クラスターIII型(多動固執パニックが激しく、対応困難)の事例②

事例の概要 男性、28歳、知的障害を伴う自閉症
事業の開始 2003年9月24日
利用期間 3年6ヶ月

1.生育歴、相談・治療・教育歴

妊娠中および出産時は異常なし。初語は3歳前後。本人が1歳の時、県外から現在地に引っ越す。保育所の保母から「呼んでも反応が遅い」と言われ、巡回相談から児童精神科のデイケアに就学まで通う(1回/W)。落ち着きがなく、歩き始めるとチョコチョコ動き回り、何度も警察の世話になる。小学校入学前は、毎日出かけないと気がすまない状態だった。児童精神科へ年1回の受診を継続し、蕁麻疹のため服薬はしていない。

小学校は普通学級に在籍。初めは座ることができなかったが根気良く対応して、教師が存在を忘れるほどになった。小学5年生の時にてんかん発作が初発し、服薬を受ける。しばらく発作は起こっていないが、現在も服薬は続けている。

中学校は特殊学級に在籍。適応良好のため、前記の児童精神科は3年間受診していない。小・中学校ともに、親同士のネットワークで評判の良い学校と先生を探し出し、越境入学している。

高校は教育学部付属養護学校に在籍。学校までひとりで電車通学。学校より道路に飛び出すので危ないと言われたが、自主通学は続けた。嫌なことはやらない傾向が強くなってきた。作業所への実習前に嘔吐がみられたが、概して適応は良好であった。初めてショートステイを利用したが、本人はもう二度と行きたくないと言う。この時期から乾癬が出る。

卒業後、地域の作業所へ通所。主に、車のヘッドレストの解体の仕事をしていた。作業はよくしていたが、19歳頃から母親ベッタリの傾向が強くなり、夜寝ない日が続き、落ち着きのなさが出てくる。作業所に行きたがらなくなり、他の利用者を叩き、器物破損も激しくなる。睡眠障害のため、服薬を開始。23歳の時、再び児童精神科を受診した際に入所施設の利用を勧められ、作業所の所長からも福祉事務所に相談があり、24歳であさけ学園へ入所した。

2.障害の状態像:障害名(診断名)、発達検査等の客観的評価データ

3歳の時に児童精神科外来を初診。重度の知的障害を伴う不定型の自閉症と診断された。4人兄弟の3番目で、兄2人、妹が1人いる。固執傾向と多動傾向が著しく認められたが、兄弟の後を追ったり、叱られると顔を隠したり、恥ずかしそうにするなど、対人反応は良かった。津守式発達質問紙ではDQ 86。4歳5ヶ月時のK式発達検査の結果は全領域DQ 60(言語・社会、認知・適応領域ともにDA 2.5~3歳レベル)で、言語社会性の発達の良好な傾向が認められた。

最近のWISC-Ⅲ知能検査の結果(FIQ 40、VIQ 43、PIQ 48)、処理速度が遅く、新奇な課題への適応がかなり悪い。極端な言語理解<知覚統合のDiscrepancy、できる課題とそうでないものとの差が大きい。ごく日常的、具体的な事物の理解は可能であるが、長文の指示理解や言語表現は苦手である。視覚-運動の統合や因果関係の理解は比較的良好なものの、全体の見通しや場面状況の把握が苦手と考えられる。筆圧が高く、手先も不器用で保続も顕著なため、その都度声かけ等で促す必要がある。

3.行動障害の状態:利用前の様子、判定基準点数

(1) 行動障害の状態

作業所に在籍時から他人を叩き、器物の破損が出はじめ、頻繁になってくる。児童精神科で薬物治療を始めるがあまり改善されず、平成13年から、スーパーで女性を触る、大声で歌うなどの行為が出てくる。平成14年から、作業所には行きたい時だけ通うようになり、ほとんど通えなくなる。同年6月、スーパーで女の子を押してしまい、防犯カメラに本人が映っていて警察沙汰になる。平成15年には、近くのショッピングセンターで老人を突き飛ばして怪我をさせるが、示談の際に遅刻するし、母親の態度も悪く、訴えられて慰謝料を支払うことになる。

作業所に来ても、本人がいると雰囲気がピリピリし、人にちょっかいを出す、暴力を起こすので母親が付き添うが、母親が本人を注意することはない。調子が良い時は月に2~3回通い、午後2時から3時半頃まで作業をして、その後3時間ほど車でドライブしていた。本人が行きたがらないのに連れて行くと状態が悪くなり、迷惑をかけるのではないかと心配していた。行事にも参加させられず、本人には母親が言い聞かせて休んでいる。自宅では、アニメキャラクターグッズを買うこだわりがあって、それを止めるとパニックになるので何も言えない。パニック行動とても大きい。例えば、食事はテーブルごとひっくり返す、物を投げつける、他人の髪の毛を引っ張ってそのまま引きずる、叩く、蹴る。学校時代にもみられた大声を出すというのは威嚇手段だったと考えられる。このように、パニックの中には先のことが見えずに混乱しているものもあれば、威嚇するために暴れるなど、種類はさまざまである。

生活リズムの崩れ、睡眠障害に加えて、家族と一緒に食事ができず、夜中にひとりで食べている。家からの飛び出しも多く、ショッピングセンターで勝手にポスターを剥して持って来たり、地域の小さな子どもを叩く、居酒屋に入って客のドリンクを飲むなどで問題になっていたが、両親はそれを制止できない。母親は、県立施設が2年の有期限なので使いたいと考えている。施設に長く入れておきたくないし、ショートステイも短すぎるのは困ると考えている。父親は、母子分離が必要であるが、専門性がある所でないとこの子を理解できないと考えている。

