事例の概要 | 女性、40歳、身長143cm、体重48㎏ 父、母、本人の3人家族 |
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利用開始日 | 平成15年4月1日 |
出生時 | 妊娠中毒症。在胎期間40週。帝王切開にて仮死状態で出産。生下時体重2,800g。泣く力や哺乳力は良好。 |
乳児期 | 栄養(混合)。体重増加(良好)。運動発達(良好)。始歩11ヶ月。喃語なし。離乳1歳2ヶ月。立てて抱くと泣かないが、横抱きやベッドの上では泣き続ける。座った状態から不意に寝転んでガラスを割る。歩行器に入れると、歩くのではなくスーッと走るように動き、危なくて入れておけない。 |
幼児期 | 人見知りが激しく、人に接すると泣き叫ぶ。一般の保育園に通園するが、集団行動ができない、保育園から抜けだして家に帰って来る、声かけしても動かないのに目を離すと走り出すなどの行動が目立つ。言葉はあり、「このお洋服誰が作ったの」と尋ねると、「お母さんがミシンガチャガチャ」と答える。3歳の時、何度か階段から転がり落ちる。通園を断られたために保育園を転園。ここでも家に逃げ帰って来て、「保母が付ききりのはずなのになぜ保育園からいなくなるのか」不思議に思う。5歳の時、自閉症の診断を受ける。母親と一緒に保育園に通園する。母親が一緒であれば他の子どもの遊びを真似たり、母親を捜したり、話しかけたりする行動がみられるが、就学前に単独通園を始めると一人遊びに戻ってしまった。絵本が好きで、全ページ覚えているかのようだった。その反面、パンツ・シャツ・靴下はひとつの物しか身に付けられない(今着ている物を洗ってまた着る)。食べず嫌いが多い。保母から体罰を受けたことがあった。 |
学齢期 | 小学校6年間を情緒障害児学級で学ぶ。低学年の時は、絵や文字の指導を受けても書けなかったが、高学年になると書けるようになり、汽車拭きやタイヤ運びなどの作業も覚えた。周囲を見て歩けず、下水道に落ちる、看板にぶつかる、池に入って遊ぶ、転んで右膝ばかりをケガする、マンガの付いた靴にこだわって長い期間履き続ける、親や教師に噛みつく、2階から飛び降りるなどの行動がみられた。学校からも途中で帰って来ることがあった。親の会のキャンプ参加や発達クリニックに受診したが改善されなかった。高学年になり、複式学級では対応が難しいと言われたことから、中学校は養護学校へ進む。2年生の2学期から学校に行きたがらず、スクールバスを見ると陰に隠れ、学校に行かせるとその夜は泣き叫んで寝なくなり、次第に顔が腫れてうずくまって動かなくなった。学校で体罰を受けたり、無視されていたことが後でわかった。3年生になると、学校に行くようにはなったが、ほとんどウサギ小屋で遊んで過ごしていた。この時期、大好きだった本をまったく見なくなった。 |
青年期 | 中学部卒業後、高等部がなく、適切な進路が見つからずに1年間自宅で過ごす。小学時代の先生が指導員をしている温水プールや、学校のウサギ小屋へ通う。この時期に失尿や弄便が始まった。ウサギの餌やりが変化して自分で草を食べるようになった。弄便もこの時期に始まった。1年後、近くに養護学校高等部が新設されたので入学した。奇声を上げ、常時しゃべりまくる。少し我慢ができるようになったが、教室を抜け出すこともあった。母は教師への不信感が拭い去れずに悩み、学校や教師に対応や接し方についての要望を出す。学校での対応に不安や不満を抱いていた矢先、1987年5月に三気の里が開所し、自閉症施設であることに期待して入所。 |
さまざまな行動障害を示していたため、入所時から1対1で支援した。入所から6年間は、他の利用者と一緒に作業に参加しながら、排泄などの生活習慣の獲得をめざした。その中で、自発的にトイレに行くことや衣類の着替えができるようになったが、不適応行動や不眠は改善せず、大幅な体重の増減、情緒の崩れとともに生活習慣も崩れた。入所2年目から精神薬の服薬を始めたが、目に見えた改善はなかった。家族から、他の利用者と同様に作業などの活動に促していくやり方ではうまくいかないので、支援方法を変えてほしいと要望があり、施設と家族との話し合いの結果、支援方法を変えている。
