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平成17年度厚生労働科学研究障害保健福祉総合研究成果発表会報告書

発表会:障害者のエンパワメントの視点と生活モデルに基づく具体的な地域生活支援技術に関して

● パワレス状況を生み出す要因に関する一考察

第二次世界大戦後の傷痍軍人に対するリハビリテーション概念の中で出発した障害者福祉は、1960年代の後半に当事者の主体性をキーワードとした「自立生活概念」の台頭により、障害をもつ人たちを「治療するべき対象」として捉えてきた旧来の医学的リハビリテーション概念からの脱却を進め、障害をもつ人たちの主体性を深く考慮するものへと変容してきた。このような概念変容の中で、障害をもつ人たちは「保護されるべき障害をもつ人たち」という役割から、自分の人生を主体的に生きることを強調する「自立した個」の存在へ変化していかなければならない。しかしながら、障害をもつ人たちは、幼い頃から両親(特に母親)の付属物として見られるような場面が多く、学齢期になれば養護学校の教員等が主導権を握り、成人すれば障害者関連施設の職員等が主導権を握り、人生のさまざまなライフステージにおける障害をもつ人たち自身の主体性を軽視してきたところに問題がある。

このような状況の中で、この節では特に親子関係と兄弟姉妹関係に焦点をしぼり、乳幼児期から障害をもつ人たちのパワレス状況が生み出される要因を考察していきたい。

1.親子関係が要因となるパワレス状況

 親子関係において、子ども達は障害をもつ、もたないに関係なく、親からの重圧を受けながら、成長していくと考えても良いのではないだろうか。下の図1にあるように、親は障害をもつ子どもに対して「期待」、「扶養義務」、「教育・訓練」、「生活介護」という4種類の重圧(矢印)を向けていることになる。障害のない子どもに対しても、親は期待するし、扶養義務を口にすることもある。

図1親子関係におけるパワレス状況
図1 親子関係におけるパワレス状況

しかし、障害をもつ子どもへ対する期待には、機能回復というものが強く含まれ、「障害が無くなる」というような奇跡的な事柄も含まれると考えられる。この機能回復に対する期待は、「障害児を生んでしまった」という呪縛から母親が逃れるために抱いている夢も加わり、その重圧は倍増されてくるのである。また、扶養義務という考え方も、障害のない子どもに対しては、成人あるいは大学を卒業するまでという限定期間が設定されているが、障害をもつ子どもでは、扶養期間が定まらないという不安を常に抱くことになってしまう。

下位の二つに関しては、教育・訓練と生活介護が障害をもつ子どもに対する特有なものと考えるかも知れない。しかし、親が子どもを躾けたり、教科学習を手助けたりすることもあり、障害のない子どもにも為されている行為ではあるが、このような教育的機能も期間限定的なものと認識できる。同様に、生活介護に関しても、乳幼児期の子育てや家庭における家事などは、大抵は母親が担ってくれているものである。

このように考えると、障害をもつ子ども達は、親からの一般的な重圧を受けているに過ぎないと考えられるのかも知れないが、障害のない人たちは、これらの重圧から逃れられる環境に身を置くことを決断したり、親を精神的に裏切るという行為を用いて、エンパワメントしていくと考えられる。障害をもつ人たちは、これらの重圧を親が亡くなるまで受け続けなければならなかったり、親から離れて入所施設で生活するという消極的方法でしか解決できないと考えている。障害をもつ人たちは、このような精神的葛藤を避けるために、親に対する「強度の依存」という形にはまり、自己防衛としてのパワレス状況を作っていくと考えられる。

2.兄弟姉妹関係が要因となるパワレス状況

(1) 障害をもつ子が弟や妹の場合

上で取り上げた親子関係を基盤と考えたときに、兄弟姉妹の関係が加わってくると、その重圧状況は更に複雑化し、障害をもつ子どもを加速度的にパワレス状態へと誘導すると考えられる。下の図2で示したように、障害をもつ子が弟や妹の場合は、親からの重圧に加えて兄や姉からの重圧も受けるようになる。

