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発表会:「生活機能」向上をめざして-ICFの保健・医療・介護・福祉・行政での活用-

2.ICFの基本と活用 【第二部(2)】

上田 そこで次に評価点の話に移りたいと思います。今、大きな流れを申しましたが、「活動」と「参加」のそれぞれについて評価点を付けていく必要があるのです。活動と参加から環境因子に移る前に評価点を付ける必要があります。その場合の評価点に関してどう考えていくかです。
ご存じのように評価点の付け方とは大まかなガイドラインが与えられているだけでして、将来実証的なデータに基づいて決めていくことになっています。しかし何百項目もあるものに対して、一つひとつ実証的な研究をやって評価点の基準を決めていくことは、気の遠くなるような時間がかかります。それから、ある国のある地域で標準化ができたとしても、それが世界中の他のところでもそのまま通用するという保証もありません。それから一方、一つ一つの項目についてそんなに細かく厳密な基準が立てられたらとても覚えきれません。あの赤い表紙の本の何十倍ものマニュアルが必要になってくる。それでは実際に使えない。

むしろ従来使われてきた例えば日常生活動作に関する評価スケールは広く使われている、何段階かのものがあるのです。それにある程度手を加えて、ICFは5段階ですから、その5段階に適したものに当てはめていくことのほうが極めて実際的で、そういう原則を知ればかなりの人が実際にすぐ使えることがあります。それが私たちがこの研究班で実証的に研究してきたところです。大川先生が中心になりまして私どもが手伝って、全国各地で実態調査を行いまして、その実態調査のデータを解析して、そこから作り出したのがこれからお話しする活動その他の評価点の基準(表2)です。

「実行状況」の基準としては、評価点0とは問題がないことです。これを「普遍的自立」をそれにあてるというのが我々の研究の結論です。1とは少し問題があることで、これは「限定的自立」で、これまでは自立であればそれで問題なしと考えていたのですが、しかし自立の中にも「普遍的自立」と「限定的自立」があるのです。その後は「2:部分介助」「3:全介助」「4:していない」となります。

ではこの「普遍的自立」とか「限定的自立」とはどういうことかですが、具体的な使用例としてイラストが入った「生活不活発病チェックリスト」(図1)があります。これは1年前と現在とを比較してみましょうということですが、見やすいので「現在」を見てください。そうすると「屋外を歩くこと」というところで、先ほど丹羽先生も既に使っていただいていますけれども、「遠くへも1人で歩いている」というのが「普遍的自立」にあたります。「近くならば1人で歩いている」が「限定的自立」となります。

次に屋内歩行については、自宅内で人手を借りずに歩いていれば、自立と今までなら考えたのですが、もっと細かく見ていきますと、「何もつかまらずに歩いている」というのと「壁や家具を伝わって歩いている」というのでは、かなり違います。人手を借りていないという意味では自立ですが、しかし自分の家だからここを伝えばうまく歩けることがわかるのであって、他の人の家に行ったときや旅行をしたときも、間違いなく伝ってうまく歩けるかは保証の限りではないわけで、やはり自宅という限定付きになってしまうのです。「何もつかまらずに歩いている」のであれば、他へ行っても大丈夫だと言えます。やはりそこに普遍的と限定的の違いが出てきます。

その次の「身の回りの行為(食事、入浴、洗面、トイレなど)」ですが、ここでは外出時や旅行のときにも不自由ないというのが「普遍的自立」で、自宅内でだけとか限られたところだけは不自由ないというのが「限定的自立」です。例えば食事は自宅ですと誰も見ておらず、家族しかいないので、多少格好が悪くても、例えばテーブルに肘をつかなければ食べられないとか、手で持たずに皿に首を突っ込んでも自立して食べられるとか、そういうことができますけれども、外食する場合になかなかそういうみっともない格好はできません。あるいは他の家を訪問したときにもそういう食べ方はできないことになります。

またそばやステーキや骨つきの魚などは食べることができないというような限られたメニューだけは自分一人で食べられるということです。あるいは入浴にしても、自分の家のお風呂ならば入浴できるけれども、例えば温泉のような広い浴場だったらぷかぷか浮いてしまって入りにくいこともありますし、出入りが難しいこともあります。洗面も、洗面台の場所が違えばしにくいこともあります。トイレなどは場所によっては訪問先で和式のトイレしかないという場合に困ってしまいます。だからそこには行かないこともよくあります。そういうのが普遍的自立と限定的自立との違いです。

ここが最初に申し上げましたICFが障害のある人のための分類ではなくてすべての人のための分類だというところです。「すべての人」というと、すべての健康な方の大部分は今挙げてきました普遍的な自立のレベルが当然のことになっているのです。ですからそれが一番望ましい状態なのだと考えて、それとの比較において見ていきます。普遍的な自立であった方がいろんな理由、特に生活不活発病というような回復させうることが原因で普遍的自立から限定的自立に低下した時は、できるだけ早く見つけて手を打てば元へ戻せる可能性があります。これが例えば介護予防の非常に重要なポイントになるのです。