平成5~14年度は個別活動を重視し、穏やかな接し方で支援した。当時、以下のような統一事項があった。
→24時間1対1で対応する。1人の指導者が対応するのは2時間程度とし、常に穏やかな接し方ができるようにする。
→単に行動を止めるのでなく、良い方向へと導くような声かけや態度で接する。
→集団での作業指導には参加せず、負担の少ない、本人の好むような活動を取り入れる。
その結果、大きな情緒の崩れはなくなり、睡眠、排泄、食事などの生活習慣も少しずつ身に付いてきたが、本人の行動障害は改善されなかった。本人のペースに合わせて行動するために本人と支援者のやりとりが少なく、他の利用者と一緒に生活している状態にはなかった。
2歳 | 乳児園 |
3~4歳 | 保育園。保育園からの指示で児童相談所を来談。良い教育施設はないかと尋ねたが、健常児と交わる方が良いと言われ、そのままになる |
5~6歳 | 保育園を転園。大学の特殊教育学科へ相談に行くが、話しかけても目が合わないことから自閉症と診断。教育法を尋ねたが何もないと言われ、医師や教育者への不信が始まった。大学医学部では、脳波検査の結果、左右の(前頭葉の)脳波が同じでないと言われる。入学時面接で、じっとしていない本人を見た精神科医から「人間ではない」と言われた |
7~11歳 | 小学校特殊学級に入学 |
8~11歳 | 自閉症親の会のキャンプに参加 |
12歳 | 発達クリニック受診。キャンプなどに参加したが改善なし。養護学校中学部に入学 |
15歳 | 同校卒業、家庭で過ごす |
16歳 | 養護学校高等部入学 |
19歳 | 同校中退、三気の里入所 |
重度精神遅滞、自閉症
区分6、療育手帳A1判定、社会生活能力SA 1:9
言語 | 話し言葉はあるが、会話はほとんど成立しない。意図的に言葉を模倣させようとしてもできないが、周囲から聞こえてきた言葉はすぐに真似て口に出す。本人からの訴えは、「オシッコ」という言葉のみ。また、名前を呼んでも返事をしない、呼んだ人に注意を向けることもまれ。「立って」「座って」の簡単な言葉かけにも反応は不確実。 コミュニケーションは、自ら他者に働きかけることがほとんどなく、他者からの働きかけ、支援に対する反応も乏しい。母親、担当職員、かかわりの多いスタッフには自ら近づいたり、後追いしたりすることはある。病気やケガをしても痛みや不快感をまったく訴えない。 |
排泄 | 尿意を確実に伝えることができず、失禁あり。排尿が終わるまで便器に座っていられない。排尿後の始末もできない。 |
食事 | 意欲がある時には、食べた物を飲み込まないうちに次々と口に入れる。意欲の低下が顕著な時はまったく自分で食べない。盗食、手づかみあり。 |
睡眠 | 睡眠薬を服用しているが、夜間に覚醒あり。 |
洗面 | すべて介助。 |
着脱 | 着脱の動作は獲得しているが、着替えようとしない。 |
運動 | 箸、鉛筆、ビーズなどの細かい物を扱うことはできるが、物を持って運ぶ動作は苦手。不穏時には腕90度、足は突っ張るか、縮めるかの形で固まったり、足踏みがひどくなったりする。 |
学習 | 色や形の分類、生活の中では食器の分類ができない。なぐり描きにならないように手を支えれば文字や人形を描くことができる。 |
ひどい自傷 | 爪や爪の回りの皮膚を噛み、放置しておくと出血する。ケガをすると、カサブタを繰り返し剥ぐ。顎の皮が剥けるまで掌を舐める |
激しいこだわり | 夜中や寒い季節でも、かまわず水道で激しく水を出し、その中で激しく手を擦り合わせる。制止しようとすると、支援者を押しのけたり、手を振りほどいて水道に突進する |
激しいもの壊し | 紙やビニールでできている物を破って口に入れたり、手でこねたりする。目に入ると突進して破く |