(2) 旧法の強度行動障害支援加算事業における判定結果

次の9項目の行動障害すべてに5点の評価が付き、合計45点となっていた。

  • ひどく自分の体を叩いたり傷つけたりする等の行為
  • ひどく叩いたり蹴ったりする等の行為
  • 激しいこだわり
  • 激しい器物破損
  • 睡眠障害
  • 著しい多動
  • 通常と違う声を上げたり、大声を出す等の行為
  • パニックへの対応が困難
  • 他人に恐怖を与える程度の粗暴な行為があり、対応が困難

4.行動障害の要因等に関する分析、とらえ方

作業所の通所当初はよく作業もしていたし、適応が良好であったことを念頭に置き、要因を検討してみた。

施設の中で本人と一緒に生活してみると、先の見通しが不明確な時に不安でパニックに陥りやすい状況になることが理解できた。物ひとつ置き場がわからないだけで近くの物を投げ捨てたり、人を叩いてしまう。言葉のやりとりができるからか、返事をしたからわかっていると捉えてしまうと問題行動が生じてくる。ひとつずつ事前に説明すること、理解できていないことはやって見せる必要がある。

また、「本人に障害があることを周りが理解しなければならない」とする両親の構えは、結果的に本人に現実的な制限のない生活を容認し、自己制御ができない状態を生み出してきた。睡眠障害や収集癖、家族を自分の生活に合わせないと落ち着かないことなども、保護者の誤った理解と関連しているように思われる。

5.行動障害改善のためのプログラム、支援の経過

a.初期(1年目)の取り組み

(1) 入所時の様子

入所当日、本人に対して「あさけ学園に入所することをしっかり説明してから連れて来てください」と伝えておいた。しかし、本人の状態が悪くなることがわかっているので、両親は簡単な説明で済ませてきた。学園に到着すると本人は不安になり、いつも行っているカラオケに今度はいつ行けるのかと母親に語りかける。母親が「冬かな」と答えると大声で騒ぎ、母親の髪の毛を引っ張り、引きずり回した後、トイレに駆け込む。それを見た父親は止めることもできず、「トイレに逃げたな」と言う。トイレから戻して、説明のやり直しを職員が介入して行なう。今の状態では家庭で生活できない事実を本人に伝え、あさけ学園で人を叩かないで生活できること、夜はしっかり寝ることなど、3年間頑張ることを確認した。

(2) 初期の取り組み

  1. 本人が慣れた職員を徐々に増やし、働きかける内容が職員によって変わらないように配慮する。
  2. 傍に付いて、一から伝え行動できるようにする。当面、本人は知らない所で生活することになるので、本人に説明していく職員を付ける(「初めてで不安だろうけど、職員がちゃんと教えるから大丈夫だよ」などの言葉かけ、不安や行動化に対しては「頑張って家に帰るんだろ?」というメッセージを伝える)。
  3. 焦った動きはゆっくりするように促す。

夕食時、食べたくないおかずのためにテーブルごとひっくり返す行為が出たが、「あさけに何をしにきたの」と言われると、パニックが直ちに止まる。その後、職員の分を出すとすべて食べる。嫌いな物が多く、その後も1回捨てているが、職員の分を出されて食べている。

眠りが浅く、職員が睡眠の確認に行くだけで目を開けてしまう。朝起きるのが早かったが、「起こすまで寝ていてもいいから」と言われた後は、職員が起こしに行くまで布団に入っていることができた。

生活の中で明らかになってきたことは、職員が説明をすると、はっきりわかっているわけでもないのに「はい」と返事をしてしまう。理解していないと動きが取れずに立ち尽くしてしまい、そこから叩く、蹴る、器物を破損させてしまう行為に発展してしまう。また、わからないことや、いつもとパターンが異なることがあれば、大声で騒ぎ、その場に寝転んで手足をバタバタさせるなどの行動がみられた。職員の見えない死角で他の人の身体を触る「からかい」もみられ、触られて騒ぐ人には手を出さないが、興奮状態になると見境なく叩く。

説明した後には、本人がどんな動作に表すことができるかを確認する。動作が止まってしまった時には「何と言うの」と問いかけて、「わかりません」とか理由を言わせる。問いかけのたびに確認し、言葉でやりとりする方法を繰り返した。例えば、彼の動作の中で「これじゃないのか?」という箇所を、こちらが「これなの?」と聞き返してみた。その問いに対しては簡単な言葉で返ってきたので、「○○の時は~な言い方をするんだよ」とか、「○○のような準備をすればいいんだよ」のように、生活や作業の中でひとつずつ積み上げていった。

動作自体も早く、多動で手早く終わらせたい感じはみられたが、丁寧に物事を取り組めてこなかったことや、本人の自信のなさも影響していると考えた。

最初に取り組んだのは作業場面である。単純作業より少し複雑な工程もやれると予測できたので、部品を袋詰めしてホッチキスで留める仕事を教えた。これは、ゆっくりやらないと袋を折り曲げる時にしわも寄るし、重ね合わせた場所にホッチキスがうまく入らないので、「ゆっくりやればできるから」と言って、数は度外視で「これを全部自分で気をつけてやりなさい」と導入した。ある程度落ち着いてくると、日常生活の中で洗濯物をたたむことや食事当番もゆっくりやれるようになってきた。「これ、あわてて作った時」と「ゆっくりやった時」のできばえを見せて、「どっちがきれい?」と見比べさせてみたところ、きれいな方を指さすことができたので、「こっちの方がいいよね」「これをしていくためには焦っているとできないよ」のように生活面へ拡げていった。

(3) 家族への取り組み

当初、両親はあまり他人の言うことを聞くような感じでなく、以前は服薬も拒絶していた状態で、前述したように「専門的な知識のない人にうちの子は診せられない」と断言していた。母親も最初、「あさけ学園に入れたら、この子は歩いてでも自宅に帰って来るだろう」と言っていたが、そういうことは一切なかった。それは、本人が学園で取り組むことをある程度理解していたので出なかったと思っている。さらに、家でも飛び出しがなくなったことから、学園への信頼感が両親に少し生まれ始めたのではないか。両親に話が通じるようになったのは、このように少し落ち着いてきたことが契機になっている。

