事例の概要 | 男性、27歳、父、母、兄、本人の4人家族 |
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服薬の状況 | セレネース、アキネトン、ビットサン(分三)、ロヒプノール、プルゼニド(就寝前) |
事業の開始 | 平成18年6月 |
出生時 | 普通分娩、体重3,800g、身長53cm |
乳幼児期 | よく泣き、一人で遊ぶことが多かった。発語2歳で、言語の理解が遅かった。3歳児検診で異常があると言われ、県立病院で自閉的傾向と診断。その頃、飛び跳ねが多かった。4歳から保育所に通うが、短時間で、隔離されていることが多かった。 |
学齢期 | 6歳、地域の普通学級に入学。集団に適応しにくく、他児からいじめられることも多かった。こだわりが増えてきた。 13歳、養護学校中学部に入学。人とのかかわりが増え、人と話をしたり、世話をすることを好んでするようになる。 16歳、高等部に進学。重度の人の世話係をよくしていた。マラソンで20kmを完走したり、美術などの創作活動で評価を受けて学校生活は順調であった。高等部3年の担任が厳しく、愚痴を言うことが多くなる。その頃より、精神的に不安定になる(暗くなる)。 |
成人期 | 高等部卒業後、作業所に自転車、電車で通所する。作業は非常に頑張り評価もよかったが、しんどいと愚痴をこぼすことが多かった。知人より別の市にある作業所が良いと勧められ、違う作業所に替わる。初めの担当者は本人をよく理解してくれ、本人も安定して通えていたが、担当者が替わると不当な対応を受け、奇声、大声が始まる。そして、激しい自傷行為も始まる。唾が飲み込めず常に涎が出ていたり、空気を吐き出すことに固執し、儀式的行動が多くなる。作業所に通うことを拒否し、家庭に引き込もる。昼夜逆転、暴力、破壊行為などが毎日のように起こり、ますます家から出られなくなる。 |
3歳 | 県立病院で自閉傾向の診断。1回/3ヶ月のカウンセリング開始 |
4~ 5歳 | 市立の保育所に入園(市に掛け合い、専任保育士が付く) |
6~12歳 | 市立の普通小学校 |
13~15歳 | 県立養護学校中学部 |
16~18歳 | 全身けいれん発作を起こして、一般病院に通院。その後、精神科に転院。精神遅滞・てんかんの診断。その後、一時入院して服薬調整。睡眠障害のための服薬を始める(現在も服薬中で、発作はない) |
20歳 | 状態が崩れて作業所に行けなくなり、問題行動も激しくなったため、精神科クリニックを受診。服薬開始 |
23歳 | 行動障害が激しくなり、家庭での養育が限界という段階で市を経由し、あかりの家に相談。訪問療育開始 |
24歳 | あかりの家の短期入所開始 |
中度の知的発達遅滞、自閉症
区分5
言語 | コミュ二ケーションは可能で、日常会話ができる(小学校低学年程度)。理解の面は、日常的なことについてはほとんど理解できる。一度に2つの内容までは記憶・理解できる。 |
ADL | 自立している。一人で電車、バスの利用ができる。金銭の使用は、金額どおりに紙幣を出すことができる。 |
学習 | 小学校程度の漢字を含むものが読める。書くこともできるが、まちがって覚えている。時計の読み、計算(加減算)ができる。 |
近隣から市の障害福祉課に通報が入り、市を経由して、障害児(者)地域療育等支援事業(旧事業)の訪問療育を始める。
その時点では、激しいパニックや暴力行為と同時に、昼夜逆転、家庭での引きこもり、不規則な食事、決められた時間の服薬が困難など、基本的な生活を維持できない状況にあった。
そこで、健康的な生活を営むためのリズム作りを優先し、家庭での過ごし方、日中活動の場の体験利用など、家庭生活の再構築を図った。
第三者の存在があると、非常に謙虚で大人しい。約束も守ることができる。ところが、第三者から与えられた枠を自分で崩すことはしないが、母親や父親を威圧し(破壊、粗暴行為、パニックなど)、両親の意向という形で枠を崩すことがある。例えば、日中活動の場への参加について、本人は「頑張って行きます。」と家を出るが、帰宅後に「しんどい」「イヤや」と言って、パニックになり暴れ、両親が「本人が嫌がっているからやめておきます」と連絡するという次第になる。
