事例の概要 | 男性、32歳、父、母、本人の3人家族 身長177.5cm、体重79kg |
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利用開始日 | 平成18年4月1日 |
出生時 | 周産期障害(-)、4,100gで出生。 |
乳幼児期 | 定頸3ヶ月、這い這い8ヶ月、始歩1歳2ヶ月。2歳の時、言葉が遅いので心配になって心障センターに相談し、公立の児童精神科病院を紹介される。2歳より約1年、この病院のデイケアを利用。幼稚園は3年保育で、年長より他児への噛みつきが始まる。 |
学齢期 | 中学校2年頃より、暴れる(噛みつく、叩く、蹴る)、家から逃げる(無断外出)ので登校できなくなる。登下校は母親が付き添う(徒歩)。毎朝家を出る際に「学校行かないの」とごねて母親の様子をうかがう。反対方向へ走って行ったり、歩道に座り込んだり、奇声を発することもある。校門まで来ると諦めるのか、スムーズに入っていく。多人数の学習場面では耳を押さえたり、目を瞑ったりして、刺激を遮断する行為もある。少人数ならば、落ち着いて参加できることが多い。 大きな身体(身長170㎝、体重70.5㎏)で言動は幼稚で、本人が好む物(換気扇・車・信号機)などに固執する。学校では自分本位の行動が多く、登校中でも興味のあることにこだわる。自ら登校や授業を受けようとする意識はまったくなく、乱暴や飛び出しなどもあるため、病院で一時保護を受ける。その頃から、母親の心労から家庭での監護は限界を超え、袖ケ浦のびろ学園に入園となった。 |
2歳 | 心身障害者センターに相談、公立の児童精神科病院に通院 |
4~ 6歳 | 幼稚園(3年保育) |
6~12歳 | 小学校特殊学級に通う |
12~15歳 | 中学校特殊学級(3年生1学期まで)。15歳の時、上記の病院に緊急入院 |
15~32歳 | 袖ケ浦のびろ学園に入所 |
32歳 | 袖ケ浦ひかりの学園に入所 |
重度精神遅滞(自閉傾向)
(判定結果)愛の手帳:2度、田中ビネー知能検査:MA 5歳8ヶ月、IQ 37(平成2年判定)
(障害程度)区分6
言語 | 特定の支援員との会話により意思決定できるが、その時の状態により変化するため、常に確認などが必要。受動的な応答はできるが、理解度は低い。好む人物に本人独特の好む会話を求めることが多い。 |
排泄 | 介助を必要としないが、気分が高揚している時に放尿行為がみられる。 |
食事 | 偏食がある。情緒にムラがあり、気分によっては摂れない時がある。箸を使用し、介助は必要としない。 |
睡眠 | まとまった睡眠がとれず、不安定な状態。そのため、日中ウトウトしていることがある。起床時は気分が沈んでいることが多く、自傷や他害、破壊行為を伴うことが多く、本人の状態を見ながら誘いかけている。 |
洗面 | 形式的に行なうのみで、介助が必要。 |
着脱 | 基本的に介助は必要ない。季節に応じた衣類の選択はできない。 |
運動 | 歩行、走ることには問題なし。時折、苦手とする物(人)を避ける時に斜め走りをする。破壊、他害を行なう恐れから常時見守りが必要。 |
学習 | 環境からの刺激(他者の奇声・咳・騒音)に左右されやすく、安定して取り組むことができない。名前は書ける。好む名詞(平仮名)が読める(車の名前など) |
買い物 | 金銭感覚はなく、全面的に支援が必要。外出時に行方不明になる可能性や破壊行為があるので、常時支援員が付き添う。 |
入浴 | 形式的には自分で行なえるが、仕上げなどに一部支援が必要。破壊、他害、発作の恐れから常時見守りが必要。入浴中のごく短い間にも気持ちが激しく変調することがある。状態を見ながら支援する。 |
移動 | 直接的な介助は必要としないが、時間に合わせて移動することや、時間通りの活動が難しいために集団行動ができにくい。 |
医療面 | 注射の針などを異常に拒否するため、個別的に支援する。言語理解が乏しいので、理解しやすいように説明を行なう必要がある。 |
旧法 強度行動障害支援判定基準 | 新法 重度障害者包括支援判定基準 |
