外部調査委員からの意見および評価

自閉症や強度行動障害を示す人たちへの支援に関する実態調査について

札幌市のぞみ学園 黒川 新二

この調査研究は、平成19年度の調査研究を土台にして行なわれたものである。この調査研究では、強度行動障害を示す自閉症児(者)への支援の特質を、①生活介護度と行動監護度の比較、②支援技術を時間と距離の測定によって分析することの二点を検討した。この調査研究によって強度行動障害を示す自閉症児(者)への支援の特質が部分的に明らかになったものの、委員全員が支援の特質の重要な要素を把握しきれなかったと感じた。

本年度の調査研究は、平成19年度の調査研究の不十分さを克服することをめざしたものである。平成19年度調査において、上記の①に関しては他の障害に適用されている既成の尺度を用いており、②は外形的な物理量を用いている。そのようにして、支援の特質を量化しようとした。欠陥はこの点にあった。量化するには、その前に質を検討し直し、対象の全体像を把握し直す必要があるが、平成19年度の調査研究はそれを行なわずに直ちに量化したのである。

自閉症児(者)のセルフケア障害は、身体障害児(者)のセルフケア障害や高齢者のセルフケア障害と異質なものであり、他の障害に適用されている生活介護度数を自閉症児(者)に適用できるかどうかは未検証である。外界認知が困難になった人の危険防止のための行動監護と、その人なりに可能な外界認知の仕方を発見し、身に付けさせ、自立生活をめざすための生活介護とは異なるものであり、前者と後者の相違を時間と距離によって表現できると見なす根拠はない。つまり、この調査は、未検証・根拠不足の方法を採用していたことになる。平成19年度の調査方法の欠陥は、自立支援法の障害認定の欠陥と同じである。これでは、自立支援法の不十分さを改善するための知見を得ることはできない。

本年度の調査研究は、上記のような反省に立ち、強度行動障害を示す自閉症児(者)への支援の質を再検討し、支援の全体像を把握し直すことを試みている。方法は、強度行動障害を伴う自閉症をクラスター分析に基づいて5群に類型化し、各類型の代表事例に対して、強度行動障害特別事業を実施している自閉症者施設がどのような支援を行なっているのかを検討することである。

本年度の調査研究の結果を見ればわかるとおり、この調査によって、自閉症児(者)のセルフケア障害が独特な性質のものであること、セルフケア支援は本人ができないことを手助けするだけのものではないこと、行動監護は単なる危険行動防止活動ではないこと、さらに生活介護と行動支援のいずれも、自閉症児(者)の心の発達や回復を支援する方法を身に付けた支援者がいなくては不可能であることが示された。

本年度の調査研究は、平成19年度調査の不十分さを克服するための回り道の第一歩である。これを基盤に、他の障害の支援との比較を可能にするための量化の方法の検討などが、もし平成21年度に調査研究を行なうことになれば、次の段階としてめざすべきである。

自閉症の人たちの支援について

川崎医療福祉大学 小林 信篤

今年度は、内部委員が各施設の実践事例を持ち寄り、ケース検討をする形で進められてきた。その検討を通じて筆者が感じたことを述べていきたい。

まず第1に、各施設が強度行動障害を伴う自閉症の人たちに対して、評価に基づいた支援や療育プログラムを展開していく中で成果を上げているということである。強度行動障害に関する判定に基づく評点が明らかに減少していることがそれを物語っている。この点について各施設の取り組みに対する苦労に敬意を表したい。しかし、だからといって各実践をひとつにまとめて強度行動障害者に対する支援をマニュアル化するということは極めて難しく困難であると言える。本研究で取り上げているテーマを考える時に、一般的には方法論が論議されるところであるが、基本的にどの方法であろうと、その支援や療育が対象者に有効に作用し、有益な結果をもたらすものであればよいのであって、方法論の優劣をつけることが、自閉症の人たちにそれほど大きな意味があるとは思えない。むしろ、重要なことは、対象者とかかわる現場で、職員が成果を上げられるような具体的な支援の展開ができる状況がいかに形成されてきたかという点ではないだろうか。言い換えれば、組織の在り方に着目する必要があると考えられる。

