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平成19年度厚生労働科学研究費補助金障害保健福祉総合研究推進事業報告書

スイスにおける精神障害の普及啓発とその日本への援用

Ⅲ 普及啓発活動の取り組みに向けて―ニーズアセスメント

1.スイス・チューリッヒ州における検討

精神障害者への無理解は、精神障害のリカバリー、社会復帰、QoLの向上を妨げる最も重要な要因として報告されてきた。実際に、精神障害に苦しむ者にとっては、精神科診断名による社会的な排除や、精神科サービスの劣悪な環境などによって、適切な医療を受けることが困難なこともあった。精神保健上の問題を述べることで、求職活動や住居の確保、近隣との交際が難しくなることが示されているのである。(567

スイス連邦共和国における精神障害者の正しい理解を図る取り組みについては、各地方州、連邦国家または国際的なレベルで実施されている。最も大きいところは、WPA(世界精神医学界)による「Open the Door」プログラムであり、ここでは、統合失調症の知識と治療に関する知識を得ること、統合失調症患者およびその家族に対する社会の態度を改善すること、差別や偏見を除去する活動を行うことを目標にされている。(8

チューリッヒ大学では、州政府当局と連携し、普及啓発活動の取り組みの在り方を検討しているところである。

検討課題:

  • 当事者およびその家族の視点に立って実践されているか
  • 個別の目的を達成するには、どのような戦略を用いればよいか
  • だれを普及啓発の対象にし、どのグループを活動に参加させればよいか

これらが、各取り組みの計画段階で決定されなければならないことは明白であり、差別や偏見の実態を周知しておくことは不可欠である。これまでの検討で、スイス・チューリッヒ州においては、次のような状況が報告されている。(910

  • 一般社会での精神疾患への態度および感情は、各取り組みによっても否定的である
  • 精神障害への認識は、不穏、攻撃的、危険、不合理、無知、自制心に欠くとなっている
  • 統合失調症患者への関わりでは、同じアパートでの生活、職業を得ること、子どもの世話において拒否されている

2.ニーズアセスメント

このような状況を鑑み、普及啓発活動の実施にあたっては、特にニーズアセスメントに重点を置いている。そのプロセスでは、活動を実践する地域または対象者のもつニーズを特定し、問題点と解決策を検討することになる。地域または対象者において精神障害者の正しい理解が図られていないという仮定より始められ、差別や偏見といった覆い隠されることのあるニーズを発見するとともに、スティグマに向き合うことのできる個人やグループ、地域の資源を開拓するのである。

ニーズアセスメントとは:(11

  • 定義された手続きによって行われる組織的アプローチである
  • 特定の目的に向けられた方法によってデータを収集する
  • ニーズの優先順位と、問題解決のための枠組みを定める
  • 精神保健医療サービスや医療機関等の改善の方向を示す
  • 最も効果的に資金、人材、施設および他の資源を導入する規準をおく

3.ニーズと資源

ここでアセスメントを行う対象は、ニーズと資源(Capacity)に分けられている。(11)普及啓発のニーズは、差別・偏見の現況と求められる状態とのあいだにみられ、地域性に基づいて検討される。一方、それへの対応については、住民意識の変容において利用することのできる社会資源を開拓することになる。

1)ニーズ:

①主観的なスティグマの経験
当事者およびその家族の視点は、普及啓発を推進するうえで重要になる。
精神疾患とそれに影響される社会生活の経験は、地域での問題をより明確にすることができる。
②社会の態度
「一般社会は精神障害についてどう捉えているか。」
「精神障害への偏見の主な要因はなにか。」
「人々は精神障害者に対し、どのような行動をとるか。」
「人々は精神疾患を見分けることができ、治療を勧めることができるか。」
③保健医療の行政
「精神障害者の法的な位置づけはどのようか。」
「精神保健医療サービスは、健康保険システムにおいて適切な配分を受けているか。」
「精神障害者の権利を擁護する法律は整備されているか。」
④学校カリキュラム
「教育カリキュラムにおいて、精神健康問題をどの程度扱っているか。」
「精神健康に問題のある児童・生徒へのサポートに、教員はなにを必要にしているか。」
「学年層に応じた理解にあわせ、どのような情報が提供されているか。」
⑤マスメディアのイメージ
「メディア報道での精神障害にかかる一般的なテーマはなにか。」
「精神障害について、どのような機会に報道されているか。」
「精神保健の肯定的な面およびエビデンスに基づいた情報を扱っているか。」
⑥対象者
「普及啓発活動によって、なにが達成されるべきであるか。」
普及啓発活動の効果は、対象者(精神障害者・その家族・精神保健医療の専門職・マスメディア・保健医療政策の担当者など)によって異なる。
活動の計画段階において、各対象者層に優先順位をつけることが必要である。
⑦メッセージ
「精神障害に関する知識を補うには、普及啓発活動においてどのような情報を提供すればよいか。」
「どのような『神話』が払いのけられるべきであるか。」
「普及啓発活動において、なににトピックを置くか。」
普及啓発のメッセージは、上記のポイントを示すチャネルである。
⑧サポートの必要性
「特定の活動を計画に、どのような人的サポートが必要になるか。」
活動の計画時より、実施、モニタリングまでを通して検討されるべきである。
活動に関わる者の意見、経験、不安や要求を議論する会議を定期的に開く。