図2兄弟姉妹関係によるパワレス状況(1)
図2 兄弟姉妹関係によるパワレス状況(1)

このように兄弟姉妹関係が加えられると、親子関係に見られたような一般的関係の延長上にあると考えられるものではなく、障害をもつ子どもがいる家庭特有の関係性が確立されてくることが理解できる。まず、親から受ける重圧を考えると、上の親子関係で見られる4種類の矢印に加えて、「兄や姉への服従意識」と「被扶養・要介護者としての認識」が出現してくる。この「兄や姉への服従意識」は、将来の親代わりとして兄や姉を認識させ服従させておくことが、障害をもつ子の安定した生活を保障する方法であると思考した親の行為である。この重圧は、意識的か無意識的なものかに関わらず、障害をもつ子をパワレスにしていくには十分な要因である。また、「被扶養・要介護者としての認識」は、親の手が障害をもつ子に取られがちになるので、兄や姉に対するパフォーマンスとして、障害をもつ子を必要以上に弱い立場に置くことで理解を深めさせようとする親の意図が推測できる。このような行為を進めていく中で、親は兄や姉に「親代わり期待」という重圧を掛けながら、「下の子に期待できないから、将来は親の面倒を見るように」という気持ちを話すようなこともある。

このような流れの中で兄や姉は、親に代わる者としての「小親意識」を持ってしまうようになり、良い形となって表出される場合には「兄弟愛」として親代わりとなるが、逆に作用してしまうと「虐待・無視」というネガティブな結果を招くようになる。いずれにしても、障害をもつ子にとっては、パワレス状況を生み出す要因として認識しておく必要がある。

(2) 障害をもつ子が兄や姉の場合

障害をもつ子が弟や妹である場合と異なり、先に生まれた障害児を抱えている両親は、様々な期待を持って障害のない弟や妹を迎えることになる。障害児の弟や妹という存在になるということは、生まれながらにして大きな期待と重圧を受けていることになる。下の図3を見ると、弟や妹に対する親の認識や期待は、上の兄や姉に対するものと同様であることが分かる。全体の矢印が意味するところを見ると、図2と同じような流れで、障害をもつ子に重圧が覆い被さっている。兄や姉であることで、弟や妹の上に立とうとすることを心配し、弟や妹を親代わりとしていくために、障害をもつ子に「下の子意識」を植え付けようとしていることが理解できる。洗脳とも言える意識の植え付けは、障害をもつ人たちをパワレス状況に陥らせるのに十分な要因である。障害児に対する行為と全く逆であるが、弟や妹には「上の子意識」を植え付ける結果となっている。要するに、障害をもつ兄や姉が下の子という役割を演じ、弟や妹が上の子としての役割を演じることになる。この役割交代劇が長い年月を経過して、本質的な役割転換という家族形態に落ち着いてくるのである。 障害児を抱えた家族は、兄弟姉妹のいずれに位置しても、最終的には無意識に図2の形態になるということが理解できる。

図3兄弟姉妹関係によるパワレス状況(2)
図3 兄弟姉妹関係によるパワレス状況(2)

3.パワレス状況を生み出す他要因

障害をもつ人たちの親子関係と兄弟姉妹関係からパワレス状況になる要因を検討してきたが、本節の題にも書いているように、単なる一考察に過ぎないと考えている。障害をもつ人たちをパワレス状況に陥らせる要因は、多種多様であることが分かる。その中には、身体的機能に関係するものが多いが、心理・精神的なもの、家族関係を初めとする人的環境、アクセスに関する物理的環境、社会の偏見や差別に関する社会的疎外感等があげられる。今回の研究では、パワレスよりもエンパワメントを中心に検討を進めてきたため、パワレス状況に対する分析が不足していたことは確かであった。このパワレス状況に関する研究は、エンパワメントを明らかにしていく上での必要不可欠なものであることが認識できた。今後の研究課題として、大いに深めていきたい課題である。