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自分の体を傷つける行為 3点 ひどく叩いたり蹴ったりする 3点 激しいこだわり 0点 激しい物壊し 1点 睡眠の乱れ 1点 食事関係の強い障害 0点 排泄関係の強い障害 3点 著しい多動 1点 著しい騒がしさ 1点 パニックがひどく指導困難 5点 粗暴で恐怖感を与える 5点 |
意思表示 2点、説明の理解 2点 異食 0点 多動 2点 パニック 2点 自傷 2点 破壊 2点 断りなくものを持ってくる 1点 突発的な奇声 1点 突発的な外出行動 1点 過食反すう 0点 てんかんの頻度 0点 |
合計23点 | 合計15点 |
朝 | セネース3mg×1・ニューレチプル10mg×2・レボトミン50mg×1 テグレトール100mg×1・エクセグラン100mg×1・レボトミン25mg×1 トリフェジノン2mg×2 |
昼 | セネース3mg×1・ニューレチプル10mg×2・レボトミン50mg×1 テグレトール100mg×1・トリフェジノン2mg×2 |
夕 | セネース1.5mg×1・セネース3mg×1・ニューレチプル10mg×2 レボトミン50mg×1・テグレトール100mg×1・エクセグラン100mg×1 トリフェジノン2mg×2 |
眠前 | サイレース1mg×1 |
変更前 | 変更後 | |
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H8.9.5~ | ニューレチプル25mg×1 レボトミン50mg×1 トリフェジノン2mg×1 1日1回のみ服用 服薬時副作用のため活動に参加できず |
ジアゼパム50mg×1 1日3回まで服薬可 |
H19.1.16~ | ジアゼパム5mg×1 1日3回まで服薬可 服薬時副作用のため活動に参加できず |
不穏状態が続くためジアゼパム5mg×1を基本に ニューレチプル25mg×1を加え1日6包まで分包 ①ジアゼパム5mg×1・ニューレチプル25mg×1 ②ジアゼパム5mg×1 ③ジアゼパム5mg×1・ニューレチプル25mg×1 ④ジアゼパム5mg×1 ⑤ジアゼパム5mg×1・ニューレチプル25mg×1 ⑥ジアゼパム5mg×1 |
H19.1.30~ | 処方変更 6包に分包したことで副作用が軽減され活動に徐々に参加可能となる |
①ジアゼパム5mg×1・ニューレチプル25mg×1 ②ジアゼパム5mg×1・ニューレチプル25mg×1 ③ジアゼパム5mg×1・ニューレチプル25mg×1 ④ジアゼパム5mg×1 ⑤ジアゼパム5mg×1・ニューレチプル25mg×1 ⑥ジアゼパム5mg×1 |
H19.10.23~現在 | 不穏が治まっている | ①ジアゼパム5mg×1 ②ニューレチプル25mg×1 ③ジアゼパム5mg×1 ④ニューレチプル25mg×1 ⑤ジアゼパム5mg×1 ⑥ニューレチプル25mg×1 |
額を激しく叩く自傷や、人を蹴る・噛む・叩くなどの他害、TVやドア(屋外では不特定の車も対象)を激しく叩く・蹴るなどの破壊に至る激しい行動障害がみられる。騒がしい状況を苦手としており、周囲の音(特に他人の咳ばらい)に過敏に反応し、不快を感じると上記の行動障害に至る。人からの求めに応じにくく、求められている行動に気持ちが向かないと動くことができないため集団行動が取りにくい。苦手な音声や視覚刺激を受けるとその場から離れる(逃げ)、行動障害を誘発するため、常に個別対応を要する。本人は独特の言い回し(話し方)を非常に好み、本人にとって楽しさを感じるやりとりのできる支援員に対しては、好意的に話しかけることもある。変化の激しい躁うつ的な状態を1日の中で繰り返している。躁的状態の時には笑ってハイテンションで過ごし、居室で放尿をすることが多くなる反面、うつ的状態の時には上記の激しい行動障害が頻繁にみられる(額を叩く自傷は網膜剥離の恐れがあるため、定期的に通院して眼科医の検診を受けている)。
行動障害の第一の要因は、精神状態の不安定さが大きいことによって、人との関係性を構築しにくい状態像と考えられる。額を激しく叩く自傷や、人を蹴る・噛む・叩くなどの他害、TVやドア(屋外では不特定の車も対象)を激しく叩く・蹴るなどの破壊に至り、1日の中で浮き沈みが大きい。対人関係のみの修復では安定しないので、医療と連携して精神の安定を図る。