そこで両親が来るたびに、彼の起こすパニックの要因について説明した。例えば、「こういうことがあったので、やはりパニックを起こしました」。次に、「このようにもっていったら、彼はパニックを起こさずにやり遂げることができました」と伝えるようにした。両親がパニックの本当の意味を理解するまでに時間を要したが、両親とも熱心で、小まめに来る保護者だったこともあって、根気良く説明を続けた。

b.中期(2年目):他人が言うことにイラつかないで取り組めること

あさけ学園の生活に慣れ出してから、本格的に本人への取り組みが始まった。

それまで、自分の洗濯物をどうしたら丁寧にたためるかを一緒に取り組み、自室の掃除や当番の課題を増やして、「誰とやっても同じようにできる」から、「言われたことを見ていなくても手を抜かないでできる」へ展開した。

これまで他者に言われて動くことがほとんどなかったけれども、地域や家庭で生活していく時には、必ず言われて動かなくてはいけないことが起こり得る。その時に言うことを聞けないでパニックになっていたら在宅生活は考えられないので、本人にそのことを伝えて取り組んだ。具体的に、衣類をたたむ時には、各部位の呼び名を教えながら、どこから始めてどこで終わるのか。日頃使わない物の名前は知らないので、本人が名称を理解できているか確認しながら取り組んだ。

手先も器用でなく、丸めて終わりにしていたので、初めは一緒に行ない、「ここに皺が残っているから伸ばしなさい」と本人に確認させていく。一緒にやる職員誰もが同じ視点で取り組めるように、同じフロアーで見届けることもあった(情報の共有)。次に、「後で確認に行くから自分の部屋でやっておいで」と先に行かせ、後からできばえを確認してうまくできていない時はやり直すようにした。完全に職員が離れても丁寧にできているか、自分ひとりでも職員とした時と同じようにできるかについて確認を進めてきた。

掃除機をかけるのも衣類たたみと同じように、まず居室の隅々までどのようにしていくかを何回か一緒にやり、職員が次第に離れていく方法を採った。食事の配膳も盛り付けたら終わりでなく、どうしたら均等に分けられるのか。雑に食器を並べていれば、見えないから忘れてしまう。他と見比べることができないので均等に分けられない、そうしたらどうするか。求められることにイライラするのではなく、時には職員がいろいろな方法を提示し、本人自身がそれらをどうすれば解決できるのか考えさせていく。初めに食器を縦横に並べて見やすく工夫したとしても、次にそれを忘れずにやろうとするかに関しては、傍に付いて確認する必要があった。人に言われて取り組み、それを持続させていこうとする本人の意識は、自宅に戻りたいという一点にあったと思われる。ただ、あさけ学園でできても自宅でできなくては意味がないので、最終段階では家族への支援とフォローアップが重要になってくる。

c.後期(3年目)の取り組み

(1) 約束事の設定

自宅では学園のように丁寧な手助けができないので、家でされたら困ることを本人に提示することから始めた。職員としては、両親から適時「これをしてもらっては困る」と言ってもらうのが一番良いと思っていたが、両親から困ることを直接注意することができないので、これを契機に職員が介入し、とりあえず自宅で困っていることを具体的に11項目あげた。それ以外の項目については、将来的に両親から伝えていけるようになることをめざした。

  • お風呂は夜の9時までに入ること
  • 家の中はパンツ、シャツだけでなく服を着る
  • 何度もパンツを履き替えない
  • 勝手に行動しない。親に言ってから動く
  • 洗面台に勝手に行かない
  • 一方的にしゃべらない
  • 朝は6時半まで起きてこない
  • 手伝いをする
  • 広告、新聞を破らない
  • アニメキャラクターグッズを集めない
  • 車の中で弾まない

勝手に家から出て行ってしまうことはなくなったが、以上のほとんどの行為は家庭でなかなか改善できなかったため、外泊時の約束事として設定した。

(2) 家族内の立場の確認

退所後の生活を想定した取り組みの開始にあたって、本人との面談を行なった。自宅での生活が困難な背景として、「自分の立場が親より上である」との誤った認識を有していることが予想された。そのため、戸籍抄本を提示して父親、母親の次に本人の名前が順番に書かれていることを示し、自分の立場は親の下にあること、両親の話が聞けない人は自宅に戻れないことを両親から伝えてもらった。こうしたやりとりは、言い聞かされて本人が納得するというよりも、約束事の項目は親からの提示であり、できなければ家庭で生活できないことを宣言することになる。職員は本人に対して、項目に取り組んで行く時には応援するからと励ました。

この他にも、本人の中に「どうせ自分は、あさけ学園に居る3年間だけ我慢していれば大丈夫だ」という思いがずっとあって、それが表面化してくるたびに「そうじゃないよ」というやりとりを繰り返した。そして、本人が「あさけ学園を出て家に帰ったら、自分の天下だという思い込みでは通用しないのだ」という意識に変わってきた。そこまで踏み込めなかったら、たぶん家に帰ってしばらくすると元の木阿弥だろうと思われる。

(3) 自宅生活への介入と直接支援

① 生活環境の整理

家庭での取り組みは自宅の生活を大きく変えることを意味しており、アニメグッズを卒業させることもその準備のひとつと考えられた。職員が自宅に行って、自室のダンボール2つ分のアニメティシュペーパー、切り抜きなどをすべて本人に処分させ、今後も買わないことを両親の確認のもとに約束した。