パワレス状況を調査する中で、障害をもつ人たちの兄弟姉妹が、不登校やひきこもりの状態にある者が多く、非行や家庭内暴力という問題も見られた。障害をもつ人たちの家族関係を図2から考察すれば、障害のない兄弟姉妹にも過度な重圧が掛けられていることが分かる。障害をもつ人たち自身のエンパワメントが重要な課題であることは明白ではあるが、兄弟姉妹がパワレス状況に陥らないようにしていく方法も考えなければならないと痛感した。

● 自己決定を可能にする要素とは

次の話題に移っていきたい。自己決定というキーワードがある。「自己決定ができない」のは、なぜなのかと考えた。これは我々の中でも、まだ非常に完成していない考え方となっている。まだ不充分であるが、今日は不充分ながら聞いて頂けたらと思っている。

自己決定の図

自己決定しない者の中には、「自己決定ができない」という考え方と、「自己決定をさせてもらえない」という考え方があると思います。

まず上から見ていきましょう。「自己決定ができない」という者の中には、「自己決定がしたい」と考える者と、「自己決定はしたくない」と考える者がいます。この二つを枝分かれさせてみますと、例えば、自己決定がしたいのにできないという者は、一番上に「各種VOCAの未使用」と書いてあります。VOCAというのはトーキングエイドです。自分は言葉に問題がある、発声ができない、声がでないということにおいて自己決定するのがおっくうになっている場合、という時には機械を使えば、問題がなくなります。毎年12月の最初に「エイタック」という学会が京都の国際会議場で行われます。そのエイタックカンファレンスでよくVOCAというのが用いられますが、どんなに重度の方でも音声の出る機械を使うだけで自己決定していこうという気持ちになっていくものです。そして、「言語療法の不足」、「自信を持たせる支援体制不備」、自信がないから自己決定できないという者もいるのです。

次に、自己決定したくないという人たちは「各種リハビリテーションの不足」「アドボケーター制度の未整備(人権擁護)」があげられます。アドボケーターには、「代弁」という意味もあります。自己決定したくない理由としては、言ったからには責任をとらなければならないので、語りたくないという者もいるということです。

次に、下を見てください。「自己決定をさせてもらえない」という人の中には「自己決定がしたい」という者と「自己決定したくない」という者がいます。

「自己決定したい」という者は、自信を持たせる支援体制が無かったということと、学校の教員等を含めた重圧環境にあり、ピアカウンセラーが整備されていない、相談する人がいないというのもあげられる。

「自己決定させてもらえない」し「自己決定したくない」という者は、どういうものが不足しているのかというと、自立生活プログラムがきちんと行われていない、家庭環境・教育環境が整備されていない、そして最後は自尊心・自己愛、自分を愛する気持ち、自分を尊敬する気持ちというのが足りないのではないかと、私達は考えています。

● ICF(国際生活機能分類)で見る自己決定要素

ICFの次元間の相互作用に関する現在の理解(2001年モデル)
ICFの次元間の相互作用に関する現在の理解(2001年モデル)の図
出所:障害者福祉研究会『ICF国際生活機能分類 -国際障害分類改訂版-』
中央法規出版 2002年

