クラスターII型(コミュニケーションが困難で、対応困難)の事例③

事例の概要 男性、50歳、身長169.0㎝、体重61.6㎏
服薬の状況 アレビアチン、ガスモチン、テグレトール、リスパダール、レボトミン、ビレチア、パントシン

1.生育歴、相談・治療・教育歴

(1) 生育歴

家族状況 父(2年前に死亡)、母(1年前に死亡)、姉(結婚後独立)、本人。姉は、両親の死亡前まで本人や両親との関係はほとんどなかったが、現在では後見人として必要に応じてかかわりを持っている。
出生時 胎生期に異常はなかったが、かなりの難産だった。出生時体重3,000g。
乳幼児期 2歳頃に初語があり、運動機能の発達も順調だったが、麻疹脳炎にかかり高熱が1週間続いた。その後、発語も消失した。4歳時にことばの教室に通ったが、本人が嫌がったため、すぐに通うのを止めてしまった。
学齢期 地元の特殊学級に通学するが、欠席が多く、出席しても「お客様」扱い。いじめられたこともあって母親が通学に消極的になっていき、小学校5年時に退学した。退学後、母親や祖母が自宅で面倒をみたり、遊び相手をしてきたが、落ち着きがなく困ることが多かった。その後、市内に転居。
成人期 19歳時に福祉事務所に相談し、施設利用を検討するため、更生相談所にて総合判定を実施したが、両親の「抱え込み」もあり、施設利用には至らなかった。
27歳から地元の地域作業所に通所を開始するが、あまり通わなくなり、30歳時に退所する。その後しばらくは、入所施設での短期宿泊訓練を利用する以外、在宅生活を続ける。
32歳の時、地元の別の作業所の通所を開始する。ボールペンの組立作業を行なうが、持続力はなく、常に指導員が本人の近くで促す必要があった。また、睡眠の乱れや家を出るまでの固執行動があり、欠席はほとんどなかったが、昼頃からの出勤となっていた。可能な時は作業所職員が迎えに行くこともあった。
38歳時、両親とも高齢で介護が困難となったため、福祉事務所・作業所職員の勧めもあり入所施設を希望。東やまたレジデンス入所となる。

(2) 相談・診断・治療歴

4歳 ことばの教室に通うが、すぐに止める
15歳 更生相談所にて療育手帳再判定A1(最重度知的障害)
19歳 福祉事務所での相談
20歳 更生相談所にて総合判定。(結果は後記)
23歳 全身けいれん発作を起こして、一般病院に通院。その後、精神科に転院。精神遅滞・てんかんの診断。その後、一時入院して服薬調整。睡眠障害のための服薬を始める(現在も服薬中で、発作はない)
38歳 東やまたレジデンス入所後、他の精神科に転院。自閉症の診断を受ける

2.障害の状態像:障害名(診断名)、発達検査等の客観的評価データ

(1) 更生相談所の総合判定結果(20歳の時実施)

(医学判定)

重度精神遅滞、言語障害
長期間の在宅のみの生活のため、両親の過保護も加わり、知的にも生活・行動面でも発達が抑止された状態。疎通性はみられる。幼児期より多動であったが、17歳時より減弱している。

(心理判定)

鈴木ビネー・大脇式知能検査ともに測定不能。
指示が理解できず、面接場面では声出しやメロディを口ずさむのみ。言語の了解は簡単な動作の指示に従える程度。要求は母親の手を引っ張ることはする。言語はほとんどなく、名前を呼ぶと少し反応する。絵本に興味はなく、簡単な動作の模倣はするが、描画の模倣はできない。積木は幼児期に積んでいたが、現在は叩いて音を出すのみ。身体を動かすことを好むが、遊びの範囲は極めて乏しい。
言語・知能面では1~1.5歳程度。
周囲の物音に敏感で恐怖心が強く、新しい場面に適応しにくい。自発的な探索行動はみられない。行動範囲や経験の幅を広げていけば、あらゆる面で能力の伸びが期待でき、初めは困難でも徐々に集団生活に入っていけると思われる。

(総合判定)

重度の精神発達遅滞がみられ、言語による意志交換も困難であり、母子分離も十分にできていない。家庭内で手厚く養育されてきたこと、経験不足などから社会性や情緒の発達が抑えられている。そのため、今後は両親の養育態度や生活環境の改善を図ることが望まれ、時期をみて入所更生施設に入所し、社会性の向上を図ることが必要と考えられる。