② 入浴場面の取り組み

その頃は1日に何回も風呂に入っており、浴槽の湯を捨てられない状態だった。そこで、本人と「あさけではお風呂1回で済んでるよね」「家ではどうしてできないんだろう」と話をした。職員が「行って協力すればできるか?」と尋ねると「やります」と言うので、家の入浴は1回と決めて、直接家の風呂で入浴の仕方に取り組んだ。家の風呂では洗うわけでもなく、玩具を浮かべたり浴槽で遊んで濡れたまま出てくるので、「あさけと同じように入ってみて」と言って始めた。髭剃りは学園でも職員が補っていたので、父親に補ってもらうために一緒に入ってもらった。本人から「髭の剃り残しを見てください」と父親にお願いして剃ってもらうようにした。このように、身体を洗ってから浴槽に入るまでを直接自宅の風呂で再現した。

③ 買い物の取り組み

買い物の問題への取り組みは毎回職員が同行することから始まり、次に職員は離れて影から見守って確認し、どうだったかを本人にフィードバックし、親からの評価も加えてもらうようにした。具体的には、以下の項目を本人に確認して外泊のたびに取り組み、その都度評価を行なうことで本人の意識を高めるようにした。

  • 店内を勝手にうろつかない
  • 両親の後ろを歩く
  • 買い物カゴは自分で持つ
  • 余計な物は買わない
④ 職員のフォローアップ体制

約束事を実際にやれるかどうかが大事なので、職員は本人が就寝するまでと朝起き出す前からの時間に自宅近くに待機するようにし、時間を決めて本人から職員に電話連絡をさせるようにした。両親による本人への取り組みではあったが、両親だけで本人の強い要求を抑えるのは難しいと思われたからである。両親が誤りを本人に伝えてその都度親の前でやり直させ、できない時はそのままあさけ学園に戻ってもらう形にして、取り組みの本気さを見せるようにした。また、項目を表にして、本人がいつも確認できる場所に貼っておくようにした。

自宅近くの待機は2ヶ月間続け、本人の状態が落ち着いてきたので取り止めた。電話連絡を受けたら1時間以内に訪問できるので、定時連絡以外にも電話を必ず入れてもらうよう両親に確認した。

細かな点で「そんなことでは困る」ことはあったが、まずまずの評価はできる状態であった。一度だけ、皿拭きの手伝いをしている時に突然大皿を叩き割って、強制帰園させることがあった。その理由は、本人の妹に赤ちゃんができて両親の目がそちらに向いてしまったからである。本人がはっきりと腹いせでお皿を割ったことを認めていたが、赤ちゃんに目が行くことは今後もあることなので、あらかじめ両親と打ち合わせた上で、「それが嫌なら家に帰ってくるな」と言ってもらうことにした。下記に、その時のやりとりの様子を記述しておく。

皿を割る前は、イライラしてフンフン言いながら食器をゆすいでいたらしい。突然バーンと叩きつけて割り、すぐに母親が職員に電話をかけてきた。

職員:「本人は今どうしてるの?」
母親:「スッキリしたような感じで、横に居る」
職員:「お母さんひとりで送って来れる?それとも迎えに行った方が良い?」
母親:「送っていけます」と言うから、学園に来てもらった。
職員:本人と正対して「では、理由を聞きましょうか?」と切り出した。なかなか言葉が出なかったので、「赤ちゃんが原因?」と聞いてみた。
本人:「赤ちゃんです」と言うので、
職員:「もしかすると、両親が赤ちゃんの方に目が行っていることが原因?」と聞くと、
本人:「そうです」と答えた。
職員:「赤ちゃんが来たら世話で忙しくなるのに、外出したいと言っても行けないと怒って、また皿を割ります。どうしましょう?」
母親:それは困る。彼には帰って来てもらいたくない」
本人:傍で「帰りたいのにな。割ったらアカンもんな」と必死で母親に訴える。
職員:「赤ちゃんに怪我でもさせたら大変。本人は皿を割ってスッキリしたいようだから、あさけで生活してもらいましょう」
本人:「スッキリしないもんな」
職員:「でも、外出したいのに両親が連れて行ってくれないと嫌なんでしょう?」
本人:「嫌です」
職員:「だったら帰らない方が良いんじゃない?」
本人:あわてて「嫌じゃないです」
職員:「嫌と言ったら帰れなくなるから言い直したんでしょう?連れて行ってくれないのは両親が悪いもんな」
本人:「お父さんが悪い」
職員:「そうなの」
本人:あわてて「お父さん悪くない。自分が悪い」と言い直す。
職員:今度は「家に来た赤ちゃんが悪いね」とカマをかけたら、
本人:「赤ちゃんが悪い」
職員:「やっぱり他人のせいなんや」
本人:あわてて「自分が悪い」
職員:「こんな考えの人は帰してもらえないよね」「お母さん、どうします?こんな人困るから」

この時、他人のせいにすることや、家庭でどのように生活するかについて何度も職員に確認された後、両親に謝罪して外泊をさせてもらえるか否か確認した。その後は、外泊した時に妹親子が来ていても、赤ちゃんの傍で過ごし、ミルクを吐いたり、泣いたりしたら「赤ちゃんが大変」と言って母親を呼びに来るようになった。両親が強く出たことに本人も驚いたとは思うが、その効果は大きく、落ち着いた状態が現在も続いている。この約束事を提示してから約1年半経っている。たぶんもう貼っていないと思うが、この約束は本人の中にまだ生きているのである。

(4) 作業所の実習

以前に通っていた作業所は受け入れ困難なので、福祉事務所から斡旋された地元の2ヵ所の作業所で実習を行なった。まず、あさけ学園の職員が付き、「この仕事の時には、こういう教え方をした方がわかりやすいのではないか」という場面を見せて伝えた。それ以外に数種類の仕事を試行し、その都度、彼の苦手な点も伝えながら付き添った。焦ってしまうと手指が効かなくなるため、ゆっくりと慎重に取り組めていたことで作業所側の高い評価を得た。もう1ヵ所でも「いいです」と評価されたが、作業内容が高度過ぎてついていけないと思ったので、現在の作業所に決めた。最後に、その作業所のケースカンファレンスに出席し、移行先の職員に学園での取り組み内容を引き継いだ。

