クラスターIV型(自傷攻撃破壊、摂食排泄睡眠の障害が激しい)の事例&②

事例の概要 女性、40歳、身長143cm、体重48㎏
父、母、本人の3人家族
利用開始日 平成15年4月1日

1.生育歴、相談・治療・教育歴

(1) 生育歴

出生時 妊娠中毒症。在胎期間40週。帝王切開にて仮死状態で出産。生下時体重2,800g。泣く力や哺乳力は良好。
乳児期 栄養(混合)。体重増加(良好)。運動発達(良好)。始歩11ヶ月。喃語なし。離乳1歳2ヶ月。立てて抱くと泣かないが、横抱きやベッドの上では泣き続ける。座った状態から不意に寝転んでガラスを割る。歩行器に入れると、歩くのではなくスーッと走るように動き、危なくて入れておけない。
幼児期 人見知りが激しく、人に接すると泣き叫ぶ。一般の保育園に通園するが、集団行動ができない、保育園から抜けだして家に帰って来る、声かけしても動かないのに目を離すと走り出すなどの行動が目立つ。言葉はあり、「このお洋服誰が作ったの」と尋ねると、「お母さんがミシンガチャガチャ」と答える。3歳の時、何度か階段から転がり落ちる。通園を断られたために保育園を転園。ここでも家に逃げ帰って来て、「保母が付ききりのはずなのになぜ保育園からいなくなるのか」不思議に思う。5歳の時、自閉症の診断を受ける。母親と一緒に保育園に通園する。母親が一緒であれば他の子どもの遊びを真似たり、母親を捜したり、話しかけたりする行動がみられるが、就学前に単独通園を始めると一人遊びに戻ってしまった。絵本が好きで、全ページ覚えているかのようだった。その反面、パンツ・シャツ・靴下はひとつの物しか身に付けられない(今着ている物を洗ってまた着る)。食べず嫌いが多い。保母から体罰を受けたことがあった。
学齢期 小学校6年間を情緒障害児学級で学ぶ。低学年の時は、絵や文字の指導を受けても書けなかったが、高学年になると書けるようになり、汽車拭きやタイヤ運びなどの作業も覚えた。周囲を見て歩けず、下水道に落ちる、看板にぶつかる、池に入って遊ぶ、転んで右膝ばかりをケガする、マンガの付いた靴にこだわって長い期間履き続ける、親や教師に噛みつく、2階から飛び降りるなどの行動がみられた。学校からも途中で帰って来ることがあった。親の会のキャンプ参加や発達クリニックに受診したが改善されなかった。高学年になり、複式学級では対応が難しいと言われたことから、中学校は養護学校へ進む。2年生の2学期から学校に行きたがらず、スクールバスを見ると陰に隠れ、学校に行かせるとその夜は泣き叫んで寝なくなり、次第に顔が腫れてうずくまって動かなくなった。学校で体罰を受けたり、無視されていたことが後でわかった。3年生になると、学校に行くようにはなったが、ほとんどウサギ小屋で遊んで過ごしていた。この時期、大好きだった本をまったく見なくなった。
青年期 中学部卒業後、高等部がなく、適切な進路が見つからずに1年間自宅で過ごす。小学時代の先生が指導員をしている温水プールや、学校のウサギ小屋へ通う。この時期に失尿や弄便が始まった。ウサギの餌やりが変化して自分で草を食べるようになった。弄便もこの時期に始まった。1年後、近くに養護学校高等部が新設されたので入学した。奇声を上げ、常時しゃべりまくる。少し我慢ができるようになったが、教室を抜け出すこともあった。母は教師への不信感が拭い去れずに悩み、学校や教師に対応や接し方についての要望を出す。学校での対応に不安や不満を抱いていた矢先、1987年5月に三気の里が開所し、自閉症施設であることに期待して入所。

(2) 三気の里への入所から強度行動障害支援加算事業の利用まで

さまざまな行動障害を示していたため、入所時から1対1で支援した。入所から6年間は、他の利用者と一緒に作業に参加しながら、排泄などの生活習慣の獲得をめざした。その中で、自発的にトイレに行くことや衣類の着替えができるようになったが、不適応行動や不眠は改善せず、大幅な体重の増減、情緒の崩れとともに生活習慣も崩れた。入所2年目から精神薬の服薬を始めたが、目に見えた改善はなかった。家族から、他の利用者と同様に作業などの活動に促していくやり方ではうまくいかないので、支援方法を変えてほしいと要望があり、施設と家族との話し合いの結果、支援方法を変えている。

平成5~14年度は個別活動を重視し、穏やかな接し方で支援した。当時、以下のような統一事項があった。

→24時間1対1で対応する。1人の指導者が対応するのは2時間程度とし、常に穏やかな接し方ができるようにする。
→単に行動を止めるのでなく、良い方向へと導くような声かけや態度で接する。
→集団での作業指導には参加せず、負担の少ない、本人の好むような活動を取り入れる。

その結果、大きな情緒の崩れはなくなり、睡眠、排泄、食事などの生活習慣も少しずつ身に付いてきたが、本人の行動障害は改善されなかった。本人のペースに合わせて行動するために本人と支援者のやりとりが少なく、他の利用者と一緒に生活している状態にはなかった。