(2) 障害の状態(入所時の福祉事務所資料より)

周囲が理解可能な発語はなく、欲しい物があったり行きたい所があると手を引っ張ることがある(自分で行ってしまうことが多い)。本人への伝え方は2語文か単語程度で、理解できる範囲で指示があると行動できることはあるが、ADL面での自立度は低く、部分介助や全面介助を要し、常に見守りや指示が必要となる。指示されれば布団の上げ下げはすることはある。文字の理解はできない。作業所では、ボールペンの組み立てや分解などの基本的な作業はできるが(半年ぐらいで覚えられた)、集中力・持久力はあまりないため、職員の声かけなどが必要となっている。1日1時間くらい作業をしている。部品の置き場が複雑でわかりにくいが、半年かかって覚え、その後はその位置や物の向きにこだわっている。散歩など、野外へ出る活動も行なっている。てんかん発作は、母親が薬を飲ませなかった時に起こすことはあるが、それ以外はない。

3.行動障害の状態

(1) 利用前の様子

  • 要求が通らないと興奮して母親などに噛みついたり、手をひねったりすることがある。また、手を強く噛んだり、壁に頭突きなどをすることがある。皮膚の掻き傷も多くみられる。
  • 水へのこだわりが強く、水遊びを止められない。特に家庭では水遊びに終始しており、朝から気が済むまで水遊びをして止められない。入浴時は水遊びをして水量が少なくなると水を足すことの繰り返しで、湯が冷たくなっても2~3時間続けている(その間、父はそのまま一緒に付き合う)。水道代に月額6万円以上かかっていた。路上の「たん」、ジッパー、窓の開閉などのこだわりが多い。
  • 偏食が激しく、米飯、骨付きの魚、硬めの肉、青野菜などは食べずに吐き戻してしまう。作業所での4年程の取り組みで、作業所では米飯なども食べるようになった。食わず嫌いの面もある。お菓子やジュースは大好きで、父と散歩に好んで出かけるというが、そのたびにジュースを2~3本飲む。家庭でのおやつの量も多く、食べる時間も気ままで、早朝に起き出しておやつを食べてまた寝るということもある。
  • 就寝時間は一定しておらず、昼夜逆転することもある。
  • 普段はあまり動き回ることはないが、気になる物があると止められない。また、周囲と協調して行動できず、集団での行動は難しい。そういう場面でパニックを起こすことがある。また、季節の変わり目などは精神的に不安定になりがちである。

(2) 利用前の判定基準点数の分布(旧法による強度行動障害の判定基準)

自傷5点、他傷3点、こだわり5点、もの壊し3点、睡眠障害5点、摂食障害5点、多動5点、パニック5点

合計 36点

4.行動障害の要因等に関する分析、とらえ方

  • 生活面全般での経験不足が行動障害を助長している。やること・できること・興味関心が持てることが少ないため、不適切な行動ばかりになっている。
  • 家庭では、食事、入浴(水遊び)、服薬などのほとんどが本人のペースとなっており、生活のリズムが作れていない。
  • 両親の過保護なかかわりにより、必要なスキルが獲得されていない。
  • 本人が理解しやすい行動の促しが行なわれていない。

5.行動障害改善のためのプログラム、支援経過

(1) 支援体制

  • 居住棟は小舎制ユニットで全個室。1ユニットあたり利用者7名に対して、常勤夜間勤務者職員1名と非常勤職員1名を配置している。日中活動は1グルーブあたり利用者12~15名に対して、常勤職員4名と1~2名の非常勤職員で対応している。
  • 強度行動障害を示す利用者も、それ以外の利用者と一緒に支援を行なっている。
  • 支援課長によるスーパーバイス、心理士や嘱託医からの助言、個別支援計画に基づく支援を行なっている。