6.行動障害の転帰(退所時の判定基準点数)

全般に動作がゆっくりできるようになり、こだわりは残っているが行動化してしまうことは減っている。判定基準のうち、器物破損、叩く、傷つける、大声を出すなどの行動障害項目は非該当になった。残っているのは、激しいこだわりが週1回以上として1点。睡眠障害は、布団の中に入っていても寝付かれないことがあって週1回以上の3点。パニックが出た時の対応が困難を残して5点、合計9点と評価された。

7.アフターケア

強度行動障害加算対象者への取り組みに際しては、事例検討会を事業開始当初から終了までに年2~3回開催し、関係機関(福祉事務所、更生相談所、支援事業コーディネーター、移行先のスタッフ、他)の参加を求めている。この組み立てが、事業期間中の連携や終了後のアフターケアの体制作りに役立っている。

家庭への取り組みを行なうにあたっては、福祉事務所や地域のコーディネーターにもその内容を伝え、両親が直接学園職員に言えないことを聞いてもらったり、長期外泊の時に家庭訪問を行なって様子をみることを担当してもらった。引き続き、退所後も家庭や作業所を訪問して、本人の状態や家庭での状況を把握している。

また、退園に際して最も心配されたのは両親の構えであり、そこが崩れると本人の状態が崩れることが大いに考えられた。そこで、退所後1年間は施設内のあさけ診療所に月1回のペースで診察に来ることを提案し、両親もその方が本人の気持ちが緩まないから良いと同意した。毎月、担当職員が診察に訪れた本人の様子を確認し、両親に生活状況を聞き取るようにしている。現在まで生活リズムが崩れた形跡はなく、約束事を守って生活することができている。父親も、本人が少し威嚇するような行動はあったが、飲み過ぎる水分を制限するよう伝えることはできている。

あさけ診療所に通って1年後、両親がこれからもすべてあさけ学園がメインで動くかのように思い込んでいる点とも関連して、そろそろ近くの医療機関に変えるか否か問いかけてみた。両親は、どこかであさけ学園と繋がっていたいという気持ちもあってか、現在もあさけ診療所の利用を続けている。

8.得られた知見、今後の課題

(1) 家族支援の重要性について

両親は自己完結型で、自分の考えにあてはまらないのは駄目としてきた。ある精神病院での医療相談の際、医師が本人に挨拶したら、父親は医師に向かって「自閉症のことがわかっていない。挨拶できないのは当然だ」と言い、それ以後は通院していない。また、「障害をもつ子どものやることは周りの人が受け止めてあげないといけない。障害を理解できる専門性をもった機関でないと無理だ」との考えを持ちながら、自分の子どもに生活が振り回されていても直接本人に文句は言えない反面、周りの人に対しては理念ばかりを訴える人という印象が強かった。母親も本人から離れたいと思うのか、突然旅行に行ったりするが、問題が少ない時期は地域の活動に熱心で、これまで、子どもの要求することは叶えてあげたいという構えで育ててきた。例えば休日になると、県外にもある父親の会社の保養所に泊り込みで出かけたり、カラオケ、ボーリングとか、地域の同じ障害をもつ親子と外出することが非常に多い。職員が「どこかで休憩を入れてあげた方が良いんじゃない」と言っても、母親は「動いていないとこの子は楽しめない」と思い込んでいる。

それらが本人をどういう状況にさせてきたのか、今後もその姿勢で取り組むことが本人にとって本当に良いことなのか、来園のたびに話をしてきた。本人があさけ学園で生活して落ち着いていること、学園は本人の嫌なことを避けて支援しているわけでもないのにやれている事実を伝え、両親も次第に外泊時の様子を見ていくうちに、これまでのかかわりのまずさを感じないわけにはいかなかったように思われる。

本人の他者への伝達の困難さや語彙数の少なさ、行動に移せることでやれる人と誤解されてしまう弊害を少しずつ両親に伝え、本人の状態をみながらそのことを確認してもらうことで、理解を深められたと考えている。今回の家庭への職員の介入は、本人がその都度示す行動や表情、感情の変化などを、本人に代わって両親に伝えるという意味もあった。両親だけでうまく修復していかないことは明白で、後押しがないとどう伝えればいいのかわからない、何かあった時の保障がないとやれないという気持ちが、職員が待機するまでの取り組みに至った。

11項目の約束事を設けた時も本人が暴れないかという不安は大きかったが、職員が先導することで生じた成果は親の自信に繋がったことがわかる。買い物での取り組みは親からの要請で始まったもので、本人が示す行動の予測と、それに動揺せずに対応していく姿勢について細かな打ち合わせを進めてきた。母親が中心に行なってはいたが、父親にも遅れないように直接やりとりしてもらうようにした。言わなくてはいけないことを言わずにおくと、道を間違える前であれば声はかけやすいけれども、間違えてからでは躊躇しがちになり、やがて言えなくなってしまうため、日頃から言い慣れるようになってほしいと、会うたびに伝えてきた。なお、あさけ学園を退園する前日まで本人が職員への電話を続けていたことも、親には安心できる面と映ったようである。