(3) 相談・治療・教育歴

2歳 乳児園
3~4歳 保育園。保育園からの指示で児童相談所を来談。良い教育施設はないかと尋ねたが、健常児と交わる方が良いと言われ、そのままになる
5~6歳 保育園を転園。大学の特殊教育学科へ相談に行くが、話しかけても目が合わないことから自閉症と診断。教育法を尋ねたが何もないと言われ、医師や教育者への不信が始まった。大学医学部では、脳波検査の結果、左右の(前頭葉の)脳波が同じでないと言われる。入学時面接で、じっとしていない本人を見た精神科医から「人間ではない」と言われた
7~11歳 小学校特殊学級に入学
8~11歳 自閉症親の会のキャンプに参加
12歳 発達クリニック受診。キャンプなどに参加したが改善なし。養護学校中学部に入学
15歳 同校卒業、家庭で過ごす
16歳 養護学校高等部入学
19歳 同校中退、三気の里入所

2.障害の状態像

(1) 障害種別

重度精神遅滞、自閉症

(2) 障害程度

区分6、療育手帳A1判定、社会生活能力SA 1:9

(3) 生活能力

言語 話し言葉はあるが、会話はほとんど成立しない。意図的に言葉を模倣させようとしてもできないが、周囲から聞こえてきた言葉はすぐに真似て口に出す。本人からの訴えは、「オシッコ」という言葉のみ。また、名前を呼んでも返事をしない、呼んだ人に注意を向けることもまれ。「立って」「座って」の簡単な言葉かけにも反応は不確実。
コミュニケーションは、自ら他者に働きかけることがほとんどなく、他者からの働きかけ、支援に対する反応も乏しい。母親、担当職員、かかわりの多いスタッフには自ら近づいたり、後追いしたりすることはある。病気やケガをしても痛みや不快感をまったく訴えない。
排泄 尿意を確実に伝えることができず、失禁あり。排尿が終わるまで便器に座っていられない。排尿後の始末もできない。
食事 意欲がある時には、食べた物を飲み込まないうちに次々と口に入れる。意欲の低下が顕著な時はまったく自分で食べない。盗食、手づかみあり。
睡眠 睡眠薬を服用しているが、夜間に覚醒あり。
洗面 すべて介助。
着脱 着脱の動作は獲得しているが、着替えようとしない。
運動 箸、鉛筆、ビーズなどの細かい物を扱うことはできるが、物を持って運ぶ動作は苦手。不穏時には腕90度、足は突っ張るか、縮めるかの形で固まったり、足踏みがひどくなったりする。
学習 色や形の分類、生活の中では食器の分類ができない。なぐり描きにならないように手を支えれば文字や人形を描くことができる。

3.行動障害の状態

(1) 利用前の様子

ひどい自傷 爪や爪の回りの皮膚を噛み、放置しておくと出血する。ケガをすると、カサブタを繰り返し剥ぐ。顎の皮が剥けるまで掌を舐める
激しいこだわり 夜中や寒い季節でも、かまわず水道で激しく水を出し、その中で激しく手を擦り合わせる。制止しようとすると、支援者を押しのけたり、手を振りほどいて水道に突進する
激しいもの壊し 紙やビニールでできている物を破って口に入れたり、手でこねたりする。目に入ると突進して破く
睡眠の大きな乱れ 規則的に十分な睡眠が取れず、睡眠を取ることを目的とした精神薬を服用しているが、期待するほど効果はない。特に、生理前はまったく眠れない日が3~5日続き、頓服薬も効果なし
食事関係の強い障害 草や枯れ葉などの植物や昆虫を頻繁に食べる。見つけると、突進して口に入れる
排泄関係の強い障害 望ましくない行動を止めさせようとしたり、本人の好まない行動を促されたりすると失禁する。また、指を肛門に入れて便をかき出して、便を手でこね、衣服や床・壁を汚す。生理の時、生理用品を外し、毟って口に入れたり、手でこねたりする
著しい多動 好きな活動の時でも、一定の場所に5分程しか座っていられない。施設内を無目的に歩き回り、集会室などの広い場所では、同じ方向に円を描いて歩き続ける。座るよう促すと、支援者の手を振りほどいて走り出す。また、2階の窓から飛び降りる行動もある
著しい騒がしさ 常に意味のない独り言を大声で繰り返す。独り言を言いながら興奮して、奇声を発するに至る。また、自分の思うようにならないと興奮しやすく、跳びはね・奇声がみられる

(2) 判定基準点数の分布

旧法 強度行動障害判定指針 新法 重度障害者包括支援
自傷(5点)、こだわり(5点)、物壊し(3点)、睡眠(5点)、食事(5点)、排泄(3点)、多動(5点)、騒がしさ(5点) 意思表示(2点)、説明理解(2点)、異食(2点)、多動(2点)、不安定行動(2点)、自傷(2点)、破壊(2点)、抱きつき(2点)、突発的声(2点)、突発的飛出(2点)、食事(2点)
合計36点 合計22点

(3) 服薬の状況

コントミン25mg・2T/日、コントミン50mg・1T/日、テグレトール100mg・2T/日、
テグレトール200mg・2T/日、アキネトン1mg・3T/日、セレネース1mg・2T/日、
リーマス200mg・3T/日、ネルボン5㎎・2T/日、カマグ1g散・2包/日
頓服として、ネルボン5㎎・1T/回、アモバン7.5㎎・1T/回、セルシン5㎎ 1T/回

