音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

平成17年度厚生労働科学研究障害保健福祉総合研究成果発表会報告書

発表会:障害者のエンパワメントの視点と生活モデルに基づく具体的な地域生活支援技術に関して

★ 第二部「身体障害者のエンパワメント過程」

続いて、武田さんから身体障害者のエンパワメントについてお伺いします。よろしくお願いします。

(武田康晴氏)
武田と申します。よろしくお願いいたします。私に与えられた課題は、身体障害者のエンパワメントという部分です。まず、話を始める前に、知的障害も含めて、やはり「障害の軽度な人たちがエンパワーしていくということだけをとらえて本当にエンパワメントと言っていいのか」という疑問は、いつも持っておくべきなのかなというところを少し念頭に置いて、1つの事例を追いながら、身体障害をもつ人のエンパワメントについて考えていきたいと思います。

この研究では、もちろん肢体不自由のある方たちの事例について、たくさん聞き取りをさせて頂きまして、報告書にも掲載しております。その中で、この事例を選んだ理由は、西沢さんは筋ジストロフィーという「進行性の障害」をもっていますが、それに起因して、人生の中でいくつもの対立軸というか葛藤が顕著に現れています。そして、その葛藤の多くがエンパワーあるいはパワレスの大きな要因となっているからです。中学校までは普通学校に通っていて、高等部から養護学校へ進学しています。詳細は後で触れますが、いくつか挙げると、まず1つ目は、養護学校と普通学校という対立軸です。障害をもつ人の多くが、小学校へ入る時に養護学校なのか普通学校なのかと迷います。それが、彼女の場合は進行性の障害のために普通学校も養護学校も体験していて、その違いの中で様々な経験をしています。2つ目は、障害のない自分と障害のある自分という対立軸です。つまり、途中から障害が重度化している意味で、西沢さんの中に「できた自分」と「できなくなった自分」という葛藤が現れているのです。3点目ですが、彼女自身の精神的なエンパワーと障害の重度化、 あるいは環境のエンパワーと障害の重度化という対立軸を見ることができます。つまり、彼女自身が力をつけていく、あるいは人間関係の広がりといった環境が膨らんで大きくなっていく方向性の矢印と、障害が重度化していくことによって身体的な制限が増えていくという逆方向の矢印による葛藤が常につきまとう。細かく挙げていけばきりがないのですが、そのような対立する矢印あるいは葛藤の中で彼女がどのような体験をしてきたか、障害の重度化と、その変化に社会や環境がどのように対応してきたか、そのような変化も含めて、身体障害者のエンパワメントについて考えていきたいと思います。

小田島さんの図と同じような整理図が書いてあります。整理図の見方については小田島さんがもうお話しされましたが、ざっと確認しておくと、年齢に沿っていて上がエンパワメントと考えられるエピソード、それから下がパワレス状況を表すようなエピソードというふうに分かれています。そして、エンパワメント状況は、II型、I型、III型、III型というような順序で4つの部分に分かれているということ、そしてパワレスの方は第1期、第2期、第3期と3つの大きな帯があるということが見て取れます。

◇西沢さんのエピソード整理図
西沢さんのエピソード整理図

その中で、まずは「パワレス要因の分析」というところですが、1つ目は障害に対する社会的偏見・差別が存在するという、大枠で「社会的環境の中で障害をもつ人たちが偏見や差別を受けている」ということが現れているエピソードを2つ挙げてあります。40ページから42ページに彼女の体験してきたことを整理した表がありますが、9歳で「障害がいじめの原因となる」ところと、21歳で「障害者の就職先が無い」という点です。障害者を取り巻く現状というか、環境によるパワレス状況というものが見られるというのが1点目です。