(2) 支援経過

【1年目】

① 家族の希望と家族へのアプローチ

  • 施設入所への不安と家庭生活継続の困難さの迷い
    →親の会や障害者を持つ家族との交流はほとんどなく、自分の子どもは一番大変と思っているため、他人に預けることは慎重になっている。「本人が寂しがる。他人に迷惑をかける。いじめられても他人に訴えられない。」という思いが強く、施設入所には不安を強く感じている。しかし、両親ともに高齢になってきており、家庭での介護に限界は感じており、将来本人とまた生活することは不可能という思いがある。
  • 週末は帰宅を希望。施設で自分のことができるようになれれば良いと考えている。作業などは何かをさせたいというよりも、足手まといになるのではないかと心配している。
    →両親が安心できるよう、施設での生活の様子を伝えるよう心がけ、希望が強い毎週末の帰宅は当面続ける(毎週末の帰宅は、生活リズムの改善の妨げになる可能性がある反面、施設入所に対する両親の信頼も必要なため)。 また、帰宅時に家庭訪問を行ない、行動障害の要因を分析して改善に役立てる(行動障害の内容や実態が十分明らかになっていない)。

帰宅時の同行・家庭訪問で明らかになった点

  • 父は5分おきに飴を与えたり、決まった自販機でジュースを買ったりする。
  • 帰宅後パターンとして、庭に放尿、家に入り上半身裸、靴や日用品の位置直し、流しで水遊び、長時間の入浴、布団を引く要求(夏でも毛布と布団は2枚ずつ)、食事は嫌いな物は捨てる。
  • 服薬は本人が飲もうとする時だけ飲ませているため、服薬は不安定となっている。

② 安定した生活リズムで過ごせるようにする

本人のペースになっている家庭での生活から離れる機会として、食事・日中活動などでの経験を増やし、生活の流れを作って睡眠の安定を図る。

(摂食)

  • 規則正しい食生活の習慣を身に付け、おやつやジュースなどの間食をしない。
  • 食べられる経験を増やす。
    →今まで食べなかった物でも、スプーンに乗せて促すと食べる物も増えてきた(パンは食べなかったが、レーズン入りは食べる。家庭では米飯を食べなかったが、入所後しばらくするとおかわりを要求するようになった)。
  • 食べやすさの配慮を行ないながら、必要な栄養摂取ができるようにする。
    →いろいろな促しをしても拒否するような物は刻み、形状がわからないようにして口に入れてもらうと食べられる物が増えてきた(形・臭い・味で本人に慣れてもらう)。野菜の摂取不足が続いたために野菜ジュースなどを試したところ、意外に抵抗なく飲めた。
  • 入所当初は体重減がみられたが、しばらくして安定した。

(日中活動)

  • ボールペンの組み立て以外にも簡単な工程の作業は取り組めるので、作業時間は増やしていくことができる。また、こだわり始めると強引にやろうとする。
  • いろいろと試してみるが、新しい作業種目は覚えるのに時間がかかり、バリエーションはあまり増えない。
  • スケジュールや作業予定の理解、文字・写真の理解は難しいようなので、次に行なう物を見せながら日中活動の理解ができるよう取り組んだ。
  • 居室内でできる感覚遊び的な活動を行なっていった。

(睡眠)

  • 居室で布団に入る時間を決められたが、実際の入眠時間は遅く、朝も5時頃から起きて、居室から出てリビングにいることが多い。
  • 規則正しい服薬と医師との情報交換による服薬調整を行ない、改善を図ったが、週末帰宅時は以前と変わらない状況が続く。

【2年目】

① 家族の希望と家族へのアプローチ

  • 帰宅時のフォローは定期的に行なったが、施設での取り組みが本人にとって負担という両親の意識があり、帰宅時の生活改善につながらない(以前と同様の生活)。
  • 食生活の改善のために虫歯の治療が必要だったが、両親の不安が強かったため、歯科受診の説得・親と同行しての通院・検査を繰り返し、全身麻酔による歯科治療が行なえた。結果としては、両親も治療できたことを喜んでいた。
  • 地域移行への理解を進める。施設からグループホームへの移行について、両親に理解を得て具体的なイメージ作りをした。年度途中で次年度のグループホーム開設が決まり、施設での生活改善とより安定した環境へ移ることの理解を得た。両親の不安となっていた経済的不安については、CWに協力してもらった。また、重度障害者のグループホーム入居の不安については施設での生活改善の様子を見てもらい、既にあるグループホームの見学などを行なった。また、両親が希望する週末帰宅は続けることとした。

② 本人への取り組み

(摂食)

  • 1年目の取り組みの中で、本人の嗜好を把握してきた。絶対に受けつけない物・工夫によって食べられる物・好きな物を整理し、引き続いて食生活を拡げる取り組みを行なった。
  • 食生活を拡げるために虫歯治療を行ない、食べられる物が増えた。