児童施設に入所している間、本人の興味は「TV番組のおかあさんといっしょ」「信号機」「バイク」「車」「外食に出かける」など、限られた範囲内にとどまり、その中でかろうじて自己を保っている状態にあった。そこで、成人施設に移行した機会に、幼児的な精神状態からの脱却を図るため、自我を安定させる材料が「人」(支援員)になることをめざした。
隣接した知的障害者更生施設(袖ケ浦ひかりの学園)への入所を希望していた家族の働きかけが実り、移行が正式に決定となる。移行の決定を受けて、本人に丁寧に説明するとともに、両学園の支援員間でケース検討を行ない、下記の移行支援プログラムを作成した。すなわち、ひかりの学園の見学、ひかりの学園での昼食・夕食を摂る体験など、本人がひかりの学園で過ごす時間を段階的に増やすこと、また、ひかりの学園の支援員がのびろ学園で食事や心電図検査を行なう場合など、さまざまな生活場面で本人とかかわりを持つことにした。
移行支援プログラム(3~4月)
支援目標(内容) | 期間 | 次の段階への目安(見きわめ) | |
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第1段階 | ・移行に対する本人の意識の向上を目標とし、成人施設移行へ向けた動機付けとして「大人になるためにのびろは卒業し、ひかりの学園に行こう」と説明 ・ひかりの学園の見学や食事体験 ・のびろ学園支援員で対応 ・「行けた、できた」という成功体験を重ねる |
1~3週間程度 週2回、計6回 実施 |
・移行に対する動機付けが芽生え、期待感を持ち、ひかりの学園へ移動が抵抗なくできる ・のびろ学園支援員の対応で見学、昼食ができる |
第2段階 | ・見学の誘いに抵抗なく応じ、移動ができることを目標とする ・ひかりの学園利用者の中で食事を摂る経験を重ねる ・医療処置にもひかりの学園支援員が付き添って対応ができる |
1~3週間程度 週に3回、計9回実施 |
動機付けが定着し、さらなる期待感が高まるひかりの学園支援員の誘いで移動し、見学、食事が摂れる |
第3段階 | 昼食から夕食時まで、ひかりの学園でひかりの学園支援員と過ごす | 1~2週間程度 週に4回、計8回実施 |
ひかりの学園支援員の対応で、昼食・夕食までひかりの学園食堂で可能となる。移行への動機付けが明確になり、モチベーションが保たれている |
第4段階 | 完全移行(ひかりの学園へ居住場所を移行する) |
第1段階では、移行に対する本人の意識の向上を第一に考えた。ひかりの学園の見学や食事体験など、概ね落ち着いて行なうことができた。新しい場所に関して期待感を感じている様子も表情に見られた。
第1段階のモニタリングを実施した。移行支援の開始直後は、新しい場面の体験でもあり、初回は抵抗感がうかがえ、移動に際して時間を要したが、本人が成人施設への移行に対する動機付けが芽生え、期待感を持ち、回を重ねるごとにひかりの学園への移動が抵抗なくできていることから、第2段階へ進むことを確認する。
見学や食事の誘いかけに比較的スムーズで、ひかりの学園に移動することもでき、本人からひかりの学園に移行する意思も感じられた。
第2段階は、①見学の誘いに抵抗なく応じ、移動ができること。②ひかりの学園利用者の中で食事を摂る経験を重ねる。③医療処置にひかりの学園支援員も付き添い、対応ができることを目標に設定した。
第2段階のモニタリングでは、本人との会話の中で「ひかりのは?」とか、「○○は?(ひかりの支援員の名前)」が時折出てくるようになり、本人の内面に移行への動機付けが定着し、さらなる期待感が定着しつつあるようになってきた。また、ひかりの学園支援員の誘いで移動し、見学、食事が摂れることも評価し、第3段階へ進むことを確認した。
第3段階では、ひかりの学園の見学を行なった後に気分の落ち込みが目立ち、「暗いね~」というマイナス的な言葉や自傷に発展する様子もみられた。支援員の側に自ら寄って来て自傷を見せることもあり、本人の不安な気持ちを支援員に支えてほしいという思いが感じられた。「のびろ学園を卒業して、大人になってひかりの学園に入学する」という期待感が感じられたが、慣れ親しんだのびろ学園支援員が一緒にひかりの学園に行けるか否かということや、経験したことのないひかりの学園の生活に現実感と見通しが持てず、不安を抱えているように思われた。