先程、私がお話申し上げましたICFです。このICFは、真中に「活動」という言葉があります。人間は何かをしようと思わない限り、障害というものを感じない。そして、障害を感じた時に、何が障害となっているのかを考える。例えば、外に行きたいと考えて、買い物に行くのも参加です。こういう勉強会も参加です。色々な参加があります。しかし、それを阻んでいるのが何なのか。私たちが研究しておりますのが、活動と参加に関わり「環境因子」と「個人因子」が影響を与えている部分です。皆さんから向かって左の部分は、リハビリテーションの分野かもしれません。狭い意味でのリハビリテーションです。最近になり、リハビリテーションの意味が拡大されて、様々なリハビリテーションを指すようになってきましたが、ここでは旧来の医学的リハビリテーションです。そういうものではなく、例えば、環境要因・個人要因を考えなければなりません。例えば、外へ出たがりと、そうではない人とがいらっしゃいます。これは個人因子なのです。環境因子は、家の玄関に階段があるというだけで、車いすの我々は出たくないなと思ってしまう。そうような感覚だと思ってください。

● エンパワメントしていくための環境改善要素

「エンパワメントしていくための環境改善要素」というのはどういうものがあるか。一つ目は「社会的環境」です。

・居住空間

日常生活を営んでいる住環境において、自分の言動に制約を与え続けているものを取り除かなければならない。「やる気の出る空間」を創造するには、全てを完璧にしない方が良いのかも知れない。「欠乏からニーズは生れる」と思うので、満足度の高い生活を継続することは、マイナスに働く場合がある。

・学習空間

居住空間と同じことが言えるが、学習空間はより「具体的なやる気」が求められるので、障害をもつ子ども達が関心を持つ環境を創造しなければならない。自らも主張したいという気持ちは、コミュニケーションを取ろうとする気持ちを向上させたり、VOCAを使用する感情を高めると考える。

・レクリエーション空間

障害をもつ子ども達が最も自己決定したい環境であると捉え、遊びを道具(ツール)として、初期のエンパワメント過程としていきたい。自分も遊びの輪に入りたいという気持ちは、子どもなら誰でも同じである。障害をもつ子ども達に興味を持ってもらえるようなメニューを揃えられるかがポイントである。

次は「人的環境」です。

・家庭環境

障害をもつ子ども達は、家族から様々な精神的抑圧を受けながら生活している。彼らの親は、日々の生活の中で与えている数種の圧力を自覚し、障害をもつ子ども達のみならず、その兄弟姉妹も抑圧状態から解き放つ努力をしていかなければならない。

・教育環境

メインストリーム教育という考え方が進み、特別支援教育という実践が文部科学省から提示され、障害をもつ子ども達の個別対応が積極的に行なわれる時代となってきた。先回りコミュニケーションではなく、話が通じる楽しさやわがままの面白さを伝える教員や医療スタッフが必要である。

・施設生活環境

施設職員や医療スタッフが障害をもつ人たちを教育したり、指導しようとする強制的な関わり方を正さなければならない。障害をもつ人たちを「わがまま」と表現することが少なくないが、周囲の者が面倒臭かったり、自分の価値観や社会性と合致しなかった時に、よく口にすることを忘れてはならない。自分の価値観や社会性の強要は、相手をますます殻に閉じ込めるものである。

以上です。エンパワメントに関しては、やはりパワレスな状態があるからこそエンパワメントする必要があります。パワレスからエンパワメントへという状況変化があります。私たちは、この研究を通じて、ご家族の方にもインタビューをしてみました。最終的に思いましたのは、やはり障害をもっている子どもをかかえますと、障害をもっていない子ども達をかかえた方とは、少し異なった面があると感じています。障害をもっていない子どもは、知らず知らずの間にエンパワーしていくのです。子供がエンパワーすると、親を裏切ることになります。親は裏切られると成長します。しかし、障害をもっている子ども達は裏切らないことが多いのです。裏切ると命の危険性があると本能的に感じるのです。障害をもっている子ども達は、動物的直感で分かっているのではないかと思います。ですから、エンパワーしていく過程における基礎というものは、幼い時から作られていくものだということを最終的にお伝えしたかったのです。しかし、それであきらめるのではなく、エンパワメントしていく過程は、三つの形がある。この三つの形を上手く組み合わせていくことによって、 障害をもつ方がエンパワメントしていくということをお伝えしたかったのです。

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