クラスターII型(コミュニケーションが困難で、対応困難)の事例①

事例の概要 男性、32歳、父、母、本人の3人家族
身長177.5cm、体重79kg
利用開始日 平成18年4月1日

1.生育歴、相談・治療・教育歴

(1) 生育歴

出生時 周産期障害(-)、4,100gで出生。
乳幼児期 定頸3ヶ月、這い這い8ヶ月、始歩1歳2ヶ月。2歳の時、言葉が遅いので心配になって心障センターに相談し、公立の児童精神科病院を紹介される。2歳より約1年、この病院のデイケアを利用。幼稚園は3年保育で、年長より他児への噛みつきが始まる。
学齢期 中学校2年頃より、暴れる(噛みつく、叩く、蹴る)、家から逃げる(無断外出)ので登校できなくなる。登下校は母親が付き添う(徒歩)。毎朝家を出る際に「学校行かないの」とごねて母親の様子をうかがう。反対方向へ走って行ったり、歩道に座り込んだり、奇声を発することもある。校門まで来ると諦めるのか、スムーズに入っていく。多人数の学習場面では耳を押さえたり、目を瞑ったりして、刺激を遮断する行為もある。少人数ならば、落ち着いて参加できることが多い。
大きな身体(身長170㎝、体重70.5㎏)で言動は幼稚で、本人が好む物(換気扇・車・信号機)などに固執する。学校では自分本位の行動が多く、登校中でも興味のあることにこだわる。自ら登校や授業を受けようとする意識はまったくなく、乱暴や飛び出しなどもあるため、病院で一時保護を受ける。その頃から、母親の心労から家庭での監護は限界を超え、袖ケ浦のびろ学園に入園となった。

(2) 相談・治療・教育歴

2歳 心身障害者センターに相談、公立の児童精神科病院に通院
4~ 6歳 幼稚園(3年保育)
6~12歳 小学校特殊学級に通う
12~15歳 中学校特殊学級(3年生1学期まで)。15歳の時、上記の病院に緊急入院
15~32歳 袖ケ浦のびろ学園に入所
32歳 袖ケ浦ひかりの学園に入所

2.障害の状態像:障害名(診断名)、発達検査等の客観的評価データ

(1) 診断名

重度精神遅滞(自閉傾向)
(判定結果)愛の手帳:2度、田中ビネー知能検査:MA 5歳8ヶ月、IQ 37(平成2年判定)
(障害程度)区分6

(2) 生活能力(ひかりの学園への移行時)

言語 特定の支援員との会話により意思決定できるが、その時の状態により変化するため、常に確認などが必要。受動的な応答はできるが、理解度は低い。好む人物に本人独特の好む会話を求めることが多い。
排泄 介助を必要としないが、気分が高揚している時に放尿行為がみられる。
食事 偏食がある。情緒にムラがあり、気分によっては摂れない時がある。箸を使用し、介助は必要としない。
睡眠 まとまった睡眠がとれず、不安定な状態。そのため、日中ウトウトしていることがある。起床時は気分が沈んでいることが多く、自傷や他害、破壊行為を伴うことが多く、本人の状態を見ながら誘いかけている。
洗面 形式的に行なうのみで、介助が必要。
着脱 基本的に介助は必要ない。季節に応じた衣類の選択はできない。
運動 歩行、走ることには問題なし。時折、苦手とする物(人)を避ける時に斜め走りをする。破壊、他害を行なう恐れから常時見守りが必要。
学習 環境からの刺激(他者の奇声・咳・騒音)に左右されやすく、安定して取り組むことができない。名前は書ける。好む名詞(平仮名)が読める(車の名前など)
買い物 金銭感覚はなく、全面的に支援が必要。外出時に行方不明になる可能性や破壊行為があるので、常時支援員が付き添う。
入浴 形式的には自分で行なえるが、仕上げなどに一部支援が必要。破壊、他害、発作の恐れから常時見守りが必要。入浴中のごく短い間にも気持ちが激しく変調することがある。状態を見ながら支援する。
移動 直接的な介助は必要としないが、時間に合わせて移動することや、時間通りの活動が難しいために集団行動ができにくい。
医療面 注射の針などを異常に拒否するため、個別的に支援する。言語理解が乏しいので、理解しやすいように説明を行なう必要がある。

(3) 判定基準点数の分布(旧法・新法):平成20年4月調査

旧法 強度行動障害支援判定基準 新法 重度障害者包括支援判定基準
自分の体を傷つける行為 3点
ひどく叩いたり蹴ったりする 3点
激しいこだわり 0点
激しい物壊し 1点
睡眠の乱れ 1点
食事関係の強い障害 0点
排泄関係の強い障害 3点
著しい多動 1点
著しい騒がしさ 1点
パニックがひどく指導困難 5点
粗暴で恐怖感を与える 5点
意思表示 2点、説明の理解 2点
異食 0点
多動 2点
パニック 2点
自傷 2点
破壊 2点
断りなくものを持ってくる 1点
突発的な奇声 1点
突発的な外出行動 1点
過食反すう 0点
てんかんの頻度 0点
合計23点 合計15点