4.行動障害の要因等に関する分析、捉え方

身体の緊張が強く、うまく動かせないために、個々の生活動作に失敗し、不適切な行動に至っている。

5.行動障害改善のためのプログラム、支援の経過

(1) 支援プログラム

本人の行動障害を改善するためには、本人の思うように身体を動かせるようになることが必要である。支援者と本人の共有する課題としての「言葉かけ」、言葉を理解し応じようとする「意図」、結果として表現される「行動」のすべてを一致させていく手続きを積み重ね、自分の意志で自分の身体を自在に動かせるようになることと、人とのかかわりの中で生活できるようになることを支援目標とした。

(2) 支援体制

強度行動障害事業の利用者に対する支援は、1対1の付き添いをしながら、日中は所属する作業グループでの活動、生活場面では日課に沿って行動できるよう支援している。他の利用者や支援者とのかかわりの中での生活を目標としているので、基本的には集団の中で1対1対応している。

(3) 支援経過

【第1期】;平成15~17年度

① 利用開始時の目標設定
1年目(H15) 学習課題や動作課題を中心に、作業時間を利用して本人が思いのままに動ける身体作りを行なう
2年目(H16) 学習や動作課題に作業を盛り込みながら、かかわる人、反応を求める場面を拡げて、人とのかかわりの中で生活することへのステップとする。
3年目(H17) 作業や生活課題を中心にかかわり、いつも付き添いが必要な生活からの脱却を図り、年齢相応の生活ができることをめざす。
3年目の初めに状態の崩れがみられたため、2年目と同様の目標と課題設定に戻して、支援を行なった。

【1年目】
学習課題:色や形の分類、ペグさし、紐通し、
動作課題:歩行

課題遂行の中で「教材を手渡す時、名前を呼んで反応を促す」「言葉かけで方向転換する」「言葉かけに応じて、水道などの刺激に反応しないよう練習する」「早く歩いたり、ゆっくり歩いたりと相手に合わせる」など、対人関係作りの課題も組み込んだ。本人の反応や行動を引き出すことは難しく、学習課題遂行は手を添え、名前を呼んだり、方向転換するには身体に触れて支える援助が続いた。課題を行なっている間は作業場に居られるが、課題を終えると作業場から出たがり、失禁が続いた。また、手指の動きを伴う課題は得意な反面、色や形の分類などの認知に関する課題は不得意なことがわかってきた。動作については、声かけだけで反応できなくとも、指さしや手招きなどのジェスチャーで反応できるようになり、不適応行動を引き起こす刺激への反応は軽減した。

【2年目】
作業課題:牛乳パックのラミネート剥がし、パルプ干し(紙すき作業の1工程)

課題導入時は、紙に触れることに強い緊張を示し、破ることもあったが、手を添えて支援すると、次第に手をうまく動かせるようになり、添えている手を離しても破らない状態になった。同時に、手を膝の上に置いておけるようになった。パルプ干しの作業では、洗濯バサミの操作ができていたので、道具の工夫をして「一人で干す」ことに取り組んだ。
教材から作業課題への転換で、本人や支援者に目標とする行動がわかりやすくなり、達成感が共有できるようになった。作業場にいる目的も明確になったことで離脱も減った。日常生活場面でも手の動きが落ち着いてきて、担当者と一緒であれば、声かけで爪噛みや手を舐める行動は止まるようになり、他の利用者とともに行動することが増えた。

【3年目】
作業課題:牛乳パックのラミネート剥がし、パルプ干し

作業課題には慣れてきて、促されると反応良く行動に移れるようになった。行動面について、前年には治まっていた、手を舐めたり、執拗な陰部触り、紙や水へ突進するなどの行動が再び顕著に出現したため、作業時は課題に集中すること、余暇時間は手をつなぐことで行動の頻発を防いだ。長時間手をつないでいる不快さを軽減するため、時には好きな人形を持たせて気分転換を図った。本人の状態の崩れによって、作業や生活での適切な行動を促す上でさらなる工夫や配慮が必要となったが、やりとりの中で本人への働きかけの仕方や本人からのサインが分かるようになるなど、支援者側に変化がみられ、本人も多くの支援者とリラックスして過ごせるようになってきた。睡眠について、施設では安定傾向にあったものの、自宅で不眠が続いた。なお、これは、自宅で服薬をしていなかったことが原因のひとつであった。

② 第1期の評価、まとめ

3年間の取り組みから、作業や生活における個々の行動について、適切な動きを形成していくことが本人にとって理解しやすく、達成が得やすいことや、不適切な行動の軽減につながることがわかってきた。そこで次の3年は、作業や生活の中での課題、本人や支援者、家族にもわかりやすい課題をピックアップして取り組んでいくことになった。