第3段階のモニタリングでは、全体として本人の期待と不安の葛藤に共感しながら移行支援を進めることが重要となった。移行支援の中で、ひかりの学園支援員を知るにつれて、ある程度見通しを持つことができたと評価し、成人施設への完全移行を行なうことを確認した。
新しい環境に慣れ、安定した生活の維持と支援者との交流を深めて、不快な気持ちの沈静化を第一に考えた。入園直後は、面識のある支援員がさまざまな場面(食事、活動、入浴)での対応方法を慣れない支援員に見せ、本人の負担とならない範囲内で、無理なく新しい支援員との関係の構築をめざした。のびろ学園と大きく変わる点は、ほとんどの活動を集団で行なうところなので、本人が子どもを卒業して大人になったことを意識できるよう、本人に対して「大人になったね」などと繰り返し伝えた。そのこともあり、本人も「のびろは子ども、○○ちゃんは大人、ひかり」などと言葉にしている。他害行動はほとんど見られないが、物の破壊や自傷は、不快感を示す場合に現在も変わらず多くみられる。しかし、TVを叩く・TVのブラウン管を蹴ったり、壁を蹴るなどして、支援員から「のびろに帰る?」などと叱られると、「のびろやなの」と子どもに戻りたくないなどの発言もあり、そのことで我に帰り、興奮が沈静化することも多い。
個別対応ではなく、集団生活を基本として定時の食事と入浴を行ない、生活のリズムの構築を行なった。入浴、食事の開始前に呼びかけを行なうことで、本人が余裕を持って準備できる時間を作った。本人の状態に応じて、居室ではなく共有空間で過ごすよう働きかけた。例えば、本人の好むTVや本などをそこで観るようにしたことで、他の利用者の行動を見て状況を把握しやすくした。また、本人が好んで見ている番組の終了と同時に誘いかけを行ない、次の行動に移りやすい状況を設定した。年度当初は定時に食事、入浴を行なえることが多かったが、1ヶ月を過ぎた頃から不穏な状態が多くみられるようになり、時間通りに行動することが難しくなってきた。早朝は不穏な状態が続き、食事を部屋に運んで食べることもあった。
本人が新しい作業環境に慣れ、落ち着いて行なえるように作業環境を整えた。本人の負担に配慮しながら作業活動へ誘導し、メリハリのある生活が行なえるよう支援した。作業活動は機械部品の解体作業で、ドライバーを用いて、10~20個の小さな部品をアルミ・鉄・プラスチックなどに分別する。作業棟に行くために気持ちを整えるまで30分以上の時間を要したり、作業棟内で不安定になることが多くみられ、本人の状態によっては作業に取り組めないこともあった。本人が作業に気持ちを向けたり、作業へ注意を持続されていくには個別的なかかわりが重要であるが、同じスペースで作業している他の利用者への対応もあり、本人の要望にすべて応えられない現状もある。
自傷、他害、破壊行為を未然に防ぎ、本人が安定して生活できるようになることをめざした。興味のある話題を通して積極的に交流を持ち、支援員と信頼関係を築いていこうとしたが、気分がすぐれなかったり、気持ちが落ち込んでいる時は、自傷や他害などの行動障害に発展しやすい。本人が不快に感じること(物音や咳など)をなるべく少なくしても自傷に至ってしまった際には、本人が興味のあることなどを話しかけたり、お茶などを提供して気分転換を図るなど、気持ちが落ち着くよう支援した。それでも状態の改善がみられず、自傷が治まらない場合には、効果的な頓服薬を用いて状態の安定に努めた。不安定時の自傷は因果関係が把握しにくく、周囲の騒々しさとは関係なく激しく額を叩き、鎮静するまで時間を要することもあれば、単発的に額を叩いてすぐに落ち着いたりと、状態はその時によりさまざまであった。不安定期は、梅雨時期の天候などの影響もあったと思われる。周期的な状態の落ち込みは認められるものの、かかわりを多く持つことで支援員に対する抵抗感が少なくなり、良い関係が築けるようになってきた。
週末帰宅と長期帰宅(夏季、冬季)を実施している。面談、連絡票の交換などを通じて、家庭状況や親子関係の把握に努め、要請があれば週末の学園利用も勧めた。