(4) 服薬状況(H20.12.20現在)

セネース3mg×1・ニューレチプル10mg×2・レボトミン50mg×1
テグレトール100mg×1・エクセグラン100mg×1・レボトミン25mg×1
トリフェジノン2mg×2
セネース3mg×1・ニューレチプル10mg×2・レボトミン50mg×1
テグレトール100mg×1・トリフェジノン2mg×2
セネース1.5mg×1・セネース3mg×1・ニューレチプル10mg×2
レボトミン50mg×1・テグレトール100mg×1・エクセグラン100mg×1
トリフェジノン2mg×2
眠前 サイレース1mg×1

(5) 不穏時頓服の使用変更について

  変更前 変更後
H8.9.5~ ニューレチプル25mg×1
レボトミン50mg×1 トリフェジノン2mg×1
1日1回のみ服用
服薬時副作用のため活動に参加できず
ジアゼパム50mg×1
1日3回まで服薬可
H19.1.16~ ジアゼパム5mg×1
1日3回まで服薬可
服薬時副作用のため活動に参加できず
不穏状態が続くためジアゼパム5mg×1を基本に
ニューレチプル25mg×1を加え1日6包まで分包
①ジアゼパム5mg×1・ニューレチプル25mg×1
②ジアゼパム5mg×1
③ジアゼパム5mg×1・ニューレチプル25mg×1
④ジアゼパム5mg×1
⑤ジアゼパム5mg×1・ニューレチプル25mg×1
⑥ジアゼパム5mg×1
H19.1.30~ 処方変更
6包に分包したことで副作用が軽減され活動に徐々に参加可能となる
①ジアゼパム5mg×1・ニューレチプル25mg×1
②ジアゼパム5mg×1・ニューレチプル25mg×1
③ジアゼパム5mg×1・ニューレチプル25mg×1
④ジアゼパム5mg×1
⑤ジアゼパム5mg×1・ニューレチプル25mg×1
⑥ジアゼパム5mg×1
H19.10.23~現在 不穏が治まっている ①ジアゼパム5mg×1
②ニューレチプル25mg×1
③ジアゼパム5mg×1
④ニューレチプル25mg×1
⑤ジアゼパム5mg×1
⑥ニューレチプル25mg×1

3.行動障害の状態

額を激しく叩く自傷や、人を蹴る・噛む・叩くなどの他害、TVやドア(屋外では不特定の車も対象)を激しく叩く・蹴るなどの破壊に至る激しい行動障害がみられる。騒がしい状況を苦手としており、周囲の音(特に他人の咳ばらい)に過敏に反応し、不快を感じると上記の行動障害に至る。人からの求めに応じにくく、求められている行動に気持ちが向かないと動くことができないため集団行動が取りにくい。苦手な音声や視覚刺激を受けるとその場から離れる(逃げ)、行動障害を誘発するため、常に個別対応を要する。本人は独特の言い回し(話し方)を非常に好み、本人にとって楽しさを感じるやりとりのできる支援員に対しては、好意的に話しかけることもある。変化の激しい躁うつ的な状態を1日の中で繰り返している。躁的状態の時には笑ってハイテンションで過ごし、居室で放尿をすることが多くなる反面、うつ的状態の時には上記の激しい行動障害が頻繁にみられる(額を叩く自傷は網膜剥離の恐れがあるため、定期的に通院して眼科医の検診を受けている)。

4.行動障害の要因等に関する分析、とらえ方

(1) 安定しにくい状態像が対人関係の構築を阻害している

行動障害の第一の要因は、精神状態の不安定さが大きいことによって、人との関係性を構築しにくい状態像と考えられる。額を激しく叩く自傷や、人を蹴る・噛む・叩くなどの他害、TVやドア(屋外では不特定の車も対象)を激しく叩く・蹴るなどの破壊に至り、1日の中で浮き沈みが大きい。対人関係のみの修復では安定しないので、医療と連携して精神の安定を図る。

(2) 幼児的な精神状態からの脱却 -自我の成長と対人関係の交流から育てる-

児童施設に入所している間、本人の興味は「TV番組のおかあさんといっしょ」「信号機」「バイク」「車」「外食に出かける」など、限られた範囲内にとどまり、その中でかろうじて自己を保っている状態にあった。そこで、成人施設に移行した機会に、幼児的な精神状態からの脱却を図るため、自我を安定させる材料が「人」(支援員)になることをめざした。

5.行動障害改善のためのプログラム、支援の過程

(1) 移行支援の開始

① 児童施設(袖ケ浦のびろ学園)から成人施設(袖ケ浦ひかりの学園)への移行

隣接した知的障害者更生施設(袖ケ浦ひかりの学園)への入所を希望していた家族の働きかけが実り、移行が正式に決定となる。移行の決定を受けて、本人に丁寧に説明するとともに、両学園の支援員間でケース検討を行ない、下記の移行支援プログラムを作成した。すなわち、ひかりの学園の見学、ひかりの学園での昼食・夕食を摂る体験など、本人がひかりの学園で過ごす時間を段階的に増やすこと、また、ひかりの学園の支援員がのびろ学園で食事や心電図検査を行なう場合など、さまざまな生活場面で本人とかかわりを持つことにした。