【第2期】;平成18~20年度

【4年目】
作業課題:牛乳パックのラミネート剥がし、パルプ干し、
生活課題:靴下を履く、衣服の着脱

3年目の状態の崩れで、手の不適切な動きが顕著になったため、手指を使う課題を設定し、適切に動かすよう支援した。衣服の着脱の動作は獲得しているが、声をかけても反応が鈍く、動作に移れない状態にあった。本人がどこから動き出すのか見極めて、動作の起点を補助しながら本人が動き出すのを待つと自分でするようになってきた。5本指の靴下に指を合わせる意識も出てきた。歩行中は手を下ろして、振りながら歩くことを促したり、日常の中で示した物を手に取って触ったりすることで、腕や肩の動きも形成していった。

【5年目】
作業課題:牛乳パックのラミネート剥がし、パルプ干し、材料を木枠に流す工程
生活課題:ハンカチで手を拭く、ハンカチをポケットに入れる・出す

仕事の幅を拡げてやりがいが持てるようにするため、紙すきの下準備の部分から「作る」部分の作業に取り組むようにした。初めは手桶を握っておくことも難しく、手を添えての作業であったが、自分で持とうとする動きが出てきたり、その前後の工程にも興味を示して、支援者の手元を見るようになった。ハンカチの利用は練習の機会が多く、繰り返して行なえたため、声かけに応じて拭くことや出し入れができるようになった。

4月に作業グループの支援者が交替し、新しい支援者に慣れるのに時間を要した。5~6月頃、作業場に入りにくく、新しい課題や支援者への抵抗とも考えられたが、課題の修正はせずに乗り越えるのを待った。秋口には、チック様の動きや、夜間に居室内での排尿(失禁ではなく、入り口を開けてあっても居室から出て来れずに排尿している。この時期、自宅では寝室に入ることができなかった)がみられたが、この時も生活や作業を安定させて、生活リズムを保つことで改善につないでいる。

【6年目】
作業課題:牛乳パックのラミネート剥がし、パルプ干し、ポチ袋作成
生活課題:洗濯物を自分でたたみ、タンスに入れる

仕事について、さらにやりがいが持てるように、製品化する工程に取り組んだ。手を添えた状態で、ジグを使っての糊付けや折り込み、袋詰め、運搬などの工程を行なっているが、「でき上がり」の部分に関与することで、「自分で作った」という意識が持てているように思う。製品が販売に出されたり、売れたりすることで、家族の喜びにもつながっている。洗濯物をたたむ場面では、慣れない支援者が声をかけると寝転がって動こうとしないこともあったが、現在は声かけに応じて動き、たたんで片付けられるようになってきた。

6.行動障害の転帰

(1) 利用後の様子

ひどい自傷 爪噛みや皮を剥ぐ行為は継続してみられるが、行動が出る時に声かけをすれば止められることも見られる
激しいこだわり 人を押しのけ、服を脱いでまでこだわった行動をすることはない。手洗いの時、力が入って強く手を擦ることはある
激しいもの壊し 付き添いをしていれば、破る行為は少なくなった
睡眠の大きな乱れ 現在施設に5泊、自宅に2泊のサイクルで生活している。施設で週に1~2回寝付きが悪く、頓服薬を服用する。自宅において、1泊目はほとんど眠れず、2泊目は眠っている。生理前の不穏は毎回というわけではなくなり、何日も眠れないことはなくなった
食事関係の強い障害 植物や昆虫を食べることはないが、探す仕草はある。手に取っても、声かけや手に触れると止めることができる
排泄関係の強い障害 望ましくない行動を止めさせようとした時の失禁は見られなくなった。逆に、何の訴えもなく失禁していることがある
著しい多動 作業場に入ることができなかったのが入れるようになったことが、大きな変化である。課題に向かっている時の離席もなくなった
著しい騒がしさ 独り言は続いている。激しい興奮・跳びはね・奇声はほとんどみられない

(2) 現在の判定基準点数の分布

旧法 強度行動障害判定指針 新法 重度障害者包括支援
自傷(3点)、こだわり(3点)、物壊し(3点)、睡眠(3点)、食事(3点)、排泄(3点)、多動(5点)、騒がしさ(3点) 意思表示(2点)、説明理解(2点)、異食(2点)、多動(2点)、不安定行動(1点)、自傷(2点)、破壊(1点)、抱きつき(2点)、突発的声(1点)、突発的飛出(1点)、食事(1点)
計26点 計17点

7.アフターケア

現在も継続して事業による支援を続けている。

8.得られた知見、今後の課題

本事業開始以前は、本人の状態や行動に合わせた生活を行なうことで、本人や家族に安心感を持ってもらうことを中心とした支援であった。その中で、睡眠、排泄、食事などの生活習慣が少しずつ身に付き、本人も家族も次第に落ち着き、家族はもっと成長するのではないかという期待や、他の利用者と一緒に生活してほしいとの希望を持つようになった。行動障害は強く残っていても、支援者が付き添うことで生活習慣が保てるのであれば、その状態を保持しつつ、集団活動への参加や作業課題への取り組みも不可能ではないと考えた。

本事業の利用にあたって、生活の全面的な自立は望めなくても、本人が少しでも生活しやすくなること、他の利用者の中で生活できるようになること、介助ではなく見守りの中で、自分でできることをひとつでも作ることをめざしてきた。結果として、他の利用者と同じ空間・日課で生活できるようになり、作業の中で本人の役割が確立し、作った製品が販売できるようになった。行動面では、こだわりや自傷、睡眠の面に改善がみられ、全体的な行動も落ち着いてきた。本事業を開始する前から1対1での支援を続けてきていたが、本事業の利用にあたって支援者の配置が事業として確立し、毎月のカンファレンスで評価を行ないながら支援してきたことで、これまでみられなかった成果が得られたと言える。本事業の経過の中で、家庭で3泊、施設で4泊というリズムでの生活から、家庭で2泊、施設で5泊に切り替えたのも、家族が本人の成長を認め、より成長を望んでのことであった。今後の生活の場としても、現在のところ、施設入所による支援を継続していく予定である。