(2) 今後の課題

家庭でも洗濯物をたたむ以外に、居室掃除は自分でやるし、玄関と風呂掃除も彼の当番である。食事も母親が作った物をテーブルまで運ぶ。片付けて、母親が洗った食器をゆすいでいく。昼間は作業所に通っているが、帰ってから寝るまでの日課は多く組まれており、「どこか抜け出したら黄信号」と母親に伝えてある。そして、赤ちゃんの世話についても、元来彼は子どもが嫌いなのではなく、泣いているのをあやすつもりで手を出すこともあった。赤ちゃんの首が座っていない時にも抱かせてもらっていたが、本当に慎重で、身動きができないくらい固まった状態になっていた。這い這いし出してからも、赤ちゃんの面倒を自分でみないといけないような感じだった。

現在のところ、生活リズムや状態は崩れていないが、崩れる時は両親の油断から生じてくる可能性が高い。どちらかといえば、本人の好きなことは叶えてあげたい両親なので、これぐらいは良いだろうという思いが本人の要求をエスカレートさせてしまう恐れがある。両親がまずいかかわり方をしなければ、本人から崩れていくことはあまり考えられないが、「学園に戻りたくない」「家庭で生活していきたい」という気持ちを持ち続けられても、両親の構えが崩れた時にどこまで踏みとどまれるか。受診した時、例えば「こういうふうなことがあった」「~というふうになりました」など、特に書いて来てもらってはいないが、口頭で「お母さん、その項目はどうなの?」「これ、1個も抜けていない?」と尋ねている。両親の説明不足から勘違いを起こしたり、乾癬の薬を止めてしまい、再発の一歩手前になっていたこともあるので、両親が本人に説明する時には、「彼がわかっているかいないかは、その後の行動を見ればわかるのだから、とにかく説明してあげて」「新しいことはとにかく説明していかないとわからないよ」と言ってある。もちろん,本人は聞かない方が良い場合は、トイレに行っている時に話すようにしている。また、診察が終わった後に母親だけ呼び止めて、「どうなの?本当のところ」「お母さんも口ごもっていたけど本当はどうなの?」と言葉をかけるようにしている。

また、生活リズムでここが崩れない限り大丈夫というポイントが見つけられないままで、崩れに繋がらない約束事を削除しにくく、やることばかりが増えてしまう。本人の焦りのコントロールを目的に取り入れた模写(新聞の一面の天声人語を、シャープペンシルの芯を折らないで書く)についても、動作もゆっくりで慎重にやれている今の状態ではいらないと伝えたが、両親は折角だからやらせていると言う。

外部評価委員からのコメント

【黒川 新二 委員】

児童精神科医の役割

① 父親の「専門性のある所でないとこの人は診られない」という言葉

私たちの役割の中には、来院された方に障害を告知したり、障害特性を説明したり、どういうふうに育てるのかなど、さまざまな課題や問題点があると感じた。例えば、障害の質やかかわり方(障害の特性)の功罪について、プラスだけでなくマイナスの面もあるということがわかった。

② 親の現実見当識を育てる

子どもを育てる際、小学校に入る頃から、現実社会はどうなっていて、実際どの程度その子に可能な援助者が得られるか、どういう社会で生きていくことになるのかなど、現実的な見当識を親に言い聞かせないと育ってこないだろうと思う。今住んでいる町の学校が良くないと言って、どこかに良い学校があるか探すことに労力を注ぎ込んでも仕方がない。ここで生きていくのであれば、この町の教師の良い面を生かし育て、足りない部分は自分で補っていけば良いと思う。

【河島 淳子 委員】

(1) 生育歴、他の客観的情報から、強度行動障害を示す前の状態像を読み取る

この人は多動というか、非常に活発なタイプで、この障害がなかったらどんどん働いていろいろなことができる青年ではなかったかと思う。

小学校時代、良い先生に恵まれていた時には落ち着いて、ほとんど目立たずにいろいろなことができた。中学校くらいまでは非常に素直で、先生の言うことも聞けて、おおらかな面が想像できる。高等学校へ行き始めると、自分一人で電車通学をしていたこともあって、自分で歩いて生きていくという自立の方向性を持っていた。その頃から親の言うことをきかなくなり、嫌なことはやらなくなった。これは、普通の中高生と同じと思う。その頃、実習前に嘔吐がみられた。これが結びつくのかどうかはよくわからないが、適応は良好であったと考えられる。

視覚-運動の統合や因果関係の理解が比較的良好で、「さっきの原因はこうじゃないか?そうだとしたら、こうします」と言えることから、物事の理解や道理がある程度理解できる人と考えられる。

(2) 睡眠障害への対応:日常生活の充実を図り、生活リズムを整える

「19歳頃から母親にベッタリの傾向が強くなった」と資料にあるが、作業所で不適応行動が出てきた時に母親にベッタリになって、夜寝ない日が続いたのではないか。睡眠障害が出てきたのは、やはり幸せでない人がそう寝られるものではなく、何らかの事態があったからと思う。

あさけ学園に入所前の行動障害の状態をみると、気に入らなかったら叩いたり、器物を破壊している。自分に閉じこもって不登校になる、あるいは、作業所に通えなくなるタイプではなく、どちらかといえば八つ当たりタイプで、派手に表現しているので、あまり後に残らない。こういう状態になっても、まだ健康の要素を持っている人ではないか。しかしながら、母親が注意しても言うことを聞かない。母親は、他人に迷惑をかけるのが一番の苦痛で、家から出したがらなくなるのに対して、子どもの方はどんどん外へ出て行ってしまう状態になっていた。家に居ると、どうしても「この時間にはこうしましょう」というのがあまりなくなって、生活が崩れていく。そのために、睡眠障害が起きてくるのではないか。すなわち、家の生活が充実して、夜はしっかり寝ることは大切な課題と考えられる。

(3) パニック行動への対応

① パニックの成因(私見)