移行支援プログラム(3~4月)

  支援目標(内容) 期間 次の段階への目安(見きわめ)
第1段階 ・移行に対する本人の意識の向上を目標とし、成人施設移行へ向けた動機付けとして「大人になるためにのびろは卒業し、ひかりの学園に行こう」と説明
・ひかりの学園の見学や食事体験
・のびろ学園支援員で対応
・「行けた、できた」という成功体験を重ねる
1~3週間程度
週2回、計6回
実施
・移行に対する動機付けが芽生え、期待感を持ち、ひかりの学園へ移動が抵抗なくできる
・のびろ学園支援員の対応で見学、昼食ができる
第2段階 ・見学の誘いに抵抗なく応じ、移動ができることを目標とする
・ひかりの学園利用者の中で食事を摂る経験を重ねる
・医療処置にもひかりの学園支援員が付き添って対応ができる
1~3週間程度
週に3回、計9回実施
動機付けが定着し、さらなる期待感が高まるひかりの学園支援員の誘いで移動し、見学、食事が摂れる
第3段階 昼食から夕食時まで、ひかりの学園でひかりの学園支援員と過ごす 1~2週間程度
週に4回、計8回実施
ひかりの学園支援員の対応で、昼食・夕食までひかりの学園食堂で可能となる。移行への動機付けが明確になり、モチベーションが保たれている
第4段階 完全移行(ひかりの学園へ居住場所を移行する)    

② 移行支援の取り組み

【第1段階】:1~3週間程度(週に3回実施)
  • ひかりの学園見学(案内はひかりの学園支援員)。のびろ学園支援員が対応
  • ひかりの学園見学。ひかりの学園支援員対応(のびろ学園支援員は離れて見ている)
  • のびろ学園支援員の対応で、ひかりの学園で昼食

第1段階では、移行に対する本人の意識の向上を第一に考えた。ひかりの学園の見学や食事体験など、概ね落ち着いて行なうことができた。新しい場所に関して期待感を感じている様子も表情に見られた。
第1段階のモニタリングを実施した。移行支援の開始直後は、新しい場面の体験でもあり、初回は抵抗感がうかがえ、移動に際して時間を要したが、本人が成人施設への移行に対する動機付けが芽生え、期待感を持ち、回を重ねるごとにひかりの学園への移動が抵抗なくできていることから、第2段階へ進むことを確認する。

【第2段階】:1~3週間程度(週に3回実施)
  • 心電図検査にひかりの学園支援員が付き添う
  • ひかりの学園支援員の対応でのびろ学園食堂で昼食を食べる
  • ひかりの学園支援員の対応で昼食をひかりの学園食堂で食べる(のびろ学園支援員は離れて見ている)

見学や食事の誘いかけに比較的スムーズで、ひかりの学園に移動することもでき、本人からひかりの学園に移行する意思も感じられた。
第2段階は、①見学の誘いに抵抗なく応じ、移動ができること。②ひかりの学園利用者の中で食事を摂る経験を重ねる。③医療処置にひかりの学園支援員も付き添い、対応ができることを目標に設定した。
第2段階のモニタリングでは、本人との会話の中で「ひかりのは?」とか、「○○は?(ひかりの支援員の名前)」が時折出てくるようになり、本人の内面に移行への動機付けが定着し、さらなる期待感が定着しつつあるようになってきた。また、ひかりの学園支援員の誘いで移動し、見学、食事が摂れることも評価し、第3段階へ進むことを確認した。

【第3段階】
  • ひかりの学園支援員の対応で昼食・夕食をひかりの学園食堂で食べる(のびろ学園支援員は離れて見ている)
  • ひかりの学園職員のみの対応で、昼食をひかりの学園食堂で食べる

第3段階では、ひかりの学園の見学を行なった後に気分の落ち込みが目立ち、「暗いね~」というマイナス的な言葉や自傷に発展する様子もみられた。支援員の側に自ら寄って来て自傷を見せることもあり、本人の不安な気持ちを支援員に支えてほしいという思いが感じられた。「のびろ学園を卒業して、大人になってひかりの学園に入学する」という期待感が感じられたが、慣れ親しんだのびろ学園支援員が一緒にひかりの学園に行けるか否かということや、経験したことのないひかりの学園の生活に現実感と見通しが持てず、不安を抱えているように思われた。
第3段階のモニタリングでは、全体として本人の期待と不安の葛藤に共感しながら移行支援を進めることが重要となった。移行支援の中で、ひかりの学園支援員を知るにつれて、ある程度見通しを持つことができたと評価し、成人施設への完全移行を行なうことを確認した。