(日中活動)

  • 作業種目は徐々に増やす取り組みとともに、仕事の手順が本人にわかるようなワークシステムの確立を進めた。
  • 生活場面でも、生活の流れがわかるような伝え方を工夫した。
  • 作業だけではなく余暇活動の拡がりが課題であったが、大きな前進はなかった。

(睡眠)

  • 生活のリズムはできてきたが、早朝からの起床は変わらず、居住ユニット内の人の動きなどの刺激の影響が認められた。自室で過ごす時間を増やせるよう、徐々に生活のパターンを変えていった。
  • 施設の嘱託医へ転院し、服薬調整をしやすくなった。

6.行動障害の転帰

(1) 利用終了時の様子

施設内での行動改善を進めてきた結果、生活上の見守り介助はかなり必要であるが、十分な介助体制があればグループホームへの移行が可能と判断した。また、周囲の動きなどの刺激がマイナス要因となっているため、グループホームの方がより安定した生活に適した環境であると考えて、施設職員とグループホーム職員で夜間・休日の過ごし方について検討を重ね、移行後の支援プログラム作りを行なった。

(2) ケアホーム入居時の判定基準点数の分布(旧法による強度行動障害の判定基準)

自傷3点、他傷0点、こだわり5点、もの壊し0点、睡眠障害5点、摂食障害3点、多動5点、パニック5点(パニックを起こすことはあるが、頻度は少なくなった)

合計 26点

7.アフターケア(3年目以降)

① グループホーム入居後の家族へのアプローチ

  • 新しい生活への不安が強かったため、安心してもらうためにも週末の帰宅は継続した。実際にグループホームでの生活が始まり、施設での生活と同様、もしくは施設より生活の拡がりがあることで安心してもらえた。
  • この年から父親の体調が悪くなり、毎週末の帰宅ができなくなった。夏期休暇も帰宅できなかったが、グループホームでの休日活動や旅行などができたことで、両親にも納得してもらえるようになった。
  • 将来的な経済的心配は残っているようであったが、市の制度や、やむを得ない場合の生活保護制度について説明したこともあり、実際の経費に関する不満を言うこともなく、余暇活動の経費についても了解していただけた。

② グループホームでの生活の定着に向けた取り組み

  • 新しい環境になり、慣れるまでに時間がかかることが心配されたが、施設からの取り組みを継続すると、他の入居者も同様に1週間ほどで落ち着き始める。
  • 摂食の問題はあるため、引き続いて本人の嗜好や食べ方などの確認を行ない、改善を図った。献立のレパートリーも工夫しやすく、いろいろと試すことができた。また、義歯を入れたために食べられる物も増やせるようになった。
  • 睡眠の乱れについて、波があるものの施設よりは安定してきた。施設と比べて周囲の影響を受ける要素が少なくなったことや、職員の目が行き届きやすくなったため、早目の対応ができたことが考えられる。
  • 居室で過ごす活動(音や感覚遊び)を定着させることができ、居室で過ごせる時間も増えてきた。リビングに出てくることが少なくなり、必要以上の刺激が少なくなったため、行動面の問題は減少した。
  • 余暇活動の定着により、本人の楽しめる活動が増えてきた。毎週末帰宅している時は、施設・グループホームでの楽しめる活動は少なかったが、長期休暇などを利用した旅行に3回参加して楽しめた。また、旅行の際の食事もほぼ完食している。週末の活動として、ドライブが定着した。
  • 理容店の利用なども試み、継続して利用できるようになった。
  • 平日の日中は、引き続いて東やまたレジデンスを利用し、活動内容の拡がりに努めたが、大きな変化はみられなかった。通所は、車両送迎を実施している。

8.得られた知見、今後の課題

(1) 得られた知見

学齢期からさまざまな経験が不足しており、ADL面の自立度も低いままに行動障害が助長されてきた。青年期から成人期にこうした期間が長かったこともあり、大きな改善は見込めなかった。しかし、支援する側が「できなかったのではなく、経験できなかったことが多かった」という認識で取り組み、実際にさせてみるとできることは意外と多かった。援助の量や期間はかかったが、結果として、見込みと比べると改善できた点は多かったと思われる。しかし、基本的なスキルの獲得ができていないまま、30代後半になっての入所であったため、初期の2~3年の改善は進んだが、その後の生活を大きく改善するのは難しかった。