本事業は当初3年という期限付きであったが、3年という期間は本人の行動改善に充分な時間ではなかった。さらに6年という利用期間を経て、生活・行動の改善がみられているが、改善された生活を維持していくには、今後も同様の支援を継続していく必要があると考える。

毎月のカンファレンスの際には、嘱託医に参加していただいた。服薬の調整、利用者の行動の背景・理由付け、支援の具体策、家族の立場や考え方、それに対する支援の姿勢など、多岐にわたるアドバイスを受けたことが、本人の行動改善につながったと言える。

外部評価委員からのコメント

【奥野 宏二 会長】

  • 5~6歳の時に自閉症と診断を受けているが、私たちがよく目にする自閉症なのかと気になった。自閉症の人たちの中にも対人関係が良い人がおり、ある時点で落ちる折れ線型かと思ったが、そうでもない。2~3歳の時、「ミシンガチャガチャ」と言ったり、5~6歳で「母親を探したり、話かけたり」して、自閉症らしくない印象を受ける。しかし、「歩行器に入れると歩くのではなく走るよう」「階段から何度か落ちる」「下水道に落ちる」「看板にぶつかる」「右膝ばかりケガする」など、身体面がおかしいというサインは早くから出ている。身体機能、視野など、さまざまな面に困難さを抱えていると考えられる。対人関係はむしろ良好で、母親ともっと密着して取り組んでいたら、いろいろなスキルが身に付けられたり、できるようになったのではないか。残念なことに、保育園や学校で体罰を受けた経験があり、対人関係への不信感が作られてしまっている。
  • 急激な体重の増加、原因のわからない崩れの繰り返しがある。同じような女性を知っている。その人の当時の診断は『幼児期痴呆』。子ども時代のある時期からガタガタと上体が落ちて、最終的には痴呆になるという診断を受けた。本人とよく似ており、ある時期から落ちて食事を食べなくなって痩せ、今度は多動になり、あちこちと食べ物を探し回って過食になる。それを繰り返している。小さい時、能力がノーマルな感じだったという点でも似ている。
    →私たちも違うと感じていたが、他の障害ではないかと診断した医師はいなかった。20歳くらいから付き合い始めて、今は40歳になった。排泄面をみると、以前は逃げるために失禁していたのに、今は何も言わず、時にはにこやかに失禁する状況で、「認知症に近い?」と話し合ってきた。実際そのような事例があるとわかったので、見方を変えて、そのような視点からも支援していく必要があると感じた。
  • 身体面の大変さには、丁寧にプログラムを組み立てて取り組んでいる。作業の場面で、支援を変えたのか、場面を変えたのかが報告の中ではっきりとしない。基本的には、身体をうまく使えるように、固まってしまった身体をうまく動かせるように引き出している。本人は学習課題を使っているが、基本的な使い方については、作業と学習課題で大きく異なっていない感じがする。
  • 「得られた知見」は、強度行動障害の支援モデルを考えていく上で共通項という気がする。施設のいろいろな場面を使いながら、例えば1対1で支援する。障害児保育と同じように、保育場面をうまく使えるようにしていくという動き方である。加えて、毎月のケースカンファレンスできちんと評価する。外部からアドバイスを受ける。利用期間の問題はあるが、これらは強度行動障害のメリットである。
  • あさけ学園の経験から述べると、施設入所の中で療育を続けてきたが、元来障害の重い人たちだから行動改善は限られている。しかし、それでもみんな勇気を出して、CHや在宅などの違う生活場面への移行を考える。ただ、施設職員はベテランになるほど考えなくなる。施設で本人が失敗しないように、できるだけ良い形の生活を維持できるように支援し、気が付くとその視点でしか本人が見えなくなる。施設内で問題は起きないが、CHへの移行を検討した際に、どの行動障害が出るのか出ないのか判断できなかった。これが、施設支援で陥りやすい危険な部分である。施設でやるにしても、本人の状況や場面が変った時に、本人の行動はどうなのか、本当に変わってきているのかなど、絶えず意識しないといけない。行動面でしかかかわらなくなってしまい、先が全然見えなくなってしまう危険性があるので、次に移行すべきCHのことなどを考え続けていなければならない。同じように、施設入所支援を続けていくことも、同じ危険性を絶えず持っている。だから逆に、長期間入所している人ほど、事業という形で見直して、カンファレンスや外部の評価を受けることによって見方が変えられていく。継続していく場合、それをどう維持していくかが課題となる。