つまり、組織として重要なものはまず、きちんとした「ビジョン」を持つということである。なぜこの組織が存在しているのか、あるいは、なぜ自閉症者や強度行動障害を示す人たちを支援するのかという使命を明確にされているかどうかという点は支援をしていく上で非常に意義深い。次いで「戦略」である。先に掲げたビジョンあるいは使命を実現化するために何をしたらよいのかである。そして最後の「戦術」である。戦略を具体的に実現化するための方法論である。したがって、ビジョンを実現化するために何をどうするのかを実践することが現場職員の役割ということになるが、いくら良いビジョンと戦略があっても、戦術がなければ現場が動かないことは容易に想像がつくが、しかしその戦術は必ずしもひとつとは限らない。山の頂上はひとつでも、登山道はいくつかあるのである。たとえ、ビジョンと戦略が同じであったとしてもである。要はどの戦術をとるか明確に示すことであろう。逆に良い戦術を与えても、それだけでは十分に機能しないことも明白である。支援のベクトルをどちらに向ければよいのかがわからなければ、当事者にとって良い支援になるとは到底考えられないし、当事者主体の支援から支援者主体の支援へと気づかぬうちにすり変わる危険性も含んでいる。今後、実施機関の支援の在り方を検討しいく上では、良し悪しの評価の対象となりやすい「戦術」以上に「ビジョン」「戦略」に対する評価が必要なのではないだろうか。

第2点目として、先述の組織のビジョンと関わることだが、施設の機能をどう考え、どう位置付けるかという点である。自閉症者が利用する施設は自閉症者施設に限らない。また強度行動障害のある人たちも、すべてが自閉症者施設に在籍するわけではなく、全国の知的障害者施設で生活をしている。そして、それぞれの所で、それなりの支援が展開されていると考えられるが、そこで大切なことは、支援期間の目処をどう立てるかであり、何をもって支援の結果と評するかである。昨秋の全自者協神奈川大会2日目のシンポジウムで、各シンポジストは施設機能として、「有期限」「有目的」の必要性を提案している。これはまさにビジョンと戦略であると言える。また、同シンポジウムの中で会長からは、「基本的な生物学的な障害の重さからくる問題とは別に、二次的、三次的にいろいろと作り上げられてしまってきた障害の部分というのは療育的な課題として解決を図ることは可能であり、そういった療育的な課題を終えた人については、居住機能を重視した場の整備をしていくことが必要である」といった主旨の発言があった。私自身もこの考え方には共感を覚える。このように通過型を標榜することは、支援に対する責任の所在を明確にするものであり、支援者の専門性を問うものであるといえる。

第3点目、今年度のケース検討で報告されたケースはいずれも、入所型施設における実践であった。特に強度行動障害の人たちへの支援を行なう場合には、本人の現在の生活にみられる負の循環を断ち切った上で、生活の場を新たに保障し、24時間の集中的な療育や支援を展開していくという支援の性格上、入所型施設の取り組みが検討された結果と推測できる。しかし、地域生活をバックアップしていく機能も含めて、これらの機能が入所型施設しか持ち得ないものなのかという点では疑問の余地が残るところである。先に、二次的、三次的な障害の部分は課題として解決を図ることは可能である発言に対して共感すると述べたが、しかし、施設での支援や療育において、行動障害が完全になくなってから地域移行をするということは基本的にあり得ないのではないだろうか。入所型施設には問題行動に真剣に取り組むベースがある一方で、どこかに仕方がない、自閉症だからという諦めにも似た感覚を職員が持ちやすい状況になることは否定できない。しかし、通所型施設での取り組みの場合には、ケアホームにしろ、グループホームにしろ、地域で暮らすことで、支援者自身も生活に対する現実感が持てる。仮に問題が発生したとすれば問題の先送りはできない。その問題によって地域に住めなくなってしまう。明日ではダメで、それをどのように解決するかが絶えず問われてくる。果たして、通所型施設利用者に強度行動障害に該当する人がいるかどうかは不明であり、実際にそうした取り組みを行なっている通所型施設があるかどうかも不明であるが、全自者協関係施設内で調査してみる価値はあるのではないかと思う。