約1年経過後、自宅にて包丁を振り回しながら「ぶっ殺す!」と暴言を吐いて暴れているという連絡を受けて訪問する。
一度家庭との切り離しが必要な状態であり、両親の疲労も限界にきていたため、精神病院に一時入院し、2ヶ月後、あかりの家の体制の整った時点で受け入れる。
高等部卒業後、作業所に通所。その後、対人関係上のトラブルにより作業所に行けなくなり、家庭に引きこもっていた。
昼間に模型作りの合間にわずかに睡眠をとる。夜間は、模型作りがひと通り終わるとわずかに眠ることがある。早朝の車を見に行くこだわりのため、ほとんど睡眠が確保されていない。
決まった物しか食べない。こだわりである模型作りやビデオ編集が終わらないと食事ができない。時には、夕食が22~23時になることもある(家族も我慢して待っている)。
こだわり、パターン行動が思い通りにいかないとパニックになり、付き添う母親への暴力・激しい器物破損を起こす。鼻の骨が折れ、顎が外れるような激しい暴力、家のガラスは数箇所割れたままで、すぐに割ってしまうから替えられない状況であった。
毎日のように早朝5時より(時には、2時頃に起き)歩いて約30分の交差点に行き、行き交う車を午前8時頃まで見て過ごす。その後決まったパターン(母親の迎え、決まった店での決まった物の買い物)の行動を繰り返していた。
また、家庭においては昼間にわずかに睡眠をとるが、それ以外は自宅で模型作り、ビデオ編集といった行為を延々と繰り返す。
(「 」内は本人の言葉)
「口から酸素が入ると頭がおかしくなる」(空気抜きの儀式)
「口から酸素が入らないように、おまじないをしないといけない」
「イライラしたら声を出さないといけない」「出すと治まる」(胸を押さえながら空気を出し、奇声を上げる)
旧法 強度判定指針 | 新法 重度障害者包括支援 |
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他害(5点)、こだわり(5点)、物壊し(5点)、睡眠(5点)、食事(3点)、対応困難(5点)、恐怖(5点) | パニック(2点)、他害・物壊し(2点)、突発的な声(2点)、食事(2点) |
計33点 | 計8点 |
両親、主に母親への粗暴行為については、異常なほどの依存・支配傾向が影響している。要求、思いが身近にいる母親に向けられる。それが叶わない、思い通りに進まないと、暴力という形で母親に訴えてしまう。
自分の暴力には、罪悪感やうしろめたさを持ち、“したくないのにしてしまう”印象が強い。そして、失敗を繰り返すうちに、些細なことで暴力行為が連鎖し起こってしまう。
パニックや暴力を繰り返す様子に対して、両親は回避する術を模索していった。その中でとった示唆やアドバイスがこだわりとして本人の中に根付いてしまった感じがする(模型が壊れてしまったら、すぐに買いに行く。イライラすると大切な物を壊し、パニックになり、新たな物を購入することを繰り返す。息苦しい、胸が苦しいという訴えを起した際には、「息を吐き出すようにしなさい」「おまじないで胸の前で字を書きなさい」と教えていた。最近では、「イライラしたら暴れずに、膝を叩きなさい」と教えた。すると、それが儀式的な行動になり、それをしないといけなくなる。その儀式がうまく行なえないとパニックになる)。
本ケースの支援にあたっては、“行動障害がパターン的に繰り返される家庭という環境から切り離す”というショートステイのハード的役割をフルに利用し、あかりの家という施設内で、まずは、「本人の持つ強固な枠組みを崩していくこと」、「あかりの家では最低限、人の言うことを聞ける、人と共に生きていけること」を目指し取り組む。
その後には、地域生活復帰に向けた展開として、「家庭に戻る」、「日中は福祉施設に通う」というプログラムで取り組みを行なう。
強度行動障害を有する方の受け入れ、初期の療育は、特別に組織したスタッフによって行なわれる。入所利用者への支援と掛け持ちになるため、支援計画に沿って、有期限、有目的で短期的な集中取り組みを行い、集団適応を促進させ、施設の日課に沿って、生活支援・行動障害への支援を行っている。