2)資源(Capacity):

①興味・能力・専門知識
「活動での関わりにおいて、だれが普及啓発の推進に興味を示すか。」
「専門的な能力を持ち合わせているか。(資金集め・メディアとの関わり・グラフィックデザイン・調査の技術など)」
「参加する精神障害者の資質を活用しているか。(講演・特定の技能・写真・芸術など)」
②着想・コンセプト・戦略
「普及啓発活動の目標の達成に、どの資材を使用することができるか。」
「普及啓発活動や保健教育に関し、だれが専門知識と過去の取り組みを紹介できるか。」
活動のコンセプトや戦略に多様な見立てを行うことは、実施に向けた創造性を高める。
③動機・関与
活動に関わりをもつ者のなかで、積極的に取り組む動機を与える役割を特定する(保健専門職・当事者とその家族・行政・メディア等)
「『反スティグマ』は、その活動における最重要課題であるか。」
「活動への動機を高められる要因はなにか、また、活動の遂行を支えるには、なにをすることができるか。」
④資金獲得
資金獲得に役立つチャネルの情報を収集する。(精神保健計画の関係者・地域での指導者・政府機関での担当者・助成団体・スポンサー候補を、各種会合に参集する。)
特定の活動に応じ、創造的な資金獲得の着想を得る。

4.対象の設定

活動の成功に向けては、普及啓発の対象とする層または地域を限定することが求められる。ここでは、以下の二点に留意することが必要である。

  • 活動の実践によって、最終的に利益を受ける者
  • スティグマに影響された態度や行動を変容させることが望まれる者、または、地域や社会レベルにおいてそれへの影響を与えることができる者

これら普及啓発活動において対象とする者を、アセスメントの開始に際して明らかにする。これまでの取り組みで、精神障害者に対する社会の認識に影響を及ぼす多様な方法が示されている。そのなかで、個別の目標が達成するような方法を選択するよう、適切にニーズを分析する必要がある。例えば、精神障害者用の住居を建設するプロジェクトの実施にあたっては、居住予定者と地域住民との軋轢を減らす三つの主要な対象者層が挙げられている。

  • 精神障害者の居住によって、地域の不動産価値が下落することを恐れている家主
  • 精神障害者を受け入れる地域の世論の形成に影響を及ぼす聖職者
  • 通院や施設通所に利用する公共交通機関の運転士または管理者

これら各対象者層の認識を量ることは、普及啓発活動を展開するうえで不可欠であり、取り組みの方向性を明確にすることができるのである。アセスメントの手続きを経て、次のような異なるレベルにおける対象者ごとのニーズを知ることが重要である。(12

レベル1:精神保健医療サービスの利用者
このレベルでは、サービスによって利益を得る者の意見を示す。
対象は、精神保健医療システムで対象とする者(患者・学生・精神保健医療情報の利用者・潜在的な利用者)である。
レベル2:精神保健医療サービスの提供者・行政当局
このレベルでは、精神障害者に関する知識や態度、行動を変化させる者のニーズを得る。
すなわち、実際のサービスを提供し、レベル1でのニーズに強い影響を与える者である。
対象は、精神保健医療の専門職・雇用者・行政の実務担当者および政策担当者等である。
レベル3:社会資源
このレベルでは、差別や偏見の問題を解決することができる資源の必要性と実際の可能性をはかる。
対象となるのは、施設や設備の建設・サービスの提供量および提供方法・支援技法・事業の実施時期・法的整備・予算要件等である。