【古屋 健 委員】

  • 基本的には3年間の計画を立てて、具体的なプログラムがあって、通算6年で改善のみられた事例である。
  • 基本的なプログラムをどう作っていくか。「学習→基本的な動作訓練→作業→生活訓練」と筋道を立て、このような形でやれば良いと思う。しかし、最初の目標設定では3年目に「年齢相応の生活ができること」を掲げており、ここまでめざすのであれば、もっといろいろなことをやらなければいけなかったはずであるし、具体的な目標に修正していくこと、段階を踏んでいくことが必要ではないか。
  • 「家庭3泊、施設4泊」が「家庭2泊、施設5泊」に変わっていく中で、家庭に帰った時のプログラムをどこかの段階で考える必要があったのではないか。「母親との関係」がひとつのテーマである。最初の学習課題とか動作訓練という段階であっても、例えば「自宅で散歩してください」という形で、プログラムを少し提供してみることから始まって、徐々に最終的な年齢相応の生活をめざした帰宅時プログラムが必要ではなかったか。
  • 1対1の支援が徐々に緩んでこないとおかしい。その試みや変化が6年間の間になかった。1対1が前提でずっとやっている点について、年齢相応の生活という目標から考えると、目標設定の段階から「1対1の影を薄くして、1対1を緩めるプログラム」「家族や施設の手を離れていくためのプログラム」があると、6年間の変化がもっと違ってきたのかもしれないと期待できる。
  • この年齢でも6年間やれば変わるのであれば、もっと早いうちにできなかったのかと思う。19歳の入所から1対1であったなら、1年目の学習課題ぐらいはできたのではないか。ただ今回の事業が刺激剤になって3年間の個別プログラムができたという成果でもあろうが、事業としての経済的支援がなくても、やればできる人が隠れているのではないかと感じる。事業によって、個別プログラムを立てる余裕が施設にできたものと思われる。このような事業・経済的支援での成果があるとすれば、日頃から個別のケースについて、もう少しお金があればできるのではと感じた。そう考えると、養護学校(特別支援学校)やそれ以前にどうにかできなかったのかなと残念に思う。学校などでの出来事で母親が不信感を持った記載について、どこまで真実かわからないが、事実関係を調べる必要がある。
    →この事業を開始する前の方が、もっとがっちりとした1対1であった。作業場面から離して、まったく別の生活リズムなので、自分たちでもどうしていけばいいのか、プログラムもなかった。とりあえず安心してもらえるようになることがテーマだった。やりとりの中で逃げたり、追いかけたりが出てくるので、まずは彼女のリズムに合わせていこうとした。今は以前から比べると良い状態にあって、集団の中で1対1対応ができるようになった。

【黒川 新二 委員】

  • 彼女は1960年代に出生しているので、幼児期には自閉症の発達支援はまったく手探りの状態で、大学で教育方法を教えてもらえなかったのは大学自体の問題ではない。多くの地域がそのような無支援の時代である。
  • 三気の里での入所支援は2期に分けられる。第1期は昭和62~平成14年、第2期は平成15~20年である。第1期の支援は、一般の丁寧なかかわりである。第2期の支援は、動作法や課題を取り入れた、強度行動障害改善のためのプログラムである。同様の強度行動障害改善プログラムで支援したもう1人の事例と比較すると、彼女の改善はゆっくりである。
  • 彼女の特徴は、知的に最重度であること(社会生活能力SA 1歳9ヶ月水準)、それなりに音韻発生が可能であるのに言語理解が著しく不良であること、学習課題や作業課題の関心や習得が乏しいこと、小児期のどこかで精神発達が後退したと思われることである。このような特徴と、改善がゆっくりであったことの関連性を検討してみると、類似した特徴を持つケースへの支援の開発に役立つと思う。
  • 自閉症の人たちへの支援プログラムは、あさけ学園型のプログラムも、東やまた型のプログラムも、自閉症の人たちが道具を扱い、物を工作する潜在能力を持っていることを想定しているように思う。この事例はその点で、他の多くの自閉症の人たちと異なるのではないだろうか。
  • 同じように、自閉症の行動特徴を示す人たちの中に、障害と質の評価をさらに詳細に行なわなければならない人がいることを示唆している。そのような障害の質の評価は、精神医学においても十分な経験の蓄積があるとは言えない。自閉症の支援には、未解決の課題がたくさんある。