本人は、ショートステイを区切りが付けば終了する仮の生活と捉えていたらしく、次第に自宅に帰ることを強く訴えるようになった。しばらくは我慢する様子がみられたが、思い通りにいかないと支援員に暴力行為を行なうことがあった。
支援員は怯えを見せず、一歩前に出て向き合い続けた。暴力に対しては、お互いが怪我をしないように一時的に床に寝かせて、身体を拘束することもした。そして、「暴力を振るって無理やり帰ろうとすることは許さない。ここにショートステイに来たのは、その暴力で家にいられなくなったからや。その暴力がなくならない限り、家に帰ることなんてできない!」激しい言葉のやりとりを行なってきた。
暴力によって自分の枠組みを押し通し、思い通りにしてきた本人に対して、初めて対抗した職員の屈さない姿勢が、彼の論理でなく相手の論理の中での見通しとなり、諦め、強制的な納得を起こさせたと思われる。その結果、強度の問題行動は影を潜めた(初期の集中的な取り組みにより、こちらのペースや枠組みに引き込むことに成功)。
第1期の取り組みの中で、あかりの家における行動上の問題はなくなった。支援員とのやりとり(関係や約束事)は、あかりの家というハードと連動して理解していたように思う。あかりの家では、言うことを聞かないといけないという具合である。こうしたハードに乗り移った枠組みを利用し、親子の関係の修復(行動障害を起こしてしまう強い依存と支配をなくす)と強化(両親の言うとおりに過ごす)ことを目的にし、毎週末、施設内の地域交流ホームにおいて、親子で土曜日の昼から日曜日の昼までの24時間を過ごす。
当日までの動機付け、注意喚起、保護者との打ち合わせなどをしっかり行なった。実施当日は緊急時の対応のため待機していたが、大きな問題はなかった。そのような宿泊訓練を繰り返し、成功体験を積み上げた。
「行動障害の軽減」という支援ポイントから、少しずつ「地域生活復帰」という支援に比重をかけていく転換期に位置付け、地域生活へ戻していく具体的展開として、週末帰宅を実施する。
あかりの家の敷地内で保護者との関係が良い形で営めるようになったが、この関係がそのまま在宅生活で維持できるとは考えにくかった。そこで、帰宅時の行動上の問題を防ぐために、本人とのやりとり、保護者との話し合いを行ない、双方の協力を依頼した。
「地域生活復帰プログラム」の第1段階として、行動障害の予防を優先にした。帰省中は問題が起こらなかったが、施設に戻った後、次の帰宅を期待した情緒の揺れが起こるようになり、奇声や自傷が出てしまうことがあった。そこで本人に対して、在宅生活に戻りたい思いを叶えるためには、自分で我慢できることが必要であるという話と抑制方法の再確認を行なった。また、約束したことを持続させるため、内容を活字化したカードをお守り代わりに本人に持たせた(「あかりっこへの道(入所利用者への道)」カード、ショートステイへの道(在宅利用者への道))カード;注意喚起、正しい生活の仕方、家族との穏やかな生活を文字にしたカード)。この約束事が奏功し、それ以降のパニックはなくなった。
前段階の取り組みにおいて、情緒の揺れは見られたが、大きな崩れはなかった。二重生活をうまく過ごすことができた。自力での帰省についても、帰りたい思いを利用したので大きな問題はなかった。ただ、帰宅中に電車やバス、自動車を何時間も見続けることが起こり得ると考え、注意事項を書いたカード(帰宅手順表;時間、各乗り換え場所での留意点を示した表)を持たせて帰宅させる。
地域生活復帰に向けた取り組みの一環として、生産消費活動の経験を導入していく。施設での作業に対して、1日500円(保護者から預かったお金)の工賃を施設長より支給した。月に1万円くらいの小遣いになり、欲しい物は小遣いの範囲で買うという設定にした。その約束も守り、在宅時の月20万の世界に戻る様子はなかった。
工賃制の導入以降、施設長が直接的に支援へ参画することになり、担当者や現場スタッフとの日常生活を通したかかわりから、日常場面でかかわらない権威的な人との特別なかかわりが始まった。