パニックは、どちらかといえば自分の意見を通したり、混乱した時に「わからないんだ!」というように、わがままを言っていると私自身は考えている。そんな状態を示せば必ず何か反応が返ってくるので、自分の言いたいことをこう表現しているのではないか。資料のように、表現する方法を習うのは非常に良いことで、言葉で言えなくても内容を文字で示す方法は非常に大切となる。私は「わかりません」とか「がまんします」とか、メッセージカードを使ったこともある。

戸籍を示して「あなたは3番目だからちゃんと言うことを聞きなさい」に対して、「はい、そうですか」と言うことを聞けるのは非常に素直で、知的に高かったからと考えられる。

② 本人への支援(入所)目的の説明

それから、あさけ学園に入所する時に、「しっかり説明してから入れなさい」と言っておいたのに親があまり説明して来なかったことに関しては、説明をすれば大変なことになるので、母親も言う勇気がなかったと思う。このように、今度帰る時カラオケに行くのに、「冬かな」と答えたとあるが、入所した7月から何ヶ月もあるというのも知っている。大騒ぎして、母親の髪を引っ張るのは当たり前と思う。

③ わからないのに「はい」と返事してしまうことから生ずる誤解

施設の生活を通じて観察された内容の中で、職員の説明もよくわからずに「はい」と言ったり、「わかったか?」と言われて「わかりました」と答えるタイプの子は、そこを観察して「○○がわかっていない」「○○のことで~のようになっている」を把握することが、職員や母親に必要と思われる。言葉(返事)があると、ついわかったと思ってしまうのであろう。

④ 焦った動きをゆっくり、丁寧に行なう

初期の対応ですばらしいと思ったのは、この多動な人に焦った動きをゆっくりするよう促した取り組みである。

夕食時にテーブルをひっくり返した。そこで、「あさけに何をしにきたの?」と言われているが、たったそれだけの言葉で納得したのか、もっとやりとりがあって納得したのか関心を持った。職員の分を出されたことでも、職員が自分の食べる分をあげたのか、近くにあった物をあげたのかで、子どもの気持ちが違ってくると思う。「あの人がくれた」と素直に感じるような心のある人ではないか。

資料に、「物事に丁寧に取り組んでこなかった」と書いてある。私たちは多動な子どもに対して、手が使えていないと思えるので、千羽鶴などの折り紙、細かい塗り絵、そして最後にもあるように、母親が新聞の天声人語の欄を書かせている。あれはすごく内容の高い文章で、私も試みたが、この人にはあまり理解できないと思う。現在、私たちは般若心経を使っている。写経を毎日やると気持ちも落ち着いて、周囲からも高い評価を受ける。

子ども自身がよく見えていないと、あわてて、大雑把に「あ、できた、できた」となってしまう。手を添えて、目で見て、「これが(できた)という状態である」ことを教える支援が大事になる。見えていなければ、どんなものもきれいにできない。それらがはっきり見えるようになってくると、洗濯物の合わせ目が見えてきて丁寧になるし、見えてくると無駄な動きがなくなってくる。そうなると、いろいろな課題がこなせるようになってくると考えられる。

⑤ 他人に言われたことをイライラせずに行なうこと

これこそ、まさに指示が聞きけるようになった。そのとおりにやっていくことこそ、今、私自身が取り組んでいることである。母親の指示が聞け、喜んでそのことがやれて過ごせるようになれば、それは手伝いと評価されて母親が助かったと感じる。これが充実しているということである。今からも取り組めることはあると思うが、赤ちゃんを見て1日過ごしたという話を聞いて、それができるようになれば、作業所でも十分にやっていけると予測できる。私たちも同じであるが、人は役に立つことで幸せになる。

(4) 家庭で暮らし続けていくための約束事を守る

① ルールの理解

ここに掲げられた約束事こそ、アスペルガー症候群の苦手な暗黙のエチケットと考えられる。この暗黙のエチケットを何も知らなかったのが、「本当はこうすることなのか、ああすることなのか」と、ひとつずつ受け入れてきた。書き出してみるとごく当たり前のことで、それを当たり前にできるようになることが、社会の中で生き続けていくために重要と考えられる。

② 切り替えができるようになること

納得すると素直に切り替えができるようになったのは、良い成果と考えられる。「これは捨てましょう」「アニメグッズは卒業だよ」と言ったらややこしくなるだろうと思ったが、すぐに切り換えられた。それは、他の多くの子どもたちにもみられることなので、思い切って切り換えるとか、捨てることも大切と考えられる。処理の際に「預かるから」という扱い方をしたのは、大切な物という思いがあるからで、私は「宅急便でおばあちゃんの所に送っておくから」というふうにした。それを破ったり、火で燃やしたりすると、人に火をつけたり、いろいろな弊害が起きてくるという意味で注意すべきである。

③ 家庭場面での直接的な支援

職員が近くで待機していたことについて、母親自身もしっかりしなければならないというあさけ学園の取り組みに対して、信頼を持って応えたことと思う。子どもにとっては、一般の人にとっての「こうすれば牢屋に入る」と同じくらいの、「こうしなければならない」という意志が子どもの中に入っていき、変わっていく状態と考えられる。

④ 「本当に無理なんだ」を伝えること

この事例のように、本人に「本当に無理なんだ」ということを伝えられたのは良かったと思う。母親にも本人を制御しようという思いがあって、「○○できたら~してあげるから」のように、条件づけ的かかわりで言うことを聞かそうと思う反面、やはり親としては子どもが可愛いから、本人のために何かしてあげようという気持ちが多分にある。それが裏目に出てしまい、「可愛いから」「だいぶ良くなってきたから、まあいいか」という面がチラリと出る。すると、本人もいろいろ試してみて、「自分が良い子になったから少しは許してあげるよ」と親は言っていると思い込んでしまい、また一緒におかしくなっていく。その悪循環をどのように修正するのかが重要と考えられる。