【第4段階】:完全移行(ひかりの学園入園)後の状況

新しい環境に慣れ、安定した生活の維持と支援者との交流を深めて、不快な気持ちの沈静化を第一に考えた。入園直後は、面識のある支援員がさまざまな場面(食事、活動、入浴)での対応方法を慣れない支援員に見せ、本人の負担とならない範囲内で、無理なく新しい支援員との関係の構築をめざした。のびろ学園と大きく変わる点は、ほとんどの活動を集団で行なうところなので、本人が子どもを卒業して大人になったことを意識できるよう、本人に対して「大人になったね」などと繰り返し伝えた。そのこともあり、本人も「のびろは子ども、○○ちゃんは大人、ひかり」などと言葉にしている。他害行動はほとんど見られないが、物の破壊や自傷は、不快感を示す場合に現在も変わらず多くみられる。しかし、TVを叩く・TVのブラウン管を蹴ったり、壁を蹴るなどして、支援員から「のびろに帰る?」などと叱られると、「のびろやなの」と子どもに戻りたくないなどの発言もあり、そのことで我に帰り、興奮が沈静化することも多い。

6.移行後の状態

(1) 基本的生活習慣

個別対応ではなく、集団生活を基本として定時の食事と入浴を行ない、生活のリズムの構築を行なった。入浴、食事の開始前に呼びかけを行なうことで、本人が余裕を持って準備できる時間を作った。本人の状態に応じて、居室ではなく共有空間で過ごすよう働きかけた。例えば、本人の好むTVや本などをそこで観るようにしたことで、他の利用者の行動を見て状況を把握しやすくした。また、本人が好んで見ている番組の終了と同時に誘いかけを行ない、次の行動に移りやすい状況を設定した。年度当初は定時に食事、入浴を行なえることが多かったが、1ヶ月を過ぎた頃から不穏な状態が多くみられるようになり、時間通りに行動することが難しくなってきた。早朝は不穏な状態が続き、食事を部屋に運んで食べることもあった。

(2) 日中活動

本人が新しい作業環境に慣れ、落ち着いて行なえるように作業環境を整えた。本人の負担に配慮しながら作業活動へ誘導し、メリハリのある生活が行なえるよう支援した。作業活動は機械部品の解体作業で、ドライバーを用いて、10~20個の小さな部品をアルミ・鉄・プラスチックなどに分別する。作業棟に行くために気持ちを整えるまで30分以上の時間を要したり、作業棟内で不安定になることが多くみられ、本人の状態によっては作業に取り組めないこともあった。本人が作業に気持ちを向けたり、作業へ注意を持続されていくには個別的なかかわりが重要であるが、同じスペースで作業している他の利用者への対応もあり、本人の要望にすべて応えられない現状もある。

(3) 対人関係(行動障害)

自傷、他害、破壊行為を未然に防ぎ、本人が安定して生活できるようになることをめざした。興味のある話題を通して積極的に交流を持ち、支援員と信頼関係を築いていこうとしたが、気分がすぐれなかったり、気持ちが落ち込んでいる時は、自傷や他害などの行動障害に発展しやすい。本人が不快に感じること(物音や咳など)をなるべく少なくしても自傷に至ってしまった際には、本人が興味のあることなどを話しかけたり、お茶などを提供して気分転換を図るなど、気持ちが落ち着くよう支援した。それでも状態の改善がみられず、自傷が治まらない場合には、効果的な頓服薬を用いて状態の安定に努めた。不安定時の自傷は因果関係が把握しにくく、周囲の騒々しさとは関係なく激しく額を叩き、鎮静するまで時間を要することもあれば、単発的に額を叩いてすぐに落ち着いたりと、状態はその時によりさまざまであった。不安定期は、梅雨時期の天候などの影響もあったと思われる。周期的な状態の落ち込みは認められるものの、かかわりを多く持つことで支援員に対する抵抗感が少なくなり、良い関係が築けるようになってきた。

(4) 家庭支援

週末帰宅と長期帰宅(夏季、冬季)を実施している。面談、連絡票の交換などを通じて、家庭状況や親子関係の把握に努め、要請があれば週末の学園利用も勧めた。

基本的に、本人と両親との関係は比較的良好と思われるが、時折、父親との間に気持ちのすれ違いがあるのではないかと感じる。学園にいる時から、帰宅時の父親の所在を気にする言動が時々確認される。本人は父に怒ってもらおうと(いつもの反応をしてほしくて)、執拗にTVを蹴り続けることもある。気持ちが抑えられない状況で、どうにかしてほしい気持ちから叱られるのを待つ様子は在園中にもみられる。そのことは、父との関係で叱られると治まっていく経験を積んできたからだろうと推測する。叱られるまで治まらない本人の気持ちは、根の深いところにあるように感じられ、簡単には行動の改善に至らないと思われる。しかし、安定している時は、父と2人で出かけて好きな物を買い、機嫌良く過ごせたとの報告も多く、そのことを積み重ねていくことが、今後も重要と考えられる。

