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平成18年度厚生労働科学研究
障害保健福祉総合研究成果発表会報告書

エンパワメントの概念から見る地域力の構成要素
当日資料

(1)個人因子強化モデルと「地域力」

まず、個人因子強化モデルについて、地域力の構成要素すなわち「自助」「互助」「共助」「公助」が個人因子の強化つまり「個人がパワーをもつ」というベクトル(方向性とエネルギーおよびプロセス)とどのような相関関係にあるのかを考えてみたい。

第一に「自助」についてであるが、本研究1.2.3.「地域力の主体」において規定している通り「自助」とは自分自身の努力および血縁に基づき個人的に提供される援助となる。ここで、自分自身の努力については個人因子が強化されることの所産であると考えれば、エンパワメントとの相関関係に関して、両親・兄弟を中心とした血縁関係による援助の状況が個人因子の強化というベクトルとの間で主たる問題となろう。一方、先のエンパワメントに関する研究において個人因子が強化される分岐点として挙がっているのは、他者との出会い・プログラムへの参加・トラブルからの学び・一人暮らし等といった項目である。そして、これらはどれも「血縁関係の外側」で生じる可能性の高いものであり、その意味では、個人因子強化モデルと「自助」との相関関係において「自助」が「抱え込み」とならずにむしろ本人がパワーを付けていくための「後方支援」という要素を含んでいるか否かが焦点になると考えられる。そして、逆にもしも「自助」が本人の生活・人生における分岐点について「チャンスを阻む方向」に作用しているのであれば、個人因子強化モデルにおけるパワレス状況の要因になる危険性を含んでいると言えるのである。

次に「互助」および「共助」についてであるが、この両者は、情報や場面・プログラムの提供あるいは地域自立等にまつわる諸支援の枠組みとしては大差がないと思われる。つまり、例えば「他者との出会いの場」を提供する主体が「互助」であれ「共助」であれ、結果として個人因子を強化する要因として同様に機能する可能性があるということである。ただし、その両者については、一般的に前者は「地域の利益」や「地域の意向」が反映ないし優先されやすく、後者は、特に障害者支援については、複数の当事者にある程度共通するテーマで接点をもつ傾向が強いと言える。すなわち、障害に関する理解や配慮を基盤として、個人因子が強化される分岐点が有効に提供されている限り両者にさほど差異は見られないが、「互助」には、たまたま「障害者」がターゲットにならない場合などには、互助機能が強ければ強いほど、障害をもつ人のパワレス状況は他の地域住民と相対して強調されてしまう危険性がある。この点について「共助」の場合は、例えば障害者支援に関する共通のミッションがあるなど、その危険性は「互助」に比較して少ないと考えられる。しかしながら、いずれにしても「互助」「共助」によって提供される「支援」の内容について、例えば当事者が参画するなど、方向性やターゲットを決定する際に当事者の意見が反映されるか否かは大きなポイントとなるかもしれない。

また「公助」について個人因子の強化との関係を考えると、それが普通学校であれ養護学校であれ、学齢期における小・中・高等学校の果たすべき役割は非常に大きいと考えられる。学校は、学業を修める場であると同時に、子どもにとっては「社会」そのものであり、卒業後に自立生活を営むためのまさに「力」を身につける場だからである。つまり、「学校」には、障害をもつ子どもが障害をもちながら社会の中で生きていくことを想定し、その「力」を身につけることができるような環境・プログラム・機会の提供が求められているのである。また、特に障害児の場合、学校だけで「力」を身につけるのは難しいといった指摘のある中では、地域で生活しながら個人因子を強化していく仕組みが必要というのも現実であろう。平成18年4月より施行された『障害者自立支援法』においては主として「訓練等給付」として個人因子を強化する支援の枠組みが示されているが、個人因子強化モデルと「公助」の観点からも、理念に沿った支援の遂行と実質的な内容の充実が求められるのである。

(2)環境因子強化モデルと「地域力」

ICFにおける「環境因子」として想定される内容が障害をもつ個人を取り巻く環境であることを考えれば、環境因子強化モデルと「地域力」には最も大きな相関関係があると考えられる。「自助」にしろ「互助」「共助」「公助」にしろ、例えば同じレベルの機能障害をもつ人であっても、その人を取り巻くものの量・質によって社会生活の様態は異なるというのがICFにおける「環境因子」の示すところだからである。

まず「自助」についてであるが、これも本節(1)で指摘したように「自助」が環境因子の拡大を阻む方向を向いていないかが焦点となろう。自助の主体が本人であれ家族であれ、環境因子のうち主として人的環境やシステムなどの広がりを積極的に受け入れるか、あるいは少なくとも実態として拒否する方向を向いていないということが、特に「地域力」の充実が環境因子の強化とが有効に結びついていくためのポイントとなる。つまり、逆に、例えば学齢期の障害児にいつも母親が付き添っていることにより他児が近づきにくいといった状況、あるいは障害者本人とではなく家人と関係が上手くいかずボランティアが遠ざかってしまうのなど「自助」の影響によって環境との接点が持ちにくくなるといった状況は、当該障害児や障害者のパワレス状況を助長しかねないと考えられるのである。また、家族等による「自助」も本人を取り巻く環境因子の1つととらえるとき、環境因子同士の相互作用といった重要なテーマが示唆されるのである。

次に「互助」および「共助」と環境因子強化モデルとの相関関係を考えるとき、環境因子の量的な部分もさることながら、主としてその質的な部分が論点となろう。環境因子強化モデルの進行段階において、少なくとも理論的には、環境因子の量は多いほど望ましいと考えることが出来るからである。そこで「互助」および「共助」の質的な違いに焦点を当ててみれば、先にも指摘したが、再現可能性・安定した資源提供・連続的な質と量の確保といった点で「互助」には不確定要素、すなわち、例えば「ある障害児」を想定した時に、その子が互助の中心的な担い手であった家庭に生まれたか否か、いつも互助の対象となるか否か、その地域で次に生まれる障害児にも量的質的に同じだけの支援が提供されるか否かといった点で「ムラ」が生じる可能性がある。それは、互助が、地縁によって生じる「思い」や「地域の意思」、現実的には主として「互助の主体の意思」に基づくからである。その点、「共助」にはその特性上「ムラ」は生じにくい。ただし、だからといって「互助」が「共助」に比して劣っているということではなく、互助には、その「思い」が形になることや膨らむことに制限を受けにくいというメリットがある。つまり、例えば「単純な善意の表現」といったものが環境因子を強化する大きな力となることはあり得るし、また逆に「専門性」その他によってそれを否定してしまうことで「地域力」が失われ、環境因子を縮小し、結果、パワレス状況を維持ないし助長することは避けなければならない。

そして、同様に「公助」は量的にも質的にも充実しているほうが良いが、「地域力」という観点、特に環境因子強化モデルとの相関関係で言えば、例えば「公助が増えたので、住民が安心してしまい互助が減ってしまった」といった状況は好ましくない。つまり、もともと「互助」ないし「共助」が担っていた部分を維持しながら「公助」が拡大して、はじめて環境因子は量的に強化されるということである。そういった意味では、「地域力」の構成要素に関する分析に基づき、「自助」も含め「互助」「共助」「公助」の質的差異、それも他のものでは取って代わることのできないプラスの差異を尊重することが求められるのである。

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