家族との関係では、両親がかたくなに抱え込んでいたため、入所施設での生活・グループホームへの移行についての理解が得られるよう慎重に行なった。すでに高齢で、家庭での同居・介護は望めないとは言え、家族の理解が得られることで支援も進められたと考えられる。両親の希望する週末帰宅や長期休暇帰宅については、行動改善へのマイナス面もあったが、家族の意向も取り入れて信頼を得ることの方が大切と判断した。また、信頼を得られた最大の要因は、帰宅時には以前と同じではあったかもしれないが、施設・グループホームでは生活が徐々に変化してきた成果と考える。

  • 現在の判定基準点数の分布(旧法による強度行動障害の判定基準:平成20年10月) 自傷3点、他傷0点、こだわり3点、もの壊し0点、睡眠障害3点、摂食障害3点、多動3点、パニック5点 合計 20点
  • 直近の障害程度 区分6

(2) 4年目以降の状況と今後の課題

グループホーム入居後、全体的に行動面は落ち着いてきており、生活の拡がりが出てきた。しかし、多くの場面で介助を要する状況は変わらない。また、以前から皮膚は弱かったが、掻き毟りによる傷が化膿し、その対策として不動手袋(ミトン)を使用していた際の転倒事故や肺炎発症による入院、拘束帯使用による長期臥床に伴う身体機能の低下、リハビリ治療のための入院があった。その他、疾病の治療に時間のかかることが多く、行動面・生活面の崩れがみられてきた。対応できる医療機関の確保とともに、介助量が増大した際は東やまたレジデンスのバックアップで支えてきた。今後、加齢に伴う問題が増えてくることが予想され、その対策が課題となっている。

また、両親も高齢のために相次いで亡くなられたが、それまで疎遠だった姉がかかわりを持ち始めたことは幸いであった。

外部評価委員からのコメント

【河島 淳子 委員】

  • この世代の両親の中には、積極的に行動しようとした方がいた一方で、非常に謙虚で、かわいいからと言い、他人に迷惑をかけるくらいなら家に居てほしいという方も多く、苦しまれていた。19歳時、福祉事務所に行った時の記録に「両親が抱え込み」という記載があるなど、母親も障害者扱いになっている気がする。当時の親たちは理解されない中に苦労してきており、初めからいろいろなことがわかりにくい状況から始まっていると思う。また、更生相談所の記載では、できている(できそうな)ことや家族の努力よりも、できないことばかり強調されている。できることに着目されていないのは、当時のとらえ方だったのかと思う。そうした弊害の中で、この家族は懸命に育ててきたと思う。
  • 2歳の時に遅い表出言語があり、4歳時にことばの教室に通っている。ことばの教室では、とにかく嫌なことは止めた方が良くて、好きなことをやってあげると心を開くと言われていたと思う。この事例の場合、ことばの教室でも本人が嫌がったということで、すぐ辞めてしまったが、それは母親の意思で辞めてしまったのではないか。
    →家族の養育態度について、ことばの教室にはほとんど通っておらず、誰かに言われたから辞めてしまったというよりも、両親の性格もあって辞めたのではないかと思う。
  • この頃から、他人に迷惑をかける行為がみられた。小学校に入る頃には、多動、こだわり、他傷、自傷があったと思われ、その状況での通学だったとすると、行ってもあまり何もすることがない、出席していても「お客さま」扱いになっていたと考えられる。「お客さま」扱いをされると連れて行くことが非常に苦痛になり、連れて行けなくなったと思う。親が熱心でなかったわけではなく、親を消極的にさせてしまったのである。5年の時に退学したが、出席しても「お客さま」扱いでいじめもあったため、母親が徐々に消極的になり、結果として欠席が多く、行けなくなったのではないか。
  • 小学校退学後、認知能力は非常に低く、障害も重いため、家庭で何かをさせても身に付くことは少なかったと思う。資料の行動障害の要因分析の欄で、「生活上の経験不足が行動障害を助長していった」とある。経験してもわからないし、指示には従えない。言っていることもわからないし、手も使えない。大きな障害があって経験が積めなかったのと、「無理にさせてはいけない」「遊びによって喜ぶことをしてあげなさい」という方針があったとすれば、こうした育ちになったのは当然ではないか。
  • 27歳の時、母親は作業所に通う努力をしているが、障害も重く、作業所が対応に困って手もかかるため、迷惑をかけてはいけないと思って退所され、在宅を続けたと思う。しかし、32歳時に利用を開始した作業所の方では、非常に積極的に作業を教えるなどの取り組みが行なわれ、母親は高齢にもかかわらず通所に努力していた。その後、東やまたレジデンスができて入所できたことは、タイミングも良かったと思う。
  • 能力はあるが、非常に激しい他傷行為の多い事例と比べると、他傷行為が少ないということで、私たちが本人に向き合うことができると思う。
  • 東やまたレジデンスの取り組みについて、淡々としながら感情に入らないで、導くべき方向に進められている。それゆえに、家に帰ると悪くなるので、むしろ家に帰さない方が良いというように、母親に対してはむしろマイナスの見方をしているように感じる。施設である程度良い状態に変えることができても、家に帰ったら元の木阿弥となってしまうのがほとんどなので、ある程度良くなったからには、それよりもっといい状態、あるいは持続できるような環境を考えないと難しいと思う。大人になってからの母親を変えることは難しい。母親は大人になった子どもを変えられないと思ってしまう。そのことを考えた時、施設の役割がここに描かれていると思う。ただ、手を添えながらでも簡単な好きな料理をさせてみたりしたいが、職員の体制上、なかなか難しいことだろうと思う。
  • 4年目以降のことについて、41~50歳の経過がまとめて書かれているため、何か急速に悪くなってきた印象を持つが、施設の取り組みが良かったので、ご両親が亡くなられた後も姉が関心やかかわりを持ってくれたと思う。
    →4年目以降については、ケアホームに入居しながら東やまたレジデンスに通所している。資料には、疾病や事故などのトピックスをまとめて載せただけで、それ以外の時はケアホームでの生活も安定している。
  • 無理やりに何かしてはいけないと今でも言われていますが、無理やりにでもさせてあげないと、できるようにならないし、発達していかないし、世界を広げられないと思います。

