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平成17年度厚生労働科学研究費補助金障害保健福祉総合研究推進事業報告書

統合失調症および精神病性障害に対する認知行動療法:
マンチェスター・モデルに基づく精神病性障害に対する
認知行動療法マニュアル

3. CBTの手順:マンチェスター・モデル

3.1 臨床モデル:コーピング―回復モデル

 ここで述べるモデルは,著者によって開発されたものであるが,他のモデルと多くの共通点を有しており,この分野の臨床研究家達との関わりや話し合いによって強化されてきたものである。基本的な信条は,人生の様々な側面を大きく変化させてしまいうる永続的な疾病に患者自らが対処をし,治療者は患者が回復の過程を最大限にうまく進められるよう援助をするというリカバリー・モデルに拠ったものである。
 治療を進める上での臨床モデルを図1に示した。本モデルでは,精神病症状,幻聴,妄想といった体験を,内的要因と外的要因のダイナミックな相互作用の産物と考える。内的要因は,生物学的なもののみならず,心理学的なものも含み,また,先天的なものでも,後天的なものでもありうる。例えば,遺伝要因は脳の生化学的機能や認知的能力に影響を与える場合がある。また,生物学的,及び心理学的障害は,認知的柔軟性の欠如や非適応的な態度の形成においてみられるように,後天的に生じうることもある。これらの内的要因は,個人の精神病に対する脆弱性を高め,ある種の対人環境や過度な要求がなされる環境のような環境ストレスへの暴露とあいまって,発病リスクを高める。この内的要因と外的要因の相互作用は,障害の発症と,症状の維持の双方において重要である。幻聴の発生源(すなわち,声がどこから聞こえてくるかに関する信念)のモニタリングや妄想にみられる確率的推論のような情報処理における障害は,覚醒システムとそのコントロールの障害とあいまって,精神病の特徴たる認知と思考の障害に至る。人はこのような体験に反応を示すが,これには,これらの体験を解釈し,意味づけをし,そしてその結果に反応するための1次的評価と2次的評価が含まれる。精神病体験に対して生じる1次的な反応は,感情,行動,そして認知的要素を含む多相的なものである。2次的効果としての,気分の低下,社会的状況における不安,そしてトラウマの影響なども,状況を複雑化する。

図1:精神病症状の発症と持続の臨床モデル

図1

 本モデルの重要な点は,精神病体験の評価と反応がいくつものルートを通じてフィードバックし合い,精神病体験が維持され繰り返される可能性を高めている点である。例えば,脅す声を聞いたり,強い妄想感情を体験することに対する感情的反応として,不安や怒りが生じる可能性は高いだろう.不安感情でも怒り感情でも,覚醒度の持続的な亢進の直接的結果,もしくは障害された情報処理の非直接的な結果生じた自律神経系の覚醒亢進を伴い,精神病症状を生じやすくする。同じように,精神病症状に対する行動的反応は,環境ストレスへの暴露やトラウマのリスクを増加し(例 暴力に巻き込まれたり,危険な行動にふけったりする),それによって精神病症状を持続させたり,増悪させたりする。例えば,妄想的思考は対人関係における衝突を引き起こしたり,さもなくば,社会的場面の回避や引きこもりにつながりうる.どちらの状況も症状発生の可能性を高めることが多い。対人関係における衝突は,被害妄想の証拠として解釈されることが多く,引きこもりや孤立は,これらの妄想的信念が誤りであることを知る機会を減じ,妄想をより強固に信じたり,確証的反すうを通じて怒りを強めたりすることにつながりうる。声や妄想的思考を妥当で真実性の高いものとして解釈してしまうことは,これらの信念に基づいた実際の行動を生み,現実評価において証拠を集めたり評価する際の確認バイアスにつながる。
 精神病体験は,機能不全的な信念につながり,このような信念に従って行動する結果,確信を高めたり,反証を得ることに失敗することになる。これは,体験―信念―行動―確証サイクル(Experience-Belief-Action-Confirmation cycle: EBACサイクル)と呼ばれる。このようなサイクルは,不適応的な信念や行動の強化を通して精神病体験を維持するものと考えられる。図1に示した包括的なモデルによって,どのようにして患者の問題が生じ,維持されるのかに関する全体像をみることができる。そしてこの全体モデルに埋め込まれた形で,EBACサイクルのような特定の時間に結びついた出来事から構成されるミクロ要素が包含されている(図2参照)。

