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平成18年度厚生労働科学研究
障害保健福祉総合研究成果発表会報告書

地域力の概念規定と分析枠組み

地域の福祉力と福祉の地域力

まずポイントの1つ目なのですが、地域力というのは地域の福祉力と福祉の地域力との足し算ではないのかというのが1つ目の考え方です。もっと簡単に言うと、住民当事者の方の力と、専門職の力というのが合わさって地域の力になるのではないかというのが1つ目の視点です。

それからポイントの2つ目なのですが、やはり先ほど言ったように、多様性や異質性を共有できるような場がないのではないか。こういう場がないと、いつまでたっても多様性や異質性に共感する能力、力というのはつかないのではないか。それからどういうふうにこの出会いの場ですね、私は出会いの場と書いていますが、地域にそういう場を作っていくことができるか。この2つ目のポイントは、この後で議論したいと思います。

最初に、先ほど言った専門家の力と住民の力をどういうふうに高めていくことができるか。たとえばよくある事例でご説明すると、住民の方は認知症になりかけているお年寄りを一所懸命支えているというケースがよくあります。そのときに、民生委員の方が、「あそこはもうケアマネさんが入ったから大丈夫だ」って引いてしまうという事例を伺ったことがあります。つまり、現状は残念ながら、専門家の力が強くなると、地域の福祉力が減ってしまうという事象があるということですね。逆に、地域の福祉力、つまり住民の力が増えると専門家の力がいらないのかなと思われてしまう。こういうことだと、結局地域の中にある力というのが伸びないわけですよね。どちらかが増えると、どちらかが減ってしまうという関係になってしまうわけです。スライドの図は、そのようなことを試案として示したものです。イメージとしては、どちらかが増えてどちらかが減るのではなくて、やはり2つが合わさって伸びていく地域力というイメージを持たなければいけない、そういうふうに思っているわけです。これをどうやって高めていけばいいかというのはまた少しお話をしたいと思いますが、専門家の力と住民の力が合わさって地域の力になる。この研究会の言葉で言うと、専門家の力、つまり「公助」です。公助と、それから共助、互助。そういうものが合わさって地域の力として伸びていくのではないかというのが一つの整理のしかたです。

「出会いの場」をつくる

次のポイントに移りたいと思います。「場への注目」と書きましたが、どうやって「出会いの場」を地域の中に作っていくか。どうしてこういうものが必要なのかということを少しお話します。

1つは、やはり多様性や異質性というものに対する理解や共感する力、こういうものを高めていきたい。そういうときに、一番問題なのは、そういう人たちのことを知らない、自分以外の人たちを知らないということです。知らない人の問題はそもそも考えられません。そういう方々に、やはり何らかの出会う場所がないというのが知らないことの一番の問題ではないかと思っています。

今までやはり社協さんがやってきたプログラムというのは、「皆さん、担い手になってください、困っている人を助けてください」という形でプログラムを作ってきたと思います。そういう形のプログラムではなくて、まず出会う、そういう機会を作れないか。谷口先生が「やっさ祭り」のご紹介をされていましたが、その事例は、まさに出会いの場といえるのではないでしょうか。誰が支援して誰が支援されるということではなくて、みんなで楽しむわけですよね。その中で理解が深まっていくということが効果としてあるのではないかと思うのですが、そういう自然な形で出会える、理解し合えるような場がないのではないかというのが、私の一つの視点です。

地域に暮らす多様な人の生活のしづらさというものをお互いが知らなすぎる。だからもっとそういうことを知れたらいいのではないか。知らないから、今気がつく問題にしか話が出てこないわけですね。先ほどの住民座談会の話に戻りますけれども、ゴミ出しの問題というのは本当に「今気づく問題」なんですね。ゴミ捨て場が荒れていたりします。出せないで困っている高齢者の方、認知症が進まれると、分別が難しくなりますよね。たとえば名古屋市なんかはすごく分別が厳しいのですが、ちょっと認知症が現れてこられた高齢者の方というのは、どれをどういうふうに分別していいか、複雑すぎてわからないのですね。ゴミの収集では持っていってくださらないので問題になるわけです。外国人の方も指示が読めませんから、上手に分別できなくて結構もめることが多いと聞いています。こうした問題、「今気がつく」もしくは、「目に見える」問題しか出てこないわけです。