そういう意味で敏感に問題点をとらえるためには、やや厳しすぎる、やや難しすぎるとお感じになるかもしれませんけれども、あえて普遍的自立を評価点「0」、「問題なし」という状態ととらえて、そして限定的自立には既に問題があるのだと考えます。これは時間があればデータをお示しできるのですが、まったく問題がなく、介護保険も受けていないし身障者手帳ももちろん持っていないという高齢者について調査をしますと、こういう限定的自立にとどまっている方は結構います。病気も障害もないという人でも、決してすべての人が普遍的自立の状態にいるわけではないのです。

先ほど挙げていいただきました軽度認知障害の場合にもそういうデータがまさに出ていて、軽度の問題が発生していても、非常に敏感に普遍的自立ができなくなることが表れていることも、やはりこういうスケールのとり方がいいのだなと、一つの確証を加えていただいたと思っています。

次に、「能力」をどう見るかですが、ただ「能力」の場合には「自立」という言葉を使わないで「独立」と言葉を使い分けています。

次に表3の「参加の評価点基準」ですが、「十分に果たしている」。この「十分に果たしている」の定義は何だというとかなり難しいのですが、右側にWHOが示している基準としてのパーセント。つまり人が1万人いたとするとその中にはいろんな方がいらして病気の方もいれば障害の重い方も寝たきりの方もいます。しかし一方社会的に非常に高い参加の状態を実現している人もいます。それをグループ分けしていくと0~4%までの順番の人で、非常にさまざまな人が100人いたとしますと、まず4人目までというとあたりは5人は非常に十分な高い役割を果たしている状態にあります。その次の20%、20人くらいの方がかなり社会的な役割を果たしており、社会的あるいは家庭内で役割を果たしていいます。それから「ある程度果たしている」という中ぐらいの方が25%くらいおり、その後「一部分しか果たしていない」という人が45%くらいいます。まったく「果たしていない」とはかなり重度な方で、これも5%くらいです。これはいわゆる正規分布とは違うのですが、非常にいいものも少なく、非常に悪いものも少なく、中間はかなりいるという見方です。将来もっと精密にしていくことが可能ですが、しかし最初に申し上げましたように、あまりにも精密にしてしまうと使えなくなってしまうというジレンマがありますので、現時点ではこういうので済ませていただきたいと思います。

表4の「『活動』の能力と実行状況に関連しての『環境因子』の評価点の基準」はかなり複雑な話になりますので、よく読んでいただきたいと思います。時間が十分にはありませんので、最初のところだけ述べます。上の二つの点線の間にあるマイナス1からマイナス4のことですが、マイナス1とは「これだけで限定的自立になっている」。これは能力としては普遍的自立の人であることが前提になっています。能力としては普遍的自立だけれども、環境条件の影響で限定的自立になっていることです。マイナス2とは、環境のマイナスの程度がちょっと強くなっていること、能力としては普遍的自立である人が、環境条件のために部分介助の状態になっているという考え方です。
後はこれを読んでいただきたいと思います。

次に「ICF整理シート」(図3)の使い方ですが、これは「整理シート」という言葉を使っておりますように、これだけでいいというものではありません。他の紙やノートやカルテなどにできるだけ詳しく記録しておいていただきたいと思います。情報は詳しいほどいいのです。あるいは先ほどのチェックリストを活用していただいて、チェックリストにいろいろ書き込んで、書き足りないところは別紙に書き込んでいただく。最終的にその中で一番大事な点からこのシートに視覚的に見やすいように整理していくというのがこのシートの役目です。そしてプラスとマイナスをはっきりさせ、各項目の相互の関係を示す矢印をこれに付け加えていただいてもよく、むしろそうしていただいたほうがいいのです。プラスに働いている線は赤線、マイナスに働いているものは青線とか(逆かもしれませんね。交通信号からいうと赤と青が逆になるかもしれないのですが)、自分のルールを決めてやっていただきますと関係が非常にはっきりとわかるようになります。ここに初めから書き込んでいくとごちゃごちゃして訳がわからなくなっていきますから、むしろきちんと一度詳しく書かれたものをここに整理していただく。それによって共通言語として他の仲間にもわかりやすいし、当事者に説明したりこれを見ながら当事者と議論したりするときにもわかりやすいのです。

時間になってまいりましたので次の項目、倫理の問題を簡単にお話しさせていただきたいと思います。

「ICFの使用における倫理」とはどういうことかと疑問に思われる方もあるかもしれませんけれども、これは実は大事なことです。倫理の項目はICFの「付録6」に「ICFの使用に関する倫理的ガイドライン」としてまとめられています。

なぜ倫理を考えなければいけないかは、実はICFに関して障害のある人々からの誤解や不信がこれまでにもあるからです。日本ではそれほどは目立ってはいませんが、国際社会では一部で声高に批判が出されています。しかしその批判はどうも本当に正しい批判というよりは誤解であったり、あるいはICFそのものの問題ではなくてICFを使う専門家の使い方がよくなかったりというようなことがあります。