質疑応答、報告内容の確認について

  • 「両親からやり方を変えてほしいと要望があり、話し合ってやり方を変えていった」とあるが、三気の里ではやり方をどう評価して変えたのか?話し合いはどのような話し合いだったのか?
    →6年間の中で身に付いたこともあるが、急激に崩れたり、良かったり悪かったりを繰り返していた。服薬の調整で入院もしたが、効果はなかった。さらに、注射で傷跡が残るという出来事があった。薬で解決しようとやり方が母親には納得いかないようであった。当時、本人の調子が悪くなると自宅に帰しており、変更した年も正月に帰宅してそのまま3月末まで三気の里に戻って来ない状況であった。その時に、退所するか否かの話し合いを持った。その頃の三気の里は、作業でいろいろなやりとりをする中で行動を変えていくというやり方を行なっていた。しかし、本人はそれに乗ってこないし、うまくいかなかった。それが6年も繰り返されてきた中で、施設でも新しいやり方を模索する必要があるのではという見解に至っている。
  • 事業の3年目の時に状態が崩れているが、担当者が変わったのか、関係職員が辞めたのかが記載されていない。本人が勝手に崩れたのか、施設側の要因があったのかなど、それなりに要因があるのではないか?
    →担当者は変わっていない。それまでの崩れ方は、1年間のリズムとして秋口に崩れ、暖かくなってくると調子が戻るパターンであったが、この年は調子が戻る時期に崩れた。原因もわからなかった。何かの病気かもしれないと思い、皮膚科や内科などを受診した。耳鼻科でアレルギー反応が出て、薬を処方して貰った。薬を飲む中で少しずつ変わってきたが、本当にアレルギーが改善したから変わったのか、やりとりをする中での改善であったのか、はっきりとはわからない。とにかく、かかわりを多く持つように付き添って支援していた。
  • 両親のことが非常に大きな課題になるのでは?生育歴をみると、いつも不信や不安などを感じている。どっしり受け止めて、二者関係を確立したいとイメージ的に持ってしまうが、その点をどうとらえているのか?
    →担当して8年経つが、やりとりの内容によって、認める意見や止めてほしいという意見をもらうなど、いろいろなことがあった。三気の里で取り組んでいる内容を家庭に伝えても受け入れられない時もあったが、本人が変わっていくことが一番と考えて、取り組みを続けていった。現在は不安や不信よりも、「安心してまかせられるようになった」と口にして貰えるようになった。
  • 今も基本的には1対1の対応なのか?課題に「今後も同様の支援を継続していく必要がある」とあるが、1対1は必要なのか?
    →現在は集団の中で1対1の対応で、今後も必要と考えている。
  • 年齢が40歳。1対1で丁寧にかかわっており、集団に入れれば良いというわけでもないが、今後も1対1の根拠は?どのような方法で認知とか状況の理解を促しているのか?
    →集団の動きに付いて行くことができない。声かけで注意を促そうとしてもできない。そのため、誰か付いて逐一促していかないと適切な行動が取れない。それでも以前に比べると、人の中に入れない状況ではないので、1対1で集団の中に居る。
  • 人の中に入れないというのは、緊張から?場面の切り替えでそういう心理が働いてしまうのか?集団より先に移動したことはなかったのか?
    →緊張からかどうかはっきりと言えないが、先に移動して誰もいない空間でも入れなかった。
  • 1対1の支援であるが、他の支援者に代わった時に崩れることがあったと思われる。それに関して、担当者の対応、接し方は?追加資料の中に「かかわりが多い人には自ら近づいてくる」とあるので、本人がどういうポイントでかかわりを求めてくるのかを分析できれば、小集団でも気楽にやっていけるのではないかと思う。1対1で対応して、支援者が代わると崩れるとなると大変ではないのか。本人は支援者に対して、何を見て接しようとするのか、どこが気に入って自分から心を許せるのかなど、具体的な分析があれば?かなり密着した支援と考えられるが、言語的なコミュニケーションやジェスチャーはどうしているのか?
    →本人が何をポイントとしてかかわってくるのか、現在の段階で具体的に分析できていない。コミュニケーションは、身体にもたくさん触れているし、本人が反応しなくても言葉をかけている。分析に関してはこれから取り組み、支援につないでいきたい。
  • 家族との関係に苦労している。帰宅が週2泊(以前は週3泊)なので、生活のリズムがつかめない、薬の効果もわからない時、ある程度の期間、帰宅を中止することはあったのか?
    →入所当時から毎週帰宅している。家族が病気で大変な時期も帰宅していた。初めて帰宅しなかったのが、昨年インフルエンザに罹った時で、3泊から2泊になって家族の気持ちも変わってきたためと思うが、帰宅を見送ってほしいと伝えると、「お願いします」と承諾してもらえた。また、感染性胃腸炎で隔離しなければならない時も同様であった。それまでは、本人が病気になると「自宅で看る」と言って連れ帰っていた。それは、施設に対して不信とかでなく、本人はすごく手がかかるので迷惑だからとの思いからであった。
  • 1対1の濃度は年々変わっているのではないか?初めは固定した支援者が1対1であったのか?本人を見る支援者は広がっているのか?
    →1対1は以前に比べると緩くなってきた。一緒に過ごせる支援者も増えている。事業を始める前はまったく固定していたが、事業開始時に作業は作業グループの中で支援者が交代で見る形に変え、生活場面ではすべての女性スタッフがかかわっている。
  • それだけ付き添っていると、付いている人に離れる不安はないのか?
    →担当者が一番不安であるが、緩めていく方向で考えていきたい。
    →頭でわかっていても実際には難しい。それでも支援者が離れてみたらどういう行動を取るのか、少し近づいたらどうかなど、支援者がいろいろな動きをしながら、距離を離したり、縮めたりしないと、全然見えなくなってしまうことがよくある。
    →先程コメントで紹介した事例(女性)を変えたのは、ある男性職員。かなりガッチリ付いて取り組んだら、ガラッと変わった。とても不思議だった。とにかく大変で、すぐ髪の毛を引っ張って引きずり回し、それに抵抗すると噛んでくるすごい人だった。私も始めて会った時、洗礼のように同じ行為を受けた。その男性職員が彼女にきちんと付いて接して、気が付いたらその職員の言うことをすごく聞くようになった。今まで誰の言うことも聞くことがなく、そこまでの関係ができていなかった。ある人と関係を持ち、この人の言うことは聞けるようになるとガラッと変わった。それができてから、不適応行動はあまり起きなくなった。しかしながら、科学性はない。
  • その職員は他の職員と違う対応をしたのか?それとも、単に男性であったからなのか?
    →知らず知らずに、本人のペースに合わせてしまう方向に陥っていた。相手がしがみついて噛み付くから、それを振り払って逃げようとする。その時、緊迫した状態なので言葉は出ないし、やりとりが成立しなくなるので、相手のペースにはまっていく。反対に、言葉でやりとりできた時はうまくいく。
    →作業が嫌で座り込んでいる時、じっくり時間をかけて話を聞いていったら「父ちゃんに会いたい」と言った。何がしたいか尋ねると「作業」と答えた。「作業」という言葉を言語化したら、スーッと動いた。言葉には、こんな力があることを学んだ。自分が自分で発した言葉はきちんと行動に移していく。そのことをコメントであげた事例から学んだ。
    →会話と言っても、アスペルガー障害の人たちのような会話ではなく、本人独特の理解や特有の言語をこちらが理解して共感して、本人の考えそうなことを言ってあげることで信頼関係ができてくる。そこが一番難しい。行動ばかり見て、つかまれたから止めるだけになってしまう。
    →身体全体が自分の思い通りに動かない。だから、言葉も普段は出しにくい。そこで、歌を唄ってしまう。歌でどういう感情か察する。歌で自分を表現する。歌は言葉を出しやすい。自分でも不自由に感じている。身体が勝手に動く。「手を縛って」と手を出してくる。本人はとても苦しかったと思う。
    →職員が勘違いしがちなのは、言葉が少ないが、発音は明瞭。そこに誤魔化されていた。しかし、場に適した言葉は出てこない。しかしながら、発音が明瞭で、歌も唄う。小さい頃に崩れてきて、それまでにやっていたことができなくなるから、周囲は怠けていると誤認する。その中で学習してきた他害行為なので、結果的に対応は困難であった。
  • 今後、認知症については、他の人にも出てくる可能性もある。その場合、一番わかりやすいのがCTでの検査。それにより支援の内容が変わってくると思う。