ここに住んでいる障害者のAさんが、たとえばここでずっと暮らし続けたいと思っている「思い」などは、なかなかそういう方たちのところに伝わっていない。それは、やはりそういう出会う機会がなさすぎるのではないか。もちろん、気をつけなくてはならないことは、表層的な関わりがかえって偏見を強めたりする結果にもなるということです。今、学校で行われている取り組みとして、福祉教育というのがあります。私は地域福祉が専門ですから、福祉教育のセミナーや研修などをやらせてもらうことがありますが、お話を伺っていると社協さんが、車椅子やアイマスクや、それから高齢者疑似体験セット、何か重たいものをつけて歩いてもらうというセットですね、ああいうものを学校に貸し出して、授業を1時間やって感想文を書いて終わりという形が多いわけです。私はこうした取り組みで、「共生」とか「違いをともに生きる」ということが伝わるのだろうかと疑問に思います。その話を始めると長くなってしまうのでやめますが、そういう表層的な関わりというのは、「ああ、障害者の人ってたいへんなんだな」、「私とは違うんだな」と思うだけで終わってしまうのではないかな、と危惧しています。

そういう意味では、単発のプログラムをやりっぱなしにするのではなくて、やはりこういう出会いの場というのを、一連の過程としてシステムにしていく。つまりそういう場が常にあるという状況を作っていく、またよくよくその演出を考えておくということが大切なのではないかと思います。

お祭りは1年に1回あるわけですよね。それからちょっと尾道の例で出していただいたサロン、誰でも集える場所が常に商店街の中にたとえばある。そういう場があることで、出会いが、継続的に関わりができる、そういう場が必要なのではないかなと思っています。

それから、出会いの場における効果という事ですが、出会うことでどういうことができるかというと、そこでコミュニケーション、それから体験しあう、それから相互に学びあう。どちらかが助ける人でどちらかが助けられる人ということではなくて、お互いの情報を共有しあう。だいたい誰でも、いろいろ生活のしづらさというのは持っていますから、お互いのできることや難しいことを共有しあう。そういう共有によって新しい動きが出てくるのではないかというのが私の考えです。それはたとえば、何か一緒に活動を作りましょうというのを、私は「協働」という名前で呼んでいますが、何か一緒に活動を作っていきましょう、こういう困っている人がいるから、それを支援するような活動を作りましょうという活動の創出。たとえばサロンを作りましょう、でもいいわけです。

それからもう一つは、ただ住民の力だけでそれを解決していきましょうというだけではなくて、それをもっと行政に働きかけなければいけないよね、とか、専門家の人にもわかってもらいたいよね、というふうに働きかけていく。ここでは「協議」と書いてありますが、そういうことが自然と出てくるのではないか。

お互いを知らなければ何も出てこないわけですけれども、お互いを知り合うことで、何か一緒にやっていこうよとか、こういうことは一緒に働きかけていこうよというような動きが出てくるのではないか。

「協議の場」つまり、協議をする、住民の力だけでは解決できないような問題、これを他の人たちと一緒に議論していきたい。解決していこう、行政に言っていこう、そういうふうになってくる。これが本来の意味での地域福祉計画であり、地域福祉活動計画というものであるべきだと思います。

私は地域福祉をやっているので、すぐ地域福祉計画を例に出してしまいますが、これは他の計画でも同じだと思います。今、市町村が障害者の計画を作っていますけれども、そういう中にやはり当事者の人、地域の人、そういう人たちが、地域福祉計画も住民の参加がなければ作れないとか言っているわりには、非常に形式的な参加のみでやってしまっているところが多いわけです。どれくらい当事者の人がそこに入っているか。どれくらい地域のいろいろな活動をしている人が入って議論をしているか。先ほど申し上げたような、形式的ではない座談会というものをどれくらいやっているかと言われると、ほとんどの地域が心もとないのではないかと思います。

こうしたことをまとめた図が、次のスライドです。ちょっと時間もないので簡単にお話しますと、出会う場があって、そこでいろいろな情報の共有をしていく。そのことによって、協議をしたり、何か活動を作り出していく(協働)。そのことによって地域の力が高まっていく。そういうことが構想できるのではないか、というのが私の今回の研究から考えたことです。

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