2点目に、学校や教師の無理解や不備が存在したところです。例えば、9歳・15歳などに見られますが、普通学校において通学や学校生活に対する配慮が無かった、あるいは9歳や12歳・14歳に見られるように、行事などに親の同伴を前提としているというところです。これはこのケースだけではなく、我々が聞き取りさせて頂いた中に「普通学校で受け入れますよ。ただし、通学については親が送迎して下さいね」ということを前提にしていたり、あるいは休み時間のたびに親御さんが学校に行ってトイレ介助をすることを前提にしていたりと、障害児の受け入れや学校生活について充分な配慮が無いという事例がたくさんありました。彼女の場合は、通学は何とか歩いて行けた。ただ、通常であれば10分くらいの道のりを1時間くらいかけて、彼女の言葉で言えば「電信柱から電信柱を渡り歩く」ように通学していましたが、そのことに対する配慮も全然なかった。その中で、先程から谷口さんの講義の中にもありましたが、親御さんが、やはり過保護・過干渉にならざるを得ない環境があるのかなと思います。谷口さんの話の中にも、親のエンパワメントといった話も少しありましたが、 小さな1つの例として、障害をもつ人の親御さんには、子育てに不備な環境の中で、過干渉にならざるを得ない状況があり続けると思うわけです。

それと事例からは、特に普通学校には、障害に対する認識が不充分な教員がいるということが読み取れます。はっきり言えば、障害者を知らない教員に「障害をもつ人に対して理解のある子ども」を教育することはできるのだろうかとも思います。例えば、私が働いている短大では保育士の養成をしていますが、幼児教育学科で保育士を養成する過程のなかに、障害者に関する講義とか、演習がほとんど入っていない。そこで資格を取った学生が保育士になった時に、自分が担当する子どもたちに「障害をもっている子どもも、この社会にはいるんだよ」とか「障害をもっている子達と一緒に生きていくんだよ」といったことを本当に伝えられるのかは、私自身いつも疑問に思っています。私がたまたま障害者福祉の担当だということがあるのかもしれませんが、教員にしろ保育士にしろ、養成の仕組み自体にも改善すべき点というのがあると思います。余談になってしまいますが、それも障害をもっている人たちを取り巻く環境の1つを構成してしまっています。それも「教育や保育の専門職」として構成してしまっているというところは、障害をもつ子に対する直接的な対応という1次的な意味でも、 障害をもたない子がいずれ社会を構成するという2次的な意味でも、すごく大きい問題だということをこの事例からも読み取ることができます。

さらに、よく言われますが、普通学校から養護学校の高等部に進学した時に、彼女自身が痛烈に感じたことは「学習面でのレベルが低い」ということです。また余談になりますが、リハビリテーションの中には教育的リハビリテーションという分野があって、アメリカでは障害をもつ人たちの教育を高等教育まで含めて保障していきます。高等教育とは専門学校・短大・大学・大学院まで含めますが、そういう仕組みの中で、教育の機会を保障されたアメリカの場合は、障害をもったお医者さんとか障害をもった弁護士さんとか障害をもった大学の教員、障害をもった政治家なんかがたくさんいます。

つまり、社会的に発言力があったり、影響力のある場所に障害をもっている当事者たちがいるわけですよね。そのような状況が作られていくアメリカと比較して、日本の教育的リハビリテーションで保障されているのは概ね高等学校まで…といった現状で、自分の力を育てていくというエンパワメントの機会というのが、やはり圧倒的に弱いと思います。本当は、潜在的には能力のある人が、環境が整っていないために自分で自分の力を伸ばし、いずれその力を使って社会の中で自己実現しながら生活していく前段のいわゆる「自分を育てるチャンス」という部分でパワレスになってしまっている状況があります。そのような視点からも養護学校の在り方や、普通学校での障害児の受け入れを考えていかなければならない。少し拡大解釈かもしれませんが、そのような状況も読み取ることができます。

パワレス要因の3番目ですが、障害の重度化に伴ってパワレス状況が生じ、増大します。これが、最初にお話した「重度化によるパワレス状況の発生」ですが、障害がある程度以上に重度化すると、中学校卒業時に彼女には養護学校しか選択肢がなかったと言えます。これは別に養護学校が悪いと言っているわけではなく、養護学校に行ってしまったが故に、普通学校であれば普通に得られるものを求めても得られない状況が、改善しなければならない点であると思います。先ほど谷口さんが冒頭で言ったエンパワメントの定義にもありましたが、自分の力を向上させたいと思った時に、障害が無ければ当たり前に得られているものを障害が理由で得られない状況が、まさにパワレス状況の1つであるということです。そして、先程から申し上げているように、彼女は普通学校へ通い、途中から養護学校に行った。そこで非常に大きなギャップを感じていたのです。