【奥野 宏二 会長】

  • 幼時期に麻疹脳炎を起こして高熱が続き、幼児語もなくなったとあるが、この時に親に失敗感を持たせたのではないかと思う。子どもを病気にさせてしまい、その影響でこんなに大変になったという思いが、その後の養育態度に影響を及ぼしたのではないかと思う。同様に、登校拒否の子どもや親たちにもこういうタイプがある。自分の不注意から発作を起こさせてしまったとか、大怪我をさせてしまったとか、それ以降から養育態度が一歩引いた形になってしまう。そんな感じを受けた。家庭での生活の仕方をみると、親としてはつらかったと思う。おそらく近年の考え方からすると、ある意味では一種の虐待(ネグレクト)と言えるかもしれない。
  • 行動障害の点数は意外に高く、入所前36点、退所時26点、現在20点となっているが、この文面からすると、それほどの強度行動障害があるとは読み取れない。もっときちんと表現した方が良いと思う。
    →他傷行為やもの壊しについて、帰宅時には残っていたものの、初期の段階で減少している。パニックの頻度は減ってきているものの、そうした状況になると対応は非常に苦労している。睡眠・摂食・多動については、入所当初と比べれば改善されているが、かなりの配慮と人的な対応が必要となっている。
  • この施設利用の仕方は、強度行動障害の事業対象というよりも、いわゆる一般入所の利用の仕方と思われる。そういう意味で、もっと早期に地域での療育機関がかかわっていれば良かったのではないかと思う。強度行動障害事業の使い方として、有期限・有目的としなければ、基本的には終身利用になる。私たちは入所時に家族に対して、期限があることや目的をはっきり示している。スタートが明確でないと、本人にも共同作業に乗ってもらえないからである。強度行動障害を示す人たちは、施設の中で改善されればされるほど、本人には施設の方が幸せだと親は思ってしまう。地域に帰すためには、これまでの関係に介入していかざるを得ないため、大変な人ほど期限と目的を明確にしてあげることが大切と考えられる。公立施設などでも重度や行動障害の人を受け入れようとしていますが、出していく方向がないため、施設に滞留している。そう意味で、きちんとした仕掛け、元に戻していくための働きかけ、介入の仕方を考えていかないといけない事業と思われる。
    →私たちの施設では、開所当初よりこの事業を実施していたが、行政から入所前にいた施設や家庭に戻すということは特に強調されていなかった。それは、この事業の対象者に限らず、可能であれば地域移行に取り組むという前提であったためかもしれない。また、家庭に戻せない方については行政や私たちも、グループホーム・ケアホームなど、別の資源を利用した地域移行をめざすという認識を持っていた。