事例検討のまとめ
-自閉症や強度行動障害を示す人たちへの有効な支援/予防的支援-

A.自閉症・強度行動障害全般について

(1) マイペースだけでなく、ユアペースもある人間関係に切り替える

本人ペースの付き合い方だけでは行動障害は改善しない。相手や周囲に合わせることも必要であることをやりとりの中で伝え、支援可能な人間関係を作る。

(2) 言葉と身体の動きをつなぐ働きかけをする

人の話が聞こえていても理解につながらない、理解できても適切な行動につなげられない人がいる。「言葉かけ→理解→行動への意志→行動」という一連の働きをつないでいく働きかけが必要である。

(3) 自在に動ける身体を作る

本人ペースで生活することは、一部の身体の機能ばかりを使ってしまうので、使っている部分の機能は亢進し、使っていない部分の機能や動きが制限されている場合がある。亢進している部分はうまくコントロールし、制限されている部分は適切な動きの練習を積み重ねることで、動きを引き出していくことが必要である。

(4) 生きがいや仕事を見つける

生きがいや働く喜びのある生活の中では、独自の固執した行動にとらわれずに済む。障害が重度であっても、人の役に立つことや、生産活動に携われるようにしていく支援が必要である。

(5) 手厚い支援からフェードアウトまで一連のプログラムで行なう

強度行動障害を示す人たちの支援には、1対1での対応、あるいはそれ以上に手厚い支援が必要な場合がある。しかし、手厚い支援は一時的なもので、自律を促していくことが大切であり、手厚い支援を始めた時点から、支援をフェードアウトしていくことや施設や親元を離れていくことを見越した支援プログラムが必要である。

B.クラスターⅣ型(自傷攻撃破壊、摂食排泄睡眠の障害が激しい)について

自傷・攻撃破壊、摂食・排泄・睡眠の障害の難しさを兼ね備える場合、さらにその障害が重篤な場合には、行動障害にばかり目を向けて、直接的に、早急に改善を図ろうとすると、さらに状態を悪化させてしまう危険性がある。自傷・攻撃破壊、摂食・排泄・睡眠などの行動に対しては、適切な行動を積み上げていくという支援を進める一方で、行動障害だけでなく人としての対象者に目を向けて、人とのかかわりや生きがいのある生活が送れるような支援が必要と考えられる。

C.今後の課題

1.障害の質に合った支援

幼児期の診断ではわからなかったことが、医学の発達や本人の生育歴から見出される可能性があるかもしれない。詳細な障害の質の評価を受けることは、本人の支援にも役立ち、そのような評価データの蓄積が他のケースや次世代のケースの支援にも活きてくる。改めて医療機関との連携を図り、その障害の質に迫り、その質を考慮した支援を行なうことが課題である。

2.多様な生活の場を想定した支援

家庭での支援が困難で施設入所している場合でも、施設から出ないと考えたり、常に手厚い支援が必要と考えたりすると、本人の改善や発達を意識できなくなることがある。施設を最終的な生活の場と考えず、ケアホームや自宅など、次の生活の場につないでいくことを想定して支援することが課題である。

資料作成:平川 聖子(三気の里)
事例報告:平川 聖子(三気の里)

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