図2:体験―信念―行動―確証(EBAC)サイクル

図2

3.2 治療契約

 CBTを始めるにあたって,まず最初の目標は,患者と治療契約を結ぶことである。統合失調症に苦しむ患者,特に被害妄想をはじめとする妄想がある者とは,治療契約を結ぶ際に大変な困難が生じる場合がある。治療者は,査定と治療を開始するのに先立って,まず患者との良好な人間関係を構築し,この関係性が安全であることを保証するようにする。このことは,治療者が,治療は患者にとってはよく知らない人と関係をもたなくてはならない場であり,困難を伴うものである場合があることを理解することから始まる。また,患者に,何か問題や不安があればいつでも話してくれるように説明する。これは,各セッションのはじめにアジェンダとして組み込んでもよい。患者がなぜ治療を行うのかを理解し,それを受け入れる前に詳細な査定や治療方略を始めることは,治療過程が侵入的なものと認識させたり,自分の関心とは関係のないものとして患者に理解され,治療契約締結の失敗につながるリスクを高める。
 治療初期には,良好な治療関係を築くために,感情的サポートや実際的サポートを提供したり,患者や患者の関心を理解することが面接における主眼となるかもしれない。図3(次頁)に,治療契約を結ぶためのアルゴリズムを示した。

図3:治療契約の締結

図3

 治療者は,治療契約を維持するためにはどんなことでもすべきである。すなわち,患者が会い続けてくれるようにするためだけに,治療的な内容についてはまったく話し合わぬまま,短いセッションを何度も続けなければならないような場合もある。過去に,著者は,強い妄想を持った患者が,ドアを開けて,顔と顔を合わせて会ってくれるようになるまで,ドアの郵便受けを通して何週間も短い会話を続けたことがある。
 治療契約を維持する方法として,共通の,合意した目的をもつことがあげられるが,これはつまり,治療の目的は患者が価値をおき,達成したいと願うものでなくてはならないということである。患者に,もし精神病に苦しんでいなければどのようなことを達成したかったかをたずねたり,現在どのような希望や目標が妨害されていると考えているのかを聞き出し,共通の,かつ協働的な目的をそのような目標を達成することにおくことはしばしば助けになる(3.6結果を参照)。これらの望ましい目標を達成するということは,すなわち精神病の影響を小さくすることを意味し,それ故に,患者の動機付けを高めるかもしれない。

3.3 ケース・フォーミュレーションの目的と手続

 英国では,患者を理解し,CBTpを始める上で,ケース・フォーミュレーションは不可欠なものと考えられている。ケース・フォーミュレーションの目的は,科学的に,また患者にも理解できるようなかたちで,患者の問題を定義し,説明することである。前者は,フォーミュレーションは仮説に基づいた検証に耐えうるものでなければならないということを意味している。このためには,フォーミュレーションは,手に入るデータを簡潔に説明し,査定と治療を通して常に検証されうる仮説を作ることを必要とする。

3.3.1 ケース・フォーミュレーションのABC

 ケース・フォーミュレーションは,構造化された過程を踏んで行なうべきである。従来より,臨床的問題の同定と,定義,そしてその問題に先立つもの,問題の結果生じるものを同定することが含まれる。これは,伝統的な行動分析におけるABC(antecedents先行条件―bahaviour行動―consequences結果)と同様であるが,認知モデルでは行動を,内容,過程,そして構造を含む多くの行動要因の記述を用いて,より広義の問題の定義の仕方に置き換えることを可能にした。CBTpで,臨床的問題といった場合,主に幻聴や妄想思考といった精神病体験を指すが,場合によって陰性症状や不適切な行動もしくは不適応的な行動を含めることもある。このように,ケース・フォーミュレーションは,とても柔軟なものであり,臨床場面の様々な要求に対応することができるものである。