睡眠の大きな乱れ | 規則的に十分な睡眠が取れず、睡眠を取ることを目的とした精神薬を服用しているが、期待するほど効果はない。特に、生理前はまったく眠れない日が3~5日続き、頓服薬も効果なし |
食事関係の強い障害 | 草や枯れ葉などの植物や昆虫を頻繁に食べる。見つけると、突進して口に入れる |
排泄関係の強い障害 | 望ましくない行動を止めさせようとしたり、本人の好まない行動を促されたりすると失禁する。また、指を肛門に入れて便をかき出して、便を手でこね、衣服や床・壁を汚す。生理の時、生理用品を外し、毟って口に入れたり、手でこねたりする |
著しい多動 | 好きな活動の時でも、一定の場所に5分程しか座っていられない。施設内を無目的に歩き回り、集会室などの広い場所では、同じ方向に円を描いて歩き続ける。座るよう促すと、支援者の手を振りほどいて走り出す。また、2階の窓から飛び降りる行動もある |
著しい騒がしさ | 常に意味のない独り言を大声で繰り返す。独り言を言いながら興奮して、奇声を発するに至る。また、自分の思うようにならないと興奮しやすく、跳びはね・奇声がみられる |
旧法 強度行動障害判定指針 | 新法 重度障害者包括支援 |
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自傷(5点)、こだわり(5点)、物壊し(3点)、睡眠(5点)、食事(5点)、排泄(3点)、多動(5点)、騒がしさ(5点) | 意思表示(2点)、説明理解(2点)、異食(2点)、多動(2点)、不安定行動(2点)、自傷(2点)、破壊(2点)、抱きつき(2点)、突発的声(2点)、突発的飛出(2点)、食事(2点) |
合計36点 | 合計22点 |
コントミン25mg・2T/日、コントミン50mg・1T/日、テグレトール100mg・2T/日、
テグレトール200mg・2T/日、アキネトン1mg・3T/日、セレネース1mg・2T/日、
リーマス200mg・3T/日、ネルボン5㎎・2T/日、カマグ1g散・2包/日
頓服として、ネルボン5㎎・1T/回、アモバン7.5㎎・1T/回、セルシン5㎎ 1T/回
身体の緊張が強く、うまく動かせないために、個々の生活動作に失敗し、不適切な行動に至っている。
本人の行動障害を改善するためには、本人の思うように身体を動かせるようになることが必要である。支援者と本人の共有する課題としての「言葉かけ」、言葉を理解し応じようとする「意図」、結果として表現される「行動」のすべてを一致させていく手続きを積み重ね、自分の意志で自分の身体を自在に動かせるようになることと、人とのかかわりの中で生活できるようになることを支援目標とした。
強度行動障害事業の利用者に対する支援は、1対1の付き添いをしながら、日中は所属する作業グループでの活動、生活場面では日課に沿って行動できるよう支援している。他の利用者や支援者とのかかわりの中での生活を目標としているので、基本的には集団の中で1対1対応している。
1年目(H15) | 学習課題や動作課題を中心に、作業時間を利用して本人が思いのままに動ける身体作りを行なう |
2年目(H16) | 学習や動作課題に作業を盛り込みながら、かかわる人、反応を求める場面を拡げて、人とのかかわりの中で生活することへのステップとする。 |
3年目(H17) | 作業や生活課題を中心にかかわり、いつも付き添いが必要な生活からの脱却を図り、年齢相応の生活ができることをめざす。 3年目の初めに状態の崩れがみられたため、2年目と同様の目標と課題設定に戻して、支援を行なった。 |
【1年目】
学習課題:色や形の分類、ペグさし、紐通し、
動作課題:歩行