さらに「社会の柔軟性」の問題、障害の重度化に見合うほどの社会資源が充分ではないこともあります。彼女のような進行性障害の場合、人生の過程で確実に障害は重度化します。彼女の場合は、特に37歳の時が顕著ですが、常時ではなく、寝ている時に人工呼吸器の使用が必要になりました。人工呼吸器を装着している人が地域で暮らしていくことを前提とすると、社会資源は充分ではない状況がある。ただ、10年くらい前までは人工呼吸器を付けたら、もう地域では暮らせない状況であり、近年になって何とか生活できるようになった。今、そういう状況まで来ていると思いますが、そのレベルでいいのか、それで充分なのか、というところを考えていく必要がある。どの程度まであれば、重度化に対応しうる柔軟性を持つ状況なのかを考えていかなければならないと思います。

障害が重度化して、ある時点を超えると生活や選択が難しくなるところを考えたとき、彼女の場合は、たまたまではあるが、ゆるやかにレベルが落ちていったが「あるレベル」を超えてからは地域で生活するのが難しくなる。でも、彼女にとっての「あるレベル」を超えた状況を迎えるようになるが、そういうレベルにいる人が現に地域には存在する、重度の障害を生まれながらにもって地域の中で生活している人もいる。そういう人は、もともと不安定あるいは不充分な状況の中で生活しているし、そういう人がたくさんいる。障害が重度な人であっても、自分の力を向上させたり、発揮したりできる状況こそ、本当の意味でのエンパワメントと言えるのではないかということを彼女の事例は示している。そこの境界線が、これから超えていかなければならない指標の1つになるのではないかと思います。

4番目は、谷口さんも小田島さんも触れておられたので、あまり詳しくは述べませんが、親による過干渉・過保護がパワレス状況を作るという分析です。彼女の場合、20歳の時に母親が亡くなったことがパワレスな状況を作る要因になっている。ただ、彼女の場合はどちらかというと母親との関係が無くなってしまったことよりも、母親がいなくなってしまったことによって、今まであまり自分に関与していなかった父親と向き合わざるを得なくなってしまった時に、不慣れな父親による、言わば「突然の過干渉」によってパワレスになっている特徴が見られる。「障害をもつ人の親」とまとめて言われますが、障害をもっている子に対する母親と父親の関わり方の相違であるとか、果たす役割などは実は違うのかも知れないということを表している1つの例だと思います。

◇パワレス要因の分析

(1)障害に対する社会的偏見・差別が存在する
  • 障害がいじめの原因となる(9歳)
  • 障害者の就職先が少ない(21歳)
(2)学校や教師の無理解・不備が存在する
  • 普通学校への通学や学校生活に対する無配慮・行事などに同伴を前提(9,12,14歳)
  • 普通学校、養護学校ともに「障害」に対する認識が不充分な教員がいる(9,15,16歳)
  • 養護学校では学習面での配慮が少ない(15歳)
(3)障害の重度化に伴ってパワレス状況が生じ・増大する
  • 障害がある程度以上に重度化すると、養護学校しか選択肢がない(15歳)
  • 障害の重度化に見合うほど社会資源が充分ではない(27,37歳)
(4)親による過保護・過干渉がパワレス状況を作る
  • 家族のバランスが崩れることによる家族関係の悪化(20,27歳)

「エンパワメントの分岐点を構成する要素」ですが、今までパワレス状況を説明してきました。しかし、反対にエンパワメントの分岐点を構成する要素、きっかけとなったことというのは、彼女の場合どういうふうに整理できるのかという視点から少し見ていきたいと思います。

◇エンパワメントの分岐点と構成する要素

(1)「人との出会い」が分岐点となるケースが非常に多い
  • 偶然の出会い…環境や活動範囲の広がりによって偶然もたらされる出会い(9,13,15,16歳)
  • 意図的な出会い…専門職その他によって意図された環境における出会い(24,35歳)
(2)トラブルがきっかけとなり、エンパワメントが劇的に起こる
  • トラブルから学ぶことによるエンパワメント(24,32歳)
  • 相談相手や支援者と出会う可能性の増大(13,14,24,32歳)
(3)自立生活支援センターやILプログラム等との出会いが分岐点となる
  • 当事者との出会い…プログラム受講者、ピアカウンセラーとの出会い(16,24,35歳)
  • ストレングスの強化…プログラムへの参加による本人のエンパワメント(24,35歳)
(4)社会資源の充実は不可欠の要素となる
  • 支援費制度の導入による社会資源の充実が前提となったエンパワメント(32歳)
  • 障害の重度化によるパワレス状況の助長・エンパワメントの可能性消滅(37歳←逆説的に)