7.得られた知見・課題

現在は、周囲の騒がしい状況でも機嫌良く過ごせるようになってきた。本人の状態にもよるが、以前の児童施設(のびろ学園)から現在の成人施設(ひかりの学園)へ移行し、大人らしく生活しようという気持ちが支えとなり、不快な刺激よりも大人になるという気持ちが勝り、持ちこたえられることが増えたと思われる。

ひかりの学園での生活は概ね日課に沿って行なっているが、支援員によっては「やらないの」などと甘えて、活動に向きにくい(ぐずる)様子を表現することもある。支援の仕方によって、本人の生活リズムが崩れることは容易に考えられるため、支援員間の連携と支援の方向性の統一に努める必要がある。また、学園での生活の安定は、家庭生活や親子関係の改善に寄与すると考えられるので、今後も学園と家庭との情報交換を密接に行なっていきたい。

移行支援は、移行元と移行先、保護者と情報の共有と協力関係が不可欠と改めて感じた。今回の移行支援では、多くの支援員間で打ち合わせを行ない、情報の共有と本人の状態の把握に努めた。そのことによって、ひかりの学園への移行後の見通しが立ち、本人の移行への不安や生活環境の変化に対するストレスを軽減できたと考えている。

外部評価委員からのコメント

【奥野 宏二 会長】

  • 日常生活能力の中に介助を必要としない項目が割に多いのに比べて、整容が落ちている。スキル面は以外と自立しているが、本人自身の身体に関係する部分は扱いが落ちる感じとか、時間に合わせて移動するのが難しいのは、自分自身の身体を周囲のいろいろな状況とか、外部の刺激に合わせて動かすのが難しい事例と考えられる。
  • 児童施設の生活や援助の仕方に絡んで、かなり長期にわたってのびろ学園のやり方で個別に対応したという表現をしているが、ある意味では、周囲が本人の状況に合わせる対応のことを個別対応という言い方になっている。本人の動きや要求を受け入れて、それに合わせることは、理屈で考えれば、逆に行動障害を促進してしまうのではないだろうか。のびろ学園の個別対応の内容は、ある期間、ある段階でそういう対応が必要なのだろうが、それを継続していくのがのびろ学園のスタイルなのであれば、やはり10~20年もそういう形では、未分化な状態を強めてしまい、逆に人格の形成を遅らせてしまうのでないか。
  • 成人施設に移行する際、個別対応ではなく集団活動という言い方をしているが、選択と自己決定という構えで対応している感じがする。自分で決めて選んで行動していくというのは、本人に難しいことを要求しているのではないか。
  • 対人関係で信頼関係というのは、本人の思うように趣味とか興味などを受け入れて対応してあげることが信頼関係ではない。父親との関係は、叱られることで治まっている経験を積んできたとあるが、逆にこういう行動を認めてほしい。始めに言ったが、自分の能力ではできない状況でやりたくないことをやってしまう。こういう自分を父親に助けてほしい。こういうことは他の人たちにもある。すぐ手が出てしまう。誰かを叩いてしまう。だから、縛ってほしいという感じが起きる。これは、今まで縛られた経験から来るというとらえ方もできるが、逆にそうしないと、自分は自分にとって大事な人を傷付けてしまう。それを何とか止めたいのであるが、止められないので助けてほしいというサインとして出していると考えられる。この部分が、自分の身体を自分でコントロールできない辛さを出している。
    →受容というイメージが強く感じられて、誤解がある。職員の中では身体の付き合いというか、張り合いというのをやっている。行動障害を示す利用者であると、そのやりとりを通して関係性ができるが、このケースの場合にはこういう対応をすると身体の張り合いが難しく、関係性が付きにくい。
  • 父親とのやりとりの中で、父親が怖いとか、気持ちを支えてくれるから、自分の行動を止めてくれるからという関係の作り方とは違うようである。父親は、別な意味での絶対的な存在ととらえている。
  • 施設処遇において、他害や破壊行為が出た時に職員と張り合うという関係はあるが、毎日状態が変わってくるのでその場だけの対応に終わってしまう場合が多い。かかわって良い関係を作れる職員が1~2人できれば良いくらいの大変な事例である。交流の部分がかなり難しい利用者とみられる。
  • 生活面において、ある程度自立している部分は多いが、片倉信夫先生の言葉を引用すると「頭と身体がくっついていない」と言える。まさしく自分の思っている身体表現と情緒の部分が相反している。かかわりながらコントロールしていくのは、一番難しいところである。
  • ひかりの学園(成人施設)に移ってから、本人の中で「大人になった」というモチベーションが高まったのは確かである。児童施設では、入浴は集団で入ると他害が起きるため、危険回避をする意味でも徐々に個別対応になっていった。現在は成人施設に移り、「大人になったのだから」と伝えて、集団でお風呂に入っているが、入っている瞬間にガラリと状態が変わり、激しい自傷が出たりする。かかわりの中で状態を保つのが難しく、本人も苦しい状態が続いてしまうところもある。