課題遂行の中で「教材を手渡す時、名前を呼んで反応を促す」「言葉かけで方向転換する」「言葉かけに応じて、水道などの刺激に反応しないよう練習する」「早く歩いたり、ゆっくり歩いたりと相手に合わせる」など、対人関係作りの課題も組み込んだ。本人の反応や行動を引き出すことは難しく、学習課題遂行は手を添え、名前を呼んだり、方向転換するには身体に触れて支える援助が続いた。課題を行なっている間は作業場に居られるが、課題を終えると作業場から出たがり、失禁が続いた。また、手指の動きを伴う課題は得意な反面、色や形の分類などの認知に関する課題は不得意なことがわかってきた。動作については、声かけだけで反応できなくとも、指さしや手招きなどのジェスチャーで反応できるようになり、不適応行動を引き起こす刺激への反応は軽減した。
【2年目】
作業課題:牛乳パックのラミネート剥がし、パルプ干し(紙すき作業の1工程)
課題導入時は、紙に触れることに強い緊張を示し、破ることもあったが、手を添えて支援すると、次第に手をうまく動かせるようになり、添えている手を離しても破らない状態になった。同時に、手を膝の上に置いておけるようになった。パルプ干しの作業では、洗濯バサミの操作ができていたので、道具の工夫をして「一人で干す」ことに取り組んだ。
教材から作業課題への転換で、本人や支援者に目標とする行動がわかりやすくなり、達成感が共有できるようになった。作業場にいる目的も明確になったことで離脱も減った。日常生活場面でも手の動きが落ち着いてきて、担当者と一緒であれば、声かけで爪噛みや手を舐める行動は止まるようになり、他の利用者とともに行動することが増えた。
【3年目】
作業課題:牛乳パックのラミネート剥がし、パルプ干し
作業課題には慣れてきて、促されると反応良く行動に移れるようになった。行動面について、前年には治まっていた、手を舐めたり、執拗な陰部触り、紙や水へ突進するなどの行動が再び顕著に出現したため、作業時は課題に集中すること、余暇時間は手をつなぐことで行動の頻発を防いだ。長時間手をつないでいる不快さを軽減するため、時には好きな人形を持たせて気分転換を図った。本人の状態の崩れによって、作業や生活での適切な行動を促す上でさらなる工夫や配慮が必要となったが、やりとりの中で本人への働きかけの仕方や本人からのサインが分かるようになるなど、支援者側に変化がみられ、本人も多くの支援者とリラックスして過ごせるようになってきた。睡眠について、施設では安定傾向にあったものの、自宅で不眠が続いた。なお、これは、自宅で服薬をしていなかったことが原因のひとつであった。
3年間の取り組みから、作業や生活における個々の行動について、適切な動きを形成していくことが本人にとって理解しやすく、達成が得やすいことや、不適切な行動の軽減につながることがわかってきた。そこで次の3年は、作業や生活の中での課題、本人や支援者、家族にもわかりやすい課題をピックアップして取り組んでいくことになった。
【4年目】
作業課題:牛乳パックのラミネート剥がし、パルプ干し、
生活課題:靴下を履く、衣服の着脱
3年目の状態の崩れで、手の不適切な動きが顕著になったため、手指を使う課題を設定し、適切に動かすよう支援した。衣服の着脱の動作は獲得しているが、声をかけても反応が鈍く、動作に移れない状態にあった。本人がどこから動き出すのか見極めて、動作の起点を補助しながら本人が動き出すのを待つと自分でするようになってきた。5本指の靴下に指を合わせる意識も出てきた。歩行中は手を下ろして、振りながら歩くことを促したり、日常の中で示した物を手に取って触ったりすることで、腕や肩の動きも形成していった。
【5年目】
作業課題:牛乳パックのラミネート剥がし、パルプ干し、材料を木枠に流す工程
生活課題:ハンカチで手を拭く、ハンカチをポケットに入れる・出す
仕事の幅を拡げてやりがいが持てるようにするため、紙すきの下準備の部分から「作る」部分の作業に取り組むようにした。初めは手桶を握っておくことも難しく、手を添えての作業であったが、自分で持とうとする動きが出てきたり、その前後の工程にも興味を示して、支援者の手元を見るようになった。ハンカチの利用は練習の機会が多く、繰り返して行なえたため、声かけに応じて拭くことや出し入れができるようになった。