根本的な誤解や不信の元は、障害というレッテルを貼られると、それだけでいろんな権利や資格が奪われたり制限されたりして、非常に不利益を被ります。要するに差別の道具に使われてしまうということです。これはDPIというのがありますけれども、この代表の方にもこのICFの作成過程には加わっていただいて、十分意見を聞いております。私も一緒に議論したりしたのですが、その場合にも非常に敏感に、こういう使い方をしては困るという発言がよく聞かれました。使い方が間違っているのであって、本来はそういうものではないというような、そういう誤解を招くような使い方をしないことが、やはり専門家としての倫理的な責任です。そういう疑念を持たれて共通言語として役立ちにくくなります。

そこでICFの付録の倫理の項目がありますが、翻訳がちょっと硬い。私も翻訳に関係しているので申し訳ないのですが、公的な国の責任における翻訳とはあまり意訳をしてはいけず、直訳主義でやるので、非常に難しいのです。それから英語の言い回しをそのまま正直に翻訳しますと実にわかりにくいものになってしまうことがありますので、今回の資料はわかりやすい言葉にしたりして、訳し直してあります。こちらのほうがおそらく読みやすいと思いますが、原本のほうはやはり一度ご覧いただいたほうがいいと思います。

そのガイドラインで言っていますことは、どんなに科学的に作ったツールでも間違って使われれば間違ったことになる。そのために使い方のガイドラインを定めると。できるだけそういう有害に使われるという危険を少なくするために留意して努力していただきたいと思います。

後はここに挙げましたように、自己決定権を尊重して用いることです。それからレッテルを貼るために使うものではありません。これはサービスのニーズを見つけ出すため、それからサービスの手がかりを見つけ出すために使うもので、レッテルを貼ったり障害種別のみで人を判断するために用いるものではないのです。

ICFを用いることに関して、十分本人に認識していただき、協力を得て同意を得て行うべきです。本人が認知能力に問題があってそれはできないという場合には、その権利を代弁する人に積極的に加わってもらいます。そしてICFを用いて得られた情報は個人情報ですから、機密保持に関しては厳密に気をつけなければいけません。それから臨床的利用においての心がけとして、なぜICFを使うのかという目的を説明して、ご本人からの質問をむしろ促していかなければいけないといえます。

それから、本人の立場から今のことを見ているのですが、できる限り参加して疑問を述べたり賛成したり反対したりする機会が得られるようにすべきということです。

そしてこの分類で確認された問題点は、その人の健康状態からだけきているわけではなく、その人の背景、環境条件が非常に影響しているので、両方を考慮した全体的な視野に立って用いるべきものであるということです。

そしてその情報を社会的に利用する場合には、障害のある人の選択権や自己決定権や自己の人生の支配権を強めるという目的で使うべきだと。これは専門家にとってはそれを援助する、支援するのが仕事ですから、そのために用いるものなのだと。

それから参加を促し支援しようと努める社会政策や政治改革の促進に向けて用いられるべきです。ICFの結果から権利を否定したり正当な権利を制限したりするために用いるべきではありません。

そして最後に、ICFで分類したら複数の人の間で同じ結果が得られたとしても、多くの点で実は違っているので、個人として独立の人としてとらえるべきで、同質のものとしてとらえてはいけません。特にICFのすべてを使う場合ではなく調査・統計などの場合には、ある項目だけに限って調査をしたりしますので、そうすると結果は同じでも実は一人ひとりの人は他の点で非常に違っていることもあります。その個性を尊重し、個別性を尊重しなければいけないのです。

以上ですが、これは精神障害の場合は身体障害の場合とまったく同じ、あるいはそれ以上に大きな問題だと思いますので、最後に丹羽先生からちょっとコメントをいただきたいと思います。

丹羽 今の倫理の問題というので、私たちが実際にICFを使って患者さんの評価をするときに、一番の問題は、実際にその方に具体的に生活をどう変えていってもらうかというところにあるのですよね。そこに据えて評価していくことになります。そのとき第一に、私たちがその方が実際に生活上の問題を持っているかを正確に知ろうと思うと、かなり深く突っ込んで聞かないといけません。患者さんによっては「なんでそんなこと聞くのですか」という話になりかねません。そのときに、なぜそういうお話をしているかの目的を最初に伝えておかないことには協力を得られないことになります。そういう意味では、最初から黙ってやるかそういう問題ではなくて、なぜこれを使うのかというとあなたの生活をこういうふうに改善していこうというためにやっているのだよというところで、同意を得ないといけないことだと思います。

わかりやすく言うと、当事者の方々との共同作業という形で進めていかないと、うまく使えないというのが正直なところだと思います。

そういう意味では、インフォームして一緒に率直に意見を出してもらって考えることが、実際の利用において必要だろうと思っています。今、上田先生が説明された点は、そういう意味で、特に精神の場合はその必要があるのではないかと考えています。

上田 どうもありがとうございました。以上をもちまして私たちの担当の部分を終わりたいと思います。どうもありがとうございました。

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