重要と思われる。
②本人が期待していない対応などでは、言い聞かせや、環境や状況の設定を行なったが、改善がみられず、対応困難な場合も多く、支援員によっても安定しないことがある。職員間でのケース会議を通して状態の把握に努めつつ、担当する精神科医の意見も仰ぎ、必要であれば効果的な服薬も視野に入れて状態の改善に努める必要を感じる。
本ケースの行動障害の特徴として、①ストレスを強度な他傷・破壊によって解消する、②幼児期の頃よりの外的な感覚刺激に対する過敏な反応が中核要因となっている。しかし、強度行動障害の事業として関係を持ち始めた時には、既に強固な体格と強度な他傷・破壊という行動障害は、対応するスタッフにとって、精神的・体力的にモチベーションを維持し、支援にあたることに困難を極めた。3年間の支援の中では他傷・破壊行為の減少にとどまったが、状態像の改善と安定した生活の立て直しには限界があった。
資料作成:坂入 一仁(袖ヶ浦ひかりの学園)
事例報告:柳 淳一(袖ヶ浦ひかりの学園)