基本的に、本人と両親との関係は比較的良好と思われるが、時折、父親との間に気持ちのすれ違いがあるのではないかと感じる。学園にいる時から、帰宅時の父親の所在を気にする言動が時々確認される。本人は父に怒ってもらおうと(いつもの反応をしてほしくて)、執拗にTVを蹴り続けることもある。気持ちが抑えられない状況で、どうにかしてほしい気持ちから叱られるのを待つ様子は在園中にもみられる。そのことは、父との関係で叱られると治まっていく経験を積んできたからだろうと推測する。叱られるまで治まらない本人の気持ちは、根の深いところにあるように感じられ、簡単には行動の改善に至らないと思われる。しかし、安定している時は、父と2人で出かけて好きな物を買い、機嫌良く過ごせたとの報告も多く、そのことを積み重ねていくことが、今後も重要と考えられる。
現在は、周囲の騒がしい状況でも機嫌良く過ごせるようになってきた。本人の状態にもよるが、以前の児童施設(のびろ学園)から現在の成人施設(ひかりの学園)へ移行し、大人らしく生活しようという気持ちが支えとなり、不快な刺激よりも大人になるという気持ちが勝り、持ちこたえられることが増えたと思われる。
ひかりの学園での生活は概ね日課に沿って行なっているが、支援員によっては「やらないの」などと甘えて、活動に向きにくい(ぐずる)様子を表現することもある。支援の仕方によって、本人の生活リズムが崩れることは容易に考えられるため、支援員間の連携と支援の方向性の統一に努める必要がある。また、学園での生活の安定は、家庭生活や親子関係の改善に寄与すると考えられるので、今後も学園と家庭との情報交換を密接に行なっていきたい。
移行支援は、移行元と移行先、保護者と情報の共有と協力関係が不可欠と改めて感じた。今回の移行支援では、多くの支援員間で打ち合わせを行ない、情報の共有と本人の状態の把握に努めた。そのことによって、ひかりの学園への移行後の見通しが立ち、本人の移行への不安や生活環境の変化に対するストレスを軽減できたと考えている。
強度行動障害に至る利用者の生活歴を振り返ると、一次的な障害が中核(本人自身の基本的な障害特性)にあるものの、本人を取り巻く生活(家庭環境、地域性、医療・教育・福祉サービスなど)の中から生じてくる二次的障害からの要因が重なり、本人の状態像がさらにこじれているケースがほとんどである。処遇にあたっては、以下のような配慮のもとに支援が必要と考える。
表出する行動障害には個人差があり、画一的な対応では不可能である。しかし、自閉性障害の特徴を理解することで個人差の中に共通項を見出すことができる。初期の支援においては、一旦、行動障害によって崩れた生活そのものや人間関係網を制限し、行動障害の要因を解明しつつ、こじれた人間関係や生活の枠組みの再構築を行なう。
彼らの行動障害の要因を分析すると、人との関係性において何らかの不信感や挫折感などが積み重なり、そのはけ口として強度な行動障害の現れていることが希ではない。これらを彼らの内的な感情の表出と理解するならば、こじれた人間関係を修復するためには、彼らの全人格を「受容」し(生きて行く上で何が大変だったか、何が辛い出来事であったか)、理解することを基本に、安定した生活を導き出すための信頼できる人との「交流」を通して、本人が安心して頼れる「人」(支援者)を増やし、人間関係の再構築を行なう必要がある。
生活の基本となる食事・日中活動・睡眠が安定するように生活を立て直し、人に沿った生活を送れるための枠組みを再構築する。
本ケースの障害の中核は、①精神的に安定しにくい状態像が対人関係の構築を阻害している、②幼児的な精神状態から脱却し、自我の成長と対人関係の交流から育てるという観点から支援を続けてきた。こうした要因がコミュニケーションを阻害し、対応が困難になっていった。まずコミュニケーションを図る以前に、本人の精神・行動上の安定を保つことができないことから人との交流が持てずに、さらなる生活上の困難を引き起こしていた。本ケースの場合は医療と連携して服薬調整を行ないつつ、成人施設へ移行し、生活のステージを切り替えていった。これを機会に「大人になろうよ」というテーマが本人の中に深く共鳴し、実は本人自身も「大人になりたい」と願っていたことが、コミュニケーションが図れる契機となり、それを境に状態像の変化をもたらしてきたところである。
資料作成:坂入 一仁(袖ヶ浦ひかりの学園)
事例報告:柳 淳一(袖ヶ浦ひかりの学園)