最後に、支援者はソーシャルワーカーとしての資質が求められているではないだろうか。当事者ときちんと向き合い、障害に対して科学的にアプローチしていく視点と彼らのニーズを的確に把握する力を持ち、そのニーズに応じて支援が使い分けていけるような柔軟性を備えていること。また、地域の資源や施設機能について熟知しており、単なるサービスの調整や斡旋ではなく、それらの機能を効果的に組み合わせ、活用するための判断ができる臨床的な素養があることが望まれる。ただし、これらの多くは、座学で学ぶだけでなく、現場でいかに適切に学べるかが鍵であり、そうした力を持つ職員の育成についても、組織が掲げるビジョンに大きく関わってくるものであると考える。

共感を持って、詳細に具体的に理解し、心を育てる

トモニ療育センター 河島 淳子

1.強度行動障害の理解

筆者は自閉症児の親であり小児科医でもある。息子の育児と教育は困難を極めたが、二次的、三次的な障害をできるだけつけないで育てることができた。自閉症児のパニック、問題行動、こだわり、コミュニケーション障害、学習の困難さなどは、認知機能の障害(悟りにくさ・理解しにくさ・判断力のなさ・要領の飲み込みの悪さ)による生半可な理解によって生じていると確信している。不適切なまちがった育児と教育の結果、諸問題は大人になるにつれて深刻化し、強度行動障害へと発展し、家庭生活や地域社会での生活を極めて困難にし、両親も本人も不幸になっていく予後。家族や支援者たちを悩ましている生活態度と問題行動には、強い欲求、拘束への抵抗、自由への要求、反抗、拒否、恐怖、混乱、怒り、失望、悔しさ、嫉妬、強い興味、愛されたい思い、望郷、プライド、淋しさなど、様々な感情・思い・心からの叫びが読み取れる。

2.トモニ療育センターの自閉症児の育児と教育、および強度行動障害への取り組み

適切な家庭療育が自閉症児を救う。母親が「知識ある愛をもって行き届いて」自閉症児を理解して適切に導いていく時、強度行動障害予備軍も好ましく育っている。
適切に向き合うためには、実態を把握のための個別セッション(検査と課題学習)は欠かせない。詳細な問診票によって過去と現在を知った上で、筆者自身が自閉症児を詳細に深く観察することからトモニの療育が始まる。トモニでは月3回の自閉症関係の勉強会と、ファクシミリやメールによる家庭生活記録やレポートから療育の状況を読みとり、問題行動やパニックなどにもきめ細かな指導をしている。個別課題学習を中心において、具体的に7つの項目に取り組んでいる。「失敗は成功の元」と励まし、指示に従ってやり遂げる力をつけ、self-esteem(自尊感情)を高め、幸せに生き抜く心を育てている。

具体的目標(できるだけの自立をめざして)

  1. 身体作り(マラソン、山歩き)をする
  2. 基礎学習と家庭科技術と職業技術の3種を同時進行で獲得させていく
  3. 基本的生活習慣の確立をする
  4. こだわり・問題行動・パニックを克服する
  5. コミュニケーション力をつける
  6. 社会的に受け入れられる行動や奉仕作業ができるようにする
  7. 余暇を楽しみ、生活を楽しむことができるようにする

読み書き計算の基礎学習と同時進行で家庭科技術(料理)を課題とし、同時に職業技術(ビーズ暖簾作り、ボールペンの組み立て、箱づくり、折り紙など)に取り組めば、幼児から青年まで長期にわたって一貫した指導が継続できる。

3.トモニの指導に沿った強度行動障害への対応事例

(1) 社会福祉法人みくに園での取り組み

家族や施設職員を対象に自閉症セミナーを毎月1回日曜日に定期的に1年間開催した。その後、毎月1回出かけ自閉症と行動障害を示す利用者ほぼ全員(26名)に個別セッション(テストと課題学習)を実施し、同時に参加者(支援員・看護師)に詳細に解説した。「本当はこんな人だったのか!」と感動的な理解の深まりがたびたびあり、利用者への見方が一変した。それまでの不適切な支援を反省した支援員の向き合い方には適切さが増した。一方で療育室を設け、定期的に療育専門のA支援員が課題学習やクロスステッチ刺繍やビーズ暖簾の大作に取り組んだ。言葉のない自閉症者の拠り所となり代弁者となって、self-esteemを高め、心の痛みを感じながら、対等に話し相手となり、孤独感を解消し、生活を満たしている。その中で、強度行動障害は短期日に見事に改善され、素直で純粋な活き活きとした幸せと信頼の表情を見せてくれ、愛しい存在となってきている。諦めていた家族もその変化を喜び、協力的になってきてはいるが、帰宅するたびに状態像は悪化している場合が多い。