(5) 親の気持ち

① 最良の教育を受けたいという気持ち

一番良い学校へ行かそうと思って遠くまで通わせたのも、「母親」だからと思う。

② レスパイトの重要性

対照的に、「母親が本人から離れたいと思うのか、突然旅行に行ったり」とも書かれている。ここまで大変な子どもを抱えていたら自分が飛び出したくなるのは当たり前のことであって、私は非常に共感する。

③ わが子の障害特性が理解されない不安や苦しみ

いろいろな所を回ってきた親たちがやはりわかってもらえなかったとか、いろいろなことを言われてきたことは、おそらく後々まで響いていると思う。適切な処遇がされておらず、しかも親自身が熱心であればあるほど歪んでくるし、立ち直れない親もいることもまた、障害者を考える上で大切なのである。

【小林 信篤 委員】

(1) 親と教師、職員の取り組み方の違い

① 育児的な接し方の限界

両親は一生懸命に子どものことを考えているけれども、やはり親主体ではないかと思う。特に小さい子であれば、両親にとって都合のいい形を選んで、子どものことを考えていると言っている場合があるのかもしれない。

例えば、学校時代は適応が良かった。先生が根気よく付き合っていたからだというが、両親も根気よく付き合っている。それでもうまくいっていないのは、やはり付き合い方に違いがあると思う。それがどんな違いなのかという点が大切で、本人が主体であるという気持ちとか、意識がそこで作られていると思う。

② 本人の主体的な動き、意識を引き出す

どちらかというと、従来までの両親の向き合い方は自分たちの理想像なのに対して、本人の主張は行動上の問題として現れるので、あまり受け止めてもらっていない状態だった。それが、あさけ学園へ来るとじっくり聞いてもらえる。本人主体でどうやって生きていくのかを問いかけられ、今まで「ああしろ、こうしろ」と受動的に動かされていたのが、主体的に動かなくてはならないという意識が生まれてくる中で変わってきたと思われる。

③ 本人の強い(得意な)面を活用する

資料から、いろいろなことができるというのが読み取れるので、それを軸に改善を図ると行動上の問題はかなり減少すると思う。それをさらに、「あまりお茶目なことはするなよ」という形で意識付けていくと比較的理解できると考えられる。

(2) 約束事のフォローアップ

約束事の11項目に関して、「今はもう紙はなくても大丈夫」と言われたが、忘れた時に「おまえ忘れただろ!」と言って責めるわけにはいかないので、その時に思い出すための手段を残しておくのも大事になる。新たに約束を付加する場合も、両親と本人が直接するだけではなく、相談の時に「こういう約束事をしたいのだが、どういうふうに提示しようか」とか「働きかけようか」などの支援も必要と思われる。

(3) 継続した支援の必要性

経過の中で両親も変わってきているとは思うが、すべて家族に委ねるのではなく、肝心な部分は、定期的にあさけ診療所に通っているので押さえが利いていると思う。今後も丁寧なやりとりを継続していかないと、彼の家庭生活は些細なことで破綻をきたすだろうと予測されるので、母親は繋がっていたいと思っているのであろう。今後も継続した支援が重要と考えられる。

事例検討のまとめ
-自閉症や強度行動障害を示す人たちへの有効な支援/予防的支援-

A.自閉症・強度行動障害全般について

処遇期間(およそ3年間)を以下の3期に分けて、支援プログラムを進めている。

1年目(初期):生活リズムの確立

  • 親から本人に本事業を利用する(入所)目的をあらかじめ説明する
  • 1対1で職員が付き、先の見通しが立つように日課の流れやその場面での動きなどをその都度説明し、不安を除去する
  • 徐々に本人が信頼して動ける職員を増やすとともに、職員チームの対応を統一化する
  • 基本的な日常生活の流れを組み立て、慣れていくにつれて生活リズムを整える
  • 作業等の日中活動場面を通じて、焦った動きをゆっくり、丁寧に行なうよう取り組む
  • 家族から生育歴、他の情報を聴き取り、行動障害の要因の分析を行なう

2年目(中期):家庭生活に向けた支援目標の設定

  • 誰(職員)とやっても同じようにできる
  • 誰も見ていなくとも手を抜かずにできる
  • 他人が言うことにイライラしないで動く

3年目以降(後期):家族への支援、日中活動の場の提供

  • 家庭生活のポイントを本人にわかりやすい形で呈示する…本事例では約束事11項目
  • 誤った/歪んだ家族関係の認識を修正する
  • 家庭の生活環境やパターンを切り替える
  • 現場での直接的な支援を含めて、問題が起きたら即時に対応できる支援体制を作る

B.クラスターⅢ型(多動、固執、パニックが激しく、対応困難)について

本事例のパニックを分析すると、先の見通しが立たずに不安になり、混乱してパニックに陥る一次的障害と、威嚇するために暴れるなどの二次的障害に分けることができる。特に、次のような予防的支援が有効と考えられる。

  • 本人にひとつずつ事前に説明しておく
  • 返事をしたからわかっていると早合点せず、理解できているか否か必ず確認する
  • 家族に対して、パニックの原因や予防/対応方法などを具体的に伝える
  • 多動と関連して、前記したゆっくりと丁寧に行なうプログラムに取り組む(初期)
  • 他人が言うことにイライラしないで動く(中期)
  • 適時に「本当に無理なんだ」を伝える場面を設定する(後期)

C.今後の課題

今後も、継続的な家族へのフォローアップが重要と考えられる。

  • 地域の福祉事務所、コーディネーターなどの活用、およびフォローアップ施設との連携
  • 専門的な医療/相談機関の確保
  • 将来的に家庭生活の中で顕著な問題が生じた場合に早期に対応するため、本人の状態を推し量ることのできるサインを見つけ出す(例えば、ここが崩れると危険信号など)

資料作成:廣田 昌俊(あさけ学園)
事例報告:廣田 昌俊(あさけ学園)

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