【古屋 健 委員】

  • 施設の特徴と関係があるかもしれないが、移行支援を施設同士、あるいは家族も移ることを希望していたとか、本人も、もしかしたら大人の方へ行きたいと感じられ、すべての関係者が望んでいた移行は、施設間が近いということで実現できたと感じる。
  • 実際に第3段階までやるのが普通なのか、あるいはこのケースに限って特別配慮したのか不明であるが、それぞれこの段階までなら1回省略できるとか、この段階でここまでならもう1回追加するとか、その目安を明記してもらうと参考になる。第1段階については、本人の意識の向上を目安としたと思う。第2~3段階の目安はどの辺にあるのか、あまり明確でないので、そこも補ったプログラムを明記してほしい。施設から地域に移行する場合には、ストレスが大きいだろうという問題があるので、きちんと細かいステップでやるのが重要と感じた。
  • 移行直後の状態と、それに基づいたプログラムがうまくいっているか否か、基本的には移行後数ヶ月くらいの時点でチェックされると思う。移行プログラムを作って導入したが、例えば、基本的生活習慣が最初の1ヶ月は良かったけれども、その後に少し崩れてきた時、どのように最初のプログラムを見直したのか、あるいは調整してきたかについて考察すると参考になる。
  • 家庭支援について、生活環境は施設から施設へ変わったのであるが、家庭での変化にも注意を向け、記録に残しておくと良いと思う。
    →のびろ学園からひかりの学園へ移行したことで、子どもから大人になったという意識は、その当時、現在のひかりの学園に移行してきた姿をみると、主観であるが、段違いに成長したと考えている。元来集団行動に参加しにくかった彼が大人になったという意識について、周囲からの働きかけや本人の思いがそこまで結びつかないのではないかと正直思っていたが、移ることの喜びや気持ちがすごく強く、また嬉しかった様子がみられた。
    →移行に伴って状態像の変化があったということで、このケースを報告した。のびろとひかりの学園は別の施設であるが、職員も共通して取り組んでいる部分もあるので、支援計画も両方の学園で集まって一緒に考えた。ある意味では理想的な形であるが、逆に言うと、身内だからできたと思っている。古屋先生のコメントのように、こういう機会に整理しておいた方が良いと感じた。今まで強度行動障害を示す人たちに事業として移行支援を行なってきており、これに類する取り組みも何度かやってきたが、そのたびに相手の移行先の事情や対応が違っていて、段階を踏んで整理をしていなかったが、その辺を理論化したら良いと思った。

【河島 淳子 委員】

  • この家族は両親と本人の3人家族で、母親は非常に本人をかわいがり、生活習慣も付けてきたと思う。ただし、清潔の面では行き届かない。学校教育の中ではその辺が全然見えてこないが、施設に入ってみると洗えていないことがみられる。特に身辺自立で最近思うのは、入浴がひとりでうまくできていない。家庭で非常に協力的に取り組んでいても、お尻を拭くことがほとんどできていない。大人なのに、最後は職員がやっている。その人たちの生活をみると、割合内気な人ではないかと思う。
  • 無断外出などで母親を試しているのも、母親が好きであってもそういう付き合い方しかできないのかなと思う。問題行動を起こして何かを親に訴えかけたり、自分の抜け道としてそういうことをするが、本当の要求は「○○がほしかった」なのである。要求しているものは、行動そのものよりも非常にささやかなものが多いと感じている。
  • コミユニケーションをどのようにもっていくかが非常に大事となる。中学2年くらいで暴れるとかいろいろなことがあるが、これはSOSを発していた時ではないかと思う。子どもたちにしっかりと方向付けをしてあげないと、人の指示に従って動く対人関係の部分も非常に曖昧で、言いたいことを言えないと問題行動で行動するので、そのたびに叱られて暴走する。どちらにしても、子どもを把握することが大事になっている。この文章の中からは、子ども自体がどういうことを考えたり、思って生きているのかという点が見えてこない。
  • 日中活動で機械部品の解体をやっているが、その作業で充実感や喜びが生まれてくるのか、それが人に喜ばれているという思いを感じられるのか?
    →作業への充実感について、集団生活が困難だったので、現在、居住棟から来て作業をしているが、集団の中で本人だけ特別に人が配置されているということはなく、同じ空間内に他の利用者もいる状況の中でやれるようになってきたのはかなり進歩したと思っている。のびろでも作業でかかわったことはあるが、作業棟という場所に移ることができなかったことがみられた。作業では、「これができるね」というモチベーション的な面では、月に1回外食を職員と行くことを楽しみにしているのが唯一のものと思う。本人はよく食べ物を知っていて、毎回違う物を職員に要求してきて、職員が「これはどう、ここは?」という形で、目標とか、「仕事を頑張ったらまた行けるね」と本人の充実感につながっていると思う。充実感やモチベーションについては、今後も考えていきたいと思う。