4月に作業グループの支援者が交替し、新しい支援者に慣れるのに時間を要した。5~6月頃、作業場に入りにくく、新しい課題や支援者への抵抗とも考えられたが、課題の修正はせずに乗り越えるのを待った。秋口には、チック様の動きや、夜間に居室内での排尿(失禁ではなく、入り口を開けてあっても居室から出て来れずに排尿している。この時期、自宅では寝室に入ることができなかった)がみられたが、この時も生活や作業を安定させて、生活リズムを保つことで改善につないでいる。
【6年目】
作業課題:牛乳パックのラミネート剥がし、パルプ干し、ポチ袋作成
生活課題:洗濯物を自分でたたみ、タンスに入れる
仕事について、さらにやりがいが持てるように、製品化する工程に取り組んだ。手を添えた状態で、ジグを使っての糊付けや折り込み、袋詰め、運搬などの工程を行なっているが、「でき上がり」の部分に関与することで、「自分で作った」という意識が持てているように思う。製品が販売に出されたり、売れたりすることで、家族の喜びにもつながっている。洗濯物をたたむ場面では、慣れない支援者が声をかけると寝転がって動こうとしないこともあったが、現在は声かけに応じて動き、たたんで片付けられるようになってきた。
ひどい自傷 | 爪噛みや皮を剥ぐ行為は継続してみられるが、行動が出る時に声かけをすれば止められることも見られる |
激しいこだわり | 人を押しのけ、服を脱いでまでこだわった行動をすることはない。手洗いの時、力が入って強く手を擦ることはある |
激しいもの壊し | 付き添いをしていれば、破る行為は少なくなった |
睡眠の大きな乱れ | 現在施設に5泊、自宅に2泊のサイクルで生活している。施設で週に1~2回寝付きが悪く、頓服薬を服用する。自宅において、1泊目はほとんど眠れず、2泊目は眠っている。生理前の不穏は毎回というわけではなくなり、何日も眠れないことはなくなった |
食事関係の強い障害 | 植物や昆虫を食べることはないが、探す仕草はある。手に取っても、声かけや手に触れると止めることができる |
排泄関係の強い障害 | 望ましくない行動を止めさせようとした時の失禁は見られなくなった。逆に、何の訴えもなく失禁していることがある |
著しい多動 | 作業場に入ることができなかったのが入れるようになったことが、大きな変化である。課題に向かっている時の離席もなくなった |
著しい騒がしさ | 独り言は続いている。激しい興奮・跳びはね・奇声はほとんどみられない |
旧法 強度行動障害判定指針 | 新法 重度障害者包括支援 |
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自傷(3点)、こだわり(3点)、物壊し(3点)、睡眠(3点)、食事(3点)、排泄(3点)、多動(5点)、騒がしさ(3点) | 意思表示(2点)、説明理解(2点)、異食(2点)、多動(2点)、不安定行動(1点)、自傷(2点)、破壊(1点)、抱きつき(2点)、突発的声(1点)、突発的飛出(1点)、食事(1点) |
計26点 | 計17点 |
現在も継続して事業による支援を続けている。
本事業開始以前は、本人の状態や行動に合わせた生活を行なうことで、本人や家族に安心感を持ってもらうことを中心とした支援であった。その中で、睡眠、排泄、食事などの生活習慣が少しずつ身に付き、本人も家族も次第に落ち着き、家族はもっと成長するのではないかという期待や、他の利用者と一緒に生活してほしいとの希望を持つようになった。行動障害は強く残っていても、支援者が付き添うことで生活習慣が保てるのであれば、その状態を保持しつつ、集団活動への参加や作業課題への取り組みも不可能ではないと考えた。