生活と関係の薄い特別な設定の中で、施設長と過ごすことが対人関係の幅を広くしていった。担当者からの説得ではなく、施設あかりの家からの説得となって動いていくことになる。それは入所利用者ではなく、ショートステイ利用者(入所利用者になりたくない)であり続けたい本人の意思にも大きな影響を及ぼしたと思われる。
現在進行中の設定であるが、この取り組みを約1年間続けている。当初は帰れることが喜びや励みであり、安定的に2泊3日間の在宅生活を過ごしていた。しかし、半年を過ぎた頃より、家庭での本人独自の枠組みが再起されつつあった。喜びや励みといった糧ではなく、「これ(模型作り、ビデオ編集等)をするために帰る」という具合であった。
当初両親には、粗暴行為やパニックのない生活という成功を積み上げている時点では在宅復帰への願望が強くあった。しかし、状態の崩れや日に日に増してくる枠組みに怯えが再起し、それまで可能だった親から子への言葉かけもできなくなり、そのことでさらに枠組みが膨らみ、行動上の問題も再起してきた(暴力はないが、大声を上げたり、自傷行為をしたりする)。
こうした経過の中で、この崩れに対して、「(今はできないかもしれないが)何も言えなくなる親子関係から言って聞かせる親子関係に修正していかない限り、家庭生活の維持は難しい」ということを説明しながら支援を継続している。
本ケースへの支援は、大きくは①「本人の枠(噛み合わない原因である独自の論理)を崩し、噛み合ったやりとりをすること」、②「地域生活復帰プログラム」の二本柱で行なった。
初期の向き合いの中で、支援者主導のかかわりを通して自己コントロールを何とか作ることができ、行動上の問題は大幅に減少していった。そして、この成果を維持しながら、現在は地域生活復帰への展開を行なっている。
問題行動を再起させてしまえば、保護者は怯えて地域生活への展開は不可能になる。そのため、ショートステイの枠組みをうまく利用して、わかりやすく見通しを持たせた極めの細かい支援を心がけながら、焦らずじっくりと時間をかけて取り組んでいる。
また、あかりの家で支援の展開を図る際には、必ず主治医に相談し、環境変化の妥当性や本人の現状態での可能性を確認している。
行政についても、現状を確認しながら在宅へのプランを共有化していく作業を行なっている。進展の有無にかかわらず、少なくとも3ヶ月に1回は報告も含めた話し合いを持っている。
現状としては利用継続中であるが、大きな節目を迎えている。利用当初の家庭での暴力や破壊行為、昼夜逆転などの生活の乱れそのものは影を潜めた状態である。当初の利用目的に対しては、一定の成果を上げたと言える。ただ、こだわりや儀式的行動がわずかに見られる中、いずれ、こうした行為が以前のような激しい行動障害につながっていくものであることは保護者と共通認識できており、両親の不安は強く残っている。
旧法 強度判定指針 | 新法 重度障害者包括支援 | |
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自宅 (帰省中) |
こだわり(3点)、恐怖(5点) | パニック・不安的行動(1点)、突発的な声(1点) |
計8点 | 計2点 | |
あかりの家 | こだわり(1点) | パニック・不安定行動(1点)、突発的な声(1点) |
計1点 | 計2点 |
現在も利用継続中であるが、節目を向かえ、保護者との話し合いを深く持っているところである。現状では行動上の問題も軽減し、家庭生活が送れているが、わずかに見られるこだわりや儀式的行為が将来的に以前の状態に戻ることにつながってしまうかもしれないという不安が強くある。保護者の不安や思いは共感できる。在宅に復帰した後は、あかりの家に通所しながら、時折宿泊の短期入所を利用しながら過ごすことで、在宅生活の維持を見込んでいる現状である。
ただし、行政については、長期にわたって例外的に多い短期入所の支給量を継続することには難色を示しており、行政側の都合と行動障害を有する本人への支援の必要性とが現実の中で噛み合わなくなってきている。こうした理解を行政に求めていくことにも継続して取り組んでいる。
本ケースのパニックや暴力行為には、必ず両親の存在が絡んでいる。依存・支配の中で適当 な親子の距離が取れないことで、こじれた関係になっている。