質疑応答、報告内容の確認について

(1) 事例の特徴について

  • 行方不明(飛び出し)がみられるが、目的や行き先が明確でない外出なのか、それともコンビニなどへ目的的に出て行くのか?
    →行方不明は数回パトカーで迎えに来てくれたと、本人や母親から聞いている。どこに行くという目的なしに歩いて行ってしまうことがある。
  • 歩道を歩いて行くか?
    →歩道を歩いている。ただ交通標識を守って歩いてはいないと思う。
  • 児童施設に32歳までいたが、どんな事情によるものなのか、32歳までどういう生活をしていたのか?
    →これは強度障害特別処遇のケースでないが、対応困難な状態が続いていたので今回発表した。32歳までいた事情は、ずっとひかりの学園、または嬉泉の支援を両親が強く望んでいた。最初は、自分たちで施設を作る活動をしていたが、それがなかなか思うように進まず、最終的にひかりの学園の増員という形で決着したのが平成18年度で32歳になった。結果的には、成人施設の入所待ちでそこまで引っ張ったということになる。
  • 園では、夜間眠っている時も薬を処方していたのか?
    →(前記の服薬資料を参照)状態が安定していれば21時台から就寝し、だいたい6時半くらいに起きている。21時台で寝ていなければ、不眠時頓服の形で服用している。三食後の定時薬と、状態の落ちた時、以前は1包になっていた頓服を6包に分けて服用している。1包を6包に増やしたのではなく、処方していた薬を1包で飲んでしまうと朦朧とした時間が長くなるため、家族が主治医に相談して1包の内容を6包に分けた形にしている。本人は、薬を飲んだことで自分を「治そう」「治る」という意識があり、強い薬を飲むのではなく、軽いものを服用して本人の状態に合わせて飲んでいる。薬の効果とプラス本人の気持ちの部分で対応している。
  • 躁鬱という状態とあるが、これについては診断されているのか。
    →診断はされていない。こちらの見立てであり状態の表現として記述してしまった。
  • 頓服が強くて、朦朧としていたことはあるか?
    →朦朧としている時は、部屋のベットから起きられない。朦朧としながら歩いて転倒する感じではない。実際に本人が不安定になって、朦朧としていても意識はしっかりしている。
  • 遺尿行為という言葉が出ているが、失禁という形なのか、意図的に放尿する感じなのか?
    →本人は気持ちが高揚すると、それがマイナスの方へ向いてしまい、自分の大事にしているミニカーや絵本に放尿して、その後職員に掃除をしてもらう。他は、自分に時間的な余裕がないので心配というピーアールである。そういう意味で、遺尿よりも放尿が正しい。
  • 定期的に帰宅しているが、自傷や睡眠の乱れはどうか?
    →家庭でも学園と同様に薬を使用しており、ほぼ学園と同じ対応をしている。
  • 躁うつ状態を繰り返しているのと、対人関係の面で定期的に状態が落ち込むというのは同じことをさしているのか?
    →年間を通して、4月は新年度、夏は夏休み、秋を過ぎて年末、そして3学期の落ち込みがある。
  • 年内周期と躁うつ状態を繰り返すというのは、周期性が認められるのではなくてムラがあるということか?
    →落ち込みの状態が続くことが多いのは、周期的に落ち込む時期と重なっている。
  • 梅雨時が良くないということか?
    →ちょうど今は、2008年が終わって来年は2009年で、2008は古いから今年はおしまい。「古い部分はマイナスで、新しい年が来ると明るくなる」と言って、今はそれに向かって生活している。
  • 平衡感覚が気になるが、歩き方が独特で、目もしっかり見えているのか、あるいは視覚的な物が結構気になるのか、運動能力はどうか?
    →現在も歩き方は独特である。それは見たくない物を見ないように歩いているとか、身体を曲げて斜めに歩くことがある。本人の状態が低下しており、明らかにこれからTVを叩く・蹴とばしに行く時に注意されたり、止められるとそれをかいくぐって斜めに行く。通常の走り方はきれいではないが、普通にスキップしている状態である。平衡感覚がないという感じはあまりみられない。

(2) クラスターの類型について

  • この事例を整理していくうちに、いろいろな話を聞くとまだ揺れたりするが、このケースはコミュニケーションが困難で、対応困難なタイプに含められている。実際のところ、クラスターについてはどのタイプにふさわしいのか?

    →成人施設に移行して、集団生活の中で支援員との交流を重ねているが、交流が般化せず、一定の状態で安定が保てないケースである。しかし、平成18年に成人施設に移ってから2年が経過し、児童施設で暮らしていた16~32歳までの状態と、大人の施設に移ってから、「随分健康的な生活」が送れるようになってきたと思う。その兆しは、やはり大人の施設に移ったことで本人の健康性がかなり高まったからではないかと思う。交流をする中で、第一に「あなたのことは大事に思っているよ」と伝えながら、でも「ここは、こうしようね」という姿勢でかかわり、交流の中でその部分が落ちてしまうと本人のやりたいままの暮らしになってしまう。集団の中で動くことが多くなり、「行こうよ」「頑張って行こうよ」「作業に行こうよ」などの働きかけで、毎回午前、午後の移動も1時間かかっていたのが徐々に短くなり、今は早ければサッと移動することができ、この2年間で激変したと評価している。職員間の打ち合わせで、まったく無刺激な部屋で取り組もうという案も出たが、「もう大人になっていく頑張りの時なので、この状況の中で気持ちを支えていこう」と、彼への見立てが「大人としてどういうふうに見ていくか」「気持ちをどう盛り上げていくか」「苦手な物を避けていては駄目」と変わってきている。ようやく交流を受け入れるベースができてきたと考えている。コミュニケーションが困難で、対応困難が続いていたケースが、支援員との交流を重ねる中でどのような変化をもたらしていくのか、今後も見届けていきたいと思っている。