【古屋 健 委員】

  • 現在は特別支援学校が義務化されているので、こういうケースは若い世代ではいないはずである。これからも特別支援学校の教員の養成については、努力をしていきたいと思う。
    入所されてから、いろいろと計画的に支援をしており、その成果が着々と出てきて改善がみられたケースではないかと思う。ただし、食事や睡眠は毎日のことなので、指導がしやすい結果の見えやすい記述に偏っている。基本的な目標を置くか否かで違ってくるが、作業については具体的にどのように取り組んだのか、プログラムの内容や意図などの記述が少ないような気がする。やはり、生活面で改善して退所された後、こうしたことも大きな目標になってくるので、次の段階では重要になると思う。現在、年齢的にみると、作業の量を増やしていくのか、むしろ介護的な面を優先していくのか悩んでいると思う。
    →作業活動について、当初の2年間は本人の能力を知ることや、どんなことがより集中して取り組めるのか、教えながら評価していくことに主眼を置いて進めてきた。結果として、本人にわかりやすいワークシステムをある程度確立してきた。作業の目的としては、仕事の効率を上げて収入を増やしていくことよりも、平日の日中に取り組める活動を作ることに置いている。
  • このケースの場合、特殊な事情もあるが、施設としてどういう意図で重大な意思決定をしたのか、次の点について明らかにしてほしいと思う。ひとつは、施設内での生活の改善状況と、帰宅時に元に戻ってしまうという状況の中で、帰宅をさせないという選択もあったと思う。両親の心配を解消することと改善状況を維持することの両方を満たせる方法はなかったのか。それから、ケアホーム入居についても、どういう根拠や優先順位で判断したのか。
    →帰宅については、施設利用を継続しなくなることを恐れて、家族の希望の通りに帰宅させていた。家族の心配を無視してしまうと家庭での引き取りとなりかねず、せっかく改善の方向に向かっていることが無になると考えた。結局、両親の体調などの理由で、徐々に帰宅回数は減ってきたが、そのことについては両親も納得されていた。また、帰宅時の問題を施設に戻って来てから長く引きずらないことも、帰宅させて良いという判断をした理由となっている。
    ケアホームへの入居については、障害がこれだけ重く、支援量も多いので、意見は賛否分かれていた。結局、落ち着いた環境で、支援の手が届きやすい職員配置ができるのなら、本人の行動改善はより進むであろうと判断した。

質疑応答、報告内容の確認について

(1) 障害像について

  • 施設内での自傷や他害行為が減ってきたということであるが、水遊びや行動を制止されてパニックを起こした時の様子はどのようなものか?
    →入所前の他害行為というのは、何かを要求する相手、特に母親に対するものであった。施設内では、強く要求すれば何でも応じてくれる職員はいないので、母親に対して行なっていたような他害行為は自然とみられなくなった。ただ、要求が通らない時などに、壁に頭突きをする自傷行為はみられた。また当然、帰宅時は入所前のような状態であった。

(2) 支援の方針について

  • この事例の場合、理解・認知の不足や人との軋轢で自傷や他害行為になることよりも、未発達で見通しが持てないために起こしてしまうと思われる。ただ、療育的な観点と介護的な観点を考えた場合、どちらを重視して取り組んできたのか?
    →介護しなければならない部分が非常に多かったので、実際にはそのような支援が中心になっていた。しかし、この事例の生活支援を考える時、手がかりになることが非常に少なかったため、いろいろなことを経験してもらう、覚えてもらうことを必要と考えて、入所施設での取り組みを行なってきた。ただし、それほど多くのことができる方ではないので、ケアホーム入居後は介護的な支援が中心となっている。

(3) 支援体制について

  • 入所施設利用時とケアホーム入居後では、職員の配置や体制の違いはどうなっているのか?
    →入所施設の場合は小舎ユニットで、夜間1ユニット7名の利用者に対して常勤職員または非常勤職員1名が配置されている(施設全体では、40名の利用者に対して常勤職員3名と非常勤職員3~4名)。また、入浴や食事の時間帯には、早番・遅番の常勤職員が全体で3名配置されている。
    ケアホームは、5名の利用者に対して常勤職員1名と非常勤職員1名が配置されている。以前は週当たり4泊程度の勤務であったが、現在は3泊と日勤1日の勤務になっている。