(2) 京都ライフサポート協会での取り組み

B支援員は当協会代表として定期的に毎月2日間トモニ療育センター(愛媛県新居浜市)に研修に通ってきた。2年目、トモニ療育センターから出向いて、みくに園と同じやり方で毎月3名の利用者(計19名)に個別セッションを行ない、支援員の理解に努め、話し合いやセミナーも開催した。

指導内容はトモニの具体的指導目標に沿って、歩くこと、仕事をすること、基礎学習することなど、その人に合わせた課題選択を行ない、褒められ、達成感を得て、self-esteemを高め、問題行動を減少させている。問題行動は、利用者と支援員とのコミュニケーション・シーンの再現によってその意味が明らかにされた。「テーマを持って導くこと」「向き合い方」「知識ある愛」について理解を深め、強度行動障害者ではなく、一人の女性としてとらえることができるようになったと聞く。

4.まとめ

大人になっている自閉症や強度行動障害の人たちの行動改善は可能である。

そのためには施設職員全体のレベルアップ、すなわち、自閉症や問題行動への理解と信頼関係の深まりが必要である。支援員と利用者の間に信頼関係が育ち、人間らしい生活が少しずつできるようになってきても、施設職員の警戒心や恐怖心は消え去ってはいない。行動を落ち着かせるために、向精神薬を過剰に服薬させられ、その上に自分の意思で開けることのできない居室に隔離されている。行動障害が軽減されたとしても、皆無になったとは言えない。支援員不足によって、やむを得ず夜間には鍵を掛けられているが、果たして支援者を信頼することができるのだろうか。障害福祉施設での身体拘束状態は、夜間の支援員の増員によって、解決できる問題である。

支援員の質の向上の機会と待遇改善と支援員の増員を心から切望する。

強度行動障害を示す人たちの支援のあり方について

群馬大学 古屋 健

つい先日のことになるが、群馬県内のある公立小学校の教員研修会に呼ばれて出かけて行った。その学校の校長先生とは日頃から研究上のつきあいがあり親しくさせていただいている関係で、過去にも何度か研修会に招かれて講演のようなことをしたこともあったので、今回は講演のような一方通行の話ではなく、先生方が抱えている指導上の悩みについて質疑応答の形式で指導・助言してほしいということであった。その研修会の席で、最も時間を費やして議論したある児童のケースが、今回の研究プロジェクトの事例研究で取り上げられた人たちの姿と重なり、考えさせられることが多かった。

その児童は、医師からADHDとアスペルガー障害を併発していると診断され、現在は、その小学校に設置された特別支援学級に通っている。今年度、担任が変わってから学校内の器物を壊す破壊行動が激しくなり、指導が困難な状況にあるということであった。たとえば、放送室に入り込んで校内放送の機材を壊そうとするので、力で押さえ込まなければならないことがあった。校長室に入り込み、校長先生が大切にしていた置物を壊したこともあるという。また、それに加えて先生方を悩ませているのが、児童の保護者からのクレームである。子どもが破壊行動をするのは担任の指導力不足が原因であるといって、校長に対して担任を変えるよう要求したり、教育委員会に電話をかけて長時間にわたって学校への不満を涙ながらに訴えたこともあったそうである。また、その児童が嫌がるからという保護者の要望を受け入れ、給食の時間に流していた音楽放送も取りやめたままになっているという。先生方の認識では、最近、マスコミでもよく話題になるモンスター・ペアレントと見られていることは明らかであった。

このようなケースに対して、どのような指導・助言ができるだろうか?幸か不幸か、普通学校の先生方は自閉症や行動障害のことをよく知らないので、まず障害についての基本的な知識を伝えることが先決であると考えた。その上で、なんとか助言めいたことを言えたとすれば、次の二点である。ひとつは、子どもの破壊行動や攻撃行動を、本人が楽しんでやっていると考えないで欲しいということである。子ども自身もそうすることで自ら苦しんでいる可能性があるのだから、行動障害を改善することは本人にとっても苦痛を和らげることになるはずだという気持ちで指導して欲しいということを伝えた。そして、もうひとつは保護者の気持ちへの配慮である。自分の子どもが障害を持っていると知った親にとって、その事実を受け容れることがいかに難しい仕事であるかを考えてほしい。話を聞けば、もともと神経質なところのある母親である。悪意に満ちたモンスターどころか、罪悪感や責任感の重みで気持ちが大きく動揺した傷ついたひとりの人間として共感的に理解してあげてほしいとお願いした。こうして、何とかその場はしのぐことができたが、先生方にとってどれほどの役に立ったかはわからない。大きな宿題を背負わされたような研修会となった。