(3) 個別対応について

  • 個別で、自分を中心に、自分だけを見ている生活ではなく、大人というのは集団であったり、周囲の人と一緒にいろいろなかかわりのあった方が良いというメッセージに聞こえている。

    →それは少なからずあると思う。ただし、のびろ学園も本人に合わせるような対応ばかりではなく、ひかりの学園もそれほど「選択と自己決定」で投げ出すという程ではない。しかし、のびろ学園とひかりの学園のギャップはあると思う。同じ敷地の兄弟施設でありながら、綿密に移行計画を立てなければ移せなかったということは、逆にそれだけ生活の状況が違っていた。その点で、他の施設から見直しの必要性を教わったと思う。

(4) 利用者の評価について

  • 普段の問題行動とは別に、日常生活で本人をしっかり評価していくなど、もっと本人の日常的なことに目を向けて、褒めてあげるとか、「自分でもできる」「ひとりでもやれる」という自信をもう少し付けてあげられると良いと思う。
  • きちんとどこかで評価をしていかないと、10年もの間、この人にこうした支援の仕方でどういう意味があったのか、誰も考えなくなってしまう。32歳までは長かったと思う。やはり、そういう視点をどこかで整理する必要があった。絶えず、そういう不安になるのではないか?
    →過齢児のクラスでは、確かにそんな歪みがある。それでもだいぶ解消されてきており、過齢児も減って1クラスで、それ以外の利用者は循環する形になってきている。

事例検討のまとめ
-自閉症や強度行動障害を示す人たちへの有効な支援/予防的支援-

A.自閉症、強度行動障害全般について

強度行動障害に至る利用者の生活歴を振り返ると、一次的な障害が中核(本人自身の基本的な障害特性)にあるものの、本人を取り巻く生活(家庭環境、地域性、医療・教育・福祉サービスなど)の中から生じてくる二次的障害からの要因が重なり、本人の状態像がさらにこじれているケースがほとんどである。処遇にあたっては、以下のような配慮のもとに支援が必要と考える。

(1) 支援の初期は行動障害を誘発する要因の解明と刺激に対する制限を行なう

表出する行動障害には個人差があり、画一的な対応では不可能である。しかし、自閉性障害の特徴を理解することで個人差の中に共通項を見出すことができる。初期の支援においては、一旦、行動障害によって崩れた生活そのものや人間関係網を制限し、行動障害の要因を解明しつつ、こじれた人間関係や生活の枠組みの再構築を行なう。

(2) こじれた人間関係を修復する -受容と交流-

彼らの行動障害の要因を分析すると、人との関係性において何らかの不信感や挫折感などが積み重なり、そのはけ口として強度な行動障害の現れていることが希ではない。これらを彼らの内的な感情の表出と理解するならば、こじれた人間関係を修復するためには、彼らの全人格を「受容」し(生きて行く上で何が大変だったか、何が辛い出来事であったか)、理解することを基本に、安定した生活を導き出すための信頼できる人との「交流」を通して、本人が安心して頼れる「人」(支援者)を増やし、人間関係の再構築を行なう必要がある。

(3) 生活の枠組みを再構築する

生活の基本となる食事・日中活動・睡眠が安定するように生活を立て直し、人に沿った生活を送れるための枠組みを再構築する。

B.クラスターⅡ型(コミュニケーションが困難で、対応困難)について

本ケースの障害の中核は、①精神的に安定しにくい状態像が対人関係の構築を阻害している、②幼児的な精神状態から脱却し、自我の成長と対人関係の交流から育てるという観点から支援を続けてきた。こうした要因がコミュニケーションを阻害し、対応が困難になっていった。まずコミュニケーションを図る以前に、本人の精神・行動上の安定を保つことができないことから人との交流が持てずに、さらなる生活上の困難を引き起こしていた。本ケースの場合は医療と連携して服薬調整を行ないつつ、成人施設へ移行し、生活のステージを切り替えていった。これを機会に「大人になろうよ」というテーマが本人の中に深く共鳴し、実は本人自身も「大人になりたい」と願っていたことが、コミュニケーションが図れる契機となり、それを境に状態像の変化をもたらしてきたところである。

C.今後の課題

  1. 専門機関との人材養成
  2. 移行支援における移行先との連携
  3. 詳細な事例検討の必要性

資料作成:坂入 一仁(袖ヶ浦ひかりの学園)
事例報告:柳 淳一(袖ヶ浦ひかりの学園)

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