(4) 家族について

  • 家族は、療育に対して非常に不安が高いようであるが、どんな要因が考えられるのか?
    →小学校の時から学校に行かせなかった時は、いじめられたとか、障害が非常に重たいために「お客さん」で何も対応してもらえないこともあり、心配で迷惑をかけたくないという思いが強かったようである。家族は、自分勝手に要求を出すというよりも、非常に謙虚で、何かクレームを付けて辞めてしまうことではなかったと思う。本人がかわいそうだとか、周囲に申し訳ない気持ちで、家庭で自分たちが看ようと決まられた。私たちも何か心配になるようなことが起きて、施設から引き上げてしまうことがないように気を付けた。

(5) その他

  • この事例の場合、特別支援学校義務化以前に学齢期であったと思われるが、こうした学校に行けなくて家で抱え込んでしまうケースは潜在的にどの程度いるのか?
    →全体的にはわからないが、この方と同世代の入所者はいなかった。その他、ことばの教室などに通っていた人たちの中には、無理して行くよりは行かない方が良いと言われていたケースもあると聞いているが、それほど多いとは思えない。

事例検討のまとめ
-自閉症や強度行動障害を示す人たちへの有効な支援/予防的支援-

A.自閉症、強度行動障害全般について

(1) 日常生活での経験を増やし、安定した生活の流れを作る

障害が重度であったり、既に成人して年齢も30歳を超えている場合でも、今まで経験のないことや活動を少しでも身に付けてもらうことによって行動障害が軽減され、安定した生活の流れを作るのに役立てられる。

(2) 専門機関・教育機関とのかかわりと、適切な療育や相談・指導

幼児期から学齢期に専門機関による適切な療育や相談・指導を受けられない場合、本人の発達を促す機会が少なくなるばかりでなく、家族の養育態度が消極的になり、本人の経験が増えてこないため、行動障害も助長されてしまう。そのため、適切な早期療育は行動障害の予防効果も大きい。

(3) 構造化された環境での、本人にもわかりやすい活動の提供

行動障害の多くは、家庭や学校・施設などで通常のルールを無視して、自分なりのルールや行動パターンを作りあげてしまったものである。それらを改善していくには、構造化された環境で本人にわかりやすい、行動を変えやすい伝え方と活動提供による支援が必要である。また、ある程度行動が改善された場合、施設からケアホーム・グループなど、より落ち着いた環境での支援によって生活も安定する。

(4) 不安が大きい家族に理解を得ながら進める

強度行動障害を示す人たちの家族は、自信を失ない、不安が大きいため、本人の行動改善と家族の不安の除去を両立した支援が必要である。そのためには、支援内容や目的をきちんと伝え、家族状況を把握した家族へのサポートが重要である。

B.クラスターⅡ型(コミュニケーションが困難で、対応困難)について

この事例の場合、知的にも最重度のため、十分にコミュニケーションをとることが困難で、行動障害があるために生活上の経験も少なく、スキルも十分に獲得されていないことから、さらに行動障害が助長されている。

C.今後の課題

1.家庭での対応が困難になった事例の地域生活支援の方向性の見極め

家庭や本人の状況によっては、施設から家庭に戻すことが困難な事例も多く存在する。どのような条件があれば家庭へ戻していくべきか、あるいはケアホーム・グループホームなどの資源を活用して地域へ出していくべきか、その方向性によって支援の内容も目的も違ってくる。その方向性の見極めを関係者がどのように行なうのかが課題である。

2.地域生活へ移行するための人材確保と、運営可能な支援体制の確立

親なき後のことを考えた場合、いずれ家庭での生活は困難になってくる事例は多い。しかし、すべての方を入所施設で受け入れるのは難しく、また施設から地域移行することも望まれている。その場合、自閉症や強度行動障害を示す人たちが安心して暮らせるケアホームなどが必要となってくる。そのため、運営可能な支援体制を整えるとともに、実際に支援できる人材の養成と確保が課題となっている。

資料作成:中村 公昭(東やまたレジデンス)
事例報告:山本 俊彦(東やまたレジデンス)

menu