本事業の利用にあたって、生活の全面的な自立は望めなくても、本人が少しでも生活しやすくなること、他の利用者の中で生活できるようになること、介助ではなく見守りの中で、自分でできることをひとつでも作ることをめざしてきた。結果として、他の利用者と同じ空間・日課で生活できるようになり、作業の中で本人の役割が確立し、作った製品が販売できるようになった。行動面では、こだわりや自傷、睡眠の面に改善がみられ、全体的な行動も落ち着いてきた。本事業を開始する前から1対1での支援を続けてきていたが、本事業の利用にあたって支援者の配置が事業として確立し、毎月のカンファレンスで評価を行ないながら支援してきたことで、これまでみられなかった成果が得られたと言える。本事業の経過の中で、家庭で3泊、施設で4泊というリズムでの生活から、家庭で2泊、施設で5泊に切り替えたのも、家族が本人の成長を認め、より成長を望んでのことであった。今後の生活の場としても、現在のところ、施設入所による支援を継続していく予定である。
本事業は当初3年という期限付きであったが、3年という期間は本人の行動改善に充分な時間ではなかった。さらに6年という利用期間を経て、生活・行動の改善がみられているが、改善された生活を維持していくには、今後も同様の支援を継続していく必要があると考える。
毎月のカンファレンスの際には、嘱託医に参加していただいた。服薬の調整、利用者の行動の背景・理由付け、支援の具体策、家族の立場や考え方、それに対する支援の姿勢など、多岐にわたるアドバイスを受けたことが、本人の行動改善につながったと言える。
本人ペースの付き合い方だけでは行動障害は改善しない。相手や周囲に合わせることも必要であることをやりとりの中で伝え、支援可能な人間関係を作る。
人の話が聞こえていても理解につながらない、理解できても適切な行動につなげられない人がいる。「言葉かけ→理解→行動への意志→行動」という一連の働きをつないでいく働きかけが必要である。
本人ペースで生活することは、一部の身体の機能ばかりを使ってしまうので、使っている部分の機能は亢進し、使っていない部分の機能や動きが制限されている場合がある。亢進している部分はうまくコントロールし、制限されている部分は適切な動きの練習を積み重ねることで、動きを引き出していくことが必要である。
生きがいや働く喜びのある生活の中では、独自の固執した行動にとらわれずに済む。障害が重度であっても、人の役に立つことや、生産活動に携われるようにしていく支援が必要である。
強度行動障害を示す人たちの支援には、1対1での対応、あるいはそれ以上に手厚い支援が必要な場合がある。しかし、手厚い支援は一時的なもので、自律を促していくことが大切であり、手厚い支援を始めた時点から、支援をフェードアウトしていくことや施設や親元を離れていくことを見越した支援プログラムが必要である。
自傷・攻撃破壊、摂食・排泄・睡眠の障害の難しさを兼ね備える場合、さらにその障害が重篤な場合には、行動障害にばかり目を向けて、直接的に、早急に改善を図ろうとすると、さらに状態を悪化させてしまう危険性がある。自傷・攻撃破壊、摂食・排泄・睡眠などの行動に対しては、適切な行動を積み上げていくという支援を進める一方で、行動障害だけでなく人としての対象者に目を向けて、人とのかかわりや生きがいのある生活が送れるような支援が必要と考えられる。
幼児期の診断ではわからなかったことが、医学の発達や本人の生育歴から見出される可能性があるかもしれない。詳細な障害の質の評価を受けることは、本人の支援にも役立ち、そのような評価データの蓄積が他のケースや次世代のケースの支援にも活きてくる。改めて医療機関との連携を図り、その障害の質に迫り、その質を考慮した支援を行なうことが課題である。
家庭での支援が困難で施設入所している場合でも、施設から出ないと考えたり、常に手厚い支援が必要と考えたりすると、本人の改善や発達を意識できなくなることがある。施設を最終的な生活の場と考えず、ケアホームや自宅など、次の生活の場につないでいくことを想定して支援することが課題である。
資料作成:平川 聖子(三気の里)
事例報告:平川 聖子(三気の里)