まず、1番目ですが、先程小田島さんのケースにもあったように、人との出会いが分岐点になるケースは、彼女の人生を見た時にも非常に多く見られます。ただ、よく見てみると、出会いも2つの種類に大きく分かれる。1つは「偶然の出会い」というもので、もう1つは、言葉が適切かどうかは別として「意図的な出会い」という2つに分類することができる。

まず、偶然の出会いの方ですが、環境や活動範囲の広がりによって、偶然もたらされた出会い、たまたまそのクラスに誰々がいたとか、たまたま住んでいる地域に誰々がいたという、偶然によってもたらされる出会いです。例えば、9歳の時に普通学校に入学した。特別ではないクラスの一員として、障害のない子たちの中に入った。そういう意味では、クラスの障害のない子たちと「出会いのチャンス」としては数的確立が同じになるわけです。それは、例えば30人のクラスであれば、彼女ひとりが障害をもっていても、彼女にとって29人との出会いであるし、障害のないA君にとっても、彼女を含む29人との出会いになる。そういう意味では、出会いの数は一緒になったが、障害をもつ彼女がどのようになったのかというと、障害を理由にしたいじめにあってしまう。たとえ後になって「いじめがきっかけで強くなった」としても、その時点で「いじめもエンパワーのきっかけとして是」とは言えないわけです。

偶然の出会いというものは、そういう危険性も実はあるのではないか。一見、出会えば出会うほど人間関係が広がって、チャンスが増えるように思われがちだが、実は充分な配慮や理解がない状況であり、準備されていないところで出会うことになると、偶然に良い出会いもあるし、同じくらい偶然に悪い出会いも混じっている可能性があるということもある。こういうことも、偶然の出会いの特徴ではないかということが読み取れる。

それに対して、意図的な出会いと分類したのは、専門職等によって意図された環境における出会いであり、主として自立生活プログラムへの参加、出会いを含む体験を意図した当事者の旅行、そしてピアカウンセラー養成講座への学習に代表される専門家がある程度設定した場面での出会いです。この場合は、マイナスの出会いという要素が、もちろん全て排除はできないが、そのような部分はある程度ケアされていて、自分の力を伸ばしていくとか、ネットワークを作っていくというような方向につながりやすい。一言で「出会い」と言っても、上の2種類に分類できると考える。この辺は、今後、エンパワメントをテーマとしたプログラムを模索していく時に留意点の1つになると考えられます。

次に上記の表で(2)のところですが、谷口さんと小田島さんのやり取りの中でも「負荷」という話がありました。確かに、トラブルがきっかけとなって、エンパワメントが劇的に起こるということも結果として見ればあります。トラブルから学ぶことによるエンパワメントと言えるかも知れませんが、自立生活の考え方で言うと、いわゆる「リスクをおかす自由」や「リスクや失敗から学ぶチャンス」という言葉で言われます。そういうことが彼女の人生の中にも起こっている。例えば、24歳のところは、家族とのごたごたがあって、家にいるのが嫌になり、それがきっかけで「逃げ場」として通信制の大学に通い始めた。家族のごたごたという負荷が、彼女の行動や活動範囲を広げていく原動力の1つになる。また32歳でも、父親との関係悪化というものが、地域での一人暮らしを最終的に決意していく原動力となっている。

ただし、これは反面で、先程からお話しているように、たとえ成長する可能性があっても、先程も申し上げた「いじめられる負荷」という考え方はあり得ないし、トラブルや負荷から学ぶことというのは結果としてあるかも知れないが、それを目的とした負荷をかけることは、それは危険かもしれないと思う。はっきりと言って、何も学べない負荷があるのではないかと、先程から、谷口さんと小田島さんのやり取りを聞いていて感じました。