今回の事例検討会では、個人的な事情が重なってそのすべてに参加できたわけではなかったが、参加するたびに「このようなケースに対して、どのような指導・助言ができるだろうか?」と、何度も同じ問題に悩まされた。ましてや学校の先生方にしたような初歩的なアドバイスでごまかされるような相手ではないと思うと、ますます気が重い。あえて、気持ちを奮い起こして、何か私自身が学んだことと言えば、次のようなことになるだろう。

1.施設における強度行動障害改善への取り組みについて

今回、事例検討会で発表された事例の多くで、早期に障害が発見されながら、学校に通っていた時期の記述が問題行動の羅列ばかりになっていることは、教員養成にかかわる者として深く反省しなければならない。ただし、先の小学校の例について言えば、先生方に教育的熱意がないわけではなく、適切な支援に必要な知識や理解に欠けているのである。あの児童も、専門家のいる特別支援学校に通っていれば、おそらく校内放送にイライラして放送室に乱入するようなことはしなくて済んだはずである。ただし、そのためには保護者の了承が必要であり、ここでも保護者がそれを拒否しているのである。

このような過去における学校および家庭での無教育あるいは非教育の状態が強度行動障害の背景にあるために、施設では失われた時間の中で経験すべきであった生活を、本人はもとより、保護者もまた経験し直す取り組みが求められている。「東やまたレジデンス」からは、そのような経験不足を補い、家族にも働きかけることで、3年目にはグループホームで生活できるようにまで成長を見せたケースが報告されている。

2.家庭・地域への移行支援プログラムについて

強度行動障害特別処遇事業について言えば、専門的な施設が真剣に取り組めば、3年間という期限の中で強度行動障害をどこまで軽減できるのか、試されているようにみえる。確かに、障害への深い理解を欠いた支援は障害を増悪することはあっても決して改善をもたらさないのに、専門家が取り組めば3年という短い期間であっても、大きな改善が期待できることは今述べたところである。

しかし、本当に問われているのは、3年を経過した後のことである。たとえ、施設の中で行動障害が改善されても、もともと環境変化に対して敏感に反応するという個性を持つ人たちが、その後、家庭や地域あるいは他の施設へと移行した時、その状態を維持していけるかどうかはわからない。スムーズな移行のためには、周到な準備が必要である。「袖ヶ浦ひかりの学園」からは、具体的な移行支援のプロセスへの取り組みが報告された。

3.個別支援計画のportfolioについて

3年という期限の中でどこまで改善が図られるか、あらかじめ予想することは難しい。しかし、3年後の移行を前提に考えると、そこから逆算して、いつまでにどの程度の改善がなされていなければならないかが決まってくる。おそらく、それが出発点となるだろう。そこで問題になるのが、個別支援計画の見直しと修正である。個人の成長に応じて、当初に決めた計画に対しても柔軟な変更が求められる。見直し計画も支援計画のうちに含まれるべきである。

この点で興味深かったのが、「三気の里」の報告である。記録上は、年度ごとに着実な支援の成果が出ているように見えた。ところが、発表後の議論の中で、それが計画通りのものではなかったことが明白にされたのである。誰もそれを責めることはできないだろう。計画通りに進むことの方が珍しいことは誰もが知っている。そうだとしたら、事例検討では、経過を振り返るためにも個別支援計画のportfolio(情報を綴じ込んだファイル)を積極的に提示した方が生産的である。どのようなタイミングで計画の見直しを考えたのか、そこに専門性の神髄があるように思われる。

4.附 記

報告の中に親子心中まで考えたという事例があった。詳細を聞けば、それが障害者自身の責任でも、保護者の責任でもないことがわかる。では、どうすれば良いのか?再び、大きな宿題を背負わされたような事例検討会であった。

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