状態の良かった時期には、「もっと家で過ごさせてやりたい」と訴え、状態が悪くなると、「冷や冷やして、早く時間が過ぎないか(あかりの家に戻らないか)と思います」と言う。このように、本人の状態ひとつで揺れ動いてしまうところが今も変わらずある。子離れできず、親離れもさせられない状態の中で、この関係が互いの依存・支配となり、適度な距離を作れない不安定な関係につながるものと思われる。
彼の有する思考・考え方についてもいくらかは修正してきたが、家庭で過ごす時間が長くなると、そこに介入がないと崩れてくるので、これまで形成してきた価値観をずれさせない・失敗させない支援は、今後も長く続けていく必要を感じている。
またこれらを支えるのは、在宅生活においては両親であり、私たちの説得によるものだけではなく、本人と両親とのかかわりの中で、実感を通して修正していくことが必要となる。この辺の見解について、主治医と意見は一致している。
在宅復帰プログラムの中で、これからも紆余曲折を覚悟しながら、家族で過ごせる実感を確実に持ってもらえるように支援していくつもりである。
強度行動障害は、関係や環境が絡み合い、強化され、こじれてしまうことが多い。以下のことを押さえ、軽重つけながら支援を組み立てることが有効的支援となる。
多くの場合、本人は問題行動にがんじがらめにされて身動きできない。また一方で、家族や他の支援者などを巻き込み、問題がより複雑になってしまう。そのようなこじれきった関係や環境内での修復は相当に困難である。一旦、その関係と環境から切り離す。
支援者と利用者というシンプルな関係、構造化されたわかりやすい日課や環境の存在する療育的、かつ整理された場面の中で支援を行なう。
本人の内面に沿った支援や納得は、意欲の引き出しに不可欠である。その意欲が行動障害を変容させる動機になる。そして同時に、強度行動障害の多くは、相手や状況に関係なく自己の枠組みを肥大化した傾向がみられる。併せて、支援者の指示に従える関係作りを行なう。
行動障害の背景として、食事・睡眠・排泄/日中活動に大きな乱れのあることが多くみられる。また逆に、強い行動障害によってこれらが大きく乱れることもあり、両者は高い相関関係を有している。したがって、食事・睡眠・排泄/日中活動をしっかり送るための支援は重要である。
強度行動障害への支援を有効的なものにするために、期限と目的は不可欠である。単なる設定というだけではなく、支援者や家族などへの動機付けでもあり、本人にとっても行動変容に向けた努力のエネルギーとなる。
多動・固執・パニックによって、かかわる人たちが対応できない状況を示している。人と共有するルール、モラルが持てない、維持できない状況であることが考えられる。ルールを示しても、本人の持つルールが最優先にされ、ルールがルールとしての意味を持たない。本人の枠組みの中ではやりとりが成立しない。やりとりを一般に近い、支援者側の枠組みの中で向き合うことが支援の始まりになる。
このケースにとって、共有できないことが大きな特徴であるため、この共有することを専門的な援助によって獲得していくことが重要になる。
有効的/予防的支援で記した強度行動障害を示す人たちへの支援には、相当なトレーニングによる細やかな専門的視点と対応の柔軟性が必要になる。そして、専門的な支援のできる人材を確保し、育成していくことが重要になる。
しかし、福祉の仕事に対して、将来の自分の展望が持ちにくいと言われる待遇、そういった先入観が人材を遠ざけている状況があり、大きな課題となっている。
入所施設の機能に物理的な限界がある中で、地域で暮らし、家庭崩壊などに陥っている事例が非常に多くなっている。現在の短期入所事業において、こうした人たちの受け入れを行なっているが、人的、環境的に十分応えきれない現状がある。
自閉症療育の実績をもつ施設の短期入所に中・短期療育入所加算制度を導入し、強度行動障害加算事業的な事業とは別に、問題が複雑化する前の療育的な支援を可能にするような、小回りの効く体制を整えていく必要がある。
資料作成:福原 正将(あかりの家)
事例報告:福原 正将(あかりの家)