3点目ですが、自立生活支援センターや自立生活プログラム等との出会いが分岐点となっています。当事者との出会いは、すごく意味があることが読み取れる。当事者との出会いで大きいのは、やはりライフモデル、自分の将来を考えたときに、手本としてイメージしやすい。ただ、これもプラス面で、成功例を強調される場合が多いですが、ライフモデルにもマイナス面、失敗例も必要かと思います。ライフモデルで考えると、成功している障害者をモデルとすることはよくあることです。そして、プラス面を見ていくと、自分もこうなりたいなと憧れる。でも実は「ああはなりたくないな」というモデルというのも、必要なのではないかと思う。先程の「負荷」と関連して言うと、実は、うまくいかない現実は、自分にとって直接の負荷ではない。ただし、負荷を自分の中に想定したときに、イメージする意味では有効なプロセスになると考えられるわけです。本人自身にトラブルなどを与えるのではなく、イメージの中で「負荷」を想定するのも有効なプロセスかも知れないということです。

4番目になりますが、「社会資源の充実は不可欠の要素となる」が挙げられる。近年の状況の中では、支援費制度の導入は非常に大きい意味がある。それが変わろうとしている状況ですが、支援費制度によってある程度は社会的支援が充実してきました。色々なところに出て行けるようになって、そこでの出会いがあったり、あるいは支援費制度によって確保された介助者を使って自分が自分の持っている能力を発揮していくことは、やはり必要なのだと思う。もしそれが無かったら、彼女の場合、32歳の時に一人暮らしは、たぶん実現しなかったのではないかと思います。

もう1つは、逆説的な意味ですが、障害の重度化によるパワレス状況の助長あるいはパワレス状況がどんどん大きくなることから、社会資源の充実はエンパワメントの分岐点を構成する要素になると考えられます。あるいは、将来の可能性という視点から言えば、重度化に比例して使えるサービスが増えていくような条件があれば、彼女の障害はだんだん重度になるが、自分の持っている力を発揮していく可能性が増え、さらなるエンパワーの可能性があったのかもしれない。しかし、現実は、それを消滅させてしまう要素がある。そういう意味でも、ある程度の社会資源が存在するということは前提になると思います。

◇エンパワメントモデルの特徴

第1段階:II型が中心
人生の初期あるいは受傷直後などは、自分自身の変化を求められるI型よりも(自分はエンパワーしなくても)環境がエンパワーするII方が比較的多く見られる。その環境因子には、制度や組織はもちろん、人的環境因子としての両親などが含まれる。
第2段階:I型が出現
II型によってある程度までエンパワメントが進行してくると、少しずつ「自分自身が変化する」というI型が出現し、それは概ね加速していく傾向にある。この傾向について「パワレス状況の改善に伴って障害当事者はエンパワーする」という捉え方をすると、当初、ソロモン(Solomon.B.)が黒人のエンパワメントについて論じたものと方向性が一致する。
第3段階:III型が充実
概ね後半になって現れるが、第2段階に先立って現れる場合もある。自立生活支援センターや障害者団体の介入、またそれらが主催するILプログラムなどを媒介として生じるケースが多く、支援費制度の導入に伴って活性化している。また、第2段階と同様、I型の出現や強化に寄与しているケースも見られる。
第4段階:I~III型が強化
上記の段階を経てパワレス状況が解消し、当事者が力をつけ発揮する状況が進行してくる過程すなわちエンパワメントが進展すると、当事者の活動範囲が量的にも質的にも拡大し、新たな出会いを生むなどの好循環ができる。この好循環を維持・発展するためには、障害者のエンパワメントについて、その内容・意義・価値といったものが充分に理解されなければならない。

「エンパワメントモデルの特徴」については、上記にあるように、言葉でいうと「自分の力を育てて、自分の力を発揮していく」となります。自分の力を育てるということと、持っている力を発揮するということでは、課題、考え方、方法も少し異なるというのが1つです。最初に申し上げたように「重度障害者を含めたエンパワメント」という視点は、常に持ち続けなければならない。それに「障害がなければ当たり前にできること」とよく言われますが、その「当たり前」は、人によって違ったりする。当たり前とは何なのだろう、当たり前のレベルはどこまでだろうというあたりも、これから議論していかなければならない論点の1つかと思います。ありがとうございました。

資料:エンパワメント事例(肢体不自由)