3.3.2 システムの機能不全

 システムの機能不全は,調整のためのフィードバック機能が障害されていたり,ホメオスタシスがうまく保てないことから生じる。機能不全システムのフィードバックは,不安定になりがちで,それにより自己調整を妨げるフィードバック過程が増強されたり,維持したりする傾向がある。反応パターンは,しばしば固定化され,循環的になり,多くの機能をもつようになる。出来事の連鎖はしばしば線型ではなく循環型になるので,機能不全システムとして考えた方が理解しやすい。機能不全システムが活性化されると,その中で様々な構成要素が相互作用し,フィードバックシステムによってその相互作用関係が強化されるのだ。このようなシステミック・アプローチは,パニック障害の‘悪循環’モデルをはじめとする他の精神病理学モデルにもみられるものである。
 このように,ケース・フォーミュレーションの最初の過程は,患者の生活を形成し,問題を維持することに関連している思考,行動,身体的反応,そして環境の間の機能不全的相互関係を同定することである。この目的は,どのような要因の組み合わせがその問題を維持し,また,自然な回復や,正常なホメオスタシスへの復帰を妨げているのかを明らかにすることである。

3.3.3 歴史的背景と脆弱性

 障害は,脆弱性とストレスの産物として発生するものと考えられる。個人の精神病発病リスクを高めるいくつかの共通する特徴の存在が,脆弱性を病因の一つとするエビデンスと考えられている。脆弱性が高まることはリスクを高めるが,必ずしも障害を発症させるわけではなく,障害を発現させるには,さらに何らかの不安定要因,もしくはストレスが必要である。
脆弱性の中には,先天性の要素と後天的な生物学的脆弱性の双方の現れであるといえるものがある。一方で,特定の環境に暴露することによって獲得される脆弱性もある。このように,遠隔的なもの,近接的なものを問わずいくつもの脆弱性要因に暴露することは,誘因をきっかけに,精神病性障害を発症する可能性をかなり高める。しかし,必ずしもいくつもの要因に暴露していなくても,誰しもが,ライフイベントや危機といったより近接的な他の要因を体験することで,この障害を発症し,症状が持続する可能性もある。
 よって,ケース・フォーミュレーションにおける個人史(歴史的背景要因)の検討においては,障害のリスクを高めることになった一般的な脆弱性要因(すなわち,その集団によくある要因)と特定の素因(個人要因)の同定も行なうべきである。
 遠隔的脆弱性要因と近接的脆弱性要因の区別は以下の通りである。遠隔的脆弱性は,児童虐待の被害者となることのような過去に起こった出来事によるものを指し,近接的脆弱性とは,低い自尊感や社会的支援の欠如といった最近起こった,もしくは現在も起こっているものを指す。遠隔的脆弱性を変化させるのは困難な場合が多いが,現在起こっている近接的脆弱性は変化させうるかもしれないという意味で,このような区別は概念的観点からのみならず,実践的な意味で重要な点である。

3.3.4 ホメオスタシス―崩壊と回復

 心理的システムには,生物学的システムと同様,調整的フィードバックを通してホメオスタシスを保とうとする傾向があり,迫り来る危機や脆弱性があったり周囲のストレスが極めて大きい場合のみ,不安定化が生じ,それが持続することとなる.このように,不安定化は,認知的システム及び行動的システムに重圧が加わった結果,機能に変化と障害が生じ,正常なホメオスタシスと平衡の喪失に至った状態と考えることが出来る。心理学的観点からみると,このホメオスタシスのメカニズムの維持や,喪失に影響を与える重要な要因は,社会的なものであることが多い。更に,自然に存在するレジリエンスや回復に影響を与える要因も同様に治療において重要な役割を担うことがある。
 よって,ケース・フォーミュレーションの過程は,リスクを増大させ,不安定化と,ホメオスタシスの喪失を生じさせたその個人に関連する要因,すなわち臨床上の問題を維持している特定の要因を理解する過程といえる。これまですべての臨床上の問題を,一括して同等に扱ってきたが,すべての臨床上の問題に同じような脆弱性が影響していたり,維持要